十月も半ばを過ぎると、大学の景色は目に見えて変わり始めた。
朝晩はすっかり涼しくなり、昼間でも日陰に入れば風が冷たい。
少し前まで半袖姿も珍しくなかった学生たちも、今では長袖が当たり前になっている。
上着を手に持って歩く学生も増えていた。
結人も、その日は薄手のパーカーを鞄へ入れていた。
朝は必要だった。
けれど昼になれば、まだ少し暑い。
季節の境目らしい面倒さだった。
正門をくぐる。
すぐ近くに置かれた秋桜祭のカウントダウンボードが目に入った。
残り二十日。
大きく書かれた数字を見て、隣を歩いていた渉が足を少し緩める。
「二十日か」
「もうそんなもんなんだね」
結人も見る。
「毎日一日ずつ減るからな」
修司が言った。
「それは知ってる」
「じゃあ何で驚いてるんだ」
「感慨ってあるだろ」
「難しい言葉知ってたんだね」
結人が言う。
渉がすぐこちらを見る。
「結人、最近オレに当たり強くない?」
「そう?」
「そうだよ」
修司が横から答えた。
「慣れただけだろ」
「それ前にも聞いたぞ」
「事実なんじゃない?」
結人は少し笑った。
三人でカウントダウンボードの横を通り過ぎる。
その先。
キャンパスの中は、九月や十月初旬とは明らかに違っていた。
以前は掲示板に貼られた案内が一番目立っていた。
今は、実際に動いている人間の方が目につく。
中庭の端では、何人かの学生が大きな板へ色を塗っている。
別の場所では、模造紙を広げ、文字を書き込んでいる学生。
腕章をつけた実行委員が、何かの一覧表を片手に走っていく。
校舎の壁際には段ボールが積まれ、その横には紐でまとめられた木材らしいものまで置かれていた。
まだ大学全体を飾りつけているわけではない。
けれど、祭りのためのものが、少しずつキャンパスの中へ染み出してきている。
「前よりすごいな」
渉が言った。
「何が?」
修司が聞く。
「準備。あそこなんか色塗ってるし」
「看板じゃない?」
結人が答える。
「多分」
「大変そうだな」
「前もそれ言ってなかった?」
「前より大変そうになってる」
「確かに……」
結人も中庭へ目を向ける。
九月。
秋桜祭はまだ、掲示板の中にある予定だった。
十月初旬。
出場者や参加団体が決まり、その輪郭が見えてきた。
そして今、誰かが実際に手を動かしている。
『あと三週間ないんだもんな』
そう考えると、一か月前よりずっと近いものに感じられた。
☆☆☆☆☆
その日の午後。
最後の講義が終わり、結人たち五人は校舎を出た。
空はまだ明るい。
けれど、日が傾き始める時間は確実に早くなっている。
「今日どうする?」
紗里奈が聞いた。
「自分は帰るかな」
結人が答える。
今日はバイトもない。
スーパーへ寄ってから帰り、夕食を作るつもりだった。
「おれも帰る」
修司も答える。
渉は少し考えてから、
「オレも特にない」
と言った。
颯だけが、
「僕はちょっと寄るところあるけど」
と答える。
渉が見る。
「サークル?」
「いや、知り合いに呼ばれてて」
「また知り合い……」
紗里奈が笑った。
「颯って本当にどこにでも知り合いいるよね」
「そんなことないよ」
「あるだろ」
修司が即答する。
「修司まで」
「事実だ」
五人で話しながら正門の方へ向かう。
途中、中庭へ差しかかったところだった。
「あ、隠!」
少し離れた場所から声が飛んできた。
颯が足を止める。
「ん?」
腕章をつけた男子学生が、こちらへ小走りで近づいてきた。
結人たちより少し年上に見える。
二年か三年。
秋桜祭実行委員らしい。
「ちょうどよかった」
「どうしたんですか?」
颯が聞く。
男子学生はそこで一度息を整える。
「今から暇?」
颯が苦笑した。
「その聞き方、嫌な予感しますね」
「一時間……」
「……一時間?」
「一時間だけ手伝って!」
「やっぱり……」
男子学生が両手を合わせる。
「本当に一時間だけ。今日来る予定だったやつ二人が急に来られなくなってさ」
「何するんです?」
「倉庫から荷物運ぶだけ」
「僕一人で?」
「いや……」
男子学生の視線が、ゆっくりと颯の横にいる四人へ移る。
渉が一歩下がった。
「今、完全にこっち見ましたよね」
