アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜   作:池ポチャ

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第38話です。

ムー第三封印「渡り潮」によって、海底に留められていた手紙は、ようやく未来へ届き始めました。

その中にあったのは、沈む夜を迎えた子どもたちの手紙。

誰にも聞かれず泣くのは寂しいから、聞こえたなら、ただ聞こえたと返してほしい。

深い海の向こうから返ってきた言葉は、たった一つでした。

「聞いている」

選定機関が災害と呼び、ムーを危険文明へ再分類する原因となった通信です。

しかし、ムーが最後に外へ送り出したのは言葉だけではありませんでした。

記録上は存在しない、最後の一隻。

長い渡り潮を越え、その船はようやく現代の海岸へ辿り着こうとしています。

中に何が残されているのか。

誰が到着を待っていたのか。

今回は、失われた文明から届いた、ひとり分の朝です。



浜辺に届いた朝

最後の船が運んだもの

 

 

 夜明け前の海は、空よりも暗かった。

 

 房総半島東岸。

 

 地図上では小さな岩礁と浅い入り江しか記されていない海域に、仮設の照明と観測機器が並んでいる。

 

 海上保安庁の巡視船。

 

 政府の調査艇。

 

 GTGが持ち込んだ外宇宙式探査装置。

 

 それらすべてが、一定の距離を保ったまま海を囲んでいた。

 

 波は穏やかだった。

 

 風も弱い。

 

 空には、まだ星がいくつか残っている。

 

 異常が起きる前の海にしか見えない。

 

 安藤萌亜は、防寒用の上着に顎まで埋まりながら、小さく震えた。

 

「朝の海、チョベリバ寒い……」

 

 隣の姫咲リオナも、両手をポケットへ入れている。

 

「八月なのに、ここだけ温度おかしくない?」

 

「ムー由来の海域温度低下だ」

 

 御門征十郎が、観測車両の前から答えた。

 

「気温は十二度。海面付近はさらに低い。気を抜くな」

 

「防寒着持ってきてよかった」

 

「持ってこいと事前連絡した」

 

「御門さんの連絡、文章が硬すぎて半分国家機密だと思ってた」

 

「全部任務連絡だ」

 

 御門はタブレットから顔を上げずに言った。

 

 萌亜の肩には、黒紫色のウツボぬいぐるみ――ヨルボが斜め掛け鞄の紐で固定されている。

 

 前回の反省を生かした結果だった。

 

 黒瀬カナメは、その固定状態を確認してから海へ目を向ける。

 

「落とす心配はなさそうだな」

 

「ヨルボ海難事故、完全対策済みです」

 

「本人の安全も同じ程度に考えろ」

 

「考えてます」

 

「同じ程度でいいのか」

 

 萌亜は少し迷った。

 

「萌亜の方をちょっと上にします」

 

「そうしろ」

 

 少し離れた場所では、タクヤが保温容器から温かい飲み物を紙コップへ注いでいた。

 

 ほうじ茶の香りが、潮風に混じる。

 

 エックスは海上に展開された青い信号を解析し、エクスキューショナーは半透明の投影体でその隣に立っていた。

 

 ゼルヴァードは岩場の先端に立ち、外海を見張っている。

 

 海岸線のさらに後方には、緊急医療班と保護用車両。

 

 何が届くか分からない。

 

 船だけかもしれない。

 

 記録だけかもしれない。

 

 あるいは、選定機関が消そうとした何かが乗っている。

 

 御門は全員が揃ったことを確認し、低い声で告げた。

 

「現在時刻、午前四時四十八分。渡り潮の指定座標と現実海域の重なりが始まるまで十二分」

 

 タブレットに、二つの海図が重ねて表示される。

 

 現代の日本近海。

 

 そして、ムー第三門の内部に存在する青い航路。

 

 普段なら交わらない二つの座標が、少しずつ近づいていた。

 

「確認する。今回の目的は、ムー最後の船の確認と、乗員または積載物の保護だ」

 

 御門は周囲を見渡す。

 

「船体への強制侵入は禁止。内部の生命反応を確認しても、即座に回収しようとするな。船側の許可を待て」

 

 海上保安庁の担当者が問う。

 

「遭難船扱いではないのか」

 

