月想曲(MELTY BLOOD(無印))   作:橘つかさ

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第2話

「かはっ!」

 

 咳き込み、あたりを見渡す。

 二つの影が月に照らされ踊っていた。

 それは夜の加護を受けながら、遠野志貴という一人の人間に負けた理由があった。

 わたしは彼の情報を蓄積し、彼の動きを、感情を計算し、彼の未来を予測した。

 わたしの計算では負けることはありえなかった。

 それほど十分な情報を収集していたにも関わらず、わたしは負けた。

 彼は、人でありながら、人の動きを超えていた。

 常識を外れた独特な歩行。

 縦横無尽とでも形容するべきか。

 これは長年鍛えられ、研ぎ澄まされながら脈々と受け継がれてきた血統とでも言うべきだろうか。

 精密機械のように、ときに野生の感とでも言うべき戦闘のセンス。

 紙一重で相手の攻撃を回避し、着実に攻撃を加えていく。

 一度でも相手の攻撃が直撃すれば戦闘不能は免れないという不利な状況でも彼は怯まない。

 これが彼とわたしの差。

 わたしが有利な方を選び、リスクを抑えても、彼はリスクの大きい方法で覆す。

 有利な方を無意識に選んでしまうわたしでは勝つことはできないだろう。

 そして、今の彼は全てを解放している。

 今の彼と戦えばわたしは容赦なく殺される。

 そう漠然と感じることができる。

 今の志貴はこの緊迫した戦いを楽しんでいる。

 ヒトでありながら、吸血鬼と対等に渡り合うなどわたしの常識では考えられるものではない。

 それなのに目の前で繰り広げられる常識外れの光景。

 今の彼はヒトなのだろうか。

 そんな考えはすぐに消え去る。

 今、ヒトが生かされているからこれほど繁栄しているのか。

 違う。

 いつの時代でも化け物を狩るのはヒトであり、化け物に狩られるのもヒトなのだ。

 だからヒトが繁栄を続ける。

 それでもわたしの中に漠然とした感情が生まれる。

 

「志貴!」

 

 わたしは彼を見ることが耐え切れなくなっていた。

 衝動的に声をあげる。

 わたしがやるべきことは彼を止めることだ。

 それは合理的に思案すればとても愚かなことだ。

 今の彼ならばタタリを倒すことができる確率は極めて高い。

 それでも……。

 どんなに危険でも。

 どんなに愚かな行為でも。

 

 ──今の彼はイヤだ。

 

 何番目の思考だろうか。

 いや、全ての思考から導き出されるのは今のわたしの考えを否定する。

 それでもわたしは衝動的な行動を。

 沸き起こる感情を御することができない。

 

「志貴! 元に戻って!」

 

 叫びと共にエーテライトを仕掛ける。

 まずは彼の動きを止めなくては。

 

「邪魔するな」

 

 一笑すると同時に彼の短刀が閃いた。

 死角からの攻撃だったはずなのに彼は振り向かずに腕を振るう。

 並の強度ではないはずのエーテライトは絹糸のように易々と切り裂かれる。

 これが志貴の持つノウブルカラー──『直死の魔眼』。

 

「先に殺されたいのか?」

 

 志貴が嘲笑する。

 

「っく! 志貴、元に戻って!」

 

 わたしの声は届かないのか。

 志貴の攻撃で吹き飛び、動きが止まるタタリ。

 このままじゃ!

