アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜 作:池ポチャ
ルルイエの深部で見つかった、選定機関よりも古い「旧式審査領域」。
そこに残されていた審査対象は、ルルイエでした。
眠る神を、誰が、何の資格で審査しようとしたのか。
そしてムーで投げかけられた、「選ぶ者よ、お前たちは誰に選ばれた」という問い。
その答えへ近づくため、萌亜たちは再び石段を下ります。
一方、地上では回収した夢杭を狙い、各地のカルト教団が再び動き始めていました。
ルルイエ側で古い記録を読む者と、地上でその記録へ繋がる証拠を守る者。
今回もまた、片方だけでは先へ進めません。
九頭龍瑠々が目を覚ました時、枕元には見覚えのない紙が置かれていた。
『本日の禁止事項』
『一、無理をしない』
『二、一人で背負わない』
『三、知らない白い部屋へ勝手に入らない』
『四、手が震えたら申告』
そこまで読んだところで、瑠々の眉間に皺が寄った。
「誰」
「萌亜ちゃん」
少し離れた机で茶を淹れていた楠タクヤが、穏やかに答える。
「捨てていい?」
「本人に聞いた方がいいんじゃないかな」
「聞いたら止めるでしょう」
「たぶん」
「なら捨てる」
紙を丸めようとしたところで、裏面にも文字があることに気づいた。
『五、捨てても共憶環に残ってます』
瑠々の手が止まった。
「……あの子」
休憩室の扉が開き、ちょうど安藤萌亜と姫咲リオナが入ってくる。
「おはよ、瑠々ちゃん」
「あなた、これ」
「あ、読んだ?」
「五番は脅迫?」
「安全管理」
「共憶環の用途を間違えてるでしょう」
萌亜は笑いながら瑠々の向かいに座った。前回の潜行から八時間が経過しており、医療班からも再接続に問題はないと判断されている。
瑠々自身の夢接続も安定していたが、昨日一本の夢糸を強制的に切断された影響で、幼少期の記憶には小さな欠損が残っていた。
その欠損を無理に復元しないことは、全員ですでに確認している。
「思い出せないところ、まだある?」
萌亜が尋ねると、瑠々は少し考えてから頷いた。
「ある。でも、思い出せないこと自体は分かってるから大丈夫」
「戻したい?」
「今はいい。誰かに補完された記憶を、自分の記憶だと思い込む方が嫌」
その答えに、リオナが頷く。
「ムーでやったことと同じだね」
「借りた記憶を自分の人生にしない、だったかしら」
「そうそう」
タクヤが三人分の茶を置いた。
「記憶もお茶も、勝手に混ぜすぎると元が分からなくなるからね」
瑠々は湯呑みを見た。
「今、いいこと言ったつもり?」
「少し」
「普通のお茶で?」
「普通だからいいんだよ」
瑠々は一口飲み、少しだけ考えてからいつものように言う。
「普通」
「よかった」
そこへ御門征十郎が入ってきた。
「休憩は終わりだ。会議室へ来てくれ」
萌亜が立ち上がる。
「今日も顔色チョベリバ」
「評価はいらん」
「寝ました?」
「四時間」
「少ない」
「今は俺の睡眠時間より優先するものがある」
瑠々が湯呑みを持ったまま御門を見る。
「そのうち倒れるわよ」
「君に言われるとは思わなかった」
「昨日の私は寝たもの」
「俺も後で寝る」
「確約できるの?」
御門は一瞬黙った。
「……努力する」
萌亜がリオナへ小声で言う。
「しない人の答え」
「たぶんね」
「聞こえている」
*
会議室の中央には、前回ルルイエ内部で確認された白い石段の映像が表示されていた。
その先に存在していたのは、現行の選定機関とは異なる旧式審査領域であり、エクスキューショナーの権限では参照できない。さらに昨夜の解析で、もう一つ重要な事実が判明していた。
