機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~ 作:NageT
ベヒモスの艦橋で、接近警報が鳴り響いた。
「ガンダム、急速接近!」
「迎撃しろ! 近付けるな!」
艦長の命令を受け、艦の各所で砲塔が旋回する。
だが、照準が定まらない。
赤い瞳を灯した機体は、今まで映っていた位置にはもういなかった。
ダウトが艦首の下へ潜り込む。
砲口が追うより早く、機体は艦の側面へ抜けていた。
「右舷! 右舷に回り込まれた!」
報告に艦長が振り向いた、その時。
四本のアンカーが放たれた。
ベヒモスの艦体に、それぞれの先端が食い付く。
接触を知らせる警告に続いて、艦橋の表示が次々と切り替わった。
「制御系統に干渉! ハッキングです!」
「接続を切れ!」
「操作を受け付けません!」
砲塔が止まった。
旋回しかけていた艦体が、それまでの勢いのまま流れ始める。
艦長は肘掛けを掴んだ。
「機関は! 推進を戻せ!」
「艦橋からの指示が通りません!」
「護衛部隊を呼べ! ガンダムを引き剥がせ!」
通信担当が回線を開こうとする。
返ってきたのは、接続不能を示す表示だった。
もう一度試す。
別の回線へ切り替える。
その全てが、応答しなかった。
「……通信も、使えません」
艦長は大型モニターへ顔を上げた。
四本のワイヤーが艦体から離れる。
ダウトは、もうこちらを見ていなかった。
噴射の光を伸ばし、次の目標へ向かっていく。
旗艦を止めたことに、何の感慨もないように。
◇
『ベヒモス、応答願います!』
『こちら前衛部隊! 旗艦からの指示が途絶しています!』
『各艦、現状を維持しろ! 勝手に動くな!』
『ガンダムがこちらへ――!』
コロニー国家連合軍の通信が混乱した。
命令を求める声に、別の艦が指示を返す。
その指示を受け取る前に、目の前へガンダムが現れた。
ソリダスがライフルを向ける。
ダウトはその銃口の前で急制動をかけ、直後に横へ跳んだ。
発射されたビームが空を抜ける。
アンカーがソリダスを捉えた時には、ダウトは既に次の機体へ向いていた。
僚機を庇おうとしたソリダスも止まる。
その後方から前へ出たソリダスエースが、部隊へ散開を命じた。
通常部隊よりも早い反応だった。
一方向に固まらず、互いの射線を塞がない位置へ動く。先頭の機体がダウトを追い、残る機体がその進路を押さえにかかった。
ダウトは減速した。
追っていた照準が、一瞬だけ前へ流れる。
次の瞬間、機体が逆方向へ加速した。
ソリダスエースの脇を抜け、アンカーを接続する。
続けて伸びたワイヤーが、射撃位置へ移ろうとしていた僚機を捉えた。
『隊長機、停止!』
叫んだ機体も、その直後に動きを失った。
ダウトは振り返らなかった。
赤い瞳が、さらに奥にいる機体を向く。
それを見たソリダスのパイロットが、思わず後退した。
◇
ケンは歯を食い縛っていた。
シートに押し付けられていた身体が、不意に前へ引かれる。
慌てて操縦桿を握り込む。
その直後には、また背中へ強烈な圧力が掛かった。
「ぐ……っ!」
息を吐き切る前に、次の旋回が来た。
頭が振られ、腹の奥が持ち上がる。
飲み込もうとした。
無理だった。
喉が引き攣り、胃の中身が一気に込み上げた。
「お、え……っ」
ヘルメットの内側へ、吐いたものが広がった。
酸っぱい臭いが鼻を塞ぐ。
口元に触れた感触に、さらに吐き気が込み上げた。
身体を折ろうにも、加速に押し戻される。
ケンは咳き込みながら留め具へ手を伸ばした。
指が滑る。
もう一度掴み、乱暴に外した。
ヘルメットを脱いだ途端、ダウトが進路を変えた。
片手で操縦桿にしがみつく。
もう片方の手でヘルメットの開口部を塞ぎ、足元の隅へ押し込んだ。
すぐに両手で操縦桿を握り直す。
息を吸うと、喉が焼けた。
涙と汗で、モニターが滲んでいた。
それでも、ダウトは動いている。
ケンが操縦桿を動かしているからではなかった。
今、機体を制御しているのはアイだ。
ケンはただ、掴まっている。
手を離せば、身体を支えることもできなくなりそうだった。
急加速。
制動。
旋回。
モニターの中では、そのたびに敵の射線が外れ、別の機体が動きを止めていく。
機体は、その動きに応えていた。
ケンの身体だけが、ついていけなかった。
「……まだ」
空になった胃が引き攣る。
ケンは唾を飲み込もうとして、顔を歪めた。
「まだ……止まってない……」
