書いていたら独白ってよりは回想っぽかったのでもしかしたら題名を変えるかも知れませんがご了承ください。
今回も独自設定や独自解釈が多いです。
私が高度育成高等学校に入学し、Cクラスの教室へ足を踏み入れた時に抱いた感想は、正直なところ拍子抜けだった。
全国から優秀な生徒が集まる学校。
そんな話を聞いていたから、もっと真面目で落ち着いた空気を想像していた。
けれど、最初に目についた男子たちは、いかにも不良といった雰囲気の連中ばかりだった。椅子にだらしなく座り、大声で笑いながら、初対面の相手を遠慮なく値踏みするように眺めている。
本当にここ、全国から優秀な生徒が集まる学校なの?
思わず、そんなことを考えてしまった。
一方で、女子は普通だった。
何人かと話してみると、思っていたより話しやすい子が多く、少し安心した。もちろん、最初から人と馴れ合う気のなさそうな子もいたけれど、そんな子はどこにでもいる。
とりあえず、普通にはやっていけそうだった。
それから、一人十万ポイントが支給された時には驚いた。
更に驚いたのは学校の施設。学食や売店だけじゃない。ジム、カラオケ、映画館まであり、ショッピングモールのような場所まである。
まるで外の世界から切り離された、一つの街みたいだった。
放課後に校内を見て回るだけでも楽しくて、ここでの三年間はきっと退屈しない。
あの頃の私は、本気でそう思っていた。
けれど、そんな楽しい空気は少しずつ変わっていった。
最初に違和感を覚えたのは、男子だった。
気づけば、腕や顔に傷を作っている男子が増えていた。授業中に騒いでいた連中も、いつの間にか大人しくなっている。
真面目になったというより、目立たないように息を潜めているようだった。
喧嘩でもしたのか。教師に注意されて、少し大人しくなっただけなのか。
当時の私は、それ以上深く考えなかった。
そんな男子たちが、久しぶりに騒がしくなった日がある。
プールの授業だった。
更衣室を出てプールサイドへ向かうと、男子の視線がやけにこちらへ集まっていることに気づいた。
胸元を隠すように腕を寄せる子もいれば、前だけを見て足早に通り過ぎる子もいる。誰も何も言わなかったけれど、気にしていないわけではなさそうだった。
それでも男子たちは、遠慮なくこちらを見ていた。
「何見てんの。気持ち悪いんだけど」
気づいた時には、口にしていた。
一瞬だけ、プールサイドが静まり返る。
男子たちは気まずそうに目を逸らし、何人かは誤魔化すように笑った。全員が見るのをやめたわけではなかったけれど、少なくとも前ほど露骨に視線を向けてくる奴は減った。
授業後、更衣室へ戻ると、山下沙希がすぐに近づいてきた。
「さっきは凄かったね」
「何が?」
「男子に言ったやつ。あれ、言ってくれてスッキリした」
「別に。嫌だと思ったから言っただけだけどね」
「それでも言えないって。ね、菜々美もそうでしょ?」
沙希に話を振られ、隣にいた藪菜々美が少し気まずそうに頷いた。
「うん。私も嫌だったけど……男子、ちょっと怖いやつが多くて」
そんな会話をしていると、少し離れたところにいた女子と目が合った。
おとなしい雰囲気の子で、さっきから何度もこちらを窺っている。
それに気づいた菜々美が手招きした。
「諸藤さんも、こっち来なよ」
「え……」
「大丈夫だって」
諸藤リカは少し迷ってから、おずおずと近づいてきた。
「あの……私も言ってもらえて、安心した」
消え入りそうな声だった。
「ずっと見られてるの、嫌だったから」
「ほら、やっぱりみんな嫌だったんじゃん」
沙希がそう言って、改めて私を見る。
「真鍋さんが言ってくれなかったら、たぶん誰も何も言えなかったよ」
「大げさ。私はただ思ったことを言っただけだから」
「それでも言えるのがすごいんだって」
沙希は笑って、それから何かを思いついたように私を見た。
「これからも困ったことがあったら、真鍋さんを頼っちゃおうかな」
「勝手に決めないでよ」
「でも、頼りになるし」
