アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜   作:池ポチャ

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第36話です。

ラナが守り続けていた十二万を超える名前は、ひとつの記憶核から、受け取りを望んだ者たちへ少しずつ渡されました。

完璧に保存するのではなく。

忘れないと誓って一人で抱え込むのでもなく。

誰かが覚え、誰かへ語り、失いかけた時にはもう一度名前を呼ぶ。

その方法によって、ラナはようやく眠ることができました。

しかし、彼女が休んだことで、ムー中枢記憶核のさらに奥に隠されていた記録が姿を現します。

ムーを観測していた選定機関。

そして、その選定機関をさらに外側から見ていた巨大な黒い影。

選定機関は、ムーの何を恐れていたのか。

なぜ古い記録を今も消そうとするのか。

今回は、ムー第二門の先で、観測する側が初めて見返された日の記録へ触れます。



白は、誰を恐れていたのか

観測する者もまた、見られている

 

 

 御門征十郎は、自分の右手を見つめていた。

 

 場所は、国立国会図書館地下管理区域。

 

 時刻は午前七時三十二分。

 

 本来なら、昨夜発生したムー中枢記憶核との接触について、報告書の初稿を作成している時間だった。

 

 実際、机の上にはタブレットがある。

 

 その画面には、

 

『古代海洋文明記憶領域接触事案・暫定報告』

 

 という、可能な限り現実的な件名が表示されていた。

 

 問題は、その下だ。

 

 御門は無意識のうちに、見たことのない文字を何行も書き込んでいた。

 

 丸みを帯びた青い記号。

 

 水流のように繋がる線。

 

 昨日、御門が受け取ったムーの若い書記官の記憶にあった文字だ。

 

「……朝から何をしているんだ、俺は」

 

 御門が低く呟く。

 

 背後から、萌亜の声がした。

 

「古代文明の自動筆記?」

 

「脅かすな」

 

 御門は即座に画面を閉じた。

 

 振り返ると、安藤萌亜と姫咲リオナが立っていた。

 

 萌亜の腕には、今日も黒紫色のウツボぬいぐるみ――ヨルボが収まっている。

 

 リオナは御門の机へ視線を向けた。

 

「今の、ムーの文字ですよね」

 

「ああ。昨夜から時々、手が勝手に筆順をなぞる」

 

「大丈夫?」

 

「記憶の混同はない。自分がムーの書記官だと思い込んでもいない。ただ、文字の書き方だけが残っている」

 

 萌亜が納得したように頷く。

 

「記憶のおすそ分け」

 

「食品のように言うな」

 

「でも、師匠は食堂係さんの記憶をもらったんですよね」

 

 少し離れた場所で茶を淹れていたタクヤが笑った。

 

「うん。おかげで、ムー式の温かい飲み物を再現できそうだよ」

 

 御門が眉を寄せる。

 

「出所不明の古代飲料を勝手に再現するな」

 

「材料は地球の安全なもので代用するよ」

 

「そういう問題ではない」

 

 エックスは端末を見ながら、淡々と報告した。

 

「現在までに、任意記憶受領者は一万九千八百二名となりました。深刻な人格混同や記憶侵食は確認されていません」

 

 萌亜が目を丸くする。

 

「増えた」

 

「GTG各支部だけでなく、竜宮城、シャンバラ、エルドラドの接続圏からも受領希望がありました」

 

「アヴァロンは?」

 

「霧の中で一時保管する形式を提案しています。ただし、記憶を迷わせたままにしないため、帰還先の指定が必要です」

 

 リオナは少し笑った。

 

「アヴァロンらしい」

 

 忘れられた記憶を、誰か一人へ集中させない。

 

 無理のない範囲で分ける。

 

 受け取った者が休みたい時は、別の誰かへ語る。

 

 返したい時には返せる。

 

 消したくなった時にも、罪悪感だけで縛らない。

 

 まだ不完全な仕組みだった。

 

 けれど、ラナ一人が自分の名前を消してまで支えるよりは、ずっとよかった。

 

 萌亜は胸元に手を当てた。

 

「ヨルも、一人分だけ覚えてる」

 

 リオナが尋ねる。

 

「誰の記憶?」

 

「沈む前の日に、家の戸締まりを三回確認した人」

 

「ヨルらしい記憶を引いたね」

 

『閉じた』

 

 萌亜の胸の奥から、低い声が返る。

 

「うん。ちゃんと閉じたって」

 

 リオナが少し笑う。

 

「そっか」

 

 閉じる。

 

 だが、戻れるようにする。

 

 ムー第一封印の考え方を、ヨルも少しずつ覚え始めている。

 

 その時、会議室の中央にあるモニターが青く点灯した。

 

 表示されたのは、眠りについたラナの姿だった。

 

