花鳥玲愛は、甘さを認めない   作:エーアイ

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第13話 相沢湊は、他のスタッフにも菓子を出す

 相沢湊は、皿の上だけを見ていてはいけない。

 

 それは、もう何度も言われてきたことだった。

 

 客席に届くまでが仕事。

 

 ホールが運びやすいこと。

 

 客が説明を聞いて分かりやすいこと。

 

 紅茶とぶつからないこと。

 

 会話を止めすぎないこと。

 

 一人の時間に置いても、重くなりすぎないこと。

 

 それらを一つずつ考えるようになってから、湊のノートは以前よりずっと細かくなった。

 

 焼き色。

 

 香り。

 

 甘さの引き。

 

 紅茶との組み合わせ。

 

 提供時間帯。

 

 皿の位置。

 

 ホールスタッフの持ち方。

 

 客の反応。

 

 戻ってきた皿の状態。

 

 そこまでは、少しずつ書けるようになってきた。

 

 だが、まだ足りない。

 

 湊は厨房の作業台の前で、新しい焼き菓子を見下ろしていた。

 

 今日作ったのは、通常提供候補の調整版だった。

 

 以前より少しだけ形を小さくし、紅茶と合わせた時の輪郭を出しやすくしている。

 

 香りは控えめ。

 

 ただし、消しすぎない。

 

 甘さは、口の中で長く残りすぎないようにした。

 

 湊自身としては、悪くないと思う。

 

 しかし、それだけでは足りない。

 

 自分が悪くないと思う皿が、客席で悪くないとは限らない。

 

 それは、もう十分すぎるほど知っている。

 

「三枝さん」

 

 湊は、厨房長の三枝誠司に声をかけた。

 

「今日の試作品ですが、ホール側にも試食してもらっていいでしょうか」

 

 三枝は作業台の上を見た。

 

「花鳥さんだけじゃなくて?」

 

「はい。森崎さんや、他のホールスタッフの意見も聞きたいです」

 

「いい判断だと思うよ」

 

 三枝はすぐに頷いた。

 

「花鳥さんは客席全体を見るけど、実際に何度も皿を持つのはホールスタッフだからね。説明しやすさも、現場で聞いた方がいい」

 

「はい」

 

「ただし、営業の邪魔にならない時間に」

 

「もちろんです」

 

「あと、感想を欲しがりすぎないこと」

 

 湊は一瞬だけ言葉に詰まった。

 

 三枝は少し笑った。

 

「大丈夫。前よりは分かってる顔をしてる」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めてるのは半分くらい」

 

「残り半分は?」

 

「相手が気を遣って褒めてくれた時、それをそのまま商品評価にしないこと」

 

「はい」

 

「森崎さんは素直だから、そこは特にね」

 

「分かりました」

 

 湊は皿を用意した。

 

 小さく切った試作品を、三枚の皿に分ける。

 

 一つは森崎用。

 

 一つは他のホールスタッフ用。

 

 そして、もう一つ。

 

 花鳥玲愛に見てもらう分。

 

 その皿だけを、湊は少し端に置いた。

 

 意味はない。

 

 いや、ないとは言い切れない。

 

 だが、最初に見てもらうのではなく、最後に見てもらいたかった。

 

 理由は、自分でも分かっている。

 

 今回は、花鳥玲愛一人の評価で決めたくない。

 

 ホール全体の意見を聞いた上で、最後に彼女に見てほしい。

 

 客席に置く菓子として。

 

 店に出す皿として。

 

 そして、湊自身が見落としたものを、最後に拾ってもらうために。

 

 それは、頼りすぎだろうか。

 

 少し考えて、湊は首を振った。

 

 頼るのと、依存するのは違う。

 

 その違いを、間違えないようにしたい。

 

 休憩時間。

 

 湊は森崎乃々香に声をかけた。

 

「森崎さん、少しお願いしてもいいですか」

 

「はい。新しい試作品ですか?」

 

「そうです。ホール側の意見を聞きたくて」

 

「私でいいんですか?」

 

「森崎さんに聞きたいです」

 

 森崎は少しだけ目を丸くした。

 

 それから、嬉しそうに背筋を伸ばした。

 

「分かりました。ちゃんと見ます」

 

