オリ主くんはオリ主くんなりに頑張って、3人で力を合わせて戦って、無事に敗北。
だけどヤチヨカップは見事に優勝。よかったね。
だけど自殺は延期。勘違いに気付いたオリ主くん。よかったね。
『アハハ! ハハハハハハッ!』
―――声が聞こえる。
刀を振るう。
赤が舞い散る。
『ハハハハハッ! ギャハハハハハハハッ!』
―――声が聞こえる。
刀を振るう。
周囲に鮮烈な赤が舞い散り、胸の奥で大きな火が燃え盛っている。
体の全てが炎で包まれているような感覚になるほどの、とても大きな火がそこにはある。
『ハハハハハハハハハッ!』
―――声が聞こえる。
とても大きな声、笑い声のような、なにかが。
どこから聞こえてくるのだろうと視線を上げると、眼前には見慣れた老爺がいた。
その顔は、よく見慣れた無表情ではなく、まるで口が裂けているのではないかと思ってしまうほどに口角を限界まで吊り上げて、これでもかと高らかに哄笑をしていた。
声の元は、これだろうか。
刀を振るう。刃が交錯する。
鋭い痛みが走って真っ赤な血がそこらじゅうに飛び散る。
―――声が聞こえる。
踏み込み、斬り上げ、往なされて、斬られる。
―――声が聞こえる。
迫る刃を弾き、返す刀を振り下ろし、躱され、斬られる。
―――声が聞こえる。
ふと、動きを止めた。
―――まだ、声が聞こえる。
『アハハッ! ハハハッ! ハハハハハハハッ!!』
手を自身の頬に当てると口角が吊り上がっていて、そして、――――大きな声が、俺の口から発せられていた。
それに気付いた途端に、全てが消えた。
手にした刀も、刻まれた傷も、眼前の老爺も。
そして、胸に灯っていたはずの火も。
思わず手を伸ばすも、当然その手は空を切って何も触れることはかなわない。
わかっていたことだ。
俺には、なにも無いと。そんなことはずっと前から知っていただろうに。
『しんたろー』
―――声が聞こえる。
俯いていた視線を上げると、そこには人影があった。
ニコニコといつものように楽しそうな笑みを浮かべた、金の少女がそこにいた。
『しんたろー?』
笑顔を向けてくる少女。
人でない存在であるはずなのに、俺とはまったく違う少女。
俺が持ち得ないものを、持っている少女。
『しんたろー!』
俺は少女の元へと歩み寄り、そしてゆっくりと手を伸ばして、その首を――――
「―――もう、しんたろー!!」
その声に、俺は目を開いた。
「おわぁっ!?」
瞼を開けると眼前にはまるで金糸のような髪がふわりと広がっていた。
はて、何故こんなものが目の前にあるんだろうか?
そう思うと同時に違和感。自身の手の下に熱を感じる。トクントクンという静かなリズムと共に、
……いや、待て。抑えつけている手? 何を言っているんだ?
俺は今、なにをしている?
「……しんたろぉ~……」
内心で自問自答をしていると、俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
視線を下げると、そこには何故かかぐやがいた。俺の眼前15cmという距離に。何故か。
「……」
「……」
視線が絡み合う。
俺は状況を理解できずに固まり、かぐやは不思議そうに疑問の瞳を向けてきている。
なにを、と思ったがすぐにその視線の理由がわかった。
俺の手が、
「あの、どったのしんたろー? だいじょーぶ?」
「……」
言葉と共に手の下で喉が動いた。この体は生きているのだと伝えているかのように。
かけられた言葉は碌に耳に入らず、俺の意識はかぐやの首を抑え込んでいる自身の右手にのみ向いていた。それ以外は、今はどうでもよかった。
かぐやの首を掴んでいる。
かぐやの呼吸を握っている。
かぐやの命を、俺は今手にしている。
もし今、俺がこの手に力を入れて喉を締めて呼吸を塞いだら、かぐやは命の危機を感じて決死の抵抗を試みるのだろうか。
いつも笑顔を浮かべているこの少女は、そうしたら俺に殺意を抱くのだろうか。
俺が殺そうとしたなら、抵抗して殺してでも生き残ろうとしてくれるのだろうか。
俺と、殺し合ってくれるのだろうか。
俺に、
「……」
「しんたろー……?」
どうでもいい雑音を無視して、俺はゆっくりと手に力を入れて――――
―――チリン。と小さな音がどこかから聞こえた気がした。
『しんたろーはこれからもかぐやと一緒にいてね。かぐやの隣がしんたろーの
「―――あ」
瞬間、目が覚めた。
俺は力を入れようとしていた手をどけて、かぐやを上から押し倒し、身動きを封じるように抑えつけている体勢から横に転がるようにして何も無い床へと移動する。
俺はかぐやから距離を取り、膝をついて起き上がってから額に握りこぶしを一度思い切りぶつける。足りない。もう2度叩きつける。
落ち着け。この痛みで確実に目を覚ませ。
「えっ、なになに!? どしたのしんたろー!? なんでいきなり自分のこと叩いたの!?」
「………………なんでもない。気にするな」
この阿呆が。
何をしている。我慢も碌にできないのか。そんな有様だから、俺は俺なのを忘れたのか。
ヤチヨとの約束を破る気か。このゴミクズ。
かぐやに、子供に手を上げる気だったのか、阿呆が。
約束は、守れ。
「し、しんたろぉ~? だいじょーぶ? どっか痛いの?」
「…………問題ない。少し、寝惚けていただけだ」
二度、深呼吸をする。
知らず内に高鳴っていた心臓を落ち着けなくては。今はそんなものは必要ない。落ち着け。
俺がゆっくりと自身の内側を抑えつけてから視線をかぐやに向けると、何故かポカンと口を開けて驚いていた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔、とはこういうものなのだろうか。
何故、そんなに驚いてるんだこいつ?
「……かぐや?」
「し、し、しんたろーって……」
かぐやが震える手で俺を指さしながら、震えた声で問うてくる。
「しんたろーって…………寝惚けたり、するの?」
「……」
なんだ、その質問。
意味がわからん。一体俺はどんな生き物だと思われているんだ? 精神はともかく、肉体は確かに人間のもののはずだぞ。俺の父と母はどちらも俺とは違って普通の人なのだから。
「ど、どうなのしんたろー!?」
「……たまには、寝惚けたりもする」
「なっ――――!?」
俺の返答に、目を見開いて驚愕を浮かべるかぐや。
本当に俺はかぐやにどう認識されているんだろうな。よくわからん。宇宙人の思考は相変わらず難しい。きっと俺に理解できる日は来ないのだろうな。
俺は立ち上がり、窓を見る。
今まで気づいていなかったが、室内にはいつの間にか昇っていた太陽の眩しい光が差し込んでいた。
壁際で充電していたスマホを手に取り、画面を見て現在時刻を確認。いつもの起床時刻よりもだいぶ遅い。間もなく朝食の時間だな。
俺にしては珍しく、寝坊をしたらしい。
そして、寝惚けて
「……俺を起こそうとしたのか?」
「え? あ、うん。そうだよ。しんたろーが珍しくまだ寝てたから、かぐやが起こしてあげようと思ったの。でも何回か名前呼んだんだけど起きないから、揺すって起こそうとしたら……ね?」
「なるほど…………迷惑をかけたな」
「ううん。ぜんぜん大丈夫だよ。むしろラッキー、みたいな感じ? めっちゃレアなもの見れちゃったしね…………あとで彩葉に自慢しなくちゃ!」
「そうか」
「そーだ! あれかな、昨日しんたろーめっちゃ頑張ってたし、それで疲れちゃった感じ? ぐっすりだったもんね」
「……そうだな。昨日の影響だろう」
「そっか、あんまり無理しちゃダメだよ?」
「ああ」
「……あ、そうだ。それにしてもしんたろー、寝惚けてるからって首はダメだよ。かぐやめっちゃ『ぐぇっ』ってなっちゃったし~」
「……そうだな、すまなかった」
「ううん、いーよ。ちょっとビックリしただけだから」
つい吐き出しそうになった溜息をなんとか飲み込む。
阿呆が。少しは我慢しろ。
「それじゃかぐや、朝ごはんの準備するね。しんたろーはシャワー?」
「ああ」
「そっか。じゃ、いってらっしゃい。浴び終わったらおいし~い朝食用意してるからね!」
「……そうか」
「そーだ!」
にひひ、と楽し気に笑うかぐやを背にして俺は浴室へと入っていく。
衣服を全て脱ぎ去り、勢いよく冷水を頭から浴びる。少しでも頭を冷やさなくてはならない。
危なかった。本当に、危なかった。
昨日、8月18日にヤチヨカップは終了した。
開幕当初から目的としていた『優勝』の2文字を、かぐやが掲げる形で。
