機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~ 作:NageT
白い雲を突き抜けたガンダムダウトとブルーガは、そのままゆっくりと高度を落としていた。
大気圏突入そのものは、どうにか切り抜けた。
けれど、無事だったとは言い難い。
ダウトの外装は各所が焼け、装甲の一部には黒く焦げた跡が残っている。ブルーガも同じで、表面は赤熱こそ収まったものの、各部から細かな異常表示が上がり続けていた。
それでも。
二機はまだ飛んでいる。
「……生きてる。」
ケンは何度目か分からない言葉を、小さく呟いた。
正面モニターの向こうには、もう宇宙はない。
青い空。
白い雲。
そして、雲の切れ間から少しずつ見え始める大地。
緑。
茶色。
細く伸びる川のようなもの。
遠くには山らしき影まで見えている。
「……すげぇ。」
『おい。』
スコルの声。
「何?」
『感動してる場合か。』
「え?」
『高度見ろ、クソガキ!』
ケンが慌てて計器を見る。
「うわっ!」
確かに落ちている。
それも、思っていたよりずっと速い。
「ちょっと待って! これ普通!?」
『普通なわけあるか! こっちは大気圏突入用じゃねぇんだぞ!』
「ダウトだって今の装甲じゃ保証されてないんだよ!」
『威張って言うな!』
「威張ってない!」
ケンは操縦桿を握り直した。
アシストモードはすでに終了している。
大気圏突入を抜けた瞬間、機体の制御は再びケンへ戻っていた。
つまり。
ここから先は、自分で降りなければならない。
「えーっと……。」
『おい。』
「今考えてる!」
『またそれかよ!』
「しょうがないだろ! 地球で着陸するの初めてなんだから!」
『俺だって宇宙から燃えながら降りてきたのは初めてだ!』
「じゃあ同じじゃん!」
『一緒にすんな!』
言い合いながらも、二人とも必死だった。
ダウトの推進器を調整する。
ブルーガも残ったスラスターを使い、何とか降下姿勢を整えていく。
だが、宇宙とは勝手が違う。
重力。
大気。
速度。
何もかもが、ケンの知っているMS操縦とは違っていた。
「重い……。」
『当たり前だ。』
「これ、ずっと引っ張られてる感じする。」
『それが重力だよ!』
「知ってるよ!」
『さっきから知らない奴の反応してんだよ!』
スコルの怒鳴り声を聞き流しながら、ケンはモニターを拡大する。
雲の下。
広い平地が見える。
森林のような場所。
その少し先には、開けた草原らしき場所もある。
「スコル!」
『さんを付けろ!』
「今それいいから!」
『よくねぇ!』
「どこに降りればいい!?」
『知らねぇよ!』
「地球の人じゃないの!?」
『地球に住んでる人間が全員どこでも着陸出来ると思うな!』
「じゃあどうすんだよ!」
『右!』
「え?」
『右に開けた場所がある! あそこに降りる!』
ケンはモニターを確認する。
「右……。」
ダウトを傾ける。
「こっち?」
『逆だバカ!』
「えぇ!?」
『お前の機体基準の右だ!』
「宇宙と違って地面あるから分かりにくいんだよ!」
『今さら上下で混乱すんな!』
言われるまま姿勢を直す。
眼下の景色が流れる。
森。
川。
起伏のある大地。
そして、その先に比較的開けた場所が見えてきた。
「……あそこ?」
『そこだ!』
「よし!」
ケンはダウトの降下角度を変える。
ブルーガも横に付く。
ところが。
『……くそっ。』
スコルの声が変わった。
「どうしたの?」
『こっち、左脚の姿勢制御が死にかけてる。』
「え?」
『突入でやられたみてぇだ。着地で踏ん張れるか分からん。』
「ちょっと待って、それヤバくない?」
『だからヤバいって言ってんだろ!』
「じゃあ先に言ってよ!」
『今分かったんだよ!』
ブルーガの高度がわずかに落ちる。
