機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~ 作:NageT
リボーンコロニーの商業区は、昼を少し過ぎた頃から一段と人通りが増えていた。
通り沿いには衣料品店や食料品店、生活雑貨を扱う店が並び、少し奥へ入れば船舶用部品や工業製品を扱う専門店もある。買い物袋を提げた家族連れや、学校帰りらしい学生達が行き交い、広場では老人達がベンチに腰掛けて世間話をしていた。
地球連邦とコロニー国家連合の緊張を伝えるニュースは、この街にも当然届いている。
それでも、ここにあるのは戦争とは縁遠い、穏やかな日常だった。
その中を、ジーナ=メイガスはグレアー、おやっさん、数名のベルーガクルーと共に歩いていた。
「それじゃあ、あっしは食料品と船の備品を見てきやす。」
グレアーが端末に表示された買い出しリストへ目を落としながら言う。
「おやっさんは予定通り機械部品ですかい?」
「ああ。ダウトの修理は終わってるが、闇試合で予備まで随分使っちまった。次にいつまともな店へ寄れるかも分からねぇし、買える時に買っとく。」
おやっさんはそう答えると、通りの向こうに見える工業用品店へ視線を向けた。
ジーナも自分の端末を確認する。
そこには他の者達とは明らかに違う内容が並んでいた。
衣類。
下着。
洗面用品。
タオル。
髪を整えるための道具。
肌の手入れに使う物。
その他、ノンがベルーガで生活していく上で必要になる日用品の数々。
「では、私はお嬢様の身の回りの物を揃えて参ります。」
淡々と告げるジーナに、おやっさんが片眉を上げた。
「おい、メイド長。」
「はい。」
「必要だからって、あんまり買い込み過ぎんなよ。」
「必要な物を、必要な分だけ購入いたします。」
「……その言い方する奴が一番信用ならねぇんだよな。」
「どういう意味でしょうか。」
「いや、いい。」
おやっさんは早々に諦めた。
グレアーが苦笑しながら二人の間へ入る。
「予定通り、三時間半後に中央広場の時計塔前で合流しやしょう。坊主とお嬢も取材が終わり次第、そこへ来ることになってやす。」
「承知しました。」
「何かあったらすぐ連絡を。ここは中立コロニーとはいえ、あっしらはナガオカ屋として入ってる身ですからね。」
その言葉に全員が頷いた。
ケン達が取材をしている間も、こちらはこちらで余計な騒ぎを起こすわけにはいかない。
「では後ほど。」
ジーナは軽く一礼すると、グレアー達と別れて一人、衣料品店の並ぶ通りへ向かった。
店内へ入ると、柔らかな照明の下に様々な服が並んでいた。
ジーナは迷いなく若い女性向けの区画へ進んだものの、最初の一着を手に取ってから、思いのほか長い時間その場に留まることになった。
淡い色合いの上着を広げ、ノンが袖を通した姿を頭の中で想像する。
色そのものは悪くない。
だが、少し細身に作られている。取材で長時間歩くことを考えれば、肩回りにもう少し余裕があった方がいいだろう。
棚へ戻し、今度は隣に掛けられていた別の上着へ手を伸ばす。
こちらは動きやすそうだが、少々地味過ぎる。
「……。」
さらに別の一着。
それも違う。
気付けば、同じ区画を何度も行き来していた。
「あの……。」
後ろから声を掛けられ、ジーナが振り向く。
店員の若い女性が、少し遠慮がちに立っていた。
「お探し物、お手伝いしましょうか?」
「問題ございません。」
「そうですか……。」
店員が離れようとしたところで、ジーナは一瞬考え直した。
「ですが。」
「はい?」
「十代後半の女性が普段使いするのであれば、こちらとこちらでは、どちらがよろしいでしょうか。」
「え?」
突然具体的な相談を受けた店員が目を瞬く。
ジーナは二着の上着を並べながら続けた。
「着用される方は細身です。活動的ではございますが、少々無茶をなさる傾向がありますので、動きやすさも重要かと。」
「なるほど。」
「加えて、本人はあまり気になさっておりませんが、非常に整った容姿をしております。その点を損なわず、それでいて目立ち過ぎない物がよろしいかと。」
店員が少し笑った。
「すごく大切な方なんですね。」
「当然でございます。」
返事は即答だった。
店員は少し驚いたようだったが、すぐに二着を見比べる。
「だったら、こっちの方がいいと思います。動きやすいですし、別の服にも合わせやすいですよ。」
「では、こちらを。」
「サイズは分かりますか?」
「はい。」
「即答なんですね……。」
「把握しておりますので。」
ジーナにとっては、何を驚かれているのか分からなかった。
