実はスネイプは今まで車に乗ったことがない。
ホグワーツに行くまでは普通にマグル=非魔法族の世界で暮らしていたにも関わらずだ。
貧しい工場労働者で息子に言葉にするのもおぞましいことしかしなかった父親は、車どころか自転車すら持っていなかったし、母親は普段家にずっといても何をしていたかすら覚えていない。
魔法界での移動はもっぱら暖炉か箒か自力で飛ぶかだった。
だから今回が人生初の自動車搭乗となるわけである。
「へぇー!スネイプさんは料理も上手いんですか!?」
「上手いかは知らん。似たようなことを仕事にしていたから苦にならんだけだ」
初めて乗った車の車中での会話は終始こんな調子だ。
視界の端を流れていく夕暮れの景色が、少し眩しい。
慣れない感触の座席や、独特の揺れを意識している暇もない。
とても賑やかで戸惑う時間がなかった。
灰原雄と名乗った少年は明るくハキハキよくしゃべる。
新聞記者のような下世話な好奇心ではなく、好意ゆえに知りたいという純粋な心なようだ。
心を読まなくともそれくらいは伝わってくる。
スネイプはあまり無駄話を好まないが、このように大型犬に懐かれているような心持ちになるのは悪くないと感じた。
彼には曲がらずスクスク成長してほしいものだ。
「凄い!歌も回復も料理も出来るなんて多芸ですね!」
「・・・」
勉強以外で褒められたことがないので、なんと答えてよいかわからず、自身の膝に目を落とす。
薄い胸に食い込むベルトが少し苦しかった。
彼との会話は不快ではないが、戸惑うことが多い。
「灰原。スネイプさんが困ってますよ。勢いよく話し過ぎです」
助手席の七海がそうたしなめる。
「え!ごめんなさい!スネイプさん!楽しくてつい」
「・・・いや。ところでずっと思っていたが、君はその声量でしか話せないのかね?」
灰原の声は非常によく通る上に大きい。
うるさいとは思わないが、そんなに大声を出さなくても聞こえる。
「え!?聞こえづらいですか!?」
「・・・なんでもない。君はそのままでいなさい」
「はい!」
「スネイプさん、早々に諦めないでください」
七海は呆れた様子でため息をついた。
彼も灰原の声量には思うところがあったらしい。
同じく諦めたようだが。
運転席では補助監督と紹介された男性が三人の会話を微笑まし気に聞いている。
高専生ふたりは、彼に対してスネイプのことを反転術式持ちのフリーランスの呪術師で、偶然依頼がバッティングし、とてもお世話になった命の恩人と説明した。
おおよそは間違っていない紹介だ。
ただ彼が使っているのが明らかに呪力でも術式でもないことは伏せた。
ちなみに呪霊の査定が大幅に違ったことも言ってない。
現段階で説明するとややこしくなるからだ。
灰原にも事前にすり合わせてある。
高専の中でも真面目なふたりが説明したおかげか、補助監督は全くスネイプのことを疑っていないらしい。
『反転術式使いは凄いありがたいですね。是非高専に!』
と非常にスカウトに前向きだった。
スカウト目的でないことも当然黙ってある。
スネイプは空気を読んでそのあたりはあいまいに流し、車中で灰原の話相手をしていた。
そうやって高専につくまでの長距離ドライブは和やかに過ぎていたのだが、唐突に終わりを告げた。
補助監督の携帯電話が物々しく鳴る。
「すみません。停めます」
断るよりも早く、すぐに車は路肩に寄せられ、通話が始まった。
自然と車内の雑談は途切れ、かすかに漏れ聞こえる向こうの声に耳を澄ます。
音が割れていて聞き取りづらかったが、少なくとも良い知らせではないことはわかった。
