【てえてえ注意!】ホロライブ怪文書短編集です。   作:夏目陽光

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ねねちのねっライフ

「んん〜〜〜〜……ッ! しょ、しょ……おいしょ……ッッ! ……よーーーしッ! 抜けたぁーーー!!」

カサカサ、とジャージの擦れる音が静かな部屋に響く。

ここは、画面の向こうでいつもわちゃわちゃと元気に吠えている、ホロライブ5期生・桃鈴ねね(通称:ねねち)の自室——という名の、エアコンが24時間体制で厳密に温度管理され、一般人が一歩足を踏み入れれば「ここは実験室か何かですか?」と真顔で引き返すレベルの、ガチすぎる昆虫ブリードルーム(通称:虫部屋)である。

アイドルの部屋のインテリアといえば、お洒落な間接照明や可愛いぬいぐるみが定番だろう。しかし、ここにあるのは棚一面に整然と並べられた大量のボトル、ボトル、ボトル。

市販のマットでは満足できず、時に菌糸瓶の自作管理までやってのけるねねちの執念が詰まったその棚には、今回の主役であるタランドゥスオオツヤクワガタはもちろん、美しく輝くニジイロクワガタやパプアキンイロクワガタ、さらには日本の誇るオオクワガタまで、卵から英才教育を施された猛者(虫)たちがゴロゴロと、それこそ銀魂の真選組屯所の隊士並みの密度でひしめき合っている。

現在のねねちは、アイドル衣装でもお馴染みの華やかなチャイナ服でもなく、完全にガチの「ブリーダーモード」にシフトしていた。髪を適当なクリップで頭頂部にまとめ上げ、ジャージの袖をたくましくまくり、床には世界のすべてを拒絶するかのように新聞紙をこれでもかと敷き詰めている。

その中央に鎮座するのは、白く固まった菌糸の残骸がびっしりと詰まった大型のボトル。

「みんな見て見て! これね、ねねの最新の……ッ、超〜〜〜大事に育ててた、タランドゥスのボトル! 今日はねっ、ついにこの中から『こんにちは』させる、記念すべき【掘り出し】の日なのだぁーーー! パチパチパチパチ!」

誰に見せるでもなく、SNSの動画用にスマホのカメラに向かってカメラ目線でダブルピースをキメる。衣類が擦れる音と一緒に、その瞳の輝きは完全に獲物をロックオンした野生の少年のそれへと変わっていった。

「よーし……じゃあさっそく、掘っていくぞぉ。……ふぅ、緊張する……ッ! 途中でガリッてやっちゃったら、ねね、ショックで3日間くらい寝込んじゃうからね? 慎重に、慎重に……」

スプーンを手に持ち、サクサクと固まった菌糸の上部を削っていく。

「ふんふん〜、ふふ〜ん、タランタランタラ〜ン♪ ねねちのタランドゥ〜ス♪」

最初は上機嫌に、独自の怪しい歌詞を乗せた鼻歌をノリノリで歌っていたねねちだったが、ボトルの真ん中あたりまで掘り進めると、急にピタッと歌声が止まった。じっと手元を見つめるその眼光は、完全にプロのそれ——いや、職人のそれへと変貌している。

ボトルの壁面に沿って、スプーンの先をミリ単位で慎重に動かす。衣類が小さく擦れる音すら、今のねねちにはノイズだ。

カサッ……。

それまでとは明らかに違う、乾いた不穏な感触が手元に伝わった。

「あ……。……待って、なんか黒いの見えた。……ッ! 蛹室(ようしつ)の壁だ……。いる、絶対にいる……!」

ゴクリ、と喉が鳴る。スプーンを床に置き、ここからは完全にデリケートゾーン。指先で周囲をじわじわと崩していく。

優しく、それはもう豆腐の角を崩さないかのような手つきで白い菌糸の壁を剥がしていくと、中にポッカリと空いたラグビーボール状の暗闇——蛹室が現れた。

その暗闇の奥に、ピカピカと鈍く光る漆黒の塊が埋まっている。

「待って待って待って……お尻から見える……あ、もう完全に固まってる!? 綺麗に羽化してるよこれっ!!」

はやる呼吸。心臓のバクバクはすでにレッドゾーン。

指先をそっと差し込み、お尻の側から優しく、それこそ100億円の壺でも扱うかのようにすくい上げる。

ポロッ、と最後の菌糸が崩れ、蛍光灯の光の下へとその巨体が滑り出てきた。

「……ッ、あ,……ッッッ!!!!」

一瞬、すべての空気が止まる。

次の瞬間、ねねちの口から鼓膜を引き裂かんばかりの特大の悲鳴(歓喜)が爆発した。

「いたぁ(エコー)ああああああああああああああああ!!! 見てぇえええええええ! 完品(かんぴん)じゃん! 超ピカピカ!! うわあああん、カッコよすぎるよぉおおお!!」

新聞紙の上で、タランドゥス特有の「ヴィィィィ……」というバイブレーションのような威嚇の振動音が響き、湾曲した太い大アゴが空をかく。

あまりの美しさに大興奮のまま、ねねちはすかさず引き出しからマイノギス(サイズを測る金属製の精密な定規)をハイスピードで取り出した。手慣れた手つきでカチカチとタランドゥスの頭頂部からお尻へと当てていく。

