四季に合わせた恋物語でも、いかがかな。

生憎と投稿は遅めですが、よろしくお願いします。

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こちらは夏の章

暑くなってきましたからね。少し、涼んでいってはいかがかな。


ある夏の日、少女を連れていく

今年もまた夏の記憶を思い出した。

 

綺麗な思い出なのだから、もう少しドラマチックな思い出し方をするべきだろう。

そう1人愚痴る。きっと歯磨きをしながら思い出す記憶でもないはずだ。

 

世間は既に夏休み。最後の部活、最後の受験勉強など自分たちにこれでもかと追い打ちをかけてくる。

 

大学4年生となり、就活も早々に終わってしまった。暇つぶしに色々な講義を取って見たが後悔している。机に重なった課題はため息を吐きながら終わらしたまま放置してある。手直しすることはないだろう。

 

今日も日本という国は暑さに悩まされ続けている。小学生のころは肌を真っ黒に日焼けするまで、外を遊びまわっていた。だというのに、今の自分は冷房の効いた部屋でゴロゴロと惰眠を貪るばかり。

 

夏の思い出を思い出すのなら、真夏の向日葵畑の中でとか、神社の木陰で氷菓を食べているときとか、もう少し夏の淡い思い出が似合いそうなシチュエーションを用意してほしいものだ。

 

見慣れたワンルームで思い出すのは風情がない。思い入れがないわけではないが、自分しかいない空間で思い出すのはどうにも虚しい気持ちになる。

 

悪くない思い出であったことが救いだ。今年も夏の記憶を辿ることにした。

 

馴染みの店に行くように、服を着て、装飾品を付ける。

 

この装飾品は中々、手放さずにいる。一般的から見れば、今の俺には似合わないものになってしまった。

だが、子どもの時から変わらない自分であっても長年続けていれば様になる。今ではそう思える。

 

あの頃から、自分は何か変わっただろうか。

 

きっと変わっていないだろう。鏡に映る自分の姿を見てそう思った。

 

今日の日付は8月16日。天気は快晴。外に出れば、夏の日差しが自分を殺しに来るのが分かった。今すぐにでも回れ右をして部屋に戻りたいところだが、じっと我慢しながら、いつもの道を歩いて行く。

 

見慣れた景色が夏の暑さや部活動に励む少年少女の青春に照らされて、輝いて見える。

 

…そんな気がした。自分の目にはあの時と変わらない風景が広がる。

 

こんなに日差しが強いと麦わら帽子が欲しくなる。小さい頃にお気に入りのものを持っていたはずだが、いったいどこへ行ったというのか。

 

今、この瞬間だけは、昔から手放せずにいる装飾品よりも麦わら帽子が欲しい。

 

そう思うほど、今日の日差しは強かった。そういえば、思い出の場所に訪れてしまった時も日差しが強い日だった。

 

そんなことを思い出していた。

 

最寄り駅には見知った顔があった。いつも、面倒な絡みをしてくる面倒見がいい恩人がいた。残念なことに美人な女の先輩というわけではなく、少し堅気ではない格好をした青年だ。

 

「よう。こんなクソ暑い日にどこに行くんだ?ガールハントか」

 

昭和のダーリンのようなことはしない。むしろ、ガールハントなぞ美人局に逆にハントされそうな世の中である。というより、今時ガールハントなんて言葉は耳にすることがない。

 

この恩人は懐古趣味があるからその影響だろうか?本当に1つ上の先輩か疑問である。

 

「しませんよ。今時、できるもんじゃないでしょう」

 

「それはそうだ。あれは顔と身のこなしで何とかするもんだからな。お前にゃ荷が重い。そのガキの頃からつけてるネックレスが特にな」

 

事実陳列罪で検挙した方が世のため俺のためだと思う。失礼にもほどがある。

 

「ぶん殴っていいですか?」

 

「やめとけ。惨めになるだけだ」

 

真理はたやすく人を傷つけることを知った。本当にこの先輩は面倒だ。

 

「んで?今年は何しに行くんだ?」

 

「…夏の思い出を見に」

 

先輩は目を細めて俺を見る。まぁ、毎年のことながら、頭が暑さでやられたのかと思われても仕方がない。

 

いい年して、思い出を見に行くなど、これこそが懐古的な考えなのだろうか。

 

いや、そうでもないか。なぜなら、今は夏だ。きっと夏が過ぎれば、この魔法も解けるだろうから。

 

「変わらずか。毎度思うことだが、いいねぇ。夏の思い出」

 

今年こそ嗤われるかと思ったが、そんなことはなかった。この先輩割とロマンチストだった。ロマンチスト先輩はあごをさすりながら、呟いた。

 

「まぁ、気をつけるこった。思い出に夢中になって倒れんなよ」

 

そういって彼は凍らせたスポーツドリンクを投げ渡してきた。…何というか。こんなことをするから俺はこの先輩を嫌いになれないのだ。

 

「ありがとうございます。今年はどこかへ行くんですか?」

 

スポーツドリンクにタオルを巻きながら、先輩に尋ねる。先輩は困ったような、嬉しいような表情を浮かべた。

 

「向日葵畑。夏の思い出を残したいんだと。…わざわざ、あの場所に行くなんて、とんだおてんば娘になったもんだ」

 

主人公のような先輩だ。遠くで先輩のことを呼ぶ声がする。視線を向けると白いワンピースと麦わら帽子をかぶった健康的な肉体美を持った美人がいた。恐らく、彼女が先輩が話していた人なのだろう。完璧な夏の少女だ。うらやましいことこの上ない。

 

「お熱いことですね。…来ましたか。そろそろ行きます」

 

「おう。もしかしたら、運命の出会いがあるかもな。あと、ちゃんと帰ってこいよ」

 

いつまでたっても、子ども扱いしてくる先輩だ。だが、選別をもらったからには挨拶を返すのが礼儀だろう。

 

「遅くなるかもしれませんけど、ちゃんと帰ってきますよ」

 

「そうか。楽しんで来いよ」

 

そう言って先輩は背を向けて、彼女が待つ方へ歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電車に揺られて、どれほど時間が過ぎただろうか。移り行く景色を見るのにも飽きてくるくらいには時間がたった。まぁ、簡単に行ける場所ではないのだから。

 

気長に行こうとした矢先、目の前に女子高生のくらいの女の子が座ってきた。この電車はボックス型の席であるので目の前に座らなくてもよいような気がするが。

 

さらに、言及するならこの車両は俺と少女しか乗っていない。わざわざ、目の間に座る理由は…

 

「おにーさん。お金持ってない?」

 

カツアゲである。何とまぁ、少年の夢を汚い現実で染め上げてくれたものだ。

 

少女は肩にかかる程度の黒髪を耳にかけながら、自分を覗き込む。黒髪と制服姿から清楚な雰囲気があるが、着崩した制服は第二ボタンまで解放されており、その奥から健康的な鎖骨と銀色に光るロザリオが彼女の妖艶さを惹きたたさせている。

 

…大人と子どもも中間というのはこの少女を指すのだと、漠然と思った。それは、高校生を見る時の感情に似ている。

 

子どもであるはずなのに、大人に見えてしまう。

 

だから

 

俺はその光景から目を離せない。

 

「見すぎよ。スケベなおにーさん」

 

「そう仕向けたのはお前だ。不良少女」

 

視線誘導が上手いことで。

 

そう思っていると少女はこちらに手のひらを出してくる。

 

「見物料。さっさと出すんだよ」

 

「やらんぞ。家出少女」

 

少女の手を叩き落して、引っ込めさせる。不思議そうに自分を見てくるが無視だ。少女は心底不思議そうに口を開く。

 

 

「…よくわかったわね。私が家出少女って」

 

「見ればわかる」

 

少女は制服を着てキャリーケースを持っている。一見、修学旅行しているのかと思うが今はどこの学校もお盆休み。帰省でもしているのかと思ったが、それも違う。彼女はキャリーケースとバックを持っているが、それだけだ。

 

持っているべき物を持っていない。

 

少女からそんな雰囲気を感じたのだ。

 

まぁ、そういうスタイルの旅行もあるのだろう。だが、この電車の行先はこの少女の帰省先ではない。観光目的なら、まだ分かるが。

 

何よりも、目が違う。そこら辺の女子高生がこんな目をしてたら、犯罪率は下がるし、少年の性癖は破壊される。

 

その目は、大人がしていても問題になる目だ。

 

それにしても、家出少女なんて今時珍しい。家出なんて友達の家に住み込むイメージがあったがそうでもなさそうだ。これも夏のせいだろうか。

 

「理由は聞かねぇが、なんで俺なんだ」

 

「童貞っぽくて、ちょろそうだったからよ。ケチなおにーさん」

 

「最悪の理由だな」

 

異性にそのように見られている事実が自分の心を傷つける。夏の思い出に触れようとしたら、まったく関係ない場所で傷ついている自分がいる。

 

それがひどく滑稽に思えてくる。そんな事実から目をそらすように俺は少女の目を見た。

 

 

 

 

…後悔した。

 

「だったら、その目をどうにかしてこい。見てられんわ」

 

「これまでの協力者は体しか見てなかったから」

 

美しい黒髪から見える瞳は仄暗い。雲がかかり過ぎた月のように見えた。そんな輝きは年頃の少女が宿していいものではない。少なくとも、この少女には似合わないだろう。まだ、夏によくあらわれる幽霊の瞳の方が可愛げがある。

 

そして、自分の体に向けられる視線をこうも簡単に受け止める。本当に少女なのか疑いたくなる。イメクラの従業員という可能性も出てきた。

 

そんなくだらないことを考えていることがばれたのか、足を踏まれる。普通に痛い。

 

「ねぇ。失礼なおにーさん。私の体好きにしていいから、お金頂戴?」

 

「俺を犯罪者にするつもりか。断る」

 

未成年に手を出して、捕まりたくはない。夏の思い出としては少し穢れてるか?いや、それもまた思い出か。随分と薄汚れた思い出だ。夏だからなんて言葉が免罪符になるのだろうか。

 

「残念。…ねぇ。意気地なしのおにーさん」

 

「慎重なおにーさんと呼んでほしいね。なんだ」

 

「おにーさんは私に質問しないの?」

 

めんどくせーなこの少女。

 

「してほしいのか?」

 

「変態たちは手出した後にしてたけどね」

 

そういうものだ。この少女に手を出す時点で、この少女の境遇など二の次のはずだ。きっと自分の人生も二の次になっていただろうけど。

 

「なぜ、家出を?」

 

「答えるわけないじゃん。バカなの?」

 

クソガキめ…!。クソガキの特性まで持ってしまったら属性過多だろう。それにしても、この少女はいい性格をしている。笑みを浮かべながら足を踏むなんて、一部の豚が喜びそうだ。俺は一ミリも嬉しくない。

 

とりあえず足はどかしておく。この家出少女どこかのお嬢様か?顔が整いまくってるし、振る舞いも育ちの良さが出ている。

 

「ねぇ、バカなおにーさん」

 

「なんだクソガキ」

 

「おにーさんは何してんの?」

 

「…答える義理は…痛いわ」

 

この少女、太ももつねりやがった。顔をあげると明らかに不機嫌な面をした少女が写る。まったく、理不尽な少女だ。

 

「女子高生に話しかけられて、その反応はないんじゃない?」

 

「黙ってろ」

 

目の前の少女から目をそらし、外の景色に視界に写す。まだ思い出の景色はなかった。目の前でごそごそと物音が聞こえるが無視だ。

 

「…えい」

 

柔らかい感触が手に広がる。まったく、何をしているんだか。ここは年上らしく冷静に注意を促さなければ。

 

「なっな何しているんだ」

 

