前回のザックリとしたあらすじ
彩葉が自室で1人で倒れたのでオリ主くんが救助。かぐやも緊急帰宅。
彩葉は内心をかぐやに吐露。オリ主くんは聞いてない。近くにいても壁は常にそこにあるので。
そんな感じで色々あったが、ツクヨミでいろPライブデビューしようぜ。そういう話になった。
「メルト―――目も合わせられない―――♪」
背後から響く歌声を聞き流しつつ、後ろから背を押され思わず前へと一歩踏み出してしまおうとした男に手を差し出して動きを止めさせる。
男はこちらに向かって軽く頭を下げて謝罪しようとしてきたが、手を振ってそれを断る。
故意ではないのは把握しているし、なによりこの状況だ。仕方あるまい。
「恋に恋なんてしないわ―――わたし―――♪」
それにしても、まさかこんなことになるとは思わなかった。
助言をくれたのはヤチヨで、それを聞いて納得し提案したのは俺、受け入れたのは酒寄で、そしてそれを喜んだのはかぐやだ。
途中の俺を除いても3人もの人物が良しとした以上、多分に効果はあるのだろうと確かに想像はしていたのだが―――
「だって―――君のことが―――好きなの―――♪」
―――人、人、人。見渡す限りの人だかり。
ツクヨミでいつもライブをしている大通りの一角は、つい先日まで見たことがないほどの大量の人の群れで埋め尽くされていた。
「La-la-la-la―――La-la-la-la―――♪」
まさか、ここまでとはな。
背後から届く歌声と楽器が奏でる音を聞き流しながら、俺は着ぐるみの下で溜息を吐いた。
☆☆☆
「というわけで~こちらが本日の晩ごはんで~す!」
ジャーンと自身の口で効果音を付け足しながらちゃぶ台に乗せられたのは、黄色の上に鮮やかな赤がトッピングされた料理。
「オムライスか」
「そ~なの~。彩葉のリクエストなんだ~。ぬへへ~」
「そうか」
妙に嬉しそうだな。
「……あーもう、わかったって。いいから早く食べよ」
「え~、そんなにはやく食べたいの彩葉~」
「うわ、うぜえ……」
「またまた、そんなこと言っちゃって~。このこの~」
「ツンツンやめい」
「え~」
不満の声を上げながらも、機嫌の良さそうな笑顔のままなかぐや。
よほど嬉しいことがあったらしい。
その原因が何かとかぐやを見ながら思案していると、そんな様子が目に入ったようで声をかけてきた。
「知ってるしんたろー?」
「なにをだ」
そう聞くと、近寄って俺の耳元に口を寄せてくるかぐや。
なんだろうかと耳を傾ける。
「―――オムライスって、かぐやが大好きなやつなんだよ」
それだけ告げてパッと体を離すかぐや。やはりその顔は心底嬉しそうに笑ったままだ。
自身の好物がリクエストされて嬉しい、ということでいいのか?
なにか違うような気もするが、よくわからん。まあ、多分間違ってはいないだろうし、どうでもいいか。特に問題があるわけでもないのだし。
「よし、これで全員分ね! そんじゃま、今日も一緒に~」
かぐやの声に合わせて手を合わせ、口を開く。
「いただきま~す!」
「いただきます」
「……いただきます」
いつものようにバラバラな唱和をもって食事を開始する。
一口目を俺と酒寄が口にしたタイミングでかぐやが前のめりに問いかけてくる。
「どうどう? かぐやの特製オムライス、美味しい? ほっぺ落ちちゃいそう?」
「……ケチャップと卵の味がする」
「美味しい?」
「……俺にはわからん」
「ぐへー。これでもダメか~……」
いつも言ってるだろう、俺は美味しいも不味いもわからんと。
そろそろ諦めてもいいと思うんだがな。
「彩葉は? リクエストした料理のお味はいかが?」
「……め」
「め?」
め?
「めっちゃ美味しい………すごい好みかもこれ」
なぜ小声?
酒寄のよくわからない行動に困惑している俺を余所にかぐやは立ち上がり、天井に向けて両手を掲げる。
「よっしゃー! 勝ったー! いえーい!」
謎の勝利宣言。
正直なんでもいいが、食事中に騒ぐな。埃が舞いかねないぞ。
眼前のオムライスにスプーンを突き込み、掬い上げたそれを口に放り込む。
何度も同じ動きを繰り返しながらも、その合間にふと思った疑問を口にする。
「酒寄、何故リクエストなどしたんだ? 普段はしないだろう」
俺に記憶には無い行為だ。
仮にそんなことが以前にあったならば、もっとかぐやが普段から騒いでるような気がする。
「……別に。かぐやのせい」
どこかムスッとしたように顔をふくれさせながら言う酒寄。
不機嫌な様子だ。
「……一体どんなタイミングで私がリクエストを求められたのか、浦野はわかる?」
「……昼に帰ってきたときか?」
「ライブ中!」
ライブ中?
