アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜 作:池ポチャ
ルルイエへ向かう者たちがいる。
地上へ残る者たちがいる。
どちらが本隊で、どちらが留守番というわけではありません。
萌亜たちが夢の深海へ降りている間にも、地上ではルルイエの夢を「神の覚醒」と受け取った者たちが動き始めています。
眠る神を起こしたい者。
その力を得たい者。
終末の後に自分だけが選ばれると信じる者。
そして、彼らが信仰する存在にもっとも近い瑠々本人は、そのどれにもいい顔をしません。
今回は二つの場所で同時に始まる戦い。
深海の門へ向かう四人と。
銃声の響く地上に残った者たち。
海の底へ続く道は、静かに開くとは限らないようです。
目を閉じる前に、安藤萌亜は最後の確認をした。
「ヨルボ」
枕元。
「いる」
黒紫色のウツボぬいぐるみ。
「リオナっち」
「いる」
隣の簡易寝台。
「エクスキューショナーさん」
『接続待機中』
白い投影体。
「瑠々ちゃん」
「いるわよ」
「怒ってる?」
「もう少し静かにできないの?」
「確認です」
「私だけ確認の仕方がおかしいでしょう」
萌亜は満足そうに頷いた。
「全員いる」
国立国会図書館地下管理区域。
普段は会議室として使われている一室が、今日は簡易的な夢接続室へ変えられていた。
中央には四つの寝台。
床にはシャンバラ由来の白い花弁。
その外側を、ムーの潮境網から引き込んだ青い線が囲んでいる。
さらに一番外には、九頭龍瑠々が描いた黒い環。
どこにも文字はない。
ただ見ていると、波打っているように感じる。
御門征十郎が寝台の脇に立っていた。
「確認する」
いつも通りの硬い声。
「今回の接続先はルルイエ夢域最外周だ。物理的な深海都市には入らない」
「はい」
「予定接続時間は三十分」
「短くない?」
「昨日、世界の四割が他人の夢を見た」
「説得力ある」
「内部で瑠々から離れるな。何かに呼ばれても反応するな。知っている声がしても、本人だと確認できるまで追うな」
リオナが眉を寄せる。
「知ってる声?」
瑠々が答えた。
「夢は、人間が近づきやすい形を使うことがある」
「家族とか?」
「友達とか」
瑠々は萌亜を見る。
「あなたならリオナの声」
「最悪」
萌亜が即答する。
「絶対引っかかる」
「自覚があるなら対策しなさい」
「本物リオナっち確認用の合言葉決めよ」
リオナが少し考える。
「じゃあ、萌亜が世界史の小テストで最後に取った点数」
「敵より言いたくない」
「本人確認には最適」
「瑠々ちゃん、別案」
「知らないわよ」
御門が額を押さえた。
「今決めろ。時間を使うな」
萌亜は唸る。
「じゃあ……『ノストラダムス』って言ったら?」
「『時代先取りジジイ』」
リオナが答える。
「それで」
「決まり」
エクスキューショナーが静かに記録する。
『本人確認用符牒。ノストラダムス。応答、時代先取りジジイ』
御門が目を閉じた。
「正式記録に残すな」
『すでに記録済』
「消せ」
『判断保留』
「覚えるのが早いな、君は」
少し離れたところで、タクヤが茶葉袋を四つ並べていた。
「戻る場所の香りは準備したよ」
萌亜が手を伸ばす。
「師匠」
「何?」
「師匠はほんとに残るんですね」
「瑠々ちゃんに来るなって言われたからね」
「ちゃん付けしないで」
瑠々が即座に返した。
「本人以外禁止」
「萌亜ちゃんはいいの?」
「……もう訂正するのが面倒」
「許可された」
萌亜が得意げに言う。
瑠々は無視した。
タクヤは少し笑い、それから真面目な表情になる。
「地上は任せて」
その一言で、空気が変わった。
萌亜はタクヤを見る。
ルルイエへ行かない。
だから安全。
そんな意味ではない。
昨日から、世界各地で異常な動きが始まっている。
夢の共有。
沿岸部への人の移動。
特定の宗教団体や秘密結社による集会。