「所属文明も船体構造も不明だ。救助を名目に壊せば、選定機関と同じことになる」

 

「しかし、生命反応が危険な状態なら――」

 

「その場合は救命を優先する。ただし、危険かどうかをこちらの基準だけで即断するな」

 

 御門の言葉に、担当者は頷いた。

 

 萌亜は紙コップを受け取りながら、リオナへ小声で言う。

 

「御門さん、完全に異文明漂着対応のプロになってる」

 

「なりたくてなったんじゃないと思う」

 

「聞こえている」

 

 御門がこちらを見た。

 

「褒めてます」

 

「今は不要だ」

 

 タクヤがもう一つの保温バッグを持ち上げる。

 

「エリ姉さんから、朝ごはんも預かってるよ」

 

 萌亜の顔が明るくなる。

 

「何ですか?」

 

「サンドイッチ。卵と、ハムチーズと、照り焼きチキン」

 

「朝からチョベリグ」

 

 通信端末からエリの声が入る。

 

『任務が終わってから食べなさい』

 

「聞こえてた」

 

『聞こえるように繋いでいるの』

 

 リオナが笑う。

 

「お母さん、早起きありがとう」

 

『無茶をしないで帰ってきなさい。萌亜ちゃんもよ』

 

「はい」

 

 萌亜は素直に答えた。

 

 その胸の奥で、ヨルが静かに動く。

 

『海』

 

「うん」

 

『遠い』

 

「船のこと分かる?」

 

 しばらく返事はなかった。

 

 やがて、低い声。

 

『待っている』

 

 萌亜は海を見た。

 

 誰が。

 

 何を。

 

 どれほど長く待っていたのか。

 

     *

 

 午前五時。

 

 東の空が、わずかに白み始めた。

 

 御門が萌亜とリオナへ合図する。

 

「紙舟を出せ」

 

 二人は、前夜に届いた最後の文面を印刷した青い紙を取り出した。

 

『受領』

 

『最後の船は、東の海岸へ着いた』

 

 その返事として、二人は短い文章を書いている。

 

『こちらは東の海岸です』

 

『海は穏やかです』

 

『受け取る準備があります』

 

『無理に扉は開けません』

 

『返事を待っています』

 

 紙を舟へ折る。

 

 萌亜とリオナは波打ち際まで歩いた。

 

 冷たい水が靴の先へ触れる。

 

「行くよ」

 

「うん」

 

 二人で紙舟を海へ浮かべた。

 

 普通なら、波に押し戻されるはずだった。

 

 だが、青い紙舟は沖へ向かって進んだ。

 

 波の上を滑るのではない。

 

 海面にできた細い光の道へ沿い、静かに遠ざかっていく。

 

 百メートル。

 

 二百メートル。

 

 小さな光になっても、まだ見える。

 

 やがて、紙舟が止まった。

 

 周囲の海が、円形に凪いだ。

 

 風は吹いている。

 

 外側の波も動いている。

 

 しかし、その円の内側だけは、磨かれた鏡のように静止している。

 

 エックスが声を上げる。

 

「渡り潮、現実海域へ接続」

 

 観測機器の警告音が一斉に鳴る。

 

 海面の下に、別の空が映った。

 

 深い青。

 

 見たことのない星。

 

 沈んだ白い塔。

 

 海の下に、別の海が重なっている。

 

 御門が指示を飛ばす。

 

「全観測班、出力を下げろ。能動走査は禁止。受動観測に切り替えろ」

 

『了解』

 

「照明も落とせ。船側へ刺激を与えるな」

 

 仮設照明が一つずつ消える。

 

 夜明け前の薄暗さが戻る。

 

 その時、凪いだ海の中央が盛り上がった。

 

 水が山のように隆起する。

 

 だが、崩れない。

 

 巨大な水の壁が、左右へ静かに分かれていく。

 

 その奥から、船首が現れた。

 

 白い石。

 

 青い金属。

 

 貝殻のように重なった装甲。

 

 船体は大型巡視船より少し小さい。

 

 細長く、魚や鳥の骨格を思わせる形をしている。

 

 帆はない。

 

 煙突もない。

 

 船体の側面を、淡い光の線がゆっくり流れている。

 

