アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜 作:池ポチャ
北海道の廃村で、告潮者は瑠々とクトゥルフの関係を切り離そうとしました。
「使徒」という名前を壊しても、二人の繋がりは消えなかった。
ならば次に狙われるのは、名前より深い場所。
夢そのものです。
それを確かめるため、萌亜、リオナ、瑠々、エクスキューショナーは、ついにルルイエの石門を越えます。
一方、地上ではカルト教団の蜂起が続いています。
告潮者が仕掛けていたものは、武装拠点や儀式だけではありませんでした。
世界各地からルルイエへ突き刺された「杭」。
地上で抜かなければならない杭と、夢の中で切らなければならない糸。
今回は、その二つを同時に追います。
出発前、安藤萌亜は紙に大きく三つの言葉を書いた。
『エリさんのカレー』
『ナギちゃんの手紙』
『ノストラダムス=時代先取りジジイ』
それを見た御門征十郎は、しばらく何も言わなかった。
「何ですか」
「帰還目印だということは分かる」
「はい」
「最後の一行だけ説明しろ」
「リオナっち本人確認」
「説明されても理解しづらいな」
隣では姫咲リオナが腕を組んでいる。
「効果はあります」
「本人たちがそれでいいなら止めん」
国立国会図書館地下管理区域には、前回よりも大規模な接続設備が用意されていた。
シャンバラ由来の白い花弁が寝台の周囲へ円を描き、その外側にはムーの潮境網から伸ばされた青い線。
さらに九頭龍瑠々が形成した黒い水の環が重なっている。
これまでの目的地はルルイエ夢域の最外周だった。
今回は違う。
あの巨大な石門を越える。
瑠々は寝台に腰掛けたまま、全員を順番に見た。
「もう一度言うわ。門の内側で見えるものを、勝手に現実だと決めつけないで」
萌亜が手を挙げる。
「夢だから?」
「それだけじゃない。現実のルルイエ、あの方の記憶、昔ここを訪れた者の恐怖、地上の信仰、それらが混ざってる」
リオナが尋ねる。
「じゃあ、何が本物か分からない?」
「分からないものもある」
「瑠々でも?」
「私でも」
萌亜は昨日までなら、その言葉だけで不安になっていたかもしれない。
けれど今は、胸の奥にいるヨルへ静かに呼びかける。
「分かんないって」
『うん』
「怖い?」
『怖い』
「萌亜も」
『見る?』
「見てもいいところだけ」
『うん』
瑠々がこちらを見る。
「その子、落ち着いてる?」
「怖がってるけど落ち着いてる」
「それならいい」
エクスキューショナーの投影体が淡く光る。
『私についても確認事項があります』
御門が彼女を見る。
「何だ」
『ルルイエ内部で選定機関由来の命令を受信した場合、即座に共有します』
「自動実行は」
『行いません』
「分かった」
『ただし、私自身に対する強制初期化命令が実行された場合、地上側から共憶環による補助を要請します』
エックスが通信越しに答えた。
『準備済みです』
御門も頷く。
「地上は任せろ」
萌亜が御門を見る。
「今日も戦うんですか」
「すでに始まっている」
中央モニターへ世界地図が表示された。
前日まで二十近く残っていた大規模儀式反応は九まで減少している。しかし、その代わりに小さな黄色い点が数十個増えていた。
「これ何?」
「新しい反応だ」
エックスが説明する。
『武装拠点ではありません。地中、海底、廃施設、宗教建築、通信基地などに埋設された超常構造体です』
「構造体?」
『仮称、夢杭』
画面に黒い柱が映った。
長さは一メートルほど。
表面に五つの星と、古い選定機関式の符号。
