機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~ 作:NageT
月周辺宙域。
地球連邦軍とコロニー国家連合軍の艦隊は、互いに一定の距離を保ちながら対峙していた。
双方とも大規模な戦力を展開しており、周辺宙域には無数の艦艇とモビルスーツが配置されている。
しかし、今のところ戦闘は始まっていない。
互いの動きを監視し、相手が先に手を出さないかと警戒を続けるだけの時間が、もう何日も続いていた。
そんな地球連邦軍の艦隊の一隻に、ノクト=フーガの姿があった。
ノクトは今回、所属していた艦ごと月周辺への招集命令を受けていた。
戦闘に備えてノーマルスーツを着用しているものの、まだモビルスーツへ搭乗する命令は出ていない。
艦内の待機室では、同じくノーマルスーツ姿のクラウスとジータ、そして新たに部隊へ配属されたバンが待機していた。
ノクトは壁際に立ち、モニターに映し出された月周辺の戦況図を眺めていた。
赤く表示されたコロニー国家連合軍の艦隊。
青く表示された地球連邦軍の艦隊。
その間には、まだ戦闘が行われていないことを示す空白が広がっている。
だが、その空白がいつまで保たれるのかは分からない。
招集命令が下された以上、軍人である自分達に拒否するという選択肢はなかった。
それでも、ノクトの胸には拭いきれない迷いがあった。
このままでいいのだろうか。
かつて多くの犠牲を出した戦争が、再び始まろうとしている。
自分はまた、命令に従って戦うのか。
その結果、何を守り、何を失うことになるのか。
考えても答えは出なかった。
「いやぁ、それにしてもすごい数だよねぇ。」
ジータがモニターを眺めながら声を上げた。
小柄な身体にノーマルスーツを着込み、椅子に腰掛けたまま両軍の配置を見比べている。
「これだけ集まって、ずーっと睨み合いだもんね。見てるこっちまで疲れちゃうよ。」
「……油断するな。」
クラウスが短く答えた。
壁際に立つ彼は、腕を組んだままモニターを見つめている。
「分かってるって。」
ジータは軽く肩をすくめた。
「でもさ、こんなに沢山の艦隊を集めて、何も起こらないなんて思えないじゃん?」
「……だからこそ、互いに手を出せずにいる。」
「まあ、そうなんだけどさぁ。」
ジータは椅子の背もたれに身体を預けた。
「誰かが間違えて撃っちゃったりしたら、どうなるんだろうね。」
クラウスは答えなかった。
その言葉を否定できなかったからだ。
「……あの。」
少し離れた場所から声がした。
新たに配属されたバンだった。
「本当に、戦闘になるんでしょうか。」
ジータが顔を向ける。
「それが分かれば苦労しないって。」
「……ですよね。」
バンは困ったように笑った。
「自分、まだこういう大規模な艦隊の睨み合いって経験がなくて……。」
「経験しないで済むなら、その方がいいよ。」
ジータは軽い調子で答えた。
「僕だって、できればこのまま帰りたいもん。」
「……同感だ。」
クラウスが短く呟いた。
その返事に、ジータは少し驚いたように顔を向けた。
「おっ、クラウスもそう思うんだ?」
「……当たり前だ。」
「ははっ、そりゃそうだよね。」
ジータは笑ったが、すぐにモニターへ視線を戻した。
「……スコルも戻ってくればよかったのになぁ。」
ノクトの視線が、わずかに動いた。
スコル。
かつて自分達と共に戦っていた部下。
ベルーガに身を寄せていた彼が無事だったことは、赤ずきんちゃんネルの配信でも確認していた。
その後、父オルフェウスからも連絡を受けている。
スコルはベルーガを離れ、地球連邦軍へ戻る道を選んだ。
軍を内側から変えるために。
その決意を聞いた時、ノクトは少なからず驚いた。
あれほどの経験をしてなお、連邦軍へ戻るという選択をしたのだから。
「地球に降りたんだ。すぐには戻れんだろう。」
クラウスが答える。
「……生きていれば、また会える。」
