「続いて、商学科一年――七海日葵さん!」
司会の声に、一段大きな拍手が起きた。
日葵がステージへ姿を見せる。
昼に見かけた時の、実行委員のTシャツ姿ではない。
淡い色のブラウスに、落ち着いた色合いのスカート。髪も普段より少しだけ整えられているように見えた。
華美というほどではない。
けれど、これから人前に立つためにきちんと準備してきたのだろうということくらいは、結人にも分かった。
以前、パネルを一緒に運んだ時とも、少し前にスタッフと話していた時とも、また違って見える。
「おお」
隣で渉が小さく声を上げた。
紗理奈もステージを見ながら頷く。
「やっぱ可愛いじゃん」
日葵は客席へ向かって軽く頭を下げ、そのまま先に紹介された候補者たちの横へ並んだ。
さらに何人かの名前が呼ばれる。
最後の一人がステージへ上がると、十二人の候補者が横一列に揃った。
渉がその姿を眺めながら首を傾げる。
「ドレスとか着るわけじゃないんだな」
「そういう審査はないみたいだよ」
颯がパンフレットを見ながら答えた。
「衣装も基本、自前みたい」
「へえ」
「その方が出やすいんじゃない?」
紗理奈が言う。
「レンタルだってタダじゃないし」
「確かに」
結人もステージを見ながら頷いた。
候補者の服装はそれぞれ違っている。
ワンピース姿の学生もいれば、日葵のようにブラウスとスカートを合わせた学生もいる。
少し大人っぽくまとめている者もいれば、普段着に近い格好の者もいた。
全員が同じ方向へ着飾っているわけではない。
その方が、結人にはかえって大学の行事らしく感じられた。
司会役の学生がマイクを握る。
「それではまず、候補者の皆さんに簡単な自己紹介と、今日の意気込みを聞いていきたいと思います!」
拍手が起こった。
端にいる候補者から順番にマイクが渡っていく。
学科。
学年。
趣味。
推薦してくれた友人への感謝。
内容はそれぞれだった。
緊張しているのか少し声が上ずる学生もいれば、慣れた様子で客席を笑わせる学生もいる。
三年生だという一人の候補者は、落ち着いた口調で受け答えをし、短い自己紹介だけでも会場から大きな拍手を受けていた。
「この人強そう」
紗理奈が小さく言う。
「分かる」
颯も頷いた。
「強いって何が?」
渉が聞く。
「こういう場に慣れてそうってこと」
「なるほど」
「渉、勝負だと思って見てるでしょ」
「だってコンテストだろ?」
「まあ、それはそうだけど」
紗理奈が笑った。
やがて、日葵の番になる。
マイクを受け取った日葵は、一度客席へ目を向けてから笑った。
「商学科一年の七海日葵です。友達に推薦してもらって出ることになりました」
客席のどこかから、日葵の名前を呼ぶ声が飛ぶ。
日葵はそちらを見て少しだけ笑った。
「出るからには、推薦してくれた子たちに恥をかかせないくらいには頑張りたいと思います。よろしくお願いします」
拍手が起こる。
司会役の女子学生が笑いながらマイクを向けた。
「じゃあ、目標はグランプリですか?」
「あ、それ言われると急に緊張するのでやめてください」
客席から笑いが起こった。
司会も笑う。
「じゃあ聞かなかったことにします」
「お願いします」
日葵も笑って頭を下げた。
「普通に喋れるな」
渉が感心したように言う。
「何その感想」
紗理奈が横を見る。
「いや、こういうの緊張しそうじゃん」
「そりゃ緊張はしてるでしょ」
颯が答えた。
結人は何も言わず、日葵を見る。
大勢の前に立っている。
当然、客席から多くの視線も集まっている。
それでも、以前パネルを一緒に運んだ時に受けた印象と、それほど大きく違わなかった。
明るくて、相手に合わせながら自然に話す。
『ああいう感じなんだな』
知っているのは名前だけに近かった。
