機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~ 作:NageT
地球を離れたベルーガは、月へ向けて航行を続けていた。
艦内では各部署が通常の航行業務に当たっていたが、会議室だけは朝から慌ただしい空気に包まれていた。
中央の大型モニターには、次々と数字が表示されている。
「……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……。」
ケンは画面に並ぶ数字を指で追いながら、一つずつ桁を数えていた。
「……え? ちょっと待って。これ、数え間違いじゃない?」
「間違いじゃありやせんぜ、坊主。」
端末を操作していたグレアーが、いつもの調子で答える。
「赤ずきんちゃんネルに届いたメッセージの総数です。初動だけで一千万件を超えていやす。」
「いっせんまん!?」
ケンの声が会議室に響いた。
「いやいやいや! ちょっと待ってよ! 一千万って! 俺の昔の動画なんて、再生数三桁だったんだよ!?」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ。」
隣に座っていたノンが呆れたように言う。
「いや、そうだけどさ! だって一千万だよ!? そんな数、見たことないって!」
ケンはもう一度モニターを見上げた。
そこには地球や各コロニーから寄せられたメッセージが、今も絶え間なく追加され続けていた。
戦争を止めてほしい。
家族を戦場へ行かせたくない。
もう誰にも死んでほしくない。
平和に暮らしたい。
そんな言葉が、画面いっぱいに並んでいる。
届いていたのは、文字によるメッセージだけではなかった。
写真や動画も、数え切れないほど送られてきていた。
「……あ、これ見てよ、ノン。」
ケンが一枚の写真を画面に映し出した。
そこには、数人の少年達が笑顔で並び、手作りの段ボールを掲げている姿が写っていた。
段ボールには、大きな文字でこう書かれている。
『NO WAR!』
「……子供達まで。」
ノンが小さく呟いた。
次に表示されたのは、地球の企業とコロニーの企業で働く社員達の写真だった。
それぞれが自分達の会社名が書かれた看板を抱え、中央では代表と思われる二人が固く握手を交わしている。
地球とコロニー。
所属する国家は違っても、互いに協力して仕事をしてきた人々がいる。
その写真は、そんな当たり前の繋がりを伝えているようだった。
さらに画面を切り替えると、大勢の人々が集まった写真が映し出された。
人々の前には、大きな横断幕が掲げられている。
『戦争反対!』
その後ろには、数え切れないほどの人々が並んでいた。
「……すごい人数だね。」
ケンが感心したように言った。
だが、次に再生された動画を見た瞬間、その表情が変わった。
『パパ……戦争に行かないで……。』
画面には、泣きじゃくる幼い子供が映っていた。
『お願い……パパ、行かないでよぉ……。』
涙で顔をくしゃくしゃにしながら、何度も同じ言葉を繰り返している。
ケンは何も言えなくなった。
ノンも唇を結び、じっと画面を見つめていた。
次に流れたのは、一組の老夫婦が並んで座っている動画だった。
白髪の老人が、ゆっくりと口を開く。
『ワシらはな……戦争で息子を失ったんじゃ。』
隣に座る妻は、俯いたまま小さく頷いていた。
『あの子が帰ってくるのを、ずっと待っとった。じゃが……帰ってこんかった。』
老人は一度言葉を詰まらせた。
『こんなことをな……他の人にも経験してほしくないんじゃ。もう、誰の子供も死なせんでほしい。』
その言葉を聞きながら、ケンは静かに拳を握り締めた。
画面には、その後も様々な写真や動画が映し出されていく。
手書きの反戦メッセージを掲げる人々。
家族と一緒に平和を願う子供達。
戦争を経験した人々の証言。
地球からも、コロニーからも、年齢や立場を問わず、多くの人々が自分達の思いを届けていた。
「……みんな、本気なんだね。」
ケンがぽつりと言った。
「ええ。」
ノンは画面を見つめたまま頷いた。
「これだけ沢山の人が、戦争を止めたいって願ってるのよ。」
その声には、静かな力がこもっていた。
『息子が連邦軍にいます。どうか戦争にならないでください。』