「うわっきも」

 

この少女に自分は何回傷つけられたらいいのだろうか。

 

「なにすんだよ。金は払わんぞ」

 

「ん」

 

目の前の痴漢少女は窓を指さす。どうやらスマホを立て掛け、自分たちの様子を映しているようだ。

 

「最悪だよ。クソガキ」

 

「消してほしかったら、分かってるでしょ」

 

これだから、覚悟が決まっている人間は面倒なんだ。

 

 

 

 

 

そういえば、この少女がどこから来たのかは知らないが、この先は思い出の場所しかない。家出というには適してない場所のはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この少女はなぜ、この電車に乗ったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…いや、なぜ、乗ることができたのだろうか。

 

 

 

 

 

「いいだろう。金はやる。だが、条件がある」

 

少女の顔が曇る。可愛くねーなこいつ。

 

「いい経験をあげたのにひどいね。鬼畜なおにーさんもやっぱり変態?」

 

…自分の体をどうとも思っていないと考えていたが、そんなことはないな。震える手が隠せていない。

 

この世界はさほど残酷でもなければ優しい世界でもない。

 

「そっちじゃない。お前はこの先どうするんだ?」

 

何をくだらないことをと言いたげな顔だ。こんな質問は何度も聞かれたのだろう。

 

「知ってどうするの?」

 

「どうもしねぇさ。ただ、気になっただけだ」

 

「おにーさん、めんどくさい性格してるね」

 

普通は家出少女にこんなこと聞かない。だけど、今は夏だ。普段とは違うことをしてみるのも一興だろう。

 

「…特に何もないよ。ふと、自分のいるべき場所が嫌になって、逃げ出して、いろいろなものを見た」

 

少女は外の景色に視線を投げながら呟く。その視線が悲しみを帯びた気がして、少女の瞳の影が別の意味を持った気がして、その瞳が自分に似ている気がした。だから、傾聴することにした。

 

「楽しかったし、怖かった。でも、自由だった」

 

少女は自由を語る。俺は口を閉ざす。少女は理想を見ており、俺はその現実を見てしまったからだ。

 

「でもね。いつの間にか、そんな気持ちもなくなっちゃって。帰ろうって思ったけど、気づいちゃったの」

 

「帰る場所ってどこにあるんだろうって」

 

少女は薄く微笑んでいた。それがひどく絵になっていたのは、どことなく皮肉に感じた。

 

「最初はどうしようか迷ったけど、もうそれでもいいかって」

 

きっと、迷ったのだろう。年頃の少女がその決断をするのは半端に現実を知っているからこそ、難しい。いや、この少女は現実を見過ぎた結果があの瞳だ。この少女にもあったはずの迷いや未練を振り払わざるをえない出来事があった。

 

その姿はかつての自分に似ていた。思考に没頭している間も少女の語りは止まらない。

 

「行く当ても帰る場所もないから、適当に旅をしてる」

 

「…本当に?」

 

いつの間にか、俺の声はすがるような声になっていた。どうか間違いであってほしいと。帰るべき場所はそこではないのだから。

 

「…本当かどうかどうでもいいの。そういうことにしておくの」

 

少女はこちらに視線を向ける。相変わらず彼女の瞳は雲がかかっている。だが、今の少女には似合ってしまっていた。それが何よりも理不尽に思えた。

 

 

 

 

そうか。だから、少女はこの電車にいるのか。そう納得してしまった。

 

 

 

「…ねぇ。私が話したんだからおにーさんも話してよ」

 

「…そうだな。迷子少女みたいな話じゃつまらないのも頷ける…いって」

 

今度は頬をつまんで来やがった。容赦がないな。

 

「早めにしゃべった方が身のためよ童貞のおにーさん?」

 

「はいはい。別に大したことじゃない」

 

俺は今も変わらない景色を視界に写す。そろそろか。

 

「俺は夏の思い出を見にきたんだ」

 

「……」

 

反応がないのは予想外だ。まぁ、彼女にしてみればそうですかで終わってしまう話だったな。

 

「…私もそこに連れていって」

 

「…は?」

 

聞き間違いだろうか。いや、聞き間違いであってほしい。

 

迷い込むのと踏み込むとでは明確な違いがあるのだ。

 

「私もその思い出の場所に連れていってと言ったの難聴のおにーさん」

 

「聞き取れなかったわけじゃないわ。なんだいきなり」

 

「ただ、気になっただけ」

 

こいつ…!

 

「めんどくせー少女よ。やめといた方がいいぞ」

 

「犯罪者のおにーさんになってもいいの?」

 

 スマホを振りながら微笑む少女。本当に強かな少女だ。

 

「…それに…。気付いてるからね。ここが普通の電車じゃないくらい」

 

「…どういうことだ」

 

「しらばっくれないで。私たち以外誰もいない。乗客も車掌も、何なら運転手もいないんじゃない?」

 

「…」

 

視線は未だ窓の外だ。まったく、勘がいい少女だ。

 

「変わらない景色、駅にも止まらない。でも、時計だけは止まってる」

 

そう言ってスマホの時計を見せる。そこには時を刻むことを忘れた数字がただ並んでいるだけだった。

 

「できることなら、気付かずに帰ってほしかった」

 

「言ったでしょ。帰る場所が分からなくなったって」

 

そうだった。この少女はあの場所に訪れる資格を持ってしまった。だから、この電車にいる。

 

これも夏のせいだと愚痴りたくなった。

 

「はぁ…」

 

ため息を一つ。自分も彼女と同じく、覚悟を決めることにした。

 

この先に俺とこの少女に起きる出来事がどんなものであっても、夏の思い出となることを信じよう。

 

 

 

だから、

 

 

 

そういう理由で、

 

 

 

俺は目の前の少女と目を合わせた。

 

雲がかかった月が俺を見る。

 

 

そして、胸元に視線が行く。

 

ロザリオが見えた。

 

もう少しというところで、俺の視界に星が飛ぶ。

 

「変態」

 

「容赦のないビンタだな」

 

その衝撃によるものだろうか。俺はもう一つ、夏の思い出を思い出した。

 

今度は風情のあるシチュエーションだった。

 

「まったく、これも夏のせいだな」

 

「夏はそんな便利な言葉じゃないよ視姦のおにーさん」

 

そうでもない。思わないところで夏が悪さするし、良いこともする。きっとな。

 

とりあえず、少女の手を取る。時間が来た。

 

「…何勝手に触ってるのよセクハラのおにーさん。次は蹴るわよ?…きゃっ」

 

少女の言葉を無視して、自分の方へ引き寄せる。膝の上に少女がおさまる格好となったが不可抗力だ。理由を説明したいから、全力で頬をねじってくるのやめてほしい。

 

「随分かわいい声だ。いでで!分かった!悪かったって!」

 

「ロリコンおにーさん」

 

…来たか。少女の手を強く握る。胸の中の少女は体をこわばらせ、こちらを見上げてくる。

 

「…いい加減離してくれない?」

 

「だめだ」

 

「変質者」

 

「黙ってろ。来るぞ」

 

「来るって何が…」

 

少女の言葉は続かなかった。何かを言ったつもりだろうが、金属がきしむ音によってかき消された。つり革は裂け、ボックス席は粉々になっていく。まるで、電車だけが時間に取り残されたように形を変えていく。

 

少女の手を離さないように強く握る。少女も状況を理解したのか強く握り返してくる。胸の中にいる少女は瞳を潤ませながらも、この光景を瞳に写していた。

 

その姿を俺は見ていた。かつての自分はこの光景から目をそらしていたことを思い出しながら。

 

いつの間にか、自分たちが乗っている電車は緑に溢れていた。クッションシートには緑の絨毯ができており、手すりには誰かが忘れていったビニール傘を巻き込んで蔦が絡みついている。

 

床には足首につかるほど、水があった。これだけ浸水しているのだから、電車が動けるはずない。だというのに、規則的な揺れは未だに続いている。

 

「もう大丈夫だ」

 

そう言葉をかけて、握っていた手を離そうとする。

 

「勝手つないだ挙句、離そうとするとか…。だから、おにーさんもてないのよ」

 

強い力で握られ、離すことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で?」

 

少女は膝の上から隣の席に移動し、こちらを見つめてくる。適当にピースサインをしておく。

 

乾いた音が電車内に響いた。

 

「ふざけただけだろ」

 

赤い紅葉を頬刻まれた。秋にはまだ早いと思うのだが。

 

「もう一発いきます?鬼畜なおにーさん」

 

「さっきのはこっち側に来る時の影響だ。もう心配ねぇよ」

 

「先に説明して」

 

 そう不貞腐れる少女。現実味がないことはやはり怖いらしい。

 

「怖かったか?」

 

「次はグーね」

 

「やめろやめろ。悪かったよ」

 

手が拘束されているのでこちらは逃げ場がないのだ。

 

「…こっち側って?」

 

「簡単にいえば、現実じゃないところ」

 

少女が俺を見上げる。

 

「天国にでも行くのかしら」

 

そう言って微笑む少女から俺は目をそらしたくなった。だが、そうはしなかった。この電車の行き先は天国なんかではないのだから。

 

「いや、天国だと思う奴もいるだろうが少なくとも、俺らは死んでねぇよ」

 

「おにーさんはその場所を知っているの?」

 

「あぁ。思い出の場所だ」

 

電車の揺れが止まる。どうやら着いたみたいだ。浸水しているというのにドアは何の抵抗もなく開く。外からは潮の香りがしてくる。

 

「降りるぞ」

 

「ん」

 

俺は少女から手を離してドアへ向かう。少女の方も落ち着いたのか、浸水した床でキャリーケースを引きずりながらついてくる。

 

「荷物を持ってやろうとか言えないの?鈍感おにーさん」

 

「自分の荷物くらい自分で持て我儘少女」

 

そう言い合いながら、駅のホームへと足を付けた。駅のホームはごく普通であった。どこにでもあるペンキの塗られたベンチに時刻表に時計があった。時計に関しては針が止まったままであるがそれ以上に普通ではないところがあった。

 

「おにーさん。私たちこれに乗ってきたの?」

 

振り返ると少女が今まで自分たちがた場所を見ていた。そこには、もう動くことはないと確信できるほどに、錆と植物に覆われた鉄の塊を見ていた。

 

「気にすんな。そういうもんだ」

 

「雑ね。嫌われるよ」

 

正直、答えたくないというのが本音だ。彼女にとっても選択肢は多い方がいいだろう。

 

目の前にはどこにでもあるような改札がある。電気があるかどうかも怪しい場所なのになぜ、自動改札機があるのか毎回疑問に思う。きっと、近代化の波がこの場所にも流れてきたのだろう。そういうことにしておく。

 

「ねぇ、この改札機ICカード使えないんだけど」

 

彼女の言う通り、この自動改札機はICカードに対応していない。だが、問題はない。行くだけなら誰でもこの改札を通ることができる。

 

「気にするな。今は形だけあるだけだ。それより、本当についてくる気か?」

 

「…帰る場所も帰り道もわからないのだから、進むしか選択肢はないよ」

 

顔を背けながら、彼女は答える。前にしか道は残されていない。だから、進むしかない。たとえ、その先にどのような結末が待っていようとも。

 

俺は覚悟したはずだった。みっともないことだが未だに迷っている。無理やりにでもこの少女を帰すべきなのではないかと、そんな言葉が俺の頭をぐるぐると回る。

 

 

でも、どこに?

