Q. 魔法の才能ゼロの令嬢に最強ジジイが科学を教えたら?→A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】 作:Koh_novel
開店当日。
朝。まだ日が昇りきらないうちに、ピリカは店に来た。
鍵を開けて、扉を引く。真鍮の取っ手が、ひんやりと冷たかった。
——店内は、まだ薄暗い。
朝の光が窓からすうっと差し込むと、飴色の棚が、モザイクの床が、中央のテーブルが——二ヶ月かけて作り上げた店の輪郭が、少しずつ浮かび上がってくる。バラの香りが、かすかに漂っていた。
全部、自分で決めたものだ。ローザの力を借りて、お父様の力を借りて、お母様の力を借りて。でも、最後に「これで行こう」と言ったのは、全部、自分だった。
古いものと新しいものが、不思議と調和している。百年前の薬問屋の棚に、ピリカの魔術道具が並んでいる。重厚な木と石の空間に、バラの香りが、かすかに漂っている。
——いい、お店だ。
そう思ったら、目の奥が、つん、とした。
ローザは、もっと早くから来ていた。
カウンターの奥から出てきて、棚の商品のひとつひとつを、指先で直している。ガラス扉を開けて、瓶の角度を揃え、ラベルの向きを正し、瓶と瓶の間隔を、ほんの数ミリ、調えていく。モザイクの床を一歩も音を立てずに歩きながら、目線だけで棚全体を見渡している。
「ローザ、早いね……」
「お嬢様こそ」
ローザが、ふっと笑った。
「——大丈夫ですよ。準備は万全です」
その一言で、ピリカの胸の中でざわざわしていた何かが、すとん、と落ち着いた。
⸻
扉を開けて、外を覗いた。
——人が、並んでいた。
「ミランダ様のお宅で使わせていただいたの。あのドライヤー、もう手放せなくて」
「シャンプーも素晴らしいのよ。うちの娘にも買ってあげたくて」
ミランダの夫人ネットワークが、ずらりと並んでいる。お披露目会の口コミが、着実に根を張っていたらしい。朝の空気の中で、華やかなおしゃべりが弾んでいた。
その後ろには、学園の制服姿もちらほら混じっていた。
「ねえ、あのシャンプー使ったら、本当にアリサ様みたいな髪になれるのかな」
「わかんないけど、アリサ様が実際に使ってるって噂だよ?」
「このシャンプー、ずっと欲しかったの。お小遣い貯めてきた」
「私も! お母様には内緒で……」
「買う。絶対買う」
ピリカは、ちょっとだけ目が熱くなった。
——お客様が来る。お客様が、私の店に。
その実感が、じわじわと、胸に染みてきた。
⸻
開店の時間。
ピリカは、大きく息を吸った。ローザと目を合わせた。ローザが、静かに頷いた。
扉を開ける。
「いらっしゃいませ。——ピリカ・ピリーラへ、ようこそ」
ローザの声だった。侯爵家の応接室で、何百回と聞いてきた、あの声。場所が変わっても、ローザは変わらない。——その変わらなさが、今日ばかりは、ものすごく心強かった。
お客様が、次々と入ってくる。モザイクの床を踏んで、飴色の棚を見上げて、まず声を上げた。
「まあ……素敵なお店」
「こんなに雰囲気のある魔道具屋さん、初めて」
上段のガラス扉の向こうで、琥珀色と深緑の瓶が、光の中で並んでいる。それだけで、客の目が惹きつけられていた。
そして——下段の棚に目を移した人が、ドライヤーに手を伸ばした。
「あら、これ……触っていいの?」
「はい、どうぞ。お手に取って、お試しください」
ピリカが笑顔で応えると、婦人がおそるおそるドライヤーを持ち上げた。見よう見まねで魔力を込めると——
「きゃっ!」
温風が勢いよく吹き出して、婦人が驚いて手を離した。ドライヤーがモザイクの床に落ちて、からん、と乾いた音が響いた。
「ご、ごめんなさい! 壊してしまったかしら……!」
婦人が真っ青になった。周りの客も、ひやりとした顔で振り返る。
ローザが、静かに歩み寄って、床のドライヤーを拾い上げた。軽く確かめて——そのまま、婦人に差し出した。
「ご安心ください。こちらの製品は、落としても壊れないように設計されております」
「え……」
「試作品の頃に同じお声がございまして、製品版では改良済みです。——どうぞ、もう一度」
婦人が、恐る恐るもう一度手に取った。今度はそっと魔力を込める。ふわっと、温かい風。鏡に映る自分の髪が、ふわりと揺れた。
「……あら。これは……気持ちいい」
その声を聞いて、別の客も、棚からドライヤーを手に取り始めた。
「本当だわ、温かい」
「まあ、こんなに軽いの」
下段の棚のあちこちで、小さな歓声が上がっている。鏡の前に並んで、風を当てながら、自分の髪を確かめている。
ローザが、ピリカの隣にすっと戻ってきて、小さく言った。
「……鏡は、よい判断でしたね」
ピリカは、にっと笑った。
試して、気に入ったら、新品を包んでお渡しする。——その流れが、自然にできている。
最初のお客様が、レジに来た。
「このドライヤーと、シャンプーを」
ローザが包み、ピリカが「ありがとうございます」と頭を下げた。
お客様が、店を出ていく。包みを大事そうに抱えて。
——ああ。
売れた。私が作ったものが、初めて、お店で、売れた。
⸻
昼前。店がすこし落ち着いた頃に、空き地の教室の生徒たちが、ちらほらと顔を見せた。
「ピリカちゃん、開店おめでとう……!」
「応援に来たの!」
おずおずと店に入ってきて、棚を見上げて、きゃあきゃあ言っている。——と、一人が値札を覗き込んで、目を丸くした。
「え、シャンプー……意外と買える値段じゃない?」
「ほんとだ。あたしのお小遣いでも……」
「買っちゃおうかな……」
顔を見合わせて、それぞれ財布を取り出して、一人ずつレジに並んだ。
ピリカは、嬉しくて、ちょっとだけ泣きそうになった。
⸻
午前の後半に、アーサーが来た。
「繁盛しているじゃないか」
兄は棚を一通り見回して、満足そうに頷いた。それから、少し声を落とした。
「……実はな。婚約者に、ねだられている」
「ねだられてる?」
「『ドライヤーとシャンプーが欲しい。あなたなら手に入るでしょ』と。——毎日言われるんだ」
ピリカは、ぷっと吹き出した。
「お兄様、それ——私があげようか? 家族なんだし」
「いらん」
アーサーが、即座に言った。
「それでは意味がない。これは商売だろう。身内が値引きを求めるようでは、店の格が落ちる」
「お兄様……」
「それに——お前が作ったものを、ちゃんと正規の値段で買いたいんだ」
そう言って、アーサーはドライヤーとシャンプーをカウンターに置いた。
ローザが丁寧に包む。ピリカが釣りを渡す。——兄が、客として、妹の店で買い物をしている。なんだか不思議な光景だった。
「包みは二つに分けてくれ。一つは婚約者に。もう一つは——」
アーサーが、少し目を逸らした。
「……俺も、使ってみようかと」
「お兄様もドライヤー使うの!?」
「うるさい。男だって髪は乾かす」
ピリカは笑いをこらえながら、包みを渡した。
開店日、ちょっと長くなっちゃったので前後編に分けます!