森を抜けた先には、白い砂浜と青く煌めく海が広がっていた。
浜辺ではCクラスの生徒たちが楽しそうにはしゃいでいる。彼らは皆水着で、スイカ割りをしていたり、ビーチボールを楽しんでいたり、タープテントの下でバーベキューに舌鼓を打っていた。夏の海を満喫するためのあらゆる設備が備えられ、思い思いの時間を過ごしている。その光景を見ていると、Dクラスで過ごした一日がなんとも惨めに思えてならない。今朝の食事はスイカか得体の知れない木の実だって言うのに、Cクラスの生徒はジュース片手に肉を食らっている。いいなあ、と私は羨望の眼差しで遠巻きに眺めた。
「すっごい豪遊してるみたいだけど、あれじゃポイント残らなくない?」
「そういう作戦なんだよ。まあ、Cクラスにも色々あるってことだね」
何か知っている様子の翔子に軽く手を引かれ、賑わうCクラスの下へ向かう。さくさくと砂を踏み、ある程度進んだところで浮き輪を膨らませていた男子生徒がこっちに気づいて近寄ってくる。
「どうも。龍園くんはどちらに?」
「龍園さんならあっちのテントにいるッス。あと、お嬢たちのテントも用意しておいたッス。物資もそこに」
「ありがとうございます」
軽く会釈をして男子生徒が戻っていった。それはともかく、聞き捨てならないものが一つ。
「お、お嬢って呼ばせてんの?」
「んーん、勝手に呼ばれてるだけ」
翔子は困り顔を浮かべたけど、満更でもなさそうだった。実際のところお嬢様、という点では間違っていないのだし。
肉の焼ける香ばしい匂いが漂う砂浜を少し歩けば、先程の生徒が指差したタープテントの下には、チェアに寝そべり肌を焼いている男子生徒が居た。私たちに気づくと、蛇のように鋭い目がこちらを視界に収める。不良然とした粗暴な雰囲気を持つ彼を前に、私は腰が引ける思いだった。
「よお。遅かったじゃねえか」
寝そべったままの姿勢で男が声を上げる。
「ええまあ。恵ちゃんを連れ出すのに多少反発されまして」
「ま、いいさ。それより、そいつがてめぇの大事な軽井沢か?」
値踏みするような視線が向けられ、咄嗟に翔子の背中に隠れる。蛇に睨まれた蛙とは私のことだった。出来ることならお近付きになりたくないタイプの人間と遭遇し、体が強張る。
「あんまり怖がらせないであげてくださいね。この子、怖がりですから」
「ハッ。取って喰おうなんざ思ってねぇよ。お前らは大事な客人だからな。ご要望通り、テントも物資も用意してやったぜ。設備もその辺にあるのを好きに使え」
「ありがとうございます」
私を守るように立ちながら、翔子は事務的に礼を述べた。
「ああそれから、さっきDクラスのスポットを利用して、Aクラスのポイントをもう50削っておきましたよ。リーダーの情報もバラしておきましたから、当てられれば更に追加で50ポイント削れますね。そこに私の点呼不在も加えれば一日ごとに10、20と嵩増しされていきます。もうAクラスのキャンプには戻れませんし、当然ですね」
「くくっ。容赦ねぇなあ。だが、俺たちとしてもそのくらいやってもらわなきゃ困る。お前が審議でチクったせいでCクラスは甚大な被害を被っちまったからなぁ」
「そう言われましても、私は見聞きしたものをそのまま証言しただけですよ。恵ちゃんを出汁に使われなければ、そもそも目撃者として名乗り出ませんでしたし」
「ま、そういうことにしておいてやるよ。だが次はねえぞ。今回はあくまでお互いの利害が一致しただけだ」
龍園のドスの利いた脅しにも動ずること無く、微笑みすら浮かべたまま翔子が頷く。まるで恐怖を知らないかのような振る舞いだった。
「ええ、承知していますよ」
「ならいいさ。精々、ツレと夏を満喫するんだな」
剣呑な空気を霧散させ、龍園は目を伏せて会話を終了した。翔子と一緒にその場を離れる。あー怖かった。
