あの女が姿を見せたのは、伊吹たちを送り込んだ直後だった。
「龍園さん、なんかAクラスの女子が来てるんすけど……」
「あ?」
怪訝そうな顔をした石崎が砂浜の先を指差す。背の高い女が居た。Cクラスの領域に入らぬよう、遠巻きに突っ立っている。その女の風貌には聞き覚えがあった。曰く、Aクラスには180センチオーバーのバカみてぇな高身長の女子が居て、そいつはDクラスのギャルとデキてるらしい。そしてその女は、須藤に仕掛けた暴力事件の審議で、目撃者として名乗り出やがった奴の特徴と合致している。
女の名は、土岐翔子。俺たちCクラスの敵だ。
「……面白え。連れてこい」
一人でノコノコとやってきた気概を買い、石崎に連れてこさせる。
「――初めまして。Aクラスの土岐翔子と言います」
やがて俺の前に立ったそいつは、軽薄極まる笑みを貼り付けて挨拶してきた。実際に相対すると痛感する、デケえ。流石にうちのアルベルトよりは下だが、それでも1年の女子ん中じゃダントツだろう。気に入らねえが、俺が見上げる形になる。
「挨拶は良い。俺のことも知ってんだろ? とっとと用件を言え。俺たちはこれから夏のバカンスで忙しいんだからよ」
「あらそうでしたか。それは失礼しました」
何が可笑しいのか、土岐がくすくすと笑う。口元に手を当てる所作には俺のクラスの女子にはねえ上品さがある。さぞ裕福な家庭で育ったんだろう。
「では、あまりお時間を頂戴するのも申し訳ないので、手短に済ませましょうか」
そう言って土岐は、肩に下げた鞄から紙切れを一枚取り出してみせる。
――それは俺が葛城の野郎と交わした契約書だった。
なぜこいつが持っている? あの慎重派の葛城が持ち出させるわけがねえ。この書類は今回の試験において、葛城が勝つべく(本人はそう思っちゃいるが実際は大損だ)仕組んだ協定。どんな理由であれ、是が非でも止めるはずだ。万が一紛失した際のリスクを奴が承知していないとでも? それこそ有り得ねえ。となると、こいつの正体は妨害工作を指示された坂柳派――いや、確か例外が一人居るって話だったな。どちらの派閥にも所属しない女子生徒が居る、そんな話を。
「何のつもりだ? まさかとは思うが、契約内容にケチつけようってか? おいおい冗談よせよ。その契約はてめえらも承知で同意したんじゃねえのか?」
「ええまあ。先程見せられた際は同意するつもりはありませんでしたけど……私一人が拒否したところでどうこうなるものでもないでしょうし、仕方なく」
「だったら大人しく帰って、葛城に泣きつくことだな。ま、坂柳がいねえ今、奴は死に物狂いで結果を出さなきゃなんねえ。結んだ契約を破棄するようなヘマはしねえだろうがな」
「でしょうねえ。まあ、私にはどうだって良いことですが」
薄笑いを浮かべてそう吐き捨てた土岐に、俺は思わず喉を鳴らした。
「クク、じゃあ何しに来た? まさか、女一人で物資運びに来ましたってか?」
「いいえ。そうではなく――一緒に悪巧みでもどうかなと思いまして」
契約書をひらひらと揺らし、薄気味悪ぃツラでそいつが嗤う。
「
◆
土岐翔子というクラスメイトが居る。俺は彼女のことを、どこか不気味に思っていた。
船上から目視していた洞窟を確保し、勝つために龍園との契約も済ませた。Cクラスに購入させた物資を使い、ポイントを温存して堅実に勝利する。坂柳の不在の今、この試験で俺はなんとしても勝たなければならない。そのためには必要な契約だった。
「――葛城くん。少々よろしいでしょうか」
マニュアルを今一度頭に叩き込んでいると、背後から声がかかる。土岐だった。背の高い彼女に音もなく背後に立たれ、思わず心臓が跳ねた。
「どうかしたか?」
動揺を顔に出すこと無く、平静に対応する。彼女は普段通りの人当たりの良い微笑をたたえて、こう言った。
「先程の契約書を改めて拝見させてほしいのです。少し、確認したい点がありまして」
「契約書を?」
俺は首を傾げた。契約を結ぶにあたって、クラスメイトたちにその内容を開示した上で同意書にサインを募った。無論、坂柳派の生徒は少なからず反発したが、最終的に全員が同意した。その際、土岐も書類を入念に確認していたのを覚えている。
