花鳥玲愛は、甘さを認めない   作:エーアイ

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第21話 相沢湊は、幹事への礼を皿にする

 歓迎会の準備が、少しずつ進んでいた。

 

 相沢湊は、厨房の作業台の前で焼成記録をまとめながら、ホール側の声を聞いていた。

 

 花鳥玲愛の声。

 

 有坂直人の返事。

 

 森崎乃々香の明るい声。

 

 時々、三枝誠司が厨房側から呼ばれる声。

 

 候補日。

 

 翌日の予約状況。

 

 仕込みの量。

 

 当日参加できるスタッフの確認。

 

 ホールスタッフの帰宅時間。

 

 予算。

 

 店の場所。

 

 席の配置。

 

 料理の内容。

 

 匂いが翌日に残るかどうか。

 

 聞こえてくる言葉は、どれも歓迎会の準備に関するものだった。

 

 湊は、最初のうち、それを少し他人事のように聞いていた。

 

 自分の歓迎会。

 

 その言葉が、まだ少し馴染まなかった。

 

 キュリオに来て、もうしばらく経つ。

 

 最初は皿の上しか見えていなかった。

 

 花鳥に何度も切られた。

 

 ホールの動きを見た。

 

 森崎に運びやすさを聞いた。

 

 三枝に焼成を止められた。

 

 有坂に店全体の流れを見せられた。

 

 少しずつ、キュリオの商品というものを考えるようになった。

 

 その今になって、歓迎会が行われる。

 

 遅いようで、たぶん今でよかったのだと思う。

 

 最初の頃なら、湊は歓迎されることを受け取れなかった。

 

 認められたい気持ちばかりが先に出て、かえって皿に余計な力を入れていた気がする。

 

 今でも十分に落ち着いているとは言えない。

 

 だが、少なくとも、歓迎されることを仕事から逃げる理由にはしない。

 

 そう思えるくらいにはなった。

 

「相沢くん」

 

 三枝に呼ばれて、湊は顔を上げた。

 

「はい」

 

「手、止まってるよ」

 

「あ、すみません」

 

「歓迎会、気になる?」

 

 湊は、手元のノートを見た。

 

 焼成記録の途中で、ペンが止まっていた。

 

「気になります」

 

「正直でよろしい」

 

「でも、自分が何か言うと、花鳥さんの作業を増やしそうで」

 

「まあ、増えるだろうね」

 

 三枝はあっさり言った。

 

「花鳥さんは、幹事としてかなり細かく見てるから」

 

「はい」

 

 湊は頷いた。

 

 細かい。

 

 その言葉では足りないくらいだった。

 

 候補日。

 

 翌日の仕込み。

 

 森崎を含む若いスタッフの予算感。

 

 参加予定者の帰宅経路。

 

 当日参加できるスタッフが増えた場合の席調整。

 

 三枝が料理に意識を持っていかれすぎない店。

 

 有坂が場を回しやすい席。

 

 湊が主役として過度にいじられすぎない導線。

 

 苦手な料理。

 

 匂いが翌日に残らないか。

 

 帰り道。

 

 席の位置。

 

 時間。

 

 終了の流れ。

 

 花鳥は、きっとそれを全部「幹事として当然」と言う。

 

 そして実際、それは正しい。

 

 店の行事なのだから。

 

 翌日の営業に影響してはいけないのだから。

 

 参加する人たちが無理なく過ごせるようにするのは、幹事の仕事なのだから。

 

 だが、それでも。

 

 その準備に、花鳥がかなりの時間を使っていることも事実だった。

 

 自分のために。

 

 いや、店のために。

 

 歓迎会のために。

 

 その中に、自分がいる。

 

 そう思うと、湊は落ち着かなかった。

 

「三枝さん」

 

「うん?」

 

「何か、お礼をしたいんです」

 

 三枝は、少しだけ目を細めた。

 

「花鳥さんに?」

 

 湊は、すぐには答えられなかった。

 

 花鳥に。

 

 そう言ってしまうと、何かが違う気がした。

 

 間違ってはいない。

 

 でも、それだけではいけない。

 

「幹事への礼です」

 

 湊は、少し考えてから答えた。

 

 三枝は笑った。

 

「うん。そういうことにしておこう」

 

「本当に、そうなんです」

 

「分かってるよ」

 

「花鳥さんのためだけには作りません」

 

 湊は真面目に言った。

 