御門が言う。
「各地で見つかっている。カルトが昨日今日で設置したものではない」
「どのくらい前から?」
「古いものは百年以上前だ」
萌亜の顔が変わる。
「そんな前から準備してたの?」
「複数世代にわたって埋められた可能性が高い」
タクヤの声が別回線から入る。
『今まで単独では意味を持たなかったんだと思う』
「ルルイエの夢が浅くなったから?」
『うん。全部が同時に繋がり始めた』
瑠々の目が細くなる。
「それが夢を分けるための杭ね」
御門が彼女を見る。
「分かるのか」
「地上側の夢を固定する場所が必要になる。あの方の夢と私の夢を引き離したいなら、外から別の輪郭を押しつけるしかない」
「つまり」
リオナが地図を見る。
「私たちが中で原因を探してる間に、地上組が杭を抜く」
「そういうことになる」
御門は全員へ視線を向けた。
「地上側はエックスが位置解析、カナメと各地のGTG支部が回収、ゼルヴァードは危険度の高い地点を支援。国内の行政・警察・自衛系組織との調整は俺がやる」
通信画面の隅で、ナギが手を挙げた。
『わたしは?』
「渡り潮の監視」
『カイお兄ちゃんと?』
「ああ。夢杭から不正通信が流れた場合、経路を特定してくれ」
『分かった』
その隣からエリが言う。
『一時間ごとに休憩』
『分かった』
『本当に?』
『……分かった』
萌亜が笑う。
「エリさん強」
御門が時計を見る。
「始めるぞ」
瑠々が横になる。
「門の内側では、私より前へ出ないで」
「はい」
「勝手に何か食べない」
「食べ物出るんだ」
「例えよ」
「残念」
「残念がるな」
リオナも寝台へ身体を預けた。
「ノストラダムス」
「時代先取りジジイ」
「確認」
御門が深く息を吐く。
「帰ってこい」
シャンバラの花弁が浮き、視界が白く染まった。
*
石門は、すでに開いていた。
萌亜は前回と同じ黒い砂の上に立っている。
隣にはリオナ。
瑠々。
エクスキューショナー。
そして正面。
巨大な石門が、人一人通れる程度の隙間だけ開いていた。
「前より小さくない?」
萌亜が聞く。
「こちらへ必要以上に夢を漏らさないようにしてる」
「誰が?」
「あの方」
「寝ながら?」
「寝ながら」
「器用」
「感想が軽い」
瑠々が先頭に立ち、隙間へ入っていく。
萌亜とリオナは手を繋いだ。
エクスキューショナーが最後に続く。
門を越えた瞬間、上下が消えた。
「うわっ」
萌亜は反射的にリオナへしがみついた。
足元には石畳がある。
だから立っていられる。
けれど、頭上にも石畳があった。
右にも。
左にも。
そのすべてに街が広がっている。
緑黒色の石造建築。
巨大な柱。
窓のない塔。
壁から壁へ繋がる階段。
そして街と街の間を、暗い海が流れている。
魚のような影が、空を泳いでいた。
「海が……上にもある」
リオナが呟く。
「ここでは方向を信じないで」
瑠々は淡々と言う。
「足の感覚だけを信じる」
「落ちたら?」
「夢の別層」
「帰ってこれる?」
「たぶん」
「たぶん禁止」
「なら落ちないで」
萌亜は足元だけを見ることにした。
黒い石畳には、瑠々の足跡に沿って青緑の光が残っている。
そこから外れなければいい。
歩き始めて数分。
街は静かだった。
静かすぎる。
深きものたちの姿もない。
誰かの気配はあるのに、姿だけが見えない。
萌亜が小声で言う。
「瑠々ちゃん」
「何」
「喋ってていい?」
「むしろ喋って」
「じゃあナギちゃんの算数の話」
「もっと明るい話にして」
「算数が暗い扱い」
リオナが苦笑する。
「今日のカレー、残ってるかな」