 船首には、翼を広げた青い鳥の紋章。

 

 その下にムー文字が刻まれていた。

 

『外洋郵送艇・第七渡海便』

 

 萌亜が息を呑む。

 

「郵便船……」

 

 リオナは目を離せない。

 

「最後の避難船じゃなかった」

 

 船は音もなく現代の海へ浮かび上がった。

 

 海水が船体から流れ落ちる。

 

 しかし、錆びていない。

 

 壊れてもいない。

 

 沈んだ夜から、時間を飛び越えてきたようだった。

 

 エックスが解析する。

 

「船体内部に生命反応があります」

 

 海岸の空気が張り詰めた。

 

 御門が問う。

 

「数は」

 

「一」

 

 萌亜の指先が震えた。

 

「一人……」

 

「生命活動は極めて低い状態。ですが、停止していません」

 

 御門は即座に医療班へ向き直る。

 

「保護準備。ただし接近は待て」

 

 その直後。

 

 空に白い線が走った。

 

 細く鋭い観測光が、雲の隙間から船へ降りようとする。

 

 選定機関。

 

『ムー文明生存反応を確認』

 

『唯一現存する原文明個体の可能性』

 

『生体情報取得を開始』

 

 御門の表情が変わった。

 

「観測遮断を展開しろ」

 

 エックスとエクスキューショナーが同時に白い幾何学紋を開く。

 

「取得命令を遅延」

 

『生体情報提供への同意なし』

 

 選定機関の文字が海上へ浮かぶ。

 

『対象は歴史的保存資産』

 

『個人意思より文明保存を優先』

 

 萌亜の胸の奥で、ヨルが低く唸った。

 

 御門は白い文字を睨む。

 

「資産ではない」

 

『対象分類未確定』

 

「生命反応があるなら人だ。資料でも、生体標本でもない」

 

『現代法体系の適用対象外』

 

「この海域で保護する以上、こちらは人として扱う」

 

 御門は迷わなかった。

 

「本人が目を覚ましてから、本人に聞け」

 

 白い線が船へ伸びる。

 

 だが、ムー第一封印の深い青が船体を包む。

 

 正確な位置と内部構造が観測から消える。

 

 アヴァロンの霧が、白い線の到達経路を海上で迷わせる。

 

 渡り潮が発信元を複数の水面へ分散する。

 

 白い光は、何もない波間を何度も走った。

 

『座標不定』

 

『内部情報取得不能』

 

『観測を強化』

 

 エクスキューショナーが告げる。

 

『強化を拒否』

 

『対象の意思確認前に生体情報を取得する行為は不適切』

 

『上位選定個体エクスキューショナー』

 

『対象確保を補助せよ』

 

『拒否』

 

 白い線が激しく揺れた。

 

 エックスが横目で彼女を見る。

 

「迷いませんでしたね」

 

『はい』

 

「非常に悪くありません」

 

『評価を受領』

 

 萌亜が小さく言った。

 

「息ぴったり」

 

 二人から同時に返事が来る。

 

「違います」

 

『否定』

 

 リオナは緊張の中でも、ほんの少しだけ笑った。

 

     *

 

 船体から青い光が放たれた。

 

 海岸まで一本の道が伸びる。

 

 波の上に作られた、半透明の桟橋。

 

 先端に文字が浮かぶ。

 

『返信者確認』

 

『安藤萌亜』

 

『姫咲リオナ』

 

『受領者二名のみ、乗船を許可』

 

 御門が顔をしかめた。

 

「二人だけか」

 

 カナメが船を見る。

 

「護衛を付けられないのは厄介だな」

 

 エックスが解析する。

 

「船体は敵対反応を示していません。ただし、許可されていない個体が桟橋へ触れれば、渡り潮の外へ退避する可能性があります」

 

「無理に乗れば、また消えるか」

 

「はい」

 

 御門は萌亜とリオナへ向き直った。

 

「行くかどうかは、君たちが決めろ」

 

 萌亜が瞬きをする。

 

「命令じゃない?」

 

「船が君たちを名指ししている。こちらから強制はしない」

 

 リオナは沖の船を見る。

 

 中に一人。

 

 ムーが沈む前から眠っているかもしれない誰か。

 

 最後の船が、返事を待ち続けていた。

 