エックスが画面を切り替える。
『旧式審査領域から発せられていた符号と、回収済みの夢杭内部に存在する命令保持機構の符号が、一部一致しました』
リオナが眉を寄せた。
「同じ人たちが作ったってこと?」
『そこまでは断定できません。ただし、同一規格を利用している可能性は極めて高いです』
御門が続ける。
「つまり、ルルイエの中だけ調べても全体像は見えない。回収した夢杭も証拠になる」
「地上と中、またセットなんだ」
萌亜が言うと、御門は頷いた。
「ああ。ただし今回は一つ問題がある」
世界地図へ赤い印が表示される。
昨日まで確認されていた大規模な武装拠点は減少していたが、その代わりに各地で夢杭回収班を狙った襲撃が始まっていた。
「杭を壊す方針から変えた?」
リオナが尋ねる。
「そう見える。回収された杭を奪い返すか、解析前に破壊する動きへ変わった」
黒瀬カナメの声が通信から入った。
『こちらは湾岸保管施設へ移動中。長崎で回収したものを含め、国内の夢杭六本を一時保管する』
「警備は」
『私とGTG。警察側もいる』
別の画面では、ゼルヴァードが輸送車両の上空を監視している。
『外部からの超常干渉も現時点ではない』
萌亜が画面へ手を振った。
「ゼル、今日も忙しいね」
『お前たちほどではない』
「そっち銃飛んでこない?」
『飛んできたら落とす』
「返答が強い」
御門が咳払いする。
「地上組は回収物の保全を優先する。安藤、姫咲、九頭龍、エクスキューショナーは旧式審査領域へ入れ」
瑠々が少しだけ目を細めた。
「今日は行けって言うのね」
「準備したからな」
「昨日は止めたのに」
「昨日は準備がなかった。今日は違う」
御門はそこで言葉を切り、瑠々をまっすぐ見た。
「ただし、君が嫌なら入らなくていい」
瑠々は数秒ほど黙った。
「行く」
「理由は」
「私の家みたいな場所に、知らない審査室を勝手に作られてたのよ。気になるに決まってるでしょう」
萌亜が手を挙げる。
「家に知らない役所あった感じ?」
「だいぶ違うけど、腹立たしさは近い」
エクスキューショナーが淡く光る。
『私も同行します。旧式符号との比較には、現行選定体系の知識が必要です』
エックスが続けた。
『地上から解析を支援します。今回は旧式領域から情報を取得できた場合でも、即座に保存しません』
「何で?」
萌亜が尋ねる。
『領域側が記録を閲覧した者へ、何らかの権限や命令を付与する可能性があるためです。まず内容だけを読み、保存するかどうかは後から選びます』
瑠々が頷いた。
「勝手に持ち帰らないのね」
『はい』
「それならいい」
通信画面の隅では、ナギとカイも渡り潮の準備をしていた。ナギの机には学校見学用の資料と算数の教材が積まれているが、その上を何艘もの青い紙舟が行き来している。
『こっちも見る』
「今日は休憩ちゃんと取る?」
萌亜が聞く。
『取る』
隣からエリの声が入る。
『私が見てるから大丈夫』
「最強監視員」
『萌亜ちゃんも人のこと言えないわよ』
「はい」
御門が時計を見る。
「全員準備しろ。今回は白い領域の調査が目的だが、異常があれば即時撤退する」
萌亜はポケットから帰還目印の紙を取り出した。
『エリさんのカレー』
『ナギちゃんの手紙』
『ノストラダムス=時代先取りジジイ』
今日はその下に一つ増えている。
『瑠々ちゃんの普通のお茶』
瑠々が横から見てしまった。
「消して」
「帰還目印」
「私の評価を勝手に使わないで」
「でも今日の思い出」
「まだ始まって一時間も経ってないでしょう」
リオナが笑いながら寝台へ横になる。
「本人確認しとく?」
「ノストラダムス」