一度話したことがあるとはいっても、内容は荷物を運んだ時の短いやり取りだけだ。
それでも今は、以前よりほんの少しだけ、七海日葵という人間が見えた気がした。
☆☆☆☆☆
自己紹介の後は、候補者への質問コーナーへ移った。
質問は一人ずつ違うらしい。
「大学で一番好きな場所は?」
「最近ハマっていることは?」
「一日だけ何でもできるなら、何をしたい?」
候補者たちはその場で考え、それぞれ答えていく。
真面目に答える者もいれば、笑いを取る者もいる。
最初は名前と顔を順番に紹介していくだけなのかと思っていたが、思っていたより企画としてしっかりしていた。
「結構ちゃんとしてるんだな」
修司が言う。
「もっと歩いて終わりとかだと思ってた?」
紗理奈が聞いた。
「そこまでは思ってない」
「怪しいなあ」
何人か進んだところで、再び日葵へマイクが渡った。
司会が箱からカードを一枚引く。
「七海さんへの質問はこちらです。『最近、大学生活で一番楽しかったことは?』」
日葵は少しだけ考えた。
「最近なら……今ですかね」
「今?」
「秋桜祭です」
客席から拍手が起こる。
「七海さん、実行委員もやってるんですよね?」
「はい」
「準備、大変じゃなかったですか?」
「大変でした」
即答だった。
会場から笑いが起こる。
日葵自身も笑いながら続けた。
「準備してる時は、早く本番来ないかなってずっと思ってたんですけど、始まったら始まったで、もう二日目なんだって感じで」
「終わるの、ちょっと寂しい?」
「ちょっとだけ」
日葵は親指と人差し指を少しだけ開いて見せた。
「ちょっとだけなんですね」
「片付けのこと考えると、結構複雑です」
また客席から笑いが起きた。
「実行委員らしい答え、ありがとうございます」
日葵が軽く頭を下げる。
結人は昼間の日葵を思い出した。
本番を控えているのに、実行委員のTシャツを着て紙を持ち、スタッフと何かを確認していた。
もちろん、ずっと仕事をしているわけではないのだろう。
それでも、実行委員としてやるべきことをこなしながら、その合間にミスコンの準備をして、今はこうしてステージに立っている。
『ちゃんとやるんだな』
そう思った。
ミスコンに出ることだけが今日のすべてではない。
だからといって、出る以上は適当に済ませるつもりもないのだろう。
かといって、グランプリを取ることだけを考えてここに立っているようにも見えなかった。
出ると決めたからには、やることはきちんとやる。
少なくとも、結人にはそんなふうに見えた。
そのまま何となく客席へ視線を動かした時、人の間に見覚えのある横顔を見つけた。
『あ』
水無月真白だった。
少し離れた場所で、女子学生二人と一緒にステージを見ている。
昨日、社会福祉学科の展示で説明をしていた時とは違う。
今は友人らしい二人のうち一人から何かを言われ、楽しそうに笑っていた。
候補者の答えに拍手を送り、また友人と何か話す。
それだけだった。
『水無月さんも来てるんだ』
考えてみれば、何も不思議ではない。
同じ大学の学生なのだから、友人と一緒に秋桜祭を楽しんでいて当然だ。
昨日は展示で説明する側にいた。
今日はこうして、見る側にもいる。
結人は少しだけそちらを見た後、再びステージへ視線を戻した。
☆☆☆☆☆
質問コーナーが終わる頃には、最初よりも候補者それぞれの雰囲気が見えるようになっていた。
話すのが上手い学生。
少し緊張しながらも一生懸命答える学生。
落ち着いた雰囲気で客席を惹きつける学生。
日葵も、その中の一人だった。
候補者全員が再び前へ並ぶ。
司会から投票方法について簡単な説明があり、客席が少しざわついた。
「誰入れる?」
渉が聞く。
「それ言う?」
颯が笑う。
「だって一人なんだろ?」
「自分で決めなよ」
紗理奈が返した。
渉はパンフレットとステージを交互に見る。
