夫である先生を亡くした狐坂ワカモとその息子のお話。

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「未亡人ワカモと息子」

 静まり返った病室の中、目の前で病魔に侵された最愛の人の手を握る。かつて生命力に満ち溢れていたとは思えないほど、その手には温もりが感じられなかった。

 

「ワカモ……」

 

「はい、あなた様」

 

「愛している」

 

「私もです。このワカモ。ずっとあなた様だけを想っております」

 私がそう言うと笑みを浮かべて、私の頬に触れる。冷たい。頰を触った後、その手を下げて私の腹部に触れた。

 

「ごめんね」

 最愛の人が口元を歪めながら呟いた。直後、先生の手から力が抜けた。抑揚のない電子音が先生の心臓が止まったことを知らせる。

 

 嫌です。あなた様。どうか、どうか私を置いていかないでくださいまし。

 

 

「あなた様!」

 暗闇の中、愛する男性を呼んだ。何度も浅い息を吐いて、荒れ狂う胸の鼓動を落ち着かせる。

 

「お母さんどうしたの?」

 横で眠っていた息子が寝ぼけ眼をこすった。

 

「ごめんなさい。少し変な夢見ちゃったみたい。さあ寝ましょう」

 

「うん」

 私は息子に布団を被せて、再び目を閉じた。そうだ。私にはこの子がいる。あの人が私に遺していった最愛の存在が。

 

 

 

朝、セットしていた目覚ましが鳴る前に布団から出た。米を炊いて、干していた洗濯物を取り込んでいく。

 

「ん〜お母さん。おはよう」

 息子が目をこすりながら、寝室から出て来た。

 

「あら、おはようございます。待っていてくださいね。もうすぐご飯できますから」

 私はすぐに朝食を準備した。息子が美味しそうに朝ごはんを頬張った。

 

 美味しそうに私の料理を口にする息子に最愛の人の姿が重なる。あの人の生き写しのような姿。愛おしさとともになんとも言えない切なさが胸にこみ上げてくる。

 

「お母さん?」

 息子がフォーク片手に小首を傾げた。顔に出ていたのか。

 

「なんでもありませんよ。さあ早く食べてくださいね。もうすぐ幼稚園のバスが来ますから」

 

「そうだった!」

 息子がせかせかと白米を口に入れた。少し気の抜けたところもあの人そっくりだ。

 

 

 

 

 

「お母さんいってきまーす」

 

「いってらっしゃい」

 息子が手を振りながら、送迎バスに乗った。息子を見送った後、家に戻った。食器を片付けて、洗濯物を畳んだ後、最愛の人の写真に顔を向けた。

 

「あなた様。今日もあの子は元気ですよ。これからもあの子のために誠心誠意努めて参ろますのでどうか見守っていてください」

 私は深々と頭を下げた。いつか私がそちらに行った時に褒めてくださるようにこのワカモ精進します。頭を上げた時、携帯が鳴った。幼稚園からだった。

 

 

「もしもし」

 私が電話に出ると電話越しの職員の方は息を切らしていた。電話の向こう側も凄く慌ただしかった。直感で察した。何か良くない事が起こっている。

 

「狐坂さん。落ち着いて聞いてください。送迎バスがバスジャックに遭いました」

 心臓を冷えた手で掴まれた感覚がした。良くない予感は的中した。

 

「今、お近くにテレビはありますか?」

 職員の方に言われるまま、テレビをつけた。ニュースの中継だった。その内容に目を疑った。なんとあの子を乗せた送迎バスに覆面の男達が乗り込んでいたのだ。

 

 全員銃を持っていて、テレビ越しからも緊迫感が伝わっていた。周囲には警察がいたが、子供を人質に取られているせいか、動けずにいる。

 

「逃走車と逃走資金の3億持ってこい! じゃあねえとガキを一人ずつ片付けるぞ!」

 賊の一人がバスの窓から威嚇と言わんばかりに窓から銃を放った。

 

 その時、私は見た。車内を捉えたカメラの中に怯えて小さくなっていた息子がいたのだ。

 

