機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~ 作:NageT
ベルーガが地球圏外縁の警戒宙域を抜けてから、まだそれほど時間は経っていなかった。
先ほど識別を行った地球連邦軍の警備艦では、すでに通常の監視任務へ意識が戻りつつある。
月方面ではコロニー国家連合軍との緊張が続いている。
だが、この宙域で直接戦闘が起きているわけではない。
接近する艦艇の確認。
航路の監視。
識別信号の照合。
地味ではあるが、こうした仕事の積み重ねが地球周辺の安全を保っている。
先ほど通過していった大型艦についても、処理そのものは問題なく終わっていた。
地球連邦軍所属。
特務艦ベルーガ。
責任者として応答したのは、グレアー=アイズ中佐。
軍籍情報も識別IDも一致している。
機密任務中だと言われれば、現場の警戒部隊がそれ以上踏み込む理由はない。
「いや、それにしても驚いたな。」
通信担当の兵士が、照合記録を閉じながら息を吐いた。
「何がだ?」
隣の席から声が返る。
「アイズ中佐だよ。最近まったく見ないって話だったからさ。」
「特務についてたなら当然だろ。」
「まあ、そうなんだろうけど。オルフェウス准将の副官だぞ? まさかこんなところで本人の照合をするとは思わなかった。」
「俺達が知らないから特務なんじゃないのか。」
「それ言われたら終わりだな。」
二人が軽く笑った、その時だった。
ブリッジ後方の扉が開く。
「今通した艦は問題なかったのか?」
若い男の声に、何人かが振り返った。
地球連邦軍MS隊隊長。
ノクト=フーガ。
年齢に似合わぬ真面目さを顔に貼り付けたような青年で、普段から任務中に無駄話をすることはほとんどない。
ただし冷たいわけではない。
部下の面倒見もいい。
訓練となれば誰より熱くなり、任務となれば一番前へ出る。
それ故に若い隊員達からの信頼も厚かった。
そんなノクトが、担当宙域の状況確認のため、たまたまブリッジへ足を運んでいた。
「はい。問題ありません。」
通信担当の兵士が姿勢を正す。
「友軍の特務艦とのことで、照会も取れています。」
「特務艦?」
「ベルーガという艦です。」
その名前を聞いた瞬間。
ノクトの足が止まった。
「……ベルーガ?」
「はい。」
兵士は、ノクトのわずかな変化に気付かないまま続ける。
「それが驚いたことに、グレアー=アイズ中佐だったんですよ。」
ノクトの表情が変わった。
「……何?」
「アイズ中佐です。」
「グレアー=アイズ中佐か?」
声が一段低くなる。
「はい。本人のIDも確認済みです。」
兵士は少し感心したように笑う。
「まさか特務についていたとは思いませんでした。最近見かけないなんて話もありましたけど、これなら納得ですよ。」
「……。」
ノクトは答えなかった。
グレアー=アイズ。
父、オルフェウス=フーガ准将の副官。
現在もその立場は変わっていない。
ただ。
ある時を境に、父の前から姿を消した。
そして同じ頃。
妹のカノンもいなくなった。
その事実は、軍内部へ正式には公表されていない。
父自身がそう決めたからだ。
准将の娘と、その副官。
二人が同時期に所在不明。
そんな情報が広がれば、余計な憶測を招く。
まして今は、地球連邦とコロニー国家連合の関係が極限まで張り詰めている。
どんな小さな情報でも、都合よく利用されかねない。
だからオルフェウスは、表立って騒がなかった。
グレアーが自分を裏切ったとも考えていない。
何か事情がある。
今は静観する。
不用意に追い詰めず、確かな情報を待つ。
ノクトも、その考えを聞かされていた。
理解もしていた。
父の判断が正しいことも。
今ここで取るべき行動が、まず父への報告であることも。
それでも。
「いつ通した。」
ノクトの声が変わる。
「はい?」
「ベルーガは、いつここを通った。」
兵士が慌てて記録へ目を落とす。
「ほんの少し前です。まだ十分も経っていません。」
それを聞いた瞬間。
ノクトは踵を返した。
「MS隊、発進準備を急がせろ!」
「え?」
ブリッジ中の視線が集まる。
「ノクト隊長?」
「今の特務艦を追う!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