 それは、強く意識していた。

 

 以前、湊は踏み込みすぎた。

 

 花鳥自身の好みを聞いた。

 

 花鳥が認める甘さを知ろうとした。

 

 彼女を理由に、菓子を作ろうとした。

 

 その結果、言われた。

 

 私を理由に菓子を作らないでください。

 

 あの言葉は、今も残っている。

 

 痛かった。

 

 でも、必要な言葉だった。

 

 だから今回は違う。

 

 花鳥玲愛のためだけには作らない。

 

 だが、幹事として店の時間を整えてくれている人が、作業の合間に少し息をつけるものなら。

 

 菓子として、考える意味がある。

 

 三枝は、湊の顔を見て、少しだけ穏やかに笑った。

 

「そこを分けられるようになったのは、成長だね」

 

「そうでしょうか」

 

「少なくとも、前なら分けられなかったと思うよ」

 

「はい」

 

 湊は素直に頷いた。

 

「分けられませんでした」

 

「今は?」

 

「分けたいです」

 

「なら、作ってみたらいい」

 

 三枝は作業台を軽く叩いた。

 

「ただし、営業用の仕込みを圧迫しないこと。歓迎会前に花鳥さんの仕事を増やす菓子にしないこと。あと、重すぎないこと」

 

「はい」

 

「礼を言いたい気持ちが強いと、菓子が重くなるからね」

 

 湊は、少しだけ苦笑した。

 

「気をつけます」

 

「それで、どんな菓子にするの?」

 

 湊はノートを開いた。

 

 まだ何も書いていないページ。

 

 そこに、考えていたことを少しずつ書き出す。

 

 幹事作業の合間に食べられるもの。

 

 紅茶と一緒に一口だけ。

 

 甘すぎない。

 

 香りが強すぎない。

 

 考えごとの邪魔をしない。

 

 手を汚さない。

 

 皿を大きく使わない。

 

 食べ終わった後に、少しだけ息が抜けるもの。

 

 三枝が覗き込む。

 

「通常メニュー候補より、さらに小さい?」

 

「はい。一口半くらいです」

 

「一口じゃないんだ」

 

「一口だと、少し確認だけで終わる気がします。半分残るくらいの方が、紅茶と合わせた時の引きが見られると思って」

 

「なるほど」

 

「ただ、二口だと多い気がします」

 

「花鳥さん、考えながら食べるならそのくらいかもね」

 

 湊は、少しだけ手を止めた。

 

 三枝は笑った。

 

「言い方を変えるよ。幹事作業をしている人が、考えながら食べるならそのくらいかもね」

 

「お願いします」

 

「はいはい」

 

 湊は材料を考えた。

 

 バターは控えめ。

 

 香りは丸く。

 

 蜂蜜は少しだけ。

 

 柑橘は入れるが、前に出しすぎない。

 

 口に残る甘さは短く。

 

 ただし、消えすぎると休憩にならない。

 

 紅茶を邪魔しない。

 

 でも、紅茶を飲んだ後に、少しだけ輪郭が戻る。

 

 いつもの焼き菓子より、さらに静かに。

 

 けれど、弱くしすぎない。

 

 湊は試作を始めた。

 

 生地を小さく取る。

 

 形は丸すぎない。

 

 平たすぎても、仕事中につまむには頼りない。

 

 指で持った時に崩れないようにする。

 

 粉の配分を変える。

 

 焼き色は浅め。

 

 ただし、香りが立たないほど浅くしない。

 

 焼いている間、湊は何度も確認した。

 

 これは花鳥玲愛個人に贈る菓子ではない。

 

 幹事作業の合間に置ける菓子。

 

 歓迎会の準備で店の時間を整えている人が、少しだけ息をつける菓子。

 

 そこに礼は込める。

 

 だが、それだけを理由にしない。

 

 焼き上がった菓子は、小さかった。

 

 通常メニュー候補の焼き菓子より、さらに小さい。

 

 一口では少し足りない。

 

 二口では多くない。

 

 ちょうど一口半。

 

 香りは控えめ。

 

 甘さは弱い。

 

 だが、紅茶を飲むと少しだけ戻る。

 

 三枝が一つ食べた。

 

 しばらく黙っている。

 

「どうでしょうか」

 

「悪くない」

 

「ありがとうございます」

 

「ただ、最初の一口は少し弱いかな」

 

「弱いですか」

 