それはつまり―――
「ライブの最中、間奏の終わり際に『今日は何食べたい?』だよ? そんなタイミングで聞いてくるなんて信じられる? しかも案の定そのあとの入りミスってたし」
「ごめんって彩葉~。そーゆうのも逆に神回、みたいな?」
「そんな神回ありませんー」
「えー、許してよ彩葉~」
少女たちのじゃれ合いを尻目に食事を続ける。
今日も変わらんな。
かぐやいろPチャンネルは、不定期で音楽ライブ活動を行っている。所謂ストリートライブ、という種別だそうだ。
週に3回もやる時もあれば、全く催さない時もある。この前の酒寄が倒れた週なんかはそうだった。かぐやの気が酒寄の看病の方に向いていたからな。
ともかく、そんなライブの形式はかぐやが犬DOGEと歌い踊り、
だが、酒寄が倒れたあの日から数日、酒寄の体調が回復し、配信や動画投稿のペースも元に戻ったなかで開催したライブで、酒寄はキーボードを手に持ち演奏をするべくライブに参加した。
そうしたらなんか、めっちゃ受けた。
盛り上がってた。目の前で見ていた観客も、画面越しに見ているコメント欄も。
需要があった、ということだ。
「ファン数すっごい増えたよね~。おかげでお金もざっくざく~」
「あのねえ………いい? お金ってのは水物なんだからね? あんまり調子乗って使いすぎたりしないように」
「えー? でもいっぱいあるよ?」
「あったとしても!」
「へーい」
「まったくもう……」
酒寄の注意も特に気にせず、かぐやはオムライスへとスプーンを向ける。
かぐや自身が自由に使えるまとまった金銭が手に入った。ならばその扱いはかぐやの自己裁量で構わないだろうに。
たとえそれでかぐやが痛い目を見ることになっても、別に酒寄には関係ないと思うが。
いや、優しい人という生き物はそういったものを気にしてしまうものなのかもしれんな。
「そんで、こっからどうしていこっか?」
「……こっからとは?」
「ヤチヨカップ優勝に向けて、って意味でしょかぐやが言いたいのは。なんだかんだ、もう500位台まで上がってきたしね」
「そゆことー! さすが彩葉、わかってる~!」
「はいはい」
かぐやの称賛に軽く手を振って応える酒寄。素っ気ないように見えなくもないが、僅かにその頬は上がっている。満更でもないらしい。
それにしても、優勝に向けて、か。
「……ライブではダメなのか?」
これまでに行っているものを提案する。今までかぐやいろPチャンネルのファン数が増えた原因は、やはりライブであるはずだ。
であるならば、今後もそれを踏襲すればいいと思うのだが。
「うーん。それは、どうなんだろ? さすがにそろそろマンネリ気味じゃない? 普通にかぐやは歌枠やったりもしてるし」
「確かにそーかも。かぐや最近めっちゃ歌ってる気がする」
「そうか」
となると後はなんだろうな。なにかあるだろうか。
皿の上のオムライスを黙々と口に運びながら考える。だが、特にこれといったものは思いつかない。
まあ、俺だしな。そんなものを簡単に提案できはしない。
「歌自体は悪くはないから、やるならなんか違う要素を入れたり、とか……?」
違う要素。
今までとは異なる目新しいものか。
「おっ! それならしんたろーも一緒になんかやればいいってことじゃない!?」
「なに?」
俺?
「しんたろーだよ、しんたろー! 彩葉みたいに楽器やるとか! そーいうの!」
「……なるほど」
言わんとすることはわかった。だが―――
「俺に楽器は扱えんぞ」
ただ事実を口にする。
そんなことを覚えようとしたことは、今までに一度もありはしない。
「えーそうなの?」
「ああ」
「そっかぁ………じゃあ、新しく覚えるとかどう!? 彩葉、なんかパッと覚えれるすごい楽器ってなんかある? 見てる皆がビックリするような楽器」
「―――ない。あってたまるかそんなもの。音楽舐めすぎだっての。―――あ、あと一応それ配信で言わないでよ。もしかしたら炎上するかもしれないから」
「えー」
「えーじゃない。ともかくそんな都合のいい楽器なんてありませーん」
「むー……」
ないらしい。
なら俺が演奏に参加するというのも無しだな。
これ以上なにか他に案は出るかとかぐやと酒寄の顔を窺うが、考え込むようにして黙り込む2人。
なら仕方ない。今夜にでも聞いてくるか。
「いつも思うけど、よくもまあ毎回見つけられるもんだね」
「……何の話だ」
いつもの場所。
四方を建物で囲まれ、視界に映るのは輝く星空と月代わりのミラーボールのみ。
そんな場所の中心に設置されたベンチに座り、俺はヤチヨと2人で雑談を交わしていた。
「ヤチヨの話。いっつも透明でSEもちょっとしか発生してない筈なのに視線が合うんだもん。ヤッチョびっくり」
「そうか」
そう言われてもな。足音が聞こえるので、そこから全体像を予測して顔の位置に視線を向けているだけなんだが。言っては何だが、顔を横に向けるだけで俺とは視線が合わなくなるぞ。
「たしか剣の教え、だっけ。―――それってあれでしょ、浦島一刀流ってやつ」
「……」
思わぬ言葉に夜空に向けていた視線を、ヤチヨへと向ける。
「
「……」
朗らかに笑うヤチヨの横顔を黙って眺める。
その表情に不自然なところはない。いつも通りの笑顔だ。
黙って見つめる俺の視線に気付いたのか、ヤチヨが不思議そうに俺へと疑問を口にする。
「えーっと、タロー? どうかした?」
「―――……俺は以前に、ヤチヨに浦島一刀流の話をしてたのか?」
「え」
「俺は俺の話をヤチヨに語った覚えはある。だが俺の周囲の話をした記憶がまるでない。一体いつ俺はその話をヤチヨにした?」
「え……」
何故か固まったヤチヨを視界に捉えながらも、俺は静かに自身の記憶を探る。
基本俺は大抵のことをすぐに忘れる。興味が無いからだ。どうでもいいものを記憶に留めておく意味はない。そう思っている。
だからこそ記憶に残しているもの。忘れていないものとは俺にとって意味のあるものだ。
だからこそ俺が俺の周囲についての会話なんてものを忘れるわけがない。それは俺を構築する上で重要なものなのだから。それを他者へと語ったという事実を忘れるなんてことがあるはずがない。
そのはず、なんだが。
「……俺が忘れているだけか?」
「―――そう! きっとそう! 忘れてるだけ! ヤッチョめっちゃ覚えてるもんっ! あれはーそのー、そう5、ああいや6カ月くらい前にそんな話したんだよ。うん。した。会話ログあるし。ホントに。マジで。嘘じゃないよ。マジマジ」