「エリさんなら取っておいてくれる」
「チーズ乗せたい」
「私は温玉」
エクスキューショナーが尋ねる。
『これは帰還位置の自己認識維持ですか』
「半分」
瑠々が答える。
『残り半分は』
「ただの雑談」
『雑談に戦術的価値を確認』
萌亜が振り返る。
「エクスキューショナーさんも何か喋る?」
『何を』
「最近あったこと」
しばらく沈黙。
『エックスが私の報告書へ勝手に注釈を追加しました』
「どんな?」
『「文章が硬すぎる」と』
リオナが笑う。
「エックスに言われるんだ」
『不本意です』
瑠々の口元が、ほんの少し緩んだ。
その瞬間。
街のどこかで鐘が鳴った。
低く、長い。
四人は足を止める。
瑠々の表情が変わった。
「今のは」
「何?」
「本来鳴らない鐘」
もう一度。
ごぉん。
今度は左から聞こえる。
しかし次の瞬間には、頭上から響いた。
エクスキューショナーの周囲に白い線が走る。
『外部干渉を検知』
「告潮者?」
『可能性あり』
瑠々は歩調を速めた。
「急ぐ」
*
地上では最初の夢杭が、長崎県の離島で発見されていた。
小さな教会跡の地下。
百年以上前に作られた石室。
その中央に、黒い柱が一本立っている。
カナメは防護服の上から簡易測定器を確認した。
「触れたら?」
通信越しにエックスが答える。
『直接接触は避けてください。夢域への意識引き込みが確認されています』
「破壊は」
『現時点では推奨しません』
「理由」
『破壊時に接続が切れるのか、固定されるのか判別できていません』
「面倒だな」
カナメの隣では現地GTG職員が周囲の写真を撮っている。
壁には古い文字。
日本語。
ラテン語。
それ以外。
百年前から少しずつ書き足されたらしく、年代によって筆跡も違う。
『海は夢へ続く』
『星が揃う時、眠りを地へ結べ』
『使徒は門を閉ざす』
『杭を打ち、夢を地上へ縫い留めよ』
カナメが眉を寄せる。
「告潮者一人の仕事じゃないな」
『はい』
エックス。
『思想自体が世代継承されています』
「本人が死んでも続く仕組みか」
『可能性が高いです』
カナメは石室を見回す。
「なら、今いる連中を捕まえて終わりじゃない」
御門の声。
『最初からそう見ている』
「全部探すのか」
『探す』
「何本あるか分からないぞ」
『それでもだ』
カナメは少し笑った。
「了解」
その時。
地面が揺れた。
測定器の数値が跳ね上がる。
『カナメ、離れて!』
エックスの声。
黒い杭の表面に。
目が開いた。
人間の目ではない。
青黒い。
縦長の瞳孔。
カナメは即座に距離を取る。
杭から声。
『抜くな』
GTG職員の動きが止まる。
『抜けば眠りが裂ける』
カナメは通信へ言う。
「エックス」
『聞こえています』
「こいつ、喋る」
『応答しないでください』
「了解」
杭。
『地上の者よ』
『抜けば、海が溢れる』
カナメは一切返事をしない。
代わりに。
「御門」
『何だ』
「こういうのは安藤向きだな」
『安藤は中だ』
「知ってる」
『だから君がやれ』
「返事しないだけだろ」
『そうだ』
カナメは杭を見た。
口元だけ少し笑う。
「簡単だ」
杭。
『聞け』
カナメは無視した。
*
GTG支援室。
ナギの前で、一艘の紙舟が黒く染まった。
「カイお兄ちゃん!」
『見えてる!』
海底郵便局のカイが、流れてきた黒い紙舟を網のような青い光で捕まえる。
『これ、長崎の杭から!』
「宛先は?」
『ルルイエ』
「内容」
『開けない方がいい』
「分かった」
ナギは迷わない。
「返す」
『返送先がない』
「じゃあ保留」
渡り潮。
第三封印。
『開封保留』