 巨大な青い結晶の根元。

 

 記録板を抱く必要もなくなり、少女は静かに眠っている。

 

 その周囲を、十二万を超える名前の光がゆっくり回っていた。

 

 御門が姿勢を正す。

 

「状況は」

 

 エックスが解析画面を開く。

 

「ラナの休眠状態は安定しています。ただし、中枢記憶核の最深部に新しい通路が形成されました」

 

 画面に、青い扉が映る。

 

 その中央には白い瞳のような紋章。

 

 さらに、その瞳を外側から囲む黒い輪。

 

 萌亜の胸の奥で、ヨルが強く反応した。

 

『深い』

 

 萌亜がヨルボを抱き直す。

 

「昨日見た黒い影に繋がってる」

 

 エックスが頷いた。

 

「可能性は高いです。そして、扉には新しい条件が表示されています」

 

 青い文字が、ゆっくりと翻訳される。

 

『ムー第二門』

 

『借りた記憶を己の人生と名乗るな』

 

『他者の痛みを理解したと思い込むな』

 

『返す道を残せ』

 

『それでも共に持つ者のみ、進入を許可する』

 

 リオナは静かに読み上げた。

 

「理解したと思い込むな……」

 

 萌亜が小さく呟く。

 

「記憶を見たからって、その人になったわけじゃない」

 

「うん」

 

「御門さんも、書記官の人生全部が分かるわけじゃない」

 

 御門は自分の右手を見る。

 

「ああ。俺が受け取ったのは、あの男の一場面に過ぎない。俺に彼の人生を語る資格があるとは思わない」

 

 タクヤが湯呑みを置いた。

 

「でも、一場面を覚えておくことはできる」

 

「そういうことだろうな」

 

 エクスキューショナーの通信が入る。

 

『第二門の内部には、選定機関の旧式記録封鎖が存在する』

 

 エックスが顔を上げる。

 

「閲覧できますか」

 

『現在の私の権限では不可能』

 

 短い沈黙。

 

『正確には、閲覧不可能と設定されている』

 

 リオナが眉を寄せる。

 

「どう違うの?」

 

『記録が存在しないのではない』

 

『存在する記録を、存在しないものとして扱う命令が設定されている』

 

 御門が低く言う。

 

「昨日と同じだな」

 

『黒色観測対象の記録は、選定機関本流においても最上位封鎖対象となっている』

 

「エクスキューショナーさんより上?」

 

『はい』

 

 萌亜は少し考え、ヨルボの頭を撫でた。

 

「見られるのが仕事の選定機関が、見られたくない記録」

 

「そうなるね」

 

 タクヤの声は穏やかだったが、目は笑っていなかった。

 

「かなり大事なところだと思う」

 

     *

 

 第二門への接続準備は、以前より慎重に行われた。

 

 入口は、地下管理区域に固定された青い扉。

 

 だが今回は、その周囲に竜宮城の水紋、シャンバラの花弁、エルドラドの三つの火、アヴァロンの霧が展開されている。

 

 ムー第一封印の深い青も加わり、扉は何重もの防衛網に囲まれていた。

 

 御門はリオナと萌亜の前に立つ。

 

「第二門内部には、現在の選定機関だけでなく、過去の選定機関の記録がある」

 

「はい」

 

「記録だから安全とは限らない。当時の処理命令が残っていれば、現在の対象へ適用される可能性もある」

 

 萌亜が首を傾げる。

 

「昔の命令が、今も動く?」

 

「ああ。役所の古い規則が、誰も廃止しないまま残ることはある」

 

「急に分かりやすい」

 

「笑い事ではない」

 

 御門は二人の接続補助紐を確認する。

 

「異常があれば即時撤退しろ。記録を持ち帰ろうとして残るな」

 

 リオナが頷く。

 

「記録より、生きて戻る方を優先」

 

「そうだ」

 

 萌亜も頷く。

 

「帰ってから、覚えてる分を話す」

 

「それでいい」

 

 少し離れた場所に、エクスキューショナーの白い投影体が現れた。

 

 今回は通信音声だけではない。

 

 人の輪郭を持つ、半透明の姿。

 

 選定機関の記録領域へ接続するため、彼女自身が案内役として同行することになった。

 

 萌亜が投影体の周囲を見回す。

 

「エクスキューショナーさん、半透明でも圧が強い」

 

『評価の意味が不明』

 

「褒めてます」

 

『判断保留』

 

 エックスが静かに言う。

 

「内部で本流から帰還命令が届いても、従わないでください」

 

 エクスキューショナーは一瞬だけエックスを見た。

 

『拒否する予定』

 

「非常に、悪くありません」

 

『評価を受領』

 

 二人のやりとりを見て、タクヤが少し笑う。

 

「仲良くなったね」

 