「あれがCクラスのリーダー?」
「そ。龍園翔くん。噂じゃ暴君って話だったけど、実際会ってみるとかなり頭が回るみたい。こっちがメリットを提示できれば、それなりに融通も利かせてくれる。――こんな風に」
連れられて、Cクラスのキャンプから少し離れた位置にぽつんとテントが立っている。サイズは二人用にしてはちょっと大きいので、多分ファミリータイプ。傍には簡易トイレとシャワーまでセットで付いていた。ファスナーを下ろしてテントの中を覗いてみると、二人分の寝袋と物資が入った段ボール箱やクーラーボックスが置かれている。至れり尽くせりだ。
「じゃあ恵ちゃん。中でお着替えしましょうね~」
「わ、ちょ」
中に引きずり込まれて、ファスナーが閉められる。そこは簡易的な密室であり外から見られることはない。とは言え……。
「し、翔子っ、自分で脱げるってば」
慣れた手つきでジャージを脱がされ、あっという間に下着姿を晒す。それからブラも外され下着も下ろされる。生まれたままの姿がどうにも恥ずかしくて、私はどうにか胸や秘部を隠そうとしながら自分の鞄に手を突っ込んで水着を引っ張り出した。用意していたのは桃色のワンピースタイプの水着。これなら脇腹を晒さなくて済むし、何よりフリルが付いていてデザイン的にも可愛い。それは夏休み前に翔子と一緒に選んだ水着だった。
脱がされたジャージを畳み、水着に着替える。横目で彼女の様子を窺うと、裸体の翔子と目が合う。白く、陶器のような素肌が目に眩しい。手していたのはビキニタイプの紺色の水着で、それも翔子と選んで買ったものだった。
「なあに恵ちゃん。そんなに私の裸見たかったの?」
「ベベベ別にそんなんじゃないし! 違うから!」
慌てて否定して、急いで水着に着替え終わる。
……あれ? 私なんでこんなに恥ずかしがってるんだろう。翔子の裸なんて散々見慣れたはずなのに。どうして――。
何も分からないまま、私はそそくさとテントを出る。夏の熱気に負けないくらい顔が熱かった。
◆
――海。
低い波に乗りながら、水飛沫を上げて風を切る。スピードに乗って海を駆け抜ける気分は、さながらイルカみたいだった。
「翔子っ! もっと飛ばしてー!」
「オッケー! しっかり捕まっててよっ!」
Cクラスから拝借した水上バイクに跨って、翔子の細い腰に抱きつく。潮風を全身に感じて、私たちは風になった。加速すればするほど、水飛沫が派手に散って気分が高揚する。私たちのスピードに世界が付いてこれていないような気さえした。
急停止からの鋭角な方向転換や、綺麗に弧を描くドリフトを披露した翔子のテクニックは、砂浜から眺めていたCクラスの生徒たちからも歓声が上がるほど。思わず、同乗しているだけの私まで誇らしくなった。
「恵ちゃん楽しい!?」
「うん! ちょー楽しい!」
唸るエンジンに負けないように、互いに声を張る。今だけは世界の誰よりも幸せな笑顔をしている自信があった。
波を切り裂いて縦横無尽に水上を駆ける。小さな波を乗り越え、ジャンプする度に悲鳴と笑顔が溢れた。ぐるぐると同じ地点を何度も走る。飽きるまで、喉が痛くなっても、私たちは終始笑っていた。浜辺に戻る頃にはすっかりくたくただったけど、それでも笑顔だけは絶えない。
余談だけど、普通に無免許だったらしい。それでいいのか高育。
◆
休憩も兼ねて、ちょっと早めの昼食を摂ることに。
テントに戻り、パーカーを一枚羽織ってからCクラスのキャンプへ向かう。ちょうどCクラスの生徒がバーベキューをしていたようなのでそこに交ぜてもらい、焼き上がった牛肉を遠慮なくいただく。香ばしい香りと、噛むほどに溢れるジューシーな肉の味わいが疲れた体にしみる。Dクラスで食べたスイカも美味しかったけど、あれとはわけが違う。夏の海と言えばバーベキューであり、バーベキューと言えば肉なのだ。極貧サバイバル生活を強要させられ、スイカ一切れで終わって良いはずがない。