「時代先取りジジイ」
「よし」
御門は額を押さえた。
「もう好きにしろ。ただし帰ってこい」
*
石門を越えた後のルルイエは、前回より静かだった。
夢杭を七本抜いた効果なのか、頭上に広がる暗い海の揺らぎは少なく、遠くに見える緑黒色の街並みも以前より輪郭が安定している。それでも建物の向きや距離感は人間の感覚から外れており、萌亜たちは瑠々が残す青緑色の足跡から外れないよう慎重に進んだ。
黒い湖まで辿り着くと、前回現れた石段がそのまま残っていた。
湖面から下へ伸びているはずなのに、数段降りただけで周囲の景色は水底ではなく白い霧へ変わる。上を見てもルルイエの街は見えず、振り返れば入口だけが黒い水面のように浮かんでいた。
「帰り道、見えてる?」
瑠々が確認する。
「見えてる」
萌亜とリオナが答える。
『確認』
エクスキューショナーも続いた。
さらに階段を下りると、空気の感触が変わった。
ルルイエの夢域には潮の匂いと深海の圧迫感があったが、ここには何もない。匂いも温度も風もなく、音だけが異様によく響く。
萌亜が自分の靴音を聞きながら小声で言った。
「ルルイエっぽくない」
「ええ」
瑠々の声は硬い。
「だから知らなかった」
階段の先に白い床が現れた。
そこから先は、円形の巨大な空間になっている。
壁も床も白い石のように見えるが、触れても石の感触はなく、表面の奥で無数の細い線が流れていた。中央には一脚の椅子があり、その正面には半円状に並んだ十二個の台座がある。
すべて空だった。
リオナが周囲を見回す。
「誰もいない」
「気をつけて」
瑠々が前へ出ようとすると、萌亜が袖を掴んだ。
「前へ出ないって言ってたの瑠々ちゃん」
「ここは私も初めてなんだけど」
「だからなおさら」
瑠々は言い返しかけたが、少し考えてから歩幅を戻した。
「……分かった」
エクスキューショナーが円形空間を解析する。
『旧式審査領域との一致を確認。現行選定機関の審査室と構造的類似があります』
「真ん中の椅子は?」
リオナが尋ねる。
『通常であれば最終判定権限を持つ個体、または合議体代表が使用する位置です』
「じゃあ昔の偉い人の席?」
萌亜の問いに、エクスキューショナーはすぐには答えなかった。
『不明です』
「何で?」
『座席に使用履歴が存在しません』
瑠々が椅子を見る。
「一度も?」
『少なくとも、残存記録上は』
萌亜の胸の奥でヨルが静かに動く。
『空っぽ』
「うん」
中央の椅子には傷一つない。
誰かが長く座っていた痕跡も、触れた形跡もなかった。
その時、十二個の台座が一斉に淡く光った。
『審査対象接近』
『旧式審査工程を再開』
白い文字が空中へ浮かぶ。
『対象名称』
『R'LYEH』
瑠々の表情が変わった。
「勝手に始めないで」
白い領域は反応しない。
『対象分類』
『惑星外由来知性圏との接続を確認』
『文明単位への分類不能』
『都市・生体・夢領域の境界不明』
『危険度算定不能』
『保存価値算定不能』
『審査継続条件――』
そこで文字が止まった。
ノイズが走る。
次に表示された文章を見て、エクスキューショナーが息を呑む。
『審査者を登録せよ』
萌亜が中央の椅子を見る。
「これ、誰か座れってこと?」
『可能性があります』
「座ったら?」
『審査権限を取得する可能性があります』
「じゃあ座らない」
萌亜が即答した。
瑠々も同意する。
「当然」
リオナが十二個の台座を見る。
「でも、昔は誰も座らなかったんだよね」
『はい』
「じゃあ審査できなかった?」
エクスキューショナーが台座へ近づき、表示される古い記録を読む。
『確認します』
いくつもの断片的なログが開く。
