Q. 魔法の才能ゼロの令嬢に最強ジジイが科学を教えたら?→A.めっちゃ無双する:【才無し侯爵令嬢と魔法ジジイの科学革命】 作:Koh_novel
午後。中央のテーブルに、魔導ケトルが据えられた。
ローザが、実演の準備を始める。花を端に寄せて、白い布を敷いて、ケトルと茶器を並べた。断熱コップも、人数分。
そのとき、店の入り口に、見慣れた二人が現れた。
アリサと——ボルトラン。
「ピリカ、開店おめでとう」
アリサが、花束を差し出した。青い花だった。——バラじゃないけど、青を選んでくれたんだな、と思った。
「アリサ……! ボルトラン様まで……!」
「うむ。祝いの品は、先に届けさせたが——どうにも、孫が実物を見たいと言うのでな。何やら紅茶の実演とやらがあると聞いて、その時間に合わせて来た」
「ちょうど今から始めるところです。——よろしければ、ご一緒にいかがですか」
ローザが、二人を中央のテーブルへ案内した。お客様も、テーブルの周りに集まってくる。
「——それでは、魔導ケトルの実演を、ご覧いただきます」
ローザが、ケトルに水を注いだ。静かに魔力を込める。
——数秒。
湯気が、ふわっと立ち上った。
「もう沸いたの……!?」
「嘘でしょう。薪も火もなしに?」
どよめきが広がった。ボルトランの目も、わずかに見開かれている。
「……今、火は使っておらんな?」
「はい。魔力だけで沸かしております」
「ほう……」
ローザは何事もなかったかのように茶葉を入れ、お湯を注ぎ、断熱コップに紅茶を注ぎ分けていく。その所作が、美しかった。侯爵家で鍛えられた手捌きが、魔導ケトルの実演を、まるで茶会のように仕立てている。
「どうぞ、お手に取ってお飲みください。コップも、本日の商品でございます。——外側は熱くなりませんが、中の紅茶は大変熱うございますので、お気をつけて」
客が、おそるおそる断熱コップを手に取る。
「あら、本当。外側が全然熱くない」
「でも中は——」一口すすって、目を丸くした。「熱い! 淹れたてのまま!」
「真空の層で熱を閉じ込めております。冷めにくい分、中身はしばらく熱いままでございますので、少しずつお召し上がりくださいませ」
紅茶を飲みながら、棚を眺めている。ゆっくりと、品定めをしている。——紅茶が、お客様をお店に留めている。ピリカが思い描いた通りの光景だった。
ボルトランも、コップを受け取っていた。一口飲んで、小さく頷いた。
「……あやつの家で出てくるコップと同じか」
「はい。グリモワルド様のお宅でお使いのものを、製品化いたしました」
ボルトランは、コップを軽く掲げて、眺めた。あの家で何気なく使っていたものが、紋章を刻まれ、商品として棚に並んでいる。
「あの家にあるものは、すべてこうなるのか」
「お師匠様が許可してくださったものだけです。——でも、まだまだ、たくさんあります」
ピリカが、少しだけ胸を張って言った。ボルトランは、コップの中の紅茶を見下ろしながら、ゆっくりと店内を見回した。ケトル。ドライヤー。断熱コップ。——あの家の日常が、ここでは驚きとして売れている。
「……店で、無料の紅茶が出るとは。商売としてどうなのだ」
「お祖父様。ピリカさんと一緒にいると、退屈しないでしょう?」
アリサが、くすくす笑いながら言った。
「……全くだ」
ボルトランは、コップの中の紅茶を見下ろしながら、呆れたような、感心したような顔をしていた。
それから、店内をゆっくりと見回した。
ドライヤー。ケトル。断熱コップ。シャンプー。香油。——どれもこれも、見覚えのある、あの家の気配がする品々だった。
「ところで——あやつは、来ないのか?」
ボルトランが、ふと聞いた。
「店の商品を見るに、原案はやつの家のものだろうに」
「お師匠様、『混んでる間はいかん』だそうです」
「あいつらしい……」
ボルトランは、心底呆れた顔をして——それから、ほんの少しだけ、笑った。
公爵と、侯爵令嬢が、紅茶を片手に店を眺めている。その姿を、店内のお客様たちが、ちらちらと盗み見ている。
——明日には、また噂が増えるだろう。誰も、そんなつもりはないのに。
⸻
夕方。
客足がようやく落ち着いた頃——フレデリックとミランダが、連れ立って入ってきた。
「——お父様、お母様」
「通りかかったからな」
フレデリックは、素っ気なくそう言った。ミランダが、その腕に手を添えている。——どう見ても、デートの帰りだった。
フレデリックは、棚をひとつひとつ、丁寧に見て回った。商品の並びを確かめ、値札を確かめ、壁に掲げた灯火と円の紋章を見上げて——黙って、頷いた。
「投資先として、悪くない」
「……ありがとうございます、お父様」
ミランダが、上段のガラス扉をそっと開けた。シャンプーの瓶を手に取って、香りを嗅いで、目を細める。それから——その隣の、深い緑の小瓶に目を留めた。
「あら? この香油は新製品かしら?」
「はい、お母様。あのバラの香りで、髪が艶々になります」
その瞬間、ミランダが、すっとフレデリックの方を向いた。
何も言わない。ただ、にこにこと、夫の顔を見ている。
「……」
フレデリックは、一瞬、天井を仰いだ。それから、ため息をひとつ。
「ピリカ。——その香油を、ひとつ包んでくれ」
「はい、お父様」
「投資先の商品を、投資家が自ら試すのは当然のことだ。——それだけだぞ」
「ふふふ。ええ、ええ。それ"も"嘘じゃないわよね」
ミランダが、朝の契約書のときと同じ台詞を言った。フレデリックが、もう一度、天井を仰いだ。
ローザが深緑の小瓶を丁寧に包む間、ミランダは娘の頭を、そっと撫でた。
「がんばったわね、ピリカ」
その一言で——今日一日、ずっと張り詰めていた糸が、ぷつん、と切れた。
「……うん」
声が、ちょっと震えた。
⸻
閉店後。
お客様がいなくなって、フレデリックとミランダも帰って、ローザが帳簿を閉じて奥に下がって。
しんと静かになった店内に、ピリカはひとり、残っていた。
棚を、一つずつ、見て回った。
ずいぶん売れて、隙間ができている。下段のドライヤーは、展示用を残してほぼ完売。鏡の前だけが、少しだけ、指紋で曇っていた。明日の朝、ローザと補充をしなければ。
中央のテーブルには、実演のあとの茶器がまだ残っている。断熱コップも、いくつか売れた。紅茶を飲んで、そのまま「このコップください」と言ってくれた人がいた。
カウンターの上には、アリサがくれた青い花束。その横に、帳簿。今日の売上が、ローザの綺麗な字で記されている。
——グリモワルドの家は、師弟の居場所。
——ベルフォード家は、家族の居場所。
——そして、ここは。
ピリカは、棚のシャンプーの瓶を、ひとつ、そっと撫でた。
琥珀色の液体が、かすかに揺れた。バラの香りが、ほんのかすかに、漂った気がした。
(私が、作った場所)
「お嬢様。戸締まりを」
奥から、ローザの声。
「うん。——いま行く」
灯りを消す。
窓の外、看板の灯火の紋章が、月明かりを受けて、ほのかに浮かんでいた。
灸鍼さん、やまでんさんより高評価いただきましたーー!
ありがとうございますm(_ _)m