彼女は非常に優秀な人材だ。現在はどちらにも属さない唯一の生徒ではあるが、土岐が加入すれば、その派閥は大いに戦力を増すだろう。成績優秀、品行方正。爛れた噂が流布されているようだが、だとしても彼女の実力は人並み以上だ。俺か、坂柳か。彼女がどちらを選ぶかで、Aクラスのリーダーが決定すると言っても過言ではないだろう。個人として、俺は土岐翔子という生徒を高く評価していた。
「……構わない。ただし、これは重要な書類だ。外には持ち出さないようにしてくれ」
「ええ。ありがとうございます」
契約書を鞄から取り出し、彼女に手渡す。変わらず微笑んだまま、土岐はその場でじっと契約書の内容を再確認し始めた。……やけに入念だ。不備はないはずだが。
書類に目を落とす彼女を訝しんだその時、洞窟の外からけたたましい破裂音が鳴り響く。一度や二度ではない。まるで銃を乱射されているような騒ぎだ。
「来てくれ葛城! なんか妙だぞ!」
慌てた様子で橋本が駆け込んでくる。一歩遅れて、弥彦も緊張した面持ちで現れた。
「葛城さん大変です! 洞窟の周りで変な音がずっと鳴ってるんです! もしかしたら、他クラスの奴らが何か仕掛けたのかも……!」
突然の奇妙な自体に、洞窟内が騒然となる。作業をしていたクラスメイトが皆、不安げな表情で俺を見ていた。早急に指示を出さなければならない。しかし――。
「行ってあげてください葛城くん。契約書はここに置いておきますから」
ふっと柔和な笑みを見せる土岐。そうだ、彼女は坂柳派ではない。ただのクラスメイトだ。疑う必要はないだろう。
「分かった。すぐ戻る」
彼女を信用し、俺は洞窟の外へ飛び出た。
「まずは音の発生源を探すんだ!」
「はいっ!」
周辺に鳴り響く音の位置的に、発生源は複数あるようだった。暫くして、クラスメイトたちが何かを発見する。
「これは……爆竹、か?」
設置した仮設トイレの裏にあったのは、焦げた匂いの残る爆竹の残骸と黒く燃えた紐状のもの、そして溶け切った蝋燭。それが数カ所に渡って発見された。明らかに人為的なものだ。極めて簡易的な時限式の騒音発生装置、と言ったところか。
「間違いないですよ! 他クラスの連中が俺達を僻んで嫌がらせしたんです!」
弥彦が顔を赤くして憤る。クラスメイトたちも弥彦の意見に同意し、苛立ちを見せた。
「だが証拠がない。しかしこれは……」
回収し、地面に並べたそれらを見下ろす。爆竹に蝋燭。紐のようなものは何かしらで代用が利くにしても、爆竹と蝋燭がこの無人島に予め用意されたものだとは思えない。恐らくはポイントを使って船から取り寄せたのだろう。だが、たかが嫌がらせにポイントを使ってまで用意するとは考えにくい。これには何か別の意味があると考えるべきだ。
「……ひとまず中に戻るぞ。それから、今後は周辺の警備に人員を割く。怪しい人影があれば報告するようにしてくれ」
そう指示を出して、洞窟へと戻る。
しかし洞窟に戻った俺は、言い知れぬ違和感を感じていた。何かを見落としているような。致命的なミスを犯してしまったかのような。そんな焦燥感が肌を粟立たせる。足早に洞窟の奥、そこにいるであろう土岐の下へ向かう。だが――土岐の姿が消えていた。
「……まさか」
居ても立ってもいられず、鞄の中を確認する。……無い。契約書が入っていない。机の上を見ても、やはり無い。小部屋のどこにも、契約書が見当たらない。
俺は薄っすらと冷や汗を浮かべ、内部に残っていた生徒へ駆け寄る。
「神室、土岐を見なかったか?」
壁面に背を預け、気怠そうにしていた彼女に尋ねる。
「土岐? ……ああ、あいつならさっき出てったわよ」
「っ――! 何か、手に持っていなかったか?」
悪寒がする。願わくば、杞憂であれと願った。
「何かって言われてもね……そういえばあいつ、鞄に何かしまって持ってったわね。……それがなに?」
「……いや、確認しただけだ。問題ない」
胡乱げな視線を向ける神室に背を向け、俺はその場を離れた。空いたスペースに腰を下ろし、思考を巡らす。
何故、土岐は契約書を持ち出したのか。
契約内容に不服があったのなら、署名を求めた時点で俺に申し出れば良かった。全員から署名を貰えなければ、俺も各自説得するか、或いは契約内容を一部変更しただろう。だが彼女はそうしなかった。署名した上で、書類の再確認を求めてきた。何故だ? 彼女は確認したい点があると言っていたが、何に対してなのか。可能性が高いとすると、毎月徴収される2万プライベートポイントだろう。秘密裏に、自分だけでも除名してもらおうと動いたとすればある程度納得はいく。
