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ありがとうございます!
思いつきで始めた作品ですが、たくさんの方に見ていただけてると思うとホントに励みになります。
試合の翌日。
午前の光が、塔の高層階特有の薄い透明さで廊下に差し込んでいた。
カイウスが廊下を歩いていると、窓際にゴンとキルアの姿が見えた。二人とも、何も言わずに外を見ている。遥か下、常人ではぼんやりとしか捉えられないほど向こうに街が見える。雲の切れ間から見下ろす景色は、いつ見ても現実感が薄い。
気配に気づいたゴンが振り返った。
「あ、カイウスさん」
「何をしている」
「んー……なんか、見てた」
曖昧な返事だった。カイウスは二人の隣に立ち、同じように窓の外を見る。
しばらく誰も喋らなかった。窓ガラスの向こうを風が撫でる音だけが、かすかに聞こえていた。
「昨日の試合、見てたよ」
ゴンが言った。声のトーンは、いつもより少し低かった。
「そうか」
「ヒソカってさ……やっぱ変だよね」
「変?」
「うん。なんか」ゴンは少し考える。視線はまだ窓の外に向いたままだ。
「怖いとかじゃなくて、うまく言えないけど」
「化け物だろ」キルアが横から言った。
「……まあ、ああいうのがいるってことだ」
軽い言い方だった。でも、その目は少し真剣だった。窓ガラスに映る自分の顔を見ているような、内側に潜るような目だ。
「カイウスさん、結構押してたのにな」
「そう見えたか」
「見えた。でもヒソカって、なんつーか……途中から負ける気してなかった」
カイウスは黙っていた。その通りだった、と思った。押している間も、ヒソカの目の奥にあった余裕は揺らがなかった。あれは演技ではない。本当に、負ける可能性を計算に入れていなかった。
「でもさ!」とゴンが顔を上げる。表情に光が戻る。
「「捌」が決まった時、ヒソカめちゃくちゃ嬉しそうだった!」
「嬉しそう?」
「うん! あれ絶対、本気だった!」
キルアが少し笑った。
「お前、そういう顔よく見てんな」
からかうような口調だったが、否定はしていなかった。
カイウスは二人を見た。
負けを見たはずなのに、圧倒的な実力差を感じたであろうに、二人とも前を向いている。それが少し、不思議だった。窓から差す光の中で、二人の輪郭だけが妙にはっきりして見えた。
「お前たちは」
カイウスが言う。
「ヒソカに勝てると思うか」
ゴンは「うーん」と唸った。少し考えてから答える。視線が一度、窓の外の遠い景色をなぞった。
「今は無理」
「そうだろうな」
「でも、これからのことはわかんないよ」
カイウスはゴンを見る。視線の先では、ゴンが笑っていた。曇りのない、ただの事実を言うような笑い方だった。
「だって、オレまだ全然知らないから」
「何をだ」
「強いヤツとか。念とか。世界とか」
ゴンは窓の外を見る。その目に映っているのは、地上の街並みではなく、もっと別の何か——まだ見ぬ広さそのもののようだった。
「だから、まだ分かんない」
キルアが肩をすくめた。
「ま、こいつはこういう奴だから」
その声には呆れと、それを上回るわずかな誇らしさが混じっていた。
カイウスは少しだけ目を細めた。自分にはない感覚だった。
分からないものへ向かうこと、見えない場所へ踏み込むこと。ゴンはそれを恐れていない。恐れていないというより、恐れる前に足が動いている。カイウス自身は、足が動く前に目的地を必要とする人間だった。その差が、今ここで静かに浮き彫りになっていた。
「じゃ、オレたち修行戻るから!」
「ああ」
「カイウスさんもまたね!」
二人は去っていく。騒がしい足音が、少しずつ遠ざかった。階段の方から、ゴンの「あ、待ってよキルア!」という声が一度聞こえ、それも消えていった。
静寂が訪れた通路でカイウスは一人、窓の外を見た。
まだ見たことのない景色が、あの下にどれだけあるのか。
今はまだ、分からなかった。
ー
その夜、食堂でリラと向かい合って座った。
どちらが誘ったわけでもなかった。ただ食事を取りに来て、同じテーブルに座った。それだけだ。
食堂の照明は控えめで、夜のこの時間は人もまばらだった。遠くの席で誰かが小さく笑う声がする以外、店内は静かだった。
しばらく、二人とも黙って食べていた。湯気が立つスープの匂いだけが、テーブルの間に漂っていた。
「どうだった?」と先に口を開いたのはリラだった。
「一日経って」
「別に変わらない」
「負けたこと?」
「……そっちは整理がついた」
そう口にして、カイウスは味噌汁を一口飲んだ。
「答えの方が、まだ分からない」
リラは少しだけ眉を上げた。スプーンを止めて、カイウスの顔を見る。
「そっち考えてたんだ」
「ヒソカに負けた理由は分かる。次に活かせばいい」
「次、ね」
「目的がある人間は強い」
カイウスは淡々と言った。皿の上の何も見ていない目で、しかし考えは整然としていた。
「ゴンも、キルアもそうだ。ヒソカも」
「カイウスは?」
「ない」
即答だった。その答えを聞いたリラは少し黙ったあと、箸を置いた。
「でもさ、「次に活かす」って思ってるなら、もう止まってはないんじゃない?」
カイウスは少し考えた。スープの表面が、テーブルの振動でかすかに揺れていた。
