機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~ 作:NageT
モビーディックの砲塔は、動きを止めていた。
艦隊へ命令を送っていた通信も途絶え、巨大な旗艦はただ宇宙を漂っている。
その艦体には、四本のワイヤーが繋がっていた。
ガンダムダウト。
両軍の旗艦を沈黙させた機体は、今もモビーディックの傍らに留まっていた。
だが、戦場の光は消えていなかった。
◇
「旗艦との通信、依然回復しません!」
「各隊から指示の要請が相次いでいます!」
地球連邦軍のある艦艇では、途絶した指揮を補うための対応が進められていた。
旗艦が応答しない。
だからといって、展開している艦艇もMS部隊も、全てが動けなくなるわけではなかった。
「以後、当艦が臨時に指揮を執る。各艦へ通達しろ」
命令が飛ぶ。
「前衛部隊は隊形を立て直せ。孤立している機体の位置を確認。停止機の救援についても報告を上げろ」
通信担当が回線を切り替えた。
既に独自の判断で僚艦へ指示を出していた艦もある。
連絡を取り直し、部隊の位置を確かめ、重複した命令を整理する。
混乱は続いていた。
それでも、軍は指揮を繋ごうとしていた。
コロニー国家連合軍でも、同じ動きが起きていた。
ベヒモスとの連絡を失った各艦が応答を求め合い、別の指揮官の下へ部隊をまとめ始める。
その間にも、前線では射撃が続いていた。
新たな命令を受け取れずにいる部隊もあれば、目の前の敵から離れられない機体もあった。
旗艦を止めただけでは、既に始まった撃ち合いまでは止まらなかった。
◇
「……まだ、戦いたいのかよ」
ケンの声には、もう怒鳴る力も残っていなかった。
モニターの遠くで、ビームが交差している。
その光を見ながら、操縦桿へ指を掛け直した。
指先の感覚が鈍い。
強く握っているつもりなのに、どれほど力が入っているのか分からなかった。
少し息を吸うだけで、喉がひりつく。
足元の隅に押し込んだヘルメットへ目を向けかけ、やめた。
今は、あれを被り直す気にはなれない。
コンソールで、小さな警告音が鳴った。
ケンは視線を落とした。
機体の状態を示す図に、赤い表示が増えていた。
腕の付け根。
脚部の関節。
装甲の一部にも、異常を示す箇所がある。
あれほどの速度で加速と制動を繰り返した。
被弾を避けていても、機体に何も起きないわけではなかった。
推進剤の残量も、出撃前とは比べものにならないほど減っている。
表示の下に、帰還を促す文字が浮かんでいた。
――帰還推奨。
「……ダウトも、きついよな」
掠れた声で呟いた。
自分だけが耐えていたのではない。
この機体も、ずっと無理を重ねていた。
それでも、まだ戦っている人がいる。
ケンは再び遠くへ目を向けた。
その時、連合軍の艦隊がいる方角で、小さな光が上がった。
◇
赤。
少し間を置いて、青。
続いて、黄。
ケンは瞬きをした。
ビームではない。
爆発とも違う。
決まった順番で打ち上げられた光を見つめ、記憶を辿る。
「あれ……確か……」
ベルーガにいた頃、教わったことがあった。
スコルが、信号弾の意味を説明してくれた。
『赤、青、黄。この順番で上がったら、撤退の信号だ』
その時の声が、頭の中で蘇る。
『これは連邦も連合も共通だ。覚えとけよ』
ケンは顔を上げた。
別の艦からも、同じ順番で光が上がった。
さらに、その隣からも。
赤、青、黄。
艦隊の各所に、撤退を告げる光が広がっていく。
「……撤退」
口にしてから、周囲を見た。
ソリダスが向きを変えていた。
隊長機のソリダスエースを追い、僚機が後方へ下がっていく。
離れた場所でも、同じ動きが起きている。
残っていた連合軍のMSが、少しずつ戦場から離れ始めていた。
その向こうでは、艦艇の並びも変わりつつある。
こちらへ向けられていた艦首が、別の方向を向く。
遠ざかる艦影が、ゆっくりと小さくなっていった。
「……引いてる」
ケンは呟いた。
「コロニー連合が、引いていく……」
すぐには信じられなかった。
また艦砲を撃つために、MSを下げているのではないか。
そんな考えが浮かび、砲口のある艦影を探してしまう。
だが、信号は上がり続けていた。
艦隊も、離れていく。
ケンはその光景を見つめたまま、ようやく息を吐いた。
◇
操縦桿から、片手を離した。
拳を握ろうとする。
指が震えた。