呼び止める声を背中で聞きながら、ノクトはすでにブリッジを飛び出していた。
廊下を駆ける。
父の言葉が頭に浮かぶ。
余計な騒ぎは起こすな。
グレアーを疑う理由はない。
確かなものが出るまで待て。
「分かっている……!」
自分に言い聞かせるように呟く。
分かっている。
だが、探していた手掛かりが向こうから現れた。
しかもベルーガ。
そこにグレアーがいる。
ならば。
「カノンも……。」
いるかもしれない。
そう考えた瞬間、足を止めることは出来なかった。
◇
MSデッキでは、突然の指示に整備員達が慌ただしく動き始めていた。
「隊長!」
「何があったんです?」
「出撃予定なんて入ってませんよ!」
「予定変更だ!」
ノクトは走りながら答える。
「ブルーガ隊、直ちに発進準備! 全員乗り込め!」
休息に入っていた隊員達も次々とデッキへ駆け込んでくる。
「隊長、敵ですか!?」
「今は説明している時間がない!」
その剣幕に押され、隊員達も各機へ散っていく。
並んだブルーガの奥。
一機だけ、明らかに輪郭の異なるMSが固定されていた。
地球連邦軍が次期主力として配備を進めている最新鋭量産機。
リーガ。
その中でもノクトの機体は、隊長機として彼の戦闘特性に合わせた調整が施されている。
ノクトは昇降ワイヤーを掴み、一気にコックピットまで上がった。
ハッチが閉じる。
システム起動。
暗かったコックピットへ次々と光が灯る。
各部チェック。
推進系。
姿勢制御。
武装接続。
問題なし。
「リーガ、起動。」
操縦桿を握る。
機体が固定アームから離れ、ゆっくりとカタパルト方向へ進み始めた。
その時。
通信回線が強制的に開く。
『ノクト隊長!』
艦長だった。
『何をしている! 発進許可は出していないぞ!』
「事情は後で話します!」
『事情だと?』
「あの特務艦に、確認しなければならないことがあります!」
『それだけでMS隊を動かせると思っているのか!』
鋭い声が返る。
『先ほど正式な照合を済ませた友軍の特務艦だぞ!』
「分かっています!」
『なら機体を戻せ!』
「出来ません!」
『ノクト!』
艦長の声に苛立ちが混じる。
『これは訓練ではない! 正規のIDを持つ友軍艦に、許可もなくMS隊を差し向ければ問題になる!』
「……チッ。」
ノクトが舌打ちする。
ベルーガとの距離は、今も少しずつ開いている。
このまま押し問答を続けている時間はない。
「艦長。」
『何だ。』
「あの艦には、ガンダムが積んである可能性があります。」
通信の向こうが静かになった。
『……何だと?』
「まだ確証はありません。」
『なら何故そんなことを言える!』
「グレアー=アイズ中佐は、父オルフェウス=フーガ准将の副官です。」
『それがどうした。』
「父から、グレアー中佐に関して確認している件があります。」
それ以上は言わない。
カノンとグレアーの所在が分からないこと。
父がそれを伏せていること。
ここで口に出すつもりはなかった。
「そこへベルーガが現れた。」
『だからと言って、ガンダムまで結び付けるのは飛躍ではないか。』
「だからこそ、今から確かめます。」
『ノクト。』
「何もなければ、それで終わります。」
ノクトはリーガをさらにカタパルトへ進める。
「ですが、もしあの艦にガンダムがあるなら、見逃した後では遅い。」
『……。』
艦長は黙った。
今やガンダムという言葉は、ただの兵器名ではない。
世界中を揺らす火種。
その存在を無視出来る者はいなかった。
『……本当に、確認だけだな?』
「こちらから攻撃するつもりはありません。」
『……ええい。』
艦長が大きく息を吐く。
『分かった。発進を許可する!』
ノクトの目が僅かに動く。
『ただし問題だけは起こすな! 相手は現時点では友軍艦だ!』
「向こう次第です。」
『ノクト!』
「穏便に済ませたいとは、私も思っています。」
一瞬の沈黙。
『……通信を優先しろ。絶対に勝手な攻撃はするな。』
「了解。」
回線が切れる。
ノクトは前を見る。
カタパルト前方のハッチが開いていく。
暗い宇宙。
その先に、ベルーガがいる。
背後ではブルーガ隊も次々と起動していた。
『隊長、本当にさっきの艦を追うんですか?』
