機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~ 作:NageT
月周辺宙域に展開する地球連邦軍とコロニー国家連合軍の艦隊は、依然として互いに一定の距離を保ちながら対峙していた。
だが、その空気は少し前までとは明らかに違っていた。
両軍の間に現れた大型艦ベルーガ。
そこから発信された赤ずきんちゃんネルの配信は、戦場にいる多くの兵士達の心を揺さぶっていた。
地球とコロニーから寄せられた一千万件を超える反戦の声。家族の無事を願う人々の姿や、過去の戦争で大切な者を失った人々の訴えは、互いに銃口を向け合う兵士達へ確かに届いていた。
実際に、構えていた武器を下ろすモビルスーツも現れ始めている。
もちろん、それだけで戦争が止まったわけではない。相手への警戒を解かない者もいれば、命令に従って戦闘態勢を維持する者もいる。
それでも、誰もが戦争を望んでいるわけではないという事実が、両軍の間に広がり始めていた。
しかし、その変化を歓迎しない者達もいた。
*
地球連邦軍旗艦モビーディック。
艦橋では、先ほどの広域通信を巡って慌ただしい報告が続いていた。
「第六艦隊より報告。所属MS部隊の一部が警戒姿勢を解除しています。」
「こちらの艦隊でも同様です。各部隊から、先ほどの通信内容について問い合わせが相次いでいます。」
「……何を考えている。」
艦隊司令官は険しい表情で正面のモニターを睨みつけた。
「敵軍と対峙している最中に、勝手に武器を下ろすとは。」
「ですが司令、彼らが戦闘を放棄したわけではありません。現状では警戒を維持しつつ、不要な挑発を避けているものと思われます。」
副官の説明に、司令官は不満そうに鼻を鳴らした。
「それを判断するのは現場の兵士ではない。命令系統が乱れれば、いざという時に取り返しのつかないことになる。」
「……おっしゃる通りです。」
副官はそれ以上の反論を控えた。
司令官の言い分にも、一理はある。
これだけの艦隊が対峙している状況では、たった一つの判断の食い違いが大きな混乱を招きかねない。
だが、先ほどの配信を見た兵士達の気持ちも理解できた。
誰も好き好んで戦争を始めたいわけではないのだ。
「それより、あの大型艦の正体は分かったのか?」
司令官が尋ねる。
「現在、艦影と過去の登録情報を照合しています。」
情報士官が端末を操作すると、モニターにベルーガの艦影が表示された。
「艦型については、地球連邦軍で建造された大型艦と一致する部分が多数確認されています。ただし、現在の軍籍照会では該当する運用艦を確認できません。」
「連邦製の艦だと?」
「はい。既に正規の管理下にはないものと考えられます。」
「……なるほど。」
司令官は顎に手を当てた。
その時、別の情報士官が声を上げた。
「司令! 配信を行っていた人物の照合が完了しました!」
「報告しろ。」
「ケン=大神。通称ケンケン。コロニー国家連合側から国際指名手配されている人物です。」
モニターに、オレンジ色のツナギを着た少年の画像が表示された。
「この人物は、ガンダムダウトの操縦者とされています。」
「……ガンダムダウト。」
司令官の表情が変わった。
正規の軍事組織に属さず、各地で活動を続ける謎のガンダム。
通常のモビルスーツを上回る能力を持ち、さらに敵機の制御系へ干渉する特殊な機能まで備えているとされる機体だった。
その存在は、既に軍上層部でも問題視されている。
「つまり、あの艦にはダウトが搭載されている可能性が高いということか。」
「はい。過去の配信映像や戦闘記録から判断しても、その可能性は極めて高いかと。」
司令官はしばらく黙って考え込んだ。
戦争を止めるために現れたという少年達。
だが、その背後には、軍が把握しきれていない高性能モビルスーツが存在している。
しかも、その機体は地球連邦軍で建造された艦に搭載されているという。
「……本部へ緊急報告を送れ。ガンダムダウトの存在を確認したとな。」
「了解しました。」
「それと、あの艦を監視しろ。こちらの許可なく離脱させるな。」
「……司令。」
副官が口を開いた。
「彼らは戦闘行動を取っていません。むしろ両軍へ停戦を呼びかけています。今ここで強硬な対応を取れば、かえって……。」
「分かっている。」
司令官は低い声で答えた。
「だからこそ、慎重に扱う必要があるのだ。」