「いやあ」
「巻き込む気じゃん」
「五人いたらすぐ終わる」
「最初、颯一人でやらせるつもりだったんですよね?」
「そこはまあ」
颯が笑う。
「ひどくないですか?」
「だから助けが来たじゃん」
「僕の友達なんですけど」
男子学生は今度は結人たちへ頭を下げた。
「ごめん。本当に一時間かからないと思う」
結人は修司を見る。
修司も結人を見る。
「おれは別に予定ない」
「自分も」
一時間程度なら帰る時間が少し遅くなるだけだった。
紗里奈も時計を見る。
「あたしも今日は大丈夫かな」
颯が言う。
「無理なら帰っていいよ?」
「ここまで来て一人だけ帰りづらいじゃん」
「分かる」
結人が答える。
残るのは渉だった。
全員の視線が集まる。
「何でオレ待ちみたいになってんの」
「帰る?」
結人が聞く。
「それはそれで薄情みたいになるだろ」
「じゃあやる?」
「……やるよ」
紗里奈が笑う。
「素直じゃないなあ」
「そもそもオレ何も悪くないからな?」
修司が言う。
「さっきまで大変そうだって言ってたし、ちょうどいいだろ」
「心配するのと手伝うのは別なんだよ」
「前にも同じこと言ってたね」
結人が言う。
渉が顔をしかめる。
「覚えてるなあ」
「こういうことは覚えてる」
「講義内容もそれくらい――」
「それ言うの修司だろ!」
修司は何も言っていなかった。
結人と紗里奈が笑う。
実行委員の男子学生もつられて笑った。
「じゃ、お願いしていい?」
「はい」
颯が答える。
こうして、結人たちは予定になかった秋桜祭の準備へ、少しだけ加わることになった。
☆☆☆☆☆
案内された倉庫は、普段結人たちが使う講義棟から少し離れた場所にあった。
古い建物の一階。
扉を開ける。
中には様々な物が積まれている。
折り畳まれた机。
立て看板。
カラーコーン。
長い延長コード。
パネル。
脚立。
段ボール。
何年使っているのか分からない道具もあれば、新しく買ったらしい箱もある。
結人は入口で少し足を止めた。
『こういうところに全部入ってるんだ』
普段なら、大学にこんな倉庫があることすら気にしなかっただろう。
男子学生が奥を指差す。
「今日お願いしたいのは、この辺」
そこには十数個の段ボールと数枚のパネルがまとめられていた。
「これを二号館の一階の作業室まで」
渉が積まれた荷物を見る。
「思ったよりある……」
「五人増えたからすぐ終わるよ」
「最初一人で颯にやらせるつもりだったんですか?」
「そこ掘る?」
「気になりますよ」
颯が笑った。
「多分僕、断ってましたよ」
「だから友達いて助かった」
「確信犯じゃん」
荷物はそれぞれ中身が違うらしい。
重いものは二人。
軽い段ボールは一人。
パネルは台車も使う。
「これ軽そう」
渉が一つ持ち上げる。
次の瞬間。
「重っ!」
修司が箱の側面を見る。
「延長コードって書いてあるぞ」
「先に言えよ!」
「持つ前に見ろ」
「正論やめろ」
結人は別の箱を持ち上げた。
こちらは軽い。
中身は装飾用の紙。
紗里奈も小さめの箱を持つ。
「これ何だろ」
「養生テープって書いてある」
結人が答える。
「大量だね」
「使うんじゃない?」
「こういうの見ると本当に文化祭っぽい」
紗里奈が言う。
颯は台車を押している。
修司はその横でパネルを支えていた。
五人で倉庫を出る。
廊下。
渡り廊下。
別の校舎。
普段ならただ通り過ぎるだけの場所に、今日はやけに人が多い。
「それ三階じゃなくて一階!」
「テープ足りない!」
「追加どこ!?」
「資材班に聞いて!」
「これ受付に持ってって!」
あちらこちらから声が飛ぶ。
腕章の色も微妙に違う。
担当が分かれているのかもしれない。
結人は歩きながら周囲を見る。
一人が何かを運ぶ。
別の人が受け取る。
誰かが確認する。
別の誰かが修正する。
たった一つの段ボールでも、どこかから持ってきて、必要な場所へ置いて、そこからまた誰かが使う。
『当たり前なんだけど』
祭りは、当日になれば突然出来上がっているわけではない。
そんなことは分かっている。
けれど、外から見ていた時には、そこまで意識したことがなかった。
「結人」
修司に呼ばれる。
