試験最終日の正午前、私と翔子は客室でのんびりと過ごしていた――あからさまなスキンシップが始まるまでは。
ベッドに腰掛けながら雑誌を読んでいると、キッチンで水を飲んでいた翔子が戻ってくる。いつものように私の隣に腰を下ろし、その華奢な肩を寄せた。淡い青のオフショルダーを着ているので、健康的な色合いの肌(にしては色白か)がよく見える。ふわり、と今日はシャンプーの匂いが香った。そうしてまた、私の胸をどきりとさせる。あれから数日。まだ告白できていない。……いい加減、覚悟を決めなきゃ。
雑誌を読んでも内容は入ってこない。ただ目を通して、ページを捲るだけ。機械的な動作を繰り返しているうちに、やおら私の太腿を彼女の手がそっと撫でた。今はホットパンツを穿いているので、晒した素肌を直に触れられている。
「ん……」
くすぐったさに僅かに身を捩って、横目で彼女の顔を伺う。艶っぽい表情で私を見つめている瞳と目が合った。くす、と翔子が微笑む。わざとらしく舌舐めずりをしてみせた。それは私だけが知っている合図だ。主に私への劣情を抱いた時に、彼女はそうする。
太腿を撫でていた手が不意に離れたかと思えば、シャツの裾から内側へと入り込んできた。ひんやりとした感触がそのままお腹を掠めて、左脇腹に彼女の手が添えられる。
「ひぁっ」
傷跡を指で摘まれて、私は思わず肩を跳ねさせる。危うく雑誌を取り落としそうになって、翔子にジト目を向けた。顔が、近い。白い頬を薄っすらと桜色に上気させているせいで、酷く妖艶な雰囲気を醸し出している。それを間近で見せつけられた私は、ものの見事に当てられてしまい、すっかり
「ふふっ、ココもだいぶ感度良くなってきたね」
「やっ、ぁ……ちょ、っとぉ……んんっ……」
指先で傷跡をねちっこく摘んだり擦ったりしながら、彼女は私の首筋に吐息を吹きかけた。冷房で少し冷えていた肌に温かい息が掛かり、甘い刺激が広がる。耐え難い感覚によって力が抜け、持っていた雑誌が床に滑り落ちる。
あれほど忌々しく思っていたはずの傷跡が、度重なる愛撫を受けて新たな性感帯へと開発されてしまっていた。今ではもう鏡に映るそれを見ただけではえづかなくなったけれど、その代わりに、ちょっと触れられただけで感じる有り様だ。
自分で触れてみても特に自慰が成立するほどの刺激ではないが、何故か翔子に弄られると途端に感度が跳ね上がる。単に触り方の問題か、それとも別の要因があるのか。恐らく、それはきっと翔子だからなのだろう。
さわさわと執拗にそこだけを触れられ、次第に自分の吐息が熱っぽくなってきた。快適なはずの室温が、少しずつ蒸し暑くなってきているように感じる。
「可愛いよ、恵ちゃん」
耳元でそう囁いた翔子は、そのままゆっくりと私をベッドに押し倒す。こうなってしまえば私に拒否権なんて有って無いようなものだった。
「……するの?」
期待に満ちた目で彼女を見上げる。心臓がドキドキと高鳴っていた。頬が熱い。いや、段々と全身が火照ってきている。私は翔子と、快楽に耽ることを望んでいる。今はそれでしか、受け取った愛の返し方を知らない。
「シてほしい?」
「……うん」
こくりと頷き、自分から股を開く。頗る嬉しそうに目を細めた翔子が、その艶めく白い手を伸ばし、ホットパンツに指を掛けた。
『――生徒の皆様に連絡致します。試験が終了しました。間もなく、試験結果が発表されます。ご確認したい場合は、デッキまでお越しください』
ホットパンツが太腿の辺りまで下ろされたところで、空気の読めないアナウンスが流れる。なんとなく気まずい雰囲気になって、顔を見合わせた。
「……どうする?」
「んー……なんかちょっと白けちゃったかも。恵ちゃんは?」
「あたしも。一応、結果だけ見に行く?」
「そうしよっか。あーあ、これからだったのに」
頬を膨らませてふてくされた翔子を慰めながら、私は恨めしくスピーカーをひと睨みしてやった。
◆