大量の武器と薬品の移送。
港湾監視網への不正アクセス。
表面だけ見れば別々の事件。
だが。
すべての中心に、同じ図形があった。
円環。
海。
五つの星。
そして。
眠る巨大な何かを描いた紋章。
御門が言った。
「地上側も同時に動く」
リオナが尋ねる。
「何かあった?」
「複数ある」
御門は端末を見せた。
日本。
台湾。
フィリピン。
北米西岸。
南米。
欧州沿岸。
地図上に赤い点が浮かんでいる。
「昨夜から、カルト系組織の集結を確認している。国内では三か所」
「三か所も?」
「ああ」
「警察だけじゃ無理?」
「銃器だけなら任せる」
御門は短く答えた。
「問題は、連中が夢域へ接続していることだ」
瑠々の目が冷たくなった。
「愚か者」
萌亜が瑠々を見る。
「知ってる団体?」
「名前だけ変えて何百年も似たようなのが出てくる」
「何百年?」
「神は長く眠ってるの」
「瑠々ちゃんいくつ――」
「聞くな」
「はい」
瑠々は腕を組んだ。
「彼らは、自分たちが“選ばれた信徒”だと思っている」
「違うの?」
萌亜の問いに。
瑠々は鼻で笑った。
「誰が選んだの」
その言葉に。
エクスキューショナーがわずかに反応する。
『選定根拠なし』
「でしょう?」
「そこ意気投合するんだ」
リオナが小さく笑った。
瑠々は続ける。
「祈るのは勝手」
「海に向かって歌うのも」
「神話を読むのも」
「別に止めない」
そこで声が冷たくなる。
「でも、人を殺して目覚めの供物にする」
「街を燃やして星を揃えようとする」
「海底ケーブルを切って“地上の声を沈黙させる”」
「そういう連中は別」
御門が頷く。
「だから地上側で抑える」
カナメが壁際から言った。
「国内は私たちも出る」
ゼルヴァードも腕を組む。
「外宇宙由来の現象が絡むなら、人間の治安組織だけへ押しつける理由はない」
エックスは端末を操作している。
「GTG各支部も現地当局へ協力を開始しています」
そして。
通信画面の向こう。
ナギがいた。
姫咲家。
隣にはエリ。
「ナギちゃんも?」
萌亜が驚く。
「戦うわけじゃないよ」
ナギが答える。
机の上には青い紙舟が何艘も並んでいた。
「カイお兄ちゃんと海底郵便局にお願いしてる」
「何を?」
「沿岸部に変な手紙が流れてないか探してもらう」
エックスが補足する。
「渡り潮を悪用した儀式通信の検知です」
萌亜は目を丸くした。
「ナギちゃん、もう地上組のオペレーター」
「おぺ……?」
「働いてる人」
「勉強しながら?」
「それはチョベリバ」
「だから意味教えて」
エリが後ろから言う。
『任務が終わってからね』
御門が時間を見る。
「話は終わりだ」
四人へ視線を向ける。
「行ってこい」
萌亜は寝台へ横になる。
「行ってきます」
リオナも。
「行ってきます」
瑠々は目を閉じる。
「さっさと済ませるわよ」
エクスキューショナー。
『接続開始』
最後に。
御門の声。
「帰ってこい」
白い花弁が浮いた。
*
落ちる感覚はなかった。
目を開けると。
萌亜は海の底に立っていた。
「……息できる」
「夢だから」
瑠々の声。
隣を見る。
リオナ。
エクスキューショナー。
瑠々。
全員いる。
足元は黒い砂。
水はない。
なのに、頭上には海面が見える。
遥か上。
そこを巨大な影が泳いでいる。
魚ではない。
身体が長すぎる。
鰭に見えたものが、見ているうちに翼へ変わる。
翼だと思えば。
次には、ただの暗闇へ戻る。
萌亜はすぐ目を逸らした。
「見ない」
瑠々が少しだけ頷く。
「昨日より学習してる」
「褒められた」
「事実確認」
「御門さんみたいになってる」
「嫌」
即答。
リオナが周囲を見る。
「ここがルルイエ?」
「まだ違う」
瑠々が前を指す。
「夢域の外海」
遠く。
海底の暗闇に。
石の柱が立っている。
何本も。
規則性はない。
あるようにも見える。
柱と柱の間には。
黒い霧。
その奥。
巨大な都市の輪郭だけが見える。