「……そうだね。」
ジータは小さく頷いた。
「今度会ったら、色々言ってやらないと。」
「……ほどほどにな。」
「分かってるって!」
ジータは笑って答えた。
そんな二人の会話を聞きながら、ノクトは静かに目を伏せた。
生きていれば、いつか会える。
確かにその通りだ。
だが、戦場では、その当たり前のことすら約束されない。
今ここにいるクラウスも、ジータも、バンも。
戦闘が始まれば、次の瞬間には失ってしまうかもしれない。
ノクトは拳を握り締めた。
もう、部下を失いたくない。
それだけは、強く思った。
「……隊長。」
クラウスが声を掛ける。
ノクトは顔を上げた。
「……いや、何でもない。」
そう答え、再びモニターへ目を向ける。
月周辺に展開する両軍の艦隊。
そのどこかへ、今もベルーガが向かっているはずだった。
謹慎中、ノクトは赤ずきんちゃんネルの配信を見ていた。
赤いパーカーのフードで顔を隠した少女。
その正体が妹のカノンであることを、ノクトは知っている。
彼女が何をしようとしているのかも、理解しているつもりだった。
だが、実際に戦争が始まろうとしているこの場所へ向かってくることには、不安を隠せなかった。
「……カノン。」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
「お前も近くにいるんだろう……。」
ノクトは目を閉じた。
「……無茶だけはしてくれるな。」
*
一方、コロニー国家連合軍の艦隊でも、緊張は高まり続けていた。
艦橋の大型モニターには、地球連邦軍の艦隊が映し出されている。
艦長席に座る男は、その光景を険しい表情で見つめていた。
「連邦軍に動きは?」
「ありません。依然として警戒態勢を維持しています。」
「……そうか。」
艦長は短く答えた。
目の前にいるのは、かつて自分達と戦った地球連邦軍。
休戦によって銃を向け合うことはなくなったはずだった。
だが、今は再び互いに武器を構えている。
艦長は拳を握り締めた。
戦争が始まれば、多くの命が失われる。
そんなことは分かっている。
それでも、連邦軍の艦影を見るたびに、胸の奥から消えない感情が込み上げてくる。
過去の戦争で失ったもの。
決して戻ってこない人々。
その記憶を、簡単に忘れることなどできなかった。
「……艦長。」
副官が声を掛ける。
「何だ。」
「兵達の間にも不安が広がっています。長期間の警戒態勢で、疲労も蓄積しているようです。」
「分かっている。」
艦長は静かに答えた。
「だからこそ、余計な挑発はするなと伝えろ。こちらから手を出す必要はない。」
「了解しました。」
副官が敬礼する。
艦長は再びモニターへ目を向けた。
連邦軍の艦隊は、変わらずそこにいる。
まるで、過去の戦争が終わっていなかったかのように。
*
その頃、ベルーガは月周辺宙域へ接近していた。
ブリッジの大型モニターには、両軍の艦隊が映し出されている。
「……うわぁ。」
ケンは思わず声を漏らした。
画面に映っているのは、無数の艦艇とモビルスーツ。
その数は、これまでケンが目にしてきたどんな戦力とも比較にならなかった。
「……本当に、こんなに集まってるんだ。」
「ええ。」
隣に立つノンが答える。
「これだけの戦力がぶつかったら、どれだけの犠牲が出るか分からないわ。」
ケンは黙って頷いた。
自分達が止めようとしている戦争。
その現実が、目の前に広がっている。
「グレアー、準備は?」
ノンが振り向く。
「いつでもいけやす。」
グレアーは通信端末を操作しながら答えた。
「86ちゃんTVのLIVE配信と、ベルーガの広域通信を同時に行いやす。こちらの映像と音声、それから編集したメッセージを両軍へ送る手筈でさぁ。」
「向こうが通信を切ったら?」
ケンが尋ねる。
「その時はその時でやす。ただ、広域通信で一斉に送る以上、全ての艦艇やMSが即座に遮断できるとは限りやせん。」