その時、通信士が振り向いた。
「司令! 本部より優先通信です!」
「……早いな。内容は?」
通信士は受信した命令文を確認した。
「ガンダムダウトの確保を最優先とする。搭載艦を含め、可能な限り損傷を与えずに拘束せよ、とのことです。」
艦橋に短い沈黙が流れた。
「……この状況で、ですか。」
副官が呟く。
「命令だ。」
司令官は即座に答えた。
「それに、あの機体を連合軍に渡すわけにはいかん。」
司令官は戦況図へ目を向けた。
「第八小隊を出せ。」
「第八小隊……ストームライツですか?」
「そうだ。あの艦の監視と、接近する連合軍機への牽制を命じろ。ただし、こちらからの発砲は許可しない。」
「了解しました。」
副官は通信端末を操作した。
「こちらモビーディック管制。第八小隊ストームライツ、応答せよ。」
『こちらストーム1。感度良好。』
「貴隊は直ちに指定宙域へ移動。未確認大型艦ベルーガを監視し、連合軍機の接近を阻止せよ。」
『了解。交戦規定は?』
「こちらからの発砲は禁止する。ただし、対象機の離脱を許してはならない。」
『……了解した。第八小隊、移動を開始する。』
通信が切れる。
司令官は再びベルーガの艦影を見つめた。
先ほどまで戦争を止めるために声を上げていた少年達。
だが、その存在は今や、両軍が手に入れようとする軍事的価値を持つものへと変わり始めていた。
*
コロニー国家連合軍旗艦ベヒモス。
こちらの艦橋でも、赤ずきんちゃんネルの配信を巡って様々な報告が上がっていた。
「地球連邦軍の一部部隊で、武装を下ろす動きが確認されています。」
「こちらの部隊でも同様です。各艦から、先ほどの広域通信について問い合わせが入っています。」
艦隊司令官は腕を組み、戦況図を見つめていた。
互いに警戒態勢を維持していた両軍。
その間に、わずかながら緊張の緩みが生まれている。
しかし、司令官の関心は別の場所へ向いていた。
「あの大型艦の解析は?」
「進めています。地球連邦製の艦である可能性が高いようですが、現在の所属は確認できていません。」
「連邦製の艦が、我々に戦争を止めろと呼びかけてきたというのか?」
「少なくとも、正規の連邦軍として行動している様子はありません。」
「……ふむ。」
司令官は顎に手を当てた。
「それと、配信を行っていた少年についてですが……。」
情報士官が別の資料を表示する。
「ケン=大神。ガンダムダウトの操縦者とされる人物です。」
「ガンダム……?」
「はい。過去に複数の戦闘記録が確認されており、通常のモビルスーツとは異なる能力を持つ可能性があります。」
画面に、ガンダムダウトの姿が表示された。
司令官はその機体をじっと見つめた。
「……連邦は、ガンダムの開発を否定していたはずだな。」
「その通りです。」
「だが、現実にはこうして存在している。」
司令官は椅子の背もたれに身体を預けた。
「しかも、我々の目の前に現れたというわけか。」
その時、通信士が報告した。
「司令、本国軍司令部より優先命令です。」
「読め。」
「ガンダムダウトの確保を最優先。機体及び操縦者を可能な限り無傷で拘束し、連邦軍による接収を阻止せよ、とのことです。」
司令官は口元に薄い笑みを浮かべた。
「……やはりな。」
副官が尋ねる。
「いかがなさいますか?」
「まずは接触する。あちらは戦争を止めたいと言っているのだろう?」
「はい。」
「ならば、その言葉を利用すればいい。」
司令官は通信端末へ手を伸ばした。
「ベヒモス直属第1小隊、ブレーブスを出せ。」
「ブレーブスですか?」
「そうだ。相手を刺激するな。あくまでも話し合いを求める形で接近させろ。」
「了解しました。」
「ただし、ダウトの存在が確認できた場合は、いつでも確保に移れるよう準備しておけ。」
副官は一瞬だけ司令官を見た。
先ほどまで、両軍の兵士達は戦争を止めたいという声に耳を傾けていた。
その一方で、軍の上層部は既にガンダムダウトの奪い合いを始めようとしている。
副官は何も言わず、命令を伝えるために通信端末へ向き直った。
「こちらベヒモス管制。第1小隊ブレーブス、応答せよ。」
『こちらブレイブ1。聞こえている。』
「未確認大型艦ベルーガへ接近し、搭載されているガンダムダウトの存在を確認せよ。可能であれば交渉を行い、機体の確保に繋げること。」
『了解した。』
「なお、地球連邦軍も同艦を監視している。無用な交戦は避けろ。」