「迷うな」
「真剣だな」
修司が言う。
「投票するなら真剣にやらないと失礼だろ」
「急にまともなこと言うじゃん」
紗理奈が笑った。
結人も候補者を見る。
誰に投票するか。
全員のことを知っているわけではない。
今日見た範囲だけで決めるしかなかった。
少し迷って、結人は日葵に入れた。
知っているから、という部分がまったくないとは言えない。
それでも、ステージ上での受け答えが自然だったことも理由だった。
実行委員として働きながら、本番では本番できちんとやっている。
そういう姿勢も含めて、結人は日葵に一票を入れた。
投票を終える。
集計の間は別の学生企画が入り、候補者たちは一度ステージを降りた。
「七海さん、結構いけそうじゃない?」
渉が言う。
「どうだろうね」
紗理奈は客席を見回した。
「さっきの三年生もかなり拍手大きかったし」
「あの人強そうだったよね」
颯も言う。
「でも七海さんも人気あったよな」
「一年であれだけ普通に喋れるならすごいと思う」
修司が言った。
結人も小さく頷く。
勝つかどうかまでは分からない。
ただ、最初に写真で見た時よりも、日葵という人物への印象は随分増えた。
☆☆☆☆☆
しばらくして、十二人の候補者が再びステージへ戻ってきた。
客席の空気が少し変わる。
先ほどまでより、少しだけ静かになった。
「それでは、お待たせしました!」
司会が封筒を手にしている。
「今年度、秋桜祭ミスコンテストの結果を発表します!」
拍手が起こった。
渉が少し前のめりになる。
紗理奈が横目で見る。
「渉、出場者みたいに緊張してない?」
「してない!」
「してるじゃん」
「してないって!」
司会が一度、候補者たちを見る。
「まずは、準グランプリです」
客席が静かになる。
結人もステージを見る。
候補者たちの表情は様々だった。
笑顔を保っている者もいる。
少し硬い表情の者もいる。
日葵も前を向いていた。
「準グランプリは――」
一拍置かれる。
「商学科一年、七海日葵さん!」
大きな拍手と歓声が上がった。
「おお!」
渉が声を上げる。
紗理奈も手を叩いた。
「やるじゃん」
結人も拍手する。
名前を呼ばれた日葵は、一瞬だけ目を見開いていた。
隣にいた候補者から何かを言われ、ようやく笑う。
一歩前へ出る。
賞状と記念品を受け取り、客席へ向かって頭を下げた。
「七海さん、準グランプリです。今のお気持ちは?」
マイクを向けられる。
「えっと……普通に嬉しいです」
客席から小さな笑いが起こった。
日葵も笑う。
「ありがとうございます。推薦してくれた友達にも、いい報告ができるかなと思います」
「かなりいい報告だと思いますよ」
「そうですかね」
「準グランプリですよ?」
「じゃあ、自信持って報告します」
また笑いが起こる。
日葵はもう一度頭を下げた。
その時、ほんの一瞬だけ大きく息を吐いたように結人には見えた。
緊張が解けただけなのかもしれない。
名前を呼ばれて安心しただけなのかもしれない。
理由までは分からなかった。
続いてグランプリが発表される。
選ばれたのは、先ほど紗理奈たちが話していた三年生の候補者だった。
大きな歓声が上がる。
日葵も他の候補者たちと一緒に拍手していた。
特別悔しそうには見えない。
かといって、結果そのものに興味がなかったようにも見えなかった。
準グランプリの賞状を手にしたまま、笑顔でグランプリの学生を祝っている。
「やっぱあの人だったか」
颯が言った。
「納得感あるね」
紗理奈も頷く。
渉が腕を組む。
「でも七海さんも二位だろ?」
「十二人の中で二番なんだから、普通にすごいでしょ」
「だよな」
「予選からならもっと人数いたしね」
颯が付け加える。
修司もステージを見ながら言った。
「本人も嬉しそうだったし、良かったんじゃないか」