グレアーは画面に表示された通信範囲を確認した。
「それに、向こうも突然現れた艦から何が送られてくるのか、確認せずに無視するわけにはいかないでしょう。」
「……なるほど。」
ケンは小さく頷いた。
ケンは自分の姿を確認した。
オレンジ色のツナギ。
上げた髪。
そして、細身の非透過ゴーグル。
いつものケンケンとしての姿だった。
ノンも赤いパーカーのフードを被り、顔が見えないように整えている。
普段の配信と違うのは、目の前にいる相手が世界中の視聴者だけではないということだった。
今から自分達は、戦争を始めようとしている両軍の兵士達へ直接呼びかける。
ケンは大きく息を吸った。
「……よし。」
そして、ノンへ顔を向ける。
「行こう、赤ずきん。」
「ええ。」
ノンは頷いた。
「始めましょう。」
グレアーが通信開始の操作を行う。
ブリッジのモニターに、LIVEの文字が灯った。
*
地球連邦軍の旗艦。
「未確認艦から広域通信です!」
通信士の報告に、指揮官が顔を上げた。
「未確認艦だと?」
「はい! 両軍の艦隊に向けて、映像通信を発信しています!」
「何だと!? 映せ!」
大型モニターに映像が表示された。
そこに映っていたのは、赤いパーカーのフードで顔を隠した少女と、オレンジ色のツナギにゴーグルを着けた少年だった。
『皆さん! こんにちは! 赤ずきんちゃんネルのケンケンです!』
突然の明るい挨拶に、艦橋の兵士達は呆気に取られた。
『赤ずきんです。突然の通信、失礼します。』
「……何だ、これは。」
指揮官が眉をひそめる。
だが、次の瞬間、少年が画面に向かって叫んだ。
『俺達、戦争を止めに来ました!』
艦橋が静まり返った。
『今、月の周りで地球連邦軍とコロニー国家連合軍が睨み合っています! でも、俺達は戦争なんかしてほしくないんです!』
ケンはカメラへ向かって身を乗り出した。
『だから、皆さんに聞いてほしいことがあるんです!』
続いて、ノンが口を開いた。
『世界には、こんなに戦争をしたくないと言っている人達がいます!』
その言葉と同時に、画面が切り替わった。
そこには、地球やコロニーから寄せられた無数のメッセージが表示されていた。
『戦争を止めてください。』
『家族を戦場へ行かせたくありません。』
『もう誰にも死んでほしくない。』
『地球もコロニーも、同じ人間じゃないですか。』
次々と流れる言葉。
そして、写真が映し出された。
数人の少年達が、手作りの段ボールを掲げている。
『NO WAR!』
地球の企業とコロニーの企業の社員達が、それぞれの社名を掲げ、中央で握手を交わしている写真。
戦争反対の横断幕を掲げ、その後ろに大勢の人々が並んでいる写真。
さらに、動画が再生された。
『パパ……戦争に行かないで……。』
泣きじゃくる幼い子供。
『お願い……パパ、行かないでよぉ……。』
その声が、艦橋に響いた。
続いて、一組の老夫婦が映し出される。
『ワシらはな……戦争で息子を失ったんじゃ。』
老人は震える声で語り始めた。
『あの子が帰ってくるのを、ずっと待っとった。じゃが……帰ってこんかった。』
隣に座る妻は、俯いたまま涙を拭っていた。
『こんなことをな……他の人にも経験してほしくないんじゃ。もう、誰の子供も死なせんでほしい。』
その言葉を聞き、艦橋の兵士達は誰も口を開かなかった。
指揮官だけが、険しい表情でモニターを睨みつけていた。
「……やめさせろ。」
通信士が振り向く。
「は?」
「こんなものを流すな! 今すぐ止めろ!」
「し、しかし……!」
「何をしている! 通信を遮断しろ!」
指揮官が怒鳴った。
通信士は慌てて端末を操作する。
「本艦の受信は遮断できます! ですが、既に艦隊全域へ広域通信が送られています!」
「ならば各艦へ命令を出せ!」
「……司令!」
別の士官が声を上げた。
「彼らは、戦争を止めたいと言っているだけです!」