「救援要請です。禪院さん達が帳からずっと出てこないそうで」
マイク部分を押さえて囁かれた内容に、七海と灰原の顔が目に見えて強張った。
『禪院さん』と呼ばれたのは七海達の同期の禪院直哉だ。
男のような名前だが、れっきとした女の子である。
名前でわかるように呪術師御三家の一角である禪院家の出身だ。
彼女は事情があって今は四級呪術師だが、実力では七海達より頭ひとつ抜けている。
さらに今回の任務は二級呪霊が二体、三年生の二級術師がふたりついていたはずだ。
通常なら苦戦するのは考えづらい。
「七海。行こう。直哉も僕達みたいな目にあってるかもしれない。僕達はスネイプさんのおかげで元気なんだし」
灰原も同じことを考えていたらしい。
元気と言いつつ顔がひどく険しい。
そうだ。
七海達に割り当てられた任務も二級と言われていたのに一級以上だった。
査定ミスか何かの陰謀かは知らないが、被害が自分達だけとは思えない。
「行くと伝えてください。急ぎましょう」
金髪の少年の言葉に、補助監督が電話口で了承を伝え、すぐさま発進する。
「・・・では君達にこれを渡しておこう。現地についたらすぐにつけたまえ」
今まで無言だったスネイプがそう言って、ふたりに何かを渡してきた。
彼は間違いなく手ぶらだったのにどこから出したのだろう。
それは耳当てのようだった。
冬場に小学生がつけている、モコモコのあれである。
「え、あの?」
「わぁ!ふかふか!」
意図もどこから出したのかもわからず、七海は混乱するが灰原は喜んでいる。
スネイプはとくに表情もなく淡々と、
「私の歌対策だ。これを耳につけると完全に音を遮断できる。君達まで影響されては仕事にならんだろう」
マンドラゴラの悲鳴すら防ぐから性能は保証する。
爆走する車内で、がくがく揺さぶられながら真顔でそう続けた。
「・・・あの」
「何か?」
「わ、本当だ!何も聞こえない!」
「・・・歌われるんですか?」
再び協力してくれるのか?
もっと凶悪な呪霊がいるかもしれないのに?
「?当然では?先程みたいな化け物がいるのだろう?私は君達のように機敏には動けん。ならば私が動きを止めて、怪我人を回復をしているうちに君達が攻めるのが効率的だ」
スネイプは質問の意図がわからないようで、小さな頭を傾げている。
「・・・」
七海は言わなければいけないことは、はっきり言う性格である。
正体がわからない非術師を、これ以上戦闘に参加させるのは正しくないだろう。
車で待機させた方が良いに決まっている。
ただこの、かあっと胸が熱くなって震えるような、目の奥が痛いような感覚をどう言葉にすれば良いかわからなかった。
「スネイプさんも戦ってくれるんですか!?ありがとうございます!!凄く嬉しいです!助かります!」
灰原は弾む声を押さえることなく、車体を揺らす勢いで喜んだ。
補助監督も反転術式が使える人間が参加してくれるのはありがたいと大乗り気だ。
「・・・ありがとうございます」
「まだ何もしていない。全員生き延びてから礼は受け取ろう」
絞り出された感謝に、華奢な男の言葉は素っ気ない。
しかしルームミラーごしに見えた、黒い双眸はどこか温かかった。
しくじった。
もっと色々用心しておくべきだった。
禪院直哉は口に溜まった血を吐き捨て、舌打ちする。
旧家の令嬢とは思えない所作だったが、この場でそれを指摘する人間はいない。
綺麗なアーモンド形の釣り目はぎらぎらとした闘志が萎えず、目前の敵を睨んでいる。
彼女の姿は痛々しかった。
毛先だけ黒く染め残された金髪は汗で張り付き、上は洋装で下は袴という大正時代じみた衣裳があちこち裂けて血がにじんでいる。