しかしリーダーでもない彼女に、龍園を頷かせるだけの交渉材料があるとは思えない。仮にどうにか契約内容の変更を勝ち取ったとして、Aクラスに不都合のある内容であれば俺と龍園とで再契約してしまえば良い。問題なければそのまま通すだけだ。試験の結果は変わらない。
……だとしても、無断で持ち出すなど言語道断。土岐が戻り次第、問い質さねばなるまい。そう結論付けて、俺は立ち上がった。今はただ、この試験に勝利することだけを考える。彼女の不満を取り除くのは、その後でも構わないだろう。
――だが、土岐は二度とキャンプに戻ってくることはなかった。
翌朝、真嶋先生から改ざんされた契約書が渡された。そして追い打ちをかけるかのように、土岐がBクラスのスポットを侵害したという凶報が伝えられ――Aクラスは阿鼻叫喚に陥る。
◆
土岐さんがBクラスのベースキャンプにやってきたのは、一日目の夕暮れ時だった。
「帆波ちゃん、先生からビニール袋貰ってきたよっ」
「ありがとう千尋ちゃん!」
ビニールを沢山抱えてきた千尋ちゃんからそれを受け取って、テントの下に緩衝材として敷き詰める。こうすれば、硬い地面でも背中や腰を痛めずに眠れるはずと考えて、星乃宮先生に無理言って用意してもらったのだった。
「よーし。日も暮れてきたし、今日のところはこれくらいかな。明日中にはハンモックを人数分付けちゃいたいね」
立ち上がって軽く周囲を見渡す。Bクラスは井戸の周辺にベースキャンプを構えた。付近に木々があるせいで、大きなテントを幾つも設置する余裕はないけど、木の間にハンモックを取り付けて解決することにした。これなら小さなスペースも活用できるし、何より夏らしくて良いと思ったから。
クラスの雰囲気も悪くない。皆、最初は不安そうだったけど、計画的にポイントを使って設備を整えれば無理無く生活できるし、島内に食べられる野菜や果実が予め植えられている事もわかって、少しずつ緊張が和らいでいるのを感じる。出来れば怪我とか病気もなく、その上でより多くのポイントを残せれば良いんだけど……。
「すまない一之瀬。少しいいか?」
そろそろ夕飯の支度をしようかなと考えていると、神崎くんが訪ねてきた。
「うん、平気だよ。どうしたの?」
「キャンプにAクラスの土岐が来ている。一之瀬に用があるそうだ」
そう言って彼は細身の身体をキャンプの入口へ向ける。遠目でもはっきりと認識できる長身の彼女が、胸元で手を振っているのが見えた。
「伝えてくれてありがとう神埼くん。ちょっと行ってくるね」
神崎くんにお礼を言って、小走りで土岐さんの傍に行く。彼女は肩に鞄を下げていた。
「こんばんは土岐さん!」
「ええ、こんばんは一之瀬さん。急に訪ねてきてしまってすみません。今、少々お時間よろしいですか?」
「もちろん! 土岐さんにはお世話になったからね。いつでも気軽に来てくれて大丈夫だよ!」
私が笑うと、土岐さんも柔和な笑みを返してくれる。上品で温かい微笑みには同性の私でもどきりとさせられてしまう。……なんて、千尋ちゃんに言ったら頬を膨らませて怒っちゃうんだろうなあ。
「それで、私に何か用事があるのかな?」
「はい。不躾なお願いだとは承知しているのですが、良ければ一晩、こちらで寝泊まりさせてもらっても良いでしょうか? もちろん、お礼はしますので」
彼女は遠慮がちにそう言った。美人で人当たりの良い土岐さんにそんな顔をされると、なんだかこっちが申し訳なくなってくる。それにしてもなるほど、だから鞄を持っているのか。何か止むに止まれぬ事情があるのかも知れない。Cクラスから溢れた男の子を受け入れたばかりだけど、土岐さんであれば皆も快く了承してくれるはず。
進んでクラスの作業を手伝ってくれている金田くんの後ろ姿を一瞥し、私は土岐さんを安心させるように努めて明るい調子で頷いた。
「お礼なんてそんな、土岐さんならいつでも大歓迎だよ!」
「本当ですか? ありがとうございます、一之瀬さん」
折り目正しく頭を下げる土岐さん。恩返しが出来たような気がして、胸の内が少し軽くなる。