「お願いします」

 

 湊は皿を出した。

 

 森崎はまず、皿を持ち上げた。

 

 食べる前に、持つ。

 

 その順番が、以前よりも湊にはありがたかった。

 

 ホールの人間は、食べる前に運ぶ。

 

 客の前に置く。

 

 説明する。

 

 その動きの中で、皿を見る。

 

「持ちやすさは、前よりいいです」

 

「本当ですか」

 

「はい。ただ、少しだけ端に余白がありすぎるかもしれません。運ぶ分には楽なんですけど、お客様の前に置いた時、菓子が小さく見えるかも」

 

「小さく見える」

 

「はい。控えめなのはいいんですけど、ちょっと自信なさそうに見えるというか」

 

 湊はすぐにノートへ書いた。

 

 余白が広すぎると、自信なさそうに見える。

 

 森崎はそれを見て、少し慌てた。

 

「あ、変な言い方でしたか?」

 

「いえ。助かります」

 

「ならよかったです」

 

 森崎は次に、一口食べた。

 

 少しだけ考える。

 

 紅茶も口にする。

 

「味は好きです」

 

「ありがとうございます」

 

「でも、“軽い焼き菓子”だけだと、お客様におすすめしにくいかもしれません」

 

 湊は顔を上げた。

 

「おすすめしにくい、ですか」

 

「はい。軽い、だけだと、軽いなら別にいらないかなって思うお客様もいるかもしれません」

 

「なるほど」

 

「でも、紅茶と一緒に少し休みたい時の菓子、って言われると説明しやすいです」

 

 湊は、その言葉をゆっくり書き留めた。

 

 紅茶と一緒に少し休みたい時の菓子。

 

「それ、分かりやすいです」

 

「そうですか?」

 

「はい。俺が作りたかったものに近いです」

 

 森崎は少し照れたように笑った。

 

「花鳥さんなら、もっと綺麗に言うと思いますけど」

 

「森崎さんの言葉も、すごく助かります」

 

「ありがとうございます」

 

 森崎は、もう一口食べた。

 

「香りは強すぎないです。でも、置いた時にちゃんと分かると思います」

 

「紅茶とはぶつかりませんか」

 

「今日の紅茶なら大丈夫です。ただ、香りが華やかな紅茶だと、少しぼやけるかもしれません」

 

「合わせる紅茶は、やっぱり絞った方がいいですね」

 

「はい。お客様に説明するなら、その方が勧めやすいです」

 

 湊は頷いて、さらに書き込む。

 

 森崎の意見は、食べる人の感想というより、出す人の感想だった。

 

 どう運ぶか。

 

 どう置くか。

 

 どう説明するか。

 

 客がどう受け取るか。

 

 それは、湊が厨房だけでは見られないものだった。

 

 続いて、他のホールスタッフにも意見を聞いた。

 

「皿は持ちやすいけど、説明文が短いと少し地味に見えるかもしれない」

 

「甘さはちょうどいいと思います。ただ、紅茶を先に出すか、一緒に出すかで印象が変わりそうです」

 

「一人のお客様には合いそうです。二人連れなら、もう少しだけ皿に表情があってもいいかもしれません」

 

 湊は一つずつ聞いた。

 

 反論しない。

 

 すぐに答えを出さない。

 

 書く。

 

 考える。

 

 必要なものを拾う。

 

 それを繰り返した。

 

 その間、花鳥玲愛はホールの端で予約表を確認していた。

 

 湊の方を見ていないように見える。

 

 だが、おそらく見ている。

 

 客席を見る人は、見ないふりも上手い。

 

 湊は、そう思った。

 

 森崎が他のスタッフと小さく話している。

 

「これ、紅茶と一緒に少し休む時って言うと伝わりやすいですよね」

 

「うん。午後向きかも」

 

「案内カードも、少し柔らかい言葉がいいかもしれません」

 

 その会話を、湊はありがたいと思った。

 

 自分の菓子が、少しずつ店の中で話されている。

 

 花鳥玲愛だけではない。

 

 三枝。

 

 森崎。

 

 他のホールスタッフ。

 

 有坂。

 

 それぞれが、その菓子を店に置くための言葉を考えている。

 

 それは正しい。

 