「賊が……」

 全身の意識がテレビに映る賊共に向けられる。

 

「狐坂さん。どうか耐えてください」

 職員の方の言う通り、今ここで動いては思う壺だ。私は奥歯が砕けんばかりの力で歯を食いしばって耐えた。

 

 しばらくすると警察が車と大きなアタッシュケースを持ってきた。賊の一人がアタッシュケースを警察官に開けさせて中身を確認した後、子供達を解放し始めた。

 

 息子がいない。一人、二人と子供達が涙と鼻水を流しながら、車内から出てくる中で息子が見当たらない。その事実に気づいた瞬間、冷や汗が滲み出た。同時に私は押入れに向かった。

 

 押入れの奥深くから一際大きなアタッシュケースを引っ張り出した。ロックを外して開けるとそこにはかつて惨禍を共にした相棒がいた。

 

「お久しぶりですね」

 私は銃を手に取り、面をつけた。

 

 

 そこから私は奴らが乗った車の動向を探った。警察が動くだろう。だがそんなものを待ち続ける程の余裕はない。私ならもっと早く救ってみせる。

 

 私は移動しながら、事件が起きた現場周辺のカメラをハッキングして、逃走車の特定を始めた。

 

 なんとしても、いち早くあの子を見つけなければ。私の想いが通じたのか、車が特定した。ターゲットを特定できてしまえば、あとは走るのみ。

 

 一団の車を追跡すると港に行き着いた。広い港。その一角にある寂れた倉庫に車が入って行った。船で逃亡する気ですか。そうはさせない。

 

 屋根の上を伝って倉庫に近付いていく。外側にいた見張りを片付けた後、倉庫内を確認した。黒い車が一台と無数の背広姿の男達がいた。

 

 目を凝らすと車の中で震えている息子がいた。落ち着きなく辺りを見渡している。絶対に許さない。この国賊共に目にものを見せてやります。私は倉庫の外から射撃を開始した。

 

 数人に着弾した後、男達がすぐに窓側を警戒して、銃口を向けてきた。私は既に見つけていた別の入り口から倉庫内に侵入した。

 

「見つけたぞ! 撃て!」

 構成員の一人が私を見つけて、仲間に呼びかけた。しかし、無駄な事。呼び出した仲間を瞬時に片付けた。

 

 すると別の方から銃弾が飛んで来た。

 

 「ようこそ! 災厄の狐!」

 倉庫の奥から葉巻を咥えたスーツ姿の男が出てきた。

 

「あなたが一連の騒動の黒幕ですか?」

 

「いかにも。全てはお前をおびき寄せるためだ」

 

「最初から私が目的だったのですね。だからこんな真似を」

 

「ハナから他のガキはどうでも良かった。ガキども脅したのは金のためだ」

 

「何故、このようなことを?」

 

「昔、シャーレの先生やお前のせいで俺の商売はめちゃくちゃにされた。その報復だ」

 男の顔を見ていると古い記憶が掘り起こされた。私はこの男を知っていた。かつて裏社会で名を馳せていた暴力団組織の長だ。違法な薬や人身売買にまで手を出していた外道中の外道だ。

 

「私ならいくらでも相手をいたしますわ。ただ、私の愛する殿方が私のために残してくださったこの子だけは絶対に手出しはさせない!」

 

「勝てるのか!? この数に!」

 首謀者が自信ありげに指を鳴らした。倉庫の二階や外から銃を持った無数の賊が姿を見せた。皆、銃を構えながら、下卑た目で私を見ている。

 

「お前ら! この女を始末したやつにはボーナスを出す!」

 その言葉に銃を構えた賊達の目の色が変わったのが見えた。

 

 やるのです。狐坂ワカモ。あの方との大切な絆の証。先生から遺してくださったあの子を救うのです。私は動いた。

 

「お前ら! 撃てえ!」

賊共が一斉に引き金に指をかけた。鉛玉の数々を躱して、お返しで銃弾を連発した。一人、二人と次々と倒れていく。取るに足らない。

 