「……そうか」
忘れ、たのか。
そうか。
俺はそれに、忘れていいものとラベルを付けるようになっていたのか。
そうか。
まあ、そうか。実際大したものではない。ただの過去。誰に語っていようがどうでもいい話に過ぎない。口にしたところで意味などないもの。
なら、いいか。
そうだな。どうでもいいか、そんなもの。
「俺はどこまで話していた?」
「どうぇ!? え、あー、えーっと、浦島一刀流の名前くらい、かなー。みたいなー?」
「そうか」
話したのはその程度か。
ならば覚えていなくても納得、か。
「―――爺さんに教わったのは主に剣。あとは決まりごとに覚えておくと便利なこと、覚えておかないと面倒くさいもの。そういうものだ」
俺の言葉に目をパチクリと瞬かせるヤチヨ。
「剣に関しては単純だ。手本を一度だけ見せ、鍛錬方法を口で教え、あとはひたすら実践形式で体に叩き込む。剣なんてものはその身で味わえばそれで覚えられるもの。素振りなんかはやりたいときに勝手にやっていろ。そういう形式だった」
「……ス、スパルタだね~」
「そうか?」
「いや、まあ、ヤチヨはそういう経験ないから多分だけどね………それ、タローはいくつの頃からやってたの?」
少しの間、記憶の海に沈む。
さて、いつの頃だったか。
「……おそらくだが」
「うん」
「3歳の誕生日のあとのいつかだ。多分4歳になる前だとは思うが」
「予想を大分下回ったね!? そんな前!?」
「ああ」
「子供っていうか幼児じゃん………スパルタすぎでしょタローのおじいちゃん……」
「そうか?」
「そーだ!」
「……そうか」
不機嫌そうだな。
これはあれか。子供が好きだと言っていたし、その年齢の俺が爺さんに痛めつけられていたのが気に入らないということだろうか。
相手は俺なのだし気にしなくていいと思うが。
「……それで、タローはそーいうのをずっと教わってたの?」
「ああ。刀の揮い方。肉の斬り方。鋼鉄の斬り方。問題の誤魔化し方。無手での距離の詰め方。負傷した際の肉体の動かし方。変人になるための過ごし方。火器の躱し方。あとは」
「―――待って待って! なんか変なの間に入ってる!」
「……そうか?」
変なの、なんてあっただろうか。
どれも普通のものだと思っていたが。
「『変人になるための過ごし方』って、なに!?」
「文字通りだが」
「だからわかんないんだけど!?」
そうか?
「そのままの意味だ。俺のような人でなしの頭のイカれた狂人がこの世界で生きていくための決まりごとでしかない」
「人でな―――ああ、そういうやつ……」
「そういうやつだ」
文字通りでしかないからな。難しい話ではない。一応。
「……ん? いや、やっぱ変じゃない?
さすがだなヤチヨ。もう気付いたか。
その疑問は俺も思ったものだが、俺は全部聞き終えたあとでようやくその疑問に辿り着いたからな。
「『どうせ普通の人なんて無理です。偽装したところで絶対に漏れ出てくるに決まってます。貴方は自分が異常だと認識出来ているのですから、それくらい予想可能でしょう? ―――なら最初から変人に狙いを定めた方がいいに決まっているでしょう』」
「……あー」
「『世の中に狂人がいたら目立ちます。もっと言えば排斥されます。危険ですから。でも変人はそうそう簡単に排斥されません。だって世の中にはそこそこいますので。一々取り除いていたらそれこそ面倒ですし。ですので貴方が偽装するべきは最初から変人です。おわかりですか?』」
「なるほど納得」
うんうんと何度も首を縦に振るヤチヨ。
納得したか。
「で、それは誰が言った言葉なの? 多分だけどタローのおじいちゃんの言葉じゃないっぽいけど?」
その通り、爺さんではない。
むしろ爺さんが言われた側だ。
「婆さんだ。生前に爺さんにこう言ったらしい」
「……おじいちゃんに対して、おばあちゃんが言ったの?」
「ああ」
首を傾げ、疑問を瞳に浮かべるヤチヨ。
「爺さんは俺の同類だからな」
「同類って……」
「―――人でなし、という意味でだ」
目を見開き、驚愕を浮かべるヤチヨ。
浦島一刀流の話はしたのに、爺さんの話はしてなかったのか。その時の俺は一体何を考えてたんだ? よくわからん。
「だからそんな人でなしの爺さんがこの世界で生活していくために婆さんが考えたのが、『変人になるための過ごし方』だ」
「……なる、ほど……」
「ああ」
納得したようでなによりだ。
「……それで、そのおばあちゃんが考えたっていう変人のなり方って、具体的にはどんなのなの?」
「気になるのか」
「そりゃ、まあね……」
「そうか」
そんなものか。
別に大した内容ではないんだが。
「『一つ。道端でいきなりケンカを売るんじゃありません』」
「……ん?」
「『向こうが誘ってきたんだからいいだろ、じゃありません。怪我をさせるんじゃありません。骨を気軽に折っては駄目です。問題を起こすなって話です』」
「……あー、これって」
「『二つ。常識を学び、実行しなさい』」
「あー、やっぱそういう流れだよねー」
「『面倒くせェ、じゃありません。やりなさい。人に会っても無視しない。挨拶を返す。軽くでいいから会話をする。笑えなんて無理は言いませんからせめて言葉だけでも和やかにする。ケンカを売らない。まずはこれくらい守りなさい』」
「おばあちゃん、めっちゃ苦労してる……」
「『三つ。約束を守りなさい』」
「おっ、タローが絶対に守ってるやつ」
「『守りなさい。守るの。守れって言ってるでしょうが。そうやってなんでもかんでも面倒くせェで片付ける癖を直せって言ってるんです。約束事を守れさえすれば最低限の人脈はつなげ続けられるはずなんですから。いいからグダグダ言わずに守りなさい』」
「おばあちゃん………お孫さんはちゃんと約束守るようにしてるよ……」
「『四つ。だからケンカを売るんじゃありません』」
「うわぁ、またやったんだ……」
「『五つ。他人とはなるべく敬語で会話をしましょう』」
「これもタローがちゃんと守ってるやつだね」
「『……もうしょうがないので初対面の印象を改善する方向で行きましょう。以降も何度も関わるような相手ならともかく初対面の相手ならばきっと、常識を持ち、約束を守り、敬語で会話をする無表情かつ感情の籠らない言葉で話す男性を変な目で見ることはあっても、即座に狂っていると判断するような人物はそうそういないはずですから。多分』」