黒い紙舟が止まる。
だが。
北海道。
台湾。
チリ。
ポルトガル。
南アフリカ。
一艘ずつ黒い舟が流れ始める。
ナギの表情が変わる。
「増えてる」
エリが隣から見る。
「一人でやらない」
「うん」
ナギはすぐに通信を開いた。
「共憶環お願い!」
エックス。
『接続します』
各地の任意協力者。
GTG支部。
ムー記憶保持者。
渡り潮の管理を分担する人々へ。
黒い紙舟の監視が分散される。
カイが叫ぶ。
『ナギ! 一艘だけ違う!』
「どれ?」
青でも黒でもない。
白。
何も書かれていない紙舟。
ナギが見る。
「これ」
『告潮者のやつかも』
「開けない」
『うん』
その瞬間白い紙舟が自分から開いた。
文字が浮かび上がる。
『原文明個体ナギ』
ナギの顔が強張る。
『あなたはムーを終わらせた』
エリが一歩近づく。
「読まなくていい」
「うん」
『その選択を後悔しないか』
ナギは目を閉じる。
返事をしない。
『母を取り戻せた』
『父を取り戻せた』
『兄を肉体へ戻せた』
手が震える。
エリは触れずに待つ。
ナギ自身が望むまで。
『今からでも』
ナギが紙舟を閉じた。
「受け取り拒否」
白い舟が揺れる。
『後悔は』
「聞かない」
『本当に』
「聞かない!」
渡り潮が反応する。
『受信拒否』
白い舟が消える。
ナギは深く息を吐いた。
エリが尋ねる。
「手、握る?」
「……うん」
ナギが手を伸ばした。
エリが握る。
「後悔してる?」
ナギは少し考えた。
「する時ある」
「そう」
「お母さんに会いたいって思う」
「うん」
「でも」
ナギは青い郵便札を見る。
「会いたいのと、戻すのは別」
エリは頷いた。
「それでいいと思う」
「正解?」
「そこは私には決められない」
「……そっか」
「でも、自分で考えたことを、知らない誰かに揺さぶられたからってすぐ変えなくていいわ」
ナギは少し笑った。
「御門みたい」
「それは褒めてる?」
「たぶん」
*
ルルイエ内部。
三度目の鐘が鳴った。
今度はさっきより近かった。
瑠々が足を止める。
「ここ」
目の前には巨大な広場が広がっていた。
中央に。
石造りの湖。
水面は真っ黒。
その上に。
無数の細い糸が垂れている。
空から。
壁から。
街の奥から。
一本一本が地上へ続いている。
萌亜は見上げず、視界の端だけで確認する。
「夢杭?」
「そう」
瑠々が答える。
「地上から夢を縫い留めてる」
リオナが眉を寄せる。
「何を縫ってるの?」
瑠々は黒い湖を見る。
「私の夢と」
その奥。
巨大な影。
「あの方の夢」
萌亜の胸の奥でヨルが震える。
『二つ』
「分かるの?」
『近い』
湖面には。
二つの景色が重なっていた。
一つ。
瑠々。
幼い。
傷だらけ。
暗い場所で、一人。
もう一つ。
人間には大きすぎる。
星々。
海。
都市。
理解できない記憶。
その二つの間へ。
白い糸が楔のように刺さっている。
「これを全部切ればいい?」
萌亜が聞く。
「切り方を間違えると」
瑠々は苦い顔をする。
「本当に分かれる」
リオナが息を呑む。
「告潮者の狙い通り」
「ええ」
エクスキューショナーが糸を解析する。
『各糸は地上の夢杭と一対一ではありません』
「複数?」
『一本の杭が多数の夢糸へ分岐しています』
リオナが考える。
「じゃあ、地上で杭を抜くだけでもダメ」
「夢側で糸を切るだけでもダメ」
萌亜も気づく。
「同時?」
瑠々が頷いた。
「同時」
御門へ通信する。
「聞こえる?」
『聞こえている』
「地上の杭」
『現在三本を確保。未処理地点多数』
「抜く時」
瑠々は黒い湖を見る。