「私もそう思う」
菜々美まで笑いながら頷く。
思わずため息が漏れた。
「……まあ、聞くだけなら聞いてあげる」
そう言うと、三人が一斉に笑った。
その笑いにつられて、リカも少しだけ口元を緩める。
それが、私たち四人の始まりだった。
それから昼休みには自然と同じ机を囲むようになり、移動教室も一緒に歩いた。放課後にはモールをぶらぶらしたり、カフェで他愛もない話をしたり、たまにはカラオケへ行くこともあった。
ある日の放課後も、私たちはモールを一通り見て回り、そろそろ寮へ戻ろうとしていた。
「ちょっと待って」
モールの入り口で、沙希がスマホを取り出す。
「せっかくだし写真撮ろうよ」
「えー、急すぎ」
そう言いながらも、みんな自然と肩を寄せ合う。
「志保、もっとこっち」
「近いって」
「はい、笑ってー!」
パシャッ、とシャッター音が鳴る。
撮れた写真をみんなで覗き込む。
「私、これ変な顔してる」
「いや、菜々美の方がひどいって」
「ちょっと、何で私なの?」
そんなやり取りで笑い合い、結局もう一度撮り直す。
たくさん笑って、たくさん話した。
今思えば、あの頃が一番楽しかったのかもしれない。
この学校でも、自分の居場所は作れる。
私はここでもやっていける。
そう思っていた。
状況が変わったのは、五月一日。
クラスポイント制度について、担任から説明が行われた日だった。
毎月十万ポイントが支給されると思っていた私たちに、今月分として振り込まれたポイントはほとんどなかった。
教室中から不満と戸惑いの声が上がる。
自分たちの行動によってクラスポイントが減り、それが支給されるプライベートポイントにも影響する。
それだけじゃない。
この学校ではクラス同士が競い合い、上のクラスを目指すことになる。
普通の高校生活を送るだけだと思っていた私たちは、何をどう受け止めればいいのかさえ分からなかった。
担任の説明が終わっても、教室のざわめきは収まらない。
その空気を断ち切るように、一人の男子が声を上げた。
「 今日から俺がこのクラスの王だ。黙って従えば、Aクラスに連れて行ってやる。文句がある奴はいねぇよな」
龍園だった。
まるで、最初から決まっていたことを告げるような口ぶりだった。
教室が静まり返る。
周囲を見ると、喧嘩が強そうな男子たちは、誰一人として反論しなかった。
いや、反論しないんじゃない。
できないんだ。
すでに力で従わせたのか。それとも、最初から龍園につくつもりだったのか。そこまでは分からない。ただ、男子の間ではもう話がついているように見えた。
一方で、女子は違った。
「え……?」
「どういうこと?」
戸惑った声があちこちから漏れる。突然そんなことを言われて、大半が混乱していた。けれど、誰も何も言おうとはしない。その光景が、少し前のプールサイドと重なった。
気づけば、私は口を開いていた。
「何、勝手に決めてんの?」
教室中の視線が、一斉に私へ集まる。
「仕切るみたいなこと言ってるけど、いきなりそんなこと言われて認められるわけないでしょ」
龍園は答えなかった。椅子にもたれたまま私を見つめ、口元だけをゆっくりと吊り上げる。獲物を見つけたような笑い方だった。やがて龍園は立ち上がり、ゆっくりと私の席まで歩いてきた。
その足音だけが、やけに大きく聞こえる私は睨み返した。ここで目を逸らしたら、負ける気がしたから。
次の瞬間だった。
髪を乱暴に掴まれ、無理やり顔を上げさせられる。
「痛っ……!」
腕を掴んでも、びくともしない。
目の前に龍園の顔があった。
その目を見た瞬間、背筋が凍った。
「俺は女にも容赦しねぇ」
低い声だった。怒鳴っているわけじゃない。それなのに、その一言だけで十分だった。
今まで私が男子相手にも強く出られたのは、相手が本気では殴ってこないと分かっていたからだ。
睨まれることはあっても、言い返されることはあっても、本気で暴力を振るう奴はいなかった。
けれど、龍園は違う。
こいつは躊躇なく女子にも手を出す。