 

彼女を俺はどこに帰そうというのだろう。

 

 

俺は自分に問いかける。

なぜ、俺はこの場所にいるのかと。

 

その答えはすぐに出た。

 

夏の思い出を見るためだ。あの美しいものを。あの日に与えられたものを…。

 

「そうか。なら進もう」

 

そう言って、俺たちは改札を通り抜けた。

 

駅を抜けるとそこは港街に近い場所だった。駅の周辺には宿や海鮮を焼いている出店もある。まばらではあるが、人がいることも確認できた。

 

このような場所に人はいないと思っていたのかどこか現実味のある風景に少女は目を丸くしていた。

 

「…日本のどこかにはありそうな景色ね」

 

そう言われれば、そう見えてしまう。少女の的確な表現に思わず笑みをこぼしてしまう。

 

「確かにそうだな。何処かにありそうな景色だ」

 

「同意するなら、笑わなくてもいいんじゃない?失礼なおにーさん」

 

「まぁ、何処かにありそうだけど、絶対に現実…いや現世じゃないんだよな」

 

俺は空を見上げ、指をさす。

 

少女がどういうことか聞こうとした瞬間息を吞む音が聞こえた。目の前には白い砂浜と青い海がどこまでも広がっている。青い空に遠くには夏の象徴である入道雲が見える。

 

そして、その入道雲を海と見立てているのだろうか。透明な鯨が空を泳いでいた。それは幻想的で思わず見入ってしまうほどに美しかった。

 

「…綺麗」

 

目の前の超常現象に対して、割とすんなり受け入れた様子の少女。むしろ、透明なクジラの雄大さを楽しんでいるように思える。

 

「あぁ。夏の風物詩だな」

 

「随分と幻想的な風物詩ね」

 

別にいいだろう。ここは現世ではないのだから。現実にはない美しさを見るのも悪くない夏の思い出だろう?

 

「これがおにーさんが見たかったもの?」

 

少女は俺を見上げながら問う。

 

俺は少女を横目に見る。

 

「いや、俺の思い出はもっと美しかったさ」

 

もっとも、ベクトルが違う美しさだったがな。そう零しながら、砂浜を歩き、海の家へ向かう。少女はキャリーケースに腰を下ろす。

 

「どこに行くの?」

 

「海の家。パラソルとシート借りてくる。迷子少女は抵当な場所でも見つけてくれ」

 

「女の子を一人にするんて…だから出会いがないのよ」

 

「関係ねぇだろ」

 

そう言いながら、少女は俺の後をついてきた。

 

「寂しがり屋な少女だ」

 

「首から下はいらないようね」

 

その言葉が合図となり、夏の砂浜で鬼ごっこが始まった。捕まったら生き埋めにされるだろう。

 

「ぜぇ…ぜぇ…運動不足なんじゃねぇの?汗だくの少女よ」

 

「はー…はー…そっちこそ、女子高生相手に…本気になるなんて…大人げないわ…」

 

命の危険があるなら、全力出すわ。俺はバックから凍らせたスポーツドリンクを取り出した。いい感じに溶けて、うまそうだ。

 

飲もうとした瞬間、俺の手からスポーツドリンクは消え失せていた。視線を下に向けると少女が腰に手を当て、豪快にスポーツドリンクを飲んでいる。

 

いい飲みっぷりである。この少女、本当にお嬢様か?

 

「おい。泥棒猫の少女よ。俺の分も残しておけ」

 

「私の飲みかけを欲しがるなんて変態ね。おにーさん」

 

「元々は俺のだ」

 

少女はめんどくさそうに自分が持つバックに手を入れ、あるものを俺に差し出す。

 

「これあげる」

 

「エナジードリンクじゃねぇか。しかも、くっそぬるい」

 

「2本買ったけど、1本で満足した。安心して。昨日買った奴だから」

 

「そこは心配してねぇよ。クソ暑い中でぬるい炭酸飲料とか拷問と変わらん」

 

「それは同意するわ」

 

ドヤ顔で俺のスポーツドリンク飲んで、薄く微笑む少女は本当に憎らしい。

 

俺は少女からもらったものをしまう。きっとこれも夏の思い出になる。

 

「さっさと行くぞ。暑さでやられそうだ」

 

喉を潤したいしな。

 

「誰のせいだと?はぁ、汗が鬱陶しい」

 

「水も滴るいい女だぞ。良かったじゃないか」

 

ローキックが飛んでくるとは思わないじゃん。

 

「悶えてないで行きますよ。デリカシーのないおにーさん」

 

「…くそが。中々切れがあるじゃないの…」

 

俺はそう言いながら、立ち上がり歩き出す。その後ろを少女はついてくる。ふと、海へ視線を投げる。青い海は強すぎる日差しを反射してキラキラと輝いていた。

 

「…こういうのも悪くないな」

 

少女は俺の視線を辿り、海を眺める。

 

「…きっと、夏の間だけよ」

 

薄く微笑む少女が美しく見えた。それも夏のせいだろうか。

 

夏という季節が照りつける暑さや流れる汗を悪くないものにしている。それを感じながら、俺と少女は歩いた。

 

 

海の家は年季が入っているもの、手入れはされておりむしろ、いい味を出している。そこにいる店主は日焼けした肌にタオルを頭に巻いた、どこにでもいそうな店主だった。

 

「よう!今年も来たのか坊主!!」

 

「あぁ。性懲りもなくな。いつもの貸してくれ。あと冷たい麦茶とタオル二枚」

 

この店主とも関係が長い。ただ、毎年ここに来る度に店番をやらせようとするのはやめてほしいが。

 

「あいよ!…その嬢ちゃんは?遂に、誘拐してきたのか」

 

そう言いながら、麦茶とタオルを渡してくれる店長。一枚を少年に投げ、麦茶を飲む。喉から胃にかけて、冷たさが流れていくのがわかる。

 

「ふぅ…。いや。してねぇよ。勝手についてきた。…その内ここに来ていたさ」

 

「それはまぁ、仕方ねぇか」

 

「…ちょっと。ここには不審者のおにーさんが連れて来たんじゃないの?」

 

少女は口をはさむ。少女の目が俺を見るが説明したくない。

 

「…かき氷おごってやるよ。好きな味選べ」

 

「話を逸らすの露骨すぎよ。詐欺師のおにーさん」

 

「今なら、練乳もつけていいぞ」

 

「…いちごの練乳多めで」

 

適当に話を逸らしたつもりが成功してしまった。この少女割とちょろいのでは?

 

「ちょろいなんて、ふざけたこと考えてそうな顔だねクズなおにーさん」

 

「…実際にそうじゃん。痛った!?」

 

少女に足は踏まれたし、店主には拳骨を喰らった。とりあえず、かき氷をつくってもらい、少女に渡す。後ろから、店主が耳打ちしてくる。恐らく、あの少女のことだろう。

 

「おい坊主。説明してねぇのか?」

 

「あぁ。自分で気づくべきだ」

 

「あん?なんで、んな面倒なことする必要があんだよ」

 

「彼女は迷子なんかじゃない。ここに呼ばれたんだ」

 

もっと、面倒で深刻な状態なんだ。

 

「…なるほど。そいつはちと面倒だ」

 

…そう。俺と同じく、ここに呼ばれた人間だ。

 

「なら、あの嬢ちゃんから目を離すわけにはいかねぇな」

 

「もとより、そのつもりだ」

 

「にしても、解せないな。やけにあの嬢ちゃんに入れ込んでいるみてぇだが…お前そんな事をする人間だったか?」

 

「…夏の気まぐれだ」

 

「へー、へー。深くは聞かねぇよ」

 

そう言って、店主は店の奥へ引っ込んで行った。まったく、世話焼きな人だ。海の家に出ると外のベンチでかき氷を口に運んでいる少女がいた。

 

「どうだ?クソ暑い中で食べるかき氷は」

 

「最高ね。氷に味を付けただけなのに、こんなにも美味しい」

 

「満足いただけたようで良かったよ」

 

そう言って、おれは少女の隣に座りレモン味のかき氷を口に運ぶ。

 

変わらず美味い。色々な味を食ってきたが、レモン味が一番好みだ。さっぱりとした甘みにつんと来るような酸味が何とも言えない。

 

「……」

 

横から視線を感じる。どうやら、俺が持っているレモン味のかき氷に視線は注がれているようだ。

 

「やらんぞ。強欲な少女よ」

 

「…んぁ…」

 

少女はおもむろに口を開けた。健康的な赤い舌はシロップの着色料によってより、濃い赤になっていた。

 

そんな、少女が行う行動に俺はいつのまにか魅入ってしまったようだ。

 

その証拠に、ストローで作られたスプーンを少女の口へ運んでいる。

 

「…やっぱりちょろいね。おにーさん」

 

「…ふん。強請ったかき氷の味はどうだ?」

 

少女は少し考えるそぶりを見せて、こう言った。

 

「…ファーストキスの味がしたよ」

 

俺を見上げ、薄く微笑みながら。

 

「そうか。良かったな」

 

俺はかき氷を食べる。これ以上少女に強請られないように。

 

「少しは照れたりしてもいいんじゃない?不能なおにーさん」

 

「ファーストキスの味も知らない少女がよく言う」

 

「うるさいよ。間接とは言え、女子高生とこういうことできるなんて、本来はお金が発生する。というか、そんなに急いで食べなくてもいいんじゃない?」

 

「これ以上、食われてしまったら困る」

 

そうでないと俺は夏の魔物に取りつかれてしまいそうだ。

 

かき氷を食べ終えた俺と少女は砂浜を歩く。

 

「パラソルを持てとは言わねぇが、シートぐらいは持ってもいいんじゃねぇか」

 

「女性に荷物を持たせようとするのがもてない要因だよおにーさん。それに、自分の荷物は自分で持つのよね?」

 

「OK。このパラソルの中には入れねぇからなクソガキ!」

 

「それは戦争案件よ?器の小さいおにーさん」

 

 

 

 

 

 

 

 

先程起こった戦争が終結し、条約も締結したことにより、おにーさんに丁度良い場所にパラソルを立たせ、避暑地を作ってもらった。

 

「で?これからどうするの」

 

私はそう問いかける。この海がおにーさんの思い出の場所なのだろうか。

 

「特になにもしないさ。適当に遊べばいい」

 

「…遊ぶ」

 

何をすればいいのか、分からなかった。そういえば私は海に来たことなんてなかったな。

 

「そう。こんな場所で遊ぶ機会なんてめったにないぞ。おら、心のまま遊んで来い」

 

「遊ぶって…水着持ってないわよ」

 

私が持っているのはこの制服と数着の着替えだけ。水着を持って行く余裕なんてなかった。

 

「あそこでレンタルしてる」

 

おにーさんの指をさす方向を見ると、水着やビーチボール無料で貸し出ししている家があるらしい。

 

「ここは、飯以外は基本無料だ。気にすんな」

 

「随分と気前がいいですねここにいる人たちは」

 

「まぁな。ここはそういう場所だからな」

 

「そ。…そういえばおにーさん。さっきはぐらかした話聞かせて」

 

「おっと、俺は釣りに行って…」

 

そう言って、また逃げようとするおにーさんに足払いをかけて馬乗りになる。これでもう逃げられないだろう。

 

「さっさと吐きなさい。私はなぜ、この場所に来れたの?」

 

目の前で悶えているおにーさんが連れてきたのか…それとも…。

 

「…まったく、尋問がお上手なことで」

 

「誉め言葉として受け取るわ」

 

「ここは基本、俺たちが勝手に来ることはできない」

 

おにーさんは私の目を見て、語りだす。

正直、おにーさんの視線は苦手だ。今まで誰も私を見てなかったのに、おにーさんは私を見てくる。私に声をかけてきた人たちも結局は私を見ることはなかった。私じゃない人を見ていた。

 

だから、こんなにも私を見てくる人は珍しかった。

 

…まぁ、胸元に視線が行くことも多いけど。この視姦おにーさんめ。

 