七海日葵。
以前より、ほんの少しだけ名前の向こう側が見えた。
けれど、まだ知り合いと呼べるほどではない。
結人は再びステージへ目を向けた。
候補者全員で最後に写真を撮り、司会が終了を告げる。
大きな拍手の中、ミスコンは終わった。
☆☆☆☆☆
人が少しずつ散り始める。
紗理奈の友人二人も、これから別の場所へ行くらしい。
「じゃあ、また後で連絡する」
「うん」
「またねー」
紗理奈が手を振る。
二人は人混みの中へ消えていった。
再び五人になった。
「どうする?」
颯が聞く。
渉が周囲を見回す。
「まだ何か見る?」
「もう結構見たんじゃない?」
紗理奈が言う。
「昨日から合わせたらな」
修司も頷いた。
結人は時計を見る。
夕方が近い。
少し前まで人で埋まっていたステージ前も、今は人の流れがばらけ始めている。
「最後に何か食う?」
渉が言った。
四人の視線が渉へ向く。
「何だよ」
「まだ食べるの?」
結人が笑う。
「最後だぞ?」
「最後って言えば何でも許されると思ってるでしょ」
紗理奈が呆れたように言った。
「許される!」
「言い切った」
結局、渉に付き合う形で模擬店の並ぶ方へ向かった。
夕方になると、売り切れの札を出している店も増えていた。
「本日分終了」
「ありがとうございました」
そんな声があちこちから聞こえる。
渉が狙っていた店も、ちょうど最後の商品を売り切ったところだった。
「嘘だろ……」
「残念だったね」
颯が笑う。
「オレの秋桜祭が終わった」
「食べ物だけで判断するな」
修司が言う。
渉はしばらく売り切れの札を恨めしそうに眺めていたが、やがて振り返った。
「じゃあさ」
「何?」
「せっかくだし、どっか食べて帰ろうぜ」
紗理奈が呆れたように渉を見る。
「まだ食べるの?」
「夕飯は別だろ」
「さっき最後に何か食べるって言ってなかった?」
「あれは秋桜祭の締め。これは夕飯」
「都合よすぎない?」
颯が笑う。
「でも、もう夕方だしね」
修司も時計を見る。
「駅前なら何かあるだろ」
渉がすぐに反応した。
「ほら!」
「何が、ほら、なの」
紗理奈が笑う。
「結人は?」
不意に聞かれ、結人は少しだけ考えた。
腹が減っているかと言われれば、そこまででもない。
今日も昼から色々食べている。
けれど、このまま帰りたいとも思わなかった。
「行こうかな」
そう答えると、渉が満足そうに頷いた。
「よし、決まり!」
五人で歩き出す。
朝より人は減っていた。
ところどころで学生たちが片付けを始めている。
使い終えた段ボール。
まとめられたゴミ袋。
外され始めた飾り。
この日のために準備されてきたものが、今度は少しずつ片づけられていく。
結人は、道の脇に置かれた案内パネルへ目を向けた。
一日目の朝にも見たものだった。
自分たちが準備中に運んだものと同じ種類のパネル。
あの時は、これから秋桜祭が始まるところだった。
今は、その前を帰る人たちが歩いている。
『終わるんだな』
少しだけ思う。
寂しいというほどではない。
二日間、十分に楽しんだ。
それに、今日はまだ終わりではなかった。
☆☆☆☆☆
五人で正門を出る。
横断幕はまだ残っていた。
一日目の朝、五人でここから中へ入った。
今は反対に、五人で外へ向かう。
「終わったなー」
渉が大きく伸びをした。
「二日間、普通に疲れた」
紗理奈も肩を回す。
「これから食いに行く人の台詞じゃないけどね」
颯が言う。
「疲れたから食うんだろ」
「渉だけの理屈でしょ、それ」
正門を離れ、駅へ向かう。
秋桜祭帰りらしい学生や家族連れが、同じ方向へ歩いていた。
大学から離れるにつれて、ステージの音も少しずつ遠くなっていく。
やがて人の声に混ざり、ほとんど聞こえなくなった。
