機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~   作:NageT

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第44話「青い星を目前に」

 ベルーガは、地球へ向けて航行を続けていた。

 

 月周辺では今も、地球連邦軍とコロニー国家連合軍の艦隊が互いを牽制し合っている。その只中を抜けるような真似はせず、ベルーガは大きく外側へ迂回する航路を取っていた。

 

 当然、その分だけ時間は掛かる。

 

 けれど今のところ、目立った妨害もない。

 

 昨日は緊急Liveで世界中から意見を拾い、地球へ向かうことまで公表した。その反響はまだ続いているものの、艦内そのものは久しぶりに静かな時間を取り戻していた。

 

 とはいえ。

 

 ケンだけは、少し前から落ち着きがなかった。

 

「……まだ?」

 

 ブリッジ前方の大型モニターを見つめながら、何度目かも分からない言葉を口にする。

 

 航路確認をしていたグレアーが、端末から顔を上げた。

 

「何がでやす?」

 

「地球。」

 

「何度聞くんでやすか。」

 

「だって全然見えないじゃん。」

 

「観測機器にはとっくに映ってやすよ。」

 

「そういうのじゃなくて。」

 

 ケンはモニターの向こうに広がる星空を指差す。

 

「こう……見た瞬間に『地球だ!』ってなるくらいのやつ。」

 

「坊主、完全に観光客でやすね。」

 

「初めてなんだから仕方ないだろ!」

 

 後ろから、ノンの声が飛んでくる。

 

「地球は逃げないわよ。」

 

 ケンが振り返った。

 

「ノンはそう言えるよ。地球に住んでたんだから。」

 

「まあ、それはそうだけど。」

 

「俺は映像でしか見たことないんだって。」

 

 ケンは少し身を乗り出しながら続ける。

 

「本物の空とか、本物の海とか、本物の地面とかさ。」

 

「地面まで本物って言い方する?」

 

「コロニーだって地面は地面だけど、なんか違うじゃん!」

 

 ノンは呆れたように息を吐いたが、少しだけ口元が緩んでいた。

 

「そんなに楽しみなら、着くまで体力残しておきなさいよ。」

 

「重力?」

 

「それもあるわね。」

 

「またそれ言う!」

 

 ケンが不満そうに返す。

 

 そんなやり取りの横で、グレアーだけは表情を崩していなかった。

 

 ベルーガが進んでいるのは、もう地球連邦の勢力圏に近い。

 

 月方面ほど軍艦が密集しているわけではないが、地球外縁には当然、監視施設や哨戒艦が配置されている。

 

 まして今は、月周辺で両陣営の艦隊が睨み合っている最中だ。

 

 普段より警戒が強まっていて当然だった。

 

「そろそろでやすね。」

 

 グレアーが呟く。

 

 ケンがすぐに反応した。

 

「地球見える?」

 

「そっちじゃありやせん。」

 

「違うの?」

 

「地球圏外縁の監視域でやす。」

 

 大型モニターに航路図が表示される。

 

 ベルーガの現在位置。

 

 その先に広がる地球圏。

 

 さらに、周辺を巡回している連邦軍の哨戒艦や監視拠点の位置。

 

 ケンの浮かれた顔が少しだけ引き締まった。

 

「……これ、避けて通れないの?」

 

「ベルーガは大型艦でやす。」

 

 グレアーが肩をすくめる。

 

「小型船みたいに隠れて入り込める大きさじゃありやせんよ。」

 

「じゃあ見つかったらどうするの?」

 

「見つかったら、その時考えやす。」

 

「いや今考えてよ!」

 

「そんな焦らんでも大丈夫でやす。」

 

「俺、国際指名手配されてるんだけど!」

 

「知ってやす。」

 

「知ってて大丈夫って言えるの!?」

 

 ノンが横からグレアーを見る。

 

「何か手があるんでしょ。」

 

「一応。」

 

「その“一応”やめてくれない?」

 

 ケンが不安そうな顔をした、その時だった。

 

