推しキャラの死を受け入れられなかった青年は、ゲーム世界へ転生した。

与えられた能力は「彼女が生き残るまで終わらないループ」。

何度死んでも、何度絶望しても、諦めない。

これは、たった一人の少女を救うために百万回の人生を費やした男の物語。

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推しキャラを救うために百万回ループした、一人の曇らせアンチの物語

 佐藤アキラは、モニターに流れるエンディングムービーを見つめながら深く息を吐いた。

 

 部屋に響くのは、パソコンの冷却ファンの低い駆動音だけ。青白い光が、床に積まれたゲーム雑誌や飲みかけのペットボトルをぼんやり照らしている。

 

 時計は深夜一時を回っていた。だが、そんなことはどうでもよかった。

 

 問題は、画面の中で終わりを迎えた物語だった。

 

『ラスト・オブ・エデン』

 

 三年前に何気なく始めたソーシャルゲーム。

 

 重厚なシナリオと魅力的なキャラクターで人気を博した作品であり、アキラもサービス開始から追い続けてきた古参プレイヤーの一人だ。

 

 そして今、その物語は幕を閉じた。

 

 災厄は討たれ、戦争は終わり、人々は平和を取り戻す。

 

 主人公たちはそれぞれの未来へ歩き出し、旅の苦難は報われた。

 

 誰もが救われる大団円。

 

 ――ただ一人を除いて。

 

「……だからなんでそうなるんだよ」

 

 呟きは静かな部屋に溶けた。

 

 画面の中では、ヒロインのエリスが穏やかに微笑んでいる。

 

 どこまでも優しく、静かな笑顔。

 

 だがアキラは知っていた。それが、生者のものではないことを。

 

 エリスは死んだ。

 

 世界を救うために。仲間たちの未来を守るために。愛する人々が笑って生きられるよう、自らの命を差し出して。

 

 物語としては美しいのかもしれない。実際、SNSには絶賛の声が溢れていた。

 

『最後のエリスの笑顔で泣いた』

 

『神シナリオだった』

 

『これ以上ない完璧な終わり方』

 

『自己犠牲エンドが美しすぎる』

 

 多くのプレイヤーが感動の余韻に浸っている。

 

 だがアキラには受け入れられなかった。

 

 三年間、彼はエリスという少女を見続けてきた。

 

 幼くして両親を失い、それでも誰も恨まず前を向き続けた少女。親友に裏切られ、故郷を焼かれ、それでもなお誰かのために立ち上がり続けた少女。

 

 そんな彼女が、最後には世界のために命を差し出す。

 

 あまりにも救いがなかった。

 

 だから思う。

 

 ――もう十分だろう、と。

 

 これ以上、この子から何を奪うつもりなんだ。

 

「最後くらい幸せになったっていいじゃねえか……」

 

 椅子にもたれながら呟く。

 

 アキラがエリスに惹かれたのは見た目だけではない。

 

 不器用な優しさ。

 

 誰よりも弱いくせに、誰よりも他人のために無茶をするところ。

 

 そういうところが好きだった。

 

 だからエリスが曇らされるたび、本気で腹を立てた。

 

 SNSでは少しばかり有名だった。アカウント名は『曇らせ絶対許さないマン』。

 

『またエリスが曇ってるんだが?』

 

『脚本家に人の心はないのか?』

 

『エリスを幸せにしろ』

 

『もう十分苦しんだだろ』

 

 そんな投稿を繰り返した結果、同じエリス推しの間では半ば名物扱いされている。

 

 そして今日もまた同じだった。

 

 スマホを取り出し、慣れた手つきでSNSを開く。

 

 打ち込んだ言葉は一つ。

 

『エリスを救わせろ』

 

 投稿した瞬間から通知が鳴り始める。

 

 共感のコメントが次々と流れてくるが、気持ちは少しも晴れなかった。

 

 どれだけ文句を言おうと、エリスはもう死んでいる。

 