会計を待つ間、ふと視界の端に赤い上着が入る。
鮮やかな赤。
ジーナは一度だけ手を伸ばしかけ、そこで止めた。
「……赤は、もう十分でございますね。」
「え?」
「いえ。何でもございません。」
頭に浮かんだのは、赤いパーカーのフードを深く被り、カメラの前に立つノンの姿だった。
赤ずきん。
あの名を初めて聞いた時には、もっと他に何かなかったのでしょうかと思ったものだが、今となっては随分馴染んでいる。
何より。
あれはノン自身が選び取った道の象徴でもあった。
戦争を止めたい。
自分も何かをしたい。
そう言って、ノンは自らカメラの前へ立つことを決めた。
ジーナはそれを止めなかった。
危険だと思わなかったわけではない。
むしろ、出来ることならベルーガの安全な場所から一歩も出てほしくない。
けれど。
それでは駄目なのだ。
そのことをジーナは、ずっと昔から知っていた。
衣料品店を出たあと、次に入った生活雑貨店で髪を整えるためのブラシを手に取った時。
昔の記憶が、ふいに蘇った。
まだジーナが「メイド長」と呼ばれる遥か以前。
幼い頃から、彼女の将来はほとんど決められていた。
ジーナの母は、カノンの母親に仕えていた。
そのため娘であるジーナもまた、いずれはカノンの側仕えとなるべく育てられていた。
『ジーナ。きちんと覚えておきなさい。将来、あなたはカノン様にお仕えするのですよ。』
『……はい。』
『カノン様のお側に立つ者として、恥ずかしくない人間にならなければなりません。』
礼儀作法を学んだ。
掃除。
料理。
衣服の手入れ。
身の回りの世話。
そして、万が一の時に主を守るための護身術まで。
母は厳しかった。
何を教える時にも、決まって最後にはカノンの名前が出た。
カノン様のため。
カノン様がお困りにならないように。
カノン様に恥をかかせないように。
それが仕事だということくらい、幼いジーナにも理解は出来た。
けれど。
理解出来ることと、納得出来ることは別だった。
自分の母親なのに。
どうして口を開けば他人の娘の名前ばかりなのだろう。
どうして自分の人生まで、その子のために決められなければならないのだろう。
胸の奥に生まれた小さな不満は、いつしか嫉妬へと変わっていった。
『ジーナ!』
幼いカノンは、そんなジーナの気持ちなど何も知らず、いつも楽しそうに彼女を追い掛けてきた。
『一緒に遊ぼう!』
『私は遊び相手ではございません。』
『でもジーナと遊びたい。』
『他の方をお呼びいたします。』
『ジーナがいい!』
『……。』
どうして自分なのか。
ジーナには分からなかった。
愛想良く接しているわけでもない。
むしろ必要なこと以外は極力話さず、あくまで側仕えとして形式的に接していた。
それでもカノンは懲りずに話しかけてきた。
母からあれほど大切にされ。
周囲からも可愛がられている少女。
幼いジーナにとって、それは余計に面白くなかった。
そして。
ある日。
その感情が取り返しのつかないことになりかけた。
屋敷の庭で、カノンの世話を任されていた時だった。
幼いカノンは好奇心のまま、庭に設けられていた少し高い場所へ登ろうとしていた。
『カノン様。危険ですのでお降りください。』
『大丈夫だよ!』
本来なら。
ジーナはすぐに止めるべきだった。
腕を取ってでも降ろすべきだった。
それが、自分の役目だった。
けれどその時。
胸の奥にあった幼い嫉妬が、ほんの一瞬だけ勝った。
いつもカノン様。
いつもカノン様。
少しくらい。
自分の好きにすればいい。
そんな考えが頭を過った。
『カノン様。』
もう一度だけ形式的に声を掛けたあと、ジーナは目を離した。
直後だった。
『きゃっ!』
小さな悲鳴と、何かが落ちる音。
振り返った時には、カノンが地面に倒れていた。
『カノン様!』
頭の中から嫉妬も不満も一瞬で消え去った。
ジーナは駆け寄り、幼いカノンを抱き起こした。
額から血が流れていた。
腕にも擦り傷がある。
『……痛い。』
『カノン様……!』
幸い、大きな怪我ではなかった。
額を切り、腕を擦りむいただけ。
それでも。
あの時感じた恐怖を、ジーナは今でも忘れていない。
もし。
もう少し打ち所が悪かったら。
もし。
あと少し高い場所から落ちていたら。
すべて。
自分のせいだった。
当然。
母から厳しく叱責された。
『ジーナ! あなたは何をしていたのです!』
『……申し訳ございません。』
『カノン様のお側にいながら、お怪我をさせるなど! あなたには何度言えば――』
『違うの!』
その声に。
ジーナも母も振り向いた。
額に小さな包帯を巻いたカノンが立っていた。