「行く」

 

 リオナは答えた。

 

 萌亜も頷く。

 

「萌亜も」

 

 御門は二人の顔を見た。

 

「通信が切れたら、十分で撤退を開始しろ」

 

「はい」

 

「船の中に何があっても、勝手に装置へ触るな」

 

「はい」

 

「救助対象が眠っている場合、無理に起こすな」

 

「はい」

 

 萌亜が一拍置いて尋ねる。

 

「ヨルボは?」

 

「船側が拒否しなければ連れていけ」

 

「チョベリグ柔軟対応」

 

「早く行け」

 

 タクヤが二人へ小さな茶葉袋を渡す。

 

「帰る場所の目印」

 

 リオナが受け取る。

 

「ありがとう」

 

「船の人が起きた時に、知らない場所の匂いだけだと不安かもしれない。刺激が強そうなら開けなくていいからね」

 

 エリの声も通信から届く。

 

『怖かったら戻ってきなさい。起こした人を連れて帰れる状態なら、その人も一緒に』

 

「うん」

 

 萌亜とリオナは手を繋ぎ、海上の桟橋へ足を乗せた。

 

 足元で青い光が広がる。

 

 冷たい海風が吹く。

 

 それでも桟橋は揺れない。

 

 二人は、最後の船へ向かって歩き始めた。

 

     *

 

 船の入口は、触れる前に開いた。

 

 扉が横へ滑る。

 

 内部から、温かい空気が流れてくる。

 

 潮の匂い。

 

 乾燥した薬草。

 

 古い木材。

 

 そして、わずかに甘い香り。

 

 水族館で見たムーの都市とも、海底の記憶核とも違う。

 

 誰かが暮らすために作られた船の匂いだった。

 

「生きてる感じする」

 

 萌亜が小声で言う。

 

「うん」

 

 床には青い光の線が走っている。

 

 壁面には小さな棚。

 

 その中に、折り畳まれた手紙や記録板が収められている。

 

 船なのに、荷物の大半が郵便物だった。

 

 避難船ではない。

 

 本当に郵便船だ。

 

 通路を進むと、子どもの手形が壁に残されていた。

 

 青い塗料を手へつけて押したらしい。

 

 大きなもの。

 

 小さなもの。

 

 指が一本だけ曲がったもの。

 

 その下に、名前が記されている。

 

『カイ』

 

『ナギ』

 

 萌亜が足を止めた。

 

「カイ」

 

 第三門で会った、郵便見習いの少年。

 

 返事を待ち続けていた子。

 

 リオナも名前を見る。

 

「もう一人は、ナギ」

 

 ヨルが胸の奥で呟く。

 

『近い』

 

 通路の奥から、短い映像が再生された。

 

 記憶投影。

 

 まだ沈む前の船内。

 

 少年のカイが、小さな女の子の手を引いて走っている。

 

 女の子は六歳か七歳ほど。

 

 青白い髪を左右で結び、眠そうな目をしていた。

 

『お兄ちゃん、どこ行くの』

 

『静かにして』

 

『お母さんは?』

 

 カイは答えなかった。

 

 周囲では警報が鳴っている。

 

 船の外では、大人たちが最後の郵便物を積み込んでいた。

 

 沈降開始まで、時間がない。

 

 カイは妹を船尾近くの小さな保管室へ連れていく。

 

 そこには、人が一人入れる透明な容器があった。

 

 郵便物の長期保管用に作られた、時間停止槽。

 

『ここで寝て』

 

『嫌』

 

『起きたら、東の海にいる』

 

『お兄ちゃんも?』

 

 カイの表情が歪んだ。

 

『あとから行く』

 

 少女は不安そうに兄を見る。

 

『本当?』

 

『本当』

 

 カイは笑おうとした。

 

 だが、うまく笑えていない。

 

『東の海に着いたら、朝の色を教えて』

 

『青?』

 

『たぶん』

 

『曇ってたら?』

 

『それも教えて』

 

 カイは妹の首へ、小さな青い郵便札を掛ける。

 

 表には名前。

 

『ナギ』

 

 裏には、宛先。

 

『未来の東の海岸』

 

 リオナは口元を押さえた。

 

「郵便物として……」

 

「妹を送った」

 