「こっちでも対応する」
『何をすればいい』
「私が合図するまで抜かない」
『了解』
カナメの声。
『長崎、待機する』
ゼルヴァード。
『台湾支部支援地点も同様に待機』
エックス。
『各地へ同期指示を送ります』
タクヤ。
『シャンバラ側も準備する』
ナギ。
『渡り潮も見る』
萌亜は少し笑った。
「全員いる」
リオナが握る手に力を込める。
「うん」
瑠々は黒い湖へ近づく。
その表情は硬い。
萌亜が聞く。
「怖い?」
「怖い」
瑠々は素直に答えた。
「失敗したら」
「あの方の夢から」
「私だけ切り落とされるかもしれない」
「切れたら?」
瑠々は少し黙った。
「分からない」
「瑠々ちゃんは?」
「力の大部分を失うかもしれない」
「神様は?」
「私を忘れるかもしれない」
萌亜の胸が痛む。
ヨルが言う。
『嫌』
「うん」
瑠々は小さく笑う。
「あなたの王、分かりやすいわね」
「瑠々ちゃんも嫌?」
「当然」
瑠々は湖面へ手を伸ばした。
「でも」
「怖いからって、杭を残せない」
*
その瞬間。
白い糸が一本、勝手に切れた。
瑠々の身体が大きく揺れる。
「っ!」
「瑠々ちゃん!」
萌亜が支える。
湖面。
幼い瑠々の記憶が。
一部だけ消えた。
暗い場所。
誰かの手。
そこから先が白く塗り潰される。
「地上で誰か抜いた!?」
リオナが叫ぶ。
御門の声。
『こちらでは抜いていない!』
エックス。
『別地点です!』
世界地図。
フランス西岸。
カルト側が。
自分たちで夢杭を破壊した。
「わざと……」
瑠々が膝をつく。
次の杭。
南米。
反応上昇。
告潮者の声が湖面から響いた。
『同時でなければ』
『裂ける』
白い仮面。
水の中。
『地上を守るか』
『使徒を守るか』
『選べ』
萌亜の表情が変わる。
「またそれ」
告潮者。
『すべては守れない』
リオナが言う。
「勝手に二択にしないで」
『すでに一つは切れた』
「だから?」
『次はもっと大きい』
世界地図。
五つの夢杭。
同時に異常。
カルトが自壊準備。
御門が声を上げる。
『各支部、杭周辺を制圧! 破壊させるな!』
地上。
銃声。
警報。
GTG支部。
各国当局。
一斉に動く。
瑠々が立とうとする。
だが足に力が入らない。
「瑠々ちゃん」
「離して」
「ダメ」
「やる」
「一人で?」
「私の夢よ!」
萌亜はその言葉にはっきり返した。
「でも地上もみんなでやってる!」
瑠々が止まる。
「ナギちゃんも」
「御門さんも」
「師匠も」
「エックスさんも」
「カナメさんも」
「ゼルヴァードも」
「エクスキューショナーさんも」
萌亜は瑠々の手を握った。
「瑠々ちゃんだけ一人でやるの、変」
リオナも反対側から手を取る。
「使徒だからって、一人で背負う理由にならないよ」
瑠々の目が揺れる。
「でも」
リオナが言う。
「借りてるんでしょ」
瑠々が驚く。
「力」
「瑠々がさっき言ってた」
「勝手に使っていいものじゃないって」
「だったら」
リオナは黒い湖を見る。
「返し方だって、瑠々一人で決めなくていい」
瑠々はしばらく何も言わなかった。
やがて。
「……ほんと」
小さく息を吐く。
「あなたたち」
「距離感がおかしい」
萌亜が笑う。
「友達距離」
「誰が友達」
「まだ違う?」
「……今それ決める?」
「判断保留?」
エクスキューショナー。
『有効な選択です』
瑠々が思わず笑った。
ほんの一瞬。
それだけで黒い湖が少し落ち着いた。
*
地上では長崎の夢杭周辺に。
突然、十数名の武装信徒が現れた。
別の通路から侵入していたらしい。
「杭を壊せ!」
一人が爆薬を投げる。