『自分は連合軍の兵士です。命令には従います。でも、本当は誰とも戦いたくありません。』
『私達のコロニーは前の戦争で多くの人を失いました。もう二度とあんな思いはしたくありません。』
『赤ずきんさん、ケンケンさん、応援しています。どうか私達の声を届けてください。』
ケンは一つ一つの言葉を目で追っていた。
ほんの少し前まで、自分達の声がどれほどの人に届いているのかも分からなかった。
戦争を止めたい。
ただその思いだけで始めた赤ずきんちゃんネル。
それが今、これほど多くの人々の声を集めている。
「……すごいな。」
思わず言葉が漏れた。
「こんなに沢山の人が、戦争を止めたいって思ってるんだ。」
「ええ。」
ノンも画面を見つめながら頷いた。
「私達だけじゃない。こんなにも沢山の人が、同じことを願ってる。」
その表情には、わずかな安堵が浮かんでいた。
だが、グレアーは端末を操作する手を止めると、二人へ視線を向けた。
「問題は、ここからでやす。」
「問題?」
「これだけの数のメッセージを、どうやって月にいる両軍へ届けるかってことでさぁ。」
その言葉に、ケンとノンは顔を見合わせた。
確かに、集めることばかり考えていた。
だが、一千万件以上ものメッセージを、そのまま両軍へ送るわけにはいかない。
まして相手は、互いに睨み合っている地球連邦軍とコロニー国家連合軍だ。
こちらの通信を受け取ってくれる保証すらなかった。
「とりあえず、全部送っちゃうとか?」
「坊主、それじゃ相手の通信設備を埋め尽くすだけでやすよ。」
「……ですよねぇ。」
ケンは肩を落とした。
「なら、編集するしかないわね。」
ノンが口を開いた。
「全部を届けることはできなくても、できるだけ多くの人の声をまとめるの。地球の人も、コロニーの人も、連邦軍の人も、連合軍の人も。どちらか一方の意見じゃないって分かるように。」
「なるほど。それならベルーガの広域通信で送れやす。」
グレアーが頷く。
「月周辺まで接近すれば、両軍の艦隊へ同時に呼びかけることもできるでしょう。ただし、向こうが通信を受け入れるかどうかは別問題でやすが。」
「……無視されたら?」
ケンが尋ねる。
グレアーは少し考え込んでから答えた。
「その場合は、別の手を使うしかありやせん。」
「別の手って?」
「ダウトでさぁ。」
その一言に、ケンの表情が変わった。
「ダウト?」
「坊主のダウトには、接触した機体のシステムへ侵入する能力がありやす。それを利用するんでさぁ。」
グレアーはモニターにMSの通信系統を表示した。
「まずダウトで両軍のどちらかのMS一機を捕まえる。そこからハッキングして、部隊内のリンク通信へ割り込むんでやす。」
「……つまり?」
「その部隊の連中に、こちらのメッセージを直接聞かせるってことでさぁ。」
「なるほど!」
ケンは思わず手を打った。
「一機に繋げば、他の機体にも声を届けられるってことか!」
「そういうことでやす。ただし、部隊ごとに通信系統が違う可能性もありやすし、簡単にいくとは限りやせん。」
「それに、相手のMSを捕まえるってことは……。」
ノンが言葉を続ける。
「向こうからすれば、攻撃されたと思われるかもしれないわね。」
「……うん。」
ケンは小さく頷いた。
ダウトの力を使えば、相手のMSを停止させることはできる。
だが、こちらが戦うつもりでなくても、相手がそう受け取ってくれるとは限らない。
まして今は、いつ戦争が始まってもおかしくない状況なのだ。
「まずはベルーガから広域通信。それで駄目なら、ダウトで部隊内リンク通信へ割り込む。」
ノンが確認するように言った。
「ええ。それが現状で考えられる方法でやす。」
グレアーが答える。
ケンは椅子の背もたれに身体を預け、大きくため息を吐いた。
「はぁ……できれば最初のベルーガの通信で止まって欲しいけどね。」
誰もすぐには答えなかった。
一千万件を超える反戦の声。
それほど多くの人が望んでいても、戦争が止まるとは限らない。
その現実を、ここにいる全員が理解していた。
「やるしかないのよ……戦争は起こしちゃいけないわ。」
ノンが静かに言った。
その表情には、迷いのない決意が浮かんでいた。
ケンはそんなノンを見つめ、ゆっくりと頷いた。
「……うん。そうだね。」
自分達にできることは、決して多くない。