「色々、諦めちゃってるね……」
「『六つ。ちょっとした遊び、って言ってその辺のチンピラをぶちのめすんじゃありません。ケンカを売るなって言ってるんです。そもそも遊びなんて概念貴方よくわかっていないでしょう。適当にそれっぽいこと言えば誤魔化せると思わないように』」
「……ヤッチョ、もう何も言えないよ……」
「『七つ。家族には気を遣いましょう』」
「お?」
顔を両手で覆っていたヤチヨが顔を上げる。
気持ちはわかる。これまでは他人に対する対応についてだったのに、いきなり『家族』なんて単語が登場したのだから。疑問に思って当然だ。
「『わたしたちは家族です。貴方にとってそれがなんの価値も無いものだとしても、その事実だけは変わりません。貴方がたとえ化け物だとしても、貴方と私が違う生き物だと何度も貴方が主張しようとその事実だけは変わりません。―――私は貴方の妻で、あの子は貴方の息子です。だから、これだけは。この約束だけは絶対に忘れないで。お願い』」
「……」
「『八つ。だからケンカを売るんじゃねえっつってんでしょうが』」
「……おばあちゃん……お疲れさまでした……」
「以上だ」
人でなしにとって居場所のないはずの平和なこの世界で、たとえ奇異の目を向けられることになったとしても、かろうじて許容されるための約束事。
俺が生まれる前に死んだ婆さんの言葉。
『家族に気を遣う』
だから爺さんは俺に婆さんの言葉をそっくりそのまま伝えた。人でなしである自身の言葉を間に挟んでしまえば、意味合いが変わってしまうかもしれない。婆さんの伝えたかったものが変質してしまうかもしれない。
だから爺さんはそのまま伝えた。自身と同じ人でなしであったとしても、俺という家族に気を遣う必要があったから。そういう約束だったから。
約束は、守るべきものだから。
婆さんが何故そんなことを考えたのかを爺さんも俺も理解できなくとも、それは守るべきものだから。
「どう思った」
「どうって?」
ヤチヨに声をかける。
「今のものを聞いてだ。ヤチヨはどう思った」
「そーだねー……」
ヤチヨは考えるようにして夜空を見上げる。
「会ったこともないし、今のちょっとした話しか聞いてないから断言はできないけどさ」
「ああ」
「タローのおばあちゃんは、おじいちゃんが大好きだったんだろうね」
予想していなかった言葉に意表を突かれる。
「そう、なのか……?」
「多分ね。少なくともヤッチョはそう思ったかな~」
「……そうか」
―――大好き。
好き、とはなんだ?
言葉でならば意味は知っている。過去に何度も調べた。それが人にとって重要なものであると、行動の指針にすらなり得るものなのだと知ってはいる。だけど、それだけだ。
その感情を、俺は一度も理解できていないだけで。
『―――オムライスって、かぐやが
そういえば、あれも
かぐやの心底から浮かべていたであろう笑顔を思い出す。
あれは料理に対してのものだと思っていたが、はたしてそれだけだったのだろうか? あの笑顔は本当は何に対して向けられたものだったのだろうか?
数秒その正体について思案し、中断する。
どうでもいい。
そんなものを考えたところで俺には理解できやしない。
ずっと前から変わらないその事実が、今さら変わったりはしないのだから。
「―――ヤチヨ、かぐやいろPチャンネルについて訊ねたい」
唐突な話題の転換に目をパチクリとさせるヤチヨ。
急ではあると自覚はするが、別に問題はない。元々この時間はそれを聞くためのものだ。そろそろ日付も変わる時間だ。雑談を終了しても構わないだろう。
「現状をどう思う。率直に感想を聞きたい」
深海の色をした瞳を見つめ、問いかける。
ヤチヨは静かに息を吐いてから、俺の不躾な疑問に応えるために口を開いた。
「いい感じだね」
「そうか」
「流れがきてる。これは活かさないとダメだね」
「そうか」
高評価だな。
「ライブでいろPが隣で演奏してるのもナイス。これまでで2人の仲の良さは十分に周知してたし、いろPの人の良さもアピール出来てた。静かにいろP個人のファンの数も徐々に増えていったところでライブ参加。これは大きいよ」
「……そういうものか」
「そーいうもんだよ」
「そうか」
さっぱりわからん。
「かぐやちゃんのやってたROKAとまみまみのコラボも良かったからね~。いい具合にこれまでとは違う層のファンが流れ込んできて導線は出来てた。それが今になって火が付いて爆発した感じ」
よきかなよきかな、とカラカラと笑うヤチヨ。
随分と嬉しそうだな。
「やっぱり美少女と美少女が同じ画面にいるのは強いよね~」
「……そういうものか」
「そーいうものだ」
美醜で強さが変わるとは、俺には一生理解できなさそうな世界だな。
「ヤチヨ」
「お、なんだいなんだい?」
「感謝する」
頭を下げる。
「えっと……」
「『いろPのライブ演奏参加』、その提案はヤチヨのものだ。ならばこの結果はヤチヨの成果と言えるだろう。感謝している」
かぐやいろPチャンネルのファン数は現在進行形で増加中だ。
忠犬オタ公の宣伝によるスタートダッシュ、まみまみとROKAとのコラボでの中弛み防止、そして今回の酒寄のライブ演奏。
様々な要因によって、ファン数は常時右肩上がりに上昇し続けている。
俺では何も出来なかったものだ。
「そんなタローがヤチヨに頭を下げるようなもんじゃないよ。ヤッチョはホントに簡単なことしか言ってないし、手助けらしい手助けも別にしたわけじゃないし」
「だとしてもだ。そもそも俺では何ひとつ意見は出せなかっただろう」
「別にそんなことは、ないんじゃない……?」
「ある。俺には想像が出来ない以上、提案など不可能だ」
そうだ。俺には思いつけない。
動画を、配信を見ているだろう画面の向こうの人間の感情など、俺には一切想像が出来ない。何を見て面白がり、何を見て喜ぶのかが俺にはさっぱりわからない。
俺は『かぐやに協力する』という約束があり、そのために今は死ぬのを止めて生きているというのに、そもそも力になれない。なんとも滑稽な話だ。
「タローがそう思うなら、まあ、いいけどさ~」
「ああ」
「……わたしは、タローがずっと傍にいてくれたのもすっごく大きいと思うけどね」
「俺がいたところでファン数に影響を及ぼしたとは思えんが」
「ああ、違う違う。そっちじゃない」
軽く手を振って否定するヤチヨ。
そっちじゃない、とは?