思うように曲がらず、ケンは自分の手を見下ろした。
「……あれ」
小さく笑いが漏れた。
笑った途端に、喉が痛んだ。
少し顔をしかめ、それでももう一度力を入れる。
今度は、ゆっくりと拳になった。
それを膝の上へ置く。
遠くでは、まだ何機かが動いていた。
完全に終わったわけではない。
それでも、連合軍は下がっている。
さっきまで何度叫んでも変わらなかった景色が、ようやく変わり始めていた。
通信が入った。
『ケン!』
ノンの声だった。
『コロニー連合が引いていくわ! あなたも早く戻って!』
大きな声に、ケンは少し肩をすくめた。
怒っている。
それはすぐに分かった。
だが、声の終わりが僅かに震えていた。
何度も呼び戻された。
何度も、戻らなかった。
ケンは視線を落とした。
「ノン……こっちからも、見えてるよ」
『だったら、もう帰ってきて!』
「……うん」
返事をしてから、少し間が空いた。
「それと……ごめん」
ノンの声が止まった。
ケンはバツが悪くなり、モニターの隅を見た。
何と言えばいいのか、分からない。
止めたかった。
助けたかった。
それは今も変わらない。
でも、ノン達がずっと何を言っていたのかも、今なら痛いほど分かった。
『……帰ったら、お説教よ』
「うん……」
『早く帰ってきなさい!』
まくしたてるように言って、通信が切れた。
ケンはしばらく、そのままでいた。
それから、力の抜けた顔で小さく頷いた。
「……帰らないと」
顔を上げる。
撤退を告げる信号弾が、また一つ、遠くで光っていた。
◇
地球連邦軍のある艦艇。
その艦橋で、パクール大佐はモニターを眺めていた。
連合軍の艦影が遠ざかっている。
前線のMSも、追うことなく相手との距離を広げつつあった。
「撤退信号か……なんと骨のない」
口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
頬杖をついたまま、連合軍の動きを目で追った。
隊形を崩し、損傷機を抱えて退いていく。
好機だった。
だが、撤退信号後の追撃は協定違反になる。
「……つまらんな」
獰猛な蛇を思わせる目が、画面の中を動いた。
やがて、その視線が一か所で止まる。
モビーディック。
その艦体に、まだワイヤーを繋いでいる白い機体が見えた。
パクールは頬杖を解いた。
ゆっくりと上体を起こし、立ち上がる。
「ギル=ガメル少佐に繋げ」
「ハッ!」
部下が通信を開いた。
少し待って、気怠そうな声が返る。
『いかがされましたか、艦長〜?』
◇
通信画面に映った男は、上官を前にしても姿勢を正そうとはしなかった。
目つきが悪い。
口元には、薄い笑いが張り付いている。
軍服を着ていなければ、街の片隅でたむろしているゴロツキにも見えただろう。
だが、その男はMS隊の隊長だった。
ギル=ガメル少佐。
操縦の腕を武器に、今の地位まで上り詰めた男である。
ノクトと同じく専用のリーガを与えられた、連邦軍のエースの一人だった。
「ギル少佐。まだ戦い足りないだろう?」
パクールの問いに、ギルは鼻を鳴らした。
『はっ。連合は引いちまってますぜ、艦長〜』
「そうだな。撤退信号も確認した」
『だったら、追っかけ回すわけにもいかねぇでしょうよ』
気怠そうな調子は変わらない。
パクールは、そこで笑った。
「連合は引いてしまったが、ガンダムは別だ」
ギルの目が細くなる。
「その意味が分かるか?」
『……はぁ?』
間の抜けた声とは裏腹に、画面を見る目には鋭さが増していた。
『あの化け物を相手にしろってか?』
「今なら消耗しているだろう」
パクールはモニターへ目を向けた。
ガンダムは動いていない。
あれほどの機動を続け、艦隊の集中砲火まで抜けた。
いつまでも同じ動きができるとは思えなかった。
「ここで鹵獲できれば、大きな戦果になる」
『けっ。なるほどねぇ』
ギルの口角が上がった。
『艦長様の昇進のために、死んでこいと?』
艦橋の空気が僅かに張り詰めた。
だが、パクールは咎めなかった。
「そうだ。必ず鹵獲してこい」
ギルが笑った。
気怠さが消え、剥き出しの獰猛さが顔に浮かぶ。
『けひゃ! しょうがねぇなぁ!』
◇
パープルバイパーズの回線が開いた。
「ダーマス! セトウ! ついてこいや!」
ギルの声が響く。
「ガンダム狩りだぁ!」
返答が重なった。
白と紫に塗られた専用リーガが動き出す。