 画面の向こうで微笑んでいるだけだ。

 

 アキラはスマホをベッドへ放り投げ、立ち上がった。

 

 このままでは眠れそうにない。コンビニで何か買って、夜風に当たろう。

 

 そんな軽い気持ちだった。

 

 上着を羽織り、財布だけを持って部屋を出る。

 

 深夜の住宅街は静かだった。

 

 街灯に照らされた道を歩きながら、アキラはまだエリスのことを考えていた。

 

 もし自分があの世界へ行けたなら、もし物語に介入できたなら、絶対にエリスを死なせたりしないのに。

 

 そんな叶うはずのない妄想をしていた、その時だった。

 

 交差点へ差しかかり、青信号を確認して横断歩道へ踏み出す。

 

 視界の端で異様な光が弾けた。

 

 反射的に振り向く。

 

 大型トラックだった。

 

 こちらへ向かって突っ込んできている。

 

「――え?」

 

 理解するより早く衝撃が襲った。

 

 身体が宙へ投げ出される。

 

 空とアスファルトと街灯の光が入り乱れる中、アキラは不思議なほど冷静だった。

 

 ああ、死ぬんだな。

 

 最後に浮かんだのは家族でも友人でもない。ただ一人の少女だった。

 

「……エリス」

 

 その名を口にした直後、アキラの意識は暗闇へ沈んだ。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 アキラは後になっても、エリスと初めて出会った日のことを忘れられなかった。

 

 王都中央広場。

 

 噴水の前に立つ彼女は、原作そのままの姿だった。

 

 陽光を受けて輝く金髪。澄んだ青い瞳。そして人を安心させる柔らかな笑顔。

 

 何百時間も画面越しに見てきた姿。

 

 それなのに実際に目の前へ現れた瞬間、アキラの頭は真っ白になった。

 

「……エリス」

 

 思わず漏れた声に、少女が不思議そうに首を傾げる。

 

「えっと……私のこと、知ってるんですか?」

 

 胸の奥が熱くなった。

 

 画面の向こうにいた少女が、今こうして自分に話しかけている。

 

 三年間追い続けた推しが、確かにそこにいる。

 

「いや、その……」

 

 言葉が出てこない。

 

 初対面のはずなのに、そんな気がしなかった。

 

「ごめん。ちょっと驚いて」

 

 どうにか笑うと、エリスも小さく笑った。

 

「ふふ、変な人ですね」

 

 その笑顔を見て、アキラは思う。

 

 まだ間に合う、と。

 

 彼女はまだ何も失っていない。

 

 原作で待ち受ける悲劇も、絶望も、まだ訪れていない。

 

 今なら救える。

 

 本気でそう信じていた。

 

 最初の悲劇を防ぐのは簡単だった。

 

 原作第一章。

 

 王都騎士団に潜んでいた内通者の裏切り。

 

 本来ならこの事件でエリスは仲間を失い、後悔を抱えながら旅へ出ることになる。

 

 だがアキラは犯人を知っていた。名前も動機も、隠された証拠の場所も。

 

 だから先回りした。

 

 事件は起こる前に解決した。

 

 裏切りは防がれ、仲間は生き残り、エリスは泣かなかった。

 

 完璧だった。

 

 これならいける。原作を知っている自分なら、すべて防げる。

 

 そう思っていた。

 

 だが運命は、想像以上に悪質だった。

 

 裏切り事件が消えたことで、本来は表に出なかった問題が別の形で噴き出した。

 

 外交関係が悪化し、小競り合いが国境紛争へ発展する。

 

 そして戦争が始まった。

 

 原作には存在しない戦争だった。

 

 炎に包まれた街を前に、アキラは立ち尽くす。

 

 知らない、こんな展開は知らない。

 

 その困惑を嘲笑うように、崩れた建物がエリスの上へ落下した。

 

 血が舞う。

 

