機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~ 作:NageT
ベルーガは、地球へ向けて航行を続けていた。
月周辺では今も、地球連邦軍とコロニー国家連合軍の艦隊が互いを牽制し合っている。その只中を抜けるような真似はせず、ベルーガは大きく外側へ迂回する航路を取っていた。
当然、その分だけ時間は掛かる。
けれど今のところ、目立った妨害もない。
昨日は緊急Liveで世界中から意見を拾い、地球へ向かうことまで公表した。その反響はまだ続いているものの、艦内そのものは久しぶりに静かな時間を取り戻していた。
とはいえ。
ケンだけは、少し前から落ち着きがなかった。
「……まだ?」
ブリッジ前方の大型モニターを見つめながら、何度目かも分からない言葉を口にする。
航路確認をしていたグレアーが、端末から顔を上げた。
「何がでやす?」
「地球。」
「何度聞くんでやすか。」
「だって全然見えないじゃん。」
「観測機器にはとっくに映ってやすよ。」
「そういうのじゃなくて。」
ケンはモニターの向こうに広がる星空を指差す。
「こう……見た瞬間に『地球だ!』ってなるくらいのやつ。」
「坊主、完全に観光客でやすね。」
「初めてなんだから仕方ないだろ!」
後ろから、ノンの声が飛んでくる。
「地球は逃げないわよ。」
ケンが振り返った。
「ノンはそう言えるよ。地球に住んでたんだから。」
「まあ、それはそうだけど。」
「俺は映像でしか見たことないんだって。」
ケンは少し身を乗り出しながら続ける。
「本物の空とか、本物の海とか、本物の地面とかさ。」
「地面まで本物って言い方する?」
「コロニーだって地面は地面だけど、なんか違うじゃん!」
ノンは呆れたように息を吐いたが、少しだけ口元が緩んでいた。
「そんなに楽しみなら、着くまで体力残しておきなさいよ。」
「重力?」
「それもあるわね。」
「またそれ言う!」
ケンが不満そうに返す。
そんなやり取りの横で、グレアーだけは表情を崩していなかった。
ベルーガが進んでいるのは、もう地球連邦の勢力圏に近い。
月方面ほど軍艦が密集しているわけではないが、地球外縁には当然、監視施設や哨戒艦が配置されている。
まして今は、月周辺で両陣営の艦隊が睨み合っている最中だ。
普段より警戒が強まっていて当然だった。
「そろそろでやすね。」
グレアーが呟く。
ケンがすぐに反応した。
「地球見える?」
「そっちじゃありやせん。」
「違うの?」
「地球圏外縁の監視域でやす。」
大型モニターに航路図が表示される。
ベルーガの現在位置。
その先に広がる地球圏。
さらに、周辺を巡回している連邦軍の哨戒艦や監視拠点の位置。
ケンの浮かれた顔が少しだけ引き締まった。
「……これ、避けて通れないの?」
「ベルーガは大型艦でやす。」
グレアーが肩をすくめる。
「小型船みたいに隠れて入り込める大きさじゃありやせんよ。」
「じゃあ見つかったらどうするの?」
「見つかったら、その時考えやす。」
「いや今考えてよ!」
「そんな焦らんでも大丈夫でやす。」
「俺、国際指名手配されてるんだけど!」
「知ってやす。」
「知ってて大丈夫って言えるの!?」
ノンが横からグレアーを見る。
「何か手があるんでしょ。」
「一応。」
「その“一応”やめてくれない?」
ケンが不安そうな顔をした、その時だった。
ブリッジに短い電子音が響く。
通信士がすぐに端末へ向き直った。
「前方より通信。識別要求です。」
ケンの表情から一気に軽さが消える。
「……早くない?」
「噂をすれば、でやすね。」
グレアーが立ち上がった。
大型モニターの一部に通信回線が開く。
『前方を航行中の大型艦へ告ぐ。こちら地球連邦軍地球圏外縁警戒部隊。所属及び航行目的を明示せよ。』
声は事務的だった。
敵意があるわけではない。
ただし、無視して進めるような雰囲気でもなかった。
ケンは反射的にグレアーを見る。
「どうすんの?」
「まあまあ。」
いつも通りの軽い返事。
それからグレアーは通信卓へ座り、手元の端末を接続する。
ノンが僅かに目を細めた。
「グレアー。」
「任せてくだせぇ、お嬢。」
そう答えた直後だった。
グレアーの雰囲気が変わる。
背筋が伸びた。
肩の力は抜けているのに、どこか隙がない。