『友軍艦ですよね?』
「全機、武装使用は俺の指示があるまで禁止。」
ノクトは操縦桿を握り直す。
「目的はベルーガへの接触と確認だ。」
『了解。』
『了解!』
発進シグナルが点灯する。
「ノクト=フーガ。」
リーガがカタパルトへ固定される。
「出るぞ!」
次の瞬間。
機体が一気に加速した。
巡洋艦の艦首から宇宙へ飛び出す。
その後を追って、複数のブルーガも次々と発進していった。
◇
「後方から高速接近するMS反応!」
ベルーガのブリッジ。
警報が鳴り響く中、グレアーが表示へ視線を走らせる。
「数は?」
「複数! 先ほど通過した連邦軍艦の方向からです!」
「さっきのところ!?」
ケンが思わず声を上げる。
「俺達、通してもらったんじゃなかったの!?」
「そのはずでやすがね……。」
グレアーは接近反応を拡大する。
ノンも前へ出た。
「追ってきてるの?」
「そう見えやす。」
「IDが引っ掛かったとか?」
「それなら艦から直接停止命令が来ると思いやす。」
表示が更新される。
後続の大半はブルーガ。
その先頭に、一機だけ異なる機体。
「……リーガ。」
グレアーが呟く。
「何それ?」
「連邦軍の最新鋭主力量産機でやす。」
「最新鋭……。」
ケンの顔が曇る。
その直後。
「向こうから通信!」
「繋いでくだせぇ。」
回線が開く。
『こちら地球連邦軍MS隊。特務艦ベルーガへ。』
若い男の声。
『速度を落としてください。確認したいことがあります。』
ノンの表情が変わった。
ほんの僅か。
目が見開かれる。
「……。」
ケンが気付く。
「ノン?」
グレアーも通信表示を見たまま、僅かに眉を動かした。
『グレアー=アイズ中佐。聞こえていますか。』
グレアーが小さく息を吐く。
「……やっぱりでやすか。」
通信を返す。
「聞こえておりやす。」
その瞬間。
『ご無沙汰しております、グレアー中佐。』
ノクトの声には、明らかな敬意があった。
『突然追い掛ける形となったことはお詫びします。ですが、どうしても確認したいことがあります。』
グレアーは少しだけ姿勢を正した。
「ノクト隊長。」
ケンが横を見る。
「知り合い?」
ノンは答えない。
その代わり、グレアーが通信を続ける。
「先ほど警戒部隊にも説明したはずですが、本艦は現在、機密行動中でやす。」
少しだけ間を置く。
「任務内容については申し上げることが出来やせん。」
『それは承知しています。』
ノクトの返答は早かった。
『ですが、グレアー中佐。あなたが何も知らせずに姿を見せなくなったことを、父も気に掛けています。』
ノンが僅かに俯く。
グレアーの目も少しだけ細くなった。
『せめて、直接確認させてください。』
「何をでやす?」
『艦内をです。』
ブリッジの空気が固まる。
ケンが思わずノンを見る。
グレアーはすぐに返した。
「お断りしやす。」
『……理由を聞いても?』
「機密任務中だからでやす。」
『では、グレアー中佐本人とお話しするだけでも――』
「今こうして話しておりやす。」
『そういう意味ではありません。』
ノクトの声に、僅かに苛立ちが混ざる。
『一度艦を停止させてください。こちらが乗艦し、正式に確認します。』
「それも出来やせん。」
『何故です。』
「同じ答えでやす。」
グレアーは淡々と返す。
「機密任務中につき、部外者を艦内へ入れることは出来やせん。」
『部外者……。』
ノクトの声が少し沈む。
それまでの軍人としての硬さが、僅かに崩れた。
『……私にも言えないのですか?』
ブリッジに沈黙が落ちる。
グレアーはすぐには答えなかった。
ノクトが幼い頃から知っている。
オルフェウスの息子。
真っ直ぐで。
真面目で。
少し不器用なほど、正しいことを信じる青年。
だからこそ。
「……坊っちゃんだからこそ、でやす。」
完全に、いつものグレアーの声だった。
ノクトの返事が止まる。
『……坊っちゃんは、やめてください。』
「そう言われても、あっしにとっちゃ昔から坊っちゃんでやす。」
ほんの少し。
グレアーの口元に笑みが浮かぶ。
だが、その目は笑っていなかった。
『グレアー中佐。』
「ノクト隊長。」
『何を隠しているんです。』
「申し上げられやせん。」
『父にも?』