その後ろに、十一機のブルーガが続いた。
『バイパー2、出る』
『バイパー3、準備できてるぜ』
各機の報告を聞きながら、ギルは操縦桿を握った。
モニターに、目標の位置が示される。
モビーディックに取り付いたガンダム。
先ほどまでの異常な動きは止まり、今は艦体の傍らに留まっていた。
「派手に暴れた後は、休憩かよ」
ギルが低く笑った。
「悪ぃが、もうひと働きしてもらうぜ」
リーガのスラスターが光る。
バイパー1を先頭に、十二機が艦を離れた。
◇
戦場からは、砲撃の光が減っていた。
撤退する連合軍の後ろ姿を、ケンは見つめていた。
まだモビーディックに繋がっているアンカー。
赤く表示された機体の異常箇所。
帰還を促す文字。
やらなければならないことは、目の前に並んでいる。
ケンは少しだけ目を閉じ、また開いた。
眠ってはいけない。
ベルーガへ戻らなければ。
操縦桿を握り直す。
その手は、まだ震えていた。
遠くで、十二の噴射光が進路を変えた。
連合軍を追う方向ではなかった。
静まり始めた戦場を、白と紫のリーガが進む。
その後方へ、十一機のブルーガが広がっていく。
ダウトは、まだ動いていなかった。
限界を迎えつつある機体と、その中の少年へ。
新たな牙が、迫っていた。
最初のビームは、ダウトの肩のすぐ脇を抜けた。
モビーディックの艦体が、白い光に照らされる。
ケンは音を立てて息を吸った。
「……え?」
警告音が鳴った。
反対側から、さらに一発。
慌てて操縦桿を倒す。
だが、ダウトは思うように動かなかった。モビーディックへ繋いだままのワイヤーが張り、ケンはそこでようやくアンカーの回収操作へ手を走らせた。
四本の先端が艦体から離れる。
噴射。
直前までダウトがいた場所を、ビームが通り過ぎた。
「な、何……!?」
モニターを見回す。
ブルーガがいた。
一機ではない。
左右へ広がり、こちらへ銃口を向けている。
その奥から、白と紫のリーガが近付いてきた。
『おいおい、随分と鈍くなってるじゃねぇか』
通信に、知らない男の声が入った。
『さっきまでの威勢はどうしたよ、ガンダム?』
ケンは返事ができなかった。
終わったのではなかったのか。
連合軍は撤退している。
もう、帰れるはずだった。
そう考えている間にも、ブルーガのライフルが動いた。
「待っ……!」
ダウトを横へ滑らせる。
シートに身体が押し付けられ、ケンの喉から呻きが漏れた。
表示を見て、ようやく気付く。
アシストモードは解除されていた。
先ほどまで機体を動かしていたアイの制御は、今はない。
ケン自身が動かさなければ、避けることもできなかった。
◇
「へぇ……戻ってるじゃねぇか」
ギルはリーガの中で笑った。
先ほどモニター越しに見たガンダムは、射撃を追い越すように動いていた。
今、目の前にいる機体は違う。
撃たれてから避ける。
向きを変え、次の射撃に気付いて、また慌てて動く。
そのたびに姿勢が大きく崩れていた。
「バイパー各機、散らせ。逃げ道を塞いでやれ」
『了解』
「アンカーには気ぃ付けろよ。あれを食らったら、お前らも置いてくからな」
笑いながら言い、ギルは前へ出た。
ブルーガが左右へ広がる。
ダウトを中心に、少しずつ距離を詰め始めた。
◇
ケンは背後を見た。
ベルーガへ戻りたい。
だが、そちらへ機体を向けようとすると、ブルーガが射線へ入ってきた。
撃たれる。
進路を変えた先にも、別の一機がいた。
「……なんで」
声が震えた。
「もう、帰るだけなのに……」
正面のブルーガへアンカーを放つ。
先端は盾の縁を掠め、外へ流れた。
外した。
回収する。
その操作をしている間に、別の銃口がダウトを捉えた。
ケンは急いで機体を沈ませた。
ビームが頭上を通る。
大きく息を吐き、もう一度正面を見た。
さっき狙ったブルーガが、まだ近くにいる。
今度は、もう少し近付いてから。
ケンは操縦桿を押し込んだ。
『来るぞ!』
ブルーガが盾を前へ出す。
ケンはその動きを追い、アンカーを放った。
装甲に接続。
噴射が消えた。
一機、止まった。
だが、安心する間もなく、その後方からビームが走った。
ケンは身体を強張らせながらダウトを捻った。
停止したブルーガのすぐ脇を抜ける。
後ろで、ギルの笑い声がした。
『まだ噛み付く元気はあるかよ!』
◇
二機目を止めた時、ケンは回収するアンカーを一瞬見失った。
戻ってきている。