念のため制服に着替えた私たちは、さんさんと太陽の日差しが降り注ぐ甲板に足を運んでいた。本日も絶好調の真夏日和。容赦ない熱気がじわじわと体力を削り取ってくる。一刻も早く冷房の効いた部屋に戻りたかった。
デッキの端から浜辺を見下ろす。砂浜には仮設テントなどで一時的な休憩スペースが設けられていた。参加していた同級生たちがこぞって屯している様子を眺めながら、試験の結果発表を待つ。遠目にDクラスの生徒が何人か見えて、内心げんなりした。絶対、後から文句を言われるのが分かりきっていたから。その選択をしたのは私だけど、面倒なものは面倒なのだ。いざとなったら翔子に追い払ってもらおう。潮風に髪を靡かせる彼女の横顔を一瞥して、そんな算段を立てた。
程なくして、拡声器を持った真嶋先生がテントから出てくる。前置きも程々に、本題に入った。
「――これより、特別試験の結果を発表する」
生徒たちが緊張した面持ちで待機しているのが見える。私と翔子は別に、然程興味を抱いていなかった。二人揃って冷めた目つきで浜辺を見下ろす。早く終わらないかな、なんて考えてすらいた。
「最下位から順に発表していく。まずは――Cクラス、0ポイント」
「あらまあ」
目に見えていた結果のはずが、翔子は意外そうな声を上げた。
「スパイまで潜り込ませてたのに、当てられなかったんだ」
「そうなの?」
「うん。DクラスとBクラスに一人ずつ。恵ちゃん気づかなかった?」
「んー……あ、そう言えば見慣れない女子が居たかも」
1日目の午後から、そのような生徒が居た記憶がある。隅っこのほうで居心地悪そうにスイカを齧っていたのを覚えている。あれがスパイだったのか。Cクラスも遊んでいるように見せかけて、実はちゃんと作戦考えてたんだなあ、とちょっと感心。てっきり本当にバカンスを楽しんでいたのだとばかり思い込んでいた。あの粗暴そうな龍園とか言う男子の評価を、ほんの数ミリ改める。
「続いて、同率最下位となるAクラスの0ポイント」
砂浜からのざわめきがデッキまで聞こえてくる。皆、信じられないとばかりに顔を見合わせていた。その中で、意気消沈し俯く集団があった。分かりやすく、あれはAクラスの集団だ。禿頭の男子生徒が頭を抱えている。なんというかここからでも分かるほどのお通夜ムードに、少しだけ同情してしまう。
「よかったの? 翔子のクラスじゃん」
涼しげな顔で眺めている翔子に問いかける。
「良いよ、別に。恵ちゃん以外どうなったって」
はにかんで、私の手を握る。翔子は本当に、どこまでも私至上主義だった。それが嬉しくて、気恥ずかしくて、ついつい目を逸らしてしまう。くすくすと、鈴の音を転がしたような心地良い笑いが聞こえた。
「そして2位のBクラスが140ポイント」
告げられた順位に驚いたのは私だけじゃなかった。翔子も隣で目を丸くしている。砂浜に集まっていた生徒たちもどよめいていた。順当に行けば、一之瀬さんたちBクラスが1位だと予想していたのに、ここまで来てDクラスの名前が挙がっていない。ということは――。
「1位は――――Dクラス、190ポイント」
予想外の結果に、Dクラスの面々が色めき立つ。私も少し目を見開いて感嘆の息を漏らす。大方、平田くんか堀北さん辺りがリーダーを的中させたのだろう。初日のギスギス具合からは想像もできなかった好成績だ。ともあれ、これでクラスのお小遣いも増えるわけだ。ついでに皆の溜飲が下がると良いんだけど。
「さてと、部屋に戻ろうか。暑いし」
「ねー。早く行こっ」
「ちょっと待ってもらえるかしら」
翔子の手を引いて船内に戻ろうとした時、進路を塞ぐように堀北さんが現れた。ほんの少し顔色が悪そうに見えるのは、決して気の所為ではなさそうだ。彼女が今ここにこうして立っているということは、今回の立役者は平田くんだったらしい。
「あれ、堀北さんじゃん。もしかしてリタイアしてたの?」
そう尋ねると、彼女は静かに頷いた。