「かぐやちゃんの話」
「かぐや?」
かぐやの話とはどういう意味だろうか。
今の話題はかぐやがファンを増やしているという内容だったと思うのだが。
「かぐやちゃんの気持ちの話だよ~。ずーっと、傍で見て支えて手伝ってくれ―――げふん。手伝ってあげてたんでしょ? ならきっと、かぐやちゃんはその間ずっと楽しくて嬉しかったと思うよ。多分ね」
「……そういうものか」
「そーいうものだ」
何が面白いのか、カラカラと楽し気に笑うヤチヨ。
かぐやの気持ち、か。よくわからんな。
ただ傍にいただけ。俺がしたのはそれだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。だというのに、それだけで楽しくて、嬉しい?
意味がわからん。理解が出来ない。
やはり、俺には不可能なんだろうな。
「今後の取るべき方針を訊ねてもいいか?」
「……そうだね~。とりあえず、いろPブーストをもうちょっと継続させてくべきかもね」
「継続か」
現在の酒寄の演奏効果を長く活用すべきということなのだろう。
だが、人間とは慣れる生き物だ。飽きる、と言い換えてもいい。一度見て、触れて、楽しんだものを何度も新鮮な気持ちで向き合える存在はそういない、らしい。
である以上、酒寄の集客効果もそう長くは続かないもののはずなんだが。
「はいこれ」
パチン。
ヤチヨが指を鳴らすと同時に展開される複数のウィンドウ。
「……これは?」
「ふっふっふ~。いいタロー? 今はみんなは話題になってるから見に来ているだけで、本当の意味でファンになってくれたわけじゃないの」
本当の意味でファンじゃない?
「だーかーら、ここで一気にファンの心をさらに鷲掴みにしちゃうべし! ってね」
☆☆☆
「ライブ……?」
「ああ」
夕食後、最近では毎度のように行っている簡易ミーティング。そこで俺はヤチヨから受けた助言の内容を酒寄とかぐやに伝えていた。
「なんでライブなの? 今でもよくやってるじゃない」
「そーだよしんたろー。しかも今じゃ彩葉も一緒にライブしてるんだよ? なのにこれ以上ライブやるの?」
「そうだ」
俺の肯定の返事に小首を傾げ、酒寄と視線を合わせるかぐや。
数秒ほどその意味を考えていたらしく腕を組んで黙っていたが、答えに思い至ったようで突然立ち上がり俺に向かって指をさしてくる。
「ってことはそれって、しんたろーもライブに出るって意味でしょ! 彩葉の次はしんたろーだ! なにやるなにやる? やっぱり演奏? しんたろーはどんな楽器弾くの~?」
「……俺に楽器の類は扱えん」
「じゃあダンスだ! かぐやと彩葉の後ろでバックダンサーする気なんだ!」
「舞踊の経験も俺には無い」
「……ぶよー?」
未知の単語に困惑しているかぐやを見て溜息を吐いた酒寄が、代わりと言わんばかりに問いを投げかけてくる。
「―――で? 浦野の友達は今度は何を言ってきたわけ?」
「え? これしんたろーの友達のなの?」
この提案が俺の物ではないと酒寄は既に見抜いていたらしい。
それもそうか。俺が思いつけるような内容ではないのだし。
「これだ」
そう言ってポケットからスマホを取り出し、事前に準備しておいた画面を2人に見えるようにして、ちゃぶ台に置く。
その画面には複数の建物が表示されている。
「これって……」
「えーっと、これ全部ツクヨミのライブ会場……? どゆことー?」
2人の疑問の視線を受けながら、俺は答える。
「次のライブ会場の予定地だ。複数ある。好きなハコを選ぶといい」
「……箱?」
「ちょっと、それってまさか」
酒寄はもう既に思い至ったらしい。音楽関連は本当に詳しいな。
「―――『ハコを押さえて、客を呼んでライブを行う』。それが俺の友人の提案だ」
俺の言葉に酒寄はポカンと口を開け、かぐやは―――
「お、おお~!」
―――瞳を輝かせていた。
☆☆☆
「うわ~! すっごい、ひろーいこのステージ!」
「ワンワオーン!」
「ひっろ……」
「そうだな」
ミーティングから数日後、かぐやいろPチャンネルの3人と1匹でヤチヨに提示されたステージ会場を見学して回っていた。
ここで1か所目。今日中にあと3カ所は確認する予定だ。
「かぐやっほー!」
「ワオーン!」
ステージの真ん中で叫ぶかぐやと犬DOGE。
結構響くものだな。
「感触はどうだ?」
「楽しい!」
「……そうか」
「音が響いていい感じ!」
「……ではここにするか?」
「それはまだ! 全部のとこ見てから決めよ! ね?」
「……了承した」
まあ、構わん。
実際にライブで歌うのはかぐやだ。その本人が納得できる場所であるならば何処でもいい。
―――ポロンポロン。
「おっ」
背後でここ最近で聞きなれたキーボードの音が鳴り、かぐやが振り返る。
酒寄だ。これは『わたすき』だな。
「よーし。―――犬DOGE、やろ」
「ワン!」
「サビから行くよ。せーのっ」
酒寄の奏でる音を聴き、タイミングを合わせてかぐやが犬DOGEと呼吸を重ねて動き出す。
「心拍数上げて生きようよ―――退屈奪っていこうよ―――♪」
かぐやが音に合わせて歌い、犬DOGEがその周囲を跳ねまわり、酒寄がその様子を見て微笑みながら楽器を演奏する。
先程まで静寂に包まれていた会場に、かぐやの歌が広がっていく。
「……」
歌い踊り奏でる2人と1匹を尻目に、俺はステージの横へと歩いていく。
入る前にあった説明ではここで色々と出来ると聞いたが、さてどれだろうか。
「……これか?」
壁面で点滅しているボタンに触れると、普段見ているものよりも巨大なウィンドウが展開される。ざっと目を通すが、操作できるものが多すぎて何が何だかわからん。このパラメータというのはなんだ? 角度とは何の角度だ?