『候補審査者A、登録拒否』
『理由――対象文明への価値基準を保持せず』
『候補審査者B、登録拒否』
『理由――対象への利害関係あり』
『候補審査者C、登録拒否』
『理由――審査基準の正当性を証明できず』
萌亜が目を瞬いた。
「めっちゃ厳しい」
リオナも画面を見る。
「審査する側を先に審査してる」
『そのようです』
さらに古い文章が浮かぶ。
『他文明の継続可否へ不可逆介入を行う場合、審査者はその権限根拠を提示しなければならない』
『根拠なき選別を禁止』
『審査不能時、対象の自己決定を優先』
エクスキューショナーが完全に動きを止めた。
萌亜が彼女を見る。
「どうしたの?」
『この規定は』
声に、わずかな揺れがあった。
『現行選定機関には存在しません』
瑠々の目が細くなる。
「消したの?」
『断定できません。しかし、少なくとも私の知る基本規範には含まれていない』
リオナが中央の空席を見る。
「じゃあ昔は、誰かを選ぶ前に、自分たちに選ぶ資格があるか確認してた」
『はい』
「今は?」
エクスキューショナーは答えなかった。
答えなくても分かる。
現在の選定機関は、自らの審査権を前提としている。
誰がその権限を与えたのかを問わない。
ムーで黒い存在が投げかけた問いが、萌亜の中で蘇る。
『選ぶ者よ、お前たちは誰に選ばれた』
「これだ」
萌亜が呟いた。
「ムーで聞かれたやつ」
瑠々も気づいている。
「あの方が白い連中を見た時、椅子のことまで知っていた可能性がある」
リオナが首を傾げる。
「でも、クトゥルフがこの審査室を作ったわけじゃないよね」
「違うと思う」
「じゃあ、誰が?」
誰も答えられなかった。
*
地上では、湾岸保管施設へ向かう輸送車列が予定経路の半ばを過ぎたところで異常を検知していた。
最初に気づいたのはゼルヴァードだった。
『前方上空に小型飛翔物。複数』
カナメが車内から窓の外を見る。
「鳥じゃないな」
『機械だ』
「数は」
『十二』
御門の声が指揮回線へ入る。
『車列を止めるな。周辺道路はすでに規制した』
「攻撃型?」
『まだ判断するな』
ゼルヴァードが上空へ移動する。
飛来してきたのは市販品を改造したような小型無人機だったが、機体下部には黒い筒状の物体が固定されている。ゼルヴァードが一機を力場で停止させると、筒から黒い霧が漏れ出した。
『夢誘導物質を確認』
エックスの声。
『物理毒性は低いですが、吸入者の夢域接続を強制的に深める可能性があります』
カナメが顔をしかめる。
「撃ち落とすと撒くのか」
『その可能性があります』
御門は即座に指示する。
『ゼルヴァード、破壊するな。全部包めるか』
『可能だ』
『やれ』
上空に紫白色の膜が広がり、十二機の無人機が黒い霧ごと一つの球状力場へ封じ込められた。
しかし、それは陽動だった。
車列の前方で大型車両が道路を塞ぎ、側道から黒い外套を着た武装集団が姿を現す。
「接触!」
警護班が即座に遮蔽を取る。
カナメは車両の陰へ身を落とし、相手側の動きを確認した。数は二十前後で、銃器だけではなく夢杭と同じ五つ星を刻んだ短い杖を持っている者がいる。
「回収物が目的か」
『おそらく』
御門が答える。
「なら輸送車から離す」
『人命優先だ。杭を守って死ぬな』
「分かってる」
最初の銃声が響き、警護車両の側面へ弾丸が当たる。カナメたちは応射せず、まず相手の射線を制限しながら後退させるが、カルト側は道路脇へ黒い杖を突き立てた。
周囲の景色が一瞬だけ歪む。
アスファルトの上へ海水が広がり、空が夜へ変わり始めた。
『簡易夢杭!』
エックスの警告と同時に、複数の警護員が足元をふらつかせた。