「ええ、情けないけれど体調を崩したの。ところで、貴女は何故リタイアしたの? 前日まで元気そうに見えたわ」
「あたし? あたしは……まあ十分楽しめたし、もういいかなーって。そんだけ」
誤魔化しても良かったけど、なんとなく見透かされてそうだったから正直に答えてみる。でもやっぱり動機が不純だったからか、堀北さんは眉間にシワを寄せた。
「……土岐さんに唆されたのだと思っていたのだけど、どっちみち変わらなかったってことね」
露骨に溜め息を吐かれる。何を勝手に落胆しているのかは知らないけども、これ以上時間を取られたくはない。結果発表を終えて、生徒たちが再び自由を迎えた。タラップを上って甲板に出てくるのも時間の問題だ。こんな日差しの中で糾弾されるのは避けたいので、翔子の手を引いて堀北さんの横を通り抜けようとする。
「待って」
立ち塞がる。怜悧な面持ちで私たちを見据えながら、堀北さんははっきりと呼び止めた。
「ちょ、なによ。もういいでしょ? 堀北さんも具合悪いなら早く部屋戻れば?」
「言われなくてもそうさせてもらうわ。その前に、個人的に幾つか疑問を解消してからだけれど。それより――」
そう区切って、堀北さんの視線が横にズレる。私たちの背後にある何かを見ていた。
「彼らにも説明したほうがいいんじゃないかしら?」
甲板を踏み鳴らす複数の足音に、はっとして振り向く。Dクラスの皆が肩を怒らせてこっちに詰め寄ってきている。――あ、これやばそう。
「ねえ軽井沢さん。うちらに何か言うことあるんじゃない?」
真っ先に突っかかってきたのは篠原さんだった。不機嫌そうに目尻を上げて私を睨みつけてくる。他のクラスメイトたちも同様に鋭い視線を向け、あっという間に囲まれてしまう。目に見えない圧力を感じて、ぴったりと翔子にくっつく。彼女は何も言わず、ただ私の肩をそっと抱き寄せた。
「何かって、何よ」
「とぼけないで。軽井沢さんが勝手にリタイアしたせいで30ポイントも減ったんだけど」
「……だからなんなわけ? 高円寺くんだってリタイアしてたじゃない」
ちら、と呑気に海原を眺めながらジュースを飲む彼の姿を一瞥する。一瞬だけクラスメイトたちの気が逸れたものの、私のほうがやりやすいと判断したのか動く気配がない。
「高円寺くんもそうだけどさ、なんで勝手にリタイアするわけ? 私たちが真面目に試験受けてるのにそうやって邪魔されるの迷惑なんだけど」
「そうだぞ軽井沢! お前らがリタイアしたせいでがっつりポイント減らされたんだぞ!」
「どう責任取るんだよ! もっとポイント残せたかもしんねーのに!」
篠原さんに続き、池や山内までも便乗して声高々に批判してくる。明確な怒りの感情をぶつけられて、足が竦みそうになった。
「な、なんであたしばっかり文句言うわけ? 堀北さんだってリタイアしたんでしょ?」
「堀北さんは良いの。だってAクラスとCクラスのリーダー見抜いてくれたんだし、それに逃げ出したスパイの伊吹さんを問い詰めたって聞いたから。それで結果的に体調崩しちゃったとしても、試験を放棄した軽井沢さんとは比較になんないわよ」
「私が……? どういうこと?」
見やれば、堀北さんは心当たりがないとばかりに困惑していた。状況が飲み込めないのか、目を丸くして疑問符を浮かべている。
「とにかくさ、とりあえず謝ってよ」
「は、はあ? なんでそうなるの」
「いや、悪いことしたら謝るのが常識でしょ? だからほら、早くして。ここ暑いんだから」
手うちわで気休めの涼を取る彼女の姿と言動が、やけに腹立たしい。あれだけ威張ってたくせに常識を語るのか。彼女の振る舞いが、かつて私を虐げていた人間たちと重なってどうしようもなく神経を逆撫でした。
「……なにムキになってんの、ばっかみたい。たかが30ポイントじゃん。あたし、別に試験とかどうでもいいし」
