私は、その時、またたび幼稚園の理事長室の窓から、庭を眺めていたのであります。
白髪の増えた、うだつの上がらない一介の老人が、そこに佇んでいる。
理事長、という、もっともらしい肩書きを背負わされてはいるものの、実態は、園児たちの無垢な生命力に日々圧倒され、ただオロオロと、おのれの無力を噛み締めているだけの、哀れな男に過ぎません。
見てごらんなさい。
五月の、眩しいばかりの木漏れ日のなかに、彼が立っている。
いぬまる、という男児。
すみれ組の、いわば、歩く嵐のような存在。
いや、嵐などという気高き自然現象に例えるのは、いささか上品に過ぎるかも知れない。
彼は、下半身を、丸出しにしているのであります。
少しの衒(てら)いもない。
天衣無縫、といえば聞こえはいいが、要するに、ただの、剥き出しの現実。
「いぬまるだしっ」の、その一点において、彼は他の追随を許さない。
たまこ先生が、若い、悲痛な声を張り上げて叫んでおります。
「いぬまるくん! ズボンを穿きなさい!」
しかし、届かない。
若き女教師の真面目な声は、彼の耳を通り抜け、五月の空へ虚しく消えてゆく。
いぬまるくんの魂はすでに、おのれの血肉が要求する、もっと別の、狂おしいほどの祝祭へと、激しく傾斜していたのであります。
園児たちが遊ぶ、あの、リンボーダンスの赤い棒。
それが、どういうわけか、彼の目の前に、厳然たる障壁として立ちはだかっている。
しかし、事態はそれだけでは終わらない。
どうしてそのような事になったのか、私には、いや、この世の誰にも到底説明のつかない、不条理極まる現実が、すぐ隣に転がっていたのであります。
ふとしくんが、地面の穴に、すっぽりとはまっている。
なぜ、そこに穴があるのか。なぜ、彼はその穴に埋まっていなければならないのか。その理由は、紙面の都合か、あるいは神の悪戯か、一切語られることはありません。ただ、ふとしくんという名の肥満児が、首から下を完全に土に埋められ、漬物石のように動けなくなっているという、絶対的な事実だけがそこにある。彼はただ、汗をダラダラと流しながら、「うう、出られないブヒ…」と、おのれの運命を受け入れたような、哀しい声を漏らすばかりなのであります。
いぬまるくんは、にやりと笑った。
その微笑の、なんという不敵さ。
なんという、純粋無垢な、悪魔的ユーモア。
彼は、腰を落とした。
のけぞる。
ぐっと、上体を後ろへ、人間の骨格の限界を挑発するかのような異様な角度まで曲げる。
なんと彼は、穴にはまって身動きの取れないふとしくんの顔面を、あたかもリンボーダンスのもう一つの障害物であるかのように利用し、その鼻先すれすれを通過しようという、悪魔的な試みに打って出たのであります。
「ウホッ、ウホッ、ウホホイのホイ!」
声が出た。
彼の口から、信じられないほど軽薄で、それでいて、有無を言わせぬ絶対的な歓喜のリズムが、ほとばしり出たのであります。
ノリノリ、などという安直な言葉では、この、生の爆発を冒涜することになる。
彼はただ、踊る肉体そのものと化していた。
ずん、ずんと、足を踏み出す。
下半身を丸出しにしたまま、彼は、じりじりと前進する。
その、丸出しの何物かが、ふとしくんの怯える鼻先を掠め、リンボーダンスの低い棒の下を、すれすれに、実に危うい均衡を保ちながら、通過していく。
私は、窓枠を掴む手に、思わず力がこもりました。
たまこ先生も、ハンカチを涙で濡らすかのように握りしめて、凝視している。
通るか。
いや、引っかかるか。
その刹那、庭の隅から、地を這うような、しかし冷徹極まる幼き声が響き渡ったのであります。
すずめちゃん、という名の、どこか醒めた目をした少女。
彼女は、自らの小さな手をメガホンのようにして、いぬまるくんに向かって、信じられないほど現実的な声援を送り始めたのでありました。
「いぬまるくん、がんばって。オバマ大統領だって、いま『チェンジ』って必死に叫んでるんだから、あなたもそこでチェンジしなきゃ駄目よ。リーマンショックで世界中の株価が暴落して、私たちの将来の年金だってどうなるか分からない世の中なんだから、せめてそのふとしくんの顔面と棒の下くらい、景気良くくぐり抜けなさい。裁判員制度が始まって、いつ私たちが呼び出されるか分からない緊迫した時代よ。そんなちっぽけな穴や棒に引っかかって、公然わいせつで現行犯逮捕なんて笑えないわ。iPhoneっていう黒い最新の機械が日本に上陸して、みんなが画面を指でこすってる平成のこの大激動期に、いつまで下半身こすりそうなダンスしてるのよ。でもいいわ、その誰も止められない独裁的な暴走っぷりは、まるで麻生内閣の漢字の読み間違いの連発のようで見事よ。そのまま、ノー・パンティ、イエス・ウィー・キャンで突き進みなさい!」
ああいけない。
なんという痛烈な、そして時代の憂鬱をすべて背負ったかのような、冷酷でいて圧倒的なエールでしょうか。
世界経済の混乱も、ふとしくんが穴に埋まっている不条理も、すずめちゃんという一人の幼児の口を通せば、ただのいぬまるくんの「丸出し」を鼓舞するための背景に過ぎなくなってしまう。
「たまこ先生、見てるー?」
いぬまるくんは、のけぞった顔のまま、逆さまの視線で、たまこ先生を、そして遠くの私をも見つめた。
その瞳は、あまりにも澄んでいて、私は、おのれの卑屈な人生を突きつけられたような、奇妙な感動に襲われたのであります。
彼は、ただ、踊っている。
すずめちゃんの語る混沌とした世相と、穴に埋まって涙を流すふとしくんの絶望を、その丸出しの生命力だけで照らし出そうとするかのように。
するりと、彼はふとしくんの顔面を、そして棒の下を潜り抜けた。
完璧な、完全なる、成功であった。
彼は、勢いよく上体を起こすと、ずり下がった幼稚園の帽子を直すこともせず、ただ、満足そうに、ふう、と、小さく息を漏らした。
その姿は、一人の偉大な、しかし救いようのない芸術家の、孤独な戦いの終わりのようでもありました。
固唾を飲んで、見守っていた園児たちが、いぬまるくんの周りに集まり、なんと勇ましくも胴上げし始めました。
一方、穴に埋まったままのふとしくんは、「死ぬかと思ったブヒ…」と、ただ安堵の吐息を漏らすのみであります。
しかし、やはり、下半身は丸出しのままであった。
私は、たまらなくなって、そっと窓のカーテンを閉めました。
ああいけない、人間は、どうしてこうも、丸出しの現実と、理由なく穴に埋まる園児と、平成二十年前後の不景気な世相に耐えられない生き物なのでしょう。
私はお茶を一口すすり、ただ、深く、ため息をつくばかりでありました。