普段の飄々とした表情も消えた。
そして通信を開く。
「こちら地球連邦軍特務艦ベルーガ。」
ケンが目を瞬いた。
声まで違って聞こえた。
いつもの訛りは影を潜め、落ち着いた軍人らしい口調になっている。
「グレアー=アイズ中佐である。」
ケンの視線がさらに鋭くなる。
「現在、本艦は機密行動中につき、任務内容について申し上げることは出来ない。」
グレアーは手元の端末を操作した。
「これより軍籍情報及び識別IDを送信する。照合の上、通過許可を願いたい。」
データが送られる。
回線が一旦静かになった。
照合作業中を示す表示だけが点滅している。
数十秒。
ほんのそれだけの時間だった。
けれどケンには妙に長く感じられた。
もしここで弾かれたらどうなる。
グレアーの軍籍が失効していたら。
ベルーガについて詳しく調べられたら。
ダウトまで確認されたら。
そんな考えばかりが次々と浮かんでくる。
隣を見ると、ノンも何も言わず正面を見ていた。
グレアーだけが、変わらず静かに待っている。
やがて通信が戻った。
『……照合完了。』
ケンの肩が僅かに跳ねる。
『地球連邦軍中佐、グレアー=アイズ。識別ID一致。』
少し間が空く。
そして。
『中佐!?』
明らかに向こうの声色が変わった。
『はっ、失礼致しました!』
ケンが思わずグレアーを見る。
『特務艦ベルーガ、通過を許可します。機密行動中とは知らず、御無礼を。』
「任務である。気にする必要はない。」
グレアーは最後まで崩さない。
「協力に感謝する。」
『はっ! 任務の御無事を!』
通信が終了した。
回線が閉じる。
そのまま数秒。
ブリッジには妙な沈黙が残った。
「……。」
「……。」
グレアーがゆっくりと背もたれへ身体を預ける。
それから。
「いや〜……。」
声がいつものものへ戻った。
「まだIDは生きてるみたいでやすねぇ。」
ケンが即座に振り返った。
「戻った。」
「何がでやす?」
「今の人どこ行ったの?」
「今の人?」
「『グレアー=アイズ中佐である』って言ってた人!」
ケンが妙に渋い声を作って真似する。
「似てないでやす。」
「いや、そこじゃなくて!」
グレアーは端末を外しながら肩を回した。
「軍人には軍人の喋り方ってもんがあるんでやす。」
「普段からそれで喋ったら?」
「疲れるから嫌でやす。」
「そこなんだ……。」
ノンが横から尋ねる。
「でも、本当にまだ使えたのね。」
「そのようでやす。」
グレアーは笑っている。
「いや〜、さすがに照会終わるまではヒヤヒヤでやしたけど。」
「もう軍籍無効にされてると思ってた?」
「それもあり得やしたからね。」
グレアーは軽く肩をすくめる。
「まあ、次も同じ手が通用するとは限りやせん。」
「今回は現場の照会だけで済みやしたが、別の場所じゃ上まで確認取られるかもしれやせんし。」
少しだけ間を置いて。
「とりあえず、ここはなんとかなりやしたね。」
「……へぇ。」
ケンがまじまじとグレアーを見る。
「何でやす?」
「いや。」
ケンは妙に感心した顔で言った。
「オッサンって、ちゃんと軍人だったんだな。」
グレアーの動きが止まる。
「誰がオッサンでやすか!」
ブリッジ中に声が響いた。
「え?」
「え、じゃありやせん!」
グレアーがケンへ向き直る。
「あっしはまだ三十八でやす!」
「三十八……。」
ケンが少し考える。
「やっぱオッサンじゃない?」
「坊主ぅ!」
「三十八はもうおじさんよ。」
ノンがさらりと加える。
グレアーが勢いよく振り向いた。
「お嬢まで〜!?」
「何よ。」
「そこはフォローするところでやしょう!」
「何を?」
「まだ若いって!」
「三十八で?」
「お嬢!?」
ケンが笑いを堪えながら、今度は少し離れたところに立つメイド長へ視線を向ける。
「メイド長は?」
突然振られたメイド長は、一瞬だけ考えるような間を置いた。
「私は発言を控えさせていただきます。」
「メイド長まで逃げやした!」
今度こそケンが吹き出した。
ノンも小さく笑っている。
ほんの少し前まで通信一つで張り詰めていたブリッジに、ようやく軽い空気が戻った。
グレアーだけが納得いかない顔をしている。
「三十八はまだ若いでやす……。」
「まだ言ってる。」
「坊主には分からんのでやす。」
「何が?」