「美味しい……! やっぱりバカンスはこうでなきゃ!」
「米もあるぜ!」
「ちょうだい!」
せっかくのバカンス。体重なんて気にせずに米を食らう。後のことは未来の私がなんとかする。今はただ、肉と米とたまに野菜を口に放り込む。うまっ。
「恵ちゃん細いからちゃんと食べるんだよ?」
「そういう翔子だってめっちゃ細いじゃん」
「私はいいんだよ。食べた分はちゃんと運動するし、あんまり太らない体質だから」
「ず、ズルい……」
涼し気な顔でスペアリブを頬張る翔子が、ちょっとだけ妬ましい。話を聞いていたCクラスの女子も翔子のお腹周りを凝視していた。うん、私もその体質欲しいよ。
と言いつつ、しっかり食後のデザートとしてソフトクリームを一本食べたとさ。後が怖いぞ。
◆
食後は浮き輪を装備して、のんびりと海に浮かんでいた。翔子も隣でぷかぷか浮かんでいる。手を繋いでいるので、流されるとしても二人一緒だ。
「あー……」
太陽の眩しさに目を細める。暑い日差しで火照った身体に、ひんやりと冷たい海水が心地良い。このままラッコみたいに海を揺蕩い続けるのも悪くなかった。いや、本当に流されると困るけども。
脱力して、波に揺られる。漂流物にでもなった気分だ。
「気持ちいいね~」
「ん~……」
Cクラスのはしゃぐ声と、さざ波の音、それからウミネコの鳴き声に、翔子の甘ったるい声。聞こえてくる音はとても簡素で、だけど物足りないわけじゃない。落ち着いたビーチが、食後にはぴったりの環境だった。
穏やかな時間が、流れている。
◆
砂遊びをしよう、と翔子が言った。
高校生にもなって砂遊びは些か恥ずかしいような気もしたけど、いざやってみると意外に楽しい。砂を海水で固めて、頭の中でイメージしたそれに近づけていく。着工しているのは簡単な砂の城だった。これくらいなら私でも作れるだろうと踏んでのことだったが、なかなか思った通りに作業は進まず、段々と出来上がってきたのは砂のお城には程遠く。なんというか、廃墟と言うか落城寸前の城みたいな有り様だった。
一方、翔子は身長ほどの高さまで砂を目一杯積み上げて、両手に小さいシャベルを装備してその山をがしがし削っていた。薄っすらと人型のようなものが出来上がりつつある。
「何作ってるの?」
「等身大恵ちゃん砂像」
「は、恥ずかしいからやめて」
「む……」
砂山は時間を掛けて、立派なお城へ生まれ変わった。景観を損ねるので隣の砂の塊は撤去しておく。
◆
時刻は午後8時前。もう数分で点呼が始まろうという頃合いに、晩ごはんを済ませた私と翔子はDクラスのキャンプに戻ってきていた。牛肉と白米を堪能してきたので、ジャージには香ばしい匂いが染み付いている。近くを通ったクラスメイトが羨ましそうにこっちを見ていた。
「戻ったら花火しようね」
「うんっ」
笑顔でそう約束する。朝から晩まで海水浴を楽しんだけど、まだまだ足りない。一日無駄にロスしたせいで満足するには程遠いのだ。私たちならもっと海を満喫できる。ひとまず、今日の締めは花火だ。
「ごめん、ちょっといいかな?」
焚き火の傍で二人で話し込んでいると、平田くんが声をかけてきた。その表情には薄っすらと疲労の色が見える。慣れない無人島生活で早くも疲れが出てしまっているのだろう。私たちはこんなに夏を楽しんでいるのに、なんだか少し可哀想に思えた。
「どうかしましたか?」
「うん。実は土岐さんたちがキャンプを離れて直ぐに、Aクラスの人たちがここに来てね。その、凄く怒ってるみたいで、土岐さんを出せって言ってきたんだ。幸い、君が居ないと分かってまた何処かへ探しに行ったみたいだけど……本当に、大丈夫なのかい?」