 少女の姿が瓦礫の下へ消える。

 

 アキラは声も出せなかった。

 

 次の瞬間、世界が暗転した。

 

 目を覚ますと、そこは王都の宿屋だった。

 

 第一話と同じ朝、同じ部屋、同じ時間。

 

 そして――生きているエリス。

 

 しばらく天井を見つめたまま動けなかった。

 

 夢ではない。

 

 本当に戻っている、本当にループしたのだ。

 

 そして理解する。

 

 これはゲームではない。

 

 原作知識だけで攻略できる物語でもない。

 

 運命そのものが、エリスを死へ導こうとしている。

 

 だが、だからどうした。

 

 アキラは立ち上がった。

 

 一度失敗しただけだ、二度目がある。三度目も四度目もある、何度だってやり直せる。

 

 なら、いつか必ず辿り着けるはずだ。

 

 エリスが生き残る未来へ。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 十回目のループで、アキラはついに戦争そのものを防いだ。

 

 外交関係の悪化を招く事件を潰し、裏で糸を引いていた貴族たちの不正も暴く。その結果、国境の緊張は解け、本来なら戦火に包まれるはずだった地域も平穏を保った。

 

 今度こそ成功だと思った。

 

 エリスは元気だった。仲間たちも生きている。

 

 誰も死んでいない。

 

 これで終わるはずだった。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 王都で原因不明の疫病が流行した。原作には存在しない災厄だった。

 

 最初は数人の体調不良だったものが、瞬く間に街全体へ広がる。

 

 当然、エリスは動いた。

 

 苦しむ人々を見捨てられる少女ではない。

 

 昼も夜もなく患者の元を回り、自らの身を顧みず治療を続けた。

 

 そして最後には、自分が倒れた。

 

 アキラが解毒薬を完成させた時には、すでに遅かった。

 

 ベッドの上で苦しげに息を吐きながら、それでもエリスは微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、アキラは初めて感情を爆発させた。

 

「大丈夫なわけあるか!」

 

 エリスは目を丸くし、それから少し困ったように笑った。

 

 それが最後だった。

 

 次の瞬間、世界は暗転した。

 

 気付けば宿屋のベッドの上。

 

 十一回目の朝だった。

 

 それからも失敗は続いた。

 

 暗殺、魔物の暴走、崩落事故、誘拐、飛竜災害、侵略戦争。

 

 どれだけ未来を変えても、どれだけ悲劇を潰しても、エリスは必ず死んだ。

 

 まるで世界そのものが、彼女の生存を拒んでいるかのように。

 

 百回目を超えた頃には、原作知識だけでは足りないと理解していた。

 

 だから学んだ。

 

 剣術、魔法、歴史、政治、経済、暗殺術、貴族社会の権力構造。

 

 一度死ねば肉体は失われるが、それでも知識だけは積み重なる。

 

 学ばない理由はなかった。

 

 百年分の人生を重ねる頃には、アキラはもはや普通の人間ではなくなっていた。

 

 それでも届かない、どれだけ強くなっても届かない。

 

 エリスだけが救えない。

 

 五百回目のループで、アキラは原作そのものを崩壊させた。

 

 本来出会うはずの仲間を引き離し、戦争を未然に潰し、黒幕を物語の始まる前に始末した。

 

 もはや原作の面影すら残っていない。

 

 そこまでやれば運命も変わると思った。

 

 だが結果は同じだった。

 

 平和な街道を歩いていたエリスは、落石事故で死んだ。

 

 本当に、それだけだった。

 

 戦争も陰謀もない、魔王も黒幕も関係ない。

 

 ただ石が落ちてきた。

 

 それだけで終わった。

 

 アキラはしばらく動けなかった。

 

 何百回も積み重ねた努力が、たった一つの偶然で消え去ったからだ。

 

 そして理解した。

 

 世界は原因を求めているわけではない、結果だけを求めている。エリスが死ぬという結果だけが固定されているのだと。

 