カナメは舌打ちし、近くの隊員の肩を支える。
「寝るな。今見えてる海は本物じゃない」
「分かって……ます」
「なら私を見ろ」
隊員が焦点を戻す。
その間にもカルト側は輸送車へ近づこうとする。
『カナメ』
タクヤの声。
「何」
『夢杭を一時的にシャンバラ側へ逃がす』
「できるのか」
『物理的には動かさない。夢側の座標だけずらす』
「やれ」
『了解』
輸送車の周囲へ白い花弁が広がり、荷台に収められていた六本の夢杭から超常反応が一斉に消えた。
カルトの男が叫ぶ。
「杭が消えた!」
「車体はある!」
「中を開けろ!」
カナメはその言葉を聞いて、相手が夢杭そのものの位置を超常的に追跡していたことを理解した。
「エックス、追跡手段が分かった」
『こちらでも確認しました。彼らは物理座標ではなく、杭の夢座標を追っています』
御門がすぐに判断する。
『なら逆に使える。偽の夢座標を出せるか』
タクヤが少し間を置く。
『できると思う』
『やれ。ただし民間区域へ向けるな』
『了解』
数秒後、輸送車から離れた無人の空き地へ偽の夢反応が発生した。
武装集団の半数が、迷うことなくそちらへ向かう。
カナメが呆れたように言う。
「素直だな」
『信じたいものが見えると、人は確認を省く』
エックスの声だった。
「覚えとく」
残った者たちが銃を向ける。
そこへ。
「もー」
道路脇の林からモー子が現れた。
カナメが振り返る。
「何でいる」
『予備警備』
タクヤが答える。
「聞いてない」
『今言った』
「そういう問題じゃない」
一人の信徒がモー子へ銃口を向けかけたが、隣の男が慌てて止める。
「待て! あの牛、横浜にもいた!」
「何だと?」
「逃げ道を塞ぐ牛だ!」
カナメが数秒黙った。
「認知されてるぞ」
『有名になったね』
タクヤが嬉しそうに言う。
「喜ぶな」
「もー」
*
旧式審査領域では、さらに深い記録が開き始めていた。
中央の空席へ誰も座っていないため、審査そのものは再開できない。その代わり、過去にルルイエを審査しようとした際の議論記録だけが閲覧可能になっていた。
『対象R'LYEHについて、既存文明基準による評価は不可能』
『対象側から侵略意図を確認できず』
『周辺文明への影響は甚大だが、その多くは接触側による過剰観測または強制接続に起因』
瑠々が腕を組む。
「昔も同じことしてるじゃない」
「カルトみたいな人がいた?」
萌亜が聞く。
「たぶん」
次の記録。
『対象は呼びかけへ応答するが、恒常的干渉を要求していない』
『接触を望まぬ場合、距離を維持すべき』
『審査による隔離案――否決』
『審査による封印案――否決』
『理由――対象の意思確認なし』
リオナが目を見開く。
「まとも」
エクスキューショナーは画面から目を離せない。
『はい』
「昔の選定機関って、今よりまともだったの?」
『これを選定機関と呼んでいいかは分かりません』
「どういうこと?」
『組織名が存在しない』
台座の一つに、古い記録の冒頭だけが表示される。
『本領域は文明間不可逆介入を抑制するための暫定審査機構である』
『特定組織による恒久所有を禁ずる』
『審査権限は継承されない』
萌亜が最後の一文を読み直した。
「継承されない?」
『はい』
エクスキューショナーの声が低くなる。
『審査権限は、その都度正当性を証明しなければならない。親組織から子組織へ自動的に引き継ぐことを禁止しています』
リオナの顔が険しくなる。
「今の選定機関、ずっと権限ある前提だよね」
『はい』
「じゃあ」
萌亜は空席を見る。
「どっかでルール変えた?」
白い領域が、その言葉へ反応するように揺れた。