「……ただ、負けたままは嫌なだけだ」
「十分じゃん、それで」とリラは笑った。屈託のない笑い方だった。
「最初から立派な理由持ってる人ばっかじゃないでしょ」
食堂の外から笑い声が聞こえた。しばらく、また沈黙が落ちる。重さのない、慣れた沈黙だった。
「なんかさ」リラが言った。視線を天井に向けて、独り言のように。
「最近、ここ狭く感じるんだよね」
「天空闘技場がか」
「うん」
リラは椅子にもたれた。背もたれが軋む小さな音がした。
「前はもっと広く見えてたんだけど」
カイウスは少しだけ考えた。窓の外には、もう夜の闇しかなかった。
「……そうかもしれない」
リラが立ち上がる。トレーを持ち上げながら、軽い調子で言った。
「じゃ、おやすみ」
「ああ」
リラは軽く手を振って、廊下の奥へ歩いていった。足音が遠ざかる。一度も振り返らなかった。
カイウスは呼び止めることなくその背中を見送る。自分がここを出ることを、言おうとも思わなかった。
けれど——リラはたぶん、気づいている。
そんな気がした。
その背中を見送った後、カイウスは反対方向へ歩き出した。
ー
深夜。
部屋へ戻る前に、カイウスはアリーナ外縁の通路に出た。
夜風が冷たい。コートの裾が小さくはためいた。
手すりの向こうには、雲の切れ間から街の灯りが見える。遥か下方で、無数の光が瞬いていた。一つ一つが誰かの生活の灯りなのだと思うと、その距離の遠さが妙に実感を持って迫ってくる。
「眠れないのかい♠」
振り返らなかった。
気配は、さっきから感じていた。
「お前こそ」
「ボクは夜の方が元気だから♦」
ヒソカが隣へ並ぶ。
左腕には包帯が巻かれている。切断面はまだバンジーガムで繋がれたままだった。月明かりの下で、その白い包帯だけが妙に浮き上がって見える。
しばらく、二人とも夜景を見ていた。風の音だけが間を埋めていた。
「明日、ここを出る」
カイウスが言った。
「へえ♣」
ヒソカは興味があるのかないのか分からない声で返した。視線は夜景に向けたままだ。
「どこへ行くんだい?」
「故郷だ」
「里帰りってやつか♠」
ヒソカが笑う。喉の奥で転がすような笑い方だった。
カイウスは答えなかった。
「また天空闘技場に来るのかい?」
「しばらくは来ない」
「そう」
ヒソカは頬杖をつくみたいに顎へ指を添えた。指先が包帯の上を一度撫でる。
「じゃあ次は、別の場所かな♦」
カイウスは夜景を見たまま口を開く。
「次に会う時は、試合じゃない」
短い沈黙。そのあとで、ヒソカが、喉の奥で笑った。
「いいね♠」
その声は静かなのに、熱だけがあった。
「その方が壊しやすい♦」
カイウスはゆっくり右手を握った。掌に、まだ消えない試合の感触が残っている気がした。
「次は、試合みたいにはいかない」
「それは楽しみだ♠」
風が吹いた。コートの裾がもう一度はためく。しばらくして、ヒソカが踵を返す。
「また会おう、カイウス♣」
足音が遠ざかっていく中、カイウスは一人夜景を見下ろした。
右手を開き、そして閉じる。
(故郷に帰る)
なぜそこへ向かおうと思ったのか、自分でも分からない。ただ——ここを出ると決めた時、自然と足が向いた。
師と別れてから、一度も戻っていない場所。
旅を始める前にいた場所。
答えを探して外へ出た。まだ、答えはない。
だから——一度、始まりへ戻る。
ー
夜明け前に目が覚めた。
肋骨の痛みが、呼吸のたびに軋む。発を使えば、この程度の傷は数分で消える。
だが、カイウスはまだ使っていなかった。
ベッドから体を起こし、窓の外を見る。天空闘技場の朝は、地上より少し早い。窓の向こうでは、雲の縁が淡く染まり始めていた。だが遥か下方の街は、まだ夜の色を残している。
この塔だけが、世界より先に朝を迎える。
カイウスは荷物をまとめた。着替えが数枚。師から渡された古い地図。
旅に出た時から、荷物はほとんど変わっていない。
足りないものはなかった。少なくとも、荷物に関しては。
部屋を出ると、廊下は静かだった。
誰ともすれ違わないままエレベーターへ向かい、そのまま一階まで降りる。下降する箱の中、窓の外を流れていく景色を、カイウスは黙って見ていた。
外へ出ると、朝の空気が冷たかった。
街はまだ眠っている。人の気配も、車の音もほとんどない。吐く息が、わずかに白く滲んだ。
カイウスは振り返った。
天空闘技場。夜明け前の空に、巨大な塔がそびえている。頂上はまだ暗闇の中にあった。
数ヶ月前。
カイウスは答えを探すために、この塔へ来た。答えは、まだ見つかっていない。
だが——。
(足りない)
その感覚だけは、初めて手に入った。カイウスは右手を見た。ほんの僅か、オーラが揺れる。
発を起動しかけて——止めた。痛みは、まだ残る。呼吸のたびに肋骨が軋む。
それでも、今はこのままでよかった。
カイウスは塔に背を向ける。向かう先は、故郷。
師と別れてから、一度も戻っていない場所。
答えを探す旅の、始まりだった場所。
なぜ故郷へ向かおうと思ったのか、自分でも分からない。
だが今は、それでよかった。
カイウス=ケイランは、痛みを抱えたまま歩き出した。
天空闘技場編はこれにて終了となります。
この先の展開は本当に未定で、現在整理中ですので次の投稿まで少々お待ちください。