機動戦士ガンダム DoubT ~少年のウソが戦争となる~ 作:NageT
白と紫のリーガが、また一歩分、距離を詰めた。
ケンはその銃口を見ていた。
右へ逃れようとすれば、ブルーガがいる。
左にも、後方にも。
残る機体は、ダウトを囲む位置を崩さなかった。
『もういいだろうが。大人しくしろよ』
気怠そうな声が響く。
その声を聞きながら、ケンはアンカーの状態を確かめた。
まだ使える。
腕も動く。
だったら、もう一機だけでも止めれば、帰る道ができるかもしれない。
リーガのライフルが動いた。
ケンは機体を横へ滑らせ、同時にアンカーを放った。
だが、狙っていた場所にリーガはいなかった。
ギルは僅かな噴射でワイヤーをかわし、その外側へ回っていた。
『何度も同じ手ぇ使ってんじゃねぇよ』
銃口が向く。
ケンはアンカーを回収しながら、出力を上げた。
ダウトが加速する。
ビームが背後を抜けた。
もう少し。
このまま、目の前のブルーガの横を抜ければ。
ケンは操縦桿を倒した。
その時、警告音が変わった。
◇
噴射の光が途切れた。
ケンは一瞬、何が起きたのか分からなかった。
操縦桿を動かす。
ダウトの腕が動いた。
脚も反応している。
だが、機体は思う方向へ進まない。
コンソールに、推進剤の枯渇を告げる表示が浮かんでいた。
「……うそ」
もう一度、噴射を試す。
何も起きなかった。
ダウトはそれまでの勢いのまま、宇宙を流れていた。
進路を変えられない。
止まることも、戻ることもできない。
ケンは表示を見つめた。
分かっていたはずだった。
残りが少ないことも、このままでは帰れなくなることも。
それでも、あと少しだけならと思っていた。
『……お?』
ギルの声がした。
リーガがダウトの動きに合わせ、横へ並んでくる。
『とうとう息切れかよ』
ケンはアンカーを向けた。
ギルは距離を取った。
届かない。
自分から近付くこともできなかった。
『各機、そいつの腕に気を付けろ。もう追っては来られねぇ』
ブルーガが位置を変える。
残っていた隙間が、ゆっくりと塞がれていった。
◇
『ケン! 返事をして!』
ノンの声が聞こえた。
ケンは口を開いた。
「……推進剤が」
『え?』
「なくなった」
言葉にすると、胸が冷たくなった。
「ダウトは動くんだけど……スラスターが、使えない」
通信の向こうで、息を呑む気配がした。
ケンはリーガを見た。
銃口が、ダウトの腕へ向いている。
動けなくなった相手を狙う機体。
何度も、その間へ飛び込んだ。
今度は、自分だった。
ケンはソードライフルを持ち上げようとした。
肩の異常表示が点滅する。
それでも、腕は上がった。
まだ、何かできる。
そう思おうとしたが、狙いを定める手が震えていた。
『余計なことすんなよ』
ギルの声が低くなる。
『その腕から落としてやろうか?』
ケンは奥歯を噛み締めた。
ベルーガへ帰ると言った。
ノンも待っている。
それなのに、目の前のリーガを遠ざけることさえできない。
「……帰りたい」
声が漏れた。
ギルのライフルが、僅かに動いた。
その直後。
リーガとダウトの間を、一発の弾丸が貫いた。
◇
ギルは反射的にリーガを引いた。
目前を抜けた射撃が、後方の残骸を砕く。
「何だぁ!?」
警告が鳴った。
別方向から、赤い機体が迫っていた。
大きな腕。
鋭い爪。
竜を思わせる頭部の奥で、センサーが光っている。
サラマンダーが、ダウトの前へ飛び込んだ。
ギルがライフルを向け直す。
その銃身へ、巨大な爪が振り下ろされた。
砕けた部品が散る。
ギルは武器を手放し、リーガを後退させた。
『動けない相手を囲んで、随分と楽しそうじゃないか!』
女の声が響いた。
ケンは目を見開いた。
知っている声だった。
忘れようのない、大きな声。
「……ナーベル?」
『よう、ケン!』
赤いサラマンダーが、リーガを睨むように頭部を向けた。