だが。

液晶に表示されたデジタル数字を見た瞬間、ねねちの脳内に、ある種の冷たい電流が走った。

ワンテンポ置いて、オタク特有の早口とギザギザしたツッコミテンションが綺麗にブチ切れる。

「……って、え!? 待って待って待って!! ちょっとデカいけど……これ最大サイズより1センチ足りねぇえええええ!!! あと1センチじゃんかァァァァ!!! なんでそこで日和(ひよ)ったんだよタカシィィィィ!! お前あと一口、もうあと一舐めだけでも菌糸食い込んでればギネス狙えただろォォォオオ!! なんだその絶妙な寸止め根性はァァァ!!」

頭を抱えてひとしきり天を仰ぎ、ハァハァと荒い息を吐き散らかしたあと、ねねちは再びタランドゥスをまじまじと見つめた。

「……いや、でも待てよ? 逆にこれ、1センチ小さいからこそ、このタランドゥス特有のボディの詰まり具合がエグいことになってんな!? なんだこのプロポーションの美しさァ! 完璧に仕上がってんじゃねーかコノヤローーー!!」

まるでエナメル革の靴のように超高光沢でピカピカな、漆黒の流線型ボディ。丸みを帯びてガッチリと詰まったそのフォルムは、どこからどう見ても完璧な造形美だ。

「え、すご、えぐい……っ! 見てこれ! アゴの湾曲も超イケメン! 最大サイズよりはちょっと小ぶりだけど、そのぶんギュッ!って詰まっててさぁ、全体のバランスが神がかってるじゃん! ……ふぇぇ、頑張ってサナギから大人の階段上ったんだねぇ、偉いねぇ〜〜〜!」

さっきまでの限界オタクのキレ芸はどこへやら、一気に声のトーンがフニャフニャの脳溶けモードへと突入し、完全に「親バカ」全開である。

そっと手を差し出すと、タランドゥスはフサフサとした触角をピコピコと忙しなく動かし、こちらの匂いを探るようにゆっくりと、しかし容赦なくねねちの手のひらへと登ってきた。

「痛い痛い! 爪痛いってぇ〜〜! でも力強くて最高……っ! あはは!」

トゲのある脚が皮膚に容赦なくチクチクと食い込む感触に、ジャージを擦らせて悶絶しながらも、嬉しそうに声を弾ませる。

「よしっ! この子の名前はね……、配信でもみんなに言ってた通り、『タカシ』にする! 決まりっ!」

ひとしきりSNS用の動画や写真を激写(いろんな角度から30枚以上、特にかっこいい大アゴの角度のアップは親の仇のように多めに)したあと、ねねちは満足げに「ふぅーーー」と深く息を吐いた。

スマホを床に置き、何気なく部屋の鏡に目を向ける。

……と、そこに映っていたのは。

「…………あれ?」

ボサボサにクリップでまとめられた髪。めくれ上がったヨレヨレのジャージ。

極めつけに、爪の間に入り込んだ白い菌糸の塊と、両手で大事そうに掲げられた黒光りする巨大な甲虫。

ねねちはノギスを持ったまま、ガックシと肩を落とした。

じわじわと現実に引き戻されるにつれて、顔が青ざめていく。

「……待って。ねね、一応これでもホロライブのアイドルなんだよね? でも今のビジュアル、実家の裏山で毎日10時間泥遊びして親にビンタされて泣きながら帰ってきた小学生男子と完全に一致してね?」

誰もいない部屋で、自分の格好にセルフツッコミを入れ始めるねねち。

「というか、アイドルの部屋から聞こえていい声量じゃなかったよねさっきの? 完全に場外ホームラン打たれた時の近所のおっさんのヤジのトーンだったよね? 終わったわ。完全にアイドルとしての何かが今、タカシの羽化と引き換えに天に召されたわ……」

ドサリと床に座り込み、天井を見上げる。

さっきまであんなにテンションが高かったのが嘘のように、部屋の中には静寂と、新聞紙の擦れるカサカサという音、そしてタカシが微かに発する「ヴィィィ…」という機械的な振動音だけが響いていた。

「ねぇタカシ……。お前その立派なアゴで、ねねの失われた女子力と清純派の看板を今すぐ掘り起こしてきてくれない? 頼むから!!」

タカシを驚かせないように、でも切実に、虚空に向かって必死に訴えかける。当然、タカシは「知るか」と言わんばかりに、虚無の目で触角をピコピコと動かすだけだった。

「……はぁ。まあ、いっか。ねねだし」

ほんの数十秒ほどガチで落ち込んでいたねねちだったが、目の前でモゾモゾと動くタカシの可愛さに耐えかねて、衣類をカサリと鳴らしながら、あっさりとため息混じりの笑顔に戻る。

「へへ、早くTwitter(X)に載せて、みんなに自慢しちゃおーっと。みんな『ねねちすごーい!』って言ってくれるかなぁ? ……あ、でもマネちゃんに『また部屋で虫広げて!』って怒られるかな……。……んーーー、でも、怒られたらタカシのこの究極のカッコよさを見せて、味方に引き込んじゃえばいっか!」

そう企むねねちの顔は、いたずらっぽくて、どこまでも無邪気。さっきの絶望はもうどこかへ吹き飛んでいるようだった。

なお、このあと早速Twitter(現X)に動画を投稿したところ、マネちゃんから秒速で「また部屋に新聞紙敷き詰めて!! あとアイドルのSNSにノギスのドアップ載せるのやめなさい!!」とガチめのLINEが着信し、タカシを味方につける作戦は普通に破綻するのであった。がんばれねねち、負けるなねねち。明日へのブリードはまだ始まったばかりだ。

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