「飲み放題、ラストオーダーになります」
店員の声に、結人は壁に掛けられた時計へ視線を向けた。
『もうそんな時間なんだ』
店に入ってから、もうすぐ二時間になる。
来る前は、二時間という時間をもっと長く感じると思っていた。
知らない人たちと同じ席を囲んで。
何を話せばいいのか。
会話が途切れたらどうすればいいのか。
自分だけ浮いたりしないか。
そんなことを考えていた。
けれど、実際に始まってみれば、時間は思っていたより早く過ぎていた。
「最後、何か頼む?」
颯がメニューを開きながら聞く。
「僕はもういいかな」
男子側の一人が答えた。
女子側でも、それぞれ飲み物を確認している。
結人は自分のグラスを見る。
まだ少し残っていた。
「自分も大丈夫」
「了解」
颯がまとめて店員へ伝える。
結人は椅子の背へ少し身体を預けた。
店へ入った直後よりも、肩の力が抜けている。
全員と親しくなったわけではない。
名前を聞いたばかりの相手もいる。
それでも、最初に感じていた居心地の悪さは、もうほとんど残っていなかった。
斜め向かいを見る。
日葵は隣の女子学生と何か話している。
少しして、こちらと目が合った。
日葵が笑う。
「二間くん、どうでした?」
「何が?」
「初めての合コン」
「ああ」
結人は少し考えた。
「思ってたより普通だった」
日葵が小さく笑った。
「やっぱり」
「七海さんも同じこと言ってたよね」
「言いました」
日葵は頷く。
「もっと、ずっと喋ってないといけないのかなとか思ってたんですけど」
「自分も」
「でも普通にご飯食べて、話してるだけでしたね」
「うん」
周囲では別の話題で笑い声が起きている。
誰かがずっと場を盛り上げているわけでもない。
話している人がいれば、聞いている人もいる。
少し黙って料理を食べていても、それで空気が悪くなるわけではない。
結人が来る前に想像していたものより、ずっと普通だった。
「でも、二間くんがいたのはちょっと意外でしたけど、安心しました」
「自分?」
「はい。男の人たちはほとんど初対面でしたし、秋桜祭で一度話したことがある人がいるだけでも違うじゃないですか」
「ああ……」
言われてみれば、自分にも似たような感覚はあった。
颯がいるとはいえ、ほかの参加者はほとんど知らない人間ばかりだった。
そんな中で、秋桜祭で一度会った日葵の姿を見つけた時、少しだけ安心したのを覚えている。
「自分も同じかも」
「本当ですか?」
「七海さんいて、ちょっと助かった」
日葵が少しだけ目を丸くする。
それから、柔らかく笑った。
「じゃあ、お互い様ですね」
「そうだね」
短いやり取りだった。
それだけだったのに、不思議と少し気持ちが軽くなる。
自分が相手を知っていて安心したように、相手も自分を知っていることで安心していた。
大したことではないのかもしれない。
けれど、そう言ってもらえたことは素直に嬉しかった。
「そろそろ時間だって」
颯の声がして、会話が切れる。
結人も財布を取り出した。
☆☆☆☆☆
会計を済ませる前に、女子側の一人がスマートフォンを取り出した。
「せっかくだし、グループ作らない?」
「あ、いいね」
「颯お願い」
「何で僕?」
「慣れてそうだから」
「その理由、今日何回目だろ」
颯がグループの招待画面を開き、参加者たちが順番に加わっていく。
結人もスマートフォンを取り出し、表示されたコードを読み取った。
画面には、参加者たちの名前が並んでいた。
その中に、
【七海日葵】
という名前も追加された。
『同じグループに入ることになるとは思わなかったな』
秋桜祭の時には、名前すら知られていなかった。
今日は名前を呼ばれた。
そして今は、連絡を取ろうと思えば取れる。
もちろん、それだけだ。
「二間くん、入ってます?」
日葵が聞く。
「うん。入った」
「よかった」
日葵も自分の画面を確認している。
結人は何となく画面を閉じた。
☆☆☆☆☆
店を出ると、夜の空気が少し冷たかった。
週末だからか、駅前にはまだ人が多い。
「このあとどうする?」