「…俺はその基本から外れるんだが、どうでもいいことだ」

 

まったくどうでもよくない。本当にこのおにーさんは何者なんだろう。怪しさだけなら、今まであってきた中で断トツだ。

 

「ようは、この場所に呼ばれるんだよ…それにつられてここに来る」

 

そう言って、おにーさんは体を起こす。おにーさんの顔が近づく。不思議と悪い気はしなかった。おにーさんは変わらず私の目を見ている。

 

「だから、お前を呼ぶ声に気を付けろ」

 

ドクンと私の心臓が跳ねる。初めて聞く本気の忠告だった。私を気遣う言葉だった。私に掛けられたことのない言葉だったから、少し、驚いて…

 

 

 

うれしかった。

 

 

注意事項はそれぐらいだ。そう言って、おにーさんは私を下ろして立ち上がる。

 

「…少しは意識してもいいんじゃない?」

 

「はっ。首から下を見ないようにしてた俺の努力が水の泡になるだろ」

 

そう言って、おにーさんはパラソルの下に戻っていった。

 

「…意識してんじゃん。変態」

 

むっつりなおにーさんの背中に私はそう吐き捨てた。

 

おにーさんが言うように、私は遊ぶために水着に着替えた。レンタルのおばちゃんに着せ替え人形にさせられたけど、自分でも似合っていると思う水着だ。不能のおにーさんは

 

「おぉ、似合ってるじゃねーの」

 

なんて一言で済ませやがった。もっとこうあるでしょ。

 

「俺にそんな期待すんじゃねーよ。端的にしか感想が出てこねぇ」

 

「本当にもてない理由の一つよそれ」

 

「…黒のビキニで大胆さと妖艶さを出しつつも薄手の上着で清楚感を失わせない。お前に似合っている」

 

「…40点。細かすぎてむしろ、きもいわ」

 

事実を告げたらおにーさんは不貞寝してしまった。無視して遊んでみようと思う。

 

 

「とは言ったものの…何をして遊ぶのかしら」

 

本やテレビで知ったものでは海で水をかけあったり、ビーチバレーなる遊びをしていた。どれもこれも一人ではできない者ばかりだ。なんだ?海という場所はお一人様お断りの場所なのだろうか。

 

ふと周りを見てみる。私の他にもちらほらと海で遊んでいる人がいるが、誰もが隣や後ろに誰かがいる。パラソルがある方を向けば、不貞寝をやめたおにーさんが子ども達に群がれている。こんなにも暑いというのに彼の身体を遊具のように使い、まとわりついている。

 

あ、引きはがして小銭をぶん投げた。なんて汚い大人なんだ。騙されるな笑顔の子どもたちよ。そんな事を思っていたら、手を引かれる感覚があった。

 

視点を下げると日焼けした少年がこちらを見上げていた。

 

「ねーちゃん、さっきからキョロキョロしてどうしたの?迷子?」

 

「違うわ。何して遊ぶか考えてたのよ」

 

「一人で?」

 

「…ええ」

 

「それって楽しいか?」

 

「…わからない」

 

そう。一人だろうと二人だろうと遊ぶことがなかった。遊ぶことは楽しいことなのだろうか。

 

あぁ、きっと楽しいことなんだろう。だってクラスメイトがあんなにも楽しそうに話していたのだから。

 

「じゃあねーちゃん、俺らと遊ばない?」

 

「え?」

 

「暇なんでしょ?なら、遊ぼう!」

 

「でも、私は遊び方なんて知らないわ」

 

「俺らが教えるって!行こうぜ!」

 

少年に手を引かれる。少し気になってパラソルがある方を見た。そこには変わらずおにーさんが居て、子ども達とアイスを食べている。私の視線に気が付いたのか、ため息をついて私を見た。

 

まるで、気にせず遊んで来いと言うように。

 

おにーさんは子ども達に何か言った後、パラソルを閉じ私の荷物を持った。子どもにも荷物を持たせるのは普通に最低だと思う。

 

「おう、ボッチな少女。こいつらも一緒に連れてってくれ」

 

「えー!おじさんは遊ばないの!?」

 

「おじさんと言われる歳じゃねーよ」

 

そう言って、おにーさんは子ども腕にしがみつく少女を地面におろす。ナイスよ。名も知らぬ少女。もっと言ってやりなさい。

 

「おねーさん?笑ってる?」

 

「ふふっそうね。ちょっと面白かったから。さて、一緒に遊びましょうか」

 

「気をつけろよ。ったく、昼寝もできやしねぇ」

 

そう愚痴りながら、おにーさんはパラソルを開き、避暑地を設営していく。

 

「手伝うわ」

 

「なんだいきなり」

 

「お年を召した体を労わろうと」

 

「おい、このクソガキをさっさと連れ出せ」

 

結局、子ども達はおにーさんも巻き込んで私に遊ぶということを教えてくれた。きっと、それは一人では得られないものだった。ビーチバレーで転んで、砂だらけになって笑われた。つられて私も笑う。

 

砂遊びをした。一人でも楽しい遊びだと教えてもらった。それでも、子ども達と大きな城を作った時の方が楽しいと思った。

 

ただ、私が作った城を水害で破壊した愚か者は砂に埋めてやった。

 

「…俺が悪かったからここから出してくれ麗しき少女よ」

 

「黙りなさい愚かなおにーさん。ゴーグルの少年。これでスイカ買ってきて。お釣りはあげるわ」

 

「いいけど、何すんのねーちゃん?」

 

「スイカ割りというものをやってみたいのよ」

 

「おい待てや」

 

「おねーちゃんスイカ割りするの?わたしもやりたい!」

 

子ども達もスイカ割りをすると聞いて、集まってきた。

 

「いいわよ。スイカは3つほど用意するつもりだから」

 

「それに俺は入ってねーだろうな鬼畜な少女よ」

 

「入れるわけないでしょう。…でも、スイカ割りは目隠しをするのよね?」

 

それなら、間違って割ってしまうかもしれないわね。

 

「おーいガキどもー!俺をここから出してくれー!」

 

「大丈夫よ。おにーさんの中身スイカと同じ赤じゃない」

 

「子どもの情緒的にアウト。そもそも、俺の命を散らそうとするな」

 

首から下が砂に埋まっているおにーさんと私はそんな言い合いをしている。子ども達も買い物にもう少しかかる。

 

目の前の人は私をよく見ている。初対面の人にそんなことをする人は珍しい。今までも何人かの人たちと会ってきたけど、全員が私の体を見ていた。…それか…

 

…やめよう。せっかく楽しい気持ちになっていたのに、わざわざそれを台無しにする必要はない。

 

もう少し、この怪しいおにーさんのことを聞いてみようと思った。

 

「ねぇ、余命宣告されたおにーさん」

 

「なんだ?死刑執行人の少女よ。命の大切さに気付いたか?」

 

そんなことはとうに分かっているわ。それ以上のこともね。

 

「おにーさんはここに何度も来てるのよね?」

 

「…あぁ。長いことな」

 

「そんなに、夏の思い出は見つけられないものなの?」

 

おにーさんは私を見る。

 

「そうだな。記憶だけを頼りに思い出を探すのは骨が折れる」

 

「ちょっと待って。その思い出って一回見た後から見たことないの?」

 

おにーさんは頷く。その口角は少し上がっていた気がした。怪しいおにーさんはかなりのロマンチストかもしれない。

 

「…記憶にある思い出をもう一度見るなんて難しくない?他に手がかりはないの?」

 

「この場所で見た記憶がある。それは俺にとって美しいものだった。それだけさ。どうした?こんなことを聞いて」

 

「気になったのよ。ここは美しい場所だと思うわ。…だけど、おにーさんが探しているものはない」

 

砂に埋まっているおにーさんの髪に触れる。おにーさんの瞳をのぞき込む。おにーさんは変わらずに私を見る。

 

 

お前はどうなんだ?

 

 

深い黒の瞳が私に問いかけているような気がした。

 

私の探し物なんてきっと、どこにもないわ。元々、私のものではなかったし、そこら辺に落ちてるものでもない。

 

そういえば、それを見つけようとしたことが旅をするきっかけだった。結局は何も見つからないし、むしろ、見失っている気がした。

 

別にそれでもいいかって思った時に、この怪しいおにーさんと出会ったんだ。

 

「その思い出は見れない可能性もあるの?」

 

私は問いかける。それは手に入るものなのかと。記憶の中の思い出という曖昧なものを探すことは疲れないのかと。そう言葉の裏に隠しながら、私は問いかけた。

 

「…まぁな。それはそれで、そういう結末なんだろうよ。少し悲しいが悪くはないだろう」

 

「なぜ?ここに何度も来るほどに探し続けていたものなのに、納得しちゃうの?」

 

「しちまうだろうな」

 

本当に分からない。怪しいおにーさんがほかの人より強いから?それとも私が弱いから?

 

「分からないって顔だな」

 

「頑張ってきたことが報われないのは嫌なのよ」

 

「あぁ。そりゃそうだ」

 

「じゃぁ、なんで?」

 

おにーさんは少し考えた後、笑った。

 

「お前がいるからだ」

 

そう言ったのだ。恥ずしがることもなく、当たり前のことを言うように言いのけたのだ。

 

「…なにそれ…」

 

…自分でもわかるほど顔が熱い。いきなり何を言い出すのだろうかこの女誑しのおにーさんは。

 

「思い出を見れない状況で一人ぼっちだったなら、後悔の一つや二つするだろうな。一人じゃなければ、何とかなる」

 

…つまり、なんだ?この女誑しは一人じゃ無理だけど私と一緒なら、思い出が見られくてもいいというのか?

 

「どうした?顔が赤いぞ?」

 

にやにやとした顔でクズなおにーさんは私に問いかける。分かって言ってるあたり本当にたちが悪い。だから、私は遠くから聞こえる子ども達にこう声をかけた。

 

「みんなー。スイカここに持ってきて。外れのスイカ用意したから」

 

「おいまて。悪かった。まだ死にたくない」

 

「目隠しつけてあげる。余計な恐怖を感じないように」

 

「恐怖増大なんだが?」

 

砂に埋まっているおにーさんがごちゃごちゃ言っているが、すべて無視だ。乙女の心を弄んだ罪は重い。

 

「まったく、困ったもんだな?初心な少女よ」

 

「こっちの台詞よ。いい薬になるんじゃない?女誑しのおにーさん」

 

夏の浜辺で男の悲鳴と子どもの楽しげな声、少女の笑い声が流れる。

 

「あっぶねぇ!ヘルメットあると言っても怖いわ!」

 

「惜しい!下がってもう少し右だよー!」

 

「そのままの位置で左に3歩よ」

 

「鬼の少女よ。その位置は俺に当たる位置だ」

 

「わざとよ。罪なおにーさん」

 

そう言って、私は笑う。

 

あぁ、私はこんな風に笑えたのね。

 

この時だけは、砂に埋まっている怪しいおにーさんに感謝した。

 

 

「まったく、死ぬかと思った」

 

死刑執行人の少女からの制裁から逃げ出せた俺は砂を払い落し、簡易的な避暑地で横になる。

 

隣に目を向けると、少女がスイカをかじっている。子ども達はそれぞれ、スイカを食べて帰っていった。

確かにそろそろ、子どもは帰る時間だ。

 

目の前に広がる海はオレンジ色に染まり、昼とはまた違った美しさがある。一時間もしたら、この鮮やかな色は消え、暗く神秘的な色に染まるだろう。

 

少女に気が付かれないように、目を向ける。この少女の姿が自分の過去に重なる。前の夏は一人でこの景色を見ながらスイカを食べていたなとふと思い出した。だが、その時のスイカの味はどんな味をしていたかは思い出すことはなかった。