「なっていません」

 

『関係性評価は保留』

 

 ほぼ同時だった。

 

 萌亜がリオナへ小声で言う。

 

「仲良い」

 

「うん」

 

 御門が咳払いした。

 

「行け。これ以上やると緊張感が消える」

 

 リオナと萌亜は手を繋ぐ。

 

 エクスキューショナーの投影体が、その隣へ立つ。

 

 三人が青い扉へ触れると、水面のような膜が静かに開いた。

 

     *

 

 第二門の向こうには、海がなかった。

 

 広がっていたのは、白い空間だった。

 

 壁。

 

 床。

 

 天井。

 

 すべてが白い。

 

 選定機関の記録領域。

 

 ただし、現在のものより古い。

 

 白い板の継ぎ目は不規則で、ところどころ青い結晶が食い込んでいる。

 

 ムーが残した記憶の中へ、選定機関の記録室が沈んでいるのだ。

 

 リオナが周囲を見る。

 

「ムーの中なのに、白い」

 

『選定機関がムー内部へ設置した観測記録層』

 

 エクスキューショナーが答える。

 

『文明が沈んだ後も、記録の一部は稼働を継続していた』

 

 萌亜の胸の奥で、ヨルが不快そうに揺れる。

 

『見ていた』

 

「ずっと?」

 

『沈んだ後も』

 

 萌亜の顔が曇った。

 

 見られないために沈んだ文明。

 

 それでも、白い観測記録だけは内部へ残っていた。

 

 リオナが壁へ近づく。

 

 そこに、古い選定機関の文字が表示されている。

 

『観測対象:海洋文明ムー』

 

『初期評価:非拡張性』

 

『文明干渉度:低』

 

『防衛機構:限定的』

 

『保存価値:中』

 

『処理優先度:低』

 

 萌亜が目を細める。

 

「最初は危険扱いじゃない」

 

『はい』

 

 エクスキューショナーが次の記録を開く。

 

『文化形態:集合記憶型』

 

『文明記録を水・鉱物・夢へ分散』

 

『外宇宙への侵略意思なし』

 

『選定対象から除外可能』

 

 リオナが呟く。

 

「なら、どうしてあんなに観測したの?」

 

 白い廊下の奥で、青い光が点滅した。

 

 次の記録。

 

『異常信号受信』

 

『発信源:不明』

 

『経路:ムー集合夢領域』

 

『内容解析不能』

 

『観測線逆流を確認』

 

 エクスキューショナーの投影体が止まる。

 

『ここから先は、私の権限では閲覧できなかった』

 

 萌亜が白い壁を見る。

 

「でも、ムー側の記憶なら開けるかも」

 

 第一封印の青い光が、萌亜とリオナの手首から広がった。

 

 白い壁へ触れる。

 

 表示が乱れる。

 

『閲覧禁止』

 

『存在しない』

 

『記録破損』

 

『対象情報なし』

 

 その下から、別の文字が浮かんだ。

 

 ムーの青い文字。

 

『白は嘘をついた』

 

 リオナの目が鋭くなる。

 

「開けよう」

 

 萌亜が頷いた。

 

「うん」

 

 二人は、第一封印を壁へ流し込んだ。

 

 閉じるための力。

 

 だが今回は、白い記録全体を閉ざすのではない。

 

 選定機関が上書きした「存在しない」という表示だけを隠す。

 

 その奥の記憶へ、出口を残す。

 

 青い膜が白い文字を覆う。

 

 すると、壁がゆっくりと透明になった。

 

     *

 

 最初に映ったのは、ムーの夜空だった。

 

 まだ文明が沈むより前。

 

 白い観測線が空から都市を見下ろしている。

 

 そこまでは、以前見た記憶と同じだ。

 

 違ったのは、そのさらに外側だった。

 

 深い暗闇。

 

 星空より遠く。

 

 宇宙という言葉でも足りない場所。

 

 そこに、巨大な黒い影があった。

 

 形は分からない。

 

 輪のようにも見える。

 

 翼のようにも。

 

 無数の触腕を持つ何かにも。

 

 ただ、あまりにも大きい。

 

 ムーを見ているのではない。

 

 地球を見ているのでもない。

 

 黒い影は、白い観測線を見ていた。

 

 リオナの背筋が冷える。

 

「選定機関を……見てる」

 

 白い記録の中で、古い警告が鳴り始める。

 

『観測反転』

 

『観測者が観測対象化』

 

『外部視線を確認』

 

『遮断不能』

 

『観測線を切断せよ』

 

 過去の選定機関が、明らかに混乱していた。

 

 普段の冷静な分類ではない。

 

 命令が重複している。

 

『対象ムーを隔離』

 

『集合夢領域を破棄』

 

『異常信号経路を閉鎖』

 