それはいい。元々それに関しては俺も目指していたものだ。どうせ無理だろうと思いつつも約束である以上は、と。無理を承知で無知な自分なりに全力を尽くしていたのだから。
故にその約束が実に望外なことに叶ったことはいいことだ。
そう。
いつの間にかすっかり忘れてしまっていたが、俺はかぐやとの約束に報酬を求めていた。
かぐやに直接そう口にしたわけではないので正確にはそれは約束の内ではないが、当時の俺はそれを含めて『約束』を交わした。
『月見ヤチヨとのコラボライブ』。それを観るという権利、というべきかはわからんが、とにかくそういったものを報酬として。
問題は俺がその事実を完全に忘れていたってことだ。
『1ヵ月の協力』という部分のみを記憶し、その協力期間が終わったあとの『ライブを観る』ということを完全に失念していた。
「……阿呆が」
本当に、それ以外に言葉がない。
視線を下げ、右手を見る。先程までかぐやの首を掴んでいた手だ。
何度か握って開いてと繰り返すが、未だに感触が残っている。暖かく、柔らかく、生きている感触がしっかりと。
「……1ヵ月、を意識し過ぎた弊害か」
この1ヵ月の間、俺はずっと我慢していた。
俺は人でなしだ。『殺し合いをしていないと生きていられない』と表現、すると語弊があるな。
正確には『殺し合いをしている時以外では自身が生きていると実感ができない』が正しいか。
自分でも思うが、本当にわけのわからんイカれたやつだ。生物として絶対におかしいだろう、こんなやつ。
ともかく、俺はそれをずっと我慢していた。
これまでは
だから自殺しようとしたのだが、色々あってかぐやと約束して自殺は延期。
そしてそこから我慢して我慢して、あと少しで終わりだからとなんとか自分を誤魔化して、そしてなんとかヤチヨカップ最終日へと辿り着いて、目的をいつの間にかすり替えていたことに気付いた。
阿呆だ。本当に。
「欲求不満、が一番それらしい表現だな……」
昨夜の真実に気付いた時の衝撃が、そのまま夢に表れたのだろう。
おかげで久しぶりに爺さんの顔を見た。もう二度と見ないとばかり思っていたのだがな。
頬に触れる。
いつもと同じ表情をしていると感触でわかる。夢とは違って口角は上がっていたりはしない。いつも通りだ。
いつも通りの俺だ。問題ない。
「……いくか」
浴室を出て、タオルで体を拭う。
さっさと着替えて、食事をして、あとは……何をするんだ? ヤチヨカップは終わったのだし、もう特に予定は無い気がするが。
……まあいい、わからんが何かをするんだろう。それに無いなら無いで構わん。
「しんたろー、シャワー浴びて目は覚めた~?」
「ああ」
「そっか、なら良かった。もう出来るから速く着替えちゃってね」
「ああ」
俺は返事をしながらタオルを洗濯用の袋に入れ、服を着ようとして――――
「おはよう浦野。昨日はおつかれさ――――」
玄関扉を開けて顔を覗かせた酒寄と目が合った。
珍しいな。いつもは扉の前で一歩立ち止まってから入室してくるのに、今日は間を開けずに入ってきた。寝惚けているんだろうか。
「おはよう、酒寄」
「……」
朝の挨拶をするが、返事がない。なんで固まってるんだこいつ?
「あ、彩葉。もうごはん出来るから、ちょっと待っててね…………彩葉?」
かぐやが声をかけるも、またしても無反応。固まったままだ。
かぐやが俺にまるで問いかけるように目を向けてくるが、無言で首を振って答える。俺にもわからん。
かぐやと共に訝しみながら酒寄の表情を窺っていると、固まったその顔は徐々に青褪めていき――――
「―――ご、ごめんっ!」
バタンと力強く玄関扉が閉められ、アパートの廊下を駆ける足音が聞こえてきた。
よくわからん展開によって静寂に包まれた室内で、下着一枚を履いた格好の俺はかぐやと目を見合わせて互いに首を傾げ合っていた。
☆☆☆
ガチャリと小さな施錠音が聞こえてくる。
「これでよし。あっちの部屋もよーし」
「いいか?」
「うん、オッケー」
「そうか」
俺と酒寄の部屋の施錠を指差し確認しているかぐやに声をかけてから、アパートの階段を先に降りていく。
では、買い物に行くとするか。
カツンカツンと背後で響く足音を耳にして、かぐやの位置を把握しながら階段を降りきって、おもむろに左手を出す。
すると即座に握られる左手。小さく、柔らかく、温かな手が俺の手を握りしめた。
「いこっ」
「ああ」
笑みを浮かべたかぐやに返事をして、2人並んで歩き始める。
いつものように歩いているだけだというのに、かぐやは俺と繋げている腕を振りながら歩き、とても楽しげな様子だ。
ただ歩いてるだけだというのに何故そんなに機嫌がいいのやら。いつも思うがよくわからんな。
「エコバッグ持った?」
「ああ」
「3つ?」
「ああ」
「ならよし!」
自分の物ならともかく酒寄のものだからな。
預かりものだ。失くしたりする気は無い。
「……食材だな?」
「そーだよ。今日の晩ごはんの分買わないといけないから」
「そうか」
「彩葉としんたろーの冷蔵庫がもっと大きかったら買い溜めとかも出来たんだろうけど、どっちも小っちゃいからね~」
「……手間なら毎食3人分を用意する必要はないんだぞ」
「やだ」
「…………俺は別に食事の善し悪しはわからないのだから、手が込んだものでなくても構わないが」
「やだ」
「……そうか」
「そーだ」
頑固だな。
3人分の食材となると量が嵩むのだから、俺の分を減らせば買い物の回数も減らせると思うんだがな。この時間も他のことに使えるのだし、悪くない選択だと思ったのだが。
どうやら、かぐやにとっては違うらしい。
「見て! 今日のチラシ!」
「……卵が安いな」
「あとトイレットペーパーも安いんだって! 忘れないでねしんたろー!」
「ああ」
スマホに表示されたスーパーの広告を、一応言われた通りに忘れないように記憶する。
買い忘れ、なんて初期の頃に何度かあったくらいで、今はもうそんなことにはならないのだから俺が覚える必要はおそらく無いが、かぐやの頼みだ。覚えておくとしよう。
「ねえねえ、しんたろー」
「なんだ」
「今日の晩ごはん……牛肉、にしようと思うんだけど、どう思う? 昨日ヤチヨカップ優勝したから美味しいもの作ってパーッとやろうって思ったんだけど、どう?」
「……」
どう、ときたか。
俺に食材について聞かれても普段ならわからなくて困るのだが、今回の質問に限ってなら答えられる。
俺の意見じゃないからな。
「酒寄が苦い顔をすると思うが」
「うぐぅ…………はぁ、だよねぇ〜……」
「ああ」
現在、俺達3人の食費は完全に3等分される形となっている。1週間に一度、酒寄が提出させているレシートを用いて計算しているので、おそらくは誤りもないだろう。
かぐやが多額の金銭を手に入れられるようになってからも、その形式に変更はない。
かぐやが何度『かぐやが奢る』と申し入れても、酒寄は断固拒否の構えだ。
「……彩葉、高いの買ったら困った顔するもんね……」
「ああ」
「作ったごはんも美味しそうに食べてくれるけど、ずっと困った顔してるし……」
「ああ」
「…………かぐやが全部出すよって言っても、絶対に自分の分は自分で出すって言うし……」
「そうだな」
酒寄は他人に金銭的な負担を軽減されるのを嫌っている。あるいは忌避していると称するべきだろう。
今かぐやが言ったように食費についてもそうだが、それ以外に関しても同様だ。
以前にかぐやが服を買って帰った時、かぐや自身の物に関しては素直に感想を述べていたが、それと一緒に『彩葉に似合うから』と買ってきた服を贈ろうとすると、途端に『無駄遣いをするんじゃない』と怒った。
そしてその後、問うても答えないかぐやを放って自身で値段を調べてから、改めてかぐやに服の代金を支払っていた。
あんなに名残惜しそうに金銭を手渡すくらいなら、素直に受け取ればいいものを。よくわからん女だ。
「…………牛肉だけ会計分けて、レシートを別にしたらバレないとかないかな?」
なるほど?
まあ、言わんとすることはわからなくもないが。
「試してもいいが、どうせ味で判別がつくと思うぞ」
「……だよねぇ〜……」
これで酒寄が味かわからないと言うのなら別だが、いつも美味しいと言いながら料理を食しているのだから、牛肉を提供したら普通に勘付かれるだろう。
「ってなると、やっぱり今日もなるべくお安めにしないとダメかぁ。せっかくのお祝いなのにぃ〜……」
「……」
そこまで気にするようなことなのだろうか?