 

少女から視線を外す。正面を向けば海水浴を楽しんだ人々が帰る支度をしている。海から離れ、町や駅へ向かっていく。人が少なくなる様子を俺と少女は眺めていた。何回も見てきたごく普通の光景だった。ただ、俺の隣に迷子の少女がいることを除いて。

 

「…夏の思い出ね」

 

鮮やかな海に俺の言葉は吸い込まれていく。俺の言葉などこの綺麗な海に合わないだろう。そんなことを思った。

 

「この景色も違うの?」

 

少女は俺に問いかける。その声や表情は俺と同じで、目の前の海には似合うものではなかった。

 

「あぁ。これはこれで綺麗だ。だが、純粋すぎるな」

 

あぁ。そうだ。誰もが美しいと思うものではなかった。それでも、俺は美しいと感じたんだ。それだけは俺の記憶に、心に刻み込まれている。

 

「純粋な美しさもいいが、混在している美しさもよいものだぞ」

 

「私は美しいものはそのままであった方がいいわ」

 

少女はそう言葉を零す。

 

少女を見る。

 

彼女の薄暗い目は海を映しているのか、別のものを映しているのかは分からない。少女の視線をたどる。

 

純粋な美しさが

 

懐かしさが

 

焦がれたものが

 

俺と少女の目に映る。

 

「一人じゃなくてよかった」

 

少女の言葉を聞いて、俺は少女の上着を頭に投げた。少女は顔をあげずに口を開く。

 

「なにすんのよ。セクハラおにーさん」

 

「冷えるぞ。それ着ておけ。迷子少女よ」

 

少女は上着を着る。フードをすっぽりとかぶり、少女の目元は見えなくなってしまった。

 

「この景色はちょっと…目に悪いわね」

 

ぽつりと少女が言う。少女にとって、この景色は好みのものだったのだろう。だが、それは自分が欲しいものであり、見つけられなかったもの。

 

「おにーさんが言うように、純粋すぎるのも…ね」

 

「俺はもう少し純粋なものを見てもいいような気がするけどな」

 

夏の夕方はまだ暑さが残っているはずなのに、ここは少しだけ涼しい空気が溢れている。それが、心地いいものなのかは分からないが、必要なものだと思った。

 

「おねーちゃん!!」

 

そんな感傷に浸っていると、元気な声でこちらに手を振る少年に気が付いた。どうやら、先ほど遊んだ子供たちの一人が少女を呼んだみたいだ。

 

「さっきはありがとう!スイカ美味しかった!!」

 

そう言って、少年は少女に押し花のしおりと同じ花を模した髪飾りを渡した。少年の後ろの方ではこちらに小さく頭を下げているご婦人がいた。おそらく、彼の母親だろう。まったく、律儀なことだ。

 

少女は手渡されたものを見ながら、ボーっとしている。

 

「…ありがとう」

 

「うん!また、遊ぼうね!おねーちゃん!おにーちゃんにも言っておいて!」

 

そう言って、少年は母親の下に戻っていく。俺と少女は彼らに手を振って見送った。

 

「律儀なことだ。どうだ?年下の男の子に花を貰った感想は?」

 

「嫉妬しないでくれる?器の小さいおにーさん。…嬉しかったわよ」

 

「そいつは良かった」

 

「…何の花なのかしら」

 

少年が渡してきた花は少々特殊な形の花弁を持つ花だ。色は紫でいくつかの花を付けている。

…少年もよく少女を見ている。彼女にピッタリの花を渡してくるものだ。

 

「何を笑っているの?」

 

「ふっ…いや、少年もいい花を渡したものだと思ってな」

 

少女の目がじっとりと俺を射抜く。これは説明しなければまた、ろくでもない目にあいそうだ。

 

「その花の名前はデンファレ。夏に花を咲かす」

 

「…それで?」

 

まだ、何かあるのだろうと確信している顔で少女は続きを促す。ここにきてから、勘が良くなったなこの少女は。

 

「夏の間はその花が枯れることはない。貸してみろ」

 

「ん」

 

少女から受け取ったデンファレの髪飾りを少女の髪に編み込むように挿す。

 

「これで、いい思い出になるだろうよ」

 

「…勝手に髪に触るなんてセクハラよ。おにーさん。…まぁ、いいわ。ありがとう」

 

それと。そう少女は続けて、しおりを俺に渡す。

 

「これはおにーさんの報酬のはずよ」

 

「お前が貰ったものだろう?」

 

「あの子達と遊んだのは私だけじゃないでしょう?」

 

「そうかい。では、ありがたく使わせてもらおう」

 

俺は手帳にしおりを挟む。これもまた、夏の思い出になるだろう。

 

いつの間にか、夜のとばりが降り始めた。もうそろそろ、帰る頃合いだろう。

ふと、少女を見る。彼女は闇が滲んでいく海をただ眺めていた。彼女の瞳もこの海のように闇に染まっていってしまうようだった。そう思えてしまうほど、彼女の瞳を覆う雲はより深く、より濃いものになっていた。

 

デンファレの髪飾りがよく似合う少女が俺の視線に気付く。

 

彼女と目が合う。

 

仄暗い瞳が俺を射抜く。

 

…やはり年頃の少女がしていい瞳ではない。おそらく、俺がこの雲を払うことはできないだろう。そう思うとやるせない気持ちと無力感が俺を襲う。この雲は彼女自身にしか払えない。

 

「…やるせないねぇ」

 

「人の顔を見ながら呟く言葉がそれですか…ノンデリのおにーさん」

 

「気を遣われるよりはマシだと思うがね。迷える少女よ」

 

「それも…そうね」

 

少女は困ったように微笑んで、海を見る。俺も少女に合わせて海を眺める。昼に見た時とは異なり、海は太陽の光を反射することはない。ただ、闇が広がり少しずつ姿を現した星々を映しているだけだ。

 

さて、こんな夜に少女1人出歩かせれば、夜に攫われてしまうだろう。なんせ、彼女は迷子少女だ。帰る場所など何処にもない。そう思っているからこそ、危うい状態だ。特にこの場所では。

 

まぁ、俺自身もそうなる可能性はあるがな。ふと、かつての記憶を掘り起こしてみる。俺がここに訪れてしまった時、どんな感情だったか。

 

「…だめだ。ぐちゃぐちゃにされてる」

 

記憶を掘り起こしてみようとしても、俺の記憶はあの景色が大半を占めている。まったく…困ったもんだ。

 

少女を眺める。彼女は変わらず海を眺めている。…本当に…困ったもんだ。

 

「…何ですか?また視姦ですか?このロリコンおにーさん」

 

「黙ってろ。今日はもう遅い。泊ってけ。そこら辺で宿を探してくる」

 

少女は身を抱きしめ、後退るように俺から距離を取る。

 

「…遂に、本性を現しましたね。この変態」

 

「勘違いすんな。俺は泊まらねぇよ。さっさと行くぞ」

 

俺と少女は宿を探しに、海から離れる。その方が良いだろうと信じて。

 

俺も今の少女に手ぇ出すほど馬鹿じゃねぇ。この少女がどんな現実を見てきたのかは察しがつく。…まったく、何とも言えない世界になったものだ。

 

「…まぁ、それでも生きていくしかねぇな」

 

「いきなり何を言ってるの変人おにーさん」

 

「何、泥中の花の美しさについて、考えてただけさ」

 

「…綺麗なものでも、泥に塗れてしまえば価値はなくなるわよ」

 

少女はつぶやく。それが真実なんだと嚙み締めるように。そうであるべきだと言い聞かせるように。

 

「あぁ。間違いではない」

 

そうだ。それは間違いではない。だが、決して、真実なんかじゃない。

 

「間違いないが、それだけじゃない。そこに価値を見い出す者もいる」

 

「それは、変人だから?」

 

「いや。汚れているから、美しさがより際立つ。そう捉えることもできる」

 

「…」

 

少女は俯いたまま、口を閉ざす。声が零れないように。

 

「何を美しいと思うかなんて、人の物差しによって変わるもんだ。結局のところ、選ぶのは自分だ」

 

「…選ぶことに時間がかかっても?」

 

「別に問題はねぇよ。むしろ、時間をかけた方が良い。簡単に答えが出るもんではないからな」

 

「おにーさんが美しいって思った思い出もそうだったの?」

 

少女の質問に俺は足を止めて、振り返る。目の前の少女は出会った時と変わらない瞳で俺を見つめていた。

 

「…見た当時は純粋に美しいと思っていたよ。だが、純粋なものだけではなかった。今ではそう思える」

 

「私もおにーさんのような景色に出会えたら、そう思えるようになる?」

 

「きっとな。だから…」

 

少女の頭を撫でる。少女は少しだけ身を固くしたが、目を細めて撫でられている。

 

「少女自身が納得できれば、それが一番だ。生き方も価値観もな」

 

「セクハラのおにーさん。…私で良かったね。他の子だったら悲鳴からのビンタだった」

 

「悪いな。こうすべきだと思ったんだよ」

 

「年を取った影響じゃないかしら」

 

「それほど年を重ねてねーよ。さっさと行くぞ」

 

俺はそう言って、前を向く。だが、手を引かれる感覚で俺は歩みを止めた。

 

「…少しだけ。…宿に着くまででいいから」

 

少女はそう言って、俺の手を緩く握る。

 

俺はその手を上手く握り返すことができたのだろうか。

 

もう、俺は分からなかった。

 

ただ、宿に着くまでは迷子少女の手を離さないようにしよう。

 

そう決意して、俺と少女は暗い砂浜を歩き出した。

 

迷子にならないように、少女を呼ぶ声を振り払うように少女の手を握りながら、ゆっくりと。

 

 

 

 

 

怪しくも、私を見てくれる不思議なおにーさんは私の手を引きながら歩き続ける。私自身もなぜ、おにーさんの手を取ったのか分からなかった。ただ、こんな怪しい人物に甘えたかったのだろうか。それとも、周りを包み込んでいる夜のせいなのだろうか。

 

ただ…。

 

おにーさんの手を取っていなければいけない気がした。私は内心苦笑する。おにーさんは私のことを迷子少女と言っていたけど、おにーさんも私から見れば迷子のように見えてしまう。

 

このまま、私たちはどこにたどり着くわけでもなく、歩いていくのだろうか。なぜか、それも悪くないような気がした。

 

そんなことを考えていたからなのだろう。

 

「■■■■」

 

優しく、甘い声で私を呼ぶ声が聞こえた。

 

それは酷く懐かしい気配がした。あぁ、おにーさんが警告する訳だ。私はこの声を知らない。だというのに、どの声は私の頭にこびりつく。

 

「…ついたぞ」

 

おにーさんの声と強く手を握られる感触で私の意識は現実に戻ってきた。それほどまでに、あの声に私は夢中になっていたようだ。

 

「…まったく、そんなに強く握るなんて。女性の扱いがなっていませんね。おにーさん」

 

「迷子少女を連れ戻すのにはちょうどいいだろう。それに、ほら。宿についたぞ」

 

相変わらず、減らない口ですね。それにしても、いつも間にか宿についていた。今日は色々な事が起こった。どれもが始めての事だった。楽しかったことには変わりないが、少し疲れてしまった。

 

私は宿に入ろうとする。しかし、私の後ろに続く足跡はなかった。

 

「おにーさん?私、結構疲れたんだけど」

 

「そうか。なら、ゆっくりと休むといい」

 

「鈍感なおにーさん。早く行くよって事が分からないの?」

 

「残念ながら、俺はここに泊まる事はできない」

 

「…どういうこと?」

 

「さてな。ゆっくりと休め。明日はきっと忙しいぞ」

 