『随分、無茶してるじゃないか!』
◇
ダウトの側面へ回ろうとしたブルーガが、ライフルを構えた。
ナーベルの背後を取るつもりだった。
だが、引き金を引く前に、その銃が弾け飛んだ。
『後ろを見ろ、ナーベル』
短い声が通信に入る。
『見てるよ!』
『見ていないから撃った』
その声に、ケンは顔を上げた。
「オーガも……?」
離れた位置で、カトラスが長いライフルを構えていた。
ケンは、その援護を知っていた。
自分が前へ出た時、危ない相手を先に押さえてくれた射撃。
カストロカップで、何度も助けられた。
『ケン。機体は動かせるか』
「腕とかは……でも、推進剤が」
『分かった。回収する。今は動くな』
オーガはそれだけ言った。
その後方から、さらにカトラスが現れる。
黒い機体の装甲に、海賊の印が見えた。
『船長、こっちは任せな!』
『ケンの周りを空けろ! 拾って帰るぞ!』
ケンはモニターを見回した。
次々と現れる機体。
聞き覚えのある声。
さっきまで自分を囲んでいたブルーガが、今度はそちらへ向き直っていた。
レッドスワン海賊団が、戦場へ入ってきた。
◇
「海賊だと?」
ギルは鼻を鳴らした。
壊れたライフルを見送り、サラマンダーへ視線を戻す。
旧式のカトラスが、僚機へ接近している。
「余計なところで顔を出しやがって……!」
リーガが加速した。
ナーベルも、サラマンダーを前へ出す。
『オーガ! ケンを頼む!』
『突出するな』
『分かってる!』
言い終えるより早く、赤い機体はリーガへ迫っていた。
ギルが横へ抜ける。
追ったヒートクローは、肩の装甲を浅く裂いた。
ナーベルはそのまま距離を詰めた。
ギルは彼女の勢いを見て、口元を歪める。
真っすぐ来る。
ならば、その先を外せばいい。
リーガが急に進路を変えた。
サラマンダーの側面へ回り込む。
だが、その位置へ射撃が飛んできた。
「チッ!」
ギルは回避を強いられた。
オーガのカトラスが、離れた場所からこちらを捉えていた。
『右へ逃げる』
短い声がナーベルへ届く。
『そこか!』
サラマンダーが向きを変える。
大型の腕が、逃れようとしたリーガへ伸びた。
◇
ブルーガのパイロットは、接近してくるカトラスへ照準を合わせた。
古い機体だ。
速度も反応も、こちらが上のはずだった。
ライフルを撃つ。
カトラスは正面から追ってこなかった。
残骸の陰へ入り、僚機の射撃に合わせて別の方向へ出る。
照準を追わせた先で、もう一機が近付いていた。
『左だ!』
警告に振り向く。
刃が光った。
ヒートカトラスがライフルを握る腕へ食い込み、そのまま切り落とした。
悲鳴を上げて後退したブルーガへ、別のカトラスが射撃する。
機体が爆発した。
海賊達は、そこで止まらなかった。
爆発を盾にして前へ出る者。
逃げようとする相手の進路へ、先に回る者。
無理に撃ち合わず、相手が僚機を気にした瞬間を待つ者。
同じ機体に乗っていても、その動きは揃っていなかった。
だが、誰かが踏み込む時には、別の誰かが銃口を押さえていた。
宇宙で生き残ってきた男達は、機体の古さを嘆きながら戦ってなどいなかった。
使えるものを使い、相手の隙へ容赦なく刃を入れる。
パープルバイパーズの隊形が崩れていった。
◇
爆発の光が、ダウトの装甲を照らした。
ケンは息を呑んだ。
ブルーガが、一機消えた。
その向こうでも、別の機体が撃ち抜かれる。
動かなくなったのではない。
砕けていた。
「……待って」
思わず声が出た。
自分を助けてくれている。
分かっている。
さっきまで、あの機体に追い詰められていた。
それでも、爆発を見た瞬間に身体が強張った。
「そこまで、しなくても……」
言葉を続けられなかった。
オーガの声がした。
『ケン、回収機が近付く。腕を預けろ』
カトラスがダウトの脇へ入ってきた。
ケンはぎこちなく腕を動かした。
その手を掴まれ、機体が支えられる。
もう一機が反対側へ回った。