酒寄に金銭を支払わせたくないということなら簡単な話、酒寄の口に入れなければ済むだけだ。酒寄は自身の分は自身で支払おうとしているだけなのだから、酒寄に食べさせず、かぐやだけで食べればそれで済むはずだ。
だが――――
「……はぁ。もっと美味しいの、食べてほしいのになぁ……」
かぐや自身が食べたい、というのが目的でない以上は無駄な思考か。
かぐやの望みは酒寄に金銭を支払わせずに値の張る食材を使用した料理を食べさせることなのだろうから。
となると、どうするか。
沈み込んだ様子のかぐやと手を繋ぎながら、考える。
酒寄がこれまで口にした言葉を思い出し、考えて、考えて、考えて、考える。
そして、答えは出た。
「酒寄に直接頼むしかないだろう」
「えぇ~……」
俺に効果的な解決策など思いつかないという結論が。
「それ以外に思い付くか?」
「…………つかない」
「なら無理だな」
「……そっかぁ」
「そうだ」
答えると、力強く手を握られた。
「……うん、そうだね。――――それじゃ、今日彩葉が帰ってきたらもっかい頼んでみるね! 『明日のごはんは普段より高いのでもいい?』って!」
「そうか」
「そーだ!」
やるだけやってみればいいさ。
好きにするといい、俺は止めはしない。かぐやの望むことをやればいい。
「とりあえず、今日はごはんはいつも通りの感じにするね。しんたろーは何か食べたいものとかある?」
「ない」
「ふふふっ。うん、知ってた」
吹っ切れたのか、笑顔をまた浮かべたかぐや。
いつも通りの顔だ。それでいい。
時折他愛のない会話をしながらさらに歩みを進めていると、道の先から老婆と1匹の犬が歩いてくるのが目に入った。
かぐやはその1人と1匹が視界に入った途端に手を離し、駆け出していく。いつも飽きないな。
「―――おばあちゃーん! おはよー!」
「……あら、かぐやちゃん。おはよう、今日も元気ね」
「まあね~。今日もかぐやは元気もりもりだよ!」
「あらあら。若いっていいわねぇ」
「ふっふっふ~。かぐやはなんたってピチピチの0歳だからね!」
「あらあら」
老婆と話しているかぐやの背後へとゆっくりと歩いていき7歩分の距離を取って立ち止まると、老婆が微笑んで会釈をしてきたので俺も会釈を返す。
この老婆は近所に住んでいるらしく、買い物やら散歩やら動画撮影やらで出歩くかぐやと犬の散歩中にたびたび遭遇する相手だ。IDの交換もしているらしく、よくメッセージのやりとりもしてるとか。
「この前教えてもらった煮付け、すっごく美味しかった!」
「あらあら、それは良かったわ。いろはちゃんも喜んでくれたのかしら?」
「うん! 彩葉も『美味しい』って言ってくれた! 教えてくれてありがとね、おばあちゃん」
「ふふふ、礼なんていいのよ。あれはこの前荷物をお家まで運んでもらったお返しなんだから。気にしないでね」
「ううん、気にするよ。だってそんなことないもん。彩葉も言ってた、『礼には礼で返すべし』って。だからお礼はちゃんと言うよ――――ありがとね、おばあちゃん。あの煮付け、本当に美味しかった!」
「あらあらもう、なんだか年甲斐もなく照れちゃうわね」
かぐやが嬉しそうな顔で頭を下げると、同じように嬉しそうな顔をしながらかぐやの手を握る老婆。仲が良い、でいいんだよなこれは。
友情に年齢は関係ない、だったか? いつだか調べた時にそんな言葉を見た気もする。
まあ、俺にはこれが友情なのかどうなのかの判別は出来はしないんだがな。
「ワフンッ」
「あ、ごめんねマリン。無視してたわけじゃないんだよ~」
「ワフン」
「おーよしよし~。ここか? ここがいいんか~?」
「クゥ~ン」
「あらあら」
老婆の飼い犬にせがまれ、その体を撫でまわすかぐや。
結構雑に撫でるものだな。他者を撫でるときはあれくらいのほうがいいのだろうか? 普段の俺の撫で方は気を遣い過ぎてるのだろうか?
……わからん。まあ、別にいいか。
「―――しんたろー!」
かぐやが犬を撫でながら、首だけ振り返って俺の名を呼ぶ。期待するような顔をこちらに向けて。
……言いたいことはわかる、のだが。
「……今日も無理だと思うぞ」
「この前はこの前、今日は今日だよ! やってみないとわからない!」
わかると思うがな。
俺は溜息を飲み込んでから、かぐや達に向けて1歩だけ距離を詰め――――
「ガルルルゥ……!」
―――犬に威嚇された。
足を止め、1歩下がる。すると犬は威嚇を止め、警戒の視線をこちらに向けてくるのみとなった。やはり、以前測ったように7歩が限界か。
やっぱりこうなった。やるだけ無駄だな。
「む~。今日もダメかぁ……」
「あらあら、今日もダメねぇ」
昨日も今日も、そして明日も駄目だろうな。結果は目に見えてる。
俺は動物には好かれん生き物らしい、と。
「マリ~ン、しんたろーは優しいから大丈夫だよ?」
「クゥ~ン……」
「ダメかぁ……ぜんぜん怖くないんだけどな~。なんでだろ?」
犬から視線を上げて俺を見ながら小首を傾げるかぐや。
何故こんなにもこの犬と出会った時から俺が拒絶されてるのかが気になっているらしい。
一応、推測は出来てはいるんだがな。
初対面の時にこの犬が老婆によく懐いているのが見て取れたので、『この老婆を襲ったら犬が襲い掛かってきたりするのだろうか?』と考えたのがバレたか、あるいは微かな殺気が漏れていたか。そんなところだろう。多分。
つまりは、自業自得なだけだ。
その後、多少でも俺に犬を近付けることは出来ないかと試行錯誤するかぐやだったが、いつものように失敗に終わった。
「今日はダメだったけど、次もまた試すからね。待っててねマリン」
「ワフンッ!」
「ちょっ、まっ、アハハっ、くすぐったいってマリン!」
かぐやは買い物途中であることを思い出したのか、最後に一撫でして立ち上がろうとして、その直前に犬に顔を舐められまくっている。
その様子を遠目から見て俺は配信中のかぐやを思い出して、今のかぐやと重ねて見てみる。
……人にも犬にも好かれるとは、かぐやはすごいな。俺には絶対に無理だろうな。
「それじゃバイバ~イ、また今度ねおばあちゃーん! マリーン!」
「はい、さようなら」
「ワフンッ!」
その後、少し経って落ち着いた犬を引き離し、老婆と犬に別れを告げて手を振って再開を望む言葉を投げかけるかぐや。
老婆はそれに微笑みを返し、犬は尻尾を振りながらさらにもう一度鳴き声を上げてから去っていった。
俺は犬が離れたことで数分ぶりにかぐやへと接近し、ポケットの中のものをかぐやの眼前へと差し出した。
「使うか?」
「え……? あ、これって……」
かぐやが俺の手の中のものを見て、驚いたように目を見開いた。そこまで驚くようなものではないはずだが。
「……この前の、彩葉のやつ?」
「ああ。そうだ」
先日、というか2日前に誕生日プレゼントとして酒寄から贈られたハンカチを、俺はかぐやへと差し出していた。
「……顔はいいのか?」
言外に顔に付着した犬の涎を拭くならこれで拭けと伝えると、かぐやは笑顔でハンカチを受け取ろうと手を伸ばし――――手を引っ込めた。
「かぐや……?」
「ん」
どういうことかと問いかける前に、かぐやが顔を突き出してくる。
なんだ、これ?
「ん」
「かぐや、それはどういう」
「んー」
「……せめて言葉で意図を」
「んー、んっ!」
「……」
俺は無言で手にしたハンカチでかぐやの顔を拭う。
力加減がよくわからないので、とりあえず優しめに拭く。大切に大事にする必要がある以上は無用な怪我をさせるわけにはいかないだろう。
ある程度拭き取ったと判断し、手をどけるとかぐやと目が合う。
「かぐや、キレイになった?」
「……綺麗かどうかはわからんが、唾液はもう付着していないようには見える」
「そっか、ありがとう!」
「ああ」
ハンカチをポケットにしまい、差し出された手を握って歩き出す。
そのまま無言でどこか上機嫌なかぐやと歩き続けていると、かぐやが妙なことを言い出した。
「『仲の良い彼氏さんね』って、最初の頃のおばあちゃんは思ってたんだって」
「……俺がか?」
「しんたろーが、だよ」
彼氏、とはまた実に俺に似合わない単語だな。
何故そんな妙な勘違いをしたのやら。
「おばあちゃんと会う時はいっつも2人で仲良く手を繋いでるから、そういう間柄なんだって勘違いしてたらしいよ」
「……そうか」
仲良く? 手を繋いでいただけでか?
繋いでいるのはかぐやが求めたからと、事故の可能性を鑑みているだけで、決して俺とかぐやの仲が良いからではないのだがな。
「ふふふ。おもしろいよね、おばあちゃん。かぐやとしんたろーが恋人なわけないのにね」
「そうだな。恋慕の情、などと言うものはないからな」
「……れんぼのじょー?」
足を止め、まるで窺うようにこちらを見上げてくるかぐや。
なんだろうか。俺は今そんなに変なことを言ったか?
