Q. 魔法の才能ゼロの令嬢に最強ジジイが科学を教えたら?→A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】 作:Koh_novel
シャンプー作りは、思っていたより、ずっと長い道のりだった。
始まりの日のことは、忘れもしない。
お師匠様に「あのシャンプー、中身って何でできてるんですか」と聞いたら、返ってきた答えはこうだった。
「さぁ」
「さぁ!?」
「シャンプーのイメージで出たからの。中身は、世界に聞いてくれ」
「世界に聞いてくれ、じゃないんですよ!!!」
——というわけで、中身は誰にもわからなかった。
わからないなら、地道に作るしかない。お母様の人脈で来てくれた石鹸職人のおかみさんと、三人での試行錯誤が始まった。
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それから、いくつもの週末を重ねて。
ベルフォード邸の一室は、すっかり工房になっていた。
そもそもが”液体の石鹸”なんていうものは、今までこの世になかったのだ。それはそれは難航した。
棚には、失敗作の瓶がずらり。泡立ちすぎたもの。髪がきしんだもの。どろどろすぎたもの。さらさらすぎたもの。お師匠様のシャンプーを少しずつ分けてもらっては、匂いを嗅ぎ、舐めかけて止められ、煮て、混ぜて、冷まして——。
「——よし」
その日。おかみさんが、できたての試作を桶に溶いて、布で泡立てて、太い腕を組んだ。
「泡立ちも、すすぎも、洗い上がりも。もう、お手本に負けてないよ。あたしの石鹸職人人生に懸けて、言い切るね」
「ほ、ほんとですか!」
「ああ。——残るは」
おかみさんは、にっと笑った。
「香りだけだね」
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「香り……」
ピリカは、テーブルに並んだ小瓶を見渡した。
おかみさんが集めてくれた、香料の瓶たち。花の香り、果実の香り、薬草の香り。どれにするかで、このシャンプーの「顔」が決まる。
「うーん、どれも良い匂いで、逆に決められない……」
そのとき。
「ねぇ、ピリカ」
ミランダが、すっと前に出た。
「香りは——私に、選ばせてくれないかしら」
その声が、いつもの「あらあら」と少し違っていたので、ピリカは顔を上げた。
「もちろん。お母様のお好みで」
ミランダは、小瓶の列を、ゆっくりと眺めた。
そして、迷いもせずに、一本を手に取った。
栓を開けると、ふわりと——気品のある、甘く澄んだ香りが広がった。
「バラ……?」
「ええ。あの、南の谷で咲く"青い"バラ。知ってるかしら」
ミランダは、小瓶を愛おしそうに見つめた。
「私が、ずっと好きだった香りなの」
それ以上の理由は、言わなかった。
でも、その横顔だけで、十分だった。
「——決まりだね」
おかみさんが、大きく頷いた。
⸻
数日後。
バラの香りをまとった試作第一号が、完成した。
その夜、ピリカは実家に泊まって、お母様と二人、順番にお風呂で髪を洗った。
湯上がり。鏡の前。
ミランダの長い髪に、ピリカがドライヤーの風を当てていく。ふわり、ふわりと、乾いていく髪から、バラが香る。
乾き終わった髪を、ミランダはひと房、指に取った。
灯りにかざして、するりと滑らせる。
「……ピリカ、これ、いいわ」
「本当?」
「ええ。とっても」
鏡越しに、ミランダは微笑んだ。
「これなら——どの奥様にも、自信を持って勧められる」
「……! やった……やったぁ!」
ピリカは、その場でぴょんと跳ねた。
失敗の瓶、何十本。ようやく、ようやくだ。
⸻
「——ミランダ、ピリカ。うまくいったのか」
居間の方から、フレデリックが顔を出した。はしゃいだ声が聞こえて、様子を見に来たらしい。
「ええ、やっと完成したのよ。ほら——」
ミランダが、乾いたばかりの髪を揺らして、フレデリックの傍に寄った。
フレデリックが、ふと止まった。
「あっ……」
「あら。気づいた?」
ミランダが、いたずらっぽく微笑んだ。
「その香り……」
「そう。あなたがプレゼントしてくれた、あの薔薇の香りよ」
フレデリックが、しばらく黙った。それから、ぼそりと言った。
「……いい、香りだ」
「ふふ。ありがとう」
——ピリカは、二人のやり取りを見ていた。
(……だからお母様、迷いもしなかったんだ。この香りを選んだのは)
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ピリカが部屋に戻った後。
居間に残された二人の間に、静かな時間が流れた。
「——それにしても」
フレデリックが、ふと切り出した。
「どうしてあんなに、あの香りにこだわったんだい?」
ミランダは、くすっと笑った。
「あの子に、言葉を贈ってあげたいと思ったの」
「言葉?」
「青い薔薇の花言葉——"不可能を可能にする"。まさに今のあの子に、ぴったりだと思わない?」
フレデリックが、目を丸くして——それから、声を上げて笑った。
「はっはっは、まさに! 最近のピリカは、どこまで行くのか、どこに行くのか——私たちにも、まったくわからんからな!」
「ふふ。でしょう?」
ミランダは、バラの香りがほのかに残る髪を、指先ですくった。
「——だから、あの子のシャンプーには、この香りがいいの」
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翌朝。
完成した瓶に、ピリカは、刷り上がったばかりのラベルを、そっと貼った。
小さな灯火と、それを囲むシンプルな円——ピリカ・ピリーラの印。
ドライヤーに続く、二つ目の商品。そして、化粧品の第一弾。
「名前、どうするの?」
ミランダに聞かれて、ピリカは少し考えて、答えた。
「そのまま。——ローズシャンプー」
「ふふ。いいじゃない」
ミランダは、瓶をひとつ手に取って、窓の光に透かした。
琥珀色の液体の向こうで、ラベルの灯火が、きらりと光った。
——お母様の好きな香り。
それがいちばんの決め手だったってことを、ピリカはちゃんと、覚えておこうと思った。