『承知している。ブレーブス、行動を開始する。』
通信が切れる。
司令官は再び戦況図へ目を向けた。
ベルーガを挟み、地球連邦軍とコロニー国家連合軍。
両軍の思惑が、静かに交錯し始めていた。
*
ベルーガのブリッジ。
「……すごい。」
ケンは大型モニターに映る両軍の様子を見つめていた。
先ほどまで互いに銃口を向け合っていたモビルスーツの中には、今も武器を下ろしたままの機体がいる。
戦闘が始まる気配はない。
少なくとも、今のところは。
「本当に……みんな、聞いてくれたんだね。」
「ええ。」
隣に立つノンも、モニターから目を離さなかった。
「まだ一部だけよ。でも、確かに変わり始めているわ。」
「うん。」
ケンは何度も頷いた。
「俺さ、正直、ここに来るまで怖かったんだ。」
「……ケン。」
「だって、こんなに沢山の軍艦とMSが集まってるんだよ? 俺達が何を言ったって、無視されるかもしれないし、最悪いきなり撃たれるかもしれないし。」
ケンは苦笑した。
「でも、みんなの声を届けたら……ちゃんと聞いてくれる人がいた。」
ノンは静かに頷いた。
「私達だけの言葉だったら、ここまで届かなかったかもしれないわ。」
「うん。」
「でも、あのメッセージは違う。地球にもコロニーにも、戦争を望んでいない人達がいる。その人達の声を、私達は届けただけ。」
「……そっか。」
ケンは再びモニターへ目を向けた。
「じゃあ、まだ頑張らないとね。」
「ええ。ここで終わりにはできないわ。」
そんな二人の会話を聞いていたグレアーが、通信端末へ視線を落とした。
「……おや。」
「どうしたの、グレアー?」
ノンが振り向く。
「コロニー国家連合軍から通信が入りやした。」
「えっ?」
ケンが驚いたように顔を上げる。
「連合軍から?」
「へい。こちらとの直接通信を希望していやす。」
「……何て言ってるの?」
「戦争を止めたいという我々の意思に賛同する。今後の対応について話し合いたい、とのことでさぁ。」
ケンの表情が明るくなった。
「本当!?」
「文面ではそうなっていやすね。」
「やったじゃん! ノン!」
ケンは思わずノンへ顔を向けた。
「向こうから話し合いたいって言ってきたんだよ!」
だが、ノンはすぐには喜ばなかった。
「……少し待って。」
「え?」
「グレアー、相手は誰?」
「ベヒモス直属第1小隊ブレーブスの隊長、ブレイブ1と名乗っていやす。現在、こちらへ接近中とのことで。」
グレアーがモニターを切り替える。
そこには、コロニー国家連合軍の艦隊から離れ、ベルーガへ向かってくる四機のモビルスーツが映し出されていた。
先頭を進むのは、通常のソリダスとは異なる装備を持つ指揮官仕様の機体。
ソリダスエース。
その後方には、三機のソリダスが続いている。
「……四機も来るんだ。」
ケンが呟く。
「護衛も兼ねているんでしょうね。」
ノンは腕を組んだ。
「でも、相手が軍人である以上、警戒は必要よ。」
「うん……そうだね。」
ケンも頷いた。
グレアーが通信を接続する。
『こちらブレイブ1。ベルーガ、応答に感謝する。』
落ち着いた男の声がブリッジに響いた。
『先ほどの配信を拝見した。我々も、これ以上の戦争は望んでいない。』
「……本当ですか?」
ケンが思わず尋ねる。
『ああ。君達が届けた民間人の声は、我々の兵士達にも届いている。実際、武器を下ろした者もいるだろう。』
「はい! 見ました!」
『だからこそ、我々も話し合いの道を探りたいと考えている。』
ケンはノンを見た。
ノンは小さく頷き、通信へ向き直る。
「私達も同じ気持ちです。これ以上、戦争で犠牲になる人を増やしたくありません。」
『素晴らしい考えだ。君達の行動には敬意を表したい。』
その言葉に、ケンは少し照れたように頭を掻いた。
「いやぁ、そんな大したことじゃ……。」
『ただ、一つ確認したいことがある。』
男の声が、わずかに低くなった。
『君達の艦には、ガンダムダウトが搭載されているのだろう?』
ケンの手が止まった。
「……え?」
『ガンダムダウトだ。君が操縦している機体について、我々も情報を得ている。』
ノンの表情が険しくなる。
「……それが、今回の話し合いと何か関係があるんですか?」
『もちろんだ。あれほどの能力を持つ機体が、どちらの軍にも属さず活動している。今後の平和を考える上でも、無視できる存在ではない。』
男は穏やかな口調を崩さなかった。