「……恋人関係を構築する上で必要な感情、だったと俺が以前に調べた時に記載されていたと思ったが、違うか?」
「え、いや、かぐやもよくわかんないけど……でも、恋人ってお互いに『好き』って思ってたら恋人なんじゃないの?」
「……俺も詳しくはわからんが、その『好き』にも種類がある、という話だったと記憶している……多分だが」
「種類? ……それが『れんぼのじょー』?」
「多分な」
「そう、なんだ……」
俯き、考え込むような仕草のかぐや。
気持ちはわかる。好きというだけでもわからん感情なのに、さらにそれに複数の種類があると知ってしまえば困惑もするだろう。いつかの俺もそうだった。
大雑把な『好き』すらわからん俺には細分化された『好き』は完全に理解不能な概念でしかない。
もう俺はそれを理解しようとすることすらとうに辞めた。どうせ無理だしな。
「……そっか。なら、目標がちょっと変わるね」
「目標?」
立ち止まっていた足を動かし、再度スーパーに向けて歩き出したところで小さく呟くかぐや。
その呟きについ問いかけるような言葉を溢してしまうと、かぐやは素直にそれに答えた。
「そ、目標。題して、『かぐやの絶対に叶えたい3つのこと。しんたろーバージョン』!」
「……」
なんだそれ。
「ひとぉつ! 美味しいって言ってもらえる料理を作ること!」
いや、無理だろ。
「ふたぁつ! かぐや達と一緒に笑ってもらうこと!」
「……かぐや」
「みっつ! かぐやと恋人―――じゃないや、それじゃなくなったんだ……ごほん。かぐやを好きになってもらうこと!」
「…………全て不可能じゃないか?」
無理難題にもほどがあると思うが。
「む~。しんたろーそういうこと言わないの。人の目標をとやかく言っちゃうのはダメなんだよ」
「そうか。すまないな」
単純に無理だと思っただけなんだがな。
しかし『好きになってもらう』、か。
「当初は俺と恋人関係を構築する気だったのか?」
「うん。だって好きな人同士のことを『恋人』って言うんだって思ってたから。だからしんたろーにかぐやのことを好きになってもらえたら、それは『恋人になる』ってことだと思ってたの」
「そうか」
そういえば一昨日の誕生日パーティーの際に言ってたか。『しんたろーのことが好き』と。
確かに、かぐやの理屈で言えばあとは俺がかぐやを好きになれば恋人になるはずだったのか。納得した。
「しんたろーって、かぐやのこと好きじゃないでしょ?」
「ああ」
「でも嫌いでもないでしょ?」
「ああ」
俺の返事に満足げに頷くかぐや。
そんな当たり前なことを今さら確認してどうしたいんだ?
「―――でもかぐやのこと、すっごく大事でしょ?」
「そうだ」
「だよね!」
かぐやは子供だ。
大切に、大事にするべき存在だ。
好きとか嫌いとか、そんな感情とは関係なくそうすべき存在だ。
それが、俺が友人であるヤチヨとした約束なのだから。
「大事にしてくれるのはすっごく嬉しいけど、かぐやのことを好きになってもらえたらもーっと嬉しいから、そうなってくれるように頑張って、一緒に美味しいって思えるごはん食べて、一緒に楽しく笑いたいの」
「そうか」
「そーだ!」
心底嬉しそうに笑いながら答えるかぐや。
俺を好きと言い、俺の居場所は己の傍だと当然のように言い放った少女。
どこまでも俺の理解の範疇の外に居る存在。
人に好かれ、求められ、自らの力で居場所を作ることが出来る
自身とはどうあっても異なる少女の言葉を俺はどのように受け止めるべきなのか、未だにそれはわからないままだ。
ライブまではあと10日以上ある。時間がある以上は考えて答えを出さないといけないだろうな。
面倒くさいが、やらなくてはな。
「……『しんたろーバージョン』と言ったが、他にもあるのか?」
「あるよ! ……もしかして気になる?」
「多少は」
かぐやが何を考えているのかを知るために、少しでも情報が欲しい。
まあ、無理なら無理で構わんが。
「じゃあ教えてあげる。―――題して、『かぐやの絶対に叶えたい3つのこと。彩葉バージョン』!」
「なるほど」
酒寄か。納得だな。
「ひとぉつ! 健康的な生活をしてもらうこと! 前みたいに倒れちゃったりしないようにね」
「ああ」
「ふたぁつ! 思いっきり笑ってもらうこと!」
……それは、どういう意味だ?
酒寄は確かにあまり普段から笑わないが、別に全く笑わないわけではないはずだが?
「みっつ! かぐやと恋人―――じゃなくて、好きになってもらうこと!」
「……なるほど?」
大体俺に対するものと同じだが、なんだかよくわからん内容だな。
これは俺の理解力のせいか?
「前に彩葉が倒れちゃったあとで調べたんだけど、人間って栄養バランスっていうのが大事なんだってわかったの」
「ああ」
「だからかぐやめっちゃ勉強して、それからはちゃんとバランスを考えた献立にしてたんだ~。気付いてた?」
「いや、まったく」
「にひひっ、でっしょ~? 実はコッソリとかぐやのさりげない気遣いってやつが炸裂してたのだよ。どう、すごい?」
「……そうかもな」
「ふっふっふ~。
胸を張って得意気に言うかぐや。
そのせいで足元への注意が散漫になっているのが見て取れるので、代わりに気を付けて歩きながら続きを促す。
「2つ目の『笑ってもらう』とはどういう意味だ? 酒寄は俺と違って笑えるだろう」
「ん? ああ、違う違う。そうじゃなくって『
……いや、わからん。
それはどう違うんだ?
「いつもの感じの笑い方じゃなくて、もっとこう、お腹の奥から笑ってる感じのやつを彩葉にはしてほしいの」
「……なるほど」
ようはかぐやが酒寄に料理を食べてもらって『美味しい』と感想をもらったときに浮かべてる笑顔と同一のものを、酒寄にもしてほしいということか。
「って言っても、もうこれは達成してるんだけどね」
「……そうなのか?」
「うん! 昨日と一昨日に! ……まあ、一昨日のはちょっと違う気もするんだけど」
……一昨日は多分誕生日パーティーの時、だよな?
正直あまり覚えていない。その時の俺はかぐやの予想外過ぎる言葉によって、他者の様子なんてまるで気にしてられなかったからな。
でも薄っすらと笑い声を聞いたような覚えも確かにある、気がする。多分それだろう。
「……昨日も笑ってたのか?」
俺が問うと、嬉しそうに笑って答えるかぐや。
「うん。『かぐやがミスっても私は置いてくー』だって」
「……ああ、それか」
なるほど、あの時のか。帝を撃破したあとのやつだな。
そういえばそんなことを言っていた。そして確かに普段よりも笑っていた。
「ちょっとだけ寂しかったけど、あんな風に笑ってくれたから別にいいなって思ったの。それに変なことでもないしね」
「そうか?」
意外な言葉だ。俺は少し違和感があるのだが。
俺の知っている『優しい人』である酒寄なら、かぐやが何かしらのミスをしたなら置いていくとは思えないのだが、かぐやからしたらそうでもないのか?
「そーだよ。だってそれって皆とおんなじだし」
「……皆、とは誰のことだ?」
「とーぜん、ファンの皆のことだよ」
「ファン?」
かぐやいろPチャンネルのファンと酒寄が同一?
どういう意味だ?