瑠々が歩き始めた。
「私の足跡から外れないで」
「足跡?」
萌亜が下を見る。
瑠々が踏んだ場所だけ。
黒い砂に青緑色の光が残っている。
「そこ以外踏んだら?」
「別の夢へ落ちる可能性がある」
「どんな?」
「知りたくないでしょう」
「はい」
一行は進む。
音がない。
自分たちの足音だけ。
それすら、少し遅れて聞こえる。
萌亜が一歩踏む。
ざく。
二秒後。
ざく。
「……やだ」
「音を追わないで」
瑠々が言う。
「遅れてるだけ?」
「違う」
「じゃあ?」
「あなたの足音とは限らない」
萌亜がリオナの腕へしがみつく。
「やだ!」
「急に怖がり方が普通」
「普通に怖い!」
胸の奥でヨルも震えている。
『後ろ』
「見ない」
『いる』
「見ない」
『大きい』
「言わなくていい!」
リオナが萌亜の手を握る。
「ノストラダムス」
萌亜が即座に返した。
「時代先取りジジイ」
「よし」
「確認早くない?」
「今の萌亜が本物か一瞬不安になった」
「ひど」
瑠々が振り返らずに言う。
「喋ってて」
「え?」
「黙ると、別の声が入りやすい」
萌亜は一瞬考え。
「じゃあ、最近ナギちゃんが――」
「日常会話でいいけど、長くなりそうなのはやめて」
「注文多い」
リオナが笑った。
「じゃあ今日の夕飯」
「それ」
「エリさん、カレーって言ってた」
「チョベリグ」
黒い海底。
理解できない影。
遅れて響く足音。
その中で。
女子高生二人が夕飯の話をしている。
エクスキューショナーが静かに問いかけた。
『これには意味があるのですか』
「ある」
瑠々が答えた。
「自分がどこから来たか忘れないため」
リオナが少し意外そうに瑠々を見る。
「瑠々もやるの?」
「何を」
「怖い時に日常のこと考える」
瑠々はしばらく黙った。
「……昔は」
「何考えてた?」
「朝ごはん」
萌亜が目を輝かせた。
「瑠々ちゃんもじゃん!」
「うるさい」
*
同じ頃。
神奈川県。
横浜港に近い倉庫街。
午前十一時十四分。
最初の銃声が響いた。
乾いた三連射。
警察車両のフロントガラスにひびが入る。
「伏せろ!」
現場指揮官の声。
武装した男たちが倉庫の二階窓から発砲している。
黒い外套。
首から海色の紋章。
建物の壁には、巨大な円環が描かれていた。
中央。
五つの星。
その周囲を囲む、触手のような線。
御門は少し離れた指揮車両の中でモニターを見ていた。
「人数は」
カナメが答える。
「確認できるだけで三十一。民間人を六名拘束している」
「武装」
「自動小銃。拳銃。爆発物」
「普通じゃないな」
「密輸ルートがある」
別画面。
倉庫内部。
そこでは、武器より厄介なものが準備されている。
床を覆う海水。
中央に置かれた黒い石。
周囲に十人ほどの信徒。
全員が同じ言葉を唱えている。
意味は翻訳できない。
ただ。
聞く者に、海へ入りたいという衝動を与える。
御門は音声を切った。
「儀式は」
エックスが答える。
「ルルイエ夢域への強制接続を試みています」
「成功するか」
「通常なら低確率です」
エックスが別画面を見る。
「しかし現在、夢域自体が地上へ近づいている」
「要するに、扉が半開き」
「近い表現です」
御門は舌打ちこそしなかったが。
顔がさらに険しくなる。
「カナメ」
「行く」
「人質優先。必要なら射撃を許可する」
「了解」
ゼルヴァードが指揮車両の扉を開く。
「私は?」
「倉庫外周。怪異が出たら処理しろ」
「人間には?」
「撃たれるまで手を出すな」
「承知した」
タクヤは後方の簡易指揮卓にいる。
御門が振り返る。
「あなたは出るな」
「分かってるよ」
「本当に分かっている顔に見えない」
「僕は後方支援」
タクヤは穏やかに答える。
その足元。
モー子。
「もー」
「牛も後方だ」
『もー』
「抗議するな」
ナギから通信が入った。
『御門』
「どうした」
『青い手紙見つけた』
「どこだ」