「もし良かったら事情を聞かせてもらえないかな? 私に出来ることなら力になりたいの」
「ふふ、一之瀬さんはお優しいですね。でしたら、お言葉に甘えて、事の経緯を説明させてください」
土岐さんに一言伝えて、クラスの皆の了承を得た私は、彼女をキャンプの中に招き入れた。ちょうどハンモックが二つ合わせで空いていたので、並んでそこに座る。土岐さんは伏し目がちに事情を説明してくれた。
軽井沢さんとバカンスを楽しむつもりで船に乗ったのに、試験が始まってしまい、離れ離れでの生活を余儀なくされてしまったこと。本来の予定を取り戻すべく、クラスを裏切って龍園くんと個人契約を交わしたこと。結果としてクラスメイトの怒りを買い、キャンプに戻るわけにもいかず森を彷徨っていると、偶然にも私たちのキャンプを見つけ、今に至るということ。
真っ直ぐな瞳で語る彼女の話を、私はじっと聞き入っていた。
「――とまあ、こんなところです。裏切り者だと謗られても仕方がありませんよ」
自嘲気味に土岐さんが笑う。確かに、クラスを裏切っちゃうのは許されないことかも知れない。でも私は、それでもたった一人の女の子のために行動できる土岐さんのことを、とても尊敬していた。それはきっと、私には出来ないことだと思うから。
「土岐さんは、本当に軽井沢さんのことが大好きなんだね」
「ええ。私は恵ちゃんを愛しています」
惚れ惚れしちゃうぐらいに凛とした声音で告げられ、思わず自分に言われたんじゃないかと勘違いしてしまった。顔が赤くなってしまっている自覚がある。
「にゃはは……面と向かって言われると、なんだか私まで照れちゃうな」
気恥ずかしさのあまり頬を掻いて、苦笑する。この人と接していると、あらぬ勘違いをしてしまいそうになる。それは恐らく、土岐さんが皆の目を惹く美貌の持ち主だからなのだろう。ちょっとミステリアスな雰囲気を漂わせる大和撫子……うん、そりゃあモテるよね。もし軽井沢さんと付き合ってなかったら、きっと引く手数多なんだろうなあ。だとしても私には千尋ちゃんが居るんだから、しっかりしなきゃ。
「うん。事情はわかったよ。なんだったら、試験が終わるまで匿ってあげようか?」
「いえ、一晩だけで結構ですよ。明日からは恵ちゃんと生活する算段が付いていますので。それに、あまり長居しては一之瀬さんたちの負担になってしまうでしょうし」
土岐さんは頭を振って辞退した。それからすっと立ち上がって私を見下ろす。本当に背が大きいなあ、としみじみ思う。
「何か手伝えることがあれば、いつでも気軽に言ってくださいね」
「ありがとう土岐さん。でも暗くなってきたし、今日のところはひとまず大丈夫だよ。あ、それよりこれから晩御飯にしようと思ってるんだけど、土岐さんも一緒にどうかな?」
「ええ、私で良ければご一緒させてください。――ですがその前に一つ、一之瀬さんに頼みたいことがあるのです」
改まって、彼女は私を見据えた。濃い青色の瞳に見つめられて、なんだか吸い込まれそうな気分になる。
「何かな? 何でも言ってよ!」
「ふふっ、ありがとうございます。そう言って頂けると私も気が楽です」
土岐さんはこほんと一つ咳払いをして、話を始めた。
「頼み事というのは、先程お話した龍園くんとの契約に関わるお話でして。これも一之瀬さんには隠さずお話しますが、念のため他言無用でお願いしますね?」
「うん、もちろんだよ」
「ありがとうございます。それで契約の内容なのですが……Cクラスの物資を少しばかり融通してもらう代わりに、Aクラスのポイントを損耗させるというものなんです」
「ポイントの損耗っていうと……勝手に物資を注文したり?」
「ええ。方法には拘らないので、とにかくポイントを削ってAクラスを敗北に導く。その対価として、私と恵ちゃんがバカンスを過ごす上で必要な物資を提供してもらう。それが龍園くんとの間に交わした契約です」
聞けば聞くほど、完全な妨害工作だ。Aクラスの人たちからすると堪ったものじゃないと思う。ただでさえ派閥争いでクラスが二分化されているというのに、そこに土岐さんの妨害が入って状況は混迷を極めるはず。下手するとこの試験をきっかけにAクラスが内部から自壊する可能性すらあった。
「なるほど……えっと、それで私たちは何をすれば良いのかな?」