駅前まで来ると、そこには普段の休日と変わらない景色が広がっていた。
コンビニ。
飲食店。
信号待ちをする人。
秋桜祭の飾りも、ステージの音もない。
「で、何食う?」
渉が聞く。
「さっきまで何も決めてなかったの?」
紗理奈が言う。
「食べることしか決めてない」
「それでよくあんな勢いで誘えたね」
「候補ある?」
颯がスマホを出す。
「ラーメン?」
「昼からあれだけ食ってラーメンは重いだろ」
修司が言った。
「じゃあファミレスでよくない?」
紗理奈が提案する。
「好きなの頼めるし」
「賛成」
颯が頷いた。
結人も特に異論はなかった。
「自分もそれでいいよ」
「決まり!」
渉だけが妙に嬉しそうだった。
駅から少し歩いたところにあるファミリーレストランへ入る。
夕食には少し早い時間だったからか、五人でもそれほど待たずに席へ通された。
窓際の六人掛け。
渉が真っ先に奥へ座る。
紗理奈がその向かいへ座り、修司と颯も続いた。
結人も空いている席へ腰を下ろす。
渉はメニューを開いた瞬間、紗理奈に覗き込まれた。
「まさか普通に一人前食べる気?」
「当たり前だろ」
「すごいね、逆に」
「何が?」
修司は定食のページを見ている。
颯はドリンクバーを先に決めた。
結人もメニューを開く。
祭りの中では、何を食べるにも人の声や音楽が聞こえていた。
今は店内の話し声と、食器の触れ合う音だけだ。
さっきまでいた場所とは、まるで違う。
「結人、何にする?」
渉が聞く。
「まだ見てる」
「オレこれ」
「早いね」
「店入る前から決めてた」
「じゃあ何でメニュー見てたの」
颯が笑う。
「確認だよ、確認」
「何の?」
「オレの判断が正しいかどうか」
「知らないよ」
結人も笑いながら、無難な和風のパスタを選んだ。
注文を済ませる。
すぐにドリンクバーへ立った渉と颯が戻ってくると、話題は自然に秋桜祭へ戻った。
「結局、二日間で一番良かったの何?」
紗理奈が聞く。
「食い物あり?」
渉が聞き返す。
「なし」
「なんでだよ!」
「ありにしたら渉だけ永遠に悩むでしょ」
「確かに」
颯が頷いた。
「修司は?」
「写真の展示かな」
「ああ、昨日ちょっと長く見てたやつ?」
「ああ」
「真面目」
渉が言う。
「何がだよ」
「オレはステージかな」
「食べ物なしなら?」
紗理奈が念を押す。
「ステージ!」
「今考えたでしょ」
「ちゃんと見てたぞ。ライブとか」
「前で見るもんだって言ってたやつね」
結人が言うと、渉がこちらを見る。
「そう、それ」
「詳しくないのに?」
「まだ言う?」
笑いが起きる。
「紗理奈は?」
颯が聞く。
「んー……友達とも回れたし、普通に全部かな」
「ざっくり」
「二日間あったんだから一個に絞らなくてよくない?」
「それ言ったら質問終わりじゃん」
「じゃあ颯は?」
「僕?なんだかんだミスコンかな。いろんな子見られたし」
「理由そこなのか」
「大事なことでしょ」
話が続く。
昨日見た企画。
今日見たミスコン。
渉が食べ損ねた模擬店。
紗理奈が友人たちと何を回ったのか。
そして話題は、昨日颯が女子学生二人に呼び止められたことへ戻った。
「結局あの二人誰だったんだよ」
渉が聞く。
「まだ気にしてたの?」
颯が笑う。
「気になるだろ」
「前に同じ講義取ってただけだよ」
「本当に?」
「何を疑ってるの」
「連れていかれそうだったし」
「だから連れていかれてないって」
「危なかった」
「何が危ないんだよ」
修司が呆れたように笑う。
結人も、そのやり取りを聞きながら笑った。
注文した料理が運ばれてくる。
渉の前にはしっかり一人前のハンバーグ。
紗理奈がそれを見て、思わず笑う。
「本当に食べるんだ」
「だから夕飯は別だって!」
「その理屈今日だけで何回使うの」
「いちいち数えてない」
渉が答える。
一瞬の間。