男子側の一人が言った。
「二次会行く?」
「カラオケとか?」
「もう一軒行ってもいいけど」
いくつか声が上がる。
結人は少し考えた。
疲れているわけではない。
居心地が悪かったわけでもない。
ただ、今日はもう十分だった。
「自分は今日は帰るよ」
颯がこちらを見る。
「帰る?」
「うん。今日はもういいかなって」
「了解」
あっさりした返事だった。
無理に引き止められないことに、結人は少し安心する。
「今日は本当にありがと」
颯が言った。
「急だったのに来てもらって」
「別に。自分も経験できたし」
「経験って言い方すると、何かの研修みたいだね」
日葵が横から言った。
結人は少し笑った。
「似たようなものかも」
「絶対違うと思います」
日葵も笑う。
「じゃあ、今日はありがとう」
「こちらこそ」
結人は軽く手を上げた。
日葵がこのあとどうするのかまでは聞かなかった。
他のメンバーが誰まで残るのかも、特に確認しなかった。
そのまま一人、駅へ向かって歩き出した。
☆☆☆☆☆
駅までの道を歩きながら、結人は今日のことを思い返していた。
『結局、本当に普通だったな』
合コン。
もっと特殊な場所だと思っていた。
少なくとも、自分とは少し離れたところにあるものだと。
前世でも一度も参加したことはなかった。
今の人生でも、自分から行こうと思ったことはない。
それでも今日は来た。
誘われたから。
人数が足りなかったから。
理由はその程度だった。
でも。
『行かなかったら、七海さんともあんなに話すことなかったんだよな』
秋桜祭で会った。
それだけだった相手と。
今日は同じ席に座って。
名前を知ってもらって。
少し長く話して。
連絡先まで繋がった。
だからといって、この先何かがあると考えるほど、結人は楽観的ではない。
そもそも恋愛相手を探すために参加したつもりでもない。
ただ、前世ではしなかったことを、一つ経験した。
そして。
『想像してたより悪くなかったかも』
そう思える。
だからといって今後合コンに積極的に参加しようとは思わない。
でも、合コン自体のイメージが変わったのは確かだ。
それだけで、少し違う気がした。
駅の入口が見え始めた時だった。
「……結人?」
聞き覚えのある声に、結人は足を止めた。
振り返る。
少し離れた場所に、一人の女性が立っていた。
「都子さん?」
才木都子だった。
肩には仕事用らしい鞄を掛けている。
以前、バイト帰りに偶然会った時と似た格好だった。
都子もこちらへ近づいてくる。
「やっぱり結人だ」
「お疲れさまです」
「結人も。……って」
都子はそこで、結人の姿を少し見る。
「今日バイト?」
「今日は違います」
「あ、そうなんだ」
都子は少し意外そうな顔をした。
「大学?」
「それも違います」
「じゃあ何してたの?」
結人は少し迷った。
別に隠すようなことではない。
「ご飯に」
「友達と?」
「はい」
「ふーん」
そこで終わるかと思った。
けれど都子は数歩歩いてから、結人を見る。
「男友達?」
「男もいました」
「も?」
結人は小さく息を吐く。
「女の子もいましたよ」
都子の口元が少し緩んだ。
「へえ」
「何ですか」
「別に」
「絶対何かありますよね」
「ないない」
そう言いながら、明らかに面白がっている。
二人はそのまま駅へ向かって歩き始めた。
以前も、こうして都子と駅まで歩いたことがある。
あの時はバイト初日だった。
今日は。
「何の集まりだったの?」
都子が聞く。
「何のって」
「女の子もいたんでしょ?」
「いましたけど」
「友達の友達とか?」
結人は少しだけ間を置いた。
「合コンです」
都子の足が止まりかけた。
「……合コン?」
「はい」
「結人が?」
「都子さんまでその反応なんですね」
「だって、あんたからそういう話聞いたことないし」
「人数が足りないって誘われたので」
「ああ、それなら納得」
「どういう意味ですか」
「結人が自分から『合コン行きたいです』って言ってるところ、想像できないから」
「自分も想像できません」