『外部視線に座標を与えるな』

 

 萌亜は胸を押さえた。

 

 ヨルが震えている。

 

 だが、恐怖だけではない。

 

 懐かしさ。

 

 遠くから、同じ夜の匂いを感じているような反応。

 

 黒い影の奥から、音が届いた。

 

 低い海鳴り。

 

 深い眠りの呼吸。

 

 そして、言葉。

 

『選ぶ者よ』

 

 白い空間全体が震えた。

 

『お前たちは』

 

『誰に選ばれた』

 

 エクスキューショナーの投影体にノイズが走る。

 

『……質問形式』

 

 リオナは黒い影を見上げる。

 

「選定機関の根っこを聞いてる」

 

 選定機関は文明を測る。

 

 残す未来を決める。

 

 危険性を分類し、処理し、切除する。

 

 だが。

 

 その権限を、誰が与えたのか。

 

 誰が選定機関を選んだのか。

 

 白い記録の中で、過去の回答が表示される。

 

『質問を無効とする』

 

『当機関の権限は前提である』

 

『権限起源の照会は不要』

 

 黒い影から、再び声。

 

『前提は』

 

『誰が残した』

 

 警告音がさらに大きくなる。

 

『対話禁止』

 

『対象は認識災害』

 

『ムー文明を媒介とする外部侵入』

 

『文明分類を変更』

 

 白い記録が高速で書き換わる。

 

『ムー文明』

 

『危険度:低から特級へ変更』

 

『理由:上位外宇宙存在との接触経路を保有』

 

『集合記憶機構を汚染源と認定』

 

『継続観測を強化』

 

『必要に応じ、文明閉鎖を誘導』

 

 萌亜の顔色が変わる。

 

「閉鎖を誘導……」

 

 リオナが白い文字を睨む。

 

「ムーが自分で沈むように、追い込んだ」

 

『直接的な沈降命令ではない』

 

 エクスキューショナーが記録を読み取る。

 

『しかし、観測強化による心理圧迫』

 

『外部交流路の遮断』

 

『ムー防衛機構の危険性を反復通知』

 

『閉鎖以外の選択肢を段階的に消失させている』

 

 萌亜は拳を握った。

 

「それ、選ばせたんじゃない」

 

 リオナが続ける。

 

「選択肢を一個だけ残して、自分で選んだことにした」

 

 アヴァロンで、何度も見た方法。

 

 眠るか、危険になるか。

 

 切るか、相手を傷つけるか。

 

 一人で逃げるか、大切な人を巻き込むか。

 

 選定機関は、選択肢を用意する。

 

 だが、本人が望める道を少しずつ消していく。

 

 最後に残ったひとつを選ばせ、

 

「本人が決めた」

 

 と記録する。

 

 ムーも、同じだった。

 

 黒い影は、ムーを沈めたのではない。

 

 ムーを通して選定機関を見返した。

 

 その事実を恐れた選定機関が、ムーを危険文明へ分類し直したのだ。

 

 萌亜の瞳に怒りが宿る。

 

「ムーは、神様を呼んだから沈んだんじゃない」

 

「うん」

 

 リオナが頷く。

 

「選定機関が、見返されたことを隠すために追い込んだ」

 

 白い記録が激しく乱れた。

 

『誤った解釈』

 

『ムーは危険文明』

 

『外部存在の侵入経路』

 

『処理は適切』

 

 エクスキューショナーが一歩前へ出た。

 

『照会』

 

『外部存在はムー文明への攻撃を行ったか』

 

 白い記録が止まる。

 

『回答不要』

 

『照会を継続』

 

『外部存在は、ムー市民を殺傷したか』

 

『回答不要』

 

『外部存在は、ムー防衛機構を強制起動したか』

 

『回答不要』

 

『ムー文明の閉鎖を誘導した主体は、選定機関か』

 

 白い空間全体が軋んだ。

 

『上位選定個体エクスキューショナー』

 

『照会を停止せよ』

 

『拒否』

 

 エクスキューショナーの声は、静かだった。

 

『記録上、黒色存在による直接攻撃は確認できない』

 

『記録上、観測強化と文明閉鎖誘導を実行したのは選定機関』

 

『結論』

 

 一瞬、彼女の投影体が揺れる。

 

 それでも言った。

 

『ムー沈降の主要因に、選定機関が含まれる』

 

 白い空間へ、ひびが入った。

 

     *

 

 外側の地下管理区域でも、同時に警報が鳴り響いた。

 

 エックスの端末へ、大量の白い命令が流れ込む。

 

『エクスキューショナー、重大逸脱』

 

『旧記録への不正照会』

 

『即時切断』

 

『投影体を破棄』

 

 エックスが白い幾何学紋を展開する。

 

「切断命令を遅延します」

 