結人と修司が顔を見合わせた。
「それ、昨日も聞いた気がする」
結人が言う。
「便利なんだよ、この言葉」
「開き直った」
また笑いが起きた。
結人も箸を取る。
「いただきます」
それぞれ食べ始める。
しばらくは料理の感想や、誰の注文が一番当たりかという、どうでもいい話が続いた。
結人はその中に混ざりながら、ふと窓の外を見る。
大学はもう見えない。
秋桜祭の音も届かない。
ここは、ただのファミリーレストランだった。
別に珍しい場所でもない。
何か特別な企画があるわけでもない。
それでも、さっきまでと同じように楽しかった。
『……そっか』
結人はパスタを一口食べる。
祭りだったから楽しかった。
それも間違いではない。
けれど、それだけでもなかったのだろう。
誰かと一緒に歩いて。
同じものを見て。
くだらない話をして。
笑う。
場所が変わっても、それは続いている。
結人はそれ以上、理由を探さなかった。
目の前では、渉が紗理奈のポテトを一本取ろうとして手を叩かれている。
「自分のあるでしょ」
「一本くらいいいだろ」
「一言聞いてから取りなよ」
「今聞いた」
「取った後でね」
「厳しい」
颯が笑う。
修司も呆れた顔をしている。
結人も笑った。
今は、それで十分だった。
☆☆☆☆☆
店を出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
駅前の明かりが昼間よりもはっきり見える。
店を出た瞬間、紗理奈が大きく息を吐いた。
「食べたー」
「満足」
渉も腹をさすっている。
「渉がそれ言うと説得力あるね」
颯が言う。
「二日間食べ続けてたもんな」
修司も続けた。
「そんな食ってないって」
「数えてないだけでしょ」
結人が言う。
渉が一瞬黙る。
「……上手いこと言ったな」
「自分で言ってたんだけど」
五人で笑いながら駅へ向かう。
祭り帰りの人はまだいるものの、大学の近くにいた時ほどではない。
ここまで来ると、秋桜祭が本当に終わったのだという感じがした。
「明日講義あるけどな」
修司が言った。
渉が露骨に嫌そうな顔をする。
「今言う?」
「現実だから」
「課題もあるよ」
颯が続ける。
「もっと現実に戻すな!」
紗理奈が笑う。
結人も笑った。
秋桜祭は終わった。
明日になれば、また普段の大学に戻る。
講義がある。
課題もある。
昼になれば、また誰かと食堂へ行くのかもしれない。
特別な二日間は終わった。
けれど、その後に何もなくなるわけではない。
駅に着くと、それぞれの帰る方向が分かれる。
渉が手を上げた。
「じゃあ、また明日な」
「うん」
颯が答える。
修司も軽く手を上げた。
「また明日」
紗理奈も、
「おつかれー。また明日」
と手を振った。
結人も自然に口を開く。
「うん。また明日」
そう言って、それぞれの帰る方向へ別れた。
☆☆☆☆☆
家へ着き、靴を脱ぐ。
二日間歩き回ったせいか、昨日よりも足が重く感じた。
荷物を机の上へ置く。
財布。
スマホ。
モバイルバッテリー。
そして、二日間持ち歩いた秋桜祭のパンフレット。
端が少し折れている。
昨日までは何度も開いていたのに、もう使うことはない。
結人はそれを机の端へ置いた。
着替えて一息ついたところで、スマホが震える。
グループチャットだった。
渉から、
「二日間おつかれ!」
と送られている。
その下に、
「明日寝坊したら笑う」
「普通にありそう」
「目覚まし四つあるから大丈夫でしょ」
と紗理奈、修司、颯の返信が続いていた。
「今日こそ余裕」
渉から返ってくる。
結人はその文字を見て少し笑った。
『まだ言ってる』
少しして、昨日撮った四人の写真がもう一度送られてきた。
渉からだった。
「これ結構よくね?」
正門の近くで撮った写真。