それでも、何もしなければ何も変わらない。
ならば、できることをやるしかなかった。
*
会議が一段落してからも、ケンとノンは届いたメッセージの確認を続けていた。
すべてを読むことなど到底できない。
それでも、少しでも多くの声に目を通したかった。
「これ、どうかな?」
ケンが端末をノンへ向ける。
「連邦軍の人からだって。自分達も戦争を望んでないって。」
「ええ。候補に入れておきましょう。」
「こっちは連合のコロニーに住んでる家族から。子供がまだ小さいから、戦争になったらどうしようって。」
「それもお願い。」
二人は次々とメッセージを確認していく。
その中には、ケン達への感謝や応援も数多く含まれていた。
『こんな活動をしてくれてありがとう。』
『自分達にも何かできることがあれば協力したいです。』
『戦争を止められると信じています。』
そんな言葉を読むたびに、ケンの胸には温かいものが広がっていった。
「……なんかさ。」
「何?」
「こういうの読むと、頑張らなきゃって思うよね。」
「ええ。」
ノンは小さく微笑んだ。
「私達のことを信じてくれてる人が、こんなにいるんだもの。」
その時だった。
「あれ?」
ケンが一つのメッセージに目を止めた。
「どうしたの?」
「いや、これ……。」
画面には、こんな文章が表示されていた。
『俺も戦争反対でーす! コラボしませんか? フラチェコロニーにいます!』
「……コラボ?」
ノンが首を傾げる。
「うん。ハロクルの人みたい。」
ハロクル。
86ちゃんTVで活動する配信者達のことだ。
ケンも以前は、そんな配信者の一人として、再生数を増やすことばかり考えていた。
「まあ、応援してくれてるみたいだし……。」
そう言いかけたケンの手が止まった。
「あれ? こっちにもある。」
『月へ行く前にウチのコロニーにも寄ってもらって、コラボしませんか?』
さらに別のメッセージ。
『赤ずきんちゃんネルさん! ぜひ一緒に動画撮りましょう!』
『戦争反対企画でコラボしませんか? うちのチャンネルでも宣伝します!』
似たような内容が、いくつも届いていた。
「……結構来てるね。」
ケンは困ったように笑った。
だが、隣から返事はなかった。
「……ノン?」
振り向くと、ノンは画面をじっと見つめていた。
先ほどまで浮かんでいた微笑みは、すっかり消えている。
「……この人達、状況わかってるの?」
「え?」
「今、何が起ころうとしてるのか、分かってるのかって聞いてるの。」
その声は、いつもより低かった。
「いや……一応、戦争反対って書いてあるし……。」
「そういうことじゃないでしょ!」
突然の大声に、ケンは思わず身体を震わせた。
「い、いや、ノン?」
「今、月で戦争が始まろうとしてるのよ! 連邦軍と連合軍が睨み合って、いつ撃ち合いになってもおかしくないの!」
ノンは端末の画面を指差した。
「なのに、ウチのコロニーに寄ってコラボ!? 動画を撮りましょう!? ふざけないでよ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……。」
「落ち着いてなんかいられないわよ!」
ノンの声が会議室に響く。
「さっきまで見てたでしょ!? 家族を戦争に行かせたくない人も、誰にも死んでほしくない人も、こんなに沢山いるのよ!」
その声は、次第に震え始めていた。
「みんな必死なのよ……。戦争が始まったら、どれだけの人が死ぬか分からないのに……。」
ノンは唇を噛み締めた。
「それなのに……コラボって……。」
怒りを通り越したのか、その目には涙が溜まっていた。
ケンは何も言えなかった。
ノンがここまで感情をあらわにする姿を、ほとんど見たことがなかったからだ。
普段のノンは、どんな時でも冷静に物事を考えようとする。
赤ずきんちゃんネルでも、進行役としてケンの暴走を止めるのは彼女の役目だった。
そのノンが、今は怒りを隠そうともしていない。
「……ケン!」
「は、はい!」
「動画撮るわよ! LIVE配信するから急いで!」
「え!? 今から!?」
「今しか出来ないでしょ!」
「わ、わかった!」
ケンは椅子から飛び上がった。
「すぐ準備する!」
そう言って、慌てて会議室を飛び出していく。
ノンはその背中を見送ると、もう一度モニターへ目を向けた。