その事実を前にして、初めて自分がどうしようもなく弱い立場なのだと思い知らされた。
視線だけを動かして周囲を見る。
さっきまで戸惑いの声を上げていた女子たちも、誰一人として口を開けずにいた。
やがて髪を掴んでいた手が、乱暴に離される。
私はよろめきながら後ろへ下がり、乱れた髪を押さえた。
教室は静まり返っていた。
誰も動かない。
誰も龍園と目を合わせようとしない。
「他に文句がある奴はいるか?」
龍園が教室を見回す。
返事をする者はいなかった。
逆らえばどうなるか、今ので全員が分かってしまったからだ。
「……くだらない」
不意に、教室の奥から声がした。
伊吹澪だった。
席に座ったまま、まっすぐ龍園を睨んでいる。
龍園がそちらへ顔を向けた。
「何か言ったか、伊吹」
「聞こえなかった?」
伊吹はゆっくりと立ち上がった。
「女子一人脅して、偉そうにしてるのがくだらないって言ったの」
教室の空気が、さらに張り詰める。
やめた方がいい。
私はそう思った。
こいつは女相手でも本当に手を出す。
けれど、伊吹は龍園から目を逸らさなかった。
「お前も俺に文句があるらしいな」
「当たり前でしょ。アンタの言うことを聞くつもりなんてない」
「なら、どうする?」
「こうするのよ」
言い終わるより早く、伊吹が床を蹴った。
一気に龍園との距離を詰める。
拳をかわされても止まらない。
続けざまに蹴りを放ち、さらに踏み込む。
次の瞬間、龍園の腹へ拳が入った。
伊吹が押している。
そう思った直後だった。
鈍い音が教室に響く。
「っ……!」
龍園の拳を受け、伊吹の身体が折れ曲がった。
それでも伊吹は止まらない。
腕を振り上げようとしたところを龍園が強引に引き寄せ、そのまま膝を叩き込む。
伊吹の身体が床へ崩れ落ちた。
誰かが小さく悲鳴を上げる。
それでも伊吹は、震える腕を床についた。
「……まだよ」
立ち上がろうとした肩を、龍園が足で押さえつける。
「もう分かっただろ」
見下ろす声は冷たかった。
「お前じゃ俺には勝てねぇよ」
伊吹は苦しそうに息をしながら、それでも龍園を睨み返した。
「……私は、アンタなんかに従わないから」
龍園はしばらくその顔を見下ろし、やがて鼻で笑った。
「その目は嫌いじゃねぇ」
肩から足をどけると、龍園は教室全体を見回す。
「他に文句がある奴はいるか?」
声をあげるものは誰もいなかった。
私は、床に倒れた伊吹をただ見つめる。力の差は、誰の目にも明らか。それでも、最後まで頭を下げなかった。
私は怖くて、何もできなかったのに。
その事実が、何故か悔しかった。
その日を境に、クラスは龍園が支配することになった。
最初は、逆らえば何をされるか分からないという恐怖から、みんな従っていたのだと思う。
けれど、それだけではない。クラス同士で争い、Aクラスを目指す。
そんなことを突然聞かされても、私たちには何をすればいいのか分からなかった。それまで普通に学校生活を送っていただけの私たちに、すぐ答えを出せるはずもない。
けれど、龍園だけは迷わなかった。
正しいかどうかなど関係なく、自分で方針を決め、クラス全員へ指示を出した。どう動けばいいのかも分からないという戸惑いを抱えている者は一人、また一人と龍園の指示に従うようになっていった。
私も同じだった。
あいつのやり方を認めたわけじゃない。
ただ、クラス競争や赤点による退学など、様々な不安で立ち止まったままでいるよりは、龍園に任せた方がまだマシなのかもしれない。
そう思うしかなかった。
けれど、指示に従うことが増えるほど、別の不安も膨らんでいった。
この男は、勝つためなら本当に何でも命令するということがわかってきたからだ。
それ確信に変わったのが、Dクラスに仕掛けた暴力事件だった。
事件が発覚した時、石崎たちは揃って顔に痣を作っていた。
最初は、須藤と揉み合った時にできた傷だと思っていた。
けれど、違った。
後になって、龍園の指示でつけられた傷だと知った。須藤が一方的に過剰な暴力を振るったように見せるため。