心配そうな目で平田くんが確認する。心優しい彼にとって、翔子もまた庇護すべきか弱い女の子に見えているのかも知れない。だけど、翔子はふるふると頭を振って余裕綽々な調子で答えた。
「何も問題ありませんよ。彼らがどんなに怒っていようとも、私と恵ちゃんの時間は邪魔させませんから。ええ、絶対に」
「あはは……そういう意味じゃなかったんだけどな……」
平田くんが苦笑する。多分、クラスでの立場を危惧する意味合いだったんだろうけど、彼女にとってクラスのことは二の次、三の次。どんなに立場が悪かろうと、翔子はまるで意に介さないだろう。涼しい顔であしらう光景が目に浮かぶ。
それから点呼を終えて、クラスメイトたちから胡乱げな注目を集めつつ、私たちは浜辺のテントに戻った。
◆
夏と言えば、やっぱり花火だ。
テントに戻った私たちは、さっそく物資に含まれていた花火セットを開封して準備する。Cクラスの方を見やると、彼らも大勢で花火に興じていた。色とりどりの火花が夜の浜辺を彩っている。
バケツを用意して中に海水を汲み、マッチで蝋燭に火を灯せば後は着火するだけ。それぞれ手持ち花火を選んで、そっと火を点ける。
「おー! めっちゃキレー!」
眩く噴出する黄色い閃光が、火薬の匂いを伴って砂浜に映える。くるくると小さく円を描き、火薬が尽きる前に虚空に色を付ける。その隣で、赤い火花が花を咲かせていた。私と翔子は、童心に返ったような気分でその光景を楽しむ。
何本か手持ち花火を使い終え、役目を果たしたそれをバケツの水に差し込んだ。じゅ、と小気味良い音を立てて完全に鎮火する。
翔子は傍らに置いていた家庭用の花火セットを漁って、筒状の花火を取り出してみせた。
「じゃんっ、打ち上げ花火もあるよ」
「ほんと!? 見たい見たい!」
私が興奮気味にそうせがむと、彼女は微笑んでそれを砂の上に設置した。導火線に火を点けて、二、三歩下がる。やがてひゅーっと上空に花火が打ち上がり、鮮やかな火花がぱんっと咲いた。夜空に散ったそれを、私たちは目を輝かせて見上げていた。
今日で使い切るつもりでどんどんと花火を打ち上げ、暗い夜空をカラフルに色付ける。翔子に寄り添いながら、そうやって夏の思い出を共有する。楽しくて、幸せだった。
夢中になって花火で遊んでいると、もうほとんど使い切ってしまったようで、残っているのは線香花火だけ。締めくくりとしては定番だ。
ひらひらの持ち手を指で摘んで、向かい合うように屈む。
火を点けるとささやかな火花がぱちぱちと瞬く。Cクラスの人たちは花火を終えていて、砂浜は閑散としていた。波の音と、微かに聞こえる火種の爆ぜる音だけがそこにある。
「綺麗だね」
「うん」
懸命に小さな火花を散らす線香花火を見守りながら相槌を打つ。どっちが先に実を落とすかは、まだ分からない。落ちないように、ちょっとだけ祈った。
「ねえ、恵ちゃん。今日は楽しかった?」
「当たり前じゃん。すっごく楽しかったっ」
「そっか。ふふっ、嬉しいなあ」
幸せそうに翔子が顔を綻ばせる。
薄く花火に照らされた端正な顔を見て――私は目を奪われた。もう線香花火なんてどうでもよくて、彼女から視線を逸らせなくなった。否応なしに胸が高鳴り、顔が次第に熱を帯びてくる。
綺麗だなって、そう思った。
「ねえ翔子」
「なあに?」
「綺麗、だね」
なんでもない風に言う。夜風に揺れて、火種が砂に落ちた。どちらが先だったかは、よく見ていなかった。
「貴女と一緒に見ているからね」
笑顔が咲く。それは私にとって、花火なんかより何倍も、何十倍も綺麗に思えた。目を奪われ、心を奪われ、呼吸すらも奪われて――ようやっと、胸の内に秘めていた淡い想いの正体に気づく。
ああ、そっか――――私、翔子のこと大好きじゃん。
高校1年生の夏、私は一人の女の子に恋をした。