「ほら、かぐやが動画とか配信でなんかミスったりしたら、再生数とかコメント増えるでしょ? 彩葉もあれと同じってことだと思うんだよね」
「……ああ、そういうことか」
「そーいうことだ」
なるほど。納得した。実に理に適っている考察だ。
確かにかぐやがライバー活動中になにかしらのミスを犯した際のファンの反応は好意的なものが多い。それは数字として確認できるれっきとした事実だ。
そして膨大な数のファンが同様な感想を抱くということは、それはつまり一般的な感覚から生じるものだということ。
つまるところ、ごく普通な感想というわけだ。
そして酒寄は俺やかぐやと違い『普通な人』だ。なら感覚が異なっていてもなんら不自然なことはない。それが当たり前のことなのだから。
酒寄は他の普通な人達と同様に、かぐやのミスを見て楽しく思える人ということなのだろう。決してそこに悪意や害意を含むことなく、純粋に楽しく思える人ということだ。
「で、最後の3つ目の『好きになってもらう』は、しんたろーバージョンと同じやつね」
「そうか」
「いつか彩葉にも、かぐやのこと好きって言ってほしいから。――――だからかぐや、これからも頑張ってくよ!」
「そうか」
「そーだ!」
なら、好きにするといい。
乞われたのなら協力はするが、そうでないなら俺は何もしない。というかしないほうが断然いいだろう。そういうことなら俺では邪魔にはなっても、決して役には立たないだろうからな。
俺がそう内心で考えていると、唐突に繋いだ手に力が籠められる。
「……昨日のね、彩葉の笑った顔がすっごくキレイだったの」
「ああ」
「ホントにね、ホントのホントに昨日の彩葉はすごかったんだよ」
「そうか」
視線を前へ向けたまま、呟くようにそう口にするかぐや。
俺も同じように視線を前方へとやるが、目に映るのは見慣れた景色のみ。
今かぐやは、何を見ているんだろうな。
「だからいつか、あの顔でかぐやのことを好きって言ってほしいんだ……」
「……そうか」
「うん」
「なら、そうするといい」
「……うん! 頑張る!」
「ああ」
そうして、嬉しそうな笑顔のかぐやと手を繋いで、俺はスーパーへと歩みを進めた。
「ただいまー」
ガチャリと鍵を取り出しもせずにドアノブを回すと、いつものように何の抵抗も無くドアは開いた。
……いや、
「おかえり彩葉!」
「……おかえり、酒寄」
そしていつものように開いたドアの向こう、
まったく、いつから私は帰宅前に寄り道するのを習慣にしてしまったのやら。私は一体いつの間にそんな不良少女になってしまったんだろうな。
……なんて、そんなの改めて考えるまでもないか。
「うん、ただいま」
かぐやが来てから、これが私の日常だもんな。なら、仕方ない。
だってそうしないとかぐやが悲しそうな顔しちゃうし。そうだ。うん。なら仕方ない。私は悪くない。
「ごはんにする? それともシャワー?」
「今日は……シャワーを先にしようかな。晩ごはんはそのあとでもいい?」
「わかった、そうするね! じゃあしんたろー、かぐや準備するからあっち行くね」
「ああ」
「ごはん出来たら呼ぶから、楽しみにして待っててね!」
「……楽しみにはせずに待っている」
浦野の返しにもう、と怒ったような口調で楽しそうに笑いながら答えるかぐやと一緒に、私も自室へと帰宅する。
昨日の今日だったからバイトが結構疲れたし、ちゃちゃっと汗を流しちゃうかな。私は元々シャワーは長い方じゃないけど、浦野も待たせているのだしすぐにでも――――
「―――ってそうだ。かぐや、一応言っておくけど私が着替え終わるまで浦野のこと呼ばないでよ?」
「……うん? 別にいいっていうか、今までもそれはしたことないけど、なんで?」
「なんでって、あんたねぇ……」
制服を脱いでる途中だが、まるで痛む頭を抑えるように額に手を当てながら私は答える。
「朝みたいなことが無いように、に決まってるでしょ」
それ以外に無いでしょうが。まったくもう。
「朝……? あ、しゅーちしんがどうとか言ってたあれのこと?」
「……それのこと」
なんでもないように言うかぐやに私は憮然と肯定する。
この反応はよくわかってない時のかぐやの反応だ。どう伝えるべきなのやら。
羞恥心はどうやったら育まれるのかなんて、私にはわかんないんだけど。普通なら生きてたら自然に持ってるものだしなぁ。
「えっと、しんたろーがパンツしか履いてない時は、今朝の彩葉みたいにかぐやもビックリしないといけないんだっけ……?」
「……まあ、うん、そんな感じ……」
「うーん、そっか…………よくわかんないけど、明日からはちゃんとそうするね」
「うん、そうして……」
私はかぐやの返答にガックリと肩を落として、着ていた制服を全部脱いでから浴室へとトボトボ歩いていく。かぐやの訝しげな視線を感じるが、今は無視。それに答える気力はありません。
どうやら子育ては、私にはまだ難しいらしいしね。
シャワーを浴びながら、今朝のことを思い出す。
いつものように朝食のために浦野の部屋に行って、いつもよりも遅く起きたらしい浦野の着替え中を目撃してしまったあの瞬間のことを。
「……はぁ。あれが私が初めて見た男子の体か……」
血の気が引いた自分を自覚しながら、温かいシャワーで身をほぐしていく。
家族以外で見た異性の裸体が、まさか浦野のものになるとは思ってなかった。しかも
普段見ることのない浦野の体は、思わず気分が悪くなるくらいには傷だらけの凄まじいものだった。傷の上に傷が重なり、いっそグロテスクと言っても過言じゃないくらいの。
そりゃ学校で男子が体育の時間の前後は特に浦野を避けるわけだよ。あんなの見たらそりゃビビってまともに関わろうとは誰もしないだろうし、変な噂も流れるよ。納得しかない。
「でもなんで裸を見られても無反応なわけ? 浦野はかぐやと違って地球人なんだから普通に羞恥心くらいある……はず…………いや、浦野はそういうの無いんだっけ」
そういえばそうだった。
一昨日の誕生日パーティーの前に本人が言ってたじゃん。『喜怒哀楽とかそれ以外もよくわからない』みたいなこと。
なら多分そこに羞恥心も含んでるんだろうな。
正直それでも意味わかんないけど。なんだよ普通の感情わかんないって。
「……ま、そんなの今更か。それが浦野だもんね」
あの男がわけわかんないのは今に始まったことじゃない。
浦野はそういうものだと認識しておけばとりあえずいいんだ。それで解決。別に友達ってわけでもないんだし、それくらいの距離感がベストなんだから。
それよりも、問題はどっちかっていうとかぐやの方だしな。
「……もしかして、自分の裸を他人に見せることにも躊躇いなかったりしない、よね……?」
つい思いついた考えを否定しようとするが、否定しきれなくて頭を抱えそうになる。
あの子、私と一緒にお風呂に入る時も一切隠したりしないしなぁ。女同士だからって少しは隠すようにいつも言ってるけど、よくわかってない感じだし。どうしたもんかなぁ……。
……てか、あれ? もしかしてだけど、私がいない間に浦野とお風呂一緒に入ってたりしないよね? よくそうして見慣れてるから別に浦野の裸に反応しなかったわけじゃないよね? あれ、違うよね? さすがにそれはないはずよね?
「……浦野、さすがにそこは信じてるからね……」
一応あとでこっそり確認しとこう。
私は不安を胸に抱えたまま、シャワーの栓を締めた。
☆☆☆
「どう、美味しい?」
「……うん、今日も美味しいよ」
「そっか、良かった!」
私が口の中を空にしてから答えると、かぐやは嬉しそうに笑った。
この表情を見ると、私も胸の奥が温かくなるのだから不思議なものだ。笑顔には力があるっていうのは本当だよなぁ。かぐやと一緒に暮らすようになってそれを強く実感してる気がする。
「しんたろーは? どう、美味しい?」
「……魚と調味料の味がする」
「ぐへぇ~、これでもダメかぁ…………でも、諦めないからね。次はもっと美味しいの作るから!」
「そうか」
いつもの浦野の言葉に、いつもと同じかぐやの反応。見慣れたものだ。これを見ると今日ももう終わりだなって思う。
私の日常、めっちゃ変化してるなぁ。
「あ、そうだ彩葉。ちょっといい?」
「ん? なにかぐや?」
「……あの、その……一個お願いがあるんだけど……」
「お願い?」
珍しいな、なんだろう?
基本的にかぐやは自分の判断でなんでもかんでも突き進むから、普段は私にお願いなんてしないんだけどな。いつも浦野が傍にいるから困ったら大体はそっちに頼んでるっぽいし。
なのに、今日は私にお願い? わざわざ?
ちょっとだけ浮かんだ不安を胸の奥底に押し込めて、私はかぐやに続きを促す。
「……その、明日、なんだけど……あのね……」
「うん……」
なんだろうこれ? なんでかぐやはこんなにもじもじとしてるんだ? すっごい不穏なんだけど。
なんだ? 何を言い出すつもりなんだ?
普段と違い過ぎるかぐやに、私の不安は徐々に大きくなっていく。
そんな風に警戒している私をチラチラと見ながら、かぐやは自分の頬を叩き、気合を入れ直したような表情になって勢いよく答えを口にした。
「―――明日の晩ごはん、ちょっと高い材料買ってきてもいい!?」
「……はい?」
まったくの予想外の願いに、私は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
え、なにそれ? そんなのがお願いなの? あんなしおらしい態度から出てくるのが、それ?