『倉庫の中』
御門が目を細める。
「内容は」
『まだ開けてない』
「正しい」
『でも、カイお兄ちゃんが変だって』
ナギは続ける。
『普通の渡り潮じゃない』
『誰かが、手紙の宛先を無理やりルルイエに変えてる』
エックスが即座に解析へ回す。
「儀式媒体です」
御門が理解する。
「連中は祈っているんじゃない」
「はい」
「大量の私信を束ねて、呼び声に偽装している」
タクヤの表情から笑みが消えた。
「ムーの子どもたちの手紙を真似してるんだ」
御門が低く言う。
「最悪だな」
選定機関が恐れた、あの最初の通信。
『聞こえたら、聞こえたとだけ返してください』
それを模倣し。
何千、何万の偽の声を束ねて。
眠るものへ。
『起きろ』
と送ろうとしている。
「エックス」
「はい」
「渡り潮側から切れるか」
「地上だけでは難しいです」
「なぜ」
「送信先がすでに夢域へ入っています」
御門は一瞬黙る。
そして。
「安藤たちへ繋げ」
*
ルルイエ夢域。
萌亜たちは、最初の石門へ到着していた。
巨大だった。
高さが分からない。
見上げると。
途中から視界の外へ曲がっている。
門の両側には。
何かが立っている。
人型。
魚のような頭部。
濡れた皮膚。
背中の鰭。
鋭い爪。
数十。
数百。
深きもの。
萌亜は息を呑んだ。
全員が。
瑠々の前へ跪いた。
『使徒』
低い声が重なる。
『帰還を歓迎する』
瑠々は足を止める。
「歓迎はいらない」
『門を開くか』
「まだ」
『地上より呼ぶ声が増えている』
「分かってる」
深きものの一体が顔を上げる。
『命じよ』
『呼ぶ者を海へ沈める』
瑠々の顔が一瞬で冷えた。
「やめなさい」
『しかし』
「私の命令」
それだけで。
何百もの深きものが頭を下げる。
『仰せのままに』
萌亜が小声でリオナへ言う。
「瑠々ちゃん、ガチで偉い」
「知ってたけど、見るとすごい」
「聞こえてる」
瑠々が振り返る。
その時。
エクスキューショナーの周囲に白い通信紋が浮いた。
『地上側より緊急通信』
御門の声。
『安藤、姫咲。聞こえるか』
「聞こえます」
『国内カルト拠点で武装蜂起が発生した』
萌亜の顔から笑みが消える。
「地上は?」
『対応中だ』
背後。
銃声。
明らかに近い。
「御門さん!?」
『こちらは問題ない』
「銃声してる!」
『問題の定義を今広げるな』
リオナが眉を寄せる。
「何をすればいい?」
『カルトが渡り潮を悪用して、ルルイエへ偽の通信を送っている』
瑠々の目が細くなる。
「……何を送ってるの」
『大量の私信を束ねた起床要求だ』
瑠々の周囲から。
音が消えた。
萌亜が一歩下がる。
「瑠々ちゃん?」
「それ」
声が。
低い。
「私の神に?」
『そうだ』
「勝手に?」
『そうだ』
瑠々の黒髪が、海もないのに揺れた。
深きものたちが一斉に頭を伏せる。
「……殺さない」
瑠々が自分へ言い聞かせるように呟く。
「殺さない」
萌亜が小声で言う。
「二回言った」
リオナが肘で止める。
瑠々は深く息を吸った。
「送信路を探す」
『できるか』
「誰に聞いてるの」
御門が一瞬黙る。
『頼む』
「最初からそう言いなさい」
瑠々は石門へ向き直る。
手を伸ばす。
黒い海が空中に広がった。
そこに。
無数の細い線。
地上から伸びる祈り。
夢。
恐怖。
狂信。
その中に。
一本だけ。
異様に太い青い縄のような経路がある。
「見つけた」
萌亜にも見える。
「これ?」
「触らないで」
「はい」
「渡り潮を真似てるけど、雑」
瑠々は眉を寄せる。
「送信者と受信者の同意を全部無視してる」
リオナが言う。
「第三封印の逆」
「そう」
瑠々が指先で線へ触れる。
その瞬間。
声が流れ込んだ。
『目覚めよ』
『我らを選び給え』
『旧き支配者よ』
『地上を浄化せよ』
『異教徒を沈めよ』
『我らだけを残せ』
萌亜は顔をしかめる。
「神様にお願いする内容じゃなくない?」
