Q. 魔法の才能ゼロの令嬢に最強ジジイが科学を教えたら?→A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】   作:Koh_novel

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第74話 バラの香り

 シャンプー作りは、思っていたより、ずっと長い道のりだった。

 

 始まりの日のことは、忘れもしない。

 

 お師匠様に「あのシャンプー、中身って何でできてるんですか」と聞いたら、返ってきた答えはこうだった。

 

「さぁ」

 

「さぁ!?」

 

「シャンプーのイメージで出たからの。中身は、世界に聞いてくれ」

 

「世界に聞いてくれ、じゃないんですよ!!!」

 

 ——というわけで、中身は誰にもわからなかった。

 

 わからないなら、地道に作るしかない。お母様の人脈で来てくれた石鹸職人のおかみさんと、三人での試行錯誤が始まった。

 

 

 それから、いくつもの週末を重ねて。

 

 ベルフォード邸の一室は、すっかり工房になっていた。

 

 そもそもが”液体の石鹸”なんていうものは、今までこの世になかったのだ。それはそれは難航した。

 

 棚には、失敗作の瓶がずらり。泡立ちすぎたもの。髪がきしんだもの。どろどろすぎたもの。さらさらすぎたもの。お師匠様のシャンプーを少しずつ分けてもらっては、匂いを嗅ぎ、舐めかけて止められ、煮て、混ぜて、冷まして——。

 

「——よし」

 

 その日。おかみさんが、できたての試作を桶に溶いて、布で泡立てて、太い腕を組んだ。

 

「泡立ちも、すすぎも、洗い上がりも。もう、お手本に負けてないよ。あたしの石鹸職人人生に懸けて、言い切るね」

 

「ほ、ほんとですか!」

 

「ああ。——残るは」

 

 おかみさんは、にっと笑った。

 

「香りだけだね」

 

 

「香り……」

 

 ピリカは、テーブルに並んだ小瓶を見渡した。

 

 おかみさんが集めてくれた、香料の瓶たち。花の香り、果実の香り、薬草の香り。どれにするかで、このシャンプーの「顔」が決まる。

 

「うーん、どれも良い匂いで、逆に決められない……」

 

 そのとき。

 

「ねぇ、ピリカ」

 

 ミランダが、すっと前に出た。

 

「香りは——私に、選ばせてくれないかしら」

 

 その声が、いつもの「あらあら」と少し違っていたので、ピリカは顔を上げた。

 

「もちろん。お母様のお好みで」

 

 ミランダは、小瓶の列を、ゆっくりと眺めた。

 

 そして、迷いもせずに、一本を手に取った。

 

 栓を開けると、ふわりと——気品のある、甘く澄んだ香りが広がった。

 

「バラ……?」

 

「ええ。あの、南の谷で咲く"青い"バラ。知ってるかしら」

 

 ミランダは、小瓶を愛おしそうに見つめた。

 

「私が、ずっと好きだった香りなの」

 

 それ以上の理由は、言わなかった。

 

 でも、その横顔だけで、十分だった。

 

「——決まりだね」

 

 おかみさんが、大きく頷いた。

 

 

 数日後。

 

 バラの香りをまとった試作第一号が、完成した。

 

 その夜、ピリカは実家に泊まって、お母様と二人、順番にお風呂で髪を洗った。

 

 湯上がり。鏡の前。

 

 ミランダの長い髪に、ピリカがドライヤーの風を当てていく。ふわり、ふわりと、乾いていく髪から、バラが香る。

 

 乾き終わった髪を、ミランダはひと房、指に取った。

 

 灯りにかざして、するりと滑らせる。

 

「……ピリカ、これ、いいわ」

 

「本当?」

 

「ええ。とっても」

 

 鏡越しに、ミランダは微笑んだ。

 

「これなら——どの奥様にも、自信を持って勧められる」

 

「……! やった……やったぁ!」

 

 ピリカは、その場でぴょんと跳ねた。

 

 失敗の瓶、何十本。ようやく、ようやくだ。

 

 

「——ミランダ、ピリカ。うまくいったのか」

 

 居間の方から、フレデリックが顔を出した。はしゃいだ声が聞こえて、様子を見に来たらしい。

 

「ええ、やっと完成したのよ。ほら——」

 

 ミランダが、乾いたばかりの髪を揺らして、フレデリックの傍に寄った。

 

 フレデリックが、ふと止まった。

 

「あっ……」

 

「あら。気づいた?」

 

 ミランダが、いたずらっぽく微笑んだ。

 

「その香り……」

 

「そう。あなたがプレゼントしてくれた、あの薔薇の香りよ」

 

 フレデリックが、しばらく黙った。それから、ぼそりと言った。

 

「……いい、香りだ」

 

「ふふ。ありがとう」

 

 ——ピリカは、二人のやり取りを見ていた。

 

 (……だからお母様、迷いもしなかったんだ。この香りを選んだのは)

 

 

 ピリカが部屋に戻った後。

 

 居間に残された二人の間に、静かな時間が流れた。

 

「——それにしても」

 

 フレデリックが、ふと切り出した。

 

「どうしてあんなに、あの香りにこだわったんだい?」

 

 ミランダは、くすっと笑った。

 

「あの子に、言葉を贈ってあげたいと思ったの」

 

「言葉?」

 

「青い薔薇の花言葉——"不可能を可能にする"。まさに今のあの子に、ぴったりだと思わない?」

 

 フレデリックが、目を丸くして——それから、声を上げて笑った。

 

「はっはっは、まさに! 最近のピリカは、どこまで行くのか、どこに行くのか——私たちにも、まったくわからんからな!」

 

「ふふ。でしょう?」

 

 ミランダは、バラの香りがほのかに残る髪を、指先ですくった。

 

「——だから、あの子のシャンプーには、この香りがいいの」

 

 

 翌朝。

 

 完成した瓶に、ピリカは、刷り上がったばかりのラベルを、そっと貼った。

 

 小さな灯火と、それを囲むシンプルな円——ピリカ・ピリーラの印。

 

 ドライヤーに続く、二つ目の商品。そして、化粧品の第一弾。

 

「名前、どうするの?」

 

 ミランダに聞かれて、ピリカは少し考えて、答えた。

 

「そのまま。——ローズシャンプー」

 

「ふふ。いいじゃない」

 

 ミランダは、瓶をひとつ手に取って、窓の光に透かした。

 

 琥珀色の液体の向こうで、ラベルの灯火が、きらりと光った。

 

 ——お母様の好きな香り。

 

 それがいちばんの決め手だったってことを、ピリカはちゃんと、覚えておこうと思った。

 

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