『カノン様。』
『ジーナは悪くないの!』
『しかし――』
『私が勝手に登ったの!』
カノンは必死だった。
『ジーナはやめてって言ったのに、私が聞かなかったの! だからジーナを怒らないで!』
ジーナは何も言えなかった。
確かに、一度は止めた。
だが。
それだけだった。
本気で守ろうとしなかった。
それを一番よく分かっているのは、自分自身だった。
なのに。
どうしてこの少女は、自分を庇うのか。
その日の夜。
ジーナは一人でカノンの部屋を訪れた。
『カノン様。』
『ジーナ?』
ベッドの上で本を眺めていたカノンが顔を上げる。
額の包帯を見るだけで、胸の奥が締め付けられた。
『……どうして。』
『ん?』
『どうして、私を庇ったのですか?』
カノンは不思議そうに首を傾げた。
『どうしてって?』
『私は……カノン様をきちんと見ておりませんでした。』
ジーナは俯く。
『私が悪いのです。』
声が震えた。
『それなのに、どうして……。』
カノンは少しだけ考えてから。
まるで当たり前のことのように答えた。
『だって、ジーナが怒られるの嫌だったから。』
『……。』
『ジーナ、いつも一緒にいてくれるでしょ?』
『それは、私の役目ですので……。』
『でも私は嬉しいよ。』
カノンは笑った。
『だからジーナが怒られるの嫌。』
それだけだった。
難しい理由など何もなかった。
自分はこの少女に嫉妬していた。
自分の母親を取られているように感じていた。
自分の人生まで、この少女のために決められていると思っていた。
それなのに。
カノンは。
そんな自分が怒られるのが嫌だからという、それだけの理由で庇った。
その瞬間。
ジーナの中で。
母から教えられてきた「カノン様に仕える」という言葉の意味が、初めて変わった。
母に言われたからではない。
決められていたからでもない。
ジーナ自身が。
この少女を守りたいと思った。
『……申し訳ございませんでした。』
『ジーナ?』
ジーナは頭を下げる。
『カノン様。』
そして。
顔を上げた。
『これからは、絶対にカノン様をお守りいたします。』
幼いカノンは目を丸くしたあと。
すぐにいつもの笑顔へ戻った。
『うん!』
それから、何の重みも理解していないような顔で続けた。
『じゃあ明日も一緒に遊ぼうね、ジーナ!』
『……。』
ジーナは僅かに困ったように黙り。
やがて。
『はい。』
初めて。
心から笑って答えた。
「……。」
ジーナはブラシを手にしたまま、静かに目を細めた。
あれから随分長い時間が経った。
カノンは成長し。
今ではノンと名乗り、地球連邦からも離れ、自分自身の意思で戦争を止めようとしている。
幼い頃のように、危険な場所から抱き上げて連れ戻すわけにはいかない。
今のノンには。
自分で選んだ道がある。
「……昔から、言うことを聞いてくださらないところは変わりませんね。」
「誰の話かしら?」
突然横から声を掛けられ、ジーナが振り向いた。
一人の老婦人が買い物籠を手に立っていた。
「失礼。独り言が聞こえてしまって。」
「いえ。」
ジーナは軽く頭を下げる。
「お気になさらず。」
老婦人はジーナの籠を見た。
若い女性向けの洗面用品や衣類が並んでいる。
「あら。娘さんのお買い物?」
「いいえ。」
ジーナは即答した。
「違うの?」
「はい。私がお仕えしている方の物でございます。」
「まあ。」
老婦人は少し驚いたあと、柔らかく笑った。
「今時珍しいのね。若い方?」
「はい。」
「ずいぶん大切にしてるみたい。」
ジーナは、ほんの少しだけ答えるまでに間を置いた。
幼い日のカノン。
傷を負いながら、それでも自分を庇ってくれた少女。
そして今。
赤いフードを被り、自分の意思で前へ進もうとしているノン。
「……はい。」
ジーナの声は静かだった。
「私にとって、とても大切な方です。」
老婦人は嬉しそうに頷く。
「そう。」
そして棚の一角を見て、小さな髪飾りを手に取った。
「じゃあ、こういうのはどう?」
ジーナも見る。
派手ではないが、少し可愛らしい意匠が入っている。
「……。」
「あら、好みじゃない?」
「いえ。」
ノンが身に着けている姿を想像する。
「恐らく最初は嫌がられるかと。」
「ふふっ。」
「ですが、最終的にはお使いいただけると思います。」
「本当によく分かってるのね。」
「長い付き合いでございますので。」
「きっとその子も、あなたのことが大好きなのね。」
その言葉に。
ジーナは珍しく返答を迷った。
「……どうでしょうか。」
「あら。」
「私は、お仕えしているだけでございます。」