「本人が言うんだ」
都子が笑う。
結人も少しだけ笑った。
「で、どうだった?」
「何がですか?」
「初合コン」
「何で初めてって分かるんですか」
「行ったことあるの?」
「ないです」
「ほら」
都子は少し得意そうな顔をした。
「で?」
「普通でした」
「普通?」
「ご飯食べて、話して。それだけです」
「感想が地味」
「他に何て言えばいいんですか」
都子はしばらく笑っていた。
それから、少しだけ考えるように結人を見る。
「でも、そっか」
「何ですか?」
「いや……」
都子は前を向く。
「バイトもして、友達とも遊んで、今度は合コンかあって」
「言い方がちょっと嫌なんですけど」
「何で?」
「何か遊び歩いてるみたいに聞こえます」
「そこまでは言ってないよ」
都子は笑う。
「思ってたより、ちゃんと大学生活楽しんでるんだなって思っただけ」
結人は少し黙った。
「心配してたんですか?」
「多少はね」
都子はあっさり答えた。
「前にも言ったでしょ。結人って、大丈夫って言って一人で何とかしようとするところあるし」
「ああ……」
以前、駅まで一緒に歩いた時にも言われた。
本当に困った時には、困ったと言うこと。
都子だけでなく、友人でも大学でも、バイト先でもいい。
誰かに頼ること。
結人はその時の会話を思い出した。
「でも最近はバイトも続いてるし、友達と遊んでる話も聞くし」
都子が続ける。
「この前も、叔母さんたち帰ってこないって言ってたけど、一人でずっと部屋にいるわけでもなさそうだったし」
「それはそうですけど……」
「そこに合コンまで追加されたから」
「そこを基準にしないでください」
「分かりやすいじゃん」
「何がですか」
「青春?」
結人は少し苦笑した。
「なんで疑問形なんですか」
都子は笑っていた。
「でも、ちょっと安心した」
今度は、からかうような口調ではなかった。
結人は横を見る。
都子は前を向いたまま歩いている。
「前は、一人暮らしも始まったばかりだったし、いろいろ気になってたけどね」
「……」
「今はまあ……」
都子は結人の顔を改めて見て言う。
「結人なりにちゃんとやってるみたいだから」
結人はすぐには返事をしなかった。
都子は以前から、必要以上に踏み込んではこない。
けれど、会えば食事のことを聞く。
両親が帰国するか気にする。
バイト先にも来てくれた。
そして今も、こうして少し安心したと言っている。
『本当に、気にしてくれてるんだな』
分かっていたはずだった。
それでも改めて感じる。
「ありがとうございます」
結人が言うと、都子がこちらを見る。
「何で急にお礼?」
「心配してくれてたので」
「ああ」
都子は少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「親戚なんだから、そのくらいはするでしょ」
「そういうものですか?」
「そういうもの」
少し間が空く。
そのまま駅へ向かって歩く。
「でも」
都子がまた口を開いた。
「結人から女の子の話って、本当に聞いたことなかったよね」
「急に戻りますね」
「だって気になるじゃん」
「何がですか?」
「彼女とか」
「いませんよ」
「知ってる」
「何で知ってるんですか」
「いたら叔母さんが何か言いそうだから」
結人は少し考える。
否定しづらかった。
椿なら、結人に彼女ができたと知れば、確かに嬉しそうに誰かへ話すかもしれない。
「じゃあ今日、気になる子いた?」
「何でそうなるんですか」
「合コン行ったんでしょ?」
「人数合わせです」
「それは参加した理由でしょ」
都子は楽しそうだった。
結人は少し考える。
頭に浮かんだのは、日葵だった。
今日一番話した相手。
以前から顔を知っていた相手。
ただ、それだけだ。
「別にいません」
「本当に?」
「本当です」
「ふーん」
「何ですか、その反応」
「いや。結人ってそういうの分かりにくそうだなって」
「何がですか?」
「自分が気になってるとか」
結人は少しだけ黙った。
「そういう相手ができたら考えます」
「はいはい」