「そっち持てる?」
「あ、うん」
結人は考え込んでいたことに気づく。
修司の持つ大きなパネルの反対側を掴んだ。
二人で持つ。
「意外と重いね」
「板入ってるからな」
「これ何に使うんだろ」
「案内板じゃないか?」
「なるほど」
その後ろから渉が言う。
「オレの箱の方が重いぞ」
「張り合ってないで歩け」
「ちょっとくらい労ってくれてもいいだろ!」
そんな声を聞きながら、結人は少し笑った。
☆☆☆☆☆
二往復。
三往復。
最初は多く見えた荷物も、人数がいると意外なほど早く減っていった。
作業室では別の学生たちが運ばれたものを仕分けている。
「これはこっち」
「それはステージ班」
「この箱まだ開けないで」
結人たちは言われた場所へ荷物を置き、また倉庫へ戻る。
四往復目。
渉が首元を手で仰いだ。
「暑い」
「さっき涼しいって言ってなかった?」
結人が聞く。
「動いたら暑いんだよ」
「季節関係ないね」
「そういうこと言う?」
紗里奈も腕まくりをしている。
「でも、思ってたより楽しいかも」
「荷物運びが?」
颯が聞く。
「こういう裏側見るのが」
「分かる」
結人も自然に答えた。
「結人も?」
「うん」
倉庫の前で立ち止まる。
「なんか、今まで秋桜祭って当日に行くものだと思ってたから」
「まあ普通そうじゃない?」
渉が言う。
「でも、これ全部その前にやってるんだなって」
結人が言うと、修司が倉庫の奥を見る。
「当たり前だけど、見ない部分だからな」
「そう、それ」
当然。
それなのに、今まで見えていなかった。
結人にとって大学自体が、少し前までそういう場所だった。
講義を受ける場所。
通う場所。
それだけだった。
けれど。
友人ができて。
バイトを始めて。
知っている人間が増えて。
こうして、自分とは関係ないと思っていた行事の準備まで少し手伝っている。
『大学って、思ってたより色々あるんだな』
ありきたりな感想だった。
でも、今の結人には、そのありきたりさが少し心地よかった。
☆☆☆☆☆
残りの荷物も少なくなった頃。
倉庫へ戻ると、外から女子学生が二人入ってきた。
二人とも実行委員の腕章をつけている。
「こっちにまだパネルあります?」
「あるよ」
近くにいた男子実行委員が答える。
「どれですか?」
「入口側の白いやつ」
「了解です」
結人は声のした方へ、何となく目を向けた。
そして、ほんの少しだけ動きを止めた。
茶色のショートヘア。
見覚えがある。
『七海さん』
七海日葵だった。
数日前、ファイナリスト発表の掲示板で初めて顔を知った。
同じ日の午後、自動販売機の近くでも見かけた。
その後、中庭で実行委員として作業する姿も遠くから見ている。
けれど、ここまで近くで見るのは初めてだった。
日葵は結人たちには気づかず、もう一人の女子学生と残っているパネルを確認している。
「これ二枚?」
「三枚だったはず」
「え、二枚しかなくない?」
「後ろ」
「あ、本当だ」
日葵が覗き込み、笑う。
「完全に隠れてた」
「これ全部持ってく?」
「うん。受付側に三枚って言われた」
二人で一枚を持ち上げようとする。
近くにいた男子実行委員が慌てて声をかけた。
「待って、それ結構重いよ」
「え?」
日葵が一度持ち上げる。
「……あ、ほんとだ」
すぐに下ろした。
「これ二人で一枚じゃないと危ない」
「でも三枚あるよ?」
「誰か呼ぶ」
男子学生が周囲を見る。
ちょうどその時、結人は手にしていた段ボールを下ろしたところだった。
目が合う。
「ごめん、そっち終わった?」
「はい」
「ちょっとだけ手伝ってもらっていい?」
「大丈夫です」
答えてから、結人はパネルの方を見る。
男子学生が一枚を指差した。
「これ、二号館の作業室まで」
「分かりました」
結人はパネルの端へ手をかける。
反対側を日葵も同じように持った。
「すみません、お願いします」
初めて、七海日葵の言葉が、結人へ向けられた。
「あ、はい」
それだけなのに、結人は一瞬だけ妙な感覚を覚えた。
何度か見かけていた人。
名前も知っている。
けれど、相手は自分のことを知らない。
その相手から、初めて直接声をかけられた。