すぐに紗理奈から返信が来る。
「それあたし入ってないやつじゃん。男の友情はいいけど、なんか仲間外れ感あるんだけど……」
「昨日先に帰っただろ」
「そこに文句はない。ただ五人のグループで男四人の写真だけ見せられると、なんか嫌」
「めんどくさ……」
「じゃあ今度は五人で撮ろうよ」
颯がそう返すと、
「それなら許す」
と紗理奈から返ってきた。
渉が送った写真を改めて見る。
修司。
颯。
渉。
そして、その隣に結人もいる。
結人は画面を少し拡大した。
昨日、颯に言われた通り、自分だけ少し顔が固い。
『確かに固いな』
思わず少し笑った。
けれど、撮り直しておけばよかったとは思わなかった。
三人の横に、自分が写っている。
ただそれだけの写真。
特別綺麗に撮れているわけでもない。
誰かに見せたい写真というわけでもない。
それでも、嫌な写真ではなかった。
結人は少し迷ってから、その写真を端末に保存した。
スマホを置く。
机の上には、秋桜祭のパンフレットがある。
少し前までは、ただ予定に書き込まれていただけの行事だった。
それが近づくにつれて、友人たちと何を見るかを話すようになった。
前日には、明日が来るのを楽しみにしていた。
そして実際に二日間を歩いた。
食べた。
笑った。
ステージを見た。
知らない企画にも入った。
振り返れば、色々なことがあった。
だからといって、何かが急に始まったわけではない。
結人自身も、急に変わったわけではなかった。
明日になれば、また講義がある。
課題もある。
いつもの教室へ行く。
食堂へ行けば、渉たちがいるかもしれない。
今日みたいなイベントはない。
ステージもない。
模擬店もない。
ただ、いつもの大学に戻るだけだ。
それでも結人は、そこへ戻ることを嫌だとは思わなかった。
むしろ。
『また明日、か』
少し前なら、誰かと交わしたそんな言葉にまで意味を考えていたかもしれない。
本当に明日も一緒にいていいのか。
自分が混ざっても大丈夫なのか。
相手はどう思っているのか。
けれど今は、そこまで考えなかった。
また明日と言った。
だから、明日になればまた会う。
それだけでよかった。
結人はスマホを手に取り、明日の時間割を確認する。
一限から講義が入っている。
『早いな』
少しだけ嫌になる。
それでも、行きたくないとは思わなかった。
アラームを設定する。
一つ。
念のため、もう一つ。
そこでグループチャットがまた動いた。
渉から、
「明日遅刻したら起こして」
と来ている。
結人は画面を見ながら、
「自分で起きて」
と返した。
すぐに既読がつく。
「冷たい!」
続いて紗理奈から、
「正論」
と返ってくる。
颯からは、
「目覚まし四つを信じて」
修司からは、
「寝ろ」
とだけ送られてきた。
結人は小さく笑い、スマホを机の上へ置いた。
画面が暗くなる。
その横には、使い終えた秋桜祭のパンフレット。
二日間だけいつもと違う姿になっていた大学は、明日には元へ戻る。
講義があって。
課題があって。
昼になれば誰かと顔を合わせて。
くだらない話をする。
特別ではない一日が、また始まる。
結人はもう一度だけスマホへ目を向けた。
画面は消えている。
けれど、その中には昨日の写真が残っている。
少し固い顔をした自分が、三人の隣に写っていた。
それを見ても、もう違和感はなかった。
結人は部屋の明かりを落とす。
明日もまた、いつもの大学へ行く。
そして誰かと会う。
明日が来ることを、今の結人は少しだけ楽しみにしていた。
これにて第一章が終了です。
第二章はようやく恋愛要素進展パートの予定。
想定より第一章が長くなって自分でもびっくりでした。
恋愛をAI用いても上手く描けるか不安ですが、ここからがいろいろと本番だと思うので、引き続き少しずつ頑張っていきます。