考えても答えが出そうに無かったので、とりあえず適当に画面をタップしてみる。
「どうぇ!? なにこれっ!?」
画面に触れた途端に歌が止まり、かぐやの素っ頓狂な声が聞こえる。
何が起こったのかを確認しようと来た道を戻る。
展開したウィンドウは一度開いたらそのまま追従するらしく、俺の隣をついてきた。便利だな。
「かぐや、どうし―――………なるほど」
そうなるのか。
「しんたろー、なんか光った!」
かぐやが指し示す先で、ステージの中心を一筋の光が照らしていた。
頭上を見上げると天井があるのみで、何か光を発生するような装置類は視認できない。光は何もない空間から真っ直ぐにステージ中央に向かって伸びていた。
その光景を確認し、俺は先程触れた画面を再度タップする。
光が消える。
もう一度タップ。
光が現れる。
タップ。
消える。
タップ。
現れる。
「なるほど」
「しんたろーなにそれ!?」
「入館する際に説明があったステージ演出の操作ウィンドウだろう。裏にあった」
「かぐやもやりたーい!」
「ワンワン!」
「好きにしろ」
画面から一歩引くと、その空間に割り込むようにかぐやと犬DOGEが飛び込んでくる。
てい、とう、やあ、と様々な掛け声を上げながら画面を連打していくかぐや。おかげでステージどころか会場中が光り、輝き、照らされている。眩しい。
光から逃れるようにステージ裏に回ると、そこでは壁面に映し出されているリアルタイムのステージ映像を酒寄がジッと眺めていた。
酒寄から数メートル離れた場所で俺は立ち止まり、ステージ上でウィンドウを押しまくっている姿が映し出されているかぐやを映像越しに視認する。
そうして数秒そのまま眺めていると、言葉が聞こえた。
「―――……正直、またステージに上がる日が来るなんて思ってなかった」
「……」
酒寄へと視線を向ける。だが視線は絡まない。酒寄は真っ直ぐにステージ映像を見つめていた。
「……私、勉強もしないで何してんだろ」
「……」
「バイトの時間もシフト調整して減った。休みも増えた。だから今月の給料は減る」
「……」
「それなのに私は配信に出て、演奏して、時間を浪費してる………高2の夏がどれだけ重要なものなのかを、私はハッキリと把握しているはずなのに」
視線を外し、正面を見る。
そこに映っているのはステージ上で笑う少女の姿。
「……私は、なにを……」
揺れているな。
ここ数日、かぐやの視線が向いていない時に限るが、確かに酒寄の瞳からは以前に何度か見えていた強い意思の光が失われていた。
倒れた酒寄は数日で体調を回復した。
そして再発を防止するためだろう、それからは自主的に環境の改善を始めた。
バイトの時間を減らし、自宅での勉強の時間を減らし、睡眠時間を確保し、かぐやと共にいる時間を増やした。
学業を自身の命よりも大事だと口にした女が、その優先度を明らかに落としていた。
酒寄は、為すべきと決めていた自身の芯を見失っていた。
「……」
「……」
幕の向こうから聞こえる楽し気な声とは裏腹に、この場には沈黙のみが広がっていた。
かける言葉などない。必要もない。
酒寄彩葉は、子供ではない。だから大切にも大事にもする必要は無い。
酒寄彩葉と約束を交わしたわけではない。だから何かに協力する理由は無い。
浦野真太郎にとって、酒寄彩葉はただの隣人でしかない。
それ以上でも以下でもないのだから。
「……ごめん。私なに言ってるんだろう。忘れて」
「ああ」
言われるまでもない。
どうでもいいことを、いつまでも覚えている気は俺にはない。
「私も演出確かめなきゃか。ちょっとかぐやからあれ回収してくる」
「ああ」
「……じゃ、戻るね」
そうして酒寄は俺に一度も視線を向けることもなく、かぐやのいるステージへと駆けて行く。
去っていく背を横目で眺め、ただ思う。
もしこの場にいるのがヤチヨだったのなら、人の心がわかる存在がここにいたのなら、どう対応したのだろうか。
あの瞳に光を灯すことが、できたのだろうか。
「……いや、どうでもいいか」
どうせ、俺にはわからない。
合流し、笑い合いながらステージ演出を確認しているかぐやと酒寄を画面越しに見ながら、俺は1人そう呟いた。
「ラッイブ~、ラッイブ~、はっつステージ~」
「ワン!」
ご機嫌だな。
「楽しみだね! かぐや達の初ステージライブ!」
犬DOGEと共にスキップしながら進んでいたかぐやが唐突に振り向きそう言った。
ステージライブの当日。
公演する会場を決め、ライブの内容を定め、チケットを作成し宣伝。そしてツクヨミでの一般的なライブ価格に合わせた値で販売し、無事に完売。前日のリハーサルも既に完了。あとは本番を残すのみ。
「楽しみだけど、でも一個だけ残念」
「なにかあったか?」
口を尖らせそう言うかぐやに確認する。
なにか問題でもあったのだろうか。リハーサルでは常に笑顔だったと思ったが。
「しんたろーがステージにいなーい……」
「……そうだな」
「ねー、なんとかなんないの~?」
なんとかと言われてもな。
「では演出操作は誰に任せると?」
「むー」
むくれられても困る。
それにそもそもの話、原因はかぐやだろうに。