老婦人は少し笑う。
「そういうことにしておきましょうか。」
「……。」
何故か見透かされたような気がした。
ジーナは小さく頭を下げる。
「参考になりました。ありがとうございます。」
「どういたしまして。」
老婦人は笑いながら手を振り、別の棚へ歩いていった。
ジーナは手に残った髪飾りをしばらく見つめたあと。
静かに買い物籠へ入れた。
それからさらに数十分。
必要な物を一通り揃え終えたジーナは、両手に幾つもの紙袋を提げて店を出た。
予定していた合流時間までもう僅かだった。
中央広場へ向かう道を歩きながら、改めて荷物を確認する。
衣類。
下着。
洗面用品。
タオル。
化粧品。
髪用品。
予備。
さらに予備。
そして、予定になかった髪飾り。
「……。」
一瞬だけ。
買い過ぎたかもしれないという考えが頭をよぎった。
しかし。
「どれも必要な物でございます。」
自分自身へ言い聞かせるように呟き、そのまま歩き続ける。
中央広場の時計塔が見えてきた。
その下には。
既にグレアーと、おやっさん達の姿があった。
グレアーは端末を操作しながら、買い出しを終えたクルー達が持ち寄った物資を確認している。
「食料はこれで問題なし。船の消耗品も一通り揃いやしたね。」
「機械部品も使えそうなのは押さえたぞ。」
おやっさんが答えたところで。
こちらへ歩いてくるジーナに気付いた。
「……おい。」
ジーナが足を止める。
「はい?」
おやっさんの視線は、ジーナ本人ではなく。
その両手いっぱいの買い物袋へ向けられていた。
「なんだその量。」
「お嬢様に必要な物でございます。」
「やっぱり買い過ぎてるじゃねぇかよ!」
広場に、おやっさんの声が響いた。
周囲のクルー達が思わず振り向く。
「買い過ぎではございません。」
「どこがだ! 行く前に俺が何て言った!」
「必要な物を必要な分だけ購入すると申し上げました。」
「その結果がそれかよ!」
「はい。」
「堂々と言うな!」
グレアーが横から袋の数を眺め、肩を揺らした。
「いやぁ、随分と“必要な分”が多かったようで。」
「今後いつ補給の機会があるか分かりませんので、余裕を持って購入しただけです。」
「おいメイド長。」
「はい。」
おやっさんが袋の一つから僅かに覗いている髪飾りを指差した。
「それも必要品か?」
「はい。」
「絶対違うだろ。」
「お嬢様がお使いになられる可能性がございますので。」
「可能性じゃねぇか!」
「必要性は十分にございます。」
「どういう理屈だよ!」
珍しくおやっさんが完全に押されている。
グレアーはそんな二人を横目に端末を確認した。
「まぁ、支払いは予算内に収まってるみたいですし、いいんじゃないですかね。」
「お前まで甘やかすな!」
「お嬢のもんですからねぇ。メイド長に任せるしかないでしょう。」
「だからってこの量は――」
まだ何か言おうとするおやっさんを無視し、ジーナは周囲を見回した。
「ところで。」
声の調子が少し変わる。
「お嬢様はまだお戻りでは?」
「坊主と一緒に取材中です。」
グレアーが答える。
「予定では、そろそろ切り上げてこっちへ向かってくる頃ですな。」
「そうですか。」
ジーナは短く答えた。
顔には出ていない。
けれど。
ほんの少しだけ。
肩の力が抜けたようにも見えた。
おやっさんはそれに気付いたのか、何も言わず鼻を鳴らした。
「ま、坊主も一緒なんだ。そうそう妙なことにはならんだろ。」
「……。」
ジーナが無言でおやっさんを見る。
「なんだよ。」
「その言葉が、不安を増しております。」
「なんでだ!」
グレアーがとうとう吹き出した。
「ははっ。まぁ坊主ですからねぇ。」
「お前まで何なんだよ!」
ジーナは両手いっぱいの袋を持ったまま、静かに時計塔を見上げる。
まだ。
この時の彼女達は知らなかった。
少し離れた場所で取材を続けるケンとノンが。
そして。
この平和なリボーンコロニーそのものが。
間もなく大きな騒動へ巻き込まれることになるなど。
何も知らないまま。
ジーナはただ。
ノンへ渡すために選んだ小さな髪飾りが入った袋を、大切そうに持ち直していた。
好きなキャラクター
-
ケン=大神
-
ノン=レッドフード
-
グレアー=アイズ
-
ヤスシ=ロックブック(おやっさん)
-
ジーナ=メイガス(メイド長)
-
ナーベル=シーマ
-
オーガ=ワーイック
-
ザーク
-
ドン・カストロ
-
切り裂きシャックス
-
ジャンク屋の親父
-
ケンケンちゃんネルに最初に登録した少女
-
ベルーガのクルー一同
-
今後のキャラに期待
-
作者NageT