自分ではどうにもならなかった機体が、ゆっくりと進路を変え始めた。
その間にも、戦闘は続いていた。
◇
ギルは、サラマンダーの腕を避けながら距離を取った。
大きな腕だ。
一撃が重いことは、掠めただけでも分かる。
それなのに、思ったほど離せない。
横へ抜けようとすれば、遠くのカトラスが射線を塞ぐ。
その回避先へ、赤い機体が迫ってくる。
「面倒くせぇ……!」
部隊回線へ声を飛ばす。
「ダーマス! セトウ! こいつを挟め!」
返答が重なった。
残るブルーガが動く。
だが、その一機が進路へ入ったところで、ライフルを撃ち抜かれた。
オーガは次の目標へ銃口を移す。
ダウトを運ぶカトラスへ近付こうとしていた機体に、一発。
避けた先へ、海賊の僚機が回っていた。
ギルは舌打ちした。
視界の端で、また一機の識別表示が消える。
その瞬間を、ナーベルは逃さなかった。
『アタシの相手は、こっちだろ!』
サラマンダーが突っ込んだ。
ギルはリーガを捻った。
ヒートクローが肩を裂き、伸びた指が腕を掴む。
「離せ!」
出力を上げた。
だが、サラマンダーの大型の腕は、それを引き戻した。
リーガの装甲が歪む。
灼熱した爪が、関節へ沈んだ。
「ぐ……っ!」
腕が引き千切られた。
機体が大きく傾く。
ギルが姿勢を戻そうとした時には、もう一方の腕が目前へ迫っていた。
竜の頭部が、正面に見えた。
ヒートクローが、リーガの胴体を貫いた。
◇
白と紫の機体が、赤い爪の中で崩れた。
ナーベルは腕を引き抜き、サラマンダーを離した。
直後、リーガが爆発した。
ケンは目を見開いた。
つい先ほどまで、あの男の声を聞いていた。
自分を追い詰め、笑っていた声。
その声が、もう聞こえない。
「……ナーベル」
通信へ呼びかけた。
何を言えばいいのか分からなかった。
助かった。
礼を言わなければならない。
それなのに、爆発の光が頭から消えなかった。
「あの人……」
ナーベルは、ダウトへ機体を向けた。
少しの沈黙があった。
やがて、声が返る。
『そんな甘い考えじゃ、生きていけないぜ。坊や』
ケンは口を閉じた。
ナーベルの声は、笑っていなかった。
『あいつはアンタを逃がす気なんかなかった。アタシ達が来なけりゃ、どうなってたと思う?』
「……でも」
そこから先が出なかった。
殺したくない。
誰にも死んでほしくない。
その気持ちは変わらない。
だが、自分は動けなくなり、助けてもらった。
今も、二機のカトラスに支えられている。
何を言っても、薄くなってしまう気がした。
ナーベルはそれ以上、答えを迫らなかった。
『……帰るぞ、ケン』
今度は、名前で呼んだ。
『待ってる奴がいるんだろ』
◇
最後まで抵抗していたブルーガが、ヒートカトラスで脚部を断たれた。
姿勢を失った機体へ、海賊達の銃口が向く。
やがて、パープルバイパーズからの攻撃は途絶えた。
ケンが停止させた三機は、今も動けぬまま漂っている。
その周囲には、撃破された機体の残骸が散っていた。
ガンダムを狩るために出てきた十二機の中に、戦い続けられる機体は残っていなかった。
『周囲の確認を。追うな』
オーガの指示が飛ぶ。
『ダウトの搬送を優先する』
カトラス隊が位置を変えた。
サラマンダーがその外側へ付き、ダウトを運ぶ二機を守る。
ケンは遠ざかっていく残骸を見た。
リーガの姿は、もう見分けられなかった。
◇
「……なんで、ナーベル達が?」
呟くと、ベルーガから返事があった。
『私が発信機を押して、呼んでたのよ』
ノンだった。
ケンは顔を上げた。
「発信機……?」
『別れる時、ナーベルにもらったでしょう。戦闘が始まった時に使ったの』
ナーベルの声が割って入る。
『配信も見てたからな。こっちへ向かってる途中で呼び出しが来たんだよ』
「……そう、だったんだ」
『着いてみりゃ、アンタが一人で暴れ回ってる。驚いたのはアタシの方だ』
ケンは返事に詰まった。