ここまできて、誤魔化そうととするかこの秘密主義おにーさんめ。もう一度分からせるためにつま先で地面をたたいた。さて、蹴るぞと思った時、後ろから声がかけられた。

 

「お嬢さん1人かい?もう外は暗いから、今日はもう止まっていきなさい」

 

宿の玄関から出てきたお婆さんがそう声をかけてきた。そのお婆さんは柔和な表情で仕草や言葉からも優しさが伝わってくる。だからこそ、お婆さんが言った言葉に強い違和感を感じた。

 

…確かめなければいけない。

 

「ありがとうございます。お婆さん。…連れがいるのだけれど部屋は余っていますか?」

 

「えぇ。もちろん。ですが…お連れの方はどちらに?」

 

私はその言葉を聞いた瞬間、おにーさんの方に振り向いた。おにーさんは既に背中を向ておりこちらに適当に手を振っている。

 

「…あれが連れなんですが…」

 

私はおにーさんを指さす。私の言葉を聞いたお婆さんは眼鏡を取り出し、指さす方向を見る。しかし、その視線はおにーさんを捉えてはいなかった。

 

「御免んなさいね。私はもう歳だから、あまり目が良くないのよ」

 

「…いいえ。どうやら連れは別の場所に行くみたいです。ありがとうございます。後、連れと話をしてくるので荷物をお願いしていいですか?」

 

私は焦る気持ちを抑えて、お婆さんにお願いする。快諾したお婆さんに申し訳ないと思いながらも、私は走った。私の足音に気付いたおにーさんはこちらを見て、苦笑いをした。

 

「…まったく、少しは清楚にだな…ぐはっ!」

 

余計な事を言い始めたおにーさんの口を渾身のドロップキックで黙らせる。何が清楚にだ。誰のせいでこんなにも焦っているのかも知らないくせによく言う。前みたいに私はおにーさんにまたがり、逃亡を阻止する。

 

「その感じだと、気付いたみたいだな」

 

「…説明してください。でなければ、成仏するまで腹パンしますよ?」

 

「除霊(物理)とは恐れ入った。やはり、尋問が上手いな」

 

「次、減らず口叩いたら一発入れますよ」

 

「あらやだ。一発なんて、そんなお下品っぐぅ!」

 

鉄拳制裁。私は有言実行する人間だとおにーさんはまだ知らなかったらしい。

 

「容赦ないな。悪くない」

 

「気持ち悪いわよ。ドMのおにーさん」

 

「そういう事じゃねーよ。このくらい思い切りがいい方が生きやすいだろう?」

 

また、このおにーさんは否定しずらいことを…。

 

「…話をそらさないで。…私の質問に答えなさい」

 

「…答えられる範囲ならな」

 

おにーさんの瞳が私を見る。特に変化は見られない。

 

「なら質問よ。おにーさんはいつから私にしか見えなくなっていたの?」

 

「黄昏時が過ぎたころからだ。お礼を言いに来た子供とその母親はもう見えていなかっただろうな」

 

…違和感の正体はこれか。私は一人納得した。少年が私の隣にいるおにーさんに視線を一度も向けていなかった。おにーさんは私の後ろに居たからだと思っていたが、なるほど。これも全部おにーさんの策の一つなのだろう。この事実に気付かないように。

 

「そう。なら、別の質問よ。おにーさんは何者なの?」

 

「人間さ。夏の思い出を見ようとしているだけのな」

 

「ただの人間は消えたりなんかしないわ」

 

おにーさんは少しだけ目を見開いた。やはり、私の予想は当たっていたようだ。

 

「焦り過ぎよ。黄昏時を過ぎてから、何かに追われるようだった。最初は『あの声』から遠ざけようとしているのだと思っていたけど、違った。貴方は私から離れようとしていた」

 

おにーさんを拘束する手足に力が入る。どうしてという疑問や言い表せない感情が私の中で渦巻いている。これはきっと良くないものだ。私が今まで見てきたどうしようもない現実と同じ色をしていた。

 

それを私が持っていたことが何よりも嫌だった。

 

「ねぇ。どうして?おにーさんは私をどうしたいの?」

 

「……」

 

ただ、疑問をおにーさんにぶつける。疑問という形を成していない言葉だった。それでも、目の前で私の目を見てくる人に聞くのだ。何故かは分からないけど。

 

「…どうしてか…」

 

おにーさんは半身を起こし、私との距離を縮めてくる。相変わらずデリカシーのないおにーさんだと思った。

 

「…迷子の少女よ。俺は君の探し物を見つけることはできない」

 

「……」

 

ただ無言で私はおにーさんを見つめる。きっと私の目には「何故」という言葉が彫られているだろう。それが分かっているはずなのに。

 

おにーさんは薄く笑う。

 

「だから、君の好きなようにするといい」

 

「…答えになっていないわ」

 

「君の望むように行動すればいい。ここで生きるのもいい。『声』のままに動いてもいい。…やりたい事をやればいい。…君は一人の人間なのだから」

 

「…っ!…なんで…!」

 

なんでっ…このおにーさんは私の心をこんなにっ…!

 

俯く私におにーさんは手を伸ばす。だが、いつまでたってもおにーさんの手の感触がなかった。

 

「時間か。さて、家出少女よ。好きに生きてみろ。俺はそこら辺で見てる」

 

「…趣味が悪いわね。性悪おにーさん。…もう教えてはくれないの?」

 

「あぁ。ここから先は任せるよ」

 

そう言っておにーさんは立ち上がる。既におにーさんの体は空のクジラと同じようになっていた。

 

「…夏の思い出は見れなくてもいいの?」

 

どうしようもない私は言葉を零す。一度もしたこともないくせに、そうしてしまった。

 

私は顔を伏せる。どうしようもなく怖くて、不安だった。一人になるのは慣れたはずだ。だというのに、私は未練がましくおにーさんを呼び止めるのだ。

 

「いや、これからさ」

 

そんな、力強い声に思わず顔を上げる。しかし、そこにはもうおにーさんの姿はなかった。陽炎のように消えていったおにーさんに私はため息をついた。

 

「…『答えを教えてくれる』なんて。…もうそんなに甘やかしてはくれないのね。幽霊のおにーさん」

 

透明な鯨が鳴く。その声は美しい星空によく響いた。それはとても美しい景色だった。だが、なんとなくだが、これも違うと思った。

 

「あぁ。これが純粋な美しさってやつなのね」

 

なるほど。おにーさんが言っていた事が分かった気がする。きっとこれも夏の思い出ではないのだろう。この時ばかりはこの純粋な美しさに救われた気がした。

 

そうでなければ、私はおにーさんと同じように何処かにいってしまうだろうから。

 

「…私はどうしたいのだろう」

 

私は宿に戻るわけもなく、堤防のはしに座り海と空の境界を眺めている。透明な鯨は相変わらず空を泳いでいる。…そういえば、この透明な鯨は海で泳ぐ気持ち良さを知っているのだろうか。そんな疑問が頭をよぎった。

 

空を泳ぐのはきっと気持ちいい。でも、それはあの鯨にしかわからないこと。私は空を泳げないから、どんな感覚なのか分からない。私が知っているのは海水のしょっぱさ。海風の匂い、砂の熱さ、海で遊ぶことの楽しさ。このくらいだ。

 

「…■■」

 

…私を呼ぶ声が聞こえる。また、聞こえ始めた。この声はあまり好きではない。私が知っている声で、私が言ってほしい声色で私を呼ぶ。おにーさんの警告があってもこのままだと、この声に連れていかれそうだ。

 

 

なんで、ついていったら、だめなんだろう。

 

「……さん」

 

 

頭がぼーっとする。私は何故ここにいるのだろう。何か、大切なことを誰かと話した気がする。その筈なのに…。

 

私の足は誘われるように海へ向かう。私の意思とは関係なく。…夢現のように、私は歩を進める。

 

「おねーさん!」

 

そんな私を止めたのは、まだ幼さの残る声だった。手を強く引かれる感覚がある。目の前には海が広がっている。後ろを振り向くと、麦わら帽子をかぶった少年が私の手を握っていた。

 

「…随分と情熱的ね。麦わらの少年」

 

「そんなんじゃないよ」

 

彼は照れたのか、私の手を離そうとする。それを阻むように私は少年の手を握った。

 

「ごめんね。このままだと海に落ちてしまう。もうちょっと、頑張れる?初心な少年」

 

「なら、なんでこんな端っこにいるの?しかも、ふらふらしてたし」

 

「まぁまぁ。いいじゃない。ほら、私を引っ張ってちょうだい」

 

少年に引っ張ってもらい、私たちは堤防の中腹まで移動した。

 

「助かったわ。麦わらの少年」

 

「…別に。声をかけても反応ないし…聞こえてないのかと思ったら、海へ落ちそうになるし…」

 

少年は困惑したような目で私を見る。なるほど。私は知らず知らずのうちに、この少年に助けられていたようだ。

 

「それは、悪かったわね。ちょっと、『声』に夢中になってしまったわ」

 

「…おねーさん大丈夫?」

 

「問題ないわ。こっちの話よ」

 

さて、この少年は一体何者なのだろうか。もし『声』が聞こえていないのなら、ここの住民なのだろうか。だとしたら、こんな時間に外に出歩くのは良くない。まぁ、私が言えたことではないのだけれど。

 

「麦わら帽子の少年。君はなんでこんな所にいるの?」

 

「…おねーさんこそ、なんで夜に海に来ているの?」

 

「夜の海も素敵だと思って、眺めていたのよ」

 

少年は私の返答にそっぽを向きながら、言葉を零した。

 

「昼の海の方がいい…」

 

「あら、夜の海は嫌い?」

 

「あまり…。少し怖いから」

 

私は少年を見る。

 

少年のような年頃の男の子は怖いものがあっても、強がったりするものだと思っていた。だが、この少年は素直に自分が苦手としているものを共有した。麦わら帽子の少年はごく普通の少年だ。少し日に焼け、少年には少し大き目な麦わら帽子をかぶっている。

 

ただ…

 

私は少年を見る。

 

「なんだよ。じろじろ見てきて」

 

そっぽを向いていた少年は私の視線が気になったのか私と顔を合わせる。

 

そう。この麦わら帽子の少年は普通の少年だ。

 

ただ、私にとってはそうでもないようだ。私は少年の手を取って宿に向かう。

 

「ちょっ。どこ行くんだよ」

 

私はこんな事をする人間ではなかったはずだ。私自身が驚いている。私はこんなにお人よしではないし、人の好意なんて裏側には汚いものがあるのが当たり前だと知っている。だから、私が人と関わる時は利用するか利用されるかののどちらかだった。

 

私はこの少年を利用しようと考えているのだろうか。

 

いや、違う。きっと、私はこの少年をほっとけなかったのだ。

 

 

私と同じ目をしている…迷子の少年を。

 

 

 

「俺を誘拐するつもりなの?」

 

「いいえ。このままだと二人仲良く夜の海にいってしまいそうだから、離れるだけよ」

 

「…何処へ行くの?」

 

「とりあえず、宿に行くわ」

 

宿のお婆さんにまた迷惑をかけることになる。後で何か手伝いをしないとね。

 

「…おねーさんは帰るの?」

 

「いいえ。私も泊まるわ」

 

少年は少しだけ安心したように息をついた。まったく、本当に私と同じような状況にいるのねこの子は。にしても、この年齢であの目か。

 

…おにーさんが心配した理由が分かった気がする。自分の目なんてか鏡ぐらいでしか見ないから、わからなかった。きっと、この少年と私の目は良くないものだ。

 

「…これも泥中の美しさなのかしら」

 

「いきなりどうしたの?」

 

「幽霊の戯言を思い出してね。少年はどんなものがきれいだと思う?」

 