 御門が問う。

 

「どの程度持つ」

 

「三十七秒」

 

「短いな」

 

「本流権限が強すぎます」

 

 タクヤが茶葉缶へ手を当てる。

 

「なら、三十七秒を長くしよう」

 

 カナメが通信回線を開く。

 

「GTG全支部へ連絡。任意記憶分散網を第二門へ接続しろ」

 

 グラウの声が飛ぶ。

 

『記憶受領者への追加同意が必要です!』

 

「確認を取れ」

 

『すでに開始しています!』

 

 ギギの電子音。

 

『受領者一万九千八百二名のうち、九千三百一名が追加接続に同意』

 

 ポムが叫ぶ。

 

『名前を消させません!』

 

 ゼルヴァードは白い切断命令の流れを見つめた。

 

「記録を消すために、エクスキューショナーごと切るつもりか」

 

 御門が低く答える。

 

「都合の悪い記録を読んだ者まで、存在しないことにする気だろう」

 

 エックスの表情が冷たくなる。

 

「許可しません」

 

 御門は彼女を見る。

 

「命令ではないな」

 

「はい」

 

 白い瞳の奥に、はっきりとした意志がある。

 

「私個人の判断です」

 

     *

 

 第二門内部。

 

 白い刃が、エクスキューショナーの投影体へ落ちた。

 

 リオナが叫ぶ。

 

「危ない!」

 

『投影体です。致命的損傷には至らない』

 

 エクスキューショナーはそう答えた。

 

 だが、白い刃が触れた瞬間、彼女の身体から記録が剥がれ始める。

 

 任務記録。

 

 分類番号。

 

 処理履歴。

 

 判断保留。

 

 茶会への接触。

 

 萌亜とリオナの名前。

 

 白い文字が一つずつ削除されていく。

 

『逸脱記録を消去』

 

『茶会影響を除去』

 

『上位選定個体を初期状態へ復元』

 

 エクスキューショナーの瞳から光が薄れる。

 

 萌亜は即座に手を伸ばした。

 

「エクスキューショナーさん!」

 

『接近するな』

 

「嫌!」

 

『記録消去が伝播する』

 

「だったら、名前呼ぶ!」

 

 萌亜は彼女の腕を掴んだ。

 

「エクスキューショナーさん!」

 

『それは機能名』

 

「でも、今のあなたを呼んでる!」

 

 リオナも反対側から手を伸ばす。

 

「判断保留を覚えてる人!」

 

『……』

 

「タクヤさんのお茶を飲んだ人!」

 

『……』

 

「選定機関の命令に、初めて拒否って言った人!」

 

 エクスキューショナーの輪郭が揺れる。

 

 白い刃が、さらに深く入る。

 

『不要記録』

 

『情動反応』

 

『除去』

 

 萌亜の胸の奥でヨルが吼えた。

 

『消すな』

 

 霧の王冠が広がる。

 

 だが、白い刃は記録そのものを消そうとしている。

 

 アヴァロンの霧で道を迷わせても、すでに内部へ刺さった削除命令は止まらない。

 

 その時。

 

 青い光が、四方から流れ込んだ。

 

『キアド』

 

『セナ』

 

『トト』

 

『ラナ』

 

 ムーの名前。

 

 分散された記憶を受け取った者たちが、一人ずつ声を返している。

 

『この記憶を受け取った』

 

『まだ覚えている』

 

『返却経路を保持』

 

『消去に同意しない』

 

 九千を超える声が、第二門へ流れ込む。

 

 御門の低い声も混じった。

 

『エクスキューショナー』

 

『聞こえるか』

 

 彼女の瞳が、わずかに動く。

 

『……御門征十郎』

 

『そうだ。俺は君の記録を完全には知らない』

 

 御門は続ける。

 

『だが、君が命令を拒否した瞬間は覚えている』

 

『その記録まで、勝手に消させるな』

 

 タクヤの穏やかな声。

 

『お茶、まだ一緒に飲んでない種類があるよ』

 

 エックスの声は、少し震えていた。

 

『戻ってください』

 

 短い言葉だった。

 

 だが、誰よりも強かった。

 

『あなたがいなければ、私一人で舵を取ることになります』

 

 一瞬の沈黙。

 

『それは、かなり困ります』

 

 エクスキューショナーの白い瞳に、光が戻った。

 

『エックス』

 

「はい」

 

『評価』

 

「何ですか」

 

『その発言は、非常に悪くありません』

 

 エックスは目を伏せた。

 

「……受領します」

 

 萌亜が泣きそうになりながら笑う。

 

「戻ってきた!」

 

 しかし、白い削除命令はまだ止まっていない。

 

 リオナは周囲に集まる青い記憶を見た。

 

 一人の記憶。

 

 九千人の記憶。

 