ダウトより先に降下し始めていた。
「スコル!」
『自分の方だけ見てろ!』
「無理!」
『は?』
「このまま落としたら助けた意味ないだろ!」
『誰が助けろっつった!』
「言ってないけど!」
『じゃあ放っとけ!』
「嫌だ!」
即答だった。
ケンはダウトをブルーガ側へ寄せる。
『おい、何してる!』
「ちょっと掴む!」
『ちょっとで済むか!』
「いいから!」
ダウトの左腕が伸びる。
ブルーガの右腕を掴んだ。
機体同士が接触する。
「これで少し速度落とせる?」
『テメェまで引っ張られるぞ!』
「一緒に落ちるよりいい!」
『今も一緒に落ちてんだよ!』
「そういう意味じゃなくて!」
二機のスラスターが同時に吹く。
高度を落としながら、少しずつ前進速度を殺していく。
草原が近付く。
もう木の一本一本まで見える。
「うわ、地面近っ!」
『当たり前だ! 着陸すんだから!』
「分かってるけど!」
『脚出せ!』
「出してる!」
『姿勢起こせ!』
「やってる!」
『もっと!』
「無茶言うな!」
ダウトの脚部が地面へ近付く。
ブルーガも隣で機体を起こした。
「来る!」
『踏ん張れ!』
次の瞬間。
ダウトの両脚が地面を捉えた。
「うわあああっ!」
衝撃。
コックピットが大きく揺れる。
機体が前へ滑る。
土と草が盛大に巻き上がった。
横ではブルーガも接地する。
『ぐおおおっ!』
左脚が大きく流れる。
「スコル!」
ケンは咄嗟にブルーガの腕を掴んだまま、ダウトの出力を上げる。
二機がそのまま地面を削るように滑っていく。
何十メートル。
さらに。
やがて。
止まった。
「……。」
ケンは操縦桿を握ったまま動かなかった。
コックピット内には、まだ警告表示がいくつも残っている。
でも。
もう落ちていない。
揺れてもいない。
「……止まった?」
『止まった……みてぇだな。』
「……。」
『……。』
数秒。
「やった……。」
『おう。』
「着いた……?」
『多分な。』
「多分って。」
『テメェもさっき散々言ってただろうが!』
「それとこれは違う!」
『同じだ!』
ケンは思わず笑った。
体中の力が抜ける。
「……疲れたぁ……。」
『同感だ。』
しばらく。
二人とも動かなかった。
◇
ベルーガは別の空域を降下していた。
大気圏突入そのものは無事に終えている。
けれど。
ブリッジの空気は重かった。
「ダウトの反応は?」
ノンが何度目か分からない問いを投げる。
「まだ拾えてやせん。」
グレアーは端末から目を離さない。
「大気圏突入後は位置情報がかなりズレやす。通信もまだ安定してやせん。」
「でも、生きてる可能性はあるんでしょ?」
「ありやす。」
即答だった。
ノンがグレアーを見る。
「大気圏突入中にダウトの反応自体が完全消失したわけじゃありやせん。」
グレアーは複数の観測ログを切り替える。
「ただ、地上へ降りてからの位置がまだ掴めてないだけでやす。」
格納庫から通信が入る。
『グレアー!』
「なんでやす?」
『ダウトのフレーム識別信号、もう一回広域で拾ってみろ!』
「今やってやすよ。」
『もっと範囲広げろ! あいつがまともに降りてる保証ねぇだろ!』
「分かってやす!」
珍しく両者とも声が強い。
ノンは黙って前方を見た。
雲の向こう。
どこかにケンがいる。
そう思うしかない。
「ケン……。」
メイド長が静かにノンの隣へ立つ。
「お嬢様。」
「……大丈夫。」
ノンは前を向いたまま答える。
「大丈夫だから。」
誰に言っているのか。
自分でも分からなかった。
その時。
「反応!」
通信士が声を上げる。
ノンが勢いよく振り返った。
「何!?」
「微弱ですが、XF-Gフレームの識別信号を確認!」
「場所は!?」
「現在位置からかなり離れています! 地上付近!」
ノンの表情が一気に変わる。
「地上……。」