事件を成立させるため。
石崎たちは、自分から仲間に殴られ、傷を作った。その話を聞いた時、背筋が寒くなった。
敵を傷つけるだけじゃない。
必要なら、自分に従う味方まで平気で傷つける。
龍園にとっては、仲間すら勝つための駒でしかない。
そう思えてならなかった。
同時に、別の不安も頭をよぎるようになった。
現在、危険な役目を背負わされているのは、ほとんどが男子であることだ。
もちろん、危険な役目をやりたいわけではないが、最近、男子が命令を受けて動いていることが多い。特に今のやり方を見ていると、これからも女子に役割が回ってくること自体少ないのかもしれない。
ただ、このまま男子だけが危険な役目を引き受け続けたら。
いつか、こんな声が上がるんじゃないか。
――俺たちはこれだけやってるのに、女子は何もしてない。
そうなるとクラス内での女子は肩身が狭くなり、発言力も失う。
それどころか不満を、利用されて、
「今まで何もしてこなかったんだ。このくらいはやってもらわねぇとな」
そんな一言で、かなり理不尽な役目を押しつけられるかもしれないし、最悪の場合、それは捨て駒のような役割かもしれない。
そんな心配が、日に日に大きくなっていった。
対策を考えるうちに、自然と一人の女子の顔が浮かんでいた。
伊吹澪。
龍園に真正面から逆らい、叩きのめされても折れなかった女子だ。
あれ以来も、伊吹は何度となく龍園に噛みついていた。
結局は言うことを聞かされることもあったが、他のみんなみたいに最初から諦めて従うことだけはしなかった。
不思議だった。
何度反抗しても、龍園は伊吹を遠ざけなかった。むしろ、その反抗すら面白がっているように見えた。クラスが龍園の指示で動くことが増えるにつれ、その印象は確信へと変わっていく。
龍園は何かと伊吹を近くに置いていた。
少なくとも、他の女子とは違う。
龍園に意見をぶつけても、簡単には切り捨てられない。むしろ、反抗するたびに存在を認められているようにさえ見えた。
このままいけば、女子の中で一番龍園に近い立場になるのは伊吹かもしれない。
だったら、その立場を女子のために使ってもらえないだろうか。
そう思い、私は放課後の教室で伊吹を呼び止めた。
「伊吹、少し話せる?」
放課後の教室で声を掛けると、帰り支度を終えた伊吹が鞄を手にしたまま振り返った。
「何?」
まだ残っている生徒へ目を向け、私は少し声を落とす。
「最近、龍園に呼ばれること多いよね」
「それが?」
「この先、女子の中で一番龍園に近い立場になるのは、たぶんあんただと思う」
「冗談じゃない。あいつに気に入られた覚えなんてない」
「でも、龍園が女子の中で近くに置いてるのは、今のところあんたでしょ」
伊吹は否定せず、続きを促すように私を見た。
「もしこの先、龍園に近い立場になるなら、女子のことを気にかけてほしいの。意見を言える人が一人いるだけでも、無茶な命令は減ると思うから」
「嫌」
即答だった。
「……どうして?」
「面倒だから」
「あんたばかりに頼るつもりはない。必要な時は、私たちもあんたの味方になるから」
「いらない」
伊吹は鞄を肩へ掛け直した。
「私は誰かに助けてもらうつもりもないし、誰かを助けるつもりもない」
それだけ言うと、私の横を通り過ぎていく。
「伊吹」
呼び止めても、足は止まらなかった。
そのまま教室を出ていく背中を、私は黙って見送るしかなかった。
あいつも龍園のやり方に不満を抱いていたから協力できると思っていた。でもそんな私の期待はあっさりと裏切られてしまった。
もう伊吹を頼るのはやめよう。
そう思った私は、他の女子へ声を掛けることにした。
昼休み、近くの席の女子へ話しかける。
「何かあった時のために、女子同士で協力できるようにしておかない?」
すると、その子は周囲を気にするように視線を動かした。
「ごめん。変に動いて目をつけられたくないから……」
別の女子にも声を掛けた。
返ってくる答えは、結局どれも同じだった。