『我々としては、ガンダムダウトを安全な管理下に置くことも含め、協議したいと考えている。』
「……管理下?」
ケンが聞き返した。
『そうだ。君達が戦争を止めたいというのなら、我々と協力する道もあるはずだ。』
ノンはグレアーへ視線を向けた。
グレアーは無言で端末を操作し、接近中の四機の動きを確認していた。
その時だった。
「……お嬢。」
グレアーが声を掛ける。
「今度は地球連邦軍から通信でやす。」
「……連邦軍からも?」
「へい。旗艦モビーディックからの直接通信でさぁ。」
ケンとノンは顔を見合わせた。
グレアーが続ける。
「内容は……ベルーガに対する帰還要求でやすね。」
「帰還?」
ケンが首を傾げる。
「どこに?」
「地球連邦軍の指定する軍港へ、ということでさぁ。」
「……ちょっと待って。」
ノンが眉をひそめた。
「どうして私達が、連邦軍の命令で帰らなきゃいけないの?」
「連邦製の艦であることを確認したようでやす。」
グレアーは受信した通信内容を読み進めた。
「過去の経緯については不問とし、関係者の責任も追及しない。その代わり、速やかに艦を引き渡すように……と。」
「……何それ。」
ケンが呆れたように呟いた。
「俺達、戦争を止めに来たんだよね?」
「ええ。」
「なのに、何でいきなりベルーガを返せって話になるの?」
ノンは答えなかった。
その表情には、明らかな警戒が浮かんでいた。
「……グレアー。連邦軍の通信も繋いで。」
「へい。」
新たな通信が接続される。
『こちら地球連邦軍旗艦モビーディック。ベルーガの責任者に告ぐ。』
威圧的な男の声が響いた。
『貴艦は地球連邦軍で建造された艦であることが確認されている。速やかに指定された航路へ移動し、我が軍の管理下に入れ。』
ノンが口を開く。
「私達は戦争を止めるために来ました。艦を引き渡すために来たわけではありません。」
『君達の主張は理解している。先ほどの配信についても確認した。』
「だったら……!」
『しかし、貴艦の扱いは別問題だ。』
男はノンの言葉を遮った。
『こちらの指示に従えば、これまでの行動については可能な限り不問とする。無用な混乱を避けるためにも、協力してもらいたい。』
ケンが思わず声を上げた。
「ちょっと待ってください! 俺達、何か悪いことをしに来たわけじゃないんです!」
『君がケン=大神だな。』
「……え?」
『ガンダムダウトの操縦者であることは把握している。』
ケンの表情が変わった。
『機体についても、我々が責任を持って管理する。君達が心配する必要はない。』
「……ダウトも?」
『そうだ。』
ケンは言葉を失った。
ベルーガだけではない。
連邦軍も、ダウトを引き渡すよう求めている。
その時、接続を維持していた連合軍側の通信から声が響いた。
『少し待ってもらおうか。』
ブレイブ1だった。
『地球連邦軍は、ガンダムの開発そのものを否定していたはずではないか?』
連邦軍の通信相手が沈黙する。
『それなのに、今になってガンダムダウトを自分達の管理下に置くと言うのか?』
『……貴軍には関係のないことだ。』
『大いに関係がある。』
ブレイブ1は、先ほどまでの穏やかな口調を崩し始めていた。
『正体不明の高性能モビルスーツが、我々の艦隊の目の前に現れているのだ。しかも、連邦製の艦に搭載されているという。しかも機体はガンダムときてる、これを見過ごすわけにはいかん。』
『ガンダムダウトの扱いについて、貴軍に発言する権利はない。』
『ならば、なぜ開発を否定した? そちらに都合の悪い事実があるのではないか?』
『憶測でものを言うな!』
両軍の言い争いが、ベルーガのブリッジに響いた。
ケンは呆然と通信端末を見つめていた。
「……何で。」
小さく呟く。
「何で、そうなるんだよ……。」
ノンも険しい表情で通信を聞いていた。
先ほどまで、両軍の兵士達は戦争を止めたいという声に耳を傾けていた。
武器を下ろした機体もあった。
それなのに、今度はダウトを巡って争い始めている。
「……グレアー。」
ノンが静かに声を掛けた。
「両軍の動きは?」
グレアーはモニターを確認した。
「……あまり良くありやせんね。」
画面には、ベルーガへ向かって接近する複数の機影が表示されていた。
連合軍のブレーブス。
そして、その動きを牽制するように接近を始めた地球連邦軍のストームライツ。
先頭には隊長機リーガ。