新しい記録が開く。
『警告』
『審査席の恒久占有要求を検知』
瑠々の目が細くなる。
『要求者――記録欠損』
『要求内容――文明継続判定権限の常設化』
『却下』
『再要求』
『却下』
『再要求』
『却下』
そして。
その次だけ。
文字が途切れていた。
『安全規定――』
ノイズ。
『削除』
エクスキューショナーの投影体が大きく乱れた。
『削除……』
萌亜が彼女を見る。
「大丈夫?」
『はい。しかし』
白い線が彼女の周囲へ集まり始める。
『現行選定体系との構造一致が急上昇しています』
瑠々が警戒する。
「何が起きてるの」
『この後です』
古い記録が再生される。
空だった十二の台座に白い人影が現れる。
顔はない。
名前もない。
中央の椅子だけは、依然として空席のまま。
『審査者登録条件を変更』
『権限根拠確認を省略』
『対象文明の自己決定権を参考情報へ降格』
『観測者安全を最優先』
『文明保存価値を外部判定』
『継続不能文明の排除を許可』
リオナが息を呑んだ。
「これ……」
エクスキューショナーが答える。
『現行選定機関の基本構造に近い』
萌亜は中央の空席を見た。
「でも誰も椅子に座ってない」
『はい』
「なのに、勝手にルールだけ変えた?」
その問いへ。
旧式領域が答えた。
『不正占有を確認』
『審査者資格なし』
『審査権限の常設化を拒否』
『拒否失敗』
白い床に亀裂が走る。
過去の出来事を再現しているだけなのに、空間そのものが痛みを覚えているようだった。
『管理系統分離』
『暫定審査機構から外部管理組織が離脱』
『以後の名称――』
文字が激しく乱れる。
最後に、一部だけが読めた。
『SELECTION――』
萌亜の表情が変わる。
「ここから?」
エクスキューショナーは答えられない。
瑠々が低く言う。
「選定機関は最初から選定機関だったんじゃない」
リオナが続けた。
「選びすぎないための仕組みから」
「選ぶ権利だけ持って出ていった」
その瞬間だった。
中央の空席へ、白い影が現れた。
座ってはいない。
椅子の背後に立っている。
白い仮面。
告潮者。
「正解に近い」
瑠々が即座に黒い潮を展開する。
「また投影?」
「そう警戒するな」
「あなた相手に無理」
告潮者は空席へ手を置いた。
「これは失敗した機構だ」
萌亜が一歩前へ出ようとして、リオナに手を掴まれる。二人はそのまま並んで立った。
「何が失敗?」
「誰も責任を取らなかった」
告潮者は椅子を見る。
「選ぶ資格があるかを問い続け、誰も座らず、誰も決めず、文明は滅び続けた」
「だから選定機関が必要だった?」
リオナが問う。
「必要だった時代もある」
「今は?」
「不要だ」
告潮者は即答する。
「選定機関もまた選ぶことへ執着した。残す文明、捨てる文明、利用する文明。それでは争いは終わらない」
「だから全部一つの夢にする?」
「そうだ」
萌亜は眉を寄せる。
「極端から極端すぎない?」
「中途半端な自由こそ争いを生む」
「でも」
萌亜は空席を見る。
「この椅子が空いてるなら、空いてていいじゃん」
告潮者が沈黙した。
「誰か絶対座らなきゃダメなの?」
「決定者は必要だ」
「毎回?」
「世界には秩序が必要だ」
「それ、告潮者さんが座りたいだけじゃなくて?」
白い仮面の向こうで、初めてわずかな沈黙が生まれた。
リオナも気づく。
「もしかして、あなた」
「ここへ座るのが目的?」
瑠々の黒い潮がさらに濃くなる。
「それで、私とあの方を切り離そうとしてる?」
告潮者は答えない。
代わりに、空席へ指を滑らせた。
「座る者がいなければ、機構は再び同じ失敗を繰り返す」
「なら」
瑠々は冷たく言う。