今のままでいいとは思っていない。不安だって感じている。それでも、変に動いて目をつけられたくない。
その気持ちは分からなくもなかった。
私だって怖くないわけじゃない。だからこそ、一人でも多く味方が欲しかった。
けれど、これ以上声を掛けても、困らせるだけなのかもしれない。
そう思うとこれ以上何かをしようとは思わなかった。
ただ、すでに私のそばにいる沙希と菜々美とリカのことに関してはなんとかしたいと思っていた。
あの三人は、私が声を上げたとき、近くに来てくれた。今も隣にいてくれる。
せめてあの三人が理不尽な目に遭いそうになった時、見て見ぬふりだけはしたくない。
それから時が経ち、夏休みも近づいたある日の昼休み。
いつものように四人で昼食を食べていると、リカの様子がおかしいことに気づいた。
ほとんど口を開かず、俯いたまま箸を動かしている。
「……リカ?」
声を掛けると、その肩が小さく揺れた。
「何かあった?」
リカは一度顔を上げたものの、すぐに視線を弁当へ戻した。
「昨日……放課後、カフェに行ったんだけど」
そこで言葉が止まる。
沙希と菜々美も箸を置き、続きを待っていた。
「混んでて並んでたら、急に前に入られて……」
「割り込み?」
沙希が眉を寄せる。
リカは小さく頷いた。
「相手、他のクラスの人だったと思う。詳しくは知らないけど……たぶん」
「それで?」
「『あの、すみません』って声を掛けたら、邪魔みたいに押されて……」
リカは膝の上で指を重ねた。
「その後、何も言えなかった。後ろの人にも迷惑かけちゃったし……」
「リカが迷惑かけたわけじゃないでしょ」
沙希がすぐに言った。
「割り込んできた方がおかしいじゃん」
「そうそう」
菜々美も頷く。
「押したっていうなら、なおさら向こうが悪いよ」
「でも……」
「でもじゃないって」
沙希の声が少し強くなる。
「そういう奴って、言い返さなそうな相手を選んでやってるだけだから」
リカは何も返せず、俯いたままだった。
「その人、顔は覚えてる?」
私が尋ねると、リカは小さく頷いた。
「名前は分からないけど……髪が明るくて」
記憶を探るように目を伏せる。
「周りの人が、軽井沢さんって呼んでたと思う」
「軽井沢……」
聞いたことのある名前だった。
確か、Dクラスで目立っている女子だ。いつも数人の女子を連れて歩いている姿を見たことがある。
「え、あいつが?」
先に反応したのは菜々美だった。
「知ってるの?」
「知ってるっていうか、有名じゃない? 平田くんと付き合ってる子でしょ」
「ああ、それなら私も聞いたことある」
沙希も思い出したように頷く。
平田洋介。
Dクラスの中心にいる、女子に人気の男子だったはずだ。
「もしかして、それで調子に乗ってるんじゃない?」
菜々美が不快そうに眉を寄せる。
実際に何があったのかは、本人に聞かなければ分からない。
それでも、リカが嘘をついているようには見えなかった。
「分かった」
私は立ち上がった。
「今度見かけたら、私から一言言っておく」
「えっ」
リカが慌てて顔を上げる。
「いいよ、そんな。もう終わったことだし」
「リカだって納得してないでしょ」
「でも、面倒なことになったら……」
「喧嘩するつもりはないって」
私はそう言って、リカへ向き直った。
「次からはやめろって言うだけ。あとは、リカに一言謝ってもらえればそれでいい」
「でも……」
「悪いことをした方が何も言われなくて、された方だけが我慢するなんて、おかしいでしょ」
リカが、何も言えなかった自分を責める必要なんてない。
言えなかったのなら、今度は私が言えばいい。
昔から、そうやってきた。
リカはまだ不安そうだったけれど、やがて小さく頷いた。
「……ありがとう」
その時の私は、本当にそれだけのつもりだった。
軽井沢に一言注意して、リカへ謝らせる。
それで終わると思っていた。
それが、この先の私の高校生活を大きく変えることになるなんて。
あの時の私は、まだ知るはずもなかった。