ノンは、ただ戻れと言っていたのではなかった。
救助を進めながら、助けまで呼んでくれていた。
自分には見えていなかったところで、皆が動いていた。
「……ありがとう」
小さく言った。
『礼は帰ってから聞く』
オーガが答えた。
『今は休め』
ケンは頷いた。
操縦桿にしがみついていた指を、ゆっくりと離す。
腕が重かった。
背もたれへ身体を預けると、それだけで目を閉じそうになった。
モニターの向こうに、ベルーガが見えた。
何度も戻ってきた艦が、今はひどく遠く感じられた。
◇
格納庫では、おやっさん達が回収の準備を整えていた。
運び込まれたダウトを見て、おやっさんの表情が変わる。
装甲の傷。
無理を重ねた関節。
機体を固定する作業を見守りながら、口を固く結んだ。
「……よく、これで」
言いかけて、飲み込む。
今は先に、乗っている人間だった。
「ケン! 開けられるか!」
呼びかけに、少し遅れてハッチが動いた。
コックピットの中に、ケンがいた。
ヘルメットを被っていない。
髪が汗で額へ張り付き、顔色はひどく悪かった。
こちらを見て何か言おうとしたが、すぐには声が出なかった。
「……ただいま」
ようやく聞こえた声は、掠れていた。
ノンが、ハッチの前まで来ていた。
ケンはその顔を見て、視線を落とした。
「ノン……」
身体を起こそうとする。
腕に力が入らず、途中で止まった。
おやっさんが手を貸し、ノンも反対側から支える。
シートから離れた途端に、自分の身体の重さを思い出した。
ケンは二人に掴まり、どうにかコックピットを出た。
◇
ノンは、ケンを見ていた。
顔を。
震えている手を。
目の前に戻ってきた姿を、何度も確かめるように。
「……ごめん」
ケンが言った。
ノンの拳が、その胸を叩いた。
ケンは僅かに身を竦めた。
「何度……」
声が震える。
「何度、戻ってって言ったと思ってるの……!」
「……うん」
もう一度、胸を叩かれた。
その拳には、強い力は入っていなかった。
「返事もしなくなるし……撃たれてるのに、帰れないって……!」
ノンが顔を上げた。
涙が頬を伝っていた。
「ホントに心配したんだから!」
ケンは何も言えなくなった。
戦場で聞いていた声。
怒っていると思った。
怒っていた。
けれど、それだけではなかった。
目の前にいるノンを見て、ようやくそのことが分かった。
「……ごめん」
もう一度言った。
ノンの手が、ケンのノーマルスーツを掴む。
ケンはその手へ、自分の手を重ねた。
うまく力が入らない。
それでも、離さなかった。
◇
「おいおい。説教は後にしてやんな」
格納庫に、大きな声が響いた。
ケンが顔を上げる。
ナーベルが歩いてきた。
その少し後ろには、オーガが黙って立っている。
赤い髪も、遠慮のない歩き方も、記憶のままだった。
ケンは口を開いた。
「ナーベル……オーガも」
「ひっでぇ顔だな」
ナーベルはそう言って、ケンの前に立った。
いつものように笑いかけ、途中で少しだけ表情を緩める。
「……よく持ち堪えたじゃないか」
ケンは俯いた。
助けてもらったこと。
リーガが爆発したこと。
言いたいことが幾つもあった。
だが、今は言葉をまとめる力が残っていなかった。
「ありがとう」
それだけを口にした。
ナーベルが頷く。
「貸しにしとくよ」
その後ろで、オーガがおやっさんへ声を掛けた。
「先に休ませた方がいい」
「ああ。話は後だ」
ケンの身体が、支え直された。
ノンの手は、まだ離れなかった。
歩き出す前に、ケンは一度だけダウトを振り返った。
傷だらけの機体が、格納庫に収まっている。
もう、銃口を探さなくてもよかった。
次に誰が撃たれるのかと、モニターを見回す必要もない。
「……アイも、ありがと」
小さく呟いた。
ノンに促され、前を向く。
帰ってきたのだと分かった途端、目の奥が熱くなった。
ケンは俯き、支えてくれる手に身体を預けた。