 とても正しい。

 

 なのに、湊はふと、玲愛の方を見てしまった。

 

 彼女は予約表から顔を上げていなかった。

 

 ただ、ページをめくる手が、ほんの少しだけ止まっていた。

 

 気のせいかもしれない。

 

 湊には分からない。

 

 仕事中の玲愛は、感情が表に出ない。

 

 だから、そこを勝手に読んではいけない。

 

 読んではいけないが、少しだけ気になった。

 

 休憩が終わる頃、湊はノートをまとめた。

 

 森崎の言葉。

 

 他のスタッフの言葉。

 

 持ちやすさ。

 

 説明しやすさ。

 

 紅茶との組み合わせ。

 

 皿の余白。

 

 提供タイミング。

 

 かなり多くの情報が集まった。

 

 最後に、湊は玲愛の分の皿を持った。

 

 厨房の入口からホールへ向かう。

 

 玲愛は、窓際の席を確認していた。

 

「花鳥さん」

 

「何ですか」

 

「試作品の確認をお願いできますか」

 

 玲愛は、すぐに皿を見た。

 

「森崎さんたちに出していたものですね」

 

「はい」

 

「ホール側の意見は聞けましたか」

 

「はい。かなり」

 

「そうですか」

 

 声はいつも通りだった。

 

 だが、少しだけ硬い。

 

 湊は、そう感じた。

 

 硬いと言っても、怒っているわけではない。

 

 不機嫌というほどでもない。

 

 ただ、いつもの仕事の声よりも、ほんのわずかに距離がある。

 

「先に、ホールスタッフの意見をまとめました」

 

 湊はノートを開いた。

 

「皿は持ちやすい。ただし、余白が広すぎると菓子が小さく見える。説明文が短いと、少し地味に見える。紅茶と一緒に少し休みたい時の菓子、という言い方なら伝わりやすい。香りの強い紅茶とは少しぼやける可能性がある。提供タイミングは、紅茶と同時か、少し後かで印象が変わる」

 

 玲愛は黙って聞いていた。

 

「それを踏まえて、もう一度見ていただきたいです」

 

「私の評価は、最後でいいのですか」

 

 その言葉に、湊は一瞬だけ反応が遅れた。

 

 責められているわけではない。

 

 たぶん、確認だ。

 

 仕事上の確認。

 

 そう受け取るべきだ。

 

「はい」

 

 湊は頷いた。

 

「花鳥さんには、最後に見てほしかったんです」

 

 言ってから、少し強すぎたかもしれないと思った。

 

 だが、訂正はしなかった。

 

 それが、一番正直な言い方だった。

 

 玲愛は、皿を見たまま言った。

 

「順番に意味を持たせないでください」

 

「すみません」

 

「謝罪ではなく、説明してください」

 

「はい」

 

 湊は背筋を伸ばした。

 

「最初に花鳥さんに見てもらうと、たぶん俺は、その評価を中心に考えます」

 

 玲愛は顔を上げた。

 

 湊は続けた。

 

「それが悪いわけではないと思っています。でも、今回はホール全体でどう出せるかを見たかったので、先に森崎さんたちに意見を聞きました」

 

「それは正しい判断です」

 

「はい」

 

「なら、それでいいでしょう」

 

「でも」

 

 湊は、少しだけ言葉を選んだ。

 

「最後に、花鳥さんに見てもらいたかったんです」

 

「ですから、順番に意味を持たせないでください」

 

「はい」

 

「私の評価を、締めのように扱わないこと」

 

「……はい」

 

「客席に出すものは、誰か一人の承認で完成するわけではありません」

 

「分かっています」

 

「本当に?」

 

「分かっているつもりです」

 

「では、つもりを減らしてください」

 

「はい」

 

 厳しい。

 

 だが、正しい。

 

 湊は頷いた。

 

 玲愛は皿を受け取った。

 

 まず持つ。

 

 次に、置く位置を見る。

 

 香りを確認する。

 

 そして、一口食べた。

 

 湊は、待った。

 

 急かさない。

 

 評価を求めすぎない。

 

 ただ、玲愛がどう見るかを見る。

 

 玲愛は紅茶を一口飲んだ。

 

「森崎さんの言う通りです」

 