「一之瀬さんたちに特別何かをしてもらうわけではありません。ただ、私がするルール違反を見咎めてほしいのです」
「え……?」
困惑して思わず小首を傾げた。ルール違反を、見咎める? その言葉の真意を理解できずにいる私を見て、土岐さんはくすくすと笑う。もちろん嘲笑ではなく、嫌味のないすっきりとした心地良い笑いだ。
「ご心配なさらずとも、暴力沙汰を起こすわけではありませんよ。失格になって船に戻されては本末転倒ですからね」
「でもそれじゃあどうやって――――あっ」
不意に頭の中で電流が走った感覚を覚える。マニュアルにも記載されていた試験のルールが、彼女の思惑と重なる。意図を理解して、私は土岐さんのことがちょっとだけ心配になった。
「もしかしてだけど、スポットを無断使用して敢えてペナルティを受けるのかな?」
「流石は一之瀬さん。ええ、その通りです。私がBクラスのスポットを侵害致しますので、一之瀬さんにはそれを星乃宮先生に報告してほしいのです」
「そうなるとAクラスは50ポイントのマイナスが確定する……だけど、そんなことしちゃったら土岐さんの立場が――」
「良いんですよ、私がどうなろうと」
まるで他人事みたいにからから笑いながら、彼女はそう言ってのけた。
「恵ちゃんのためなら、クラスメイトから恨まれるくらい何の問題もありません。たとえクラスを裏切ってでも、私は恵ちゃんの傍に居てあげたいんです」
その言葉は、きっと本心だ。だってそれを語る土岐さんの眼差しは、どこまでも慈しみに溢れていた。私や、他の人達には決して向けられない自愛に満ちたそれは、軽井沢さんたった一人に向けられるものだから。
だけど、そんな人だからこそ、私は傷つけたくないと思う。
「で、でも……私は、土岐さんにも傷ついてほしくないよ」
弱々しく思いを吐露すれば、土岐さんはふわりと微笑んでくれる。でもそれはやっぱり、どこか壁があって、本物ではない気がした。
「そう言って頂けると私も嬉しいです。ですがこれは、もう決めたことなので」
「……どうしても?」
「どうしても、ですよ」
譲らない。彼女の意思は固かった。
「うぅ……土岐さんには協力してあげたいけど……でもぉ……」
頭を抱えて葛藤する。土岐さんの立場を考えれば受け入れたくはないけど、軽井沢さんと仲良くしていてほしいとも思ってしまう。なんてジレンマだろう。都合よく両方の結果を得られる選択肢は、今のところ思い浮かばない。
そんな私の様子を見て、土岐さんが微笑ましそうに見ている。
「本当にお優しいですねえ、一之瀬さんは。とは言え、私としましてもここは譲れません。なので……んー、一之瀬さんが承諾してくれないのであれば、森の中で一晩過ごすことにしましょう。水も食料も寝床もないまま、野晒しの地面で浅い仮眠を取るしか無く、蚊にも刺され放題。龍園くんからの物資も受け取れず、恵ちゃんとのバカンスも遠のいてしまう……」
よよよ、とわざとらしく泣き崩れる演技までしてみせたので、私も根負けして渋々ながら提案を受け入れることにした。
「わ、わかったよぅ。あまり気乗りしないけど、そこまで言うなら私も協力するから!」
「まあ、ありがとうございます。お礼に白波さんとの恋愛相談に乗ってあげますね」
「ええっ!? そ、それはありがたい、かな……」
正直なところ、感謝でしかない。千尋ちゃんからのラブレターを貰ったとき、どうしたものかと悩んだ末、私は土岐さんと軽井沢さんに相談を持ちかけた。
色々とアドバイスを貰って、とりあえずお試しで付き合ってみよう! と決心して告白場所に行った私は、それはもう熱烈なアプローチを受けて二つ返事で即答してしまった。今ではもう手を繋ぐことは当たり前で、キ、キスなんかもしちゃったり――って、今はそんな事考えてる場合じゃなくて!
「あ、あとで相談してもいいかな……? 実は今度、千尋ちゃんをデートに誘おうと思ってて……」
「ふふっ、構いませんよ。お二人のためなら、喜んで恋のキューピットを務めさせて頂きますとも」
にこにこと土岐さんが笑う。遠巻きにこっちを見ている千尋ちゃんと目があった。さり気なく手を振ってみると、嬉しそうに小さく手を振ってくれた。か、可愛い。
その後、手早くスポットの件を済ませると、晩御飯の用意をしながら土岐さんにデートの相談に乗ってもらったのだった。