『まあ、手伝ってるだけなんだけど』
すぐにそう考える。
日葵がパネルを見る。
「せーので持ちます?」
「はい」
「じゃあ、せーの」
二人で持ち上げる。
確かに少し重い。
一人で持てないほどではない。
けれど、長さがある。
二人で運んだ方がずっと安全だった。
倉庫を出る。
歩き始めて数秒。
日葵が口を開いた。
「急に手伝わせちゃってすみません」
「いや、自分たちも頼まれて手伝ってただけなので」
「実行委員じゃないんですか?」
「違います」
「あ、そうなんだ」
日葵は少し驚いたように目を丸くした。
「友達の知り合いに頼まれて」
「なるほど」
少しだけ間が空く。
気まずいほどではない。
ただ、二人とも、無理に話す理由がないだけだった。
結人は前を見る。
『こういう時、何か話した方がいいのかな』
一瞬だけ考える。
けれど、すぐにやめた。
別に、初対面の人間と一緒に荷物を運んでいるだけだ。
無理に話題を探す必要もない。
少し先。
廊下の境目に段差が見える。
「そこ、ちょっと段差あります」
結人が言う。
「あ、本当だ」
日葵が足元を見る。
「ありがとうございます」
二人で少し持ち上げる位置を変えた。
そのまま段差を越える。
「結構重いですね、これ」
日葵が言った。
「ですね」
「さっき一人で持とうとしたの無謀だったかも」
「落とさなくてよかったですね」
「ほんとそれです」
日葵が笑う。
「本番前に壊したら怒られる」
「何に使うんですか?」
結人が何となく聞いた。
「多分、案内板です。これに大きい紙貼るって言ってた気がします」
「へえ」
「多分ですよ?」
「多分なんですね」
「担当違うんで」
少し困ったように笑う。
その時、向こうから声が飛んだ。
「七海ー! それ終わったら受付の確認お願い!」
日葵がすぐに顔を上げる。
「分かったー!」
迷いなく返す。
やはり、誰かに呼ばれることが多い。
以前、自動販売機の近くで見かけた時もそうだった。
ただ、今回は少し違って見えた。
人気があるから。
目立つから。
というだけではない。
実行委員として、仕事を頼まれている。
『忙しいんだな』
ミスコンへ出る。
実行委員もやる。
それ以外にも当然、講義がある。
結人には詳しいことは分からない。
けれど、少なくとも暇そうには見えなかった。
やがて作業室へ着く。
中にいた学生が指示する。
「そのパネル、壁際お願い!」
「はーい」
二人で指定された場所へ置く。
手を離す。
日葵が軽く息を吐いた。
「ありがとうございました。助かりました」
「いえ」
「友達にもありがとうございますって言っといてください」
「分かりました」
日葵は笑った。
掲示板の写真で見たものと同じような、明るい笑顔。
けれど、写真よりも、ずっと普通だった。
当たり前だ。
写真の中の人ではない。
同じ大学に通っている。
秋桜祭の準備をしている。
一人の学生なのだから。
「じゃあ、自分戻ります」
「はい。ほんとありがとうございました」
それだけ。
名前を聞かれることはなかった。
結人も聞かなかった。
結人は倉庫の方へ歩き出す。
一度だけ背後から、
「七海、次こっち!」
という声が聞こえた。
「今行く!」
日葵が答える。
結人は振り返らなかった。
☆☆☆☆☆
倉庫へ戻る。
渉が段ボールを抱えたまま、結人を見た。
「おかえり」
「ただいま」
「今の」
結人は渉を見る。
「何?」
渉は少しだけ声を落とした。
「七海さんじゃなかった?」
「うん」
「やっぱり?」
「途中で名前呼ばれてたし、多分そう」
渉が少し身を乗り出す。
「何話した?」
「パネル運んだだけ」
「それだけ?」
「それだけ」
「いや、何かあるだろ」
「何が?」
「会話とか」
「だから、パネル重いですねとか」
「他は?」
結人は数秒考える。
「段差ありますよ、とか」
渉が微妙な顔をした。
結人は思わず笑う。
「何を期待してるの?」
「いや、別に」
「絶対何か期待してたでしょ」
修司が横から言った。
「パネル運んだだけで何が起きるんだ」
「分かってるよ!」
紗里奈も戻ってきた。
「何の話?」
渉が答えるより先に。
結人が言う。
「さっき七海さんとパネル運んだだけ」