しかしダメージはあるが命にはまだ遠い。
ならば徹底的に戦うのみである。
なんてことのない任務のはずだった。
随分前に廃業になったレジャー施設に二級呪霊が二体。
直哉は胎が傷つくことを嫌う実家に昇級妨害をされているため四級にあまんじているが、実力は一級相当だ。
四級はひとりで任務に出られないため、三年生の二級術師がふたりつく。
楽勝とまではいかないが、本来やる気になればひとりでも出来ない任務ではない。
そのはずだった。
「何が二級や!どう見ても一級以上やろ!?査定した奴クビにしてまえ!!」
しかも呪霊は二体ではなく四体いた。
数すら間違っているとは、算数もろくに出来ないのか。
もう何度口にしたかわからない悪態は、品がないどころか柄が悪い。
和洋折衷の美貌と評される顔を怒りに引きつらせ、呪霊の攻撃をぎりぎりで躱してやり返す。
足元の土は、飛び散った血と呪霊の体液でぬめり、踏み込みのたびに滑りそうになるが堪える。
感触的に相手は無傷ではないようだが、大きくきいているとも言い難いようだ。
それでも二体はなんとか倒し切ったが、まだ半分いると思うと眩暈がした。
ついてきていた二級術師達は少し離れたところで伸びている。
ふたりとも手足があちこち欠けて、止血してなんとか生きながらえている状態だ。
予想外が重なった上に不意打ちを食らって生きているのだから、悪運だけは強いようである。
本当なら帳の外まで引きずっていくのだが、そんな暇はない。
背を向けたら全滅するという確信が、直哉にはあった。
わかっている。
ここまで酷い査定ミスは通常考えられない。
まず間違いなくわざと嘘の情報を掴まされたか、指示されたかしたのだろう。
直哉は敵が多いため心当たりだらけである。
実家も許婚関連も自分個人も恨みやら嫉妬やら買い過ぎて、いい加減売りたいくらいだ。
犯人捜しは後である。
とにかく呪霊をぶちのめさないと殴り込みにもいけない。
「っ!」
術式や体術を駆使して機敏に動いていたが、不意に呪霊の攻撃が肩を大きく引き裂く。
腕は動くようだが、この感じからすると放っておいて血が止まる深さでもない。
反転術式を使っても痕が残るだろう。
(建人君や雄君達がまた心配するやろな)
痛みや出血よりもそんなことが気にかかることがおかしかった。
同期のふたりは、こちらを優秀な胎としか見ていない実家の男どもとは違い、直哉を人として尊重してくれていた。
一緒に買い物に行ったり、どうでもいいことを話したり、なんでもないことが楽しいと感じさせてくれた。
生まれて初めて出来た大切な友達だ。
ふたりと一緒に卒業するためにも、ここでは死ねない。
「ええ加減にせぇよ!!」
気合を入れなおして叫ぶ声は、爆発でも起きたかのように周辺の空気を揺さぶる。
同時に地面を突き破らんばかりに大きく踏み込んだ。
その時だ。
何かが聞こえた。
柔らかく、甘く、瑞々しい連続した音。
温かい。
心地良い。
空間を満たすそれは歌だ。
匂いたたんばかりに美しい歌。
脳髄がしびれるような、胸が満たされるような。
ふわふわとして、さっきまで焼けるように痛かった肩の傷も、遠くの出来事みたいに薄れていく。
遠くへ。
遠くへ。
沈んでいく。
もう眠ってしまおうか。
そうしよう。
きっとそうすればもっと気持ちが良い。
「いや、駄目に決まっとるやん!?」
とっさに声を出せた自分を褒めたい。
戦場で何を考えているのだ。
眠ったら死ぬだろ。
すぐさま臨戦態勢に戻り、対していた呪霊と距離を置く。
この歌はなんなのか。
また新しい呪霊か?
