これからも『恵ちゃん至上主義?』をどうかよろしくお願いします!
ps.神様仏様運営様どうか見逃してください
翌朝、私が目を覚ましたのはほとんどの皆が起床した後のことだった。
お世辞にも寝心地が良いとは言い難いテントで一夜を過ごしたからか、背中と腰が痛みを訴えている。睡眠の質も悪く、何度か夜中に目が覚めてしまった。おかげで寝不足だ。
腰を擦りながら誰も居ないテントを出て、外にひと纏めにしておいた鞄の山から自分のものを選び、櫛を取り出して寝癖を直す。それからタオルを持って川で顔を洗う。清らかに流れる川の水は冷たく、残っていた眠気を覚ますには十分だった。ちら、と周囲を見回したが翔子はまだ来ていない。
朝食はスイカか木の実を選べたので、とりあえずスイカを選んだ。良く分からない果物らしき木の実はあまり食べる気にはならなかった。一応、池がその辺りの知識が豊富なようで、大丈夫だと説明があったそうだけど。
隅っこのほうで大人しくスイカを食べようとすると、佐藤さんたちからお呼ばれしたので同席することに。昨晩はすっかり質問攻めに遭ったけれど、流石にこの時間帯に猥談することもなくそこそこに賑やかに朝食を楽しむ。クラスメイトと一緒に食事を摂るのも、なんだか随分と久しい気がした。
ささやかな朝食を終えて、また一人になる。特にすることもないので適当に川の傍に座り込んで水の流れを眺めて時間を潰す。程なくして朝の点呼が始まった。名前を呼ばれ、返事をする。その繰り返し。リタイアした高円寺くんを除く39名が揃っていることを確認し、茶柱先生が個人テントへ戻っていく。
二日目を円滑に過ごすため、平田くんが皆に指示を出していた最中、ふとクラスの誰かが声を発した。
「おい、誰か来たぞ」
もしかして――そう思い顔を上げると、待ち望んだ人物がキャンプ地に足を踏み入れた。
「恵ちゃん、迎えに来たよ」
「翔子っ」
居ても立っても居られず、彼女の傍に駆け寄る。全身が羽のように軽かった。
「おはよう恵ちゃん。寂しくなかった?」
「おはよ! 翔子が来てくれるって信じてたし、そんなに寂しくなかったわよ」
「んー、そこは寂しいって言ってほしかったなあ」
「え、あ……や、やっぱり寂しかったかも……」
「そうだよねー恵ちゃんは寂しがり屋さんだもんねー。よしよし」
優しい手つきで頭を撫でられる。ああこれだ、この安心感がないと私は生きていけない。彼女が私だけに聞かせる甘ったるい声と、私だけに触れる温かい体温。たった一日離れていただけで摩耗した精神が、逆さにした砂時計みたいにゆっくりと元に戻っていく。
「じゃあ行こっか。鞄、取っておいで」
「うんっ」
笑顔で頷いて鞄を取りに行こうとしたとき、私の行く手を阻むようにして篠原さんが立ち塞がった。
「ちょっと軽井沢さん、どこ行く気?」
「……篠原さんに関係なくない?」
「あるから言ってるんだけど。他クラスの人と勝手に行動するとか何考えてるの? 今試験だって分かってる?」
「わざわざ教えてもらわなくても分かってるわよ。いいからそこどいて」
腕を組んでこちらを睨みつけてくる篠原さんに邪魔され、私は滲み出した不機嫌さを一切隠さずにぶつける。
「ね、ねえ二人とも喧嘩はダメだよ!」
一触即発の剣呑な雰囲気を察知してか、櫛田さんが慌てた様子で割って入ってきた。
「確かに今は試験中だし、他所のクラスの子と行動するのは良くないと思うけど、ちょっとくらいなら良いんじゃないかな?」
「いや、ダメに決まってるでしょ。軽井沢さんがリーダーの情報バラすかもしれないじゃない」
「はあ? そんなことするわけないじゃん」
「じゃあ聞くけど、土岐さんにリーダー教えてって言われたら軽井沢さん断れるの?」
その問いかけには答えられなかった。もし聞かれたとしたら、私は素直に教えてしまう確信があったからだ。
私が押し黙ると、篠原さんは小さく鼻で笑った。
「ほらやっぱり。絶対裏切るって」
嘲笑を浮かべる彼女に、私は反論できない。ただ拳を強く握って怒りに耐える。相手が正論を言っていると理解していても、邪魔をされた事実が無性に腹立つ。――赤の他人のくせに。
一瞬。ほんの一瞬だけ、彼女の胸ぐらに手が伸びかけた。今までの私からは到底考えられない暴力的な行動に出ようとした自分に驚いて、その手を引っ込める。
「――けーいちゃん」
「わっ」
行き場のない怒りの処理に困っていると、背後から翔子が抱きついてくる。藍色の髪先が首筋に触れてくすぐったい。
