水底から見上げた、二度目の空   作:しまらくだ

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一応第二章スタートです。



いつもの一日

目覚ましの音で、結人は目を覚ました。

一度目。

手を伸ばして止める。

そのまま目を閉じかけたところで、数分後に二つ目が鳴った。

 

「……眠い」

 

小さく呟きながら、結人はようやく体を起こした。

足が少し重い。

昨日、一昨日と二日間歩き回ったせいだろう。

普段なら何とも思わない程度の疲れだったが、布団から出る理由を一つ減らすには十分だった。

スマホを手に取る。

時刻を確認すると、まだ余裕はある。

そして通知欄に、グループチャットの新着が一件。

渉だった。

 

「起きた」

 

送信時刻は五分前。

結人はしばらく画面を見た。

 

『本当に起きたんだ』

 

昨日の夜、

 

「明日遅刻したら起こして」

 

などと言っていた本人とは思えない。

結人は少し迷ってから、

 

「おめでとう」

 

と返した。

すぐに既読がついた。

 

「もっと褒めて」

「普通に起きただけでしょ」

 

紗理奈から返信が来る。

続いて、

 

「目覚まし四つの勝利」

 

と颯。

修司からは、

 

「朝からうるさい」

 

の一言だった。

結人は画面を見ながら少し笑った。

昨日まで二日間続いていた秋桜祭は終わった。

机の端には、そのパンフレットがまだ置いてある。

 

少し折れた表紙。

何度も開いた跡。

 

昨日までは予定を確認するために持ち歩いていたものなのに、今日はもう必要ない。

結人はパンフレットへ一度目を向け、それから立ち上がった。

シャワーを浴び、着替える。

簡単に朝食を済ませて家を出た。

 

いつもの時間。

いつもの道。

 

昨日までは大学へ向かう人の中に、家族連れや高校生らしい姿も混じっていた。

今日は違う。

電車の中も、駅から大学へ向かう道も、見慣れた学生ばかりだった。

正門が近づく。

秋桜祭の横断幕はもう外されていた。

昨日まで人の流れを作っていた案内板もない。

大学へ入る。

広場へ目を向ける。

ステージがあった場所には何もなかった。

何人かの学生が普通にそこを横切っている。

 

『昨日まで、あそこでやってたんだよな』

 

ほんの少し、不思議な感じがした。

あれだけ人が集まっていた場所に、今は何もない。

音楽が聞こえていた。

模擬店の呼び込みが聞こえていた。

昨日はミスコンもあった。

それが一晩経っただけで、いつもの大学に戻っている。

結人は立ち止まることなく、そのまま講義棟へ向かった。

 

☆☆☆☆☆

 

教室へ入ると、修司がすでに座っていた。

いつもの辺りの席。

結人は特に考えることなく、その近くへ向かった。

 

「おはよう」

「ああ。おはよう」

 

修司が顔を上げる。

結人はその前の席に荷物を置いた。

少しして、廊下から大きめの声が聞こえてきた。

 

「間に合った!」

 

渉だった。

教室へ入ってくるなり、妙に達成感のある顔をしている。

結人が時計を見る。

 

「普通に余裕あるけど」

「余裕を持って到着したってことが重要なんだよ」

「昨日も今日こそ余裕って言ってたよね」

「有言実行」

 

後ろで修司が小さく笑った。

 

「起きただけでそこまで誇れるの、ある意味すごいな」

「もっと評価してくれていいぞ」

「しない」

 

修司が即答する。

渉は不満そうに席へ座った。

少しして颯が来る。

その後、紗理奈も教室へ入ってきた。

 

「おはよー」

「あ、ちゃんと起きてる」

 

紗理奈が渉を見る。

 

「何で会う人全員それ言うんだよ」

「昨日あれだけ言ってたからでしょ」

「信用なさすぎない?」

「実績の問題じゃない?」

 

颯が笑いながら座る。

いつもの五人。

結人は教科書を机の上へ出した。

少し前なら、こうして誰かの近くに座る時にも、どこかで考えていた。

ここでいいのか。

今日は一緒にいていいのか。

誰かが先に座っていたら別の場所へ行った方がいいのか。

そんなことを。

今日は何も考えなかった。

修司がいた。

だから近くに座った。

渉が来た。

颯が来た。

紗理奈が来た。

ただ、それだけだった。

 

「課題やった?」

 

不意に紗理奈が聞いた。

渉の動きが止まる。

 

「何の?」

「今日提出のやつ」

「今日?」

「今日」

 

渉がゆっくりと結人を見る。

結人は首を横に振った。

 

「見ても何も出ないよ」

「結人、お前はやったのか?」

「昨日の夜」

「裏切り者!」

「何で?」

 

颯が笑う。

 

