大学の卒業式を間近に控えたとある休日、私は目覚ましより先に目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む日差しが妙に眩しい。
昨夜は、数年間続けてきた配信活動の卒業配信だった。
枕元のスマホを手に取ると、通知欄には配信に関するメッセージがまだ並んでいた。
『お疲れ様でした』
『楽しかったです』
『これからも応援してます』
『新生活頑張ってください』
ベッドに寝転がったままそれを眺める。
高校生だった私が、もう大学を卒業する。
動画投稿、配信、イベント、コラボ。
毎日のどこかに当たり前みたいに配信があった。
昨日で終わったはずなのに、まだ夜になったら配信の準備をしそうな気がする。
未練がないわけじゃない。でも後悔もなかった。
やりたいことはやったし、見たい景色も見た。
「終わったなあ」
ぽつりと呟いてから時刻を確認する。待ち合わせまではまだ余裕がある。
起き上がって顔を洗い、クローゼットを開く。
適当でいい。
ただ昼飯を食べるだけなんだから。
そう思いながら何着か見比べている時点で、全然適当じゃない気もした。
「……まあ、これでいいか」
結局、少しだけ気に入っている服を選んだ。
理由は考えないことにする。
待ち合わせ場所のカフェは駅から少し離れた場所にある。
昼時でも騒がしくなりすぎない店で、天気の良い日はテラス席が気持ちいい。
私が着いた時には、待ち合わせ相手はもう来ていた。
「おっ」
手を上げる内海に軽く手を振り返す。
「悪い、待った?」
「五分くらい」
「待ってるじゃん」
「時間前だからセーフ」
「何その理論」
向かいの席に腰を下ろす。
高校の頃から、会えばだいたいこんな感じだ。
「卒業判定おめでとう」
不意に言われて顔を上げる。
「ありがと」
「いや、本当に。なんか感慨深いな」
「内海君も二年前に卒業したでしょ」
「したけどさ」
「おじさんみたいなこと言うよね」
「誰がおじさんだ」
ちょうど店員が注文を取りに来たので、二人でランチセットを頼む。
店員が離れてしばらくすると、先に飲み物が運ばれてきた。
私はアイスコーヒーを受け取り、ストローで氷をかき混ぜる。
カラン、と小さな音が鳴った。
それを一口飲んでから、私はテーブルに肘をついた。
「でさ、卒業配信」
「ああ」
その一言で話題を察したらしい。
「アーカイブ、結構回ってる」
「らしいな」
「奈美子とも昨日話したんだけどさ。やりきったねって」
「そっか」
内海は一度頷いた。
それから少し間を置いて、「お疲れ様、野村」と言った。
思わずアイスコーヒーに目を落とした。
「更新なくなるのは寂しいけどな」
「ついに終わったよ」
「学生時代ほぼ全部使ったもんな」
「それな」
「俺も結構巻き込まれたし」
「被害者面してる」
「被害者だろ」
「そんなに?」
「休日呼び出し十七回」
「数えてんの?」
「機材運び十一回」
「怖い怖い」
「企画相談二十三回」
「ストーカーじゃん」
「誰のせいだと思ってる」
思わず吹き出す。
内海もつられたように笑った。
「でも来てたじゃん」
「まあな」
「呼んだら」
「まあ」
「断らなかったじゃん」
一瞬だけ返事が止まる。
分かりやすい。
私は先ほどきたアイスコーヒーを一口飲んだ。
「優しいよね、内海君」
「そういうわけじゃない」
「じゃあ何」
「友達だからだろ」
当たり前みたいに言う。
私は手持ちぶさたで指をいじった。
「お待たせいたしました」
タイミングよく、注文したパスタとサンドイッチが届いた。
内海は「お、うまそう」とあからさまにホッとした顔でフォークを持つ。私はサンドイッチを一口かじった。
「友達、ねえ」
わざと聞こえるように言うと、内海が分かりやすくピクッと肩を揺らす。
昔はネクタイもまともに結べないと愚痴っていたくせに、今じゃそれなりに社会人っぽい。
「何だよ、人の顔じっと見て」
「ちょっとは大人になったなと思って」
「これでも後輩の指導とかやってるからな」
「へえ、ナメられてそう」
「ナメられてないわ。……多分」
「自信ないじゃん」
内海がむっとした顔をする。
私はアイスコーヒーのグラスに手をかけ、視線を内海に戻した。
「そうそう」
「ん?」
「配信やってる間ってさ」
「うん」
「彼氏作らないようにしてたんだよね」
「……へえ」
「何その反応」
「いや」
「変な噂立てたくなかったし」
「まあ」
「応援してくれてる人に余計なこと考えさせたくなかったし」
「それは分かる」
「だから恋愛は後回し」
「なるほど」
「でも、それも昨日で終わり」
「え?」
「これからは別に、誰と付き合おうが私の自由なんだよねー」
「まあ……そうだな。まあ、野村ならすぐ良い出会いがあるんじゃないか?これからでさ……」
他人事みたいに言う。
けれど内海はパスタを巻こうとして、何度も麺を落としていた。
そしてさっきから一度も目が合わない。
「あ、そ、そういえばさ! ここランチ限定でサービスデザートがついてるらしいんだけど――」
「内海君」
「……はい」
話を逸らそうとするのを低い声で遮る。
私はさらに縮こまった内海の前に身を乗り出した。
「そういうの、もういいから。私さ、内海君のこと――」
「再来週の金曜の夜っ!!」
ガタッ、と大きな音がして、内海が勢いよく立ち上がった。
テラス席に声が響き渡る。周りの客が一斉にこちらを振り返った。
内海は両手を前に突き出して固まっている。顔も耳も真っ赤だった。
「レストラン予約してるんだ! その時に俺から話すから! だから今は、待って、ください…」
私は完全にフリーズした。
ああ、そういうことか。
あの内海が、あんな声を出した。
私は椅子の背もたれに体を預け、わざと呆れた顔をしてみせた。
「……再来週とか長すぎ。来週くらいにしとけよー」
ぶっきらぼうに悪態をつく。
それを聞いた内海はゆっくりと椅子に座り直した。
「来週は早すぎるだろ……。こっちだって心の準備とか、プランがあるんだから……」
まだ顔を真っ赤にしたまま、冷めたパスタをちびちび口に運び始める。
「はいはい。楽しみにしててあげる」
私はアイスコーヒーを飲みながら、目線を逸らした。
結局、その後のランチの味はよく覚えていない。
駅の改札前で別れる時、内海はバツが悪そうに頭を掻いた。
「じゃあ……また、再来週」
「遅刻したら怒るからね」
「しないよ。じゃあな、新社会人がんばれよ」
「内海君もね。ナメられないように」
別れた後電車に乗り込み、窓側の席に座った。
そしてスマホカレンダーの二週間後の予定を開く。
少し考えてから、印を付けた。
窓ガラスに映る自分の口元は、どうにも締まりがなかった。