煽るような口調で言い返す。全部本音だ。30ポイント残せたから何? って話だし、試験なんて面倒なだけでやる気も起きない。毎月の小遣いがほんの少し増える程度で一喜一憂もしなければ、Aクラスを目指すなんて以ての外。私はただ、翔子と居られればそれで満足なのだ。
けれど、相手はそう思わなかった。僅かに呆けたような顔をして、次の瞬間にはみるみるうちに顔を赤く沸騰させる。
「っ! あんたふざけ――」
激昂し、私に大きく詰め寄った篠原が右腕を振りかぶる。過去のトラウマが染み込んだ身体が、反射的に防御の姿勢を取った。叩かれる――痛みの恐怖に怯え、ぎゅっと瞼を閉じる。
しかし、いつまで経っても痛みは訪れなかった。
「――――なんですか、この手は?」
翔子の声に、恐る恐る目を開けた。私を守るように伸びた細腕が、振りかざした篠原の腕を掴み止めている。――守ってくれた。その事実に、人知れず胸の内が歓喜する。
「黙って聞いていれば、何なんです? 恵ちゃんが嫌がってるのが分からないんですか?」
「いった……っ!」
相当な力で腕を掴んでいるのか、篠原の顔が苦悶に歪む。逃れようともがいているみたいだけど、かなり腕力に差があるようでまるでびくともしていない。翔子は表情を消して、抑揚のない声音で言う。
「感情任せで人の機微も察せないなんて、だから貴女は不良品なんですよ。よかったですね、学校が正当な評価をしてくれて」
淡々と機械的な物言いで言葉を呟く翔子。その間にも、私を抱き寄せながら、片手で制圧してしまっているのだから驚きだ。あの絹のような細腕の何処にそんなパワーが隠されているのか、私は不思議で仕方がない。
もがく篠原などまるで意に介さず、掴んだ腕を目線の高さまで持ち上げる。翔子の身長でそうやると、必然的に篠原が腕を高く伸ばす形になった。
「それにしてもこの腕。ああ、ダメですね。悪い腕。まさか、恵ちゃんに暴力を振るおうとしたんですか? そんなの私が許すわけ無いのに。認めません。許しません。こんなもの。有ってはならない」
翔子の瞳に瞳孔が広がる。いつかの図書館で見たときと同じ目だ。明確に、空気が重たくなったのを肌で感じた。
彼女は私に対してだけ、安心させるように表情を柔らかくしてみせると、それから言い聞かせるみたいに囁く。
「恵ちゃん、見たくなかったら目を瞑っていて――これ折るから」
その配慮に応じて、私は目を伏せた。視覚を閉ざせば、世界は必然的に黒くシンプルになる。
みし。と誰かの骨が軋む音が聞こえる。直後、絶叫。
「痛い痛い痛いっ!!」
「止すんだ土岐さんッ!」
平田くんの声がした。お人好しの彼のことだ、マズいと思って止めに入ったのだろう。だとしても、翔子は止まらない。劈くような絶叫が耳に響く。甲板はもはや騒然としていた。
――このまま本当に篠原の腕を折ったら、どうなるんだろう。
ふとそんな疑問を覚えた。私の心情的には、まあ折ってしまえと思わなくもない。クラスメイトではあるけど、さっきのやり取りで完全に嫌いになったし。でも骨折させたら、問題になる。私はわかんないけど、多分翔子は停学になるかも知れない。明らかな過剰防衛だってことは私にも理解できる。もしかしたら、退学もあり得る。そうなったら、なったで……私は翔子に付いていくだけ。自主退学というやつだ。だから別に止める理由はない。でも――もう少しだけ、翔子と一緒に高校生活がしてみたい。
「翔子。もういいんじゃない?」
目を開けて、裾を少し引っ張った。彼女は意外そうに私に視線を落とす。
「恵ちゃんがいいなら」
掴んでいた腕をぱっと離せば、篠原が崩折れた。可哀想に半泣きで腕を押さえている。それを冷ややかに見下ろしながら、内心に湧き上がった優越感に浸る。
――そっか、翔子って強いんだ。
その事実が、私を益々惚れ込ませていく。もう一生離れてあげない。翔子は、私だけの翔子だ。
「やりすぎだよ土岐さん……!」
篠原を庇うように平田くんが前に立つ。