 わたしは思わず志貴の前に飛び出した。

 

「殺すぞ」

 

 引くことは出来ない。

 このまま志貴がタタリを滅すれば、志貴が帰ってこない。

 それは根拠のない憶測。

 だけど、わたしはその未来を確信してしまっている。

 わたしはそのまま志貴に向かっていく。

 彼はどう最初に動くか。

 読み違えればそれまでだ。

 わたしの読みが通用するか否か。

 とてもじゃないが予測できない。

 迫る刃。

 躱すという思考ができなかった。

 腹部から走る鋭い痛み。

 わたしは奥歯を噛みしめる。

 意識を食い破ろうとする痛みを押さえ込み、わたしは彼を抱きしめる。

 予想外の行動だったのか、彼の体勢が崩れる。

 

「志貴、元に戻ってください。わたしはいつもの貴方が――」

 

 喉を駆け上がってくる鉄の味に言葉がつまる。

 わたしの命を代償に彼が元に戻ってくれるならそれでいいと思った。

 

「シ、シオン……!」

 

 よかった。

 彼が彼に戻ってくれた。

 彼の優しい声にわたしの意識は沈んでいった。

 

 ***

 

 シオンをゆっくり横たえると志貴は音もなく、立ち上がる。

 

「本当にエルトナムの娘は馬鹿ね。治りもしないのに。いい加減あきらめれば楽だったのにね」

「だまれ」

 

 志貴の静かな、それでいて刃物のような鋭さを秘めた声。

 

「どうしたの、遠野くん?」

 

 弓塚の声が闇に響く。

 

「だまれ」

 

 一言。

 抑揚に欠ける冷めた声。

 そして、緩慢な動きで眼鏡を外す。

 ただそれだけで特別に恐れることでもない。

 それなのに、気がつけば手にうっすらと汗が滲んでいる。

 

「それよりも遠野くん、わたしと遊びましょう」

 

 自分でも理解できない感情を誤魔化すように弓塚は声をかける。

 

「だまってくれ」

 

 ゆっくりと志貴が弓塚に向き直る。

 闇の中に輝く一対の青い瞳。

 全てを見透かすような真っ直ぐな瞳。

 

「ち、ちょっと、遠野くん、何でそんなに怖い顔しているの?」

 

 本来ならば、何も慌てる必要もない。

 恐れる必要もない。

 両者の間に立ちふさがる種としての差。

 それなのに、弓塚は無意識に後ろに下がってしまっていた。

 彼女は気づいていない。

 いや、必死に気づいていないふりをしている。

 そんなことがあるはずない。

 人間ごときに吸血鬼が恐れを抱くはずがない。

 

「……いい月夜だ」

 

 空に輝く月を仰ぎながら、ポツリと志貴は呟く。

 

「本当だね」

 

 必死に感情を押さえ込みながら、声の震えをごまかしながら弓塚も空を見上げた。

 本当に真ん丸い月が闇を照らしている。

 

「さて、そろそろこの世界に別れはすんだろう。あとは大人しく塵に還って消えろ。それが、ほんの一沫の泡沫のさだめ。夢の散り際としてはいささか勿体無いほどのいい夜だけどな」

 

 ──ゴクリ。

 

 気がつけば弓塚の喉が鳴っていた。

 わからない。

 何故、これほどまで自分が憔悴しているのか。

 弓塚は心の内から次々と湧き出してくる不安を必死に押さえ込もうとする。

 志貴が一歩踏み出す。

 弓塚の足が勝手に一歩下がる。

 

「遠野くん、言ってくれるじゃないの。でも、それはわたしに向ける言葉じゃないよ。ここがわたしの墓場?バカじゃないの。そんなこと言う遠野くんには痛い目にあってもらわないとね。命の保障は出来ないけれど」

 

 精一杯の強がりだった。

 表情を取り繕い、虚勢をはる弓塚。

 弓塚は弾丸のように低い軌道を跳んで志貴に迫る。

 志貴は何も動じない。

 ただ、瞳だけがその輝きを増していく。

 

「遅い」

 

 紙一重で避けるとそのまま弓塚を蹴り上げる。

 

「くっ!」

 

 反動を使って姿勢を直す弓塚。

 

「はぁ!」

 

 着地と同時に地を蹴る。

 弓塚の腕が空気を切り裂く。

 

「無駄だ」

 