画面には、今も新しいメッセージが届き続けていた。
戦争を止めてほしい。
誰にも死んでほしくない。
平和でいてほしい。
その一つ一つを見つめながら、ノンは目元を拭った。
「……絶対に、止めなきゃ。」
*
しばらくして、ベルーガ艦内に設けられた配信用の撮影場所では、慌ただしく準備が進められていた。
「よし……ゴーグル、よし! ツナギ、よし!」
ケンはオレンジ色のツナギに着替え、髪を上げて細身の非透過ゴーグルを装着していた。
いつものケンケンとしての姿だ。
だが、本人の表情はどこか落ち着かない。
「……本当に今からやるんだよね?」
「そうよ。」
赤い頭巾を被ったノンが、撮影機材を確認しながら答える。
「準備できた?」
「で、できたよ……。」
「じゃあ始めるわよ。」
「う、うん。」
ケンはノンの隣に立った。
いつもなら、配信前には軽口を叩いたり、冗談を言ったりしている。
だが、今日はそんな雰囲気ではなかった。
ノンの表情は真剣そのものだ。
ケンは余計なことを言わない方がいいと判断し、黙って姿勢を正した。
「……始めるわ。」
ノンが配信開始の操作を行う。
画面にLIVEの表示が灯った。
赤ずきんちゃんネル。
突然の生配信が始まった。
「皆さん、こんにちは。赤ずきんちゃんネルの赤ずきんです。」
「ど、どうもー! ケンケンでーす!」
いつもの挨拶。
しかし、ケンの声は普段より少しぎこちなかった。
ノンはカメラをまっすぐ見つめる。
「突然のLIVE配信で驚かれている方もいらっしゃると思いますが、今、緊急で動画を回しています。」
その声は、いつもの落ち着いた調子だった。
「まずは皆さん、本当にありがとうございます。」
ノンは深く頭を下げた。
「私達の呼びかけに、本当に沢山の方々からメッセージをいただきました。応援の言葉も、戦争を止めてほしいという声も、初動だけで一千万件以上届いています。」
隣でケンも頭を下げる。
「本当に、ありがとうございます!」
「地球に住む方々、コロニーに住む方々、そして連邦軍や連合軍に所属する方々からも、戦争を望まないという声が届いています。」
ノンは一度言葉を区切った。
「私達は、この声を持って、戦争を止めに月まで行ってきます。」
ケンは隣で力強く頷いた。
「皆さんからいただいた応援に、背中を押された気持ちです。私達だけでは、ここまで来ることはできませんでした。」
そこまでは、いつもの赤ずきんだった。
だが、次の瞬間、その声色が変わった。
「……しかし、残念なこともありました。」
ケンの肩がわずかに跳ねた。
来た。
そう思った。
「今、まさに月で戦争が始まろうとしています。」
ノンはカメラを見つめたまま続ける。
「地球連邦軍とコロニー国家連合軍が対峙し、いつ戦闘が始まってもおかしくない状況です。私達は、それを止めるために月へ向かっています。」
その声に、次第に力がこもっていく。
「そんな時に……コラボ依頼です。」
ケンは背筋を伸ばした。
「私達の活動に興味を持っていただけることは、ありがたいと思っています。でも、今、私達が何をしようとしているのか、本当に理解しているんですか!?」
ノンの声が大きくなる。
「月へ行く前に自分達のコロニーへ寄ってほしい? 一緒に動画を撮りたい?」
ノンは拳を握り締めた。
「私達は悠長に寄り道している時間はありません!」
ケンは直立したまま動かなかった。
何か言おうとして口を開きかけたが、すぐに閉じる。
「そのメッセージをくれたハロクルの方々! 分かっていますか!?」
ノンはまっすぐカメラを見据えた。
「貴方達の住む場所が、戦場になるのかもしれないんですよ! 自覚はありますか!?」
その声は震えていた。
「今まで通り、動画を撮って、楽しく暮らして、それが明日も続くと思っているのかもしれません。でも、戦争が始まったら、それが全部なくなってしまうかもしれないんです!」
ノンは一度息を吸った。
「私達に届いたメッセージの中には、家族を失いたくないという人が沢山いました。戦争に行きたくないという兵士の方もいました。もう二度と戦争を経験したくないという人もいました。」
その目には、再び涙が滲んでいた。
「そんな人達が、必死に声を上げているんです!」
ケンは隣で、じっとノンの言葉を聞いていた。