「なんとなーくこうなる気はしてたよ。だからここは私に任せて、ね?」
「ん……分かった」
頷いてみせると、翔子は私をゆったりとハグしたまま軽く周囲を見回す。クラスメイトのほぼ全員が一様にこちらに視線を向けていた。
「このクラスを纏めているのは誰です?」
「僕だよ」
様子を見守っていた平田くんが前に出る。翔子は彼を見据えると、いつもの営業スマイルに切り替えた。
「私と取引しませんか?」
「取引? それは……Aクラスとしてかな?」
「いえ、私個人と。恵ちゃんを連れて行く代わりに、2点ほど有益な対価を提供できますよ」
頭の上で、翔子がニコりと笑う。取引という単語を聞いて、クラスメイトたちも怪訝な表情を浮かべた。アウェーな空気感が漂い始めたが、翔子は大して気にした様子もなく、膝に置いた猫でも可愛がるみたいにしてずっと私の頭を撫でている。気持ちいい。
「ダメだって平田くん。うちらの情報抜き取るつもりだよ」
「決めつけるのは良くないよ。まずは話だけでも聞いてみよう。それで良いかい?」
「ええ」
篠原さんが真っ先に反対するも、冷静に判断した平田くんは翔子に話を促す。
「私の目的はシンプル。恵ちゃんと一緒にバカンスをすることです」
「と言うと?」
「海で泳いだり、バーベキューをしたり、夜は花火なんかもいいですね。元々、そのつもりで乗船したんですよ。それなのにつまらない試験で予定を狂わされて……要するに、やり直しがしたいわけです」
ね? と同意を求められたので、腕の中でしっかり頷く。こんな試験なんかより、早く翔子とビーチで遊びたかった。
「なるほど、土岐さんの望みは分かったよ。でも軽井沢さんは僕たちのクラスの生徒だ。君に他意は無いとしても、試験中である以上は安易に引き渡すことは出来ない。それは理解してほしい」
「それはご尤も。私としても、タダで恵ちゃんをお借りするのも憚られますから――なので、対価をお支払いしましょう」
翔子は意味深に言って体を離すと、川に向かって歩き出した。
クラスメイトたちが見つめる中、川岸に着いた彼女は徐ろに靴とハイソックスを脱ぎ、スカートの端を持ち上げて川の中へと入っていく。
「わ、冷たくて気持ちいいですね」
びっくりしたようにはにかんで、白くて細いシルクのような足でばしゃばしゃと水を蹴る。翔子の綺麗な風貌も相まって、まるで映画のワンシーンを観ているのではと錯覚してしまう。
その光景に目を奪われていると、呆気に取られていた生徒のうちの一人、幸村くんが川辺に詰め寄った。
「おい! この川は俺たちが占有してるんだぞ! 他所のクラスのやつが勝手に使うなよ!」
「承知の上です。では平田くん、現在、他クラスの人間が貴方のクラスの占有しているスポットを許可なく使用しています。――さて、この場合マニュアルにはなんと書いてあるでしょう?」
翔子がそう尋ねると、平田くんはマニュアルを読むこと無く頭に叩き込んでいた文章をそのまま口にした。
「他が占有しているスポットを許可なく使用した場合――50ポイントのペナルティを受ける、だね」
「ええそうです。であれば、やることは一つですよね?」
ここまでお膳立てされれば、誰だって答えにたどり着ける。でも、不敵な笑みを浮かべる彼女の真意までは推し量れない。困惑した様子でクラスメイトたちがざわめき始めた。
「さあ、担任の先生を呼んで報告してください。Aクラスの50ポイントを削るチャンスですよ」
「土岐さん、君は――」
「なあ平田。土岐ちゃんもああ言ってるし、報告していいんじゃないか?」
疑念を抱く平田くんに対して、池が賛成の姿勢を見せる。話を聞いていたクラスの何人かも、胡乱げな視線を向けてはいるものの、各々頷いて概ね賛同を示していた。
「50ポイントだぜ、50ポイント。Aクラスは一人欠席しててもう30失ってんだろ? じゃあこれで80だ。よくわかんねーけど、自滅してくれんならありがたい話じゃね?」
「そうかもしれないけど……ルール違反をすれば、Aクラスの皆にも先生から通達があるはずだ。50ポイントも減点されれば、クラスから反感を買うのは避けられない。そんな当たり前のこと、君が理解していないとは思えない」
「そうですね。ですから、承知の上だと申したんです。別に、クラスのポイントがどうなろうと興味ありませんから」
涼しい顔をして、彼女は水面を蹴る。理解できないとばかりに平田くんたちは目を丸くした。