その後方には、三機のブルーガが続いている。
「連邦軍の第八小隊も接近を始めやした。」
「……そんな。」
ケンが呟いた。
グレアーはさらに通信情報を確認する。
「どうやら、両軍ともダウトを確保するつもりのようでやす。」
「……ダウトを。」
ケンは拳を握り締めた。
ノンが通信へ向かって声を上げる。
「待ってください! 私達はどちらの軍にも協力するつもりはありません!」
『それでは困る。』
連邦軍側が答えた。
『ガンダムダウトをこのまま放置することはできない。』
『我々としても同意見だ。』
連合軍側も続ける。
『君達の身の安全は保証する。だから、こちらの指示に従ってもらいたい。』
「だから、そういう話じゃ……!」
ノンが言いかけた時、ケンが前へ出た。
「……もういい。」
「ケンケン?」
ケンは通信端末を見つめた。
「俺、行ってくる。」
「……どこへ?」
「ダウトに乗る。」
ノンの表情が変わった。
「待って。今出撃したら、余計に刺激するかもしれないわ。」
「分かってる。」
ケンは頷いた。
「でも、このままだと両軍がベルーガの前でぶつかっちゃう。」
「……それは。」
「俺、戦いに行くんじゃないよ。」
ケンはノンを見た。
「止めに行くんだ。」
その言葉に、ノンは黙った。
ケンは続けた。
「せっかく、みんなの声が届いたんだ。武器を下ろしてくれた人達だっていた。それなのに、ダウトの取り合いで戦争が始まっちゃったら……。」
ケンは唇を噛んだ。
「……そんなの、嫌だよ。」
ノンはしばらくケンを見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……分かったわ。」
「赤ずきん。」
「でも、絶対に無茶はしないで。」
「うん。」
「あなたが戦ってしまったら、私達がここへ来た意味がなくなるんだから。」
「……分かってる。」
ケンは強く頷いた。
「絶対に撃たない。戦わせないために行ってくる。」
グレアーが通信端末へ手を伸ばした。
「おやっさんに連絡を入れやす。ダウトの出撃準備を頼みやしょう。」
「ありがとう、グレアーのおっさん!」
ケンはブリッジを飛び出していった。
*
ベルーガの格納庫。
「……結局、出る事になっちまったか……。」
おやっさんはダウトを見上げながら、低く呟いた。
整備員達が機体の最終確認を進めている。
そこへ、ケンが駆け込んできた。
「おやっさん!」
「聞いてるよ。出るんだってな。」
「うん!」
ケンは頷いた。
「でも、戦うためじゃないんだ。」
「……分かってる。」
おやっさんはケンを見た。
「だからこそ、余計なことはするなよ。」
「うん。」
「ダウトがどれだけ強かろうが、あれだけの軍隊を相手にしたらどうにもならん。まして、お前は戦わずに止めようとしてるんだろ?」
「……そうだよ。」
「だったら、相手の出方をよく見ろ。無理だと思ったらすぐ戻れ。」
ケンは小さく笑った。
「おやっさん、心配性だなぁ。」
「馬鹿野郎。心配くらいさせろ。」
おやっさんはケンの肩を軽く叩いた。
「お前が無事に帰ってこなきゃ、何の意味もねぇんだからな。」
「……うん。」
ケンは真剣な表情で頷いた。
「行ってきます。」
そう言って、ダウトのコックピットへ向かった。
シートに身体を収め、操縦系統を起動する。
モニターに次々とシステム表示が現れ、機体の各部が正常に作動していることを知らせた。
ケンは操縦桿を握った。
これまで、何度もダウトに乗って戦ってきた。
だが、今回は違う。
敵を倒すためでも、誰かから逃げるためでもない。
戦争を止めるために、この機体を動かそうとしている。
「……頼むよ、ダウト。」
ケンは小さく呟いた。
「今度こそ、誰も傷つけたくないんだ。」
格納庫のハッチが開き始める。
『坊主、聞こえやすか?』
グレアーから通信が入った。
「うん! 聞こえてる!」
『両軍のMSが接近中でやす。くれぐれも刺激しないように頼みやすよ。』
「分かってる!」
『それと、通信はこちらで繋ぎやす。坊主の声が双方に届くようにしておきやすから。』
「ありがとう、グレアーのおっさん!」
ケンは大きく息を吸った。
「……ガンダムダウト、出ます!」
機体がゆっくりと格納庫を離れ、宇宙へと進み出した。
*
ベルーガの前方。
ブレーブスの隊長機ソリダスエースに搭乗するブレイブ1は、艦から現れた機体を確認していた。
「……出てきたか。」