表示を確かめれば、それだけのことだった。
だが、その確認に時間が掛かった。
目が疲れていた。
何を見て、何を操作しようとしていたのか、途中で分からなくなる。
ケンは強く瞬きをした。
警告音。
また、撃たれる。
逃れようと噴射すると、推進剤の残量表示が点滅した。
数字を見て、胃の奥が冷たくなった。
もう、こんな避け方を続けてはいけない。
分かっていても、目の前へビームが来れば動かすしかなかった。
「アイ……照準、手伝って」
声を絞り出す。
示された位置へ目を向け、三本目のアンカーを放った。
ブルーガが回避する。
ケンはワイヤーの伸びる方向を追い、機体ごと向きを変えた。
先端が食い付く。
三機目の停止を知らせる表示が浮かんだ。
その向こうから、白と紫のリーガが迫っていた。
◇
「三機も寝かされたか」
ギルは短く舌打ちした。
それでも、その顔から笑みは消えていなかった。
止められた機体へガンダムが意識を向ける。
その僅かな間に、リーガを接近させる。
「そっちばっか見てんじゃねぇよ!」
ライフルを向ける。
ダウトが慌てて横へ逃れた。
ギルはすぐに追った。
一発。
進路を変えた先へ、もう一発。
どちらも命中しなかった。
だが、ガンダムはそのたびに余計な噴射を使っている。
「そうだ。もっと動けよ」
ギルは低く笑った。
「いつまで続くか、見ててやる」
◇
ケンはリーガから目を離せなくなっていた。
近い。
離れようとすると、逃げる先へ銃口が向く。
アンカーを撃とうとすれば、その直前に機体をずらされる。
今までとは違った。
追いかけようとしても、相手の方が先に動く。
焦って操縦桿を倒すと、ダウトの姿勢が大きく傾いた。
ケンは慌てて戻した。
その間に、リーガがさらに近付いていた。
「……来ないで」
呟き、アンカーを放つ。
ギルはリーガを滑らせた。
ワイヤーが機体の脇を抜ける。
『そいつは、もう何度も見たぜ』
回収する前に、ライフルが光った。
ケンは噴射を強めた。
脇を抜けたビームの光が、コックピットを照らす。
まだ、当たっていない。
それでも、ケンは追い詰められていた。
息が苦しい。
操縦桿を握る手が滑る。
空になったはずの胃が、再び引き攣った。
◇
『ケン!? 今、そっちで何が起きてるの!』
ノンの声が聞こえた。
ケンは返事をしようとした。
その前にリーガが動く。
反射的に操縦桿を引き、シートへ背中を叩き付けられた。
「連邦の……機体が……」
『襲われてるの!?』
「……うん」
短く答えるので精一杯だった。
ベルーガへ向かう方角を確かめる。
そこには、ブルーガが待っていた。
正面からはリーガ。
左右にも、まだ動ける機体がいる。
止めた三機の分だけ包囲は薄くなったはずなのに、帰れる道は見つからなかった。
推進剤の警告が、また鳴った。
ケンは表示を見た。
このまま避け続ければ、戻るための分まで使ってしまう。
だが、止まれば撃たれる。
「……どうしよう」
小さく漏れた声に、ノンが何かを言った。
ケンには、最後まで聞き取れなかった。
リーガが目前へ入ってきた。
◇
ギルはダウトの動きを見ていた。
反応が遅い。
姿勢を戻すまでの間も長くなっている。
それでも、こちらの攻撃だけは何とかかわしていた。
「しぶてぇなぁ」
口元を歪め、リーガを前へ出す。
ダウトが下がる。
その進路へライフルを向けると、また向きを変えた。
そこには僚機がいる。
ガンダムが一瞬ためらう。
ギルは、その隙に距離を詰めた。
『おい、ガンダム』
外部回線へ呼びかける。
『もう無理なんだろ?』
ダウトの頭部が、こちらを向いた。
『大人しく捕まれよ。これ以上、痛ぇ思いしなくて済むぜ』
◇
ケンは答えなかった。
答えたくなかったのか、答える力がなかったのか、自分でも分からなかった。
目の前のリーガへ照準を合わせようとする。
手が震えた。
合わせたはずの表示が、すぐにずれる。
ダウトの各所を示す赤い警告が、視界の端で点滅していた。
帰還推奨。
帰りたい。
帰ると言った。
ノンも、待っている。
ケンは唇を噛み、操縦桿を握り直した。
白と紫のリーガが、ゆっくりと進路を塞ぐ。
その後方で、ブルーガの銃口が動いた。
ケンは僅かに噴射し、射線を外した。
残量の表示が、また減った。
逃げ道を探して見回すたびに、ギルのリーガが近付いてくる。
静まりかけた戦場で、ダウトだけが再び追われていた。