 ブリッジに短い電子音が響く。

 

 通信士がすぐに端末へ向き直った。

 

「前方より通信。識別要求です。」

 

 ケンの表情から一気に軽さが消える。

 

「……早くない?」

 

「噂をすれば、でやすね。」

 

 グレアーが立ち上がった。

 

 大型モニターの一部に通信回線が開く。

 

『前方を航行中の大型艦へ告ぐ。こちら地球連邦軍地球圏外縁警戒部隊。所属及び航行目的を明示せよ。』

 

 声は事務的だった。

 

 敵意があるわけではない。

 

 ただし、無視して進めるような雰囲気でもなかった。

 

 ケンは反射的にグレアーを見る。

 

「どうすんの?」

 

「まあまあ。」

 

 いつも通りの軽い返事。

 

 それからグレアーは通信卓へ座り、手元の端末を接続する。

 

 ノンが僅かに目を細めた。

 

「グレアー。」

 

「任せてくだせぇ、お嬢。」

 

 そう答えた直後だった。

 

 グレアーの雰囲気が変わる。

 

 背筋が伸びた。

 

 肩の力は抜けているのに、どこか隙がない。

 

 普段の飄々とした表情も消えた。

 

 そして通信を開く。

 

「こちら地球連邦軍特務艦ベルーガ。」

 

 ケンが目を瞬いた。

 

 声まで違って聞こえた。

 

 いつもの訛りは影を潜め、落ち着いた軍人らしい口調になっている。

 

「グレアー=アイズ中佐である。」

 

 ケンの視線がさらに鋭くなる。

 

「現在、本艦は機密行動中につき、任務内容について申し上げることは出来ない。」

 

 グレアーは手元の端末を操作した。

 

「これより軍籍情報及び識別IDを送信する。照合の上、通過許可を願いたい。」

 

 データが送られる。

 

 回線が一旦静かになった。

 

 照合作業中を示す表示だけが点滅している。

 

 数十秒。

 

 ほんのそれだけの時間だった。

 

 けれどケンには妙に長く感じられた。

 

 もしここで弾かれたらどうなる。

 

 グレアーの軍籍が失効していたら。

 

 ベルーガについて詳しく調べられたら。

 

 ダウトまで確認されたら。

 

 そんな考えばかりが次々と浮かんでくる。

 

 隣を見ると、ノンも何も言わず正面を見ていた。

 

 グレアーだけが、変わらず静かに待っている。

 

 やがて通信が戻った。

 

『……照合完了。』

 

 ケンの肩が僅かに跳ねる。

 

『地球連邦軍中佐、グレアー=アイズ。識別ID一致。』

 

 少し間が空く。

 

 そして。

 

『中佐!?』

 

 明らかに向こうの声色が変わった。

 

『はっ、失礼致しました!』

 

 ケンが思わずグレアーを見る。

 

『特務艦ベルーガ、通過を許可します。機密行動中とは知らず、御無礼を。』

 

「任務である。気にする必要はない。」

 

 グレアーは最後まで崩さない。

 

「協力に感謝する。」

 

『はっ! 任務の御無事を!』

 

 通信が終了した。

 

 回線が閉じる。

 

 そのまま数秒。

 

 ブリッジには妙な沈黙が残った。

 

「……。」

 

「……。」

 

 グレアーがゆっくりと背もたれへ身体を預ける。

 

 それから。

 

「いや〜……。」

 

 声がいつものものへ戻った。

 

「まだIDは生きてるみたいでやすねぇ。」

 

 ケンが即座に振り返った。

 

「戻った。」

 

「何がでやす?」

 

「今の人どこ行ったの?」

 

「今の人?」

 

「『グレアー=アイズ中佐である』って言ってた人!」

 

 ケンが妙に渋い声を作って真似する。

 

「似てないでやす。」

 

「いや、そこじゃなくて!」

 

 グレアーは端末を外しながら肩を回した。

 

「軍人には軍人の喋り方ってもんがあるんでやす。」

 