モニターには、ガンダムダウトの姿が映し出されている。
通常のモビルスーツとは異なる独特の機体。
その存在を確認したブレイブ1は、すぐにベヒモスへ報告を送った。
「こちらブレイブ1、ベヒモスへ。ガンダムダウトの出撃を確認。」
『了解した。機体を確保せよ。ただし、可能な限り損傷を与えるな。』
「了解。」
ブレイブ1は通信を切ると、部下達へ指示を出した。
「ブレイブ2、3、4。隊形を維持しろ。こちらから刺激するな。」
『ブレイブ2、了解。』
『ブレイブ3、了解。』
『ブレイブ4、了解。』
四機は互いの距離を保ちながら、ベルーガへ接近していく。
その時、ブレイブ2から通信が入った。
『隊長、連邦軍機が接近しています。』
「確認している。」
ブレイブ1はモニターを切り替えた。
反対方向から、四機の地球連邦軍MSが接近していた。
先頭はリーガ。
その後方に三機のブルーガ。
モビーディック所属第八小隊ストームライツだった。
「……向こうも動き出したか。」
ブレイブ1は小さく呟いた。
「各機、連邦軍の動きに注意しろ。ただし、こちらから発砲するな。」
『了解。』
ブレイブ1はダウトへ向けて通信を開いた。
『ガンダムダウトの操縦者、聞こえるか?』
「はい!」
ケンが答える。
「ケン=大神です!」
『君達の行動は理解している。だが、これ以上の混乱を避けるためにも、我々の指示に従ってもらいたい。』
「……その前に、お願いがあります!」
『何だ?』
「連邦軍の人達にも、攻撃しないように言ってください!」
ブレイブ1は一瞬、言葉を失った。
「俺達、戦争を止めに来たんです! ダウトをどっちが持つとか、そんなことで争ってほしくないんです!」
『……君の気持ちは分かる。』
「だったら!」
『だが、我々にも命令がある。』
その言葉に、ケンは唇を噛んだ。
命令。
結局、またそれなのか。
誰も戦争を望んでいないと言いながら、軍の命令が出れば武器を向ける。
その矛盾が、どうしても理解できなかった。
そこへ、別の通信が割り込んだ。
『こちらストーム1。ガンダムダウト、直ちに連合軍機から離れろ。』
ケンが振り向く。
隊長機リーガが、三機のブルーガを伴って接近していた。
『貴機は我が軍の管理下に置かれる。抵抗せず、指示に従え。』
「……待ってください!」
ケンは慌てて答えた。
「俺、どっちの軍にも行くつもりはありません!」
『その判断を君が下すことはできない。』
「何でですか!?」
『ガンダムダウトは、軍事的に極めて重要な機体だ。』
「そんなの関係ないじゃないですか!」
ケンは思わず声を荒らげた。
「俺達、戦争を止めたいだけなんです!」
ダウトの前方では、ソリダスエースが動きを止めていた。
その後方には、三機のソリダス。
反対側には、リーガと三機のブルーガ。
互いに距離を詰めながら、相手の動きを警戒している。
ケンは両軍へ向けて通信を開いた。
「やめましょうよ!」
その声が、周囲のモビルスーツへ響いた。
「せっかくみんな、戦争を止めたいって言ってるのに!」
ケンは必死に呼びかけた。
「さっきまで、武器を下ろしてくれた人達だっていたじゃないですか! 戦いたくないって、みんな思ってるんじゃないんですか!?」
ストームライツの一機が、わずかに動きを止めた。
ストーム3。
そのブルーガのコックピットでは、若い兵士がケンの声を聞いていた。
先ほどの配信も見ていた。
泣きながら父親を呼ぶ子供。
戦争で息子を失った老夫婦。
その映像が、まだ頭から離れなかった。
「……俺だって。」
兵士は小さく呟いた。
「俺だって、戦いたくないよ……。」
だが、通信には上官の声が響いていた。
『ストーム2、3、4。ダウトの周囲へ展開しろ。連合軍機を近づけるな。』
「……ストーム3、了解。」
兵士は操縦桿を握り直した。
命令に逆らうことはできない。
それが軍人というものだ。
自分にそう言い聞かせながら、ブルーガを前進させた。
*
ベルーガのブリッジ。
「……まずいわ。」
ノンはモニターを見つめていた。
ダウトを中心に、両軍のモビルスーツが集まり始めている。
互いに攻撃こそしていないものの、その距離は明らかに近すぎた。
「グレアー、何とかならないの?」
「両軍とも、ダウトを確保するつもりのようでやす。こちらから警告は送っていやすが……。」
グレアーは通信状況を確認した。
「……聞く耳を持ってくれそうにありやせんね。」
「そんな……。」