もう数が増えるのは勘弁してほしい。
直哉はそんなことを考えながら周囲を警戒していると、
「・・・?」
呪霊達の様子がおかしい。
悪夢から生まれたかのような気味の悪いぶよぶよとした巨体から、ため息をつくような息を漏らしたかと思うと、まるで温泉に浸かるおっさんのようにリラックスして二体とも動かなくなった。
もしや呪霊にもこの歌は効果があるのだろうか。
ならばよくわからないがこれはチャンスである。
必ず二体とも仕留めて生き延びてやろう。
直哉がそう考えていると、後ろから慌ただしく走ってくる気配が近づいてきた。
覚えがある気配だ。
振り返ると、見慣れた同期がずたぼろな恰好で立っていたので驚く。
「いや!なんでそんな恰好で来てんねん!?死にに来たんか!?」
明らかに別な任務先で激闘してから来たとしか思えない。
動きを見た限りは元気に見えたが、きっと無理をしているのだろう。
連戦なんてさせられない。
同期の叫びに、ふたりは一瞬戸惑ったようだったが、すぐに気付いて耳からもこもこしたものを外す。
「直哉!とりあえず向こうにいる白人男性から治療を受けてください!彼は反転術式が使えます!厳密には違うんですが詳細は後です!」
「僕達はその人に治してもらったから凄い元気だよ!ぼろぼろなのは制服だけだから!」
言いながら灰原は腕を回したり飛び跳ねたりしてみせる。
特に虚勢をはっているようでもない。
「貴方も耳をふさいでいてください!彼の歌は強力なので僕達も影響されます!」
七海まで何故叫んでいるのかと思っていたが、効果を少しでも打ち消そうとしていたらしい。
戸惑う直哉優しく促した後、ふたりは耳当てをつけなおして動かない呪霊に挑みかかる。
直哉は一瞬呆然としたが、すぐにあたりを見回し駆け出す。
よくわからないが彼らが元気ならば、自分の治療が優先である。
反転術式使いがいるのはありがたい。
白人の呪術師なんて聞いたことないが、それもひとまずどうでもいい。
七海が示した男は特に隠れることもなく、施設の影に倒れた三年生ふたりの横にいた。
痩せた背の高い男だ。
色白で鉤鼻が目立つ。
男は鶴のように細い喉から、あの異様な歌声を発し続けている。
直哉はすぐに耳をふさいだ。
こうして近くに寄るとなおさら、油断したらすぐに倒れて寝てしまいそうだ。
男は直哉に気付いて器用に片眉だけ持ち上げると、手振りで座っているように指示をする。
少女が従わないことは無視して、倒れた二人に手をかざした。
呪力も何も感じない、ただの動作にしか見えなかった。
だが倒れた少年達の体は、まるで植物の成長を早回しで見たかのように再生していく。
「は?」
一分もかからずまるで何もなかったかのように、ふたりは完全回復した。
なんらかの力を使った男は疲労している様子もなく、顔色一つ変えない。
歌の影響で彼らは自分の状態を認識出来ず、半分寝ているようだったので驚いたりはしていないが、怪現象を目撃した直哉は違う。
だが未知への恐怖は感じなかった。
嫌な雰囲気はなく、むしろ神社仏閣のような澄んだ清涼な空気が滴っている。
「なんなん。ほんまに」
男は少女の疑問に答えず(聞こえないので口の動きでの判断だが)、今度は直哉に手をかざす。
体内で何か熱いものが駆け巡って消えた。
とても熱かったのに痛みはない。
そう痛みがない。
耳から手を放してべたべたと自身の体を確かめる。
傷がない。
というか制服の破れすらない。
隙間から手を突っ込んで確かめたが、先程負った肩の深手など瘡蓋すらなくなめらかになっていた。
衣類にも効く反転術式ってなんだ。
「けったいな力やねぇ。おおきに」
直哉の心からの感想に男は少し訝し気な顔をし、手振りでもう行くように示す。
少女は言われなくともそうするつもりだったため、さっさと最高速度で駆け出す。
てっきり男が直哉の言葉に気分を害したのかと思ったが、実際は『けったい』や『おおきに』の意味がわからなかっただけだと知るのは少し後である。
続く