週明けの大学は、いつもと変わらない賑わいを見せていた。
講義開始までにはまだ少し時間がある。
結人が教室へ入ると、すでに渉と修司が席についていた。
「お、結人」
渉が顔を上げる。
「おはよう」
「おはよ。……で?」
「何?」
結人が鞄を置くと、渉は待っていたと言わんばかりに身を乗り出した。
「どうだったんだよ」
「何が?」
「合コン!」
思ったより大きな声だった。
近くにいた学生が一瞬こちらを見る。
「声大きい……」
修司が横から言った。
「悪い悪い」
渉は少し声を落とす。
「で、どうだった?」
結人は椅子に座りながら、少し考えた。
「普通だったよ」
「……普通?」
「うん」
「それだけ?」
「それだけって言われても……」
渉は納得していない様子だった。
「お前、初めてだったんだろ? もっと何かあるだろ」
「何かって?」
「盛り上がったとか、可愛い子いたとか、連絡先交換したとか」
「普通に話したし、グループも作ったよ」
「おお!」
渉が大げさに反応する。
「やるじゃん!」
「何が?」
「いや、何か大学生っぽい!」
「元から大学生だけど」
修司が小さく笑った。
「渉、結人が何しに行ったと思ってたんだよ」
「そりゃ、合コンだろ!」
「だったら普通に食事して話すだけでもおかしくないだろ」
「それはそうだけどさあ」
渉は少し不満そうに口を尖らせる。
「オレが行けなかった分、何か面白い話を期待してたんだよ」
「それは知らないよ」
結人が答えると、修司がまた笑った。
そこへ、颯が教室に入ってきた。
「おはよう」
「お、ちょうどいいところに!」
渉が手を上げる。
颯は足を止めた。
「何?」
「この前の合コン、どうだったんだよ」
「ああ、その話?」
颯は結人の顔を見る。
「もう聞いてたんだ」
「結人が普通だったとしか言わないんだよ」
「実際、普通だったからね」
結人が言うと、颯は笑った。
「まあ、変なことはなかったよね」
「ほら!」
「でも、普通に盛り上がってたと思うよ」
颯は空いている席へ鞄を置いた。
「結人も思ったより話してたし」
「そう?」
「うん。最初はちょっと緊張してたみたいだけど」
「それはしてたよ」
知らない人が多かったのだから、当然だった。
ただ、時間が経つにつれて気にならなくなっていた。
「途中から結構自然だったよ」
颯はそう言って頷く。
「誘った側としては安心した」
「そんなに心配してたの?」
「そりゃ多少はね。無理に来てもらったわけじゃないけど、結人が嫌な思いしてたら申し訳ないし」
結人は少し意外に思った。
颯はいつも軽い調子で話す。
今回の誘いも、人数が足りないからという単純なものだった。
もちろん悪い意味ではない。
けれど、誘った後のことまで考えていたとは思わなかった。
「別に大丈夫だったよ」
結人が答える。
「むしろ、思ってたより楽しかったし」
「おお?」
渉が反応した。
「今、楽しかったって言った?」
「言ったけど」
「それを最初に言えよ!」
「最初から聞かれてたのは感想でしょ」
「だから、その感想!」
修司が肩を揺らして笑った。
颯も少し嬉しそうだった。
「じゃあ、また機会があったら誘ってもいい?」
結人は少し考えた。
以前なら、同じことを言われても断っていただろう。
今回だって、最初は乗り気だったわけではない。
それでも、参加してみて嫌なことはなかった。
「予定が合えば、かな」
颯が少し目を丸くした。
「本当に?」
「毎回は困るけど」
「ああ、それはもちろん」
渉が横から口を挟む。
「次はオレも呼んでくれよ!」
「渉は前回も誘ったじゃん」
「仕事だったんだよ!」
「じゃあ次は予定空けといて」
「任せろ!」
修司が呆れたように笑う。
「次があるかも分からないのに」
「そこは気持ちの問題だろ」
そんな話をしているうちに、教室へ学生が増え始めた。
颯も時計を確認し、鞄から講義の資料を取り出す。
話題はそこで自然に終わった。
結人もノートを開く。
いつもと変わらない講義が始まろうとしていた。
☆☆☆☆☆
午後の講義が終わると、結人は一人で教室を出た。
渉は別の友人と約束があるらしく、修司もバイトがあると言って先に帰った。