ノンは拳を握り締めた。
ケンは戦争を止めようとしている。
誰も傷つけないために、わざわざダウトで両軍の間へ出ていった。
それなのに、両軍はそのダウトを奪い合おうとしている。
まるで、先ほどの配信など最初から存在しなかったかのように。
「……どうして。」
ノンが小さく呟いた。
「どうして、分かってくれないの……。」
その時、グレアーが声を上げた。
「お嬢! ストームライツの一機が前へ出やした!」
モニターに、ブルーガの姿が大きく映し出される。
ストーム3。
その機体は、ダウトへ向かって急速に接近していた。
「……ケンケン!」
ノンが通信へ向かって叫んだ。
*
ダウトのコックピット。
『ケンケン! 連邦軍の機体が接近してる!』
「分かってる!」
ケンはモニターを確認した。
正面から接近するストーム3。
その後方には、別のブルーガが控えている。
「待ってください! 俺、逃げたりしませんから!」
ケンは通信で呼びかけた。
「だから、そんなに近づかないでください!」
『ガンダムダウト、直ちに停止しろ。』
ストーム3から返答があった。
『これ以上の行動は認められない。』
「停止って……!」
ケンは周囲を見回した。
反対側には、連合軍のブレイブ1。
さらにその後方にも、三機のソリダスが展開していた。
ここで動きを止めれば、どちらかの軍に取り囲まれる。
かといって、無理に逃げれば、それを口実に攻撃されるかもしれない。
「……どうすればいいんだよ。」
ケンは操縦桿を握り締めた。
その時、連合軍側から通信が入った。
『こちらブレイブ1。ストームライツ、これ以上の接近を中止しろ。』
ソリダスエースの隊長だった。
『ガンダムダウトは我々との協議中だ。貴軍が一方的に確保することは認められない。』
『こちらストーム1。貴隊こそ下がれ。ガンダムダウトは我々が管理する。』
『その根拠は何だ?』
『貴軍に説明する必要はない。』
再び、両軍の言い争いが始まった。
「……もう!」
ケンは思わず叫んだ。
「だから、やめてくださいってば!」
だが、誰も引こうとはしなかった。
ストーム3がライフルを構える。
それを見たブレイブ2も、反射的に武器を向けた。
ケンは慌てて通信を開いた。
「待って! 撃たないで!」
ダウトは両軍の間に位置したまま、武器を構えることすらできなかった。
ここで自分が銃を向ければ、相手はそれを攻撃の意思と受け取るかもしれない。
そうなれば、せっかく止まりかけた戦争が再び動き出してしまう。
ケンは必死に考えた。
どうすればいい。
どうすれば、みんなを止められる。
その間にも、両軍の緊張は高まり続けていた。
*
ストーム3のコックピット。
「……くそっ。」
パイロットは額に汗を浮かべていた。
目の前には、ガンダムダウト。
その向こうには、コロニー国家連合軍のソリダスエース。
どちらも、こちらの指示に従う様子はない。
『ストーム3、位置を維持しろ。』
ストーム1からの命令が響く。
「……了解。」
『連合軍機が接近している。警戒を怠るな。』
「了解……。」
パイロットはライフルを構えた。
だが、照準の先にいるダウトは、武器を構えていなかった。
ただ、両軍へ向かって必死に何かを訴え続けている。
『お願いします! 撃たないでください!』
その声が、通信から聞こえてきた。
パイロットは歯を食いしばった。
「……分かってるよ。」
小さく呟く。
「俺だって、撃ちたくなんかない……。」
しかし、その時だった。
連合軍のソリダスエースが、ダウトの側面へ回り込もうと動いた。
「……っ!」
パイロットは反射的に機体を動かした。
連合軍機を近づけるな。
ダウトを確保しろ。
上官の命令が頭の中で交錯する。
焦り。
緊張。
そして、相手に先を越されることへの恐怖。
パイロットはライフルを構え直した。
「……止まれ!」
通信で叫ぶ。
「ガンダムダウト! 動くな!」
だが、ダウトは両軍の間で姿勢を変えようとしていた。
接近する機体を避けようとしただけの動きだった。
しかし、極度の緊張状態にあったパイロットには、それが逃走しようとしているように見えた。
「……止まれって言ってるだろ!」
その瞬間。
引き金が引かれた。
*
ブルーガのライフルが閃光を放った。
ダウトの右肩すれすれを高熱の光条が走り、機体を包む暗闇が一瞬だけ白く染まる。
「うわっ!?」