「うぅ……やっぱダメ?」
「いや、別にダメってことはないよ……普通にかぐやの好きなものを買っていいよ?」
私は別にかぐやの買い物を特別に禁止してるわけじゃない。
あ、でも部屋に入らない大きさの物とか、生き物とか、あとさすがに高すぎる物は禁止してるけど。じゃないと際限なく買ってきそうで怖いし。
だから別に、普段よりもグレードの高いものを食べたいならそれでもいい。
……私としては、予定以上の出費は少し痛いけど。そこはまあ、かぐやを引き取った以上は必要経費として受け入れないといけない部分だし仕方ない。
そこは私がバイトを頑張ってなんとかすればいいだけだし。
「―――……かぐやが全部お金出すって言っても?」
「いや、それは」
ダメ。そう言おうとして―――かぐやの懇願するような瞳を見て、口を閉じる。
なんでそんなことを望むんだろう、この子は。
「……なんで?」
「だって彩葉、お金あんまり使いたくないんでしょ? ならかぐやが全部出しちゃえばオッケーかなって……」
「それは……」
その通りだ。私にはあまり金銭的な余裕はない。
いや、正確に言えばないわけでは無いんだけども。一応1人暮らしを始めるにあたって母の説得に口添えしてくれた祖父母から毎月仕送りは送られてはいる。だから本当に金欠なわけではない。
金欠じゃないけど、それを使わないと私が決めただけだ。
私は『1人で生きていく』と母に宣言した。母は『どうせ無理だ』と私に言った。
その言葉を覆したくて、認めてもらいたくて、私は自分自身で稼いだお金以外は受け取らないと決めて、これまで暮らしてきた。
たまに友達からお菓子とか、プレゼントでコスメとか、お礼と称してパンケーキを奢られたりはするけど、それは決して一定のラインを越えたりはしないものだ。私が素直に受け取れるギリギリのラインに収まっているもの。
真実も芦花も、私をよく見てくれているから線引きはしっかりしている。
かぐやと出会ってからもその部分は変わってない。
浦野からお金を渡されても拒否したし、かぐやがどれだけライバーとして活躍して稼いだとしても、かぐやの使用した分以上のものは絶対に受け取らなかった。
かぐやと暮らして出費が倍以上に増加しても、私は絶対に他人から施しは受けようとはしてこなかった。
だけど――――
『彩葉が危なくなったら、かぐやが助ける!』
昨日のあれ、私、拒否しなかったんだよなぁ。
それどころか普段の私とは思えないような冗談を返すくらいには上機嫌だった。
1人じゃ絶対に倒せなかったお兄ちゃんを倒して、1人じゃ絶対に無理だと思ったヤチヨカップ優勝を3人で達成したんだ。
1人で無理なことを、誰かと一緒にやって、そして多くの人に認められた。
なら、こんなことを拒否したって今さらか。
「―――いいよ」
「え……?」
かぐやのキョトンとした顔に、思わず笑ってしまいそうになるのを堪えて言葉を続ける。
「お金。かぐやのお金なんだから私に気にせず好きに使っていいよ」
「……えっと、その、上限はいくらまで……?」
「上限なし。好きにしちゃいな……あ、でも自分の所持金以上はさすがにダメだからね。ちゃんとそこは計算するように」
私が言うと、何を言われたのかわからないような顔をしながら浦野の顔を一度見て、また私に視線を戻してくるかぐや。
え、そこまで混乱するようなこと私言ったかな?
「牛肉、買ってもいいの? 彩葉あとで困った顔してお金出してこない?」
「出しません。だから買ってもいいよ」
「高級和牛とか買っちゃうよ? いいの……?」
「いいよ」
「じゃあ、あの……そう、カニとかでもいいの!?」
「うん、かぐやが食べたいならカニでもいいよ」
カニ、カニか。前にカニ食べたのなんていつだったっけ?
あれかな、中学の修学旅行の時だったかな? あのカニ美味しかったな。懐かしい。ちょっと食べたくなってきたかも。
「じゃあじゃあ! いっそ外食とかでもいいの!?」
「……まあ、かぐやがそうしたいなら、それでもいいよ」
「マジでっ!?」
今日一番の声だ。そこまでビックリする?
……いや、するか。私も結構頑固だしな。多分無理だと思ってたからあんな態度でお願いしてきてたんだろうし、きっと許可が出るなんて思わなかったんだろうな。
ならこの反応も仕方ないか。これまでの私を知ってるならそりゃ驚くもんね。
「いいね外食。久しぶりだから楽しみかも。どこにするとか決めてるの?」
「あのね! 動画で見て行ってみたいとこがいっぱいあってね! 例えばえっと」
「―――ああうん、わかったから。わかったから少し落ち着いてかぐや。お店選びは任せるから、明日の晩までには決めておいて、ね?」
スマホを取り出して目星をつけていただろうお店を紹介しようとするかぐやを遮る。すると私の言葉にパァーっと表情を輝かせるかぐや。
どうやら相当に嬉しかったらしい。
そんなに行きたいお店があったんだ。知らなかったな。
「わかった! 明日楽しみにしててね!」
「はいはい」
今にも食事を放り出してお店選びを始めそうなかぐやを尻目に、私は食事を再開する。
あ、このおひたし美味しい。好きな味だな。
かぐやがスマホを弄りながら片手間に食事をしているのを、注意しようと思い口を開き―――そういえばと、不意に思い出した。
「……あ、そうだ。私も一個かぐやに言っとかなきゃいけないことあったんだった」
「え、なに? なんかあるの?」
まったく関係ない流れからの私の言葉に小首を傾げるかぐや。と、一瞬だけチラリと視線を向けてくるも黙って食事を続ける浦野。
相変わらずこの男はこっちから話題に巻き込まないと絶対に入ってこないよな。
まあ、そんなことはともかく、だ。
「明日の昼は私帰ってこないから、ごはん準備しなくていいよ」
「え……? 明日ってかきこーしゅーだけでバイトは無かったんじゃなかったっけ?」
今、壁の予定表見ないで答えたけど、よく覚えてるな。
「まあ、うん……ちょっと用事で」
「ふーん、わかった。明日は彩葉のお昼は無しね、りょーしょーした!」
「うん、おねがい」
そうして、その後も今日あった出来事などを話しつつ、いつものように美味しい晩ごはんは終了した。
「かぐやっほー! かぐやだよ~。みんな昨日ぶりだね、元気してた~?」
「ワンワンッ!」
「ほいさっ。そしてこっちは犬DOGE。はい、挨拶」
「ワン!」
「よしオッケー。そんでお次は~」
かぐやに差し出された手を向けられ、それに追随したカメラウィンドウに向かって声を発する。
「……たろーDだ」
これまでと同様の言葉を、これまでとは
なんだか妙な感じだな。あの着ぐるみはたった1ヵ月しか身に纏っていなかったというのに。
「そんんで最後に、なんだけど…………あの、彩葉?」
「クゥ~ン……?」
「……」
かぐやの不思議そうな声に、
爪先から頭頂までを毛皮で覆い、大きな耳と尻尾を持ったその
「……なに?」
「いや、なにじゃないでしょ。何してんの彩葉? なんでまたそれ着たの? 昨日は脱いでたじゃん」
その通りだ。なんでまた着ぐるみを着たんだこいつ?
元々はアバター姿を配信で映したくないから、だったと記憶しているが、もう意味はないだろうに。昨日はあれだけ大勢の前で姿を晒したのだから。
「……だってほら、その……あれだよ。いろPとして配信するのはいつもこの格好だったわけなんだから、いきなりそれを脱いで配信するのはなんか違う、みたいな? そんな感じ?」
「……どゆこと~?」
言わんとすることはわからなくもない、のか?