「三十代の繊細な心が。」
「知らないよ。」
「冷たい!」
そんな声を聞きながら、ケンは何気なく前方モニターへ視線を戻した。
そして。
「……あれ?」
笑っていた表情が止まる。
暗い宇宙の中。
これまで星の光しかなかった場所に、淡い青が見えていた。
ケンは無意識に席を立つ。
「ノン。」
「何?」
「……あれ。」
ノンも前を見る。
前方モニターに映し出されている青白い球体。
まだ画面を埋め尽くすほど大きくはない。
それでも。
見間違えるはずがなかった。
「地球……。」
ケンの声が自然と小さくなる。
モニター上で映像が拡大される。
青い海。
白い雲。
その隙間から覗く大地。
暗い宇宙の中に浮かぶその姿を見て、ケンはしばらく何も言えなかった。
「……すげぇ。」
ようやく漏れた言葉は、それだけだった。
隣へ来たノンも、同じように地球を見つめる。
しばらくして。
「……宇宙から見る地球って、やっぱり綺麗ね。」
ケンが意外そうに横を見る。
「見慣れてるんじゃないの?」
「バカね。」
ノンが呆れたように返した。
「私、地球に住んでたのよ。普段から宇宙に浮かんで地球眺めてたわけじゃないんだから。」
「あ。」
ケンが間の抜けた顔をする。
「そりゃそうか。」
「それに。」
ノンは地球から目を離さないまま続けた。
「ベルーガで地球を出た時は、景色なんて見てる余裕なかったのよ。」
ケンはそこで少し表情を変えた。
「……そんなに大変だったんだ。」
「まあね。」
それ以上、ノンは詳しく話さなかった。
ケンも無理に聞こうとはしない。
少しの沈黙。
やがてノンが、ぽつりと呟いた。
「……久しぶり。」
声は先ほどまでよりずっと柔らかかった。
「懐かしい?」
「うん。」
ノンは小さく頷く。
「色々あったけど……やっぱり、私にとっては地球が故郷だから。」
ケンは少し笑った。
「ノンも早く降りたくなってきた?」
ノンは地球を見たまま、少しだけ考える。
「……そうね。」
それから、ほんの少し口元を緩めた。
「私も早く降りたいかも。」
「おお。」
ケンが嬉しそうに反応する。
「やっと俺と同じテンションになってきた?」
「そこまではなってない。」
「即答!?」
「あなたは朝から何回『まだ?』って聞いたと思ってるの。」
「数えてない。」
「でしょうね。」
ケンはまた地球を見る。
今度は海の方へ目がいった。
「……海、でかいな。」
「地球の大部分は海だから。」
「それは知ってるよ。」
ケンは少しむっとする。
「でも映像で見るのと全然違う。」
雲が大きく広がっている。
その下に大気があり。
さらにその下に、大地がある。
コロニーとはまるで違う世界。
「空も、あそこにあるんだよね。」
「あるわよ。」
「天井ないんだよね。」
ノンが少し笑う。
「ないわね。」
「どこまで行っても?」
「上に行けば宇宙には出るけど。」
「そういう意味じゃなくて!」
「分かってる。」
ノンの声にも少し笑いが混じる。
ケンはしばらく地球を見つめた。
自分がこれから、あそこへ降りる。
地球の人達と会う。
直接、話を聞く。
地球連邦政府が何を言うかではなく、そこで暮らしている人達が何を考えているのかを。
「……もうすぐなんだな。」
自然と声が漏れた。
「ええ。」
ノンも静かに答える。
ベルーガの進路表示が、地球接近航路へ切り替わっていく。
青い星は、ゆっくりと。
けれど確実に。
視界の中で大きくなり始めていた。
ケンはその姿から目を離せなかった。
初めて見る地球。
ノンにとっては、久しぶりに帰る故郷。
もう少し。
あと少しで。
そう思った、その時だった。
ブリッジに短い電子音が鳴る。
「……?」
ケンが振り返った。
続いて、もう一度。
今度は先ほどまでとは違う、鋭い警告音。
グレアーの表情が一瞬で変わった。
「何でやす?」
通信士が端末へ身を乗り出す。
「前方――反応!」
次の瞬間。
ブリッジの照明が警戒色へ切り替わった。
艦内に警報が鳴り響く。
「え!?」
ケンが地球から視線を外す。
「何!? 何が起きたの!?」
正面モニターに新たな表示が次々と浮かび上がる。
ノンも一歩前へ出た。
グレアーはすでに艦長席へ向き直り、端末を睨みつけている。
その正体が判明するより早く。
ベルーガの警報が、もう一度大きく鳴り響いた。