「信じてないですよね」
「信じてるよ」
明らかに面白がっている。
それでも、不快ではなかった。
以前なら、こういう話題を向けられるだけで、もう少し居心地が悪かったかもしれない。
今も少し困る。
でも、それだけだった。
駅前の明かりが近づいてくる。
人の流れも増えていた。
「そういえば」
都子が言う。
「二次会とか行かなかったの?」
「自分は帰ってきました」
「へえ。そこは結人らしい」
「どういう意味ですか?」
「無理して最後まで付き合わなさそう」
「今日はもう十分かなって思っただけです」
「楽しくなかった?」
「いや」
結人は少し考える。
「思ってたより楽しかったです」
都子が少し目を丸くする。
それから、ゆっくり笑った。
「そっか」
その反応が少し意外で、結人は都子を見た。
「何ですか?」
「何でもない」
「またそれですか……」
「いいじゃん」
都子は少しだけ歩調を緩めた。
「楽しめたなら、それで」
結人は返事をしなかった。
でも、その言葉は素直に受け取れた。
駅前まで来る。
以前と同じように、ここから使う改札が分かれる。
「結人、こっちだよね」
「はい。都子さんは反対ですよね」
「うん」
都子は立ち止まる。
「じゃあ、帰り気をつけて」
「都子さんも」
「あと……」
「何ですか」
「合コン行ったこと、叔母さんには黙っておいてあげる」
「別に言ってもいいですけど」
「本当に?」
「何で自分が困る前提なんですか」
都子が笑う。
「じゃあ、今度会った時に話そうかな」
「好きにしてください」
「怒らない?」
「怒る理由ないですよ」
「それならよし」
都子は軽く手を振る。
「おやすみ、結人」
「おやすみなさい、都子さん」
都子は反対側の改札へ向かって歩いていった。
結人はその背中を少しだけ見送る。
以前、この駅で別れた時にも、似たことを思った。
近くに住んでいる親戚。
見張り役ではない。
保護者でもない。
それでも、少しだけ自分を気にしている人。
その距離感を、前よりは素直に受け取れるようになっている気がした。
結人は改札を通った。
☆☆☆☆☆
電車に乗り、自宅へ戻る。
部屋へ入り、照明をつける。
着替えてからベッドへ腰を下ろし、スマートフォンを見ると、今日作られたグループチャットにいくつか通知が届いていた。
「今日はありがとうございました!」
「楽しかったです」
「また機会あったら行きましょう」
そんなメッセージが並んでいる。
結人は画面を下へ送る。
日葵からも、
「今日はありがとうございました。楽しかったです!」
と送られていた。
全員に向けたメッセージだ。
結人はしばらく画面を見てから、自分も文字を打った。
「今日はありがとうございました。自分も楽しかったです」
送信する。
それだけだった。
個別に誰かへ連絡する理由も、今のところはない。
スマートフォンを枕元へ置く。
今日一日を思い返す。
数日前まで予定にもなかった合コン。
知らない人たちと食事をした。
七海日葵と再び会った。
名前を知ってもらった。
同じグループにも加わった。
帰りには都子と偶然会った。
そして、少しからかわれた。
どれも、大きな出来事ではない。
明日になれば、またいつもの生活が始まる。
今日知り合った人たちと、この先どれくらい関わるのかも分からない。
日葵と次にいつ話すのかも分からない。
それでも。
『来てよかったかもな』
そう思えた。
少し前まで、自分がこういう場所へ行くとは思っていなかった。
けれど今日は、知らない人たちと普通に話し、笑うことができた。
何か特別なことをしたわけではない。
こういう時間が少しずつ増えていくのなら、それは悪くないことなのかもしれない。
結人は照明を消した。
昨日まで知らなかった時間が、今日の自分には増えていた。
それがこの先、何に繋がっていくのか。
今の結人には、まだ分からなかった。
今日ハロウィンなのですね。
あんまりそういったイベントを自分で楽しむタイプではないので、忘れてました。
皆様は良いハロウィンをお過ごしください。