「ああ」
紗里奈はそれだけだった。
渉が見る。
「反応薄くない?」
「だってパネル運んだだけでしょ?」
「ほら」
結人が言う。
「渉が大げさなんだよ」
「オレだけ変みたいに言うな!」
「前から変だろ」
修司が言った。
「お前まで!?」
少し離れたところで。
颯が笑っている。
そのやり取りをしている間にも作業は進んだ。
残っていた段ボールを運ぶ。
最後のパネルを台車へ乗せる。
空になった場所の埃を軽く掃く。
気づけば、倉庫の一角は、来た時よりずっと広くなっていた。
「終わった?」
紗里奈が聞く。
颯が周囲を見る。
「多分これで全部じゃない?」
そこへ最初に声をかけてきた男子学生が戻ってきた。
「終わった!?」
「多分」
「助かった!」
心底安心したような声だった。
☆☆☆☆☆
「本当にありがとう」
男子学生が改めて頭を下げた。
結局、作業は一時間もかからなかった。
「五人増えるだけで全然違うな」
「僕を一人で使おうとしてましたよね」
颯が言う。
「まだ言う?」
「忘れませんよ」
「今度ジュース奢るから」
「安いなあ」
渉が腕を回す。
「ちょっと疲れた」
修司が言う。
「運動不足なんじゃないか?」
「修司平気そうなの腹立つ」
「何でだ」
紗里奈も両腕を上へ伸ばした。
「でも、ちょっと面白かったかも」
「何が?」
結人が聞く。
「学祭って、こういう感じで作るんだなって」
結人は少しだけ頷いた。
同じことを考えていた。
見るだけなら当日は……
出店を回る。
何かを食べる。
ステージを見る。
友人と話す。
それで終わる。
けれど、その前には今日みたいな時間がある。
荷物を運ぶ人。
資料を作る人。
看板を作る人。
予定を確認する人。
足りない人員を探す人。
頼まれて、誰かが手伝って、また別の誰かへ繋がっていく。
そういう小さな作業が積み重なって。
ようやく二日間の秋桜祭になる。
『自分たちは、本当に少し手伝っただけだけど』
ほんの一時間にも満たない。
明日から、また実行委員として何かをするわけでもない。
それでも。
昨日までとは、秋桜祭の見え方が少し変わった気がした。
「じゃ、帰るか」
渉が言う。
「そうだね」
五人は正門へ向かって歩き始めた。
途中、結人は何となく中庭を見た。
まだ何人かの実行委員が残って作業を続けている。
その中に茶色のショートヘアが見えた。
日葵だった。
別の学生と一枚の紙を見ながら、何かを確認している。
少しして相手の言葉に笑った。
結人はそれを一瞬だけ見て、前へ視線を戻した。
今日、初めて言葉を交わした。
けれど、名前を名乗ったわけではない。
相手も結人の名前を知らない。
ただ、一緒に一枚のパネルを運んだ。
それだけだった。
『まあ、大学ならこういうこともあるか』
同じ場所へ通っているのだ。
知らない人間と偶然少しだけ関わることもある。
それがそのまま知り合いになるとは限らない。
だから結人はそれ以上考えなかった。
正門を出る。
秋の夕方。
空はすでに少し赤い。
駅へ向かう道には、大学から帰る学生が何人も歩いている。
「明日筋肉痛になったらどうしよう」
渉が言った。
修司が呆れた顔をする。
「サークルで身体も動かしてるのに、段ボール運んだだけでなるか?」
「パネルも運んだ」
「大差ない」
「明日にならないと分からないだろ」
紗里奈が笑う。
「なったら報告して」
「何で?」
「面白いから」
「心配して?」
「しない」
「冷たい!」
「渉なら大丈夫でしょ」
結人が言う。
渉がこちらを見る。
「その根拠どこから来た?」
「何となく」
「雑!」
結人も笑った。
いつもと同じ帰り道。
いつもと同じ友人たち。
けれど、今日だけ少し違うことがある。
秋桜祭がただ待っていればやってくる行事ではなくなった。
誰かが準備して。
誰かが運んで。
誰かが作って。
その積み重ねの先にあるものだと知った。
ほんの一時間。
ほんの少し。
それでも。
結人たちは今日、見る側から少しだけ、その内側へ足を踏み入れていた。
過去のを見返すと未だにちょこちょこ修正箇所が見つかります。
チェックが甘いのもありますが、なかなか難しいですね。