【てえてえ注意!】ホロライブ怪文書短編集です。 作:夏目陽光
モールのガラス天井から差し込む日差しは、ただただ容赦なく、そしてクソ暑かった。
床一面が熱せられて安物の温室と化した中、カリオペは大きめのパーカーのフードを限界まで深く被り直す。
せめてもの抵抗として世界のすべてから顔を隠したかったのだが、フードの袖口が盛大にほつれているせいで、なんだか惨めさが際立つ有様だ。そもそも、お気に入りの水筒を家に忘れてきた時点で、死神としての威厳なんてものはとっくに蒸発している。
おまけにフードコートからは、焦げたシナモンプレッツェルという極めて世俗的な臭いが漂ってきて、カリオペの残り少ないライフを削りにきていた。
だが、そんな絶望に浸る時間すら与えられない。
彼女の腕には、今にもちぎれんばかりの勢いで引っ張ってくるネズミが張り付いていた。
「オララ~! カリ、見てよこの店! ちょーウケる!」
ハコス・ベールズは、高級香水の匂いが充満するブティックの中で、服のラックをなぎ倒さんばかりに手足をバタつかせている。
その異様なまでのうるささと、常に一定以上のステップを踏んでいるかのような落ち着きのない動きは、見ているだけでこちらまで三半規管が狂いそうになる。
「いつも黒! いつもジメジメ! ノン、ノン! 今こそファッション革命の時だよ、ウィ?」
「……ベぇ、頼むから静かにしてくれ。私は明るいのも可愛いのも無理だって言ってるだろ。っていうか、その不自然すぎるエセフランス語の喋り方は何なんだ。普通にきついぞ、引くぞ」
「だってファッションと言えばフランスじゃん! ほら黙って、これ持って試着室に突撃! アレ、アレ(行け)ーーっ!」
返事の代わりに、蛍光色とピンク色の派手な布の塊がカリオペの顔面に叩きつけられた。
ハンガーの先端が顎にめり込んで地味に痛い。悶絶する間もなく、カリオペは埃っぽい試着室のカーテンの向こうへと突き飛ばされた。
せめてもの救いは、このネズミが押し付けてきた服のセンスが最悪なだけで、生地自体はそこそこ高そうなことくらいだろうか。
――いや、やっぱり救いなんてなかった。
どこか気の抜けたBGMが頭の中で鳴り響くような、そんな絶望的な暗転ののち。
■ カリ・イン・ワンダーランド
試着室の外。
ベぇは高級そうなソファにふんぞり返り、貧乏揺すりでシートをギシギシと鳴らしていた。スマホの画面で自分の前髪をいじりながら、カーテンが開くのを待つ。
その顔は、悪巧みが成功した子供そのものだった。
シャッ、と軽い音を立てて幕が開いた。
そこに立っていたのは、完全に魂が抜けた顔のピンク髪の死神だった。
フリルだらけのパステルピンクのサンドレス。胸元には、無駄に自己主張の激しいクソデカいリボン。
高身長なカリオペのスタイルに対して明らかに肩幅のサイズが足りておらず、生地がミチミチにひきつっている。本人の表情も相まって、新種のクリーチャーのようだ。
「――プッ、プーーーーーークスクス! ひゃーははははははははは!」
ベぇはソファの上で激しくのけぞり、お腹を抱えて笑い転げた。わざわざ指を差して涙目を浮かべる徹底ぶりである。小刻みに震えるネズミの耳を見ていると、カリオペの額に青筋が浮かぶ。
「ノン! キャタストロフ! カリ、それじゃ私を圧殺しにくる地獄のイチゴマシュマロだよ! 冥府に屠られる前に甘さで胸焼けしそう!」
「――おいクソネズミ。今すぐその歪んだ鼓膜とひん曲がった美的センスを、あの世で叩き直してやろうか?」
あまりの恥ずかしさに、カリオペはキャラ設定をかなぐり捨てて低音の凄みを利かせた。
「マジで無理、これ。生地の繊維がチクチクして気が狂いそうだし、今この瞬間も私のラッパーとしての尊厳が死んでいってるから戻る。もう戻るからな! 訴えるからな!」
ガシャーン! と、カーテンが引きちぎれんばかりの勢いで閉まった。
数分後。
再び乱暴にカーテンが開く。