「花鳥さんが考えごとの途中で食べるなら、このくらいでもいいと思う。でも、休憩として息を抜くなら、もう少しだけ輪郭があってもいい」

 

「なるほど」

 

「礼を控えめにしすぎて、菓子まで遠慮してる」

 

 湊は、手元の菓子を見た。

 

 遠慮。

 

 確かに、そうかもしれない。

 

 花鳥のためだけに作ってはいけない。

 

 その意識が強すぎて、菓子の方まで引きすぎた。

 

「少しだけ、甘さを戻します」

 

「うん。少しだけね」

 

「はい」

 

 湊は二度目を焼いた。

 

 蜂蜜をほんの少し増やす。

 

 柑橘の香りはそのまま。

 

 焼き色を少しだけ深くする。

 

 焦がしバターは前に出さない。

 

 紅茶の横に置いても、考えごとの邪魔にならないように。

 

 でも、食べ終わった時に、ほんの少しだけ肩の力が抜けるように。

 

 二度目を食べた三枝は、頷いた。

 

「こっちだね」

 

「はい」

 

「名前は?」

 

「まだありません」

 

「じゃあ、試作品として出す?」

 

「はい」

 

「花鳥さん、警戒すると思うよ」

 

「分かっています」

 

「ちゃんと説明できる?」

 

 湊は、少し考えた。

 

 説明。

 

 これが一番難しい。

 

 礼です、とだけ言えば、受け取られない。

 

 花鳥さんのために作りました、と言えば、たぶん完全に拒否される。

 

 でも、礼を込めていないと言えば嘘になる。

 

 嘘はつきたくない。

 

 湊は、小さく息を吐いた。

 

「礼は込めています。でも、花鳥さんのためだけには作っていません」

 

 三枝は、少し笑った。

 

「それをそのまま言うつもり?」

 

「危ないでしょうか」

 

「危ないね」

 

「ですよね」

 

「でも、相沢くんらしいとは思う」

 

「褒めていますか?」

 

「半分くらい」

 

「残り半分は?」

 

「花鳥さんに切られる覚悟をしておくこと」

 

「はい」

 

 湊は、小さな菓子を三つ包んだ。

 

 一つは確認用。

 

 一つは三枝に残す分。

 

 もう一つは、念のため。

 

 包装は簡単にした。

 

 贈り物のように見えすぎないように。

 

 しかし、雑にはしない。

 

 紙は白。

 

 小さく折る。

 

 手を汚さずに取り出せるようにする。

 

 湊は、それを見て少しだけ迷った。

 

 丁寧すぎるだろうか。

 

 いや、確認用でも丁寧であるべきだ。

 

 そういうことにした。

 

 閉店後。

 

 玲愛は、ホールのカウンターで歓迎会の第一候補の店について確認していた。

 

 手帳。

 

 候補表。

 

 席の簡単な図。

 

 参加予定者の予定。

 

 当日参加できるスタッフが増えた場合の席数。

 

 かなり細かい。

 

 湊は、少し離れた場所からそれを見ていた。

 

 花鳥は、今日も仕事の顔だった。

 

 背筋を伸ばし、必要な項目を確認し、感情を表に出さない。

 

 歓迎会の幹事をしている。

 

 自分を主役にした、小さな店の行事のために。

 

 もちろん、本人はそう言わない。

 

 店の行事です。

 

 幹事として当然です。

 

 特別扱いではありません。

 

 そう言うだろう。

 

 湊は、包みを持ったまま近づいた。

 

「花鳥さん」

 

「何ですか」

 

 玲愛は顔を上げた。

 

「歓迎会の調整、ありがとうございます」

 

「幹事として必要なことです」

 

「はい。分かっています」

 

「でしたら、礼は不要です」

 

「なので、礼ではなく確認です」

 

 玲愛の目が、少しだけ細くなった。

 

 警戒された。

 

 当然だと思った。

 

「何の確認ですか」

 

 湊は、小さな包みを出した。

 

「幹事作業の合間に、紅茶と一緒に食べても邪魔にならないかの確認です」

 

 玲愛は、包みを見た。

 

 すぐには受け取らない。

 

「なぜ私が確認するのですか」

 

「今、一番幹事作業をしているのが花鳥さんだからです」

 

 玲愛は黙った。

 

 湊は、言葉を足しすぎないようにした。

 

 ここで説明しすぎると、たぶん重くなる。

 