グレアーも大きく息を吐いた。
「どうやら坊主、ちゃんと降りたみたいでやすね。」
格納庫から。
『……バカ坊主。』
おやっさんの声。
今度は、少しだけ安心が混じっていた。
「すぐ迎えに行ける?」
ノンが聞く。
グレアーは位置データを見る。
「今すぐは難しいでやす。」
「なんで?」
「ベルーガ自体の降下と着陸を先に済ませないといけやせん。」
「でも!」
「お嬢。」
グレアーが振り返る。
「坊主は生きてやす。」
少しだけ笑う。
「位置も分かった。」
「ならまず、こっちを安全に降ろしやしょう。」
ノンは何か言いたそうにした。
けれど。
少しだけ間を置いて。
「……分かった。」
前を向く。
「でも、出来るだけ早く迎えに行くわよ。」
「もちろんでやす。」
◇
ケンはコックピットのハッチを開いた。
「……。」
最初に入ってきたのは、風だった。
「うわ……。」
頬に当たる。
冷たい。
でも、人工的な送風とは違う。
一定じゃない。
強くなったり。
弱くなったり。
草の匂いを運んでくる。
「……これが風?」
コックピットから顔を出す。
空。
どこまでも広がっている。
天井がない。
コロニーの外壁も。
照明設備も。
何もない。
「……。」
ケンはしばらく動けなかった。
映像で何度も見ていた。
でも。
全然違う。
「……でか。」
『何がだ。』
横から声。
ブルーガのハッチも開いていた。
中からスコルが顔を出している。
「空。」
『……は?』
「空、でかい。」
『空はデカいとかいうもんじゃねぇだろ。』
「だって上全部空じゃん。」
『当たり前だ!』
「その当たり前が初めてなんだって!」
スコルが一瞬黙る。
『……ああ。』
ようやく思い出したらしい。
『そういやテメェ、コロニー育ちか。』
「そう。」
『ならまあ……分からんでもねぇ。』
「スコルさん優しい。」
『気持ち悪い言い方すんな。』
「えぇ……。」
ケンはコックピットから外へ出る。
機体を伝って降りようとした、その瞬間。
「……ん?」
身体が重い。
「うわっ!」
足を踏み外しかける。
慌てて手すりを掴んだ。
『何してんだ!』
「重っ!」
『は?』
「身体重い!」
『重力だよ!』
「これずっと!?」
『ずっとだ!』
「地球の人、毎日これで生活してるの!?」
『そうだよ!』
「大変じゃん!」
『慣れるわ!』
ケンは慎重に降りる。
いつもの感覚で身体を動かそうとすると、思ったより足が下へ引かれる。
一段。
また一段。
最後に地面へ足を着いた。
「……。」
靴底の下。
土。
草。
少し柔らかい。
ケンは無言でしゃがみ込む。
地面へ手を伸ばした。
「……本物だ。」
『何がだよ。』
スコルもブルーガから降りてくる。
「土。」
『偽物の土なんかあんのか?』
「コロニーにもあるけどさ。」
ケンは指先で土を掴む。
「なんか……違う。」
『どう違う。』
「分かんない。」
『分かんねぇのかよ!』
「でも違うんだって!」
風が吹く。
草が一斉に揺れる。
ケンは顔を上げた。
「……うわ。」
その先には、遠くまで続く緑。
森。
さらに向こうに山。
空には雲が流れている。
「すげぇ……。」
また同じ言葉が出た。
それしか出なかった。
「本当に地球だ。」
しばらく。
ケンはただ景色を見ていた。
「……。」
後ろで足音。
振り返る。
男が立っている。
ケンよりずっと年上。
軍服姿。
少し荒っぽそうな顔。
「……。」
「……。」
二人は初めて。
通信越しではなく。
直接顔を合わせた。
ケンが先に口を開く。
「スコル?」
「スコルさんだ。」
「まだ言うの?」
「当たり前だ。」
スコルは少しだけケンを見回した。
「……お前がケン=大神か。」
「うん。」
「……。」
「何?」
「もっとヤバそうな奴かと思ってた。」
「どういう意味!?」
「そのまんまだ。」