少年は私に手を引かれながら、考え込む。ふと、顔を上げて私を見る。

 

「青空に入道雲があるとき」

 

「随分とノスタルジックな回答ね。私も好きよ。あの景色」

 

「なぁ、泥中の美しさって何?」

 

「…そうね。私も最近知ったばかりなのだけど、汚れているからこそ美しいものがあるみたい」

 

「じいちゃんの手みたいな?」

 

ふと、歩みを止めて少年を見る。変わらずの目が私を見る。

 

「…よくばぁちゃんが言っていたんだ。じいちゃんの手はきれいで優しい手だって。俺にはよく分からなかったけど、じいちゃんに頭撫でられんのは好きだった」

 

「いいお婆様ね。そして、お爺様も」

 

「うん。でも、もう…」

 

少年はそのまま口を閉ざしてしまった。…きっと、そういう事なのだろう。少年は歩みを止めてしまった。彼は海を眺めていた。雲がかかった月のような目で。

 

「…じいちゃん?」

 

私は少し焦りながら、少年を手を強く握った。この手を離せば、おそらくこの少年は海にいってしまう。それだけはダメだと、自分の事を棚に上げて私は少年の手を握る。

 

「おねーさん。じいちゃんの声が聞こえんたんだ。…だからさ…手、離してよ」

 

「気持ちは分かるけど、貴方のお爺様はここにはいないわ」

 

「でもっ!」

 

少年は私を見上げながら、声を出す。少年の表情は酷いものだ。あぁ、貴方も心のどこかでは分かっているのね。私はそんな少年の頭に手をつないでいる方とは逆の手を添える。びくりと震えはしたものの、私の手を受け入れた。

 

「それでも、確かにじいちゃんの声だったんだ…」

 

「そうでしょうね。ここは『声』が聞こえてしまうのよ」

 

「おねーさんは『声』がなんなのか知ってるの?」

 

「いいえ?私も教えてもらっただけだから、詳しいことは分からないわ。ただ、声について行くとかえってしまうみたい」

 

まったく、幽霊のおにーさんはもう少し詳しく教えてくれてもいいと思う。あのおにーさんがどこまで知っているかは分からないが、少なくとも私や少年が持ってる疑問を全て解決できると思う。

 

…本当にタチの悪いおにーさんだ。

 

「何処に?」

 

少年は聞く。どこにかえってしまうのかと。私たちは、帰る場所が分からなくなった迷子だ。故に、帰るべき場所なんて何処にもない。

 

しかし、万物のかえるべき場所はある。

 

振り返れば、還る場所がある。

 

「…きっと海に還ってしまうわ」

 

これは私の予想でしかない。本当は違うのかもしれない。ただ、感じるのだ。あの『声』について行けば、還ることができる。それはきっと、迷子たちにとっては救いなのだろう。

 

「さぁ、行こう。もう少しで宿に着くから」

 

「わかった」

 

なのに、なぜ私はこんなにも拒絶感を持っているのだろう。

 

目の前の少年を心配しているのだろう。

 

この疑問も不審なおにーさんなら、解決してくれるのだろうか。

 

私には分からない。好きに生きるということが。自由を求めていたはずなのに、何をするのが自由なのか分からなくなった。私は今自由に生きることができているのだろうが。結局は、あのおにーさんの言う通りに生きているだけなのではないか。…家族と同じように。

 

「…違う」

 

不愉快な思考を振り払って、身を起こす。どうしようもない思考だ。あの人たちとおにーさんは違う。私に選択を残しているおにーさんの方が良い。

 

だから…

 

だからさ、私からおにーさんまで奪わないで。穢さないで。

 

綺麗なままでいさせてよ。

 

『■■』

 

また、声が聞こえる。それも耳障りの良い声が。

 

「…悪いけど、惹かれる事はないよ。私の帰る場所はそこじゃない」

 

「……」

 

声が消えていく。…この声もよく分からない。連れていきたいなら、力づくで連れていけばいいのに。本当に優しさや慈悲の心でやっているのだろうか。その優しさが人の尺度で測れるといいのだけれど。

 

私は隣で眠る少年を見る。疲れていたのだろう。今はぐっすりと眠っている。

 

…この少年はどうしたいのだろうか。海に抱かれるのを望むのだろうか。

 

私と同じ目をした少年。おにーさんが私を気にかけてしまうのも理解できる。目を離した瞬間、陽炎のように消えてしまう。そんな儚さと不安が混ざった印象を受ける。ただ、どうするのが良いのだろうか。

 

帰る場所を一緒に探す?

 

探してどうするのだろうか。2人そろって迷子であるのに。

 

海に還る?

 

そこは帰る場所じゃない。私にとっても彼にとっても。全てを諦めた先の選択肢だ。

 

現世に帰す?

 

現世で誰かに保護されるだろうか。結局は誰かに任せているだけだ。

 

私は麦わら帽子の少年に何ができるのだろうか。

 

「分からない。けど、投げ出したりはしない」

 

少年のおでこに手をのせる。何かを誓うように、巻き込むように、私は口を開く。

 

「ごめんなさいね、私の生き方に君を巻き込むわ。良い夏の思い出だと思って付き合いなさい」

 

ちょうど今は、夏だ。誰かの人生に巻き込んだり、巻き込まれるのもいい思い出になるだろう。

きっと、思い出探しのおにーさんなら同じことを嘯くだろう。

 

「…もう、さっさと寝なさい。明日は早いわよ」

 

「…っ!」

 

まったく、狸寝入りなんて生意気ね。でも、少年には少し刺激が強かったみたい。その証拠に、耳が真っ赤になっている。

 

「安心なさい。私はここにいるわ」

 

 

おやすみ。そう声をかけて私も眠りにつく。そういえば、明日を思い描いて眠るのは久しぶりだと思い、私の意識は消えていった。

 

 

夏の朝は、涼しいと思っていたがそんなことはない。朝だというのに太陽の攻撃は強烈だ。私は暑さと重さに耐えかねて目を覚ます。

 

暑い。最初に感じたのがそれだ。冷房が切れたかと思ったが、冷房の音が聞こえるため違う。ならば、この暑さの原因はなんだ。横を見るとその原因が分かった。

 

「…初心な少年だと思ったけど、そうでもなかったみたいね」

 

私の右腕に抱きついて眠っている少年を見て言葉を零す。

 

「…うぅん」

 

私の動きに気づいて、少年も目を覚ます。薄っすらと開いた目が私を捉える。薄暗い月を想像させる目だった。

 

「おはようスケベな少年。割と大胆ね」

 

「…おはよう思わせぶりなおねーさん。…勇気に溢れてるって言ってほしい」

 

「これからは、許可なく異性に触れないことね。モテないわよ」

 

生意気な少年の頬を引っ張る。何が勇気か。別なところでその勇気を生かしなさいな。

 

「ほら、さっさと起きなさい。出かけるわよ」

 

「何処にいくの?」

 

私は起き上がり、カーテンを開ける。外には夏の景色が広がっている。

 

「…夏の思い出をつくりに」

 

どこかで聞いたことのある言葉を零しながら、少女は少年に微笑んだ。

 

 

さて、夏の思い出をつくるといっても私自身、夏の楽しいことななんて昨日体験したもの以外に知らない。

 

だからこそ、この古ぼけた海の家でかき氷を2人で食べているのだ。

 

「ねぇ、かき氷ってこんなところに来てまで食べるものなの?」

 

「さぁね。ただ、私はここで食べるかき氷が一番おいしいということを知っているだけよ」

 

というよりは、ここで食べたかき氷の味しか私は知らない。少なくとも、家で食べるよりは味があった。にしても、このレモン味というものは中々どうして癖になるわね。おにーさんが好きなのもよく分かる。

 

「麦わらの少年。本当に練乳はいらなかったの?」

 

「いい。俺は甘いというよりサッパリした味の方が好き。特に夏の間は」

 

「そう。なら、これも食べてみる?」

 

私は少年に向けてスプーンを差し出す。おそらく、少年の好みに合っているはずだ。

 

「…」

 

少年は私とかき氷を交互に眺める。何かを迷っているようにも見えた。溶けるともったいないので、少年の口にねじ込むようにスプーンを押し付ける。

 

「…人の好意は素直に受け取るべきよ」

 

「俺の気持ちも考えてほしい」

 

「…添い寝したのだから、間接キスぐらい今さらじゃない?」

 

「それとこれとは、受け止め方が違う」

 

「初心ね。ちゃんと噂通りのレモン味だったでしょ?」

 

「…人たらしなおねーさん」

 

「魅力あふれるおねーさんと呼びなさい」

 

 

…こんな事があったとしても少年の目は変わらない。心が動いていることは確かだが、それは一時的なものにすぎない。そう思わずにいられない。

 

ふと、私は自分の目元を触ってみた。私は少年と同じ目をしている。ならば、心が動いて、夏の思い出をつくろうとしている私の考えは一時的なものなのだろうか。そんなに軽く考えているものなのだろうか。

 

目を閉じる。瞼の裏には雲がかかった月が浮かぶ。きっと、私達の瞳なのだろう。これはこれで美しいと私は感じる。だが、なぜだろうか。どうしようもなく胸が締め付けられるのは。

 

『好きに生きるといい』

 

おにーさんの言葉が頭をめぐる。好きに生きることがこんなにも難しいことだとは思わなかった。いや、何もかも投げ出して、どこかに消えてしまおうと思った時も、どこかへに帰ろうとしたときも、何も分からなくなってしまったのだった。

 

このまま、分からなくなるのは嫌ね。

 

再び、私は思考の海に潜る。雲を晴らす…。この少年にとって、何が最適なのだろうか。夏の思い出をつくる事が雲を晴らすことにつながるのだろうか。考えが巡る。

 

「…雲は流れ、形を変える」

 

「おねーさん?」

 

私は呟く。

 

少年を私の人生に巻き込む。何のために?

 

雲を晴らすため?

 

私の枷をごまかすため?

 

おにーさんの言いつけを守るため?