「普段からそれで喋ったら?」

 

「疲れるから嫌でやす。」

 

「そこなんだ……。」

 

 ノンが横から尋ねる。

 

「でも、本当にまだ使えたのね。」

 

「そのようでやす。」

 

 グレアーは笑っている。

 

「いや〜、さすがに照会終わるまではヒヤヒヤでやしたけど。」

 

「もう軍籍無効にされてると思ってた?」

 

「それもあり得やしたからね。」

 

 グレアーは軽く肩をすくめる。

 

「まあ、次も同じ手が通用するとは限りやせん。」

 

「今回は現場の照会だけで済みやしたが、別の場所じゃ上まで確認取られるかもしれやせんし。」

 

 少しだけ間を置いて。

 

「とりあえず、ここはなんとかなりやしたね。」

 

「……へぇ。」

 

 ケンがまじまじとグレアーを見る。

 

「何でやす?」

 

「いや。」

 

 ケンは妙に感心した顔で言った。

 

「オッサンって、ちゃんと軍人だったんだな。」

 

 グレアーの動きが止まる。

 

「誰がオッサンでやすか!」

 

 ブリッジ中に声が響いた。

 

「え?」

 

「え、じゃありやせん!」

 

 グレアーがケンへ向き直る。

 

「あっしはまだ三十八でやす!」

 

「三十八……。」

 

 ケンが少し考える。

 

「やっぱオッサンじゃない?」

 

「坊主ぅ!」

 

「三十八はもうおじさんよ。」

 

 ノンがさらりと加える。

 

 グレアーが勢いよく振り向いた。

 

「お嬢まで〜!?」

 

「何よ。」

 

「そこはフォローするところでやしょう!」

 

「何を?」

 

「まだ若いって!」

 

「三十八で?」

 

「お嬢!?」

 

 ケンが笑いを堪えながら、今度は少し離れたところに立つメイド長へ視線を向ける。

 

「メイド長は?」

 

 突然振られたメイド長は、一瞬だけ考えるような間を置いた。

 

「私は発言を控えさせていただきます。」

 

「メイド長まで逃げやした!」

 

 今度こそケンが吹き出した。

 

 ノンも小さく笑っている。

 

 ほんの少し前まで通信一つで張り詰めていたブリッジに、ようやく軽い空気が戻った。

 

 グレアーだけが納得いかない顔をしている。

 

「三十八はまだ若いでやす……。」

 

「まだ言ってる。」

 

「坊主には分からんのでやす。」

 

「何が?」

 

「三十代の繊細な心が。」

 

「知らないよ。」

 

「冷たい!」

 

 そんな声を聞きながら、ケンは何気なく前方モニターへ視線を戻した。

 

 そして。

 

「……あれ?」

 

 笑っていた表情が止まる。

 

 暗い宇宙の中。

 

 これまで星の光しかなかった場所に、淡い青が見えていた。

 

 ケンは無意識に席を立つ。

 

「ノン。」

 

「何?」

 

「……あれ。」

 

 ノンも前を見る。

 

 前方モニターに映し出されている青白い球体。

 

 まだ画面を埋め尽くすほど大きくはない。

 

 それでも。

 

 見間違えるはずがなかった。

 

「地球……。」

 

 ケンの声が自然と小さくなる。

 

 モニター上で映像が拡大される。

 

 青い海。

 

 白い雲。

 

 その隙間から覗く大地。

 

 暗い宇宙の中に浮かぶその姿を見て、ケンはしばらく何も言えなかった。

 

「……すげぇ。」

 

 ようやく漏れた言葉は、それだけだった。

 

 隣へ来たノンも、同じように地球を見つめる。

 

 しばらくして。

 

「……宇宙から見る地球って、やっぱり綺麗ね。」

 

 ケンが意外そうに横を見る。

 

「見慣れてるんじゃないの?」

 

「バカね。」

 

 ノンが呆れたように返した。

 

「私、地球に住んでたのよ。普段から宇宙に浮かんで地球眺めてたわけじゃないんだから。」

 