「誰も座らなければいい」
「判断を放棄するのか」
「違う」
瑠々は萌亜とリオナを一度見た。
「必要なことを、その都度みんなで決める」
「非効率だ」
「知ってる」
「誤る」
「知ってる」
「争う」
「知ってる」
瑠々は、それでも空席を見たまま続ける。
「だからって、一人に全部決めさせるよりマシ」
萌亜が小さく笑った。
「瑠々ちゃん、だいぶ地球側になってきた」
「うるさい」
告潮者が椅子へ手をかける。
「では証明しろ」
白い空間全体が大きく震えた。
「誰も座らず」
「誰もすべてを所有せず」
「それでも世界を守れると」
告潮者の投影が消える。
同時に、旧式審査領域から大量の警告が発せられた。
『不正審査者接続を検知』
『外部より審査席占有処理開始』
『座席権限移譲まで――七十二時間』
萌亜が目を見開く。
「七十二時間?」
エクスキューショナーが即座に解析する。
『告潮者が外部から空席の取得処理を開始しています』
「取られたら?」
『旧式審査領域だけではありません』
彼女の声が硬くなる。
『現行選定機関の一部権限まで接続される可能性があります』
リオナが息を呑む。
「選定機関を乗っ取れる?」
『全面的ではありません。しかし、文明判定系統の一部へ影響を与える可能性があります』
瑠々が吐き捨てる。
「だから夢杭を世界中へ打ったのね」
地上から夢を固定し、ルルイエの夢を分け、古い審査領域を起動する。
その全てが。
空席へ座るための準備だった。
*
地上の襲撃は、二十二分で制圧された。
死者はいない。
警護側に軽傷者が数名出たものの、夢杭六本はすべて無事だった。武装した信徒たちは拘束され、夢座標を追って空き地へ向かった者たちも、待機していた警察とGTG職員に包囲されて投降している。
最後まで逃走しようとした二人は。
「もー」
モー子が塞いだ林道で止まっていた。
カナメは現場映像を確認しながら通信した。
「御門」
『何だ』
「モー子が完全に対カルト要員として認識されてる」
『俺も今それを考えていた』
「報告書どうする」
『牛と書く』
「そのまま?」
『事実だ』
タクヤが別回線から言う。
『肩書きも書いてあげて』
御門の声が低くなる。
『書かん』
「もー」
『牛から抗議が来ても書かん』
そのやり取りの最中、エックスが急に声を上げた。
『全員、注意してください』
「何があった」
『回収済み夢杭六本から、同時に白い信号が発生』
輸送車両内部の監視映像が表示される。
隔離されていた黒い夢杭の表面に、白い文字が浮かんでいた。
『審査席』
『移譲処理開始』
御門の表情が変わる。
「安藤たちと繋げろ」
*
旧式審査領域。
地上から御門の声が届く。
『こちらの杭も動いた』
「同じです!」
萌亜が答える。
『何が始まった』
エクスキューショナーが説明する。
『告潮者が旧式審査席の取得を開始しました。完了まで七十二時間』
御門は数秒黙った。
『止める方法は』
『現時点では不明』
「でも」
リオナが空席を見る。
「条件はあると思う」
『何だ』
「この椅子、誰でも座れるわけじゃない」
萌亜も頷く。
「昔は審査する資格があるか確認してた」
瑠々が続けた。
「告潮者はその確認を飛ばして、外から無理やり座ろうとしてる」
御門の声が低くなる。
『なら、正規条件を復元する』
エクスキューショナーが彼を見るように顔を上げた。
『可能性があります』
「できる?」
『旧式安全規定が完全に消失していなければ』
エックスの声も重なる。
『夢杭には削除前の規則断片が残っている可能性があります』
カナメ。
『こっちで解析する』
ナギも通信へ入る。