「だから嫌いなのよ」
瑠々が吐き捨てる。
「自分の願望を神の言葉にするな」
深きものたちがざわめく。
『使徒』
『これは神意ではない』
「当たり前」
『地上の信徒は神意を騙る』
「知ってる」
瑠々は萌亜とリオナを見る。
「切るわよ」
「どうやって?」
「渡り潮を逆に使う」
リオナが理解する。
「返送?」
「そう」
萌亜の目が光る。
「迷惑メールを送り主に戻す」
「言い方は最悪だけど正解」
瑠々は黒い線を押さえる。
「萌亜。ムー第三封印」
「うん!」
「リオナ。受信拒否の条件を固定して」
「任せて」
「エクスキューショナー」
『指示を』
「選定機関式の識別を使って、この経路に混ざってる強制命令だけ抜き出して」
『実行』
四人の力が重なる。
渡り潮。
受信者が開封を選ぶ。
拒否された通信は戻る。
返答を強制しない。
瑠々が。
受信者側の意思を告げた。
「拒否」
海全体が震えた。
*
横浜港。
倉庫中央。
儀式を続けていた男が、目を見開いた。
「来るぞ!」
周囲の信徒が歓喜する。
「応えられた!」
「神が!」
「ついに!」
床の海水が黒く染まる。
円環が光る。
男は両手を広げた。
「我らを選び――」
次の瞬間。
全員の頭の中へ。
一言。
『拒否』
男の顔が止まった。
「……は?」
黒い水面から。
送った祈りが全部。
逆流した。
叫び。
願望。
殺意。
選民思想。
自分たちが神の声だと思い込んでいたもの。
それが。
自分たち自身の声として返ってくる。
『我らだけを残せ』
『異教徒を沈めよ』
『我らを選べ』
『我らを選べ』
『我らを選べ』
「やめろ!」
男が耳を塞ぐ。
だが。
頭の内側から聞こえる。
『我らを選べ』
「これは神の言葉だ!」
『お前の声だ』
瑠々の声が。
夢域越しに。
倉庫全体へ響いた。
信徒たちが凍りつく。
「誰だ」
『誰だと?』
黒い水面から。
少女の影が立ち上がる。
九頭龍瑠々。
完全な現身ではない。
夢の投影。
それでも。
倉庫の空気が変わる。
信徒の一人が震えた。
「使徒……?」
別の男が叫ぶ。
「偽物だ!」
「我々こそ深き神に選ばれた――」
瑠々は興味を失ったように言った。
『選ばれてないわ』
「何を!」
『少なくとも、あの方はあなたたちを選んでいない』
「嘘だ!」
『では聞くけれど』
瑠々の目が細くなる。
『いつ、誰が、あなたを選んだの?』
男は答えられない。
『夢を見た?』
『海の声を聞いた?』
『古い本を読んだ?』
『教祖に言われた?』
『それで?』
瑠々の声に怒鳴り声はない。
だからこそ、冷たい。
『それを“神に選ばれた”と呼んだのは誰?』
倉庫が静まり返る。
その瞬間。
側面シャッターが爆発的に開いた。
カナメが先頭。
「突入!」
警察特殊部隊が雪崩れ込む。
「武器を捨てろ!」
「伏せろ!」
一部の信徒が反射的に銃を向ける。
だが。
その銃身へ。
横から細い光が走った。
金属だけが熱で歪む。
「なっ――」
倉庫外からゼルヴァードの声。
「警告は一度だ」
別の男が発砲。
弾丸が。
カナメへ届く直前。
空中で止まった。
タクヤが遠隔接続した茶会防護膜。
御門がモニターを見ながら言う。
「タクヤ」
『何?』
「後方支援の定義が広い」
『人を守っただけだよ』
「……続けろ」
『了解』
モー子が外周で逃走者の前へ立つ。
「どけ!」
『もー』
男が走路を変える。
反対側。
警察官。
「止まれ!」
「何で牛が包囲にいるんだ!」
『もー』
御門は通信を聞きながら額を押さえた。
「そこは俺も説明できない」
*
ルルイエ夢域。
送信路が切れた。
太い青い縄が。
ほどける。
一つずつ。
元の私信へ。
誰かが海へ送った願い。
恐怖。
寂しさ。
怒り。
本来。
他人の起床命令へ使われるはずではなかった声。
渡り潮が。
それぞれを元の持ち主へ返していく。
萌亜は息を吐いた。
「切れた」
リオナも。
「地上は?」
御門の声。
『横浜は制圧中だ』