 菓子も言葉も。

 

 少し置くくらいでいい。

 

 玲愛は、包みをもう一度見た。

 

「……業務上、確認する意味はあります」

 

「はい」

 

「ただし、私への礼として作ったのなら受け取りません」

 

 来ると思っていた言葉だった。

 

 それでも、少しだけ胸が詰まる。

 

 湊は頷いた。

 

「礼は込めています。でも、花鳥さんのためだけには作っていません」

 

 玲愛の動きが止まった。

 

 湊は続けた。

 

「幹事をする人が、作業の合間に少し息をつける菓子として考えました」

 

「……言葉の使い方に注意してください」

 

「はい」

 

「礼を込めています、という表現は危険です」

 

「分かっています」

 

「本当に?」

 

「半分くらいです」

 

「では、残り半分は今後の課題です」

 

「はい」

 

 湊は、素直に頷いた。

 

 玲愛はようやく包みを受け取った。

 

 指先が、ほんの少しだけ慎重だった。

 

 雑に扱わない。

 

 それだけで、湊は少しだけ安心した。

 

「ここで確認すればよいのですか」

 

「無理に今でなくても」

 

「後にすると、あなたが余計に気にするでしょう」

 

「……否定できません」

 

「なら、今確認します」

 

 玲愛は小さな皿を一枚出した。

 

 包みを開く。

 

 中の菓子を見る。

 

「小さいですね」

 

「幹事作業の邪魔にならない大きさにしました」

 

「一口ではありませんね」

 

「一口だと、紅茶との相性が見にくいので」

 

「二口でもない」

 

「多いと、休憩ではなく食事に近くなると思いました」

 

「中途半端です」

 

「はい。一口半を狙いました」

 

 玲愛は、少しだけ眉を動かした。

 

「狙うところが細かいですね」

 

「花鳥さんほどではありません」

 

「比較しないでください」

 

「はい」

 

 玲愛は、菓子を一口分だけ切った。

 

 口に運ぶ。

 

 湊は、見すぎないようにした。

 

 だが、どうしても気になる。

 

 玲愛の表情は大きく変わらない。

 

 仕事の顔。

 

 確認する人の顔。

 

 湊は、息を止めないようにした。

 

 玲愛は紅茶を飲んだ。

 

 それから、もう一度菓子を見た。

 

「甘さは弱いです」

 

「はい」

 

「ですが、弱すぎるほどではありません」

 

「はい」

 

「香りは控えめです。紅茶の横に置いても、邪魔にはなりません」

 

「はい」

 

「考えごとの途中で食べても、思考を切りません」

 

 湊は、その言葉に少しだけ安堵した。

 

 そこを狙っていた。

 

 伝わったなら、よかった。

 

 玲愛は、残りを小さく切った。

 

 二口目。

 

 紅茶。

 

 少しだけ間を置く。

 

 その間に、湊は手元のノートを開きかけた。

 

「記録は後にしてください」

 

 玲愛が言った。

 

 見ていないようで、見ている。

 

「はい」

 

「今、記録を取られると、私が確認しづらいです」

 

「すみません」

 

「謝罪ではなく、待ってください」

 

「はい」

 

 湊はノートを閉じた。

 

 玲愛は最後の欠片を食べた。

 

 皿の上が空になる。

 

 湊は、そのことに気づいたが、何も言わなかった。

 

 全部食べてくれた。

 

 それだけで十分だった。

 

 玲愛はフォークを置いた。

 

「悪くありません」

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、歓迎会の店選びには影響しません」

 

「はい」

 

「幹事への賄賂ではありませんね」

 

「そのつもりはありません」

 

「なら結構です」

 

 玲愛は皿を片付けようとした。

 

 湊は、少しだけ迷ってから言った。

 

「でも、少しでも助かれば嬉しいです」

 

 玲愛の手が止まった。

 

 ほんの一瞬。

 

 それから、ゆっくりこちらを見る。

 

「……言葉の使い方に注意してください」

 

「はい」

 

「今の言い方も、かなり危険です」

 

「すみません」

 

「謝罪ではなく、修正してください」

 

「難しいです」

 

「では、今後の課題です」

 

「はい」

 

 いつものやり取りだった。

 

 でも、少しだけ違う気がした。

 

 湊の菓子が、その間に入っていたからだろうか。

 

 玲愛は包み紙を畳んだ。

 