カナメが走る。
「伏せろ!」
爆薬。
床へ。
その直前。
白い膜。
タクヤの遠隔防護。
爆発が球状に閉じ込められる。
鈍い音、石室だけが震えた。
『カナメ、大丈夫?』
「問題ない」
「タクヤ」
『何?』
「助かった」
『どういたしまして』
信徒が再び銃を上げる。
カナメは盾の陰から飛び出した。
一人。
二人。
武器を落とす。
そこへ夢杭が再び声を出す。
『壊せ』
信徒が一瞬、止まる。
『壊せ』
『使徒を切れ』
カナメは気づく。
「こいつら」
御門。
『どうした』
「指示されてる」
「告潮者にじゃない」
『杭そのものか』
「たぶん」
エックス。
『杭内部に人格模倣反応』
「人格?」
『完全な人格ではありません。命令保持機構です』
御門が言う。
「つまり百年前から」
『同じ命令を繰り返している』
カナメは黒い杭を見る。
「しつこいな」
杭。
『壊せ』
カナメは無視。
「お前より御門の方がしつこい」
『聞こえている』
「褒めてる」
『今はいい』
*
ルルイエ。
白い糸。
地上の杭。
五地点。
同時破壊の危険。
エックスが全体を同期する。
『カルト側自壊装置を四地点で停止』
「残り一つは」
御門。
『ポルトガル沿岸。現地部隊が間に合わない』
ゼルヴァード。
『私が行く』
「距離は」
『問題ない』
御門が間を置く。
「任せる」
『了解』
数十秒。
通信だけが聞こえる。
『到着』
銃声。
金属音。
『抵抗あり』
「無理をするな」
『承知』
次の瞬間。
『制圧』
萌亜が思わず言う。
「早」
瑠々。
「外宇宙勢を何だと思ってるの」
「強い人」
「雑」
エックス。
『全地点、夢杭の自壊阻止』
御門。
『九頭龍』
「聞こえてる」
『こちらは準備できた』
瑠々が黒い湖を見る。
「こっちも」
エクスキューショナー。
『夢糸同期を開始』
白い糸のうち。
地上で確保済みの七本だけが。
青く縁取られる。
瑠々が言う。
「一気に抜く」
御門。
『合図を』
「三」
地上。
カナメが黒い杭へ隔離装置を固定する。
「二」
台湾。
GTG支部。
南米。
欧州。
それぞれの現場。
「一」
瑠々が手を握る。
「今!」
地上で七本の杭が同時に引き抜かれた。
同時、ルルイエでは七本の白い糸が瑠々の夢とクトゥルフの夢からするりと外れる。
切れない。
裂けない。
ただ、刺さっていた異物だけが抜ける。
黒い湖が大きく波打った。
萌亜の頭の中へ。
誰かの記憶が流れ込む。
暗い海。
血。
痛み。
幼い瑠々が倒れている。
何かが近づく。
巨大で理解できない。
萌亜は見ようとしなかった。
「見ない」
ヨル。
『怖い』
「うん」
「瑠々ちゃんの記憶だから」
「勝手に見ない」
リオナも目を閉じる。
エクスキューショナーも。
『記録を停止』
瑠々が驚いたように三人を見る。
流れ込んできた記憶。
自分が救われた時。
その最も深い部分。
覗こうと思えば見られた。
でも誰も見なかった。
「……なんで」
萌亜が答える。
「瑠々ちゃんが見せてないから」
「でも今」
「事故」
リオナ。
「聞きたいなら、後で本人に聞く」
瑠々は何も言わなかった。
黒い湖。
波がゆっくり静まる。
その奥から眠い声。
『るる』
瑠々は今度は驚かなかった。
「いる」
『いたい』
瑠々の顔が変わる。
「どこが」
『ちくちく』
萌亜が小声で。
「杭?」
「たぶん」
瑠々は湖面へ手を置く。
「今、抜いてるから」
『るるも』
「ちょっと痛い」
『いや』
瑠々がほんの少し笑った。
「私も嫌」
『ねる』
「寝てて」
『るる』
「いるって」
『……いる』
声が遠ざかる。