戦争を止める。
その命令を、アイは実行していた。
敵への怒りも、恐怖も必要としない。
与えられた目的へ至るため、処理すべき目標を選び、最も早く無力化できる進路を算出する。
次の目標が定まる。
ダウトのスラスターが、再び光を噴いた。
◇
地球連邦軍旗艦モビーディック。
艦橋の大型モニターには、連合軍の中を進むガンダムが映し出されていた。
ベヒモスは応答を失っている。
その周囲ではソリダスが次々に停止し、護衛部隊の隊形も崩れていた。
追いつこうとした機体が、逆に追い抜かれる。
迎撃しようとした機体は、銃口を向け切る前に止まった。
モビーディックの艦長を兼ねる司令官は、画面から目を離せなかった。
「……白い悪魔とは、言ったものだな」
艦隊の集中砲火を抜けた。
そのまま旗艦へ接近し、制御を奪った。
今も、連合軍の中を単機で動き回っている。
あの加減速を、人間が操縦しているのか。
司令官は短く息を吐いた。
「このまま連合を壊滅させてくれれば、楽なんだがな」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ガンダムが姿勢を変えた。
赤い光が、こちらを向いた。
「ガンダム、反転!」
報告が上がる。
「本艦隊へ接近しています!」
司令官は肘掛けから身を起こした。
「チィッ! そう上手くはいかんか!」
命令が飛ぶ。
「各艦隊、迎撃に備えろ! MS隊はガンダムを止めろ!」
◇
傍観していた連邦軍艦隊が動き始めた。
前衛のブルーガが進路を変える。
リーガを中心に、複数の部隊がガンダムの前へ展開した。
『正面から来るぞ!』
『アンカーの射程に入れるな!』
ライフルが一斉に向けられる。
ダウトは直進していた。
先頭のブルーガが照準を合わせ、引き金を引く。
その瞬間、ダウトが軌道をずらした。
後方へ伸びたビームのすぐ脇を抜け、アンカーが放たれる。
一機目が停止。
二機目が距離を取ろうとする。
だが、その進路へダウトが先に入っていた。
『速すぎる……!』
ワイヤーが接続され、ブルーガの噴射が消えた。
後続の部隊が射撃をためらう。
ガンダムのすぐ近くには、動けなくなった友軍機がいた。
その僅かな間に、ダウトはさらに内側へ入った。
リーガへ接続。
僚機へ接続。
機体を止めるたびにアンカーを引き戻し、次の目標へ放つ。
迎撃に出たはずの部隊が、漂流機の群れに変わっていった。
◇
待機していたエース部隊も、既に動いていた。
通常部隊の射線を外し、別の角度からガンダムへ迫る。
一機がダウトを追わせ、その間に僚機が側面を取る。
急に向きを変えたガンダムへ、すぐに照準を修正する。
対応は早かった。
だが、追い付かなかった。
ダウトが急停止し、機体を捻る。
噴射の方向が変わった時には、もう射線の外へ出ていた。
その背後へ回り込もうとした機体に、アンカーが伸びる。
僚機がワイヤーを狙った。
ダウトは接続を終えたアンカーを回収しながら加速する。
狙われた場所には、何も残っていなかった。
『各機、離れ――』
隊長の声が途中で途切れた。
機体が止まる。
残る機体が退避へ移ったが、ダウトは既にその進路へ向かっていた。
◇
ケンはモニターを見ようとしていた。
目を閉じれば、少し楽になるかもしれない。
何もかもアイに任せて、意識を手放してしまえば。
そう思うたびに、艦砲射撃の光が蘇った。
動けないまま砕かれたソリダス。
爆発したブルーガ。
あの中にいた人達。
「……止めて」
唇が動いた。
喉が痛くて、声にならなかった。
ケンは操縦桿を握り直した。
手の感覚が鈍い。
指がきちんと掛かっているのか、目で確かめた。
次の加速に、背中がシートへ沈む。
「アイ……戦争を……」
途中で咳き込む。
涙が頬を伝い、顎から離れた。
機体は応じ続けている。
止めたいと願ったのは、自分だった。
だったら、自分もここにいなければならない。
何をしているのか見ていなければ。
ケンは奥歯を噛み締め、揺れる画面へ顔を上げた。
◇
ノクトは、停止した友軍機の間から迫るガンダムを捉えた。
事前に見ていた動きとは違った。
速度だけではない。
機体を止める位置も、次へ向かう判断も、躊躇がなかった。
それでも、この先へ通すわけにはいかなかった。
背後には艦隊がいる。
その周囲には、まだ動ける部隊も、救援を待つ兵士もいた。
「クラウス、右へ。ジータは左を取れ。バン、単独で追うな」