 紙一重で志貴が弓塚の腕を躱す。

 その瞬間、彼女は人ではできない膂力で慣性をねじ伏せる。

 弓塚の腕は軌道を変え、志貴を襲う。

 完全に志貴を捉えたと思った彼女は、違和感に表情を強張らせる。

 

「そ、そんな……」

 

 肘から先が無くなっていた。

 ボトッ、とワンテンポ遅れて聞こえてきた方を見ると無くなった部分が落ちていた。

 

「……殺す」

 

 誰に告げるわけでもなく、呟いた志貴の声がやけに大きく響く。

 志貴は吐き気に耐え、頭が割れそうになる頭痛を押さえ込む。

 彼はただただ目の前をしっかりと見続ける。

 

「待っ――」

 

 志貴の動きが加速する。

 見える線をナイフでなぞる。

 見える点をナイフで突く。

 ただそれだけを繰り返す。

 

「そ、そんなまさか。実体の無い、情報の塊でしかない――」

 

 言葉が最後まで紡がれる事は無かった。

 

「在るべき姿に還れ」

 

 消えていく弓塚の姿をしっかりと瞳に焼き付けながら志貴は呟いた。

 佇む志貴の背中を見つめるのはシオン。

 

「……志貴」

 

 ゆらり、立ち上がるとフラフラと頼りない足取りで志貴に歩み寄る。

 

「……弓……塚」

 

 そんな姿には目もくれず、志貴はその場に崩れるように両膝を地面につく。

 

「……志貴」

 

 シオンの声に何の反応も示さず、ただ震える両手を凝視し続ける。

 彼女は志貴の方に歩み始める。

 

「志貴!」

「黙ってくれ!」

 

 志貴の鋭い声に動きを止めるシオン。

 

「黙ってくれ……俺は……また弓塚を殺して――」

 

 そう呟くと空を仰ぐ様に見上げる。

 頬を伝う雫が月の光に輝いていた。

 

「あれは、『さつき』ではありません。姿形はそうであっても中身は『タタリ』です。志貴が気を病むことではありません」

 

「それでも! それでも俺は! ゆ――」

「志貴!」

 

 志貴の声はシオンの声に妨げられる。

 シオンは志貴を優しく抱きしめていた。

 

「シオンにもナイフを……」

 

 優しく髪を揺らしながらシオンは首を左右に振る。

 

「アレは志貴の意志ではありません。わたしの意志で行ったことです。もし、志貴が本気でわたしを刺しているならばこうしているはずがありません」

 

 そして、ゆっくりと空に浮かぶ月を見上げる。

 

「それと、皮肉なことですがあれほど嫌悪している吸血鬼としての因子。それのおかげで傷の方も大したことありません。満月の浮かぶ夜の加護もあり、もうじき綺麗に治ってしまいます」

 

 そして、抱きしめる力を強める。

 

「シ、シオン……」

「志貴が志貴である限り、貴方は誰も殺めることは出来ない。それはわたしが保証します」

 

 シオンの言葉が志貴の耳に優しく響く。

 

「だって志貴はわたしの……」

 

 そこまで言って言葉を詰まらせるシオン。

 顔が真っ赤になり、酸欠の金魚のように口だけがパクパクと動いている。

 

「だ、大丈夫?」

 

 さすがに志貴の声でバツが悪くなったのかシオンは志貴から離れる。

 そして身振りで大丈夫とジェスチャーする。

 

「ぷっ……はははっ」

 

 堪えきれなくなったのか志貴の笑い声が夜空に響く。

 

「と、とにかく! 志貴は誰も殺めていないんです! こうなったらぶっちゃけます。覗き見は趣味が悪いです! いい加減観念して出てきなさい――」

 

 背後の茂みにエーテライトを一閃。

 口の端を吊り上げるシオンの表情が「かかった!」といっている。

 

「――さつき!」

 

 声を張り上げる。同時に茂みから「きゃっ!」という小さな女の子の悲鳴。

 