「だから何だ!」
指揮官は怒鳴り返した。
「軍の作戦行動中に、こんなものを流されては士気に関わる!」
「ですが、兵達も……!」
「黙れ!」
艦橋に怒声が響いた。
しかし、指揮官がどれほど怒鳴ろうとも、既に映像は多くの艦艇とモビルスーツへ届いていた。
*
コロニー国家連合軍の艦隊でも、同じ映像が流れていた。
艦橋のモニターに映る赤ずきんとケンケン。
そして、世界中から寄せられた反戦の声。
艦長席に座る男は、黙ったまま映像を見つめていた。
『戦争なんて、もう嫌です。』
『大切な人を失いたくありません。』
『どうか、戦わないでください。』
その言葉が、次々と流れていく。
艦長は拳を握り締めた。
分かっている。
戦争をすれば、多くの人が死ぬ。
自分達だけではない。
相手にも家族があり、帰りを待つ人々がいる。
そんなことは、とうの昔に理解している。
それでも。
連邦軍への憎しみは、消えてくれなかった。
失った人々の顔が、今も忘れられない。
あの時の怒りも、悲しみも、胸の奥に残り続けている。
画面には、先ほどの老夫婦が再び映し出されていた。
『もう、誰の子供も死なせんでほしい。』
艦長は唇を噛み締めた。
「……こんなものを見せられても……。」
小さく声が漏れる。
副官が振り向いた。
「艦長?」
「……こんなものを見せられても、まだ恨む気持ちを捨てられんとはな。」
艦長の握り締めた拳が震えていた。
目には涙が浮かんでいる。
「……情けないものだ。」
副官は何も言わなかった。
艦長も、それ以上は口を開かなかった。
ただ、モニターに映し出される人々の声を、最後まで見つめ続けていた。
*
地球連邦軍の艦内待機室。
ノクト達のもとにも、ベルーガからの広域通信が届いていた。
「……あれ? 赤ずきんちゃんネルじゃん!」
ジータが驚いたように声を上げる。
「えっ、ちょっと待って! この人達、月まで来ちゃったの!?」
「……そうらしいな。」
クラウスが短く答えた。
バンも画面を見つめていた。
「この人達……本当に戦争を止めるために来たんですか?」
「そうみたいだね。」
ジータが答える。
「いやぁ、すごいよね。僕達だってこんなところに来るの嫌だったのにさ。」
画面では、赤ずきんとケンケンが両軍へ向かって呼びかけていた。
『皆さん、お願いします! どうか、戦争を始めないでください!』
ノクトは、その声を黙って聞いていた。
カノン。
間違いなく、妹の声だった。
謹慎中に何度も見た赤ずきんちゃんネル。
そこで彼女が何を訴え、何をしようとしていたのかは知っていた。
だが、こうして実際に両軍の艦隊へ呼びかけている姿を見ると、その行動の重みが改めて胸に迫ってきた。
次々と映し出されるメッセージ。
写真。
動画。
そのどれもが、戦争を止めたいと願う人々の声だった。
ノクトは画面を見つめたまま、小さく呟いた。
「……カノン。」
その声は、周囲には届かなかった。
「……お前がやりたかった事は、これか……。」
ノクトは静かに目を閉じた。
妹は、武器を持って戦おうとしているわけではない。
戦争を望まない人々の声を集め、それを戦場へ届けようとしている。
そして今、その声は確かに届いていた。
「……隊長。」
クラウスが声を掛けた。
「……何だ。」
「……いえ。」
クラウスはそれ以上、何も言わなかった。
ノクトも再び画面へ目を向ける。
そこには、必死に戦争を止めようと呼びかける妹の姿があった。
*
両軍の艦隊に、少しずつ変化が現れ始めていた。
連邦軍のモビルスーツ部隊。
ブルーガのコックピットでは、一人の兵士が通信画面を見つめていた。
『パパ……戦争に行かないで……。』
泣きじゃくる子供の姿。
兵士は思わず目を伏せた。
自分にも、地球に残してきた家族がいる。
出撃する前、子供は何も言わずに自分を見送ってくれた。
だが、本当は不安だったのかもしれない。