ピンクのマシュマロは消え去っていた。
そこにいたのは、長身をこれでもかと活かした、漆黒のフランス製デザイナーズスーツを着こなしたカリオペだった。頭には、少し斜めに真紅のベレー帽が乗っている。
さっきまでの不格好さが嘘のように、驚くほど様になっていた。
ブーツの踵を床に軽く打ち付け、彼女はふっと余裕の笑みを浮かべて襟元を直した。
「……ほう」
ベぇのうざったい笑い声がピタ止まりした。今度はガチで引いたような顔で、まじまじと死神を見上げる。
「……マ、マニフィック。フォルミダブル。何それ、朝食前に部下を三人くらいクビにしてそうなCEOじゃん。超エレガント! ヤバッ、それだよ、それ!」
「ふっ……。悪くない。パワーを感じるな。……あれだ、『ヨットを所有してるタイプの、ちょっとイケてる父親』の概念だ」
カリオペは調子に乗って大鎌をその場に召喚し、危うく天井の照明を叩き割りそうになりながら肩に担いだ。
「……見よ、青白い馬。これに乗る者の名は『死』。黄泉がこれに従う……。うん、アンダーワールドの詩人って感じ。ウィ」
「……うるさい。これくらいボス感がないと La Mort(死)の面目が立たないんだよ。……そんな目で見るな」
顔が赤くなるのを隠すように、カリオペは足元の値札のタグをブーツの先で小突いた。
「次は私の番! そこで待ってて!」
今度はネズミが試着室へロケットスタートを決める。
中でハンガーが激しくぶつかり合う音と、何かが盛大にひっくり返るドタバタ音が響き渡った後、カーテンが勢いよく引き剥がされた。
「タ・ダーーーーッ! パーフェクト!」
現れたベぇの姿に、カリオペは言葉を失った。
オーバーサイズのネオン緑のボンバージャケットに、左右非対称のニーソックス。
おまけに頭には、耳の間にちょこんと乗った、ふざけたミニシルクハット。
普通の人間がやればただの色彩の暴力であり、不審者として通報されても文句は言えない。
だが、ベぇの持つ異様なエネルギーが、そのデタラメな格好を力技で「正解」にねじ伏せていた。ブティックの高級な照明すら、彼女の派手さの前では霞んで見える。
悔しいが、このネズミはこういうハチャメチャな格好が狂おしいほどに似合うのだ。
「……おいおい」
カリオペは呆気にとられ、思わず鎌を下げた。
騒がしくて、滅茶苦茶で、だけど妙に目が離せない。
「……ベぇ。お前さ、たまにその……ガチの神話の、世界を引っ掻き回すヤバい奴の目をするのやめろ。クソ、悔しいけど最高に似合ってる。完全に混沌そのものじゃねぇか」
「ぷっ、ふふん! 当たり前じゃん! 私は現代アートの最高傑作なの! モールの有象無象とは格が違うんだよ、ウィ!?」
■ お会計(血の涙編)
それから一時間。
喉がカラカラになるまで「オララ!」と叫びながらポーズを決め続けた二人は、ようやく巨大な鏡の前に並んで立っていた。
「……で。これ、本当に買うのか? 私の財布がすでに冷や汗をかいているんだが」
「当然! 私たちのランウェイは完全勝利を収めたんだから!」
ベぇは尻尾をブンブンと振り回しながら、財布を手のひらにバチンと叩きつけた。近くの店員がビクッと肩を跳ね上げる。
「クレジットカードを泣かせる時は、今だよカリ!」
「待て、今月の私の配信収益の半分がリアルに消し飛ぶ音が聞こえた気がするんだが!? クソ、このブランド物め、死神の鎌より鋭くライフ(残高)を削りにきやがって……!」
カリオペは引きつった笑いを浮かべながらも、小さくて騒がしいネズミの肩をがしっと抱き寄せた。
「行くぞ。これ以上ここにいたら、あのふざけたミニハットをベぇの頭に接着剤で固定した上で、一文無しになって干からびるわ」
メロディのない謎の勝利の歌をフンフンと歌いながら跳ね回るベぇと、それに頭を抱えつつも付き合うカリ。
二人は腕を組んで、モールの雑踏へと歩き出す。
もちろん――avec style(スタイリッシュに)、限界ギリギリの財布を必死に隠したままで。