ノクトの専用リーガが前へ出る。
三機がすぐに応じた。
『クラウス、了解』
『左、取ります』
ジータの返答に重なって、バンも応じた。
四機が間隔を広げる。
互いの射線を残しながら、ガンダムの進路を囲った。
「ガンダム!」
ノクトは外部回線を開いた。
「貴様の行動で、無防備な機体が戦場に取り残されている! これ以上の勝手は許さん!」
返答はなかった。
赤い瞳が、こちらを向く。
ノクトはその動きを見据えた。
「止めるぞ!」
◇
クラウスとジータが、左右から進路を絞った。
ノクトが正面を押さえる。
バンはその後方で、ガンダムが抜けた先を狙っていた。
ダウトが加速する。
ノクトはすぐに照準を動かした。
右へ抜けるなら、クラウスがいる。
左なら、ジータ。
正面へ来れば、自分が止める。
だが、ダウトは四機の間へ入る直前に、大きく姿勢を変えた。
噴射光が跳ねる。
『後ろへ回られ――!』
バンの声だった。
ノクトが向き直るより早く、アンカーが接続されていた。
バンの機体が止まる。
「クラウス、バンを――」
『分かっています!』
援護へ動いたクラウスの前を、ダウトが横切った。
ワイヤーが伸びる。
クラウスの噴射も消えた。
ジータが直ちに距離を取る。
後退しながら銃口を向け直したが、ダウトはその照準より内側にいた。
『……速い!』
声と共に、三機目が停止した。
ノクトはリーガを急旋回させた。
部隊回線に、制御不能を告げる声が重なる。
まだ、誰も死んでいない。
だが、三人とも動けない。
その機体を背に、ガンダムがこちらへ来た。
「させるか!」
ノクトはアンカーの射出を見て、機体を捻った。
先端が脇を抜ける。
かわした直後、別のワイヤーが視界へ入った。
反対方向へ噴射する。
リーガは応えた。
だが、その動きの先へ、ダウトがいた。
接続の衝撃。
操縦桿の反応が消えた。
「……っ!」
ノクトはすぐに操作を切り替えた。
噴射を戻す。
腕を動かす。
どの操作にも、機体は応じなかった。
ダウトから伸びていたワイヤーが離れる。
それで終わりだった。
四機の連携も、必死の回避も、ガンダムをここへ留めることさえできなかった。
◇
ダウトの背中が遠ざかる。
ノクトは操縦桿を押し込んだ。
動かない。
部隊回線から、クラウス達の声が聞こえていた。
全員、生きている。
それなのに、自分にはその位置へ向かうことさえできない。
前方では、ガンダムが艦隊へ進んでいた。
ノクトはコンソールへ拳を叩き付けた。
「くそっ!」
鈍い痛みが拳から腕へ走った。
構わず、もう一度叩く。
「止まれ……!」
声が震えた。
自分が止めなければならなかった。
部下を連れて出てきた。
止められると考え、配置を決め、命令を出した。
その全てが、僅かな時間で崩された。
「止まれ、ガンダム!」
叫びはコックピットに響いた。
だが、赤い瞳の機体は振り返らなかった。
◇
「ノクト隊、全機停止!」
モビーディックの艦橋に報告が響いた。
司令官は大型モニターを見つめた。
専用リーガが動きを失っている。
その先から、ガンダムが来る。
「残存部隊は何をしている! 本艦へ近付けるな!」
「各部隊、対応中です! ですが、進路上に停止した友軍機が――」
「対空砲火!」
砲塔が旋回した。
艦の周囲へ射線が引かれる。
ダウトは直進をやめた。
艦首の正面から外れ、砲撃の間へ潜り込む。
モニターの中で、その機体が急に大きくなった。
「近接防御、間に合いません!」
司令官が身を起こす。
ガンダムの四肢が、僅かに開いた。
四本のアンカーが放たれた。
モビーディックの艦体へ、先端が食い付く。
艦橋に新たな警告が鳴った。
「制御系統に侵入!」
「排除しろ!」
「間に合いません!」
砲塔の駆動表示が消えた。
推進系統が応答を失う。
各部署から上がりかけた報告が途切れ、通信担当が慌てて回線を切り替えた。
繋がらない。
司令官はモニターを睨んだ。
「各艦に伝えろ! 指揮を――」
「外部通信、使用不能!」
言葉が止まった。
艦橋には乗員達がいる。
照明も、空気も、そのままだった。
だが、誰が命令を出しても、艦は動かなかった。
巨大な旗艦のすぐ傍らで、ダウトの赤い瞳が光っている。
そのコックピットでは、ケンが震える両手で操縦桿にしがみついていた。
「……止まって」
誰に届くとも知れない声が、喉から漏れた。
「もう……戦わないで……」
モビーディックの制御表示が、最後の一つまで切り替わった。