ケンが反射的に身を捩らせた直後、その光は後方に展開していたソリダスの肩部装甲を掠め、溶けた金属片を宇宙空間へ撒き散らした。
『なっ!?』
ブレイブ2のコックピットに、警告音が鳴り響いた。
肩部装甲損傷。
外部からのビーム攻撃。
攻撃方向には、地球連邦軍のブルーガ。
ブレイブ2は目を見開いた。
『……撃ったな!?』
その声が小隊通信に響いた。
『こちらブレイブ2! 連邦軍機から発砲を受けた!』
『ブレイブ2、落ち着け!』
ブレイブ1が即座に呼びかける。
『損傷状況を報告しろ! こちらから撃つな!』
だが、ブレイブ2は目の前のブルーガを睨みつけていた。
自分の機体が攻撃された。
連邦軍が先に撃った。
その事実だけが、頭の中を埋め尽くしていた。
『ふざけるなぁっ!!』
ブレイブ2のソリダスがライフルを構えた。
「やめて!!」
ケンが叫ぶ。
『ブレイブ2! 撃つな!!』
ブレイブ1の制止が重なる。
だが、遅かった。
ソリダスのビームライフルが発射された。
銃口から放たれた閃光が、ダウトの横を一直線に走る。
その先には、先ほど発砲したストーム3がいた。
『ストーム3! 回避しろ!!』
ストーム1の怒声が通信に響いた。
パイロットは、迫る光を見ていた。
「……あ。」
回避しなければ。
そう思った時には、既に遅かった。
放たれた光条はブルーガの胸部を貫き、コックピットを直撃した。
装甲の内側で爆発が起こり、機体の胴体が大きく膨れ上がる。
次の瞬間、ブルーガは激しい閃光と共に爆散した。
砕け散った装甲片が四方へ飛び散り、爆炎の中から手足の残骸が弾き出される。
その光景は、周囲のモビルスーツのモニターにもはっきりと映し出されていた。
ストーム3からの応答は、二度と返ってこなかった。
*
ケンは、目の前の光景を呆然と見つめていた。
先ほどまで、そこには一機のブルーガがいた。
自分へ向かって停止を命じていた、地球連邦軍のモビルスーツ。
その機体が、今はもう存在しない。
モニターには、爆発によって飛び散った破片が映し出されている。
その中に、パイロットの姿はなかった。
「……え?」
ケンの口から、小さな声が漏れた。
「……ちょっと、待って。」
何が起きたのか、理解できなかった。
いや。
本当は、分かっていた。
ストーム3が発砲した。
その攻撃が、ブレイブ2の機体を掠めた。
そして、攻撃されたと思ったブレイブ2が撃ち返した。
その結果、ストーム3は撃墜された。
ほんの数秒前まで生きていた人間が、目の前で命を失った。
ケンはその事実を理解していた。
だが、どうしても受け入れられなかった。
「……嘘、だろ。」
操縦桿を握る手が震え始める。
「……何で。」
さっきまで、みんな戦争を止めたいと言っていた。
武器を下ろしてくれた兵士達もいた。
地球とコロニーの人々から寄せられた声は、確かに届いたはずだった。
なのに。
どうして。
「……何で、撃っちゃうんだよ……。」
ケンはモニターを見つめたまま動けなかった。
その時、周囲の通信が一斉に騒がしくなった。
『こちらストーム1! ストーム3撃墜! 繰り返す、ストーム3が撃墜された!』
『こちらモビーディック管制! 状況を報告しろ!』
『連合軍機からの攻撃です! ストーム3が直撃を受けました!』
『こちらブレイブ1、ベヒモスへ! 連邦軍機との間で交戦が発生!』
『こちらベヒモス管制。状況を説明しろ!』
『ブレイブ2が連邦軍機から発砲を受け、反撃しました!』
『ブレイブ2! なぜ命令を待たずに撃った!』
『先に撃ってきたのは向こうです!』
『各機、警戒態勢!』
『敵機の動きに注意しろ!』
次々と飛び交う怒号。
先ほどまで静まり返っていた宙域に、再び緊張が広がっていく。
だが、ケンにはその声が遠く聞こえていた。
目の前にあるのは、ただ一つ。
ストーム3が爆発した場所。
そこにいたはずの人間は、もう戻ってこない。
「……俺達。」
ケンは震える声で呟いた。
「……戦争を、止めに来たんだよね……?」
誰も答えなかった。
モニターの向こうでは、両軍のモビルスーツが再び武器を構え始めていた。
戦争を止めたいと願う人々の声が、ようやく兵士達の心に届き始めていた。
だが、ストーム3から放たれた一条の光と、それに続く報復の一撃が、両軍の間に生まれたわずかな希望を引き裂いてしまった。
そしてケンは、自分の目の前で失われた命の重さに、ただ立ち尽くすことしかできなかった。