 弱い。弱い。弱すぎる。こんな程度で私を。あの子を傷つけようなどあまりにも軽薄で言葉に詰まる。

 

「ばっ、化け物!」

 

「あら、失礼な方」

 賊どもの顔が引きつっている。なんて愚かなのでしょう。こんなもので臆するのなら初めから戦わなければ良かったものを。

 

 私は本能のままに賊共を蹂躙し続けた。

 

 ああ、これだ。これです。身を焦がすような破壊衝動。これが私。忘れていた。ああ、なんて心地良い。なんて甘美なんでしょうか。

 

 破壊。破壊。破壊。己の身が破壊の快楽に飲まれていくのが分かる。構わない。だってこんなにも愉快なんですもの。

 

 

 

 

 気がつくと団員達は誰一人、立っていなかった。みんな屍のように動かない。

 

「これが……災厄の狐」

 首謀者が足を振るませて、地面に尻餅をついた。見るからに怯えているようだが関係ない。私の子を。あの方との絆を冒涜した。その罪の五体に刻み込んで消し炭にする。

 

 ゆっくりと首謀者の元に歩みを進める。同時に首謀者が後ずさる。

 

「わ、悪かった! も、もう手を引く! 金輪際関わらない! だから!」

 今になって何を言っているのでしょう。この愚物は。貴方方の運命など、このワカモが来た時に決まっていたのですから。

 

 目と鼻の先まで近付き、首謀者に銃口を向ける。

 

「消えなさい」

 静かに引き金に指をかけようとした。

 

『ワカモ』

 突然、懐かしい声が聞こえた。同時に後ろから服の裾を引っ張られる感覚がした。息子だった。

 

「だめ……お母さん。だめ」

 目に涙を浮かべて、私を止めていた。その涙を見たとき、先ほどまで全身を支配していた熱がつま先から引いていくのを感じた。

 

「ごめんなさい」

 私は震える息子を静かに抱きしめた。この子とあの人が私を引き止めてくれたのだ。

 もし二人が止めていなければ確実に賊の頭を撃ち抜いていた。先生。まだワカモは未熟なようです。

 

 自責の念に駆られた時、私の後頭部に小さな温もりを感じた。息子が私の頭を撫でていた。

 

「お母さん。ありがとう。さっきのお母さん怖かったけど僕を助けようとしてくれたんだよね。ありがとう。大好きだよ」

 その言葉で涙が溢れた。息子の暖かさと自分の不甲斐なさが入り混じり、涙を堰き止められない。頭を撫で続けた。

 

 その後、賊共は駆け付けた警察に捕まった。私も声をかけられたが事件解決に一役買ったということもあり、厳重注意で済んだ。

 

 

 夕方、息子と手を繋いで家に向かっていた。息子は無言で歩いていた。私自身も少し気まずい。

 

 何より息子にあんな姿を見せてしまった負い目もある。滅多な事で泣かない子だ。きっと怖かったに違いない。すると息子が静かに口を開いた。

 

「お父さんってどんな人?」

 

「どうしていきなりそんなことを?」

 

「だってお母さん。僕が寝た後、たまにお父さんの写真の前で泣いているから」

 息子の言葉に思わず、目を見開いた。この子の言う通りだ。寝かしつけた後、あの人に一日の事を報告するのが習慣にしている。おそらくその一瞬を見たのでしょう。

 

「とても素敵な人ですよ。優しくて、そして時に厳しくて。私にとって恩人であり、愛する男性です」

 息子に最愛の人について、語りながら少し懐かしい気持ちに胸が包み込まれる。

 

「会ってみたいな。ねえもっと聞かせてよ! お父さんのお話!」

 

「いいですよ。では初めて出会った日について話しましょうか」

 私は息子に先生との馴れ初めを語った。私の話を聞きながら、表情をコロコロ変える顔は本当にあの人そっくりだった。

 

 あの人がここにいる。いや、この子の中にあの人は生きている。貴方様。これからもこの子を守り抜いてみせます。

 

 私は家に着くまで先生の話を続けた。空には既に夜の象徴である星々がキラキラと光り始めていた。

 


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