『渡り潮にも古い手紙が残ってるか探す』
カイ。
『審査室から送られた郵便があれば見つける!』
タクヤ。
『シャンバラ側では、昔この機構へ接触した夢の記録を探してみる』
ゼルヴァード。
『必要なら各地の杭を回収する』
御門が短く整理する。
『地上側は安全規定の復元。ルルイエ側は審査領域内部の原本を探せ』
「了解」
萌亜が答える。
空席はまだ白いままだった。
誰も座っていない。
しかし、七十二時間後には。
そこへ告潮者が座るかもしれない。
萌亜は椅子を見ながら、胸の奥のヨルへ聞いた。
「ヨル」
『いる』
「誰かが全部決めてくれる世界、楽かな」
少しだけ間があった。
『怖い』
「なんで?」
『嫌って言えない』
萌亜は目を細めた。
「そっか」
それだけで十分だった。
「じゃあ空席のままにしよ」
リオナが隣で笑う。
「決定?」
「萌亜の希望」
「そこ大事」
「うん」
瑠々も二人を見る。
「私も同じ」
エクスキューショナーが最後に答えた。
『現時点では、私も空席維持を支持します』
萌亜が少し笑う。
「エクスキューショナーさん、めっちゃ組織人っぽい賛成」
『断定には根拠が必要です』
「でも賛成?」
『はい』
旧式審査領域の白い壁へ、初めて新しい文字が浮かんだ。
『審査者候補――四』
全員の表情が止まった。
「え」
萌亜が声を漏らす。
『資格確認を開始しますか』
瑠々が即座に言った。
「しない」
「うん、しない!」
萌亜も続ける。
リオナも首を横に振った。
「私も」
エクスキューショナー。
『拒否』
表示は数秒残った後、静かに消えた。
中央の椅子は空いたままだった。
けれど。
白い床の奥では。
七十二時間の数字だけが。
ゆっくり。
減り始めていた。
第46話では、選定機関よりも古い審査領域の中身へ踏み込みました。
そこで判明したのは、現在の選定機関とはかなり異なる思想です。
かつての仕組みでは、他文明を審査する前に「審査する側にその資格があるのか」を確認していました。
利害関係がある。
価値基準を持っていない。
権限の正当性を証明できない。
そうした場合、審査者になること自体が拒否されます。
そして審査できないなら、対象文明の自己決定を優先する。
つまり最初から「自分たちは他文明を選ぶ資格がある」と考えていたわけではありませんでした。
ところが、どこかの時点で安全規定が削除され、審査権限の常設化が行われます。
そこから現在の選定機関へ繋がる構造が生まれた可能性が高くなりました。
ムーで投げかけられた「お前たちは誰に選ばれた」という問いにも、少しずつ輪郭が見え始めています。
そして告潮者の狙いも明確になりました。
彼は選定機関を否定しながら、そのさらに古い審査席を自分で占有しようとしています。
選ぶ者をなくすために、自分が最後の選ぶ者になる。
その矛盾に本人がどこまで気づいているのかは、まだ分かりません。
地上では、回収された夢杭を狙った武装襲撃も発生しました。
カナメ、ゼルヴァード、御門、タクヤ、エックス、各地のGTGと警察が連携し、夢杭を失わずに制圧しています。
そしてモー子は、とうとうカルト側からも「あの牛」として認識され始めました。
状況は笑えませんが、その部分だけは少し笑ってもいいかもしれません。
残された時間は七十二時間。
その間に、削除された旧式安全規定を復元し、告潮者が空席へ座る条件そのものを止めなければなりません。
ただし最後に、旧式審査領域は萌亜、リオナ、瑠々、エクスキューショナーの四人を「審査者候補」として認識しました。
四人は全員、即座に拒否しています。
今のところ、あの椅子に座りたい人は一人しかいません。