「ひどくない!?」
スコルは鼻で笑う。
それから少しだけ表情を変えた。
「……まあ。」
「何?」
「助かった。」
「え?」
「さっき。」
スコルは視線を逸らす。
「大気圏突入。」
「……。」
「テメェがいなかったら、俺は間違いなく燃えてた。」
ケンは少しだけ驚く。
「……うん。」
「そこは謙遜しろよ。」
「だって実際そうじゃん。」
「腹立つなテメェ。」
「なんで!?」
スコルはため息を吐いた。
「とにかく。」
少し間を置く。
「礼は言う。」
「……どういたしまして。」
ケンが笑う。
その直後。
スコルの表情が変わった。
「ただし。」
「ん?」
「テメェが指名手配されてることは別だ。」
「……。」
「地球連邦軍人としては、見つけた以上――」
「ちょっと待って。」
「なんだ。」
「今やるの?」
「何が。」
「逮捕。」
「当たり前だ。」
「今!?」
「軍人だからな。」
「さっき一緒に燃えかけたばっかりなのに!?」
「それとこれとは別だ。」
「別にしないでよ!」
ケンが思わず一歩下がる。
だが。
重力にまだ慣れていないせいで、足がもつれた。
「うわっ!」
尻餅。
スコルが呆れたように見下ろす。
「……本当にこいつがガンダムのパイロットか?」
「今のは重力のせい!」
「情けねぇ。」
「地球初心者なんだから仕方ないだろ!」
ケンは立ち上がる。
スコルは少しだけ口元を緩めた。
そして。
「……まあ。」
今度は先ほどよりも声が落ち着いていた。
「今すぐ縛り上げる気はねぇよ。」
「え?」
「俺も機体もこの有様だ。」
スコルが焼けたブルーガを見る。
「母艦との通信もまともに通らねぇ。」
「じゃあ。」
「勘違いすんな。」
すぐに釘を刺す。
「借りがあるだけだ。」
「借り?」
「命助けられた。」
スコルはケンを見る。
「それくらい返してからでも、捕まえるのは遅くねぇ。」
「結局捕まえるんじゃん!」
「軍人だからな。」
「それ便利な言葉だな!」
スコルは無視した。
携帯端末を取り出して通信を試す。
ノイズ。
反応なし。
「……やっぱ駄目か。」
「繋がらない?」
「大気圏突入で通信系もやられたらしい。」
「ダウトもベルーガと繋がらない。」
「ならしばらくは二人だな。」
「……。」
「何だその顔。」
「嫌そうだなって思って。」
「嫌に決まってんだろ。」
「即答!?」
「指名手配犯と二人きりだぞ。」
「俺だってガラ悪い軍人と二人きりなんだけど!」
「誰がガラ悪い。」
「スコルさん。」
「さん付けりゃ何言ってもいいと思ってんのか?」
「ちょっと。」
「ちょっとじゃねぇ。」
二人の声が、広い草原に響く。
風が吹いた。
ケンはふと黙る。
「……。」
「今度は何だ。」
「静かだなって。」
スコルが周囲を見る。
「そうか?」
「コロニーって、何かしら機械の音するんだよ。」
空調。
循環設備。
遠くを走る機械。
人が作った世界の音。
「ここ、風と草の音しかしない。」
スコルはしばらく何も言わなかった。
「……そういうもんか。」
「うん。」
ケンは空を見上げる。
青い。
本当に。
どこまでも。
「……地球に来たんだな。」
スコルが横で鼻を鳴らす。
「来たっていうか。」
「ん?」
「落ちてきたんだろ、俺達。」
「……。」
ケンが嫌そうな顔をする。
「それ言うなよ。」
「事実だ。」
「せっかく感動してたのに!」
「知らん。」
ケンは文句を言いながらも、もう一度空を見上げた。
想像していた地球到着とは。
何もかも違った。
ベルーガとは離れ。
隣にいるのはノンでもグレアーでもない。
自分を捕まえに来た連邦軍人。
ダウトは焼け。
通信も繋がらない。
それでも。
足元には地面があり。
頬には風が当たり。
頭上には、本物の空が広がっている。
ケン=大神は。
ようやく。
初めて地球の大地へ降り立っていた