萌亜はリオナへ囁く。
「会話だよね」
「完全に会話」
瑠々。
「聞こえてる」
*
七本。
それだけでは終わらない。
世界にはまだ夢杭が残っている。
確認済みだけで三十六。
未発見もあるだろう。
しかし最初の同時除去は成功した。
エックスから報告。
『ルルイエ夢域の地上漏出率、十二パーセント低下』
御門。
『世界各地の集団睡眠発生も減少している』
タクヤ。
『シャンバラ側も少し静かになったよ』
ナギ。
『黒い手紙減った!』
カイ。
『配達戻ってきた!』
萌亜が笑う。
「チョベリグ」
御門。
『その評価はいいから、そちらの状況を報告しろ』
「夢杭七本分、取れました」
『九頭龍は』
萌亜が瑠々を見る。
「本人に聞いて」
御門が少し黙る。
『九頭龍』
「生きてる」
『それは見れば分かる』
「大丈夫」
『本当にか』
「……今は」
御門。
『なら無理をするな』
「分かってる」
瑠々は少しだけ素直に答えた。
*
黒い湖の向こう。
道が現れた。
今まで水面だった場所から。
石段がゆっくり下へ続いている。
瑠々の表情が変わる。
「開いた」
リオナが尋ねる。
「どこへ?」
「夢の中心に近い場所」
萌亜の胸の奥。
ヨルが強く反応する。
『いる』
「神様?」
『違う』
萌亜が止まる。
「違う?」
『白い』
エクスキューショナーも同時に反応する。
『選定機関式信号』
瑠々の顔が険しくなる。
「なんで」
石段の下。
暗闇。
そこに白い光が一つ。
告潮者の仮面ではない。
もっと整然とした。
選定機関の観測線。
だがエクスキューショナーは首を横に振る。
『現行組織の識別符号ではありません』
「また古いやつ?」
『はい』
萌亜はムーで見たものを思い出す。
空の椅子。
白い空間。
選定機関よりも古い何か。
瑠々は階段を睨んだ。
「昔から」
「ルルイエの中にいた?」
リオナが聞く。
「知らない」
「瑠々でも?」
「知らない」
瑠々は初めて明確に警戒した。
「私が知らないところに」
「白いものが入り込んでる」
萌亜はポケットの紙を確認する。
『エリさんのカレー』
『ナギちゃんの手紙』
『ノストラダムス=時代先取りジジイ』
帰る場所。
まだ覚えている。
「行く?」
瑠々はすぐには答えなかった。
やがて首を横に振る。
「今日は帰る」
萌亜が少し驚く。
「いいの?」
「地上で七本抜いたばかり」
「私も消耗した」
「それに」
瑠々は暗い階段を見る。
「知らないものへ」
「準備なしで飛び込まない」
萌亜の胸の奥でヨル。
『いい』
萌亜が頷く。
「ヨルも賛成」
「珍しく意見が合ったわね」
リオナも言う。
「帰ろう」
エクスキューショナー。
『賛成』
四人は石段へ背を向けた。
その時、下の暗闇から白い声がした。
『逃走を確認』
全員が止まる。
エクスキューショナーの顔が完全に強張った。
『この表現』
「知ってる?」
『はい』
彼女はゆっくり振り返る。
『選定対象が審査領域から離脱した際に使用される』
萌亜の背筋に冷たいものが走った。
白い声。
『文明選定工程』
『旧式審査領域』
『対象――』
ノイズ。
そして。
『ルルイエ』
瑠々の目が見開かれた。
地球が。
ムーが。
萌亜が。
選ばれていたのではない。
もっと昔。
選定機関になる何かは。
眠るルルイエまで選ぼうとしていた。
*
四人が帰還したのは予定時刻より四分早かった。
萌亜が目を開ける。
最初に御門。
「名前」
「安藤萌亜」
「場所」
「国会図書館地下」
「夕飯」
「エリさんのカレー」
「本人確認」
リオナが横から言った。
「ノストラダムス」