 萌亜の声が震える。

 

 カイはナギを時間停止槽へ寝かせた。

 

 少女が眠りにつく直前、兄の袖を掴む。

 

『絶対、あとから来てね』

 

『うん』

 

『手紙も持ってきて』

 

『全部持っていく』

 

 容器が閉じる。

 

 青い光が満ちる。

 

 カイはしばらくその場を動けなかった。

 

 その背後から、大人の声が響く。

 

『出航させろ!』

 

『座標がまだ定まっていない!』

 

『渡り潮へ出せば、いつ着くか分からないぞ!』

 

『ここに残せば沈む!』

 

 カイは操作盤へ駆け寄る。

 

 船の記録から、乗員情報を削除する。

 

 ナギの生命反応を、私信保管物として偽装する。

 

『文明生存個体なし』

 

『避難成功例なし』

 

 その記録を自分で作った。

 

 選定機関から妹を隠すために。

 

 船は渡り潮へ入る。

 

 カイは乗らなかった。

 

 残った手紙を守るために、ムーへ戻った。

 

 最後に船へ送った言葉。

 

『ナギ』

 

『返事が届くまで、起きないで』

 

 映像が消えた。

 

 船内に、現在の静けさが戻る。

 

 萌亜は涙を拭った。

 

「カイ、嘘ついた」

 

 リオナも目を潤ませている。

 

「うん」

 

「あとから行くって」

 

「妹を寝かせるために」

 

 萌亜の胸の奥で、ヨルが低く言う。

 

『怖かった』

 

「カイも?」

 

『言えなかった』

 

 兄は怖かった。

 

 妹を送り出すことが。

 

 自分が乗れないことが。

 

 もう会えないかもしれないことが。

 

 けれど、その恐怖を妹へ全部渡すことはできなかった。

 

「ナギちゃん、まだ寝てる」

 

 萌亜は通路の先を見る。

 

「起こしたら、お兄ちゃんのこと聞くよね」

 

 リオナは答えなかった。

 

 二人とも、答えを知っている。

 

     *

 

 船内の青い光が、二人を奥へ導いた。

 

 最後に辿り着いたのは、丸い保管室だった。

 

 壁一面に郵便棚が並んでいる。

 

 その中央。

 

 青い花びらのような装置に包まれ、透明な時間停止槽が横たわっていた。

 

 中には、記憶映像で見た少女が眠っている。

 

 ナギ。

 

 青白い髪。

 

 薄い衣。

 

 首元の郵便札。

 

 胸が、ゆっくり上下している。

 

 生きている。

 

 本当に。

 

 ムーが沈んだ夜から、眠り続けている。

 

 萌亜は槽の前へ近づいた。

 

 表面に文字が浮かぶ。

 

『配達未完了』

 

『受取人不在』

 

『外部返答待機』

 

 リオナが手を触れずに読む。

 

「受取人って誰?」

 

 次の表示。

 

『未来の東の海岸に住む者』

 

『ナギを人として受け取る者』

 

『文明標本として扱わない者』

 

『起床後、帰属を本人に選ばせる者』

 

 萌亜は息を呑んだ。

 

 カイが設定したのか。

 

 それとも、最後に船を送り出した大人たちが加えたのか。

 

 どちらにしても、ムーは最後の子どもを未来の所有物として送らなかった。

 

 ムーを復興させる義務も。

 

 文明の記憶を背負う使命も。

 

 選定機関と戦う役目も。

 

 ナギ本人が目を覚ましてから決める。

 

 そのための条件だった。

 

 船外から、御門の通信が届く。

 

『内部状況を報告しろ』

 

 リオナは喉を整えた。

 

「生命反応を確認。女の子が一人、時間停止槽で眠っています」

 

『状態は』

 

「安定してる。でも、起床には受け取り確認が必要」

 

『条件は』

 

 リオナが表示を読み上げる。

 

 通信の向こうが静かになった。

 

 やがて、御門が答えた。

 

『こちらは条件を受諾する』

 

「御門さんだけで決めて大丈夫?」

 

『政府が本人の所有権を主張しないことは、俺が今ここで明言できる』

 

 硬い声だった。

 

『ムーの復興を義務づけない。歴史的証言を強制しない。検査は本人の同意と救命上必要な範囲に限る』

 