 捨てるのかと思った。

 

 だが、すぐには捨てなかった。

 

 手帳の横に、きれいに置く。

 

 湊は、それを見なかったことにした。

 

 見なかったことにしたが、気づかなかったわけではない。

 

「相沢さん」

 

「はい」

 

「この菓子は、商品候補ではありませんね」

 

「はい。今のところは」

 

「今のところ?」

 

「幹事作業中の人に出す菓子、というのは商品としては狭すぎるので」

 

「当然です」

 

「でも、仕事の合間に少し息をつける菓子としては、考える余地があるかもしれません」

 

 玲愛は、少しだけ黙った。

 

「……考える余地はあります」

 

「はい」

 

「ただし、今は歓迎会の準備が優先です」

 

「分かっています」

 

「あなたも、主役として必要な連絡に答えること」

 

「はい」

 

「余計な試作で通常業務を乱さないこと」

 

「はい」

 

「本当に?」

 

「努力します」

 

「実行してください」

 

「はい」

 

 玲愛は手帳を閉じた。

 

 話は終わった。

 

 湊は頭を下げる。

 

「確認、ありがとうございました」

 

「一度で十分です」

 

「はい」

 

「それと」

 

「はい」

 

「……菓子は、悪くありませんでした」

 

 湊は、少しだけ言葉を失った。

 

 先ほども、悪くありません、と言われた。

 

 だが、今の言葉は少し違った。

 

 確認結果ではなく、もう一度置かれた言葉のように聞こえた。

 

 湊は、ゆっくり頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

「一度で十分です」

 

「はい」

 

 玲愛は、すぐに仕事の顔に戻った。

 

「明日、第一候補の店の空きを確認して、仮押さえします」

 

「分かりました」

 

「苦手なものの追加があれば、今日中に」

 

「ありません」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

「では、その条件で進めます」

 

「お願いします」

 

 湊は、もう一度頭を下げて厨房へ戻った。

 

 三枝が、作業台の近くで待っていた。

 

「どうだった?」

 

「悪くない、とのことでした」

 

「よかったね」

 

「はい」

 

「それだけ?」

 

 湊は少し考えた。

 

 玲愛が包み紙をすぐ捨てなかったこと。

 

 最後にもう一度、悪くありませんでした、と言ってくれたこと。

 

 それを言うべきか迷った。

 

 でも、言わなかった。

 

 それは、記録に残すことではない気がした。

 

「幹事作業の邪魔にはならなかったようです」

 

 三枝は笑った。

 

「相沢くんも、だいぶ花鳥さんに似てきたね」

 

「そうでしょうか」

 

「言い訳の組み立て方が」

 

「それは、良いことなんでしょうか」

 

「半分くらいは」

 

「残り半分は?」

 

「明日の皿で確認だね」

 

 湊は苦笑した。

 

 いつの間にか、皆がそう言う。

 

 残り半分は、明日の皿で。

 

 湊はノートを開いた。

 

 記録を書く。

 

 甘さは弱いが、弱すぎない。

 

 香りは控えめ。

 

 紅茶の横で邪魔にならない。

 

 考えごとの途中でも思考を切らない。

 

 幹事作業中の小休止としては、成立の余地あり。

 

 そこまで書いて、湊は少しだけペンを止めた。

 

 礼は込めた。

 

 でも、花鳥玲愛のためだけには作っていない。

 

 その線は、たぶん守れたと思う。

 

 ただ、花鳥が少しだけ息をつける皿にはしたかった。

 

 それは否定できない。

 

 否定しなくてもいいのかもしれない。

 

 湊は、ノートの端に小さく書いた。

 

 幹事への礼。

 

 作業の合間に、少しだけ息をつけるもの。

 

 それから、少し迷って、もう一行だけ足す。

 

 花鳥さんのためだけには作らない。

 

 でも、花鳥さんにも届いてほしいとは思っている。

 

 書いてから、湊はしばらくその文字を見た。

 

 危険な表現だ。

 

 花鳥に見られたら、言葉の使い方に注意してください、と言われるだろう。

 

 湊は、ページを閉じた。

 

 相沢湊は、花鳥玲愛のためだけには作らない。

 

 それでも、幹事として店の時間を整えてくれる人が、少しだけ息をつける皿にはしたかった。

 

 それは、礼で。

 

 確認で。

 

 まだ名前のない、小さな菓子だった。

 

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