「興味ないって……クラスに対する明確な裏切りだよ? もしクラスメイトに知られれば……」
「裏切り? それは私には当てはまりませんね。私はクラスメイトを味方だとは思っていませんよ、教室が同じだけの赤の他人です。向こうはまあ、私のことを敵だと思ってるでしょうけど」
「それは、どういうことだい?」
平田くんの問いかけに、見るものを惑わすような不敵な笑みで翔子は彼の疑問を解消する。
「スポットを無断で使用するのはこれで二度目、ということですよ」
軽々と言ってのけた翔子を前にして、私を含めたDクラスの面々は瞠目せざるを得なかった。困惑によるざわめきが次第に大きくなっていく。来訪した翔子を見る彼らの視線は、既に不気味なものを見るそれに変質していた。
「昨日、Bクラスで同じことをしましたから。Aクラスは既に80ポイントのペナルティが決定しています。一之瀬さんを説得するの、結構骨が折れたんですよ?」
まるで悪戯が成功した子供みたいな調子でからからと笑う翔子。そんな彼女を、皆は遠巻きに見つめるばかり。私は、私のためにあれこれ動いてくれていると知って、自然と嬉しさで顔が綻んだ。行動の意味は理解できていないけれど、その根底にあるものは私なのだと知っていたから。
「それで、どうされます? 足がふやけてしまう前に決めてくださると嬉しいのですが」
片足を上げて、水の滴る素足を見せつける。不意にどきっ、と心臓が強く鼓動した。なぜだか分からないけど、とても恥ずかしいものを見ている気分になって、咄嗟に目を逸らす。あれくらい、なんともないはずなのに。
「平田、俺はこの取引を受けるべきだと思うぞ。軽井沢を差し出すだけでAクラスが勝手に潰れるんだ。リーダーの情報を口外しないよう条件をつければ、俺たちにはメリットしか無い」
眼鏡のズレを直した幸村くんが、平田くんに進言する。
「少し聞こえてしまったので念のため言っておきますが、情報を持ち帰ることはありませんよ。私こう見えて追われる身ですから。今頃、クラスの皆さんは血眼で私のことを探してると思いますし」
「おいおい……追われる身って、土岐ちゃん何したんだよ」
「んー、些細な悪戯とでも申しましょうか。まあ詳しい話はAクラスの方に聞いてみてください」
詳細を語る気はないらしく、また水を蹴って遊び始めた翔子に、平田くんが一歩前へ出た。ちら、と彼が私を一瞥する。
「軽井沢さんからクラスの情報を詮索しない。軽井沢さんも土岐さんに情報を流さない。これを厳守してくれれば、君の提案を受けようと思う」
「はい、お約束致しましょう。恵ちゃんもそれでいーい?」
「いいよ」
私たちが簡単に承諾すると、平田くんは次に、個人テントの前で事の成り行きを静観していた茶柱先生に視線を送った。
「茶柱先生」
「ああ、話は聞いていたぞ。……いいんだな?」
「構いませんよ。全然」
にっこりと翔子が穏やかに微笑む。相変わらず、惚れ惚れするような上品な微笑だった。
「では、Dクラスが保有するスポットにて、Aクラスの生徒による無断使用を確認した。これにより、Aクラスには50ポイントのペナルティが発生する」
「ありがとうございます」
川底に足をつけたまま、丁寧に翔子が頭を下げる。違反した側なのにお礼を言うなんて、なんだか変な感じだ。
やがて翔子が川から上がり、私を手招きした。ぱたぱたと駆け寄る。
「恵ちゃん、タオル貸して」
「ん、ちょっと待ってて」
テントの前にある鞄を掴んで、彼女の下へ戻る。途中、篠原さんとすれ違ったけど、何やら言いたげな視線を向けられただけだった。多分、もう篠原さんとまともに会話することはないだろうなと感覚で分かった。
鞄からタオルを取り出して翔子に手渡す。
「翔子、本当に大丈夫なわけ?」
「んー? もしかして心配してくれてる?」
「当たり前でしょ」
「恵ちゃんは優しいね。でも大丈夫だよ、いざとなったら拳で解決するから」
「もう、あんまり無茶しないでよね。……翔子が怪我したら、あたしも嫌だし」
ぽつりと呟くようにそう言っても、翔子は困ったように苦笑いするばかり。彼女は私のためなら、きっと凄く無理をしてしまうだろうから、それが少し怖い。不安を払うように、私はお互いの小指を繋いでちょっと強引に約束した。無理矢理指切りをしたものだから、しょうがないなあ、と翔子が珍しく照れくさそうに笑う。そんな顔するなら、写真の一枚でも撮りたかったのに。