 

いや…。

 

「遊ぶわよ。少年」

 

「へ?」

 

私が納得できるように。誰でもない…私自身が望むように。

 

「言ったでしょう?夏の思い出をつくるって。さぁ、まだやることは沢山あるわ」

 

私が覚えた遊びを周囲を巻き込んでやってみた。

 

ビーチバレー

 

砂遊び

 

棒倒し

 

スイカ割り

 

そんな遊びを繰り返して、時間が過ぎ去っていく。ただの遊びが、私にとって良いものだったのだろう。私は笑うことができていた。少年にとってもそうであることを祈るばかりだ。

 

「少年。楽しかった?」

 

「うん。楽しかったよ」

 

「それは良かった」

 

私は安堵した。このような遊び私はこの少年を現世に送り返すことにした。まだ、彼を待っている人がいるのだと気付いたからだ。

遠くで鯨が鳴く。それはまるで私たちを引き留めるかのような声だった。

 

それでも、私はこの少年を現世に返さなければならないと思っていたのだ。

 

この少年の目は私と同じだった。行き場を失い。何処に帰ればいいのかも分からなくなった迷子の目だ。まだ、戻れる。そう。戻れるのだ。

 

私のように裏切って裏切られた経験をしていない。もういいやと擦切っていない。放浪者になっていない。きっと、これは私のエゴなんだと思う。

 

その生き方がとても難しい事も辛い事もやめれない事も知っているからだ。それをこの少年に味合わせたくないという自分勝手な願いだ。無責任な私だけど、せめてこの世界に拠り所があるうちはそこにいた方が良い。汚れ切った現実を知るのはもう少し大人になってからでもいいはずだ。

 

そう言い聞かせていた。それが最善だと思っていた。だが、この場所は優しくも残酷だ。美しい風景に紛れて、鋭い牙を私たちに突き立ててくる。

 

駅に着いた。そこは来た時と変わらずに改札機があり、動く気配もない。

 

「麦わら帽子の少年。ここでお別れ。改札を通って元の世界に戻りな」

 

「でも、帰るところがないよ」

 

「いいえ。君にはあるはずよ。よく思い出して」

 

「思い出したくない。ここに…おねーさんと居たいよ…」

 

「…うれしいけど、もう少し大人になってからナンパしなさい。迷子の少年」

 

「ここにいれるなら、子供のままでもいいよ。おねーさん」

 

少年は私を見る。かつての私と同じ目で。

 

「なぜ、おねーさんは俺を現世に戻そうとするの?」

 

「…それは…」

 

「おねーさんの都合?」

 

「…そうね。少年の言う通りよ。でもね、ここにずっとはいられない。貴方も気付いているでしょう?」

 

「…」

 

「君と離れるのは不安だ。君は私によく似ているから」

 

「…理由は教えてくれないんだね」

 

「もう少し大人になってから」

 

「大人になるって何?」

 

「心が汚れることよ」

 

「なりたくない」

 

「案外、悪くないわよ。悪だくみが上手くなるわ」

 

「それはいいね」

 

「でしょう」

 

そう言って、私たちは笑い合った。湿っぽいのは好きじゃない。

 

「また、会える?」

 

「きっとね」

 

「電車が来るまで手を握ってて」

 

「そうね。そうしましょうか…甘えん坊な少年」

 

「勇気溢れる少年と呼んでほしいな。不思議なおねーさん」

 

改札口に歩を進める。

 

手が離れる。

 

少年は改札を通ることができなかった。

 

いつの間にか少年は消えていた。

 

おにーさんのように陽炎のように消えてしまった。

 

また、私は選択を間違えてしまったのだろうか。

 

「どこに…!」

 

「こっちのどこかにいるよ」

 

いつの間にか窓口にいた駅員が言う。

 

「…消えてはいない。ただ、はじかれただけだ」

 

「…なら、なぜ彼は改札を通れないの」

 

「繋がりって?」

 

「何でもいい。家族でも、友達でも…本人が大切だと感じている繋がりがあればいい」

 

「あの少年は…」

 

「見ての通りだ。繋がりがない。もしくは失った繋がりばかりを握っている。」

 

駅員は遠くを見つめながら、呟く。その姿は少し寂しそうに見えた。

 

「何人も同じ人間を見てきた。探して、旅をして、結局失ったまま…ここに呼ばれてしまった人々を。あの少年はどうなのだろうか。彼もまた、迷子の少年だ。」

 

「どうすればいい?」

 

私は駅員の目を見た。駅員は私の目を見た。

 

「君もまた同じだ。そんな目をしている。繋がりあるようだがな」

 

「…私にそんなもの…」

 

「ある」

 

力強い声に私は驚く。

 

「君はここにいる。繋がりもある。辛いかもしれないが思い出すと良い」

 

「…それが、あの少年を救う事につながるの?」

 

「さぁの。ただ、鍵は君が握っている」

 

「早くあの少年探しに行くといい。きっと泣いている」

 

「そこまで弱くないでしょう?」

 

「心まではそうはいかん」

 

「…」

 

「あの少年も君も同じだ。少し話をしてもいいのかもね」

 

「そうしてみるわ」

 

駅を出て、走り出す。少年を探す。駅員はすぐに見つかると言ったが、彼の姿が見当たらない。時間だけが過ぎ去っていく。どうしようもないほどに辛い時間だった。あたりは黄昏時になって、薄暗くなって来ていた。

 

少年は海辺の砂浜に座ったまま透明な鯨を見ていた。

 

「やっと見つけた。…かくれんぼが得意なのね。麦わら帽子の少年」

 

私は少年の隣に座る。目線は未だに空の上だ。

 

「透明人間の気分になっていただけだよ」

 

「私に見つかったから君は準透明人間だね」

「おねーさんは何で僕が見えるの?」

 

「どうにも私は消えてしまいそうな人間を見つけるのが得意みたいでね」

 

君で3人目だ。そんな言葉を飲み込む。

 

「僕には…帰る場所がない」

 

「うん」

 

「それでも、この帽子を被って外を歩いたら、見つけてくれるはずなんだ。何度もそうしてくれたように」

 

少年の独白を私は黙って聞く。例え、その目がより深い黒に染まってしまっても。

 

「誰もいないことなんて、分かっているんだ。それでも…」

 

「手放せないのよね」

 

少年はこちらを向く。酷い顔だ。涙なんて君には似合わないでしょうに。

 

少年の手を取る。

 

「元気がないわね。少年。遊び疲れたかしら?」

 

「元気…あるわけないでしょ。空気が読めないおねーさん」

 

「暗くなってきて、もう黄昏時だ。」

 

「黄昏時は特別な時間。特別な話をしようか」

 

この様な結果になってしまってもしょうがなかったのだろう。私は少年の手を離さないように強く握る。少年からも握り返してくれる感覚だけが私の心を奮い立たせてくれる。

 

「さて、少し昔話をしましょうか」

 

「こんな時に?」

 

「君が話してくれたからね。これでおあいこ」

 

さて、どこから話しましょうか。そうね。まずは、コレかしら。

 

ある少女は裕福な家庭に産まれました。その家は男女ともに代々とても優秀な業績を残してきました。

 

少女も例にもれず、そのように教育されました。そうあるべきとされてきました。父を顔はよくわかりません。世界中を飛び回っているので、見る機会がめったにないからです。母は良く知っています。私を指導してくれる人でした。

ふと目にした家族の様子や学校で聞く話と私の家族はどうも違っていたようでした。

 

少女はふと思いました。本で読んだ愛はどこにあるのだろうかと。形として残っているものはありませんでした。物ではないなら言葉はどうでしょうか。駄目です。優秀な頭脳を使って記憶を遡ってもそんな言葉はどこにもありませんでした。

 

唯一性はどうでしょうか。少女という存在はただの一人しかいません。それは間違いないでしょう。

 

「お前の代わりなどいくらでもいる」

 

そんな言葉が少女に重く響きました。その声は少女の心を貫きました。

 

では愛着はどうでしょうか。どんな扱いでも、道具であっても愛着があれば少女はそれで満足でした。何故なら、そこには愛があったからです。それ程までに愛を知り、その身に受けたかったのです。

 

「面倒だな。ほら」

 

軽く投げ渡されたのはロザリオのネックレス私はそれを見て呆然としました。

 

「お前と私の愛だ。お前はその程度でいい」

 

どうやら、渡されたロザリオが愛らしいです。道具に対する愛情にしても、少し酷いと思いますけどね。ですが、少女は喜びました。愛が手に入ったのですから。何処まで行っても哀れな道具に過ぎない少女でした。

 

「お前は用済みだ」

 

そんな言葉で私は幽閉されました。恐らくは、私の存在が邪魔になったのでしょう。仲が良かった使用人が教えてくれました。もう、私はどうでもいい存在なのでしょう。それでも、私はロザリオを手放さずにいました。

 

ある日、仲の良かった使用人が私をこの家から逃がしてくれました。彼

 

女曰く、この家は普通のじゃない。普通の幸せや愛を見つけなさいとそう言っていました。

 

彼女はどうなったか?炎の中に消えていってしまったので、彼女のことは分かりません。

 

後、何故、ボロボロになってまで私にロザリオを付けたのか分からなかったのです。

 

「それから、少女は色々な事を知り、経験しました」

 

「綺麗なものも薄汚いことも清濁併せ吞みながら、成長しました」

 

「その結果、帰る場所を失い、行き場もない迷子がうまれましたとさ」

 

「おしまい」

 

「…そんな話を聞かせて、どうしろっていうのさ」

 

「どうもしないよ。ただ、聞いてほしかっただけ」

 

「同情はしないよ」

 

「大人ね。君はまだ、戻れるわ」

 

少年の目が見開く。

 

「だって、君は正しく愛されていたもの」

 

駅に戻る。あたりはすっかりと暗くなっていた。

 

少年の首にロザリオをかける。

 

「これで通れるはずよ」

 

「おねーさんはいいの?」

 

「私には、必要なくなったものだしね。大丈夫だよ」

 

「…これと交換…」

 

少年は麦わら帽子を差し出す。

 

「いいの?それはお爺さんの…」

 

「だからだよ。必ず返しに行くからそれまで持ってて」

 

「海賊王にでもなる気?」

 

そう言って笑った。

 

「絶対に返しに行くから!」

 

「はいはい」

 

「…これから先の楽しみができた。ありがとう。少年」

 

もうあたりは、暗くなっている。だというのに、少年は眩しそうに目を細めていた。

 

少年が改札を通り抜ける。

 

私の足元が薄くなる。

 

そのまま振り返らないことを祈るけど、それは叶わないみたい。

 

「少年!楽しかったわ」

 

またね。は言えなかった。私は少年の前から姿を消した

 

「ロザリオの少年。今日は8月16日だ。この日を…夏の思い出を忘れるなよ」

 

準透明なおにーさんからの伝言だ。

 

少年はその声を心に刻み、電車へと歩いて行った。

 

 

鯨が鳴いている。相も変わらず気持ち良さそうに空を泳いでいる。

少女は海にいた。そこに還るべき場所であるとそういうように目の前に蹴り出された気分だ。彼は上手く帰ることができただろうか。にしても、日差しが強い。いつの間にか時間がたち、太陽がまた顔を出し始めた。

 

砂浜でただ、波を見ている。意味もなく、音とともに流れていく時間を感じながら。

 

「よう。自分らしく生きれたか?麦わら帽子の少女よ」

 

「…今更出てきて何の用ですか。幽霊のおにーさん」

 

だが、やっと見つける事ができた。この迷子の少女を。

 

「迷子を捜すのは難しい。遠回りを何度もしてしまった」

 

「珍しく同意見ですね。送り出してもいいのか最後まで分かりませんでしたが」

 

「自分の意志を通せたのだろう?なら、自分らしいじゃないか」

 

「そうだと、いいわね…」

 

そう言い、彼女は深く麦わら帽子を被る。

 

「…はぁ…まったく、ナイーブな少女になってしまったものだ」

 

「…髪飾りずれてるぞ」

 

「え」

 

「直してやるから立て」

 

「珍しいこともあるものですね。奥手なおにーさんがこんなにも大胆になるなんて」

 

少女は言われるままに立つ。

 

「いつの間にか、背も抜かしていたんだったな」

「それは最初からでしょうに。暑さで頭がやられましたか?」

 

「…そら、こんなでかい麦わら帽子はお前には似合わん」

 

「うるさいですね。美少女には何でも似合うのですよ」

 

「君にはこっちの方が似合う」

 

麦わら帽子を外し、ずっと付けていた装飾品を彼女の首に飾る。

 

麦わら帽子を被り、少女から離れる。さて、このまま駅に向かうとしますか。

 

背中からの衝撃でその考えは打ち砕かれた。

 

「…どう…じて…」

 

涙ながらに少女は言葉をこぼす。

 

「夏の思い出を見るためだ」

 

俺は振り返る。そこには俺が望んだ景色があった。

 

「俺のそばに居ろ。離れるな。俺が…君の居場所になってやる」

 

「……告白の言葉にしては…重すぎますね…」

 

涙を拭きながら彼女は答える。

 

「そうした方がどこかに行かないだろ。」

 

「そう。そうね。」

 

そう言って、迷子だった少女を連れて俺は帰ることにした。

 

ある夏の日差しが強い日のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ネタバレ注意









壮大なおねショタを書きたかった。

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