「はい」

 

「軽い焼き菓子、だけでは弱いです。客に勧める言葉としては、休む時間に添えるもの、とした方が伝わります」

 

「はい」

 

「皿の余白も、少し広すぎます。ホールは持ちやすいでしょうが、客席では遠慮しているように見えます」

 

「はい」

 

「香りは悪くありません。ただし、華やかな紅茶とは合わせない方がいいです。あなたの菓子の静かさが、ぼやけます」

 

「はい」

 

「提供タイミングは、紅茶と同時ではなく、少し後でもいいでしょう。香りを追わせるより、紅茶で一度落ち着いた後に置く方が合います」

 

 湊は書き留めた。

 

 玲愛の言葉は、森崎たちの意見を否定しなかった。

 

 むしろ、拾って、整理して、客席の流れへ戻している。

 

 それが、やはりすごいと思った。

 

「ありがとうございます」

 

「まだ終わっていません」

 

「はい」

 

「一つ、気になる点があります」

 

「何でしょうか」

 

 玲愛は皿を見た。

 

「ホールスタッフ全員に聞くのは正しいです。ですが、意見を集めすぎると、皿がぼやけます」

 

「はい」

 

「森崎さんの言葉は有用です。他のスタッフの意見も必要です。ですが、全員の言葉を全部乗せようとしないこと」

 

「……はい」

 

「あなたの菓子は、声が大きくない方がいい。なら、作り手の判断も、静かに残す必要があります」

 

 湊は、その言葉をノートに書いた。

 

 作り手の判断も、静かに残す。

 

 その一文は、かなり深く刺さった。

 

「分かりました」

 

「本当に?」

 

「半分くらいです」

 

 玲愛の眉が、少しだけ動いた。

 

 以前からのやり取りだった。

 

 ただ、今日は少しだけ空気が戻った気がした。

 

「では、残り半分は次の皿で示してください」

 

「はい」

 

 玲愛はフォークを置いた。

 

「商品としては、方向性は悪くありません」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めてはいません」

 

「はい」

 

「ただし、森崎さんたちに意見を聞いた判断は、正しいです」

 

 湊は顔を上げた。

 

 玲愛は皿から視線を外さなかった。

 

「客席に出すものですから」

 

「はい」

 

「ホールの手元を通るものですから」

 

「はい」

 

「私だけが見るものではありません」

 

 その言葉が、なぜか少しだけ静かに聞こえた。

 

 湊は、玲愛を見た。

 

 表情は変わらない。

 

 仕事の顔だ。

 

 だが、その最後の言葉だけ、いつもより少しだけ低く聞こえた。

 

 私だけが見るものではありません。

 

 それは事実だ。

 

 正しい。

 

 湊もそう思っている。

 

 だからこそ、他のスタッフにも出した。

 

 だが、玲愛がそれを言う時、少しだけ違う響きがあった。

 

 湊は、その意味を決めつけなかった。

 

 決めつけてはいけない。

 

 ただ、受け取った。

 

「はい」

 

 湊は頷いた。

 

「だから、花鳥さんにも見てほしかったんです」

 

 玲愛の視線が、こちらに向いた。

 

「話が戻っています」

 

「すみません」

 

「謝罪ではなく、修正してください」

 

「難しいです」

 

「では、今後の課題です」

 

「はい」

 

 湊は、少しだけ笑いそうになった。

 

 だが、笑わなかった。

 

 茶化してはいけない。

 

 玲愛の言葉は、仕事の言葉だ。

 

 けれど、その奥にある小さな揺れまで、全部笑いにしてはいけない。

 

「次は、森崎さんたちの意見を整理してから、もう一度作ります」

 

「そうしてください」

 

「その時も、見ていただけますか」

 

「必要であれば」

 

「はい」

 

「必要であれば、です」

 

「分かっています」

 

「本当に?」

 

「少しだけ、分かってきました」

 

「なら結構です」

 

 玲愛は皿を返した。

 

 湊はそれを受け取る。

 

 皿の上には、まだ少しだけ焼き菓子が残っていた。

 

 玲愛は全部は食べなかった。

 

 商品確認としては十分。

 

 そう判断したのだろう。

 

 それでいい。

 