 その頃から、アキラは笑わなくなった。

 

 ループのたびに新しい人生を送った。

 

 友人ができた、家族ができた、恋人ができたこともあった。

 

 だが、すべて途中で手放した。

 

 エリスを救えなければ意味がない。

 

 そう考えるようになっていた。

 

 千回目のループを迎える頃には、自分が何歳なのかも分からなくなっていた。

 

 積み重ねた人生は、すでに数万年を超えている。

 

 それでも諦められなかった。

 

 宿屋の窓から見える王都の景色は、初めてこの世界へ来た日と何も変わらない。

 

 変わったのはアキラだけだった。

 

 彼の中に残っているものは、もう一つしかない。

 

 エリスを救う。

 

 その執念だけだった。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 いつからだったのか、アキラ自身にも分からなかった。

 

 エリスを救うためにループを重ねるうち、少しずつ何かが変わっていた。

 

 最初の頃、彼にとって重要だったのは攻略だけだった。

 

 どの事件が起こるのか、誰が死ぬのか、どの選択をすれば被害を減らせるのか。

 

 頭の中を占めていたのは、そんな情報ばかりだった。

 

 エリスもまた、「救うべきヒロイン」の一人でしかなかった。

 

 だが、それは長く続かなかった。

 

 どれだけ完璧な手順を組み立てても、エリスは死ぬ。

 

 どれだけ未来を変えても、結末だけは変わらない。

 

 ならせめて。

 

 生きている間だけでも幸せでいてほしい。

 

 そう考えるようになったのは、いつ頃からだっただろう。

 

 あるループでは、収穫祭へ一緒に出掛けた。

 

 本来なら調査に使うはずだった一日だった。

 

 それでも、その時のアキラはエリスを祭りへ連れて行きたかった。

 

 色とりどりの屋台、響く笑い声。

 

 賑わう広場の中で、エリスは子供のようにはしゃいでいた。

 

「見てください、アキラさん!」

 

 焼き菓子の袋を抱えながら、楽しそうに手を振る。

 

「このお店、すごくいい匂いがするんです!」

 

「さっきも同じこと言ってただろ」

 

「だって本当にいい匂いなんですもん」

 

 頬を膨らませる姿が可笑しくて、アキラは思わず笑った。

 

 その時のエリスは英雄でも聖女でもなかった。世界を救う運命を背負ったヒロインでもない。

 

 ただの少女だった。

 

 それが嬉しかった。

 

 また別のループでは、二人で長い旅をした。

 

 急げば数日で着く道を、わざと遠回りする。

 

 森を抜け、川を渡り、小さな村へ立ち寄る。宿屋で食事をして、焚き火を囲みながら星を眺める。

 

 そんな時間が好きだった。

 

「アキラさんって、不思議な人ですよね」

 

 ある夜、焚き火の向こうでエリスが言った。

 

「どうして?」

 

「時々、すごく遠くを見るような顔をするんです」

 

 胸が小さく跳ねた。

 

 何千回も繰り返した人生のことなど話せるはずがない。

 

 彼女の死を、何度見送ったかも。

 

「気のせいだよ」

 

「そうでしょうか」

 

 エリスは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。

 

 代わりに夜空を見上げながら呟く。

 

「でも、アキラさんと一緒にいると安心するんです」

 

 その言葉が胸に刺さった。

 

 彼女は知らない。

 

 収穫祭を歩いたことも、旅をしたことも、雨宿りをしたことも、笑い合ったことも。

 

 すべて忘れている。

 

 覚えているのはアキラだけだった。

 

 どれだけ大切な時間を積み重ねても、ループが終われば消えてしまう。

 

 次の人生でエリスはまた初対面の笑顔を向けてくる。

 

 最初の頃は苦しかった。

 

 何年もかけて築いた信頼が、一瞬で失われることが。

 

 思い出が最初から存在しなかったことになることが。

 