「『かぐやのこと、キラッキラに輝かせてね』と、そういうオーダーだったと記憶しているが」
おかげでよくわからん機能の設定を熟読するはめになった。
ここ数日は常に操作方法についての説明をずっと読み続けていた。それがかぐやの望みを叶える為に必要だと判断したから。
実に面倒くさかったが。
でも仕方ない。そういう約束だ。
「それを破棄して舞台に上がれと言うならばそれでも構わんが、どうする?」
どっちでもいいぞ。
やることは大して変わらん。花を撒くか、光やらエフェクトやらを操作する違いしかないのだし。
「……むー」
「それはどっちだ」
「……裏で見てて。かぐや達のこと良い感じにやって……」
「了承した」
とはいえ俺に良い感じ、はわからんのでリハーサル通りにやるだけだが。
「―――かぐや」
俺とかぐやの会話が途切れたと判断したのか、隙間に入るようにして声がかかる。
声の方向を見ると、そこでは着ぐるみの頭部を手に抱えながら気を張ったような表情をしている酒寄が、かぐやに対して視線を向けていた。
「……ねえ、本当に私も行くの?」
ライブハウス近くの階段、目的地まであとで少しというその場所で酒寄はそう言う。
「かぐやのソロライブ、それも初ステージなんだよ。今までみたいに道端でやるものとは意味合いが全然違う。なら、私も浦野みたいに裏で」
「―――来て」
たった二文字の小さな言葉が酒寄の言葉を遮る。
言葉を繰り出したかぐやは、弾けるように笑いながら左手を突き出した。
「い・ろ・は」
突き出された手は、何故かピースサインだ。
「……なにそれ?」
同感だ。
なんだそれ。
「かぐやと彩葉の合図。仲良しのやつ」
「……ふぅ、あっそ……」
軽く息を吐き、気のない返事をしながらも酒寄は薄く諦めたような笑みを浮かべてかぐやに返すようにピースサインを突き出す。
2人の指先はほんの少しだけ触れ合い、そのあと互いの指を挟むようにして手をくっつけた。
なんとも不思議な合図だ。
というか、仲良しのやつの合図ってなんだ? どういう意味だ? 世の中の『仲良し』はこういった独特な合図を所持しているということなのか?
これが理解できないのは相変わらず俺の理解力が不足しているせいなのだろうか。わからん。
「―――んじゃ、しんたろーも!」
「……なに?」
視界の端でその光景を認識しながらも、半ば意識を余所へと向けていた俺にかぐやの声がかかる。
「はい!」
「……」
元気な声と共に突き出されたのは右の握りこぶし。
これは一体なんだろうかとまじまじとその拳を観察したあとで、かぐやの顔を覗く。まるで期待するかのようにその瞳は輝いていた。
「なんか、私のと違うね?」
「これはしんたろーとの仲良しのやつだかんね!」
「ふーん……」
仲良しのやつ。
仲良しのやつ?
かぐやと、
仲良し?
「……」
仲良しというものの基準を俺は知らない。だが、おそらくではあるが俺はかぐやとの間でその基準を満たしてはいないだろう。
だって、相手は俺だ。
俺に、他者と仲良くなれるような機能は搭載されていない。そんなものあるわけがない。
である以上、俺はかぐやとは『仲良し』ではないはずだ。
「……かぐや、俺は」
「―――しんたろー」
キミとは仲良しではない。
そう告げる前に、かぐやが俺の名を呼んだ。
俺の瞳を真っ直ぐに見つめ、ただ拳を突き出した姿勢のままで静かに待っている。
どうやら今は言葉を求めてはいないらしい。求めているものは、おそらくただ一つ。
「……ああ」
短く言葉を返し、俺も拳を突き出してかぐやの拳と軽く合わせる。
―――コツン。
痛みの無い仮想の世界で、薄く軽く浅い衝撃だけが重なった拳から伝わってくる。相変わらず、不思議な感覚だ。
「……」
「……」
なんだろうか、この沈黙は。
何故、かぐやは黙り続けているのだろうか?
何故、拳を合わせたまま動きを起こさずにそのままの姿勢を維持しているのだろうか?
何故、かぐやはこんなにも満足げな表情を浮かべているんだ?
……わからん。なんだこれ?
状況が読み込めなかったのでかぐやの顔を窺うと、満足げだった顔が徐々に訝し気なものへと移り変わっていく。
そして俺と視線が交差すると、不思議そうな目をぶつかり合って停止している拳へと落とす。すると―――
―――コツン。
かぐやが腕を引き、それからもう一度突き出してきた。
そして視線を俺へと向ける。訝し気な表情が深まる。
―――コツン。
もう一度引いて、ぶつけてくる。
視線が絡まる。疑問顔。
―――コツン。
もう一度。
眉をしかめている。
―――コツン。
5度目の衝突。
その瞳には苛立ちがハッキリと載せられている。
「……しんたろー?」
「なんだ」
「わかった、よね?」
「……」
……なにをだ?
「ちゃんと、今のでかぐや出来てるよね?」
説明をしているのだと思うが、さっぱり意味がわからん。
「……何の話だ?」
「何って………だから、かぐやの気持ち。伝わったでしょ?」
「は?」
……ダメだ。意味がわからん。かぐやは一体何を言っている?
「え、なんで伝わってないの!? これでいけるって皆は言ってたのにっ!」
皆?