自分も動画配信をしてきた人間だ。
再生数が欲しかった。
人気者になりたかった。
有名な配信者とコラボできたら、きっと嬉しかっただろう。
だから、コラボを申し込んできたハロクル達の気持ちが、全く分からないわけではない。
けれど、今は違う。
自分達が月へ向かっているのは、再生数を増やすためではない。
戦争を止めるためだ。
ノンはカメラへ向けて、さらに言葉を続けた。
「コラボ?」
少しだけ間を置く。
「したければ、どうぞご協力ください!」
ノンははっきりと言い切った。
「私達は月にいます!」
ケンが思わずノンの方を見る。
「本当に戦争を止めたいと思っているなら、どうか皆さんも声を上げてください! 皆さんのチャンネルでも、この現状を伝えてください!」
ノンは胸の前で拳を握った。
「一人でも多くの協力があれば助かります! 私達だけでは、戦争を止められるか分からないんです!」
その言葉は、怒りだけではなかった。
必死の訴えだった。
「どうか、お願いします。」
ノンは深く頭を下げた。
しばらくそのまま動かなかった。
そして顔を上げると、いつもの赤ずきんとして締めくくった。
「以上、赤ずきんちゃんネルでした!」
配信終了。
LIVEの表示が消えた。
撮影場所に、静寂が戻る。
「…………。」
ケンは直立したまま動かなかった。
最初の挨拶以降、結局一言も喋っていない。
いや、喋れなかったと言った方が正しい。
ノンの剣幕に、完全に圧倒されていたのだ。
「……ケン。」
「は、はい!」
反射的に返事をする。
「終わったわよ。」
「……あ、うん。」
ケンはようやく肩の力を抜いた。
「いやぁ……すごかったね。」
「何が?」
「いや、その……ノンが。」
「私?」
「う、うん。あんなに怒ってるノン、初めて見たかも……。」
ノンは少しだけ目を伏せた。
「……そうね。」
そして、小さく息を吐く。
「でも、言わずにはいられなかったの。」
「……うん。」
「沢山の人が、あんなに必死に声を上げてくれてるのに……。」
ノンはそこで言葉を止めた。
ケンは少し考えてから、口を開いた。
「でもさ、ノン。」
「何?」
「ちゃんと伝わったと思うよ。」
ノンが顔を上げる。
「俺だって、昔は動画の再生数とか、人気者になることばっかり考えてたからさ。あの人達の気持ちも、ちょっとは分かるんだ。」
ケンは照れくさそうに笑った。
「でも、今はそういうことじゃないんだって、俺も分かってる。」
「……ケン。」
「だからさ、ノンの言いたかったこと、きっと伝わったと思う。」
ノンはしばらくケンを見つめていた。
やがて、ほんの少しだけ表情を緩める。
「……そうだといいわね。」
そして、もう一度大きく息を吐いた。
「よし!」
突然の声に、ケンがびくりとする。
「な、何!?」
「言いたい事は言ったわ! 今できる事もやった!」
ノンは勢いよく顔を上げた。
「行くわよ、月へ!」
「……お、おーっ!」
ケンも慌てて拳を突き上げた。
その様子を見て、ノンはようやく小さく笑った。
*
ベルーガは月へ向かって進んでいた。
艦の前方には、まだ遠く小さく見える月が浮かんでいる。
その周辺では、地球連邦軍とコロニー国家連合軍が互いに戦力を展開し、緊張状態を続けていた。
今のところ、戦闘が始まったという報告はない。
だが、それがいつまで続くのかは誰にも分からなかった。
ベルーガの会議室では、グレアーが新たに届いたメッセージを確認していた。
赤ずきんちゃんネルの緊急LIVE配信が終わってからも、反戦の声は増え続けている。
その中には、配信を見て改めて協力を申し出る人々の言葉も混じっていた。
グレアーは画面に目を通しながら、小さく笑った。
「……お嬢も、なかなかやりやすねぇ。」
そして再び端末を操作し、両軍へ届けるメッセージの編集作業を続けた。
戦争を望まない人々の声。
それは今も、地球から、コロニーから、そして宇宙のあらゆる場所から届き続けている。
その声が、銃を構える兵士達へ届くのか。
その声で、戦争を止めることができるのか。
答えはまだ、誰にも分からない。
それでも、ケン達は進む。
自分達を信じて声を託してくれた人々のために。
そして、二度と戦争を起こさせないために。
ベルーガは、数え切れないほどの人々の願いを乗せて、月へと向かっていた。