これまでその着ぐるみでライバーとして活動してきたのだからその格好を変更するのはおかしい、という理屈だしな。
となれば、だ。
「……俺も着たほうがいいか?」
「えっ、なんで!? しんたろーも着るの!?」
「いろPの理屈ではそうなるな」
「え~!?」
不満を多く含んだ声で非難するように言うかぐや。
別に大して変わらないのだから、どっちでもいいと思うんだがな。
「外見に拘りがあるのか?」
「だってせっかく顔を見ながら一緒に配信できると思ったのに、それ隠すのはなんかズルじゃん!」
「そうか?」
「そーだよ! めっちゃズルい! かぐや期待してたのに!」
そういうものか。
よくわからんが、かぐやがそうしたいのなら別に構わん。
外見などどう取り繕おうとも、醜悪な中身が変わるわけではないんだから。
「なら俺はこのままでいよう。いろPはどうする?」
「脱がす!」
「そうか」
「手伝って!」
「……構わんが、他者が勝手に脱がせられるものなのか? 現実ではともかく、ここは仮想空間だが」
「あ、そっか…………彩葉、それって出来るもんなの?」
「この流れで私が教えるわけないでしょうが!」
「えー、なんでー、教えてよ彩葉~」
「ええい、引っ付いてくるんじゃないの! ……あっ、こら、あんたリアルでも!? 暑いんだからやめなさいっての!」
「いいじゃん彩葉! 昨日もやったんだから脱いじゃおうよ~!」
「もうや~り~ま~せ~ん! あれは勢いでやっちゃっただけなんだから!」
「もうそんなの今さらだって~。切り抜き動画もいっぱい上がっちゃってるんだしさ」
「はぁ!?」
酒寄が叫び、かぐやの顔を正面から見つめる。
着ぐるみをしているので表情は不明だが、おそらく声音からして驚愕しているのだろう。
「ほら見てこれ、かぐやもまだ全然見てないけど、なんか色々上がってるよ?」
「…………え、嘘、マジ? なんで? 私ただのかぐやのおまけなのに? なんでこんなに動画があんの? え?」
同感だな。俺もさっきかぐやに言われて少し検索したが、酒寄と同様にいくらか俺が主体の動画が何本も投稿されていた。
一体そんなものにどんな需要があるのやら。やはりライバーというのはよくわからんな。
「む! 彩葉はおまけなんかじゃないよ! ちゃんとすっごいんだから! 曲も作れるし、勉強も出来るし、いっっっっぱい色んなことを頑張ったり出来るすごい人なんだからね! そーいう、えっと、ヒゲ? はしちゃダメだかんね!」
「……卑下ね。発音がちょっと違う。じゃないと私がヒゲ生やしてるみたいになっちゃうでしょ」
「ん? ヒゲ……?」
「卑下」
「ひげ」
「卑下」
「卑下!」
「……うん、それで良し。かぐやは配信で大勢に視られてるんだから、その辺は気にしなさいよ」
「はーい」
かぐやと酒寄のじゃれ合いを余所に、俺は中央のテーブルを囲むようにして3つ置かれている4人掛けのソファの一つに深く腰掛ける。
するとかぐやの足元でうろちょろしていた犬DOGEもソファへと跳び上がってきて、そのまま頭だけを俺の膝の上に乗せてきた。そして視線は俺の顔へと真っ直ぐだ。
撫でろ、ということか? まあいいが。
俺は犬DOGEの頭を撫でながら、宙に展開しているコメントを軽く流し見る。
なんか勢いが普段よりも速いな。読みずらい。
多いし、速い。なんだこれ。読めないことも無いが読む気になれない。本当になんだこれ。
普段から俺は配信中のコメント欄はあまり見ないが、前からこんなもんだったか? よくかぐやはこれを見て会話だとか出来るものだ。すごいな
俺には無理だな。面倒くさい。
視線をかぐやの方へと向けると、ちょうど肩を落とした酒寄が着ぐるみを解除してるところだった。どうやら観念したらしい。
傍でしゃがんでいたかぐやが嬉しそうに立ち上がる様子も見えたので、どうせいつもの上目遣いに負けたのだろう。
まったく、酒寄はかぐやには勝てないのだから、さっさと諦めればいいものを。
「しんたろー、彩葉脱いだー!」
「そうか」
「誤解を招きかねない発言禁止!」
「えー、こんくらいよくない?」
「ダメったらダーメ!」
「へいへーい」
会話をしながらかぐやと酒寄も俺とは別のソファへと座り、3人でテーブルを囲むような形となった。これでやっと配信が本当に始まるな。
現在、俺達がいるのはツクヨミ内のカラオケルームの一室。そこで俺達は昨日終了したヤチヨカップの祝勝会と称した配信を開始した。
「そんじゃあらためて、――――応援してくれてた皆、ありがとね! 勝ったよー!」
かぐやがカメラに向かって勝利を伝えると、ただでさえ速かったコメント欄の速度がさらに増した。すごいな本当に。なんだ今日は。
「うんうん。これまでずっと応援してくれてた皆も、昨日の黒鬼とのやつでファンになってくれた皆もありがとね! 皆のおかげでギリギリ勝てた! マジでありがとー!」
「……えっと、ファンの皆さん、これまでの応援本当にありがとうございました」
「ワンッ!」
「……」
かぐやの感謝の言葉に合わせて酒寄が頭を下げたので、俺も余計なことは言わずに下げる。
配信上での俺の役割はあくまで補助。求められない限りは口を開かなくていい。
「ってことで今日は祝勝会だ! 盛り上がっていこーっ!」
「ワオーン!」
「……」
「……」
かぐやの宣言に俺は酒寄と顔を見合わせる。
酒寄が首を傾げてきたので首を横に振って応え、逆に見返すと同じように首を横に振られた。
なるほど。
「……で、かぐや? 今日のこれは何するの?」
「へ?」
「私もたろーDも何も詳細聞いてないから、反応に困ってるんだけど」
問うと、かぐやは俺と酒寄を見回して、腕を組んでから答えてくる。
「ネットで調べたら、なんか大会とかに勝ったら祝勝会をするのが普通って出たんだよね。合ってるでしょ?」
「……まあ、そうね」
「だから、祝勝会」
「……うん。で、内容は?」
「わかんない。何したらいいのこれ?」
「あのねぇ……」
額に手をやり、溜息を吐く酒寄。大変そうだな。
「……一応カラオケにいるわけだし歌うとか、コメントに答える雑談形式にするとか?」
「じゃあコメント読む! みんな~、聞きたいこととかあったらコメントしてね~」
「テーマくらい決めなさいよ……」
ボヤく酒寄を脇に置き、コメント欄に向き直るかぐや。
ただでさえ速かったコメント欄は、最初とは比べられないくらいに凄まじい速度へとなっている。あれから質問を取捨選択して答えるのは面倒くさいだろうに、よくやるものだ。
「えっとね、じゃあまずはこれ。『かぐやちゃんはいつからいろPが帝の妹だって知ってたんですか?』」
「うぐっ……いきなりそれかい……」
「……妹?」
なんだそれ?
「あ、そっか。しんたろー知らないままだったっけ……あのね、彩葉は帝の妹で、帝は彩葉のお兄ちゃんなんだって」
「……帝が兄」
「うん。彩葉をよしよししようとしてた」
「そうか」
「そこで納得しなくていいから……」
「……事実ではないのか?」
「あれの妹なのは認めるけど、よしよしはただの軽口だから本気にしないでよ」
「そうか」
帝が酒寄の兄。あれと酒寄が血縁。酒寄の家族。
酒寄の顔を見る。何故か嫌そうな顔をしている。脳内で帝を思い出して重ねる。
「……なるほど」
「やめろぉ! その納得したみたいな頷きやめろ! マジで! 風評被害だから!」
「……彩葉はそんなに帝のこと嫌いなの?」
かぐやが不思議そうに問いかけると、苦い顔をする酒寄。
この反応は、単純に嫌いというわけでもなさそうだな。
「……あのね、冷静に考えてほしいんだけど」
「うん」
「プロゲーマーとして第一線で活躍して、その上でライバーとしてもトップを張り続けてるのは私も素直に尊敬してるの」
「うん」
「だってすごいじゃん。そんなの誰にだって出来ることじゃない。努力を怠らずに真面目にコツコツとやってきたからこその結果だって、あまりそっち方面に詳しくない私にだってわかるもの」
「うん」
「……でもね」
言葉を止め、俯く酒寄。
なんだ?
「でも……でもね……」
「うん……?」
「―――あんな俺様キャラが身内にいるなんて、恥ずかしすぎて認められるわけないでしょうがーー!!」
目の前のテーブルを力いっぱいに叩き、立ち上がって怒鳴るように叫ぶ酒寄。
うるさい。
「プロに成り立ての頃はもっと落ち着いてたのに、ちょっと目を離した隙に気付いたら
「お、おぉ……彩葉が怒った……」
「そういうキャラとしてなのはわかるよ! そりゃライバーなんだから多少はそういうのもやるのは理解してるけど、それはそれとして、友達に『あの俺様やってるのが私の兄なんだよね~』なんて言えると思う!? 無理に決まってるでしょそんなもん! 恥ずかしくて絶対に言えないっての!」
「あ~、じゃあ真実も知らない感じだ」
「うっ……」
かぐやの言葉に唐突に停止した酒寄。
さっきから忙しないことだ。疲れないんだろうか。
「…………あのね、昨日の試合前には真実から応援メッセージ届いてたの」
「うん、かぐやにも来たよー。頑張ってって書いてた」
「………………でもね、試合が終わってから今に至るまで一切連絡が無いの」
「えっ? ……あ、ほんとだ。かぐやも真実から来てない。芦花からは来てるのに。なんでだろ?」
かぐやが何もない空間に手を伸ばし、確認するかのように顔を動かした。
リアルでスマホでも見ているのだろう。
「……やっぱり私、怒らせたかなぁ……ずっと黙ってたわけだし」
「大丈夫な気がするけどなぁ。今度一緒にごはん食べたら許してくれそうじゃない?」
「……そう思う?」
「思う思う。心配なら今度かぐやと一緒にいこ。かぐやが全部奢っちゃるから!」
「……うん。おねがい」
「りょーしょーした!」
いいんだろうか、これで。
半ばコメントを無視してる気もするのだが。まあ、いいのか、酒寄がああしてるんだし。なら多分問題ないんだろう。
「じゃあ次のコメントね。えっと、じゃあ……これ! 『たろーDの公開告白には度肝を抜かれました』だって!」
「……俺か?」
公開告白? 何の話だ?
「え、たろーDが何か仕出かしたの?」
「知らん」
「あーはいはい。まあ、あんたはそうよね……かぐやは何か知ってる?」
「うーん、なんだろ? ……かぐやもわかんないかも?」
「えぇ……? たろーDは一体何を言ったのよ……」
「知らん」
3人で顔を突き合わせて首を傾げ合う。
配信で告白するようなことは特に俺は無いんだがな。何か俺は言ったのだろうか?