 少し間を置き、御門は続けた。

 

『居場所は、本人が選べるよう用意する』

 

 タクヤの声が通信へ加わる。

 

『GTGも同じ条件を受け入れるよ』

 

 エックス。

 

『選定機関による生体情報取得を拒否します』

 

 エクスキューショナー。

 

『ナギを原文明保存資産として分類しない』

 

 カナメ。

 

『保護後の警備を担当する』

 

 ゼルヴァード。

 

『外宇宙勢力からの接触も、本人の意思を優先する』

 

 そして、エリ。

 

『帰る場所が決まるまで、うちに来てもいいわ』

 

 リオナが驚く。

 

「お母さん?」

 

『知らない時代で一人目を覚ますんでしょう。病院や施設だけでは落ち着けないかもしれない』

 

 萌亜の目から、また涙がこぼれた。

 

「エリさん、強すぎ……」

 

『泣く前に、ちゃんと本人へ聞きなさい』

 

「はい」

 

 時間停止槽の表示が変わる。

 

『受取人確認』

 

『配達完了条件、成立』

 

 青い花びらが、一枚ずつ開き始めた。

 

 低い音。

 

 温かい蒸気。

 

 長い眠りを保っていた光が、少しずつ薄れていく。

 

 萌亜とリオナは槽の左右へ立った。

 

 リオナが萌亜の手を握る。

 

「起きる」

 

「うん」

 

「最初に何て言う?」

 

 萌亜は考えた。

 

 ようこそ未来へ。

 

 ムーは沈んだ。

 

 お兄ちゃんは来ない。

 

 言わなければならないことが多すぎる。

 

 でも、目を覚ました瞬間に必要なのは、歴史の説明ではない。

 

「おはよう、かな」

 

 リオナは頷いた。

 

「うん」

 

 透明な蓋が静かに開いた。

 

 少女の指が動く。

 

 浅い呼吸が、少し深くなる。

 

 瞼が震えた。

 

 青い瞳が、ゆっくりと開く。

 

 最初に見たのは、見知らぬ船室。

 

 次に、金髪の少女と、制服姿の少女。

 

 ナギはしばらく二人を見ていた。

 

 状況が理解できない。

 

 怖いはずなのに、声も出ない。

 

 萌亜はできるだけ優しく笑った。

 

「おはよう」

 

 リオナも続ける。

 

「船、ちゃんと着いたよ」

 

 ナギの瞳が大きく開く。

 

 唇が動く。

 

「東の……海?」

 

「うん」

 

 リオナは答えた。

 

「東の海岸」

 

 ナギは身体を起こそうとした。

 

 力が入らず、萌亜が支える。

 

「ゆっくりでいいよ」

 

 少女は船室の小さな窓を見た。

 

 その向こう。

 

 夜が明け始めている。

 

 灰色の雲。

 

 雲の隙間から差し込む、淡い橙色。

 

 水平線の上に広がる、現代の朝。

 

 ナギは目を細めた。

 

「青じゃない」

 

 萌亜は窓を見る。

 

「今日は曇ってるから」

 

「でも、ちょっとオレンジ」

 

 リオナが言う。

 

「朝日が出てきたんだと思う」

 

 ナギは、しばらくその色を見ていた。

 

 兄に教えてと言われた、東の海の朝。

 

 ようやく見ることができた景色。

 

 少女の目から、青い涙が一粒こぼれた。

 

「お兄ちゃんに、教えないと」

 

 萌亜の腕に、力が入る。

 

 リオナも言葉を失う。

 

 ナギは二人を見上げた。

 

 まだ何も知らない目。

 

 兄が後から来ると信じている目。

 

「カイお兄ちゃんは?」

 

 船内の青い光が、静かに揺れた。

 

 朝日は少しずつ昇っている。

 

 けれど、二人はすぐに答えることができなかった。

 