 だが、やがて慣れた。慣れてしまった。

 

 そしてある時、ふと気付いた。

 

 自分はもう「推しキャラ」を救おうとしているわけではない。

 

 画面の向こうにいたヒロインを救いたいのではない。

 

 エリスを救いたいのだ。

 

 泣き虫で、少し頑固で、誰かのために無茶をして、焼き菓子が好きで、困っている人を放っておけなくて、笑うと少しだけ目尻が下がる。

 

 そんな一人の少女を。

 

 気付いた瞬間、アキラは動けなくなった。

 

 それは認めたくなかった感情だった。

 

 認めてしまえば、この恋は最初から叶わない。

 

 何千回一緒に過ごしても、エリスにとってアキラは出会って数ヶ月の友人でしかない。

 

 積み重ねた時間が違いすぎる。

 

 覚えているのは自分だけだ。

 

 それでも。

 

 それでもアキラは、彼女と過ごす時間をやめられなかった。

 

 どうせ次のループで消えてしまうとしても。

 

 また忘れられるとしても。

 

 少しでも笑ってくれるなら、それでよかった。

 

 だから今日も王都の広場へ向かう。

 

 そこには何も知らないエリスがいる。

 

 初めて会った時と同じ笑顔で、初めて会った時と同じ声で。

 

「こんにちは」

 

 そう言って。

 

 アキラもまた、何千回目になるかも分からない出会いを繰り返すのだった。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 十回や百回ではない。

 

 千回でも、一万回でもない。

 

 アキラはもう、自分が何回ループしたのか覚えていなかった。

 

 最初の頃は記録をつけていた。

 

 どの選択が失敗だったのか、どの事件が悲劇を招いたのか、誰が鍵を握っているのか。

 

 そうして情報を整理し、次の人生へ活かそうとしていた。

 

 だが、その作業もいつしか意味を失った。

 

 知識は十分すぎるほど集まっていた。

 

 歴史も、政治も、魔法も、戦術も。もはやこの世界の誰より理解していると言っていい。

 

 それでも結果だけは変わらなかった。

 

 エリスは死ぬ。

 

 どんな未来でも、どんな人生でも、必ず。

 

 ある時は病で、ある時は戦場で、ある時は暗殺で、ある時は事故で。

 

 寿命を全うしたことすらあった。

 

 それでも最後には世界を救うために命を差し出していた。

 

 結末だけが変わらない。

 

 何十万回もの人生を重ねた末に、アキラは一つの違和感へ辿り着いた。

 

 死因ではない、死ぬ場所でもない、死ぬ時期でもない。

 

 もっと根本的なものだった。

 

 どんな歴史でも、最後には必ず災厄が現れる。

 

 形は違う。原因も規模も違う。

 

 それでも世界を滅ぼす何かが現れ、そのたびにエリスが命を差し出す。

 

 そこだけは一度も変わらなかった。

 

 まるで世界そのものが、その結末を求めているように。

 

 その仮説を抱いてから、アキラは研究に没頭した。

 

 エリスを救うためではない。

 

 世界の仕組みを知るために。

 

 神話を調べた、禁書を読み漁った、失われた遺跡を巡った、封印された魔導書を解析した、歴代英雄の記録を追い続けた。

 

 そのために何度も死んだ。何百年も費やした。

 

 それでも調べ続けた。

 

 そして――数十万回目の人生で、ついに答えへ辿り着く。

 

 世界の最果て、神代の遺跡。

 

 そこに刻まれた古代文字を解読した瞬間、アキラは長い沈黙の後で笑った。

 

「そういうことかよ……」

 

 掠れた声が石造りの空間に響く。

 

 そこに記されていたのは、この世界の成り立ちだった。

 

 遥かな昔。

 

 世界は一度、滅びかけた。

 

 あらゆる生命を呑み込む終末の災厄によって。

 

 それを止めたのは一人の少女だった。少女は自らを犠牲にし、世界を存続させた。

 