「時代先取りジジイ」
「正常」
御門が呆れた顔をする。
「そちらまで検査項目にするな」
萌亜は起き上がる。
そしてすぐに表情を変えた。
「御門さん」
「何だ」
「ルルイエの中に」
「白いのがいる」
会議室が静まる。
エクスキューショナーも起き上がった。
『旧式選定審査領域を確認しました』
エックス。
『審査対象は』
エクスキューショナーは一度瑠々を見る。
『ルルイエ』
タクヤの表情から笑みが消えた。
御門が低く問う。
「いつのものだ」
『不明』
「現在の選定機関より古い?」
『少なくとも、私の権限体系では参照不能です』
瑠々は寝台の上で黙ったまま、自分の手を見ていた。
萌亜が声をかける。
「瑠々ちゃん」
「……私」
瑠々が呟く。
「知らなかった」
その声に初めて本物の戸惑いがあった。
「ルルイエに」
「そんなものがあるなんて」
御門はすぐに答えた。
「なら調べる」
瑠々が顔を上げる。
「知らないことがあった。それだけだ」
「君が全部知っている必要はない」
瑠々は少しだけ目を細めた。
「……ほんと」
「あなたたち」
「そういうのだけは早いわね」
御門。
「何がだ」
「人に背負わせない判断」
「今まで散々失敗例を見たからな」
萌亜が笑う。
「学習してる」
「安藤、休め」
「はい」
地上では夢杭の捜索が続いている。
ルルイエ内部にはまだ三十本以上へ繋がる糸。
さらに眠る都市の深部には。
古い白い審査領域。
告潮者。
カルト。
選定機関の起源。
問題は減るどころか増えていた。
それでも一つだけ。
前より確かなことがある。
ルルイエへ潜る者だけが戦っているのではない。
地上に残った者だけが守っているのでもない。
一本の杭を抜くために。
海の底と。
地上と。
その間を流れる潮が同じ瞬間に動いた。
防衛網はようやく。
「誰か一人の力」ではない形へ変わり始めていた。
第45話では、萌亜たちが初めてルルイエの石門を越えました。
そこで見つかったのは、地上の夢杭からルルイエへ伸びる無数の糸です。
告潮者が北海道で言った「次は夢そのものを分ける」という言葉は、比喩ではありませんでした。
地上へ打ち込んだ杭を使い、瑠々の夢とクトゥルフの夢の境界へ少しずつ異物を挟み込む。
しかも、ただ地上で杭を壊せばいいわけではありません。
片側だけを急に切れば、その衝撃で本当に二人の夢が裂ける可能性がある。
そのため今回は、地上側とルルイエ側がタイミングを合わせ、七本の夢杭を同時に除去しました。
萌亜たちが潜っている間、カナメたちは現地で武装信徒を押さえ、ゼルヴァードは海外拠点へ飛び、御門とエックスが全体を同期し、タクヤはシャンバラを維持し、ナギとカイは渡り潮へ流れ込む不正通信を止めています。
どちらか片方が主役なのではなく、両方が必要な戦いになってきました。
また、ナギにも告潮者の言葉が届きました。
ムーを終わらせたことを後悔しないのか。
家族を取り戻したくないのか。
ナギは「後悔しない」とは答えていません。
会いたいと思うこともある。
それでも、会いたい気持ちと過去を作り直すことは別だと、自分で選び直しています。
そしてルルイエのさらに深い場所では、別の問題が見つかりました。
選定機関よりも古い形式の「選定審査領域」。
その審査対象として残されていた名前は、ルルイエ。
告潮者だけでなく、選定機関の起源に繋がる何かも、ずっと昔から眠る都市へ手を伸ばしていたようです。
瑠々にも知らなかったルルイエの一角。
次に降りる階段は、神の夢だけではなく、「選ぶ者」がどこから始まったのかという場所へも繋がっています。