「……俺だって、戦いたくなんかないよ。」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
別のブルーガから通信が入る。
『……お前も見てるか?』
「ああ。」
『……こんなの見せられたら、撃てなくなるだろ。』
兵士は答えなかった。
ただ、操縦桿を握る手から、少しだけ力が抜けていた。
一方、コロニー国家連合軍のソリダス部隊でも、同じような会話が交わされていた。
『……なあ。』
「何だ?」
『俺達、本当に戦わなきゃいけないのか?』
「……命令が出ればな。」
『そうだけどよ……。』
通信の向こうで、兵士が言葉を詰まらせた。
『あの子供の動画、見ただろ?』
「ああ。」
『……俺の娘と、同じくらいの歳なんだ。』
しばらく沈黙が続いた。
やがて、別の兵士が口を開いた。
『……俺達だって、戦争なんかしたくない。』
その言葉に、誰も反論しなかった。
両軍の兵士達は、互いに武器を構えたまま対峙している。
しかし、その心には確かな変化が生まれ始めていた。
戦うためにここへ来た。
命令が下れば、敵を撃たなければならない。
それでも、本当にそれでいいのだろうか。
そんな疑問が、少しずつ広がっていく。
やがて、一機のブルーガが構えていたライフルの銃口を下げた。
それを見た隣の機体も、ゆっくりと武器を下ろす。
コロニー国家連合軍のソリダス部隊でも、同じような動きが見られ始めていた。
もちろん、全ての兵士が武器を下ろしたわけではない。
警戒を続ける者もいる。
戦闘命令に備え、銃を構え続ける者もいる。
だが、少なくとも今この瞬間、戦争を始めたいと思っている兵士ばかりではないことが、はっきりと分かり始めていた。
*
ベルーガのブリッジ。
LIVE配信を終えたケンとノンは、モニターに映し出された両軍の様子を見つめていた。
「……あれ?」
ケンが声を上げる。
「赤ずきん、見て。」
画面には、ライフルを下ろすブルーガの姿が映っていた。
その隣では、別の機体もゆっくりと銃口を下げている。
「……あ。」
ノンも思わず声を漏らした。
さらに別の画面では、コロニー国家連合軍のソリダスが武器を下ろしていた。
両軍の全てではない。
ほんの一部の機体だけだ。
それでも、確かに変化が起きている。
「……グレアーのおっさん!。」
ケンが振り向く。
「これってさぁ……。」
グレアーはモニターを確認しながら答えた。
「……どうやら、少しは届いたみたいでやすね……おっさん呼びは感心しやせんがね。」
その言葉に、ケンはもう一度画面へ目を向けた。
武器を下ろす兵士達。
戦闘態勢を維持しながらも、互いに撃とうとはしない両軍。
まだ戦争が止まったわけではない。
いつ命令が下り、戦闘が始まるかも分からない。
それでも。
「……届いたんだ。」
ケンが小さく呟いた。
ノンは隣で頷いた。
「ええ……。」
その声は、わずかに震えていた。
「……ちゃんと、届いたのよ。」
ケンはしばらく画面を見つめていた。
一千万件を超えるメッセージ。
戦争を止めてほしいという願い。
家族を失いたくないという声。
誰にも死んでほしくないという思い。
それらが、確かに戦場へ届いている。
ケンはゆっくりと拳を握り締めた。
「……もしかしたらさ。」
「何?」
「本当に、止められるかもしれないね。」
ノンはケンの顔を見た。
そして、静かに頷いた。
「……ええ。」
その表情には、久しぶりに穏やかな笑みが浮かんでいた。
月周辺宙域。
互いに対峙する地球連邦軍とコロニー国家連合軍。
その間には、まだ数え切れないほどの武器が向けられている。
だが、ほんの少しずつ、その銃口は下がり始めていた。
誰かが命令したわけではない。
誰かが勝利したわけでもない。
ただ、戦争を望まない人々の声が、兵士達の心に届いたのだ。
戦争を止めることができるのか。
その答えは、まだ分からない。
それでも今、月周辺には確かな希望が生まれ始めていた。