 だが災厄は消えていない、封じられただけだ。

 

 封印はいずれ弱まる。

 

 そして再び、同じ役目を担う者が必要になる。

 

 世界を支える楔、災厄を封じるための生贄、その役割を受け継ぐ存在。

 

 それが――エリスだった。

 

 アキラは動けなかった。

 

 理解したくなかった。

 

 だが理解してしまった。

 

 世界が彼女の死を必要としている。

 

 それがすべてだった。

 

 戦争を止めても、病を防いでも、暗殺を阻止しても、事故を回避しても。

 

 世界は必ず別の道を用意する。

 

 最後にエリスを犠牲へ辿り着かせるために。

 

 アキラは壁にもたれ、そのまま座り込んだ。

 

 乾いた笑いが漏れる。

 

 何十万回も人生を費やした。

 

 何十万回も足掻いた。

 

 その答えがこれだった。

 

 最初から勝てない。

 

 世界そのものが敵だったのだから。

 

「ふざけるなよ」

 

 神か、運命か、世界そのものか。

 

 誰へ向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 

「なんであいつなんだよ」

 

 エリスは優しかった。

 

 誰かのために泣ける人間だった。自分より他人を優先してしまう人間だった。

 

 だから選ばれたのだろう。

 

 だから犠牲になれるのだろう。

 

 そんな理屈を認められるはずがなかった。

 

 拳を握る。

 

 血が滲むほど強く。

 

 それでも怒りは収まらない。

 

 ――その時だった。

 

 視線が遺跡の最奥へ向く。

 

 崩れかけた石碑。

 

 先ほどまでは見落としていた一節。

 

 そこには、こう刻まれていた。

 

 ――楔は継承可能である。

 

 アキラは目を見開いた。

 

 心臓が大きく脈打ち、震える指で続きを追う。

 

 ――資格を持つ魂が存在するならば。

 

 ――世界を支える役割は移譲できる。

 

 ――代償は同等の魂一つ。

 

 呼吸が止まった。

 

 遺跡には誰もいない。

 

 その沈黙の中で、アキラは石碑を見つめ続ける。

 

 長い、長い時間。

 

 やがて。

 

「……なんだ」

 

 小さな声が漏れた。

 

 笑いにも似ていた。

 

 安堵にも似ていた。

 

 あるいは諦めだったのかもしれない。

 

「最初から、俺が代わればよかったのか」

 

 その呟きは静かな闇へ溶けていく。

 

 数十万回探し続けた答えは、あまりにも単純だった。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 百万回目だった。

 

 少なくともアキラはそう数えていた。

 

 本当は途中で何度も間違えているかもしれない。

 

 何千年も生きた人生もあれば、一日で終わった人生もあった。

 

 それでも、この人生を百万回目と呼ぶことにした。

 

 もう終わりにすると決めていたからだ。

 

 王都の広場では収穫祭の準備が進んでいた。

 

 見慣れた光景だった。見飽きるほど見てきた光景だった。

 

 それでも嫌いにはなれない。

 

 職人たちの声、子供たちの笑い声、甘い菓子の匂い、夕日に染まる石畳。

 

 そのすべてが、エリスの生きる世界だった。

 

「アキラさん?」

 

 聞き慣れた声に振り返る。

 

 そこにはエリスがいた。

 

 初めて会った日と同じ笑顔。

 

 けれどアキラにとっては違う。

 

 何十万回も見てきた笑顔だった。

 

 泣き顔も、怒った顔も、眠そうな顔も、死にゆく顔も。

 

 全部知っている。

 

「どうかしました?」

 

「いや」

 

 アキラは小さく笑った。

 

「なんでもない」

 

 もちろん嘘だった。

 

 この時間の一秒一秒が惜しかった。

 

 もう二度と訪れない時間だから。

 

 この人生が終われば、すべて終わる。

 