「秋桜祭終わった日の夜に課題やるの偉いね」

「忘れてて、家帰ってから思い出しただけ」

「それでもやったなら偉いでしょ」

 

紗理奈が言う。

後ろで修司が教科書を開きながら口を挟んだ。

 

「渉、始まるまでまだ時間あるぞ」

「修司!」

「写すなよ」

「希望を与えてから奪うな!」

 

また笑いが起きた。

その声に混ざりながら、結人も教科書を開いた。

やがて教授が教室へ入ってくる。

いつもの講義が始まった。

 

☆☆☆☆☆

 

昼休み。

五人で食堂へ向かった。

昨日まで外には模擬店が並び、大学中に食べ物の匂いが漂っていた。

今日は食堂の前に学生が並んでいるだけ。

渉がメニュー表を見る。

 

「昨日まであんなに食うものあったのにな」

「昨日散々食べたじゃん」

 

紗理奈が言う。

 

「祭りの食べ物と学食は別物」

「昨日も似たようなこと言ってなかった?」

「夕飯は別ってやつ?」

 

颯が笑う。

 

「そう、それ」

「自分で認めるんだ」

 

結人も笑った。

それぞれ注文し、空いている席へ座る。

渉は相変わらず量の多い定食を選んでいた。

 

「結局、秋桜祭で一番食ったの何だった?」

 

颯が聞く。

 

「一番って何基準?」

「量」

「覚えてない」

「じゃあ種類」

「それも覚えてない」

 

修司が呆れたように言う。

 

「結局何も覚えてないじゃないか」

「全部うまかったってことだよ」

「便利だね、そのまとめ方」

 

紗理奈が笑う。

話題は少しだけ昨日のことへ戻った。

 

ステージ。

展示。

ミスコン。

途中で会った友人。

売り切れて食べられなかったもの。

 

だが、昨日の夜ほど長くは続かなかった。

気づけば話題は今日の講義になり、次の課題になり、今週の予定へ移っていた。

 

「結人、今日バイト?」

 

渉が聞く。

 

「うん。夕方から」

「祭りの次の日にバイトとか元気だな」

「別に普通でしょ」

「ライブハウスって今日もイベントあるの?」

 

颯が聞いた。

 

「あるみたい。自分は詳しく知らないけど」

「働いてるのに?」

「出演者とか全部覚えてるわけじゃないし」

「夢がないなあ」

 

渉が言う。

結人は箸を止める。

 

「仕事だから」

 

一瞬の間。

 

修司が吹き出した。

 

「それ、前も聞いたな」

「あ」

 

結人も思い出した。

ライブハウスで働き始めた頃、同じような話をした。

渉も思い出したらしい。

 

「結人、そこずっと現実派だよな」

「何を期待してるの」

「バンドマンと仲良くなって、裏話とか聞いてくるとか」

「まだ新人だよ」

「じゃあ一年後に期待する」

「勝手に予定立てないで」

 

紗理奈が笑う。

 

「でも結人、最初よりバイト慣れたんじゃない?」

 

そう言われ、結人は少し考えた。

 

「……少しは」

 

自分でも意外だった。

以前なら、

 

「まだ全然」

 

と先に否定していた気がする。

もちろん今も分からないことは多い。

失敗もする。

草ヶ谷に注意されることもある。

それでも、初日とは違う。

何をすればいいのか分かる場面は増えた。

店の中でどこを歩けば邪魔にならないのか。

誰に何を聞けばいいのか。

まだ考えながらではある。

でも、最初よりは。

 

「お」

 

渉が反応した。

 

「珍しく認めた」

「何が?」

「成長してるって」

「そこまで言ってない」

「同じようなもんだろ」

「違うと思う」

 

結人は苦笑しながら昼食を続けた。

 

☆☆☆☆☆

 

午後の講義は、五人全員が同じではなかった。

修司と渉は別の教室。

紗理奈も別。

颯は午後から講義を取っていないらしく、

 

「じゃあ今日はこれで」

 

と言って帰っていった。

結人は一人で次の教室へ向かった。

廊下を歩く。

周囲には学生がいる。

友人同士で話している者。

一人でスマホを見ながら歩いている者。

以前なら、誰かと別れて一人になった途端、妙に静かになったように感じることがあった。

今日は、そうでもなかった。

 

『次の講義、修司も取ってたっけ』

 

一瞬考えてから、

 

『いや、違ったな』

 

と思い出す。

それだけ。

講義を受ける。

終わる。

スマホを見ると、グループチャットに渉から写真が送られていた。

机の上に置かれた大量の資料。

 

「死ぬ」

 

その一言。

続いて修司から、

 

「自業自得」

 

と返されている。

紗理奈からは、

 

「あたしも同じくらいある」

 

颯から、

 

「頑張って」

 

結人も、

 

「頑張って」

 

と送った。

すぐに渉から、

 

「他人事すぎる」

 