「皆……? え、誰それ?」
酒寄も俺と同様の疑問を抱いたらしく、かぐやに問いを投げかける。
それに対してかぐやは胸を張って答えてきた。
「オタクの皆」
「オタク言うな」
つまりはコメント欄ということか。
「……それで、彼らはなんだと言っていた?」
はたして、かぐやは一体何を吹き込まれたんだろうな。
「この前の同時視聴でね、オタクの皆が言ってたんだ。『男ってのは、拳と拳をぶつけ合えば気持ちが伝わるように出来てるんだ』って」
「……なん……だと……?」
かぐやの言葉が衝撃となって俺の全身を駆け巡る。
とてもではないが理解が追いつかなかった。
『男ってのは、拳と拳をぶつけ合えば気持ちが伝わるように出来てるんだ』
なんだ、それは?
そんなことが可能なのか?
世の中の男性は、そういった能力を当然のように所有しているというのか?
知らなかっただけで、世界はそのように出来ていたのか?
俺が他者の気持ちを理解できないのは、その能力を欠如していたからなのか?
だから俺は、こういう在り方しか出来なかったということ、なのか?
「……そう、だったのか」
「んなわけないでしょうが……」
俺が思わず漏らした言葉を、呆れたような声が否定する。
「そういうのは漫画とかアニメの話でしょ。現実でそんなことが出来る人間がいるわけないっての」
「でもオタクは出来るって言ってたよ」
「いや、できるわけないじゃん……」
「だって、みんな出来るって言ってたもん! かぐやも嘘だって思ったけど、コメントはみんなそれ出来るって言ってたよ! それで友達100人作ったってオタクもいたし」
「……いや、それ絶対嘘だから。ってかオタク言うなっての」
「マジか、嘘だったのあれ………人間の男ってすっげーおもしろい生き物なんだーって思ってたのに」
「……どうしよう、保健体育とかちゃんと教えないとマズいのかなこれ……?」
……。
とりあえず、かぐやと酒寄の会話を聞いて分かったことは一つ。
―――拳をぶつけても、思いは伝わらない。らしい。
「……そうか」
今日のライブが終わったら早速外に出て試そうとか考えたが、どうやら意味は無かったらしい。
溜息を飲み込む。
まあ、無駄なことに時間を使わずに済んだと思えばいい。
結果が得られないことに時間を浪費する意味もない。なにより面倒くさい。
「かぐや、酒寄」
未だにじゃれ合っている2人へと声をかけると、驚いたような様子の酒寄と少し残念そうなかぐやが同時に振り向く。
かぐやの足元では犬DOGEが俺を見ながら小さく飛び跳ねていた。名前を呼ばなかったのが不満らしい。存外に自己主張が激しい犬だな。
「時間だ。行こう」
階段を見上げる。会場は近い。
これからライブだ。無駄話の時間はもう十分だろう。
かぐやはその言葉でこれから自身が何を為すべきなのかを思い出したのか、力を込めた腕を夜空へと突き出し、叫ぶ。
「―――……よしっ! じゃあ、はりきっていこう! かぐやいろPチャンネル、初ライブ頑張るぞ! おー!」
「ワオーン!」
大きな声でかぐやと犬DOGEが叫び吠える。うるさい。
その様子を黙って見ていると、腕を下ろしたかぐやは何か言いたげに俺と酒寄を見る。
「……もー、彩葉としんたろーもやってよねー」
俺もか。
「えっ、私もやるの? 今のを……?」
「彩葉もやって!」
「うへぇ………私そういうノリは苦手なんだけどなぁ……」
「い~ろ~は~!」
「はいはいわかったから、やりますやりまーす」
不貞腐れたような口調の酒寄と視線を交わす。
俺を見る瞳には疑念が浮いていたが、それも瞬きとともに消えた。よくわからんが、今は考えないようにした、というところだろう。俺の何に対して疑念を抱いていたのかは知らんが。
いつも通りによくわからんやつだな、酒寄は。
「―――かぐやいろPチャンネル、初ライブ成功させるぞ、おー!」
「ワオーン!」
「おー」
「……おー」
ウサギの耳を垂らした少女の鬨の声と犬の遠吠え、キツネの少女の気恥ずかしげな声に、サルの男の感情の籠らない声が、仮想の夜空に向かって溶けていく。
相も変わらずバラバラな、実にかぐやいろPチャンネルらしいライブ前の光景だった。
約束がある、だから共にいる/浦野真太郎
オリ主くんにとって約束は大事なもの、ではない。守るべきルールとでも言うべきもの。だからそれを守るべく行動している。
とはいえ精神的にはもう限界を迎えて自殺することを考えたあとなので、それも若干薄れてきてる。それなのに約束を守っている理由はその約束の相手が唯一の友人であるヤチヨであり、ずっとオリ主くんが求めていたものを提示してきたかぐやであるから。
じゃなきゃ無視してとっくに自殺している。なんとも難儀な男である。
理由はあった。でも揺らいでいる/酒寄彩葉
彩葉にとって勉強は進学のために必要なものであり、進学は母に認められるために必要なものである。強く完璧な母に認められるためには『1人』で成し遂げなくちゃ意味が無い。はずだったのに。
倒れ、助けられ、弱音を口にした。それは決して『1人』ではできないこと。誰かに手を借りて、支えられているという事実がそこにはあった。
今、酒寄彩葉は母に認められるために必要な要素を失ってしまった。
少なくとも17歳の少女自身はそう思ってる。
好きだから、楽しいから。理由はそれで十分/かぐや
やりたいことがある。だからやる。楽しいことをしたい。だからやる。かぐやの行動指針は単純明快なもの。今その時に望む行動をすること。見た目は中高生まで成長しているが、中身は決してそれに相応しいものではない。人として肉を持ち、行動するようになって1ヶ月も経ってないので当然だが。
良くも悪くも裏表がないかぐやは他人に裏があるとは思っていない。
人は見たいものを見る。それは人の形を手に入れた少女も同じこと。良くも悪くも。