 次のループはない。

 

 だからその日、アキラはエリスと過ごした。

 

 特別なことは何もしない。

 

 一緒に祭りを歩く。

 

 焼き菓子を買う。

 

 他愛もない話をする。

 

 夕暮れの広場を並んで歩く。

 

 何十万回も繰り返した時間だった。

 

 それでも最後だと思うと、何もかもが違って見えた。

 

 エリスは今日もよく笑った。

 

 他人の心配ばかりしていた。

 

 困っている人を見かけるたびに立ち止まった。

 

 そんな姿を見ながら、アキラは思う。

 

 やっぱり好きだな、と。

 

 最初は推しだった。

 

 救われてほしいキャラクターだった。

 

 だが今は違う。

 

 ずっと昔に違っていた。

 

 エリスはエリスだ。

 

 誰とも代われない、一人の少女だ。

 

 だから救いたかった。

 

 理由なんて、それだけで十分だった。

 

 数日後。

 

 運命の日が訪れる。

 

 世界の果てで封印が崩壊し、災厄が姿を現した。

 

 空が裂ける。

 

 大地が軋む。

 

 世界中から悲鳴が響く。

 

 何十万回も見てきた終わりの光景。

 

 そしてエリスは前へ出る。

 

 世界を救うために。

 

 自分を犠牲にするために。

 

 それが彼女の運命だった。

 

 ――だが、今回は違う。

 

「駄目です!」

 

 エリスが叫ぶ。

 

 彼女の前にはアキラが立っていた。

 

 本来ならエリスが立つはずだった場所。

 

 世界を支える楔となる祭壇の中心。

 

 そこにいるのはアキラだった。

 

「どいてください!」

 

 声が震えている。

 

「私がやらなきゃいけないんです!」

 

 アキラは答えない。

 

 ただ静かに彼女を見る。

 

 きっとこれが最後だ。

 

「どうしてですか!」

 

 エリスの瞳から涙が零れる。

 

「どうしてそんなことをするんですか!」

 

 当然だった。

 

 彼女は何も知らない。

 

 ループのことも。

 

 運命の真相も。

 

 アキラが費やした気の遠くなる時間も。

 

 知らなくていい。

 

 そんなものを背負わせたくなかった。

 

 だからアキラは笑う。

 

 できるだけ優しく。

 

 いつものように。

 

「アキラさん……」

 

 伸ばされた手を見る。

 

 一瞬だけ迷った。

 

 全部話してしまいたくなる。

 

 今までのことを。

 

 どれだけ救いたかったかを。

 

 どれだけ好きだったかを。

 

 けれど、それは違うと思った。

 

 それは自分のための言葉だ。

 

 エリスのためじゃない。

 

 だから。

 

「エリス」

 

 彼女が顔を上げる。

 

 涙で濡れた瞳が、まっすぐこちらを見ていた。

 

「俺さ」

 

 一度だけ息を吐く。

 

 そして。

 

「好きだから」

 

 エリスの瞳が大きく見開かれた。

 

 アキラは少しだけ笑う。

 

 それで十分だった。

 

 次の瞬間。

 

 祭壇が眩い光を放つ。

 

 世界を支える楔が移譲される。

 

 エリスから。

 

 アキラへ。

 

 膨大な力が流れ込む。

 

 存在そのものが世界へ溶けていく。

 

 不思議と痛みはなかった。

 

 ただ穏やかだった。

 

 視界が白く染まる。

 

 身体の感覚が消えていく。

 

 意識が遠のいていく。

 

 その最後の瞬間。

 

 アキラは泣き叫ぶエリスを見た。

 

 そして初めて思った。

 

 ――ああ。

 

 救えたんだな。

 

 それが最後だった。

 

 佐藤アキラという存在は、その瞬間に消滅した。

 

 名前も。

 

 記録も。

 

 魂も。

 

 何も残らない。

 

 ただ一つ。

 