「はて、やりすぎとはまたおかしなことを言いますね? 恵ちゃんに手を上げようとしたのに、ちょっと痛いくらいで止めてあげたんですよ? 現にほら、折れてないじゃないですか」
「だからってここまでする必要は無かったと思う。話し合いで十分解決できたはずじゃないか!」
「話し合い? 私には
蹲る篠原を、翔子が侮蔑の籠った視線で見下す。
「まあ、良い教訓になったんじゃないですか? これに懲りたら、もう恵ちゃんに突っかかるのは止めてくださいね。次は無いですよ」
翔子はそう言って、それから篠原に目を向けることはなかった。私も啜り泣く彼女はもう脅威ではないと判断し、やがて路傍に転がる石ころのように興味をなくしていった。
「さて、これで用件は済みましたか? そろそろ戻りたいのですが」
周囲を見渡して翔子が尋ねる。もはや関わり合いになりたくないらしく、クラスメイトたちは露骨に視線を逸らした。平田くんも物言いたげな表情をしていたけれど、翔子と目が合うと苦々しげに後ずさる。蹲っていた篠原も、取り巻きの女子たちに連れられて船内に去っていった。
「そういうわけには行かないわ」
唯一、事態を見守っていた堀北さんが声を上げた。
「確かに、先に手を上げたのは篠原さんだった。でも平田くんが言ったように、これは過剰防衛よ。Dクラスとして見過ごせる状況じゃない」
「あらそうですか。ではどうすると?」
「この件を問題として学校に提起するわ」
毅然とした面持ちで堀北さんが告げる。だけど翔子は焦ることなく、むしろ彼女を小馬鹿にしたようにくすくすと笑う。
「堀北さん、一体誰のおかげで試験に勝てたと思っているんです? 私が妨害工作をしたから、Aクラスは0ポイントを記録し、貴女方Dクラスは1位を獲得した。そのことをお忘れですか?」
「それとこれとは話が別よ。貴女はやりすぎたの」
「まったく、恩知らずな人ですね。そうまでしてAクラスを引きずり下ろしたいんですか? 理解できません」
翔子が肩をすくめる。私もなぜ堀北さんがAクラスに固執するのかさっぱりだった。
「では仮に、以前起きた暴力事件のように審議が行われたとして、結果的に私が有罪になったとしましょう。処罰はそうですねえ……まあ仮に退学が言い渡されたとします。そうなれば、Dクラスもタダではすみませんよ?」
「……どういう意味? クラスに乗り込んで暴れるとでも?」
「そんな野蛮なことはしませんよ。ただ、恵ちゃんにも自主退学してもらおうかと」
それは初耳だった。でも別に驚きはない。むしろ考えが一致して、安心した。彼女たちには理解できないだろうけど、私と翔子はそういう風にしか生きられないのだ。
「私たちはずっと一緒なんです。どちらかが離れるなんてありえない。片方が退学すれば、もう片方も退学して追いかける。そうだよね、恵ちゃん?」
「まあね。翔子の居ない生活とか、もう考えらんないし」
「ふふっ、だそうですよ堀北さん。可愛いでしょう? 私の恵ちゃんは」
よしよし、と頭を撫でられる。直射日光のせいで髪に熱が籠っているので、撫でられた部分がちょっと熱かった。
「……だから、見逃せと?」
「有り体に言えばそうですね。堀北さんは聡明な方なので、何が賢明な判断かはもう見当がついていますでしょう? それに――私が審議に掛けられて困るのは、Aクラスの皆さんですから」
そう言って、翔子が言葉を区切る。
「ですよね、葛城くん?」
彼女の目線の先を追うと、甲板に上がってきていたAクラスの姿があった。皆、憎しみの籠った鋭い目で翔子を睨みつけている。数人ほど、顔に湿布や絆創膏を貼っている生徒が居た。彼らだけは、他と違って怯えたような表情をしている。
そんな中、一人の男子生徒が前に出た。見覚えのある禿頭だ。眉間にシワを寄せて、厳しい表情をしている。
「土岐……今度は何をしでかした」
「ちょっとしたいざこざが有っただけですよ。私の可愛い可愛い恵ちゃんが暴力を振るわれそうになったので、相手の腕を少し掴み上げたら過剰防衛だと批判されまして」