「人質は?」
『全員確保』
萌亜の肩から力が抜ける。
「よかった……」
『ただし』
御門が続ける。
『国内二か所、海外十九か所で同時に儀式反応が上がった』
全員が黙る。
「十九?」
『確認できているだけだ』
瑠々の顔が険しくなる。
「連動してる」
『分かるか』
「横浜が起点じゃない」
瑠々は黒い海面を見る。
世界各地。
細い線。
無数。
一本切ったことで。
逆に。
他の経路がはっきり見えるようになっていた。
「誰かが一斉に起動させてる」
エクスキューショナーが解析する。
『同一命令形式を確認』
「教団の上がいる?」
リオナが問う。
「たぶん」
瑠々は答える。
「世界中のカルトをまとめてる奴」
萌亜が嫌そうに言う。
「超迷惑グループチャット」
「今のところ一番正確なのが腹立つ」
その時。
石門の向こうから。
低い声がした。
『るる』
瑠々が固まった。
萌亜が瞬きをする。
「今……」
瑠々は振り返らない。
「聞くな」
『るる』
もう一度。
今度は。
少し近い。
石門の奥。
眠る夢。
深きものたちが一斉に伏せる。
『御方』
『夢が浅い』
瑠々の指が震えた。
「寝てて」
『地上』
「大丈夫」
『騒がしい』
「私が片づける」
萌亜は。
その会話を聞いて。
少しだけ認識を改めた。
神と使徒。
もっと壮大で。
宗教的で。
畏怖に満ちたものだと思っていた。
でも。
今の瑠々は。
「寝ててって言う人」
そして。
向こう側は。
「うるさくて起きそうな人」
だった。
萌亜が小声でリオナへ言う。
「寝かしつけ……」
瑠々が振り返る。
「聞こえてる」
「すみません」
だが。
その直後。
石門の隙間から。
一本の触腕のような影が滑り出た。
深きものたちが動く。
瑠々も。
「止まって!」
影は止まった。
萌亜たちの数メートル手前。
形が定まらない。
触手。
腕。
影。
あるいは。
ただ夢が伸びてきただけ。
ヨルが強く震える。
『怖い』
「うん」
萌亜は後ろへ下がらない。
でも。
近づかない。
名前もつけない。
「分かんなくていい」
『大きい』
「うん」
『怖い』
「うん」
『逃げる?』
萌亜はリオナの手を握る。
「まだ」
瑠々が影へ向かって言った。
「この子たちは客」
影が揺れる。
『客』
「そう」
『食わぬ』
「絶対」
萌亜の顔が引きつる。
「今、食う選択肢あった?」
「気にしない」
「気になる」
リオナが小声で。
「でも、聞くなって言われた」
「チョベリバ……」
影がゆっくり。
石門の内側へ戻っていく。
最後に。
眠る声がした。
『るる』
「何」
『地上を静かに』
瑠々は眉間を押さえた。
「分かってる」
『眠い』
「でしょうね」
『寝る』
「そうして」
気配が遠ざかる。
巨大な圧が。
少しだけ薄れた。
深きものたちが。
安堵したように頭を下げる。
萌亜は数秒。
黙った。
そして。
「瑠々ちゃん」
「何」
「神様、思ったより会話できる」
「今のは会話じゃない」
「会話だったよ」
「寝言」
「寝言で食わぬって言った」
「忘れなさい」
*
地上。
横浜港。
戦闘は十五分で収束した。
死者なし。
重傷者三名。
うち二名はカルト側。
一名は警察官。
民間人六名は全員生存。
儀式中枢も破壊せず確保。
御門は現場報告を聞きながら歩く。
カナメが戻ってきた。
「主犯格を確保した」
「話せるか」
「意識はある」
「尋問は後だ」
「分かってる」
ゼルヴァードも倉庫から出てくる。
「人間側の武器はすべて無力化した」
「やりすぎてないだろうな」
「銃身を溶かしただけだ」
「十分派手だ」
「撃たれるよりは良い」
「否定はしない」
タクヤが通信端末を見ている。
「海外が増えてる」
「数は」
「二十三」
御門の足が止まる。
「増えたな」
「うん」
「GTG支部は」
「現地政府と連携中」
エックスから通信。
『御門』
「何だ」
『各蜂起地点で同一の夢符号を確認しました』