「あ。」

 

 ケンが間の抜けた顔をする。

 

「そりゃそうか。」

 

「それに。」

 

 ノンは地球から目を離さないまま続けた。

 

「ベルーガで地球を出た時は、景色なんて見てる余裕なかったのよ。」

 

 ケンはそこで少し表情を変えた。

 

「……そんなに大変だったんだ。」

 

「まあね。」

 

 それ以上、ノンは詳しく話さなかった。

 

 ケンも無理に聞こうとはしない。

 

 少しの沈黙。

 

 やがてノンが、ぽつりと呟いた。

 

「……久しぶり。」

 

 声は先ほどまでよりずっと柔らかかった。

 

「懐かしい?」

 

「うん。」

 

 ノンは小さく頷く。

 

「色々あったけど……やっぱり、私にとっては地球が故郷だから。」

 

 ケンは少し笑った。

 

「ノンも早く降りたくなってきた?」

 

 ノンは地球を見たまま、少しだけ考える。

 

「……そうね。」

 

 それから、ほんの少し口元を緩めた。

 

「私も早く降りたいかも。」

 

「おお。」

 

 ケンが嬉しそうに反応する。

 

「やっと俺と同じテンションになってきた?」

 

「そこまではなってない。」

 

「即答!?」

 

「あなたは朝から何回『まだ?』って聞いたと思ってるの。」

 

「数えてない。」

 

「でしょうね。」

 

 ケンはまた地球を見る。

 

 今度は海の方へ目がいった。

 

「……海、でかいな。」

 

「地球の大部分は海だから。」

 

「それは知ってるよ。」

 

 ケンは少しむっとする。

 

「でも映像で見るのと全然違う。」

 

 雲が大きく広がっている。

 

 その下に大気があり。

 

 さらにその下に、大地がある。

 

 コロニーとはまるで違う世界。

 

「空も、あそこにあるんだよね。」

 

「あるわよ。」

 

「天井ないんだよね。」

 

 ノンが少し笑う。

 

「ないわね。」

 

「どこまで行っても?」

 

「上に行けば宇宙には出るけど。」

 

「そういう意味じゃなくて!」

 

「分かってる。」

 

 ノンの声にも少し笑いが混じる。

 

 ケンはしばらく地球を見つめた。

 

 自分がこれから、あそこへ降りる。

 

 地球の人達と会う。

 

 直接、話を聞く。

 

 地球連邦政府が何を言うかではなく、そこで暮らしている人達が何を考えているのかを。

 

「……もうすぐなんだな。」

 

 自然と声が漏れた。

 

「ええ。」

 

 ノンも静かに答える。

 

 ベルーガの進路表示が、地球接近航路へ切り替わっていく。

 

 青い星は、ゆっくりと。

 

 けれど確実に。

 

 視界の中で大きくなり始めていた。

 

 ケンはその姿から目を離せなかった。

 

 初めて見る地球。

 

 ノンにとっては、久しぶりに帰る故郷。

 

 もう少し。

 

 あと少しで。

 

 そう思った、その時だった。

 

 ブリッジに短い電子音が鳴る。

 

「……?」

 

 ケンが振り返った。

 

 続いて、もう一度。

 

 今度は先ほどまでとは違う、鋭い警告音。

 

 グレアーの表情が一瞬で変わった。

 

「何でやす?」

 

 通信士が端末へ身を乗り出す。

 

「前方――反応!」

 

 次の瞬間。

 

 ブリッジの照明が警戒色へ切り替わった。

 

 艦内に警報が鳴り響く。

 

「え!?」

 

 ケンが地球から視線を外す。

 

「何!? 何が起きたの!?」

 

 正面モニターに新たな表示が次々と浮かび上がる。

 

 ノンも一歩前へ出た。

 

 グレアーはすでに艦長席へ向き直り、端末を睨みつけている。

 

 その正体が判明するより早く。

 

 ベルーガの警報が、もう一度大きく鳴り響いた。

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