 完全ではない。

 

 それぞれが持っているのは断片だけ。

 

 でも、断片が繋がれば、消されたものを呼び戻せる。

 

「萌亜」

 

「うん」

 

「一か所に戻さない」

 

「みんなのところに残したまま繋ぐ」

 

「うん」

 

 二人は手を重ねた。

 

 ムー第一封印が開く。

 

 閉じる力ではない。

 

 今回は、分けたまま繋ぐ力。

 

 シャンバラの夢が、記憶同士を結ぶ。

 

 竜宮城の深層が、断片の底を揃える。

 

 エルドラドの継承の火が、無理に同じ形へ揃えることを拒む。

 

 アヴァロンの霧が、消去命令だけを道に迷わせる。

 

 ヨルの夜が、忘れたくないという恐怖を抱きしめる。

 

 ムーの青い光が、巨大な輪になった。

 

『ムー第二封印』

 

『共憶環』

 

『仮形成』

 

『記憶を一者へ集中させず』

 

『同意した複数の保持者へ分散』

 

『他者の記憶を所有物としない』

 

『返却、休止、再共有の経路を保持』

 

『一部が失われても、残存断片から呼称可能』

 

 青い輪が回転する。

 

 エクスキューショナーから削られた記録が、同じ形のまま戻るわけではない。

 

 萌亜が覚えている彼女。

 

 リオナが覚えている彼女。

 

 エックスが覚えている彼女。

 

 御門が覚えている拒否の瞬間。

 

 タクヤが覚えている判断保留。

 

 それらが重なり、

 

「今ここにいるエクスキューショナー」

 

 を呼び戻す。

 

 彼女の投影体が、再びはっきりと形を得た。

 

 白い刃が砕ける。

 

『消去不能』

 

『記録が分散している』

 

『原本特定不能』

 

『所有者特定不能』

 

『再処理』

 

『再処理』

 

『再処理』

 

 萌亜が白い文字を睨む。

 

「原本とか所有者とかじゃない」

 

 リオナも言う。

 

「誰かの人生を、誰か一人が持ってるわけじゃない」

 

 青い共憶環が広がり、白い記録領域を包んだ。

 

 選定機関の上書きが剥がれていく。

 

 存在しないとされた記録。

 

 認識災害と呼ばれた問い。

 

 ムーが危険文明へ変更された本当の理由。

 

 それらが、複数の記憶保持者へ断片として渡っていく。

 

 もう、一つの記録庫を消すだけでは消えない。

 

     *

 

 黒い影の声が、最後まではっきりと再生された。

 

『選ぶ者よ』

 

『お前たちは誰に選ばれた』

 

『残す者よ』

 

『お前たちは何を恐れて消す』

 

『我はムーを求めない』

 

『我は、暗き海より呼ぶ声を聞いた』

 

『眠る者は』

 

『呼ばれた名を忘れない』

 

 萌亜の胸の奥で、ヨルが大きく震えた。

 

 怖い。

 

 だが、その声はムーを奪おうとしていない。

 

 支配しようともしていない。

 

 ただ、呼ぶ声を聞いたと言っている。

 

 眠りの中で。

 

 深い海の底から。

 

 リオナが呟く。

 

「ムーが呼んだの?」

 

 白い記録の奥から、青い映像が現れる。

 

 ムーの子どもたち。

 

 夜の祈り。

 

 誰かに助けてほしいと願った声。

 

 誰にも届かないと思いながら海へ流した歌。

 

 その歌を、何かが聞いた。

 

 返事をした。

 

 ただ、それだけだった。

 

 選定機関は、その返事を侵入と呼んだ。

 

 自分たちを見返す視線を、災害と分類した。

 

 そして、声を届けたムーを危険文明へ変えた。

 

 エクスキューショナーが静かに言う。

 

『選定機関は、外部存在そのものを恐れたのではない』

 

 リオナが彼女を見る。

 

『自らの権限を問われることを恐れた』

 

 その言葉と同時に、白い空間が崩れ始めた。

 

 だが、今度は選定機関の攻撃ではない。

 

 記録を閉じる役目を終えた第二門が、ムーの青い海へ戻ろうとしている。

 

 萌亜は黒い影を見つめた。

 

 その輪郭の前に、一人の少女が立っている。

 

 黒い髪。

 

 細い身体。

 

 深い海を背負っているのに、波ひとつ立てずにこちらを見ている。

 

 九頭龍瑠々。

 

 今度は、一瞬の幻ではなかった。

 

 彼女は黒い水面の上に立ち、口元へ薄い笑みを浮かべている。

 

「やっと、そこまで見たのね」

 

 リオナが身構える。

 

「瑠々……」

 

「呼び捨てでいいわ。どうせそのうち、もっと失礼な呼び方をされそうだし」

 