と返ってきた。

結人は歩きながら少し笑った。

一人だった。

でも、完全に一人という感じはしなかった。

そのことについて、結人は深く考えなかった。

 

☆☆☆☆☆

 

夕方。

大学を出た結人は、そのままライブハウスへ向かった。

店へ入ると、すでに準備が始まっていた。

 

「おはようございます」

「おはよう」

 

カウンターの奥から迫田が返す。

少し離れた場所では、草ヶ谷がケーブルをまとめていた。

 

「二間君、着替えたら受付周りお願いできるかな」

「はい」

「今日は少し客入り多いと思うから、早めに準備しておこう」

「分かりました」

 

バックヤードで着替え、受付へ向かう。

以前なら一つ一つ確認しなければ分からなかったことも、今は少しずつ覚えている。

 

必要なものを出す。

チケット関係を確認する。

受付周辺を整える。

 

途中で草ヶ谷が通りかかった。

 

「二間」

「はい」

 

結人は反射的に顔を上げる。

草ヶ谷が受付横を指した。

 

「そこ、列できた時に邪魔になるから少し奥に寄せといて」

「あ、はい」

 

一瞬だけ、胸の奥がきゅっと狭くなる。

 

『また何か間違えた』

 

その感覚。

けれど、すぐに荷物を移動させた。

 

「これで大丈夫ですか?」

 

草ヶ谷が一度見る。

 

「ああ」

 

それだけ言って、またステージ側へ戻っていった。

結人は少し息を吐いた。

以前なら、その後もしばらく、

 

『何で気づかなかったんだ』

『また迷惑かけた』

 

と考えていた。

今もまったく思わないわけではない。

でも。

 

『次から気をつければいいか』

 

それ以上は考えず、結人は作業へ戻った。

客が入り始める。

 

受付。

案内。

ドリンクの補助。

 

分からないことがあれば、その都度迫田に確認した。

迫田はいつも通り答えた。

忙しくなると、考えている暇もなくなった。

ただ目の前のことをこなす。

一段落した頃には、開演時間を少し過ぎていた。

店内から演奏の音が聞こえる。

結人はカウンター周りを片付けていた。

 

「二間君」

 

迫田が声をかける。

 

「はい」

「だいぶ慣れてきたね」

 

結人は手を止めた。

 

「そうですか?」

「最初の頃よりはね」

 

迫田は笑った。

 

「まだ分からないことも多いです」

「そりゃそうだよ。何年もやってる人と同じだったら、それはそれで怖い」

 

「……確かに」

 

結人も少し笑う。

 

「でも、最初より周りを見る余裕は出てきたと思うよ」

「ありがとうございます」

 

答えながら、少しだけ落ち着かない気持ちになる。

褒められることには、まだ慣れない。

本当にそうなのか。

気を遣われているだけではないのか。

そんな考えが出てこないわけではなかった。

けれど今日は、

 

『最初よりは、か』

 

とだけ思った。

否定するほどでもない気がした。

 

☆☆☆☆☆

 

バイトが終わった頃には、外は暗くなっていた。

駅へ向かって歩く。

今日一日を振り返る。

 

大学へ行った。

渉たちと話した。

講義を受けた。

昼を食べた。

一人で別の講義へ行った。

バイトをした。

 

それだけ。

昨日のような祭りはない。

ステージもない。

特別な出来事もない。

本当に、普通の一日だった。

結人は歩きながらスマホを取り出した。

グループチャットが動いている。

 

渉から、

 

「明日の課題どこ?」

 

と来ていた。

修司が、

 

「授業聞け」

 

と返している。

その下に紗理奈から、

 

「そこあたしも分からない」

 

さらに颯。

 

「全滅じゃん」

 

結人は少し考えてから、

 

「たぶん教科書の七十二ページ」

 

と送った。

すぐに既読がつく。

 

「神」

「本当にそこ?」

「今確認する」

「結人が一番ちゃんと授業聞いてる説」

 

結人は歩きながら画面を見た。

 

『普通だな』

 

ふと思う。

何かが起きたわけではない。

それでも、その普通が嫌ではなかった。

 

大学へ行けば誰かがいて。

講義があって。

バイトへ行けば仕事がある。

明日になれば、また大学へ行く。

 

それだけ。

でも今は、それで十分だった。

駅の明かりが見えてくる。

結人はスマホをポケットへ戻した。

 

『明日も大学か』

 

少しだけ面倒ではある。

一限からではなかったはずだ。

それを思い出して、少し気が楽になる。

結人はそのまま駅へ向かって歩いた。

いつもの一日が終わる。

そして明日になれば、また次の一日が始まる。

今は、それも悪くないと思えた。




恋愛とかに限らず、結人の心境の変化とかも少しずつ描いていけたらと思うのですが。なかなか難しいです……。
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