翔子が足を拭き終わると、平田くんが新たに一つ質問をする。
「土岐さん、一つ聞いておきたいことがあるんだ。さっき言ってた2点の対価のことだけど……」
ソックスと靴を履き直した翔子が立ち上がり、その質問に答えた。
「1点はたった今取引したように、スポットの無断使用によるペナルティを発生させること。そして2点目は……」
わざと間を空けて、言葉を強調する。
「Aクラスのリーダーが誰なのか、なんてどうです?」
その発言に集まっていたほぼ全員がどよめく。ポイントを稼ぐことに躍起になっているDクラスの生徒たちが、あからさまに注目を寄せていた。最終日に他クラスのリーダーを的中させれば50ポイントを得られる。食いつかないわけがなかった。
「本当かい!? それは僕らとしてもありがたい話だよ」
「そうですよね。私としてもAクラスのポイントが無くなる分には喜ばしいので、良ければお教えしますよ」
人当たりの良い笑みを見せる翔子に、平田くんが表情を明るくする。トントン拍子に話が進むかと思いきや、それを訝しんだ眼差しの幸村くんが待ったをかけた。
「待て平田。流石に都合が良すぎないか? 自分のクラスにここまで妨害工作をしてるんだぞ。何か裏があるとしか考えられない」
「あら、私が皆さんを騙そうとしていると?」
「ああそうだ。とてもじゃないが信用できないな」
「そんなつもりはないんですけどね。Dクラスを騙したところでメリットがありませんし」
うーん、と腕を組んで少し考える仕草をした翔子は、疑いの目を向ける幸村くんに対して口を開いた。
「でしたら、私が勝手に喋りますから、後の判断は皆さんにお任せします。聞くだけなら構わないでしょう?」
「……確かにそうだが」
渋々と言った様子ではあるものの、幸村くんが一応は納得した。それを見て、翔子は淡々と情報を流し始める。
「では簡潔に。Aクラスのリーダーは戸塚弥彦という男子です」
あっさりと重要な情報が暴露され、クラスメイトたちが目を見開く。注目を一身に集めながら、彼女は言葉を続ける。
「彼はAクラスにおける葛城派の生徒で、派閥を率いている葛城くんの側近です。今回の試験では、対立派閥を率いる坂柳さんが欠員していますので、一時的な指揮は葛城くんが執っています。葛城くんはとても慎重な性格で、リーダーに選ぶのは自分の派閥であり、最も信頼できる人物。それが戸塚弥彦という生徒です。カモフラージュとしてキーカード自体は葛城くんが肌身放さず持っていますから、物的証拠がないのはご了承ください。……とまあ、こんなところですね」
息をついて、一方的な開示を終える。平田くんたちは真剣な面持ちで情報を整理しているようだった。
「さて、少々長居しすぎてしまいました。――恵ちゃん」
翔子がいつもの声色で私を呼ぶ。鞄を肩にかけて、私は彼女の手を取った。ああ、温かい。指を絡ませるほどに安堵する。お互いに微笑み合い、それからゆっくりと歩き出す。
と、何かを思い出したのか翔子が不意に足を止めた。
「ああ、そうでしたそうでした。最後に私から一つだけ、Dクラスの皆さんに伝言を預かっています」
「伝言……?」
半身振り返り、全体に聞こえるように少し声を張って伝える。
「Cクラスの龍園くんから、『夏休みを満喫したければ、今すぐに浜辺に来い』とのことですよ。――それでは、私たちはこれで失礼しますね」
それだけ伝えて翔子は再び歩き始める。肩を寄せ合い、同じ歩幅で道を行く。そよ風に乗って潮騒の香りが鼻腔をくすぐった。浜辺が近い。
「ねえ、どこ行くの?」
声を弾ませて尋ねる。次第に強くなってきた夏の日差しですら、私たちを歓迎しているように思えた。
「Cクラスのキャンプだよ。浜辺にあるの」
「Cクラスぅ? なんでまた」
「ちょっと取引しててね。私たちのテントもそこに用意してもらったの」
なるほど。浜辺、テント。それはなんとも楽しみだ。きっと、今までの退屈を全部吹き飛ばすような楽しい出来事の連続になる。絶対に、忘れられない思い出になる。
翔子と一緒なら、何もない道を歩くのだって楽しい。幸せだと思える。ただ同じ空間に居られるだけで、私たちは無敵だった。世界は私たちを中心に回っていると、今なら本気で思う。
さざなみが聞こえてくる。私たちの夏が待っている。幸せは、きっとそこにある。
「楽しみだね」
「うんっ!」
私たちの、本当のバカンスが始まろうとしていた――。