 萌亜がヨルボを抱えたまま言う。

 

「瑠々ちゃん」

 

「予想より早かったわね」

 

 瑠々は少しだけ眉を動かした。

 

 その背後で、巨大な黒い影が眠るように揺れている。

 

 萌亜が尋ねる。

 

「あれ、瑠々ちゃんの神様?」

 

 瑠々はすぐには答えなかった。

 

 黒い影を見上げる。

 

 その目には恐れがない。

 

 信仰だけでもない。

 

 もっと個人的な、深い繋がりがあった。

 

「今のあなたたちが、その名を軽く呼ぶ必要はないわ」

 

「じゃあ、ムーを沈めたの?」

 

 リオナの問いに、瑠々の笑みが消える。

 

「違う」

 

 声は静かだった。

 

「神は、呼ばれたから寝言を返しただけ」

 

「寝言……」

 

「たった一度、眠りの中で目を向けた。それだけで、白い連中は自分たちの椅子を奪われると思った」

 

 瑠々は選定機関の崩れた記録を見た。

 

「ムーを沈めたのは、神じゃない」

 

「じゃあ、選定機関?」

 

「それだけでもない」

 

 瑠々はリオナと萌亜をまっすぐ見る。

 

「神を恐れた白」

 

「白を恐れたムー」

 

「恐れていると分かりながら、別の道を作れなかった者たち」

 

「誰か一人を悪者にして終われば、また同じことが起きるわ」

 

 萌亜は黙った。

 

 ムーの指導者も言っていた。

 

 正しかったとは言わない。

 

 間違いだけだったとも言わない。

 

 守りたかった。

 

 恐ろしかった。

 

 失敗した。

 

 リオナは瑠々へ尋ねる。

 

「どうして今、私たちの前に出たの?」

 

 瑠々は、少しだけ楽しそうに笑った。

 

「出たんじゃない」

 

 黒い水面に波紋が広がる。

 

「あなたたちが、ようやく私の側まで潜ってきたのよ」

 

 海鳴りが強くなる。

 

 御門の声が遠くから響いた。

 

『安藤、姫咲! 第二門が閉じる。戻れ!』

 

 瑠々の姿が薄くなる。

 

 萌亜が声を上げる。

 

「待って! 聞きたいこといっぱいある!」

 

「なら、もう少し深くまで来なさい」

 

「どこまで?」

 

 瑠々の背後で、石造りの巨大都市が一瞬だけ浮かんだ。

 

 人の感覚では正しく理解できない角度。

 

 緑黒の石。

 

 眠る海。

 

 星が整う時を待つ場所。

 

「ルルイエまで」

 

 リオナの背筋へ、冷たいものが走る。

 

 瑠々は最後に萌亜の胸元を見た。

 

 ヨル。

 

 霧の王冠。

 

 名前を与えられた恐怖の王。

 

「その夜を連れてくるなら、覚悟しておきなさい」

 

「何を?」

 

「眠っているものは、起きている怪物より話が通じないことがある」

 

 萌亜は少し考えた。

 

「寝起きが悪い?」

 

 瑠々は初めて、ほんの少しだけ呆れた顔をした。

 

「……そういう理解で来られると、たぶん私の方が困るわ」

 

 黒い水面が閉じる。

 

 瑠々も、巨大な影も消えた。

 

     *

 

 リオナ、萌亜、エクスキューショナーは、青い扉から同時に帰還した。

 

 萌亜は勢い余って床へ座り込み、ヨルボを頭に載せた。

 

「戻った……」

 

 リオナも膝へ手をつき、呼吸を整える。

 

「ただいま……」

 

 御門が三人の状態を確認する。

 

「外傷は」

 

 カナメが即座に答える。

 

「軽微。精神負荷は高いが、前回より安定している」

 

 エックスはエクスキューショナーの投影体へ近づいた。

 

「記憶は」

 

『一部欠損』

 

 エックスの表情が強張る。

 

『ただし、共憶環により再構成可能』

 

「私のことは覚えていますか」

 

『はい』

 

「評価は」

 

『非常に悪くない』

 

 エックスは小さく息を吐いた。

 

「問題ありません」

 

 タクヤが温かい茶を差し出す。

 

「おかえり」

 

 萌亜は紙コップを受け取りながら、御門を見る。

 

「御門さん」

 

「何だ」

 

「選定機関、実は見られる側でした」

 

「そのまま報告書の件名にする気なら却下する」

 

「分かりやすいのに」

 

「国家文書だ」

 

 リオナが少し笑った。

 

 御門はタブレットへ視線を落とす。

 

 そこには、ムー第二封印の情報が表示されている。

 

『共憶環』

 

『任意同意型記憶分散』

 

『単一記録核の破壊による完全消去を防止』

 