「発信元は」
『一か所ではありません』
「なら」
『指令だけが共通しています』
御門が眉を寄せる。
「内容」
エックスは読み上げる。
『星が揃う前に、門を人の手で開け』
『使徒を否定せよ』
『地上の偽りの使徒を排除せよ』
タクヤの顔から。
完全に笑みが消えた。
「瑠々ちゃんを狙ってる」
「そうなるな」
『彼らは九頭龍瑠々を“神の眠りを妨げる裏切り者”と認定しています』
御門が短く吐く。
「本人は寝かせようとしてるのにな」
『思想と事実が一致していません』
「珍しくもない」
その時。
ナギの声が通信へ割り込んだ。
『御門!』
「どうした」
『カイお兄ちゃんが、変なの見つけた』
「どこだ」
『手紙じゃない』
「なら何だ」
ナギの声が少し震える。
『人』
御門が止まる。
『渡り潮の中を、人が歩いてる』
エックスが即座に回線を開く。
映像。
青い潮路。
無数の紙舟。
その中を。
黒い外套を着た人物が歩いている。
顔は見えない。
手には。
五つの星を刻んだ杖。
カイの記憶体が遠くから見ている。
人物は立ち止まり。
こちらを向いた。
顔の位置には。
白い仮面。
その口元だけに。
青い文字。
『使徒は偽り』
『真に目覚めを告げる者は地上にいる』
映像が途切れた。
御門の声が一段低くなる。
「エックス」
「はい」
「こいつを追えるか」
『渡り潮内であれば、ナギとカイの協力が必要です』
御門は即答した。
「本人たちに説明して、同意を取れ」
『了解』
タクヤが御門を見る。
「地上の指揮だけじゃ済まなくなったね」
「ああ」
御門は遠くの海を見る。
ルルイエへ向かった者たち。
地上に残った者たち。
そして。
その間。
ムーが残した渡り潮の中に。
第三の敵が歩き始めている。
「全員忙しくなるな」
モー子が隣で鈴を鳴らした。
「もー」
御門は牛を見る。
「君まで出ようとするな」
『もー』
「否定に聞こえないな」
*
三十分。
夢域からの帰還時刻。
瑠々が門へ背を向けた。
「今日はここまで」
萌亜が石門を見る。
「入らないの?」
「予定通り」
「でも」
「入らない」
瑠々は強く言った。
「地上が荒れてる時に、奥へ行かない」
リオナが理解する。
「神様の夢がまた浅くなったら、カルトの儀式が通りやすくなる」
「そう」
「じゃあまず地上を落ち着かせる」
「夢側からもね」
エクスキューショナーが言う。
『合理的』
瑠々は深きものたちへ向き直った。
「命令」
全員が頭を下げる。
『仰せのままに』
「地上から流れ込む儀式通信を遮断」
「ただし、通常の祈りは切らない」
『区別基準は』
「他人を殺せ」
「世界を沈めろ」
「自分たちだけを残せ」
「そういう要求を神意として押しつけるもの」
『理解した』
「それと」
瑠々の目が鋭くなる。
「地上に出るな」
『なぜ』
「人間が混乱する」
『使徒が望むなら』
「望む」
『承知』
萌亜が感心する。
「統率すご」
瑠々は少しだけ顔をしかめた。
「これでも、言うことを聞く方よ」
「もっとやばいのいる?」
「いる」
「聞かない」
「賢明」
帰還路。
シャンバラの白い花弁が開く。
その先に。
茶葉の香り。
エリのカレー。
ナギ。
御門の硬い声。
地上。
帰る場所。
萌亜がリオナの手を握る。
「ノストラダムス」
「時代先取りジジイ」
「本物」
「そっちも」
四人が帰還路へ入る。
最後。
萌亜は一度だけ石門を振り返った。
瑠々に言われた通り。
奥は見ない。
ただ。
門そのものだけ。
その向こうから。
とても小さな。
眠そうな声。
『客』
萌亜が止まる。
「……はい」
瑠々が顔色を変える。
「返事しないでって言ったでしょう!」
「ごめん!」
白い花弁が四人を包む。
*
目を開けた瞬間。
萌亜は御門の顔を見た。
「近い」
「意識確認だ」
「びっくりした」
「名前」
「安藤萌亜」
「場所」
「国会図書館地下」
「今日の夕飯」
「エリさんのカレー」