 エリスが生きているという結果だけを残して。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 世界は救われた。

 

 災厄は消え去り、長く人々を脅かし続けた終末の影も消滅した。

 

 戦争はなくなった。

 

 飢えに苦しむ者も減った。

 

 人々は未来を語り、子供たちは明日を信じて眠りにつく。

 

 誰もが望んだ平和だった。

 

 そしてエリスもまた、生きていた。

 

 本来なら世界を救う代償として命を失うはずだった少女は、その運命から解放されている。

 

 友人たちと笑い合い。

 

 祭りを楽しみ。

 

 季節の移ろいを当たり前のように迎える。

 

 そんな日々を生きていた。

 

 それは、かつてアキラが願い続けた光景だった。

 

 何十万回も。

 

 何百万回も。

 

 ただ一度、この未来を見るために。

 

 仲間たちも生きている。

 

 失われるはずだった命は失われず、訪れるはずだった別れも訪れなかった。

 

 誰もが未来へ歩いていく。

 

 物語として見れば、これ以上ないほど幸福な結末だった。

 

 けれど。

 

 その結末へ至るまでの道程を知る者は、もう誰もいない。

 

 アキラという青年がいたことは記録に残っている。

 

 世界を救った英雄として語る者もいる。

 

 だが、それだけだ。

 

 彼が何を積み重ねてきたのか。

 

 何を失ってきたのか。

 

 何を願い続けてきたのか。

 

 知る者はいない。

 

 百万回。

 

 その数字の中には、数え切れない人生があった。

 

 出会いがあった。

 

 別れがあった。

 

 笑った日も、泣いた日もあった。

 

 絶望したこともあった。

 

 諦めそうになったこともあった。

 

 それでも彼は歩き続けた。

 

 たった一人の少女を救うために。

 

 その軌跡は、もうどこにも残っていない。

 

 記録にも。

 

 歴史にも。

 

 人々の記憶にも。

 

 まるで最初から存在しなかったかのように。

 

 ある春の日。

 

 王都では今年も収穫祭が開かれていた。

 

 賑わう広場を歩いていたエリスは、ふと足を止める。

 

 理由は分からない。

 

 ただ、人混みの向こうに誰かを見た気がした。

 

 顔は思い出せない。

 

 名前も分からない。

 

 声も知らない。

 

 それなのに。

 

 胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

 懐かしいような。

 

 寂しいような。

 

 そんな感覚だった。

 

「エリス?」

 

 仲間に呼ばれ、彼女は振り返る。

 

「どうしたの?」

 

「……ううん」

 

 エリスは小さく首を振った。

 

「なんでもない」

 

 そう言って笑う。

 

 優しい笑顔だった。

 

 誰も不幸にならない笑顔。

 

 かつて一人の青年が守り抜こうとした笑顔だった。

 

 エリスは再び歩き出す。

 

 仲間たちの待つ場所へ。

 

 平和な未来の中へ。

 

 もう振り返ることはない。

 

 その必要がないからだ。

 

 彼女は救われた。

 

 だから、それでいい。

 

 たとえ誰にも知られなくても。

 

 たとえ誰にも覚えられなくても。

 

 たった一人の人生が、そのために費やされたとしても。

 

 きっと彼は後悔しなかっただろう。

 

 もしもう一度最初からやり直せたとしても。

 

 きっと同じ道を選ぶ。

 

 同じように足掻き。

 

 同じように苦しみ。

 

 そして最後には、自分のすべてを差し出す。

 

 ただ一人の少女を救うために。

 

 それが佐藤アキラという人間だった。

 

 世界のどこにも記録されなかった百万回の人生。

 

 誰にも語られることのなかった恋。

 

 誰にも知られることのなかった願い。

 

 そのすべてを胸に抱いたまま、一つの物語は静かに幕を閉じる。

 

 ――これは、推しキャラを救うために百万回ループした、一人の曇らせアンチの物語である。

 


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