「エーテライト・グランド!」

 

 嬉しそうにエーテライトを引き上げるシオン。

 そして、一本釣りよろしく茂みから引っ張り出される人影。

 そのまま地面にダイブ。

 ゴスッと鈍い音に周囲が震える。

 

「いたたたたっ、シオン、酷いよ」

 

 目じりに涙を浮かべ、地面に打ち付けた鼻をさすりながら、ノロノロと立ち上がる人影。

 それは先ほど塵となったはずの弓塚さつきだった。

 

「ゆ、弓……塚」

「えっと、その、こんばんは遠野くん」

 

 バツが悪そうなさつきは、頬をかきながら志貴と視線を合わせないように言う。

 

「さつきと志貴のいきさつについてはすでに聞いています。あの後さつきは見逃されていたんです」

 

 呆けている志貴にキッパリと言い切るシオン。

 

「ご、ごめんね。本当は遠野くんに会いたくて仕方なかったけど、吸血鬼になっちゃったから会いにいけなくて」

 

 ツンツンと両人差し指をつつき合わせながら申し訳なさそうに弁解するさつき。

 

「ちなみに代行者はもちろん真祖の姫や秋葉、遠野家の使用人の二人もさつきのことを知っています。さつきはわたしと同じ人間なので友人となり、裏路地同盟を結んでいる間柄です」

「シオンもわたしと同じって聞いて、治ったら堂々と会いにいけるって思って。それまで我慢しなければって思って」

「わたしは絶対克服するつもりなので志貴は大船に乗ったつもりで安心して待っていてください」

 

 二人の話を聞きながら、どんどん爽やかな笑顔になっていく志貴。

 そんな志貴を見ながら冷や汗を浮かべるシオンとさつき。

 

「黒猫さんともよく遊んだりして、遠野くんの事を聞いたりして頑張らなきゃって」

「倒れているわたしを看病してくれたのが知り合った始まりで」

「夜にシエル先輩に会うと怖いんだよ」

「なんだかんだ言っても秋葉もさつきが心配のようで」

 

 二人の会話はもはや混乱しており、前後の繋がりが怪しくなってきている。

 

「アルクェイド、シエル先輩、秋葉、琥珀さん、翡翠。その上レンまで知っていたんだ」

 

 やけに爽やかな声。

 

「し、志貴?」

「と、遠野くん?」

 

 二人が恐る恐る声をかける。

 

「知らなかったのは俺だけか」

 

 パチンという音が志貴の手元から聞こえてくる。

 

「し、志貴。話し合えば人間分かり合えるものです」

「と、遠野くん落ち着いて」

 

 同時に志貴のナイフが閃いた。

 

「さつき、戦略的撤退を提案します!」

「う、うん」

 

 慌てて志貴から逃げ出す二人。

 

「そんなにみんなに思われていたなんて感激だよ」

 

 笑いながら二人を追い掛け回すバーサーカーSHIKI。

 三人の命がけの鬼ごっこは空が明るくなる直前まで続いた。

 

 ***

 

 その後、遠野邸に戻った志貴は荷物をまとめ、乾家へ直行した。

 残された秋葉、翡翠、琥珀の元に、ボロボロのシオンとさつきが現れる。

 いきさつを聞いた一同は血相を変え、さらにアルクェイドとシエルが加わって大慌てとなった。

 全員で乾家に押しかけ、平謝りした。

 しかし志貴の機嫌は一向に直らない。

 有彦が追い出され、強引に遠野邸へ連れ戻されるまで一ヶ月間、志貴は誰とも口を利かなかった。

 最後は、全員の申し訳なさそうな顔に根負けしただけだった。

 ちなみにその一ヶ月、有彦はとばっちりで生傷が絶えなかったらしい。

 志貴が元の鞘に納まり、心から歓喜の涙を流したのは、有彦だっただろう。

 

終わり?




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