グレアーの表情が僅かに揺れる。
「……。」
『父上にも、言えないのですか。』
その問いに答えるより先に。
「兄さん。」
ノンが口を開いた。
通信の向こうが完全に静かになった。
ケンがノンを見る。
グレアーも振り返った。
『……。』
数秒。
やがて。
『……カノン?』
声が変わっていた。
先ほどまでのMS隊長ではない。
妹を探していた兄の声。
『カノンなのか?』
「……うん。」
『本当に……そこにいるのか。』
「いるわ。」
『何故だ!』
ノクトの声が一気に強くなる。
『何故何も言わずにいなくなった! 父上がどれだけ――』
「兄さん。」
『カノン!』
「今は言えない。」
『またそれか!』
「ごめん。」
『謝って欲しいんじゃない!』
通信越しでも分かる。
ノクトは怒っている。
だが、その怒りの奥にあるものはもっと単純だった。
心配。
安堵。
そして。
何も分からないことへの苛立ち。
『帰ってこい。』
真っ直ぐな言葉だった。
『今ならまだ、父上と話せる。俺も一緒に行く。』
「……帰れない。」
『何故だ!』
「それも言えない。」
『カノン!』
「兄さんを巻き込みたくないの。」
その言葉に。
ノクトが黙る。
「父さんも。」
『……何だと?』
「だから今は、これ以上聞かないで。」
『そんなことを言われて、分かったと引けると思うのか。』
「思ってない。」
『なら――』
「でも、それでも行かせて。」
ノンの声は静かだった。
強がっているわけでもない。
ただ。
決めている。
それがノクトにも伝わった。
『……。』
長い沈黙。
やがてノクトが口を開く。
『グレアー中佐。』
「はい。」
『本当に、カノンを危険な目に遭わせていないと誓えますか。』
グレアーは一瞬だけノンを見る。
「それについては……。」
言葉を選ぶ。
「危険がないとは言えやせん。」
『……。』
「ですが、お嬢を守るつもりがないわけではありやせん。」
『なら、なおさら止めるべきではないですか。』
「それは出来やせん。」
『何故です。』
「それも、今は申し上げられやせん。」
『……。』
ノクトの呼吸がわずかに聞こえる。
『分かりません。』
低い声。
『何も分からない。』
ノクトは操縦桿を強く握った。
『グレアー中佐は何も話してくれない。カノンも帰らない。なのに、そのまま行かせろと言う。』
少し間を置く。
『理屈だけなら、引くべきなのかもしれません。』
グレアーが黙って聞く。
『正式なIDもある。特務艦としての照会も通っている。こちらから無理に踏み込めば、私の方が問題になる。』
ノンが僅かに表情を緩めた。
だが。
次の言葉で、それはすぐ消えた。
『それでも。』
ノクトの声に熱が戻る。
『私の勘が、このまま行かせるなと言っています。』
「兄さん……。」
『グレアー中佐。最後にお願いします。』
ノクトは真っ直ぐベルーガを見据えていた。
『艦を止めてください。』
「お断りしやす。」
『艦内確認も?』
「出来やせん。」
『カノンをこちらへ戻すことも?』
「嫌よ。」
今度はノンが即答した。
『……そうか。』
ノクトが短く息を吐く。
ベルーガとMS隊。
まだ互いに武器は向けていない。
だが。
どちらも進路を譲るつもりはない。
「兄さん。」
『何だ。』
「本当に、私達と戦うつもり?」
ノクトはすぐには答えなかった。
『……戦いたくはない。』
その声には嘘がなかった。
『だが、このまま見送るつもりもない。』
グレアーが小さく息を吐く。
「やれやれ……。」
ケンが二人を見比べる。
「これ、どうするの?」
誰もすぐには答えなかった。
前方には地球。
後方にはノクト率いる連邦軍MS隊。
ベルーガは、その狭間にいた。
ノクトのリーガが、ゆっくりとベルーガの進路前方へ回り込む。
続くブルーガ隊も散開し始めた。
まだ武器は構えていない。
だが。
明らかに、通すつもりのない動きだった。
『ベルーガ。』
ノクトの声が、もう一度響く。
『これ以上の前進は控えてください。』
グレアーは正面モニターを見つめたまま、静かに答える。
「それも、出来やせんねぇ。」
ノンが拳を握る。
ケンは、地球から視線を外した。
青い星は、もうすぐそこにある。
だが。
その手前に。
一人の兄が、立ちはだかっていた。