世間話でもするような軽い調子で言う。炎天下に晒されていても、翔子はずっと涼しい顔をしている。クラスメイトから強い敵対心を向けられてもなお、それは変わらない。
「クラスメイトの私が退学にでもなったら困りますよね? ただでさえ今回の試験でAクラスはポイントを獲得できなかったようですし、退学によるペナルティが発生すればBクラスに転落するかも知れませんよ? 嫌ですよね? それは。だってそうなったら、貴方は信用を失い、今の地位を維持できなくなる。必然的に、クラスのリーダーとして坂柳さんが君臨することになりますもの」
「どの口が……! お前のせいで葛城さんの作戦が台無しになったんだぞ!? 龍園との契約だってそうだ! お前が契約書の改ざんなんてするから――」
「止せ、弥彦。あまりクラスの情報を口外するな」
声を荒げて詰め寄ろうとした弥彦と呼ばれる男子を、葛城が片腕で制す。
「言いたいことは山ほどある。お前のしたことは到底許されないことだ。後ほど、クラスメイトたちに弁明してもらうぞ」
「はい? 弁明して何になるんです? それで彼らの溜飲が下がるとでも?」
Aクラスの生徒たちを見る。大半の生徒が明確な怒りを滲ませて立っていた。一部、そうでもなさそうな生徒も居るが、大凡は歓迎されていない様子だった。
「……必要なことだ。必ずやってもらう」
物言いたげに言葉を飲み込んで、葛城はそう告げた。怒りを隠すように目を伏せている。
「Dクラスに尋ねるが、土岐を訴えるつもりなのか?」
彼が問いかけると、代表して前に出た堀北さんが答える。
「ええ、そう考えていたわ。けれど彼女は、自分が退学になれば軽井沢さんにも自主退学させると脅してきている。最後の最後で、失うものが無くなった軽井沢さんが、去り際にクラスへ実害を及ばさないという保証もない。それはAクラスにとっても同じことよ」
「うむ……一つ確認するが、怪我人は出ていないんだな?」
「見た限りでは、恐らく」
「そうか。……ならば、今回は不問にしてはくれないか? お互い、不要なリスクを負うことはあるまい」
「……分かったわ。今回だけよ」
「感謝する」
想定していたよりも随分とあっさり両者が引き下がった。未だ不明瞭な退学時のペナルティを危惧してのことだろうか。それはともかくとして、ちょっと怯えられすぎな気もする。そんなに翔子が怖く見えているのか? と顔を見上げても、静かな微笑を浮かべた翔子が見えるだけだった。私の視線に気づき、にっこりと笑う。
「い、いいんですか葛城さん!? クラスのためにも、あいつは退学にすべきですよ!」
「弥彦。俺にはもう、後がないのだ。……行くぞ」
納得いかないとばかりに食い下がる側近の男に告げ、葛城はクラスメイトたちを引き連れて甲板を去っていく。
「……お前だけは、絶対に許さないからな」
「お好きにどうぞ」
捨て台詞を言い残して、弥彦が彼の後を追った。束の間の静寂が訪れる。
「私たちもこれで失礼しますね。これ以上、恵ちゃんとの時間を無駄にしたくないので」
「……ええ」
行こっか、と腕を組んで甲板を後にする。幸い、もう追及が飛んでくる気配はなかった。ようやっと気まずい空気感から解放されて、私は夏の暑さにも負けず彼女の二の腕に頬を擦る。安心する金木犀の香りに混じって、ほんの少しだけ汗の匂いがした。
「守ってくれてありがと」
「あれくらいどうってことないよ。恵ちゃんのためだもの」
穏やかな表情で翔子はそう口にする。実際にこうして守られた私は、内心もう2割増でメロメロだった。
「ねえ翔子。部屋帰ったらさ、シャワー浴びて……さっきの続き、シて?」
甘えるような猫撫で声で、彼女を見上げる。瞳孔の戻った海色の瞳が妖しく瞬いた。
「いいよ。たくさん可愛がってあげる」
翔子は魅惑的に、ちろ、と舌舐めずりをした。その赤い舌が私の局部をいじめるのだと思うと、ほんのりとお腹の奥に切なさを覚えた。
豪華客船の旅は、まだ半分。