 それでいいのに、少しだけ残念に思った自分を、湊はノートの端にしまった。

 

 厨房へ戻ると、森崎が通りがかった。

 

「相沢さん、花鳥さんどうでした?」

 

「かなり具体的に見てもらえました」

 

「よかったです」

 

「森崎さんの意見も、花鳥さんが有用だと言っていました」

 

「えっ、本当ですか?」

 

「はい」

 

 森崎の顔が明るくなる。

 

「よかった……ちゃんと役に立てたなら」

 

「すごく助かりました」

 

「また必要なら言ってください」

 

「お願いします」

 

 湊は頭を下げた。

 

 そのやり取りをしている時、玲愛が少し離れた場所にいた。

 

 こちらを見ているわけではない。

 

 見ていないはずだ。

 

 ただ、カップを片付ける手が一瞬だけ止まったように見えた。

 

 やはり、気のせいかもしれない。

 

 湊は、それを追わなかった。

 

 今は、ノートを書く。

 

 森崎の言葉。

 

 他のホールスタッフの言葉。

 

 玲愛の言葉。

 

 全部を混ぜるのではなく、整理する。

 

 皿に乗せるべきものと、乗せすぎてはいけないものを分ける。

 

 それが今日の仕事だった。

 

 閉店後。

 

 湊は作業台の前で、今日の記録を整理していた。

 

 紅茶と一緒に少し休みたい時の菓子。

 

 余白が広いと、自信なさそうに見える。

 

 軽いだけでは勧めにくい。

 

 華やかな紅茶とは合わせない。

 

 意見を全部乗せない。

 

 作り手の判断も、静かに残す。

 

 最後の一文を書いて、湊はペンを止めた。

 

 今日、自分は他のスタッフにも菓子を出した。

 

 それは正しい。

 

 客席に出す商品なのだから、ホール全体の意見を聞くべきだ。

 

 それでも、玲愛には最後に見てほしかった。

 

 その順番に意味を持たせるなと言われた。

 

 たぶん、それも正しい。

 

 だが、意味を持たせないようにしても、意味が残ってしまうことがある。

 

 湊にとって、花鳥玲愛の目は、まだ特別だった。

 

 ただし、それを彼女一人の承認にしてはいけない。

 

 そこを間違えない。

 

 今日、少しだけ分かった気がした。

 

「相沢くん」

 

 三枝が声をかけた。

 

「はい」

 

「今日は収穫が多そうだね」

 

「はい。整理するのが大変です」

 

「全部入れようとしないこと」

 

「花鳥さんにも言われました」

 

「なら、二人分覚えておこう」

 

「はい」

 

 三枝は皿を見て、小さく頷いた。

 

「ホール全体に菓子が渡っていくのは、いいことだよ」

 

「はい」

 

「でも、少し寂しい?」

 

 湊は、意外な言葉に顔を上げた。

 

「俺がですか?」

 

「いや。何でもない」

 

 三枝は笑って、作業台へ戻っていった。

 

 湊は首を傾げた。

 

 寂しい。

 

 誰が。

 

 何を。

 

 考えかけて、やめた。

 

 決めつけてはいけない。

 

 勝手に意味を足してはいけない。

 

 それでも、今日の玲愛の言葉は耳に残っている。

 

 私だけが見るものではありません。

 

 その通りだ。

 

 湊の菓子は、もう玲愛だけが見るものではない。

 

 森崎も見る。

 

 他のホールスタッフも見る。

 

 三枝も見る。

 

 有坂も見る。

 

 客も見る。

 

 店の中で、少しずつ共有されていく。

 

 それは、商品になるということだ。

 

 嬉しいことのはずだ。

 

 それでも、湊は思った。

 

 花鳥さんには、やはり見てほしい。

 

 最初でなくてもいい。

 

 最後でなくてもいい。

 

 順番に意味を持たせてはいけない。

 

 それでも、皿が客席へ向かう時。

 

 そのどこかで、花鳥玲愛の目があることを、湊は少しだけ頼りにしている。

 

 相沢湊は、他のスタッフにも菓子を出す。

 

 それは正しい。

 

 そして正しいことをした後でも、花鳥玲愛に見てもらいたい気持ちだけは、まだ静かに残っていた。

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