「昨日のアーカイブ見る? それでスッキリするよ」
「うへぇ…………ごめん、私はパス。お兄ちゃ……帝もだけど、なによりも昨日の私を見返すにはちょっと精神的に無理。ちょっとMP的なものを回復してからじゃないとキツいので、やるなら私抜きでやって」
「そっかぁ……昨日の彩葉すっごくキレイだったから一緒に見たかったのになぁ」
「うぐっ……いきなり配信中になに言ってんの!?」
「べっつにー、ホントのことだもーん」
「昨日の私に綺麗も何も無いでしょうが。ずっと下手打ってただけじゃん……」
「え、そんなことないけどなぁ……ねえ、しんたろーもそう思うでしょ?」
「ああ、昨日はずっといろPに頼り切りだったと記憶している」
「あれのどこが――――ああいや、やめよ。終わり。この話題終了。今日はアーカイブ確認しません。はい、決定」
「え~」
アーカイブを見ないとなると、答えは依然不明のままだ。そうして俺達の視線は自然と答えを知っているだろうコメント欄へと向けられた。
「えーっと、『かぐやちゃんのこと』? ん、なんだろ? かぐやなんかしんたろーに言われてたっけ?」
「こっちに聞かれてもわかんないって……『かぐや姫に』って、あ、見失った。ちょっと速過ぎないこれ? 設定で速度遅くとかに出来ないのかな」
「……『黒鬼に言ってたやつ』。これか?」
俺が見つけたコメントを読むと、2人の視線が向けられる。
「しんたろー黒鬼になんか言ったの?」
「炎上するようなこと言ったんじゃないでしょうね……?」
「……」
昨日の一戦を思い出す。
告白。黒鬼に言った。かぐやと酒寄は心当たりがないもの。
……さて、となるとあれか?
「……雷にSETSUNAの話をされて、答えたやつか?」
「……そういえばたろーD、あの時『斬り慣れてる』とかよくわかんないこと言ってたっけ。知り合いだったの?」
「いや、名前も知らなかった」
「うん。知ってた。そうでしょうね。私もそうだったわけだし……」
一瞬何の話かと思ったが、そういえばそうだったな。
俺は気付いてなかったがクラスメイトだったか。
「しんたろーは雷とどんな話したの?」
「……SETSUNAをもうやらないのか、みたいな話だったな」
「ふーん、それだけ?」
「そうだな。だいたいそれだけだ」
「それが、告白……?」
「……多分」
それ以外には俺に思い至ることはないぞ。
「……どうせたろーDが変なこと言ったんでしょ。いつもみたいに」
「……否定は出来んな」
「はぁ……たまにはしてほしいんだけどねぇ……」
無理を言う。俺だぞ。
「……なんかコメント欄がさらに加速してるんだけど、なにこれ? ……なになに? 『違う』『それじゃない』『そこのところの話』『合ってる』……え、どっち?」
「知らん」
「いや、あんたの話でしょうが」
そう言われてもな。知らんものは知らん。
「それで? しんたろーは雷になんてお返事したの?」
「……『やらない』と答えた」
「そうなの?」
「え、なんで? たろーD二桁ランカーなんじゃないの? もっと上を目指そうとかないの?」
「……多分二桁、だ。今がどうかは知らん。実際はもっと下だとは思うがな。よく負けるのだし」
俺が答えると、訝し気な視線を向けてくる酒寄。
何か奇妙なことを言っただろうか。
「えぇ……? 昨日のアレ見てそれは信じられないでしょ……信憑性無し」
「そうか?」
「そーだよしんたろー! だって昨日は大活躍だったじゃん!」
そうか?
最初に指示を不達成となり、それ以後は終始酒寄に苦労を掛けていた覚えしかないんだがな。
あれで活躍と言われても困るぞ。
「……たろーD、ちょっと見せて」
「何をだ?」
「ゲーム履歴。それのSETSUNAの欄を見せて。それでハッキリするでしょ」
「そんなのあるの? じゃあかぐやも! かぐやも見たい見たいっ!」
「……どうやるんだ?」
かぐやに乞われてウィンドウを展開するも目的のものがどこにあるか不明なため、酒寄へと訊ねる。
そんな機能もあったんだな。知らなかった。
「ゲームの欄からKASSENに行って、そこの端のプレイヤー情報のとこ。下に『戦績』ってあるでしょ? それ」
「へー……あ、そうだ。彩葉のも見せて! 3人のそれぞれ見ようよ! かぐや見たい! かぐやも自分の見せてあげる!」
「はいはい、わかりましたよお姫様」
説明の通りに画面をタップしていくと、言われた通りに『戦績』と表示されたタブを発見した。
これか。
「見つけた? なら見せて。たろーDの言ってることが正しいのか確かめるから」
「……好きにしろ」
酒寄が顔を寄せてきたので、見えるようにウィンドウを移動させる。そこに表示されているのは俺のこれまでのKASSENの戦績らしい。
まさかこんなものを見ることになるなんてな。かぐやに出会わなければ知ることも無く死んでいた内容だというのが、何とも言えないものだな。
「おっ、かぐやのもこれで見れ――――あれ?」
「―――はぁ!? なにこれ!?」
かぐやの声にそちらを向こうとする前に、酒寄の大きな声がカラオケルームに広がった。
なんだいきなり。うるさいぞ。
「こ、こ、ここ、これのどこが……」
「なんだ」
「これのどこが二桁だああああああ!?」
酒寄の再度の怒声を聞き流し、俺は表示されている戦績へと目を向ける。
そこに映るのは『最高到達1位』と『現最高レート記録保持者』に『現最高戦績獲得者』の文字。
ふむ、なるほど。
「……以前に二桁の経験はあったが、やはり現在は三桁だったか。俺の記憶は間違っていなかったな。問題はないだろう」
「正気!? それが通ると思ってんの!? 冗談でしょ!?」
「……虚偽の発言をした覚えはない。何が不満だ」
「全部よ、ぜ・ん・ぶ!」
全部ってなんだ。全部とは。
珍しく俺にしては何も間違ったことは言ってなかったのは明白だろうに。
「昨日の雷を斬り慣れてる発言と3対1の姿見て『もしかして二桁じゃなくてワンチャン一桁なんじゃ?』とは思ってたけど、まさかの1位経験者!? こんなのわかるかあ!?」
「……数字が少し違うだけだ。大して変わらんだろう」
「なわけないでしょうが! これを事前に知ってたら私だって作戦をもっと」
「―――彩葉としんたろー、ちょっとこれ見て! なんか来てたー!」
俺と酒寄の言い合いを遮るように、かぐやが声をかけてきた。
そちらを見ると、かぐやは何やら自身の前に展開しているウィンドウを読み込んでいる様子だった。声をかけた原因はそれか?
「……」
「……」
酒寄と目を見合わせて、共にかぐやの元へと移動する。
かぐやを挟むようにソファの端へと腰を下ろし、ウィンドウを覗き込む。
するとそこには―――
『ヤオヨロ~! かぐやいろPチャンネル様、突然のメッセージ失礼します。ツクヨミ管理人兼ヤチヨカップ主催者兼優勝賞品の月見ヤチヨちゃんで~す。よろしくね~。つきましては月末に開催されるコラボライブについてのお話をしたいと思っていますので、お時間のあるときに3人でヤチヨ城の1階大広間においでいただきたく思います。遅くても明日中には来てくれると助かりま~す。かしこ』
「……」
「……」
「……」
3人で顔を見合わせると、それぞれが浮かべた表情は全て異なっていた。
かぐやはワクワクを隠し切れない笑みで、酒寄は目と口を限界まで開いて固まっていた。
そして俺は、いつも通りの無表情。
コラボライブ。全てが終わるその時に、俺は確実に近づいているようだった。
手繋ぎデートは日常茶飯事/浦野真太郎
自分で思ってるよりも案外ダメージが入ってた結構ボロボロのオリ主くん。勘違いって大変だと身に染みる思い。今後は気を付けようと心に誓った。
そういえば昨日は罰ゲームがどうこうと言われたが、あれは良かったんだろうかと思うもだんまり。そんなことになったら面倒くさいもんね。
実は今ならメッセージも見てもらえるんじゃないかと色々受信しまくってるが、メッセージの設定で全部無視してるので気付くことはない。そういうところで敵を作るんだぞオリ主くん。
自身の心境の変化に自覚したばかり/酒寄彩葉
昨夜の疲れから目を覚ましてまず見たのは、グロい感じのパンツ一丁の男の体。心境としては赤面して『キャー!』じゃなくて、青褪めての『ぎゃあ!』。かわいそう。
冷静になって考えると、なんで昨日の私は着ぐるみ脱いで全世界にアバターバレしたんだバカ! とか考えて落ち込んでる彩葉。
帝のファンダムでは『帝妹』『皇女』『女帝』などとあだ名がつけられてるが、当然本人は知らない。知らずにいられるかは本人次第、かも?
目標を一つ達成出来てご満悦/かぐや
彩葉の顔が好き。笑顔が好き。だから昨日の笑顔は本当に特別だった。あんな風に笑ってくれるなら、どれだけ自分が笑われようと構いはしない。だってそれで笑ってくれるんだから。なお、誤解である。
配信中のコメントは読んだり読まなかったり。コラボした先輩ライバー達からの助言もあり、なるべく目を通してから口に出すようにしつつ、半信半疑で受け取るように心がけている。ちなみにかぐやの動体視力ではだいたい全部のコメントは読めている。でも半分は嘘だもんな、と思ってるので真実には未だ到達ならず。
コメント欄は嘘ばっかり。それがライバーの基本である。