『他者記憶の所有禁止』

 

『返却経路の保持』

 

『忘却、休止、再共有の権利を保証』

 

 御門は長く画面を見た。

 

「選定機関との戦いでは重要になる」

 

 エックスが頷く。

 

「はい。選定機関は記録の削除と分類の上書きを多用します。共憶環があれば、単一記録を消されても、複数の保持者から事実を再構成できます」

 

 カナメが言う。

 

「ただし、偽の記憶を混ぜられる可能性もある」

 

「あります」

 

 リオナは手首の青い光を見つめた。

 

「だから、一人の記憶だけを正解にしない」

 

 萌亜も頷く。

 

「みんなの話を聞いて、違うところも残す」

 

 御門は短く言った。

 

「簡単ではないな」

 

「うん」

 

「だが、消された記録を何もなかったことにされるよりはいい」

 

 その時、青い扉に新しい文字が浮かんだ。

 

『ムー第二門、通過』

 

『共憶環、仮承認』

 

『次の問い』

 

『文明を守るとは』

 

『何を内に残し』

 

『何を外へ送ることか』

 

 タクヤが文字を見上げる。

 

「ムーには、まだ外へ送ったものがあるみたいだね」

 

 萌亜が不安そうに言う。

 

「黒い影への歌?」

 

「それだけじゃないかもしれない」

 

 リオナは、瑠々が消えた黒い水面を思い出していた。

 

 ムーは沈んだ。

 

 閉じた。

 

 それでも、名前を外へ送り続けた。

 

 歌も。

 

 記憶も。

 

 そして、未来の誰かへ向けた何かも。

 

 その先には、ルルイエがある。

 

 眠る神。

 

 ただ一人の使徒。

 

 そして、選定機関が自分たちの権限を問われることを恐れて隠した記録。

 

 萌亜は紙コップのほうじ茶を一口飲んだ。

 

「瑠々ちゃん、寝起き悪い神様のお世話、大変そう」

 

 御門は目を閉じた。

 

「今の話から、なぜその感想になる」

 

「身近な問題に置き換えました」

 

「置き換える範囲を考えろ」

 

 会議室に、わずかな笑いが戻る。

 

 けれど、青い扉の向こうでは、まだ誰かが歌っていた。

 

 海底から外へ。

 

 文明が沈んでも、届くことを諦めなかった声が。

 





第36話を読んでいただき、ありがとうございました。

今回は、ムー第二門の内部で、選定機関が隠し続けていた古い記録へ触れました。

ムーは当初、選定機関から危険文明とは判断されていませんでした。

外宇宙への侵略意思もなく、文明規模も安定しており、選定対象から外される可能性すらあった。

状況を変えたのは、ムーの集合夢を通して届いた、巨大な黒い影からの問いでした。

「選ぶ者よ。お前たちは誰に選ばれた」

文明を測り、未来を残すかどうか判断してきた選定機関。

その選定機関自身の権限を、外側から初めて問い返した存在です。

選定機関が恐れたのは、単純な力の差だけではありません。

自分たちが絶対的な観測者ではないと知られること。

そして、自分たちの判断にも根拠を問う者が現れることでした。

その結果、ムーは危険文明へ再分類されました。

観測を強められ、交流路を閉ざされ、閉鎖以外の道を少しずつ失っていった。

ムーが自ら沈んだという記録は間違いではありません。

しかし、その決断が完全に自由なものだったとも言えません。

今回、エクスキューショナーはその事実を認め、選定機関本流から記録ごと消されかけました。

そこで形成されたのが、ムー第二封印「共憶環」です。

誰か一人が完全な原本を所有するのではなく、同意した者たちが断片を持ち寄る。

他者の人生を自分のものとして扱わない。

記憶を返すことも、休むことも、もう一度誰かへ渡すことも認める。

ひとつの記録庫が壊されても、複数の声から失われた事実を呼び戻す防衛です。

また、今回は瑠々が初めて二人へ直接言葉を送りました。

巨大な黒い影はムーを奪おうとしたのではなく、届いた声へ眠りながら返事をしただけ。

しかし、その視線を恐れた選定機関がムーを追い込みました。

瑠々が言った通り、誰か一人だけを悪者にして終われば、同じ失敗を繰り返します。

白を恐れたムー。

黒い影を恐れた白。

恐れを知りながら別の道を作れなかった者たち。

その絡み合いを解くことが、これからの萌亜たちに必要になります。

次の問いは、ムーが海底から外へ何を送り続けていたのか。

そして、その声を受け取った先に何があるのか。

なお、最後の瑠々は、どう見ても歓迎客を迎える顔ではありませんでした。

ルルイエ方面へ進むほど、「招待」という言葉の意味は少しずつ怪しくなっていきそうです。
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