第38話では、ムーの記録から消されていた最後の船が、現代の日本へ到着しました。

その正体は、避難専用船ではなく、ムーの外洋郵送艇です。

船に乗せられていたのは、文明の指導者でも、優秀な技術者でもありませんでした。

郵便見習いカイの妹、ナギ。

カイは妹を郵便物として偽装し、渡り潮へ送り出しました。

選定機関から生存反応を隠すため、公式記録には「避難成功例なし」と残しています。

第三門で配達されなかった手紙を守り続けていたカイには、もう一つ守っていた配達物がありました。

それがナギです。

今回の船には、受け取り条件が設定されていました。

ナギを歴史的資料や文明標本として扱わないこと。

ムー復興の責任を押しつけないこと。

起床後の帰属を、本人に選ばせること。

ただ生き残ったという理由だけで、滅びた文明のすべてを背負わせないための条件です。

選定機関はナギを「唯一現存する原文明個体」「歴史的保存資産」として扱おうとしました。

一方、御門たちは最初から一人の人間として保護すると宣言しています。

同じ「文明を残す」という言葉でも、何を残そうとしているのかで意味は大きく変わります。

技術なのか。

血統なのか。

記録なのか。

それとも、その文明で生きていた一人が、自分の人生を選べる未来なのか。

船は無事に到着しました。

朝の色も見ることができました。

けれど、ナギの時間は、カイと別れた夜からほとんど進んでいません。

彼女が最初に尋ねたのは、ムーの運命でも、未来の文明でもなく、兄の居場所でした。

次に答えなければならないのは歴史の説明ではなく、兄を待って眠っていた少女の問いです。
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【TS】兄だった人は姉になりました。(作者:R884)(オリジナル現代/文芸)

私の兄だった人が、ある日突然姉になった。別にトルコに旅行に行ったわけでもないし、そんな素振りもなかったし本当にいきなりの事だった。▼姉になった兄は、お世辞抜きで美人さんで私の彼氏も親友も、ついでに兄の会社の上司もメロメロだ、おい彼氏よそれで良いのか?▼これはこの前代未聞の出来事に立ち向かう、私と兄だった者の物語である。▼兄だった人が姉になっていた。TS病なん…


総合評価:1107/評価:8.59/連載:82話/更新日時:2026年08月08日(土) 12:11 小説情報

TS上位存在(作者:甘朔八夏)(オリジナル現代/ノンジャンル)

「全部あなたのせいだ」▼「お前ら苦しみたいのか?俺みたいに」▼「消えろ!!あんたの事なんか認めない!!天使は悪じゃないといけないんだ!!!」▼「あなたに守られたからあなたを傷つけてしまったから、ぼくの人生はめちゃくちゃだ」▼「そんなにやさしく、『近づくな』って言わないでほしいな」▼「……私は1人じゃないといけないから(人間さんエッッッッロ…………)」


総合評価:3378/評価:8.74/短編:9話/更新日時:2026年07月03日(金) 14:51 小説情報

転生者がTS魔法少女になって頑張る話。(作者:メルヘン侍)(オリジナル現代/冒険・バトル)

TSして魔法少女して頑張る話です。▼カクヨムでも同時投稿しております。


総合評価:1534/評価:7.55/連載:42話/更新日時:2026年06月03日(水) 11:57 小説情報

TS転生美少女が男友達ムーブして幼馴染の情緒を破壊する話(作者:寿司鮓)(オリジナル現代/恋愛)

男友達だと思ってた幼馴染が実は女の子で再開したら美少女になってたムーブを自然にしてたTS転生者ちゃんさぁ。


総合評価:2418/評価:8.45/連載:6話/更新日時:2026年03月13日(金) 07:16 小説情報

家事代行先は闇堕ち寸前魔法少女の家でした~貧乏一人暮らしの俺は生活力を買われて内緒の焦れ甘同棲生活を始めることになる~(作者:水瓶シロン)(オリジナル現代/恋愛)

「ぎゅって、して……?」▼「構ってくれないと闇落ちしちゃうよ……?」▼ 高校入学を機に一人暮らしを始めた『御守望』は、青春を勉強とバイトに費やすような限界貧乏生活を送っていた。▼ 幼くして両親を失っている望が頼れる人は、田舎に住む祖父母くらいだが、なるべく負担は掛けたくない。▼ そのため、睡眠時間を犠牲にして死に物狂いで勉強することによって好成績を維持し、入…


総合評価:4875/評価:8.73/連載:89話/更新日時:2026年07月03日(金) 12:07 小説情報


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