「正常だな」
「そこ確認項目なの?」
「帰還基準として使える」
隣。
リオナも起きる。
エクスキューショナーの投影体が安定する。
瑠々は。
寝台から起き上がった瞬間。
「最悪」
と言った。
御門が見る。
「何が」
「萌亜が返事した」
「何に」
「神の寝言」
御門が萌亜を見る。
「安藤」
「反射で」
「君は」
御門が何か言おうとしたところで。
通信端末が一斉に鳴った。
世界地図。
赤い点。
二十七。
三十一。
三十四。
増えている。
武装蜂起。
儀式拠点。
港湾占拠。
通信施設襲撃。
各国当局とGTG支部が対応を開始。
会議室の空気が一変した。
御門は即座に立ち上がる。
「休憩は十分後だ」
「十分?」
萌亜が驚く。
「短い」
「地上が待ってくれない」
御門は全員へ指示を飛ばす。
「九頭龍は夢域側の遮断を続けろ」
「分かってる」
「エクスキューショナーとエックスは共通指令源を解析」
『了解』
「姫咲、安藤」
「はい」
「体調確認後、渡り潮側へ入れるなら入れ」
リオナが息を整える。
「仮面の人?」
「ああ」
「分かった」
タクヤが紙コップを二人へ差し出した。
「まず飲んで」
萌亜が受け取る。
「師匠、横浜どうだった?」
「大丈夫」
「怪我は?」
「僕はない」
「モー子は?」
「逃走者を一人、無傷で追い返した」
「強」
御門が低く言う。
「追い返したというより、進路を塞いだだけだ」
「名誉終身守衛」
「そこは否定しない」
萌亜はほうじ茶を一口飲む。
温かい。
さっきまで。
理解できない海底の夢にいた。
巨大な門。
深きもの。
神の寝言。
でも。
ここには。
お茶がある。
御門の胃痛がある。
タクヤがいる。
リオナがいる。
地上には。
戦っている人たちがいる。
萌亜は紙コップを置いた。
「行ける」
リオナも頷く。
「私も」
瑠々が二人を見る。
「休める時に休みなさい」
萌亜が少し驚く。
「瑠々ちゃんが言う?」
「何よ」
「昨日タクヤさんに手震えてるって言われてた」
「……覚えてたの」
「共憶環」
「そこに使わないで」
ほんの少し。
空気が緩む。
だが。
世界地図の赤い点は消えていない。
ルルイエの門にも。
まだ入っていない。
始まったばかりだった。
海の底で。
地上で。
そして。
その間を流れる潮の中で。
三つの戦場が、静かに繋がり始めていた。
第42話では、ルルイエ夢域への最初の接触と同時に、地上でカルト教団の武装蜂起が始まりました。
ここからルルイエ編は、萌亜たちだけの探索ではなくなります。
夢域へ向かう側。
地上へ残る側。
そして、その二つを結ぶ渡り潮。
今回は、その三方向が初めて同時に動きました。
横浜で起きた事件では、カルト側がムーの手紙の仕組みを悪用しています。
本来の渡り潮は、送り手と受け手の意思を守るものです。
それを彼らは大量の私信を一つに束ね、「神を起こせ」という命令へ変えました。
それに対して行われたのは、攻撃ではなく「受信拒否」。
自分たちが神の声だと思っていたものを、そのまま自分たちへ返されています。
また、ルルイエ側では深きものたちが瑠々へ明確に従う姿も出ました。
地上のカルトがどれほど「自分たちは選ばれた信徒だ」と主張しても、神の配下にとって瑠々が唯一の使徒である事実は変わりません。
そして、その瑠々本人は神を起こすどころか、必死に寝かせています。
信仰する者ほど相手の都合を無視していいわけではない。
そのねじれは、これからカルト側との対立でさらに強くなっていきます。
一方、地上の蜂起は横浜だけでは終わりませんでした。
世界各地へ同じ指令が流れています。
さらに渡り潮の中には、白い仮面をつけた謎の人物まで現れました。
次に追うべき相手は、銃を持つ信徒だけではなさそうです。
ルルイエの門はまだ開いていません。
その前に、地上の騒ぎを誰が起こしているのか。
潮の中を歩く者が、まずこちらを待っています。