颯も講義が終わるとスマートフォンを確認し、別の予定があると言って教室を出ていった。
結人には、まだ少し時間があった。
今日はバイトも入っていない。
このまま帰ってもよかったが、講義で出された課題のことが気になっていた。
『図書館寄っていこうかな』
必要な資料を探してから帰ることにする。
廊下を歩きながら、結人は午前中の会話を思い返していた。
合コンに参加したことを、渉はずいぶん面白がっていた。
颯も少し意外そうだった。
ただ、二人とも結人が参加したこと自体を特別な出来事のように扱っているわけではない。
珍しがってはいた。
それでも、最後にはいつもの会話へ戻っていた。
『まあ、そんなものか』
自分にとっては初めての経験だった。
けれど、ほかの人にとっては、それほど珍しいことではないのかもしれない。
そう思うと、少しだけ気が楽になった。
日葵のことも思い出す。
秋桜祭では、準備をしている彼女と少し話しただけだった。
その後、ステージに立つ姿を見た。
そして今度は合コンで、同じテーブルを囲んだ。
同じ相手なのに、会う場所が違えば印象も少し変わる。
秋桜祭で見た日葵は、何となく自分とは違う場所にいる人のように感じられた。
けれど実際には、彼女も友人に頼まれて人数合わせで参加した一人だった。
合コンが初めてで、少し緊張していた。
そんな話を聞けば、遠く感じていた相手も普通の大学生なのだと分かる。
『話してみないと分からないことって、あるんだな』
当然のことだった。
けれど、最近になって少しずつ実感する機会が増えている気がした。
結人は図書館の入口へ向かった。
☆☆☆☆☆
図書館の中は静かだった。
講義の合間なのか、資料を広げている学生が何人かいる。
結人は検索用の端末で必要な本を調べ、書架へ向かった。
経済学の課題に使えそうな資料を何冊か確認する。
一冊を取り出し、目次を開いた。
『これなら使えそうかな』
ほかにも関連する本がないか確認するため、隣の書架へ移動する。
その途中だった。
少し先に、見覚えのある女子学生が立っていた。
長い黒髪。
手には何冊かの本を抱えている。
一瞬、誰だったか思い出せなかった。
けれど、横顔を見て気づく。
『あれ、水無月さん……?』
秋桜祭の時、社会福祉学科の展示で説明をしてくれた女子学生。
水無月真白だった。
結人は足を止めかけた。
ただ、わざわざ声をかけるほどの関係でもない。
向こうは展示で多くの人に説明していただろうし、自分のことを覚えているとも限らなかった。
そのまま別の書架へ向かおうとした時、ふと顔を上げた真白と目が合った。
『あ……』
一瞬、どうすればいいのか迷う。
気づかなかったふりをするのも不自然な気がして、結人は軽く会釈した。
すると、真白も少し遅れて頭を下げた。
ただ、その表情にはどこか戸惑いがあった。
結人はそれ以上何もせず、再び本へ視線を戻そうとした。
「あの……」
声がした。
顔を上げると、真白が手にしていた本を閉じ、こちらへ歩いてくるところだった。
「あ、はい」
真白は少し迷うような表情を浮かべていた。
「あの、すみません」
「はい」
「さっき会釈してくださったので、もしかして以前どこかでお会いしたのかなと思って……」
結人は少し驚いた。
まさか向こうから声をかけられるとは思っていなかった。
「えっと、秋桜祭で……」
「あ」
真白が小さく声を上げる。
「もしかして、社会福祉学科の展示ですか?」
「はい。少し説明していただいたことがあって」
「ああ、そうだったんですね」
真白は安心したように笑った。
「何となく見覚えがあったんですけど、どこでお会いしたのか思い出せなくて」
「いえ、たくさん人が来てましたし」
「そうなんです。だから、勘違いだったらどうしようかと思って」
真白は少し照れくさそうに笑った。
「急に声をかけてすみません」
「いえ、大丈夫です」
結人も小さく笑った。
「展示、見に来てくださってありがとうございました」
「こちらこそ、いろいろ教えてもらって」
結人は軽く頭を下げた。
そこで会話が終わっても、おかしくはなかった。
けれど、結人には一つ、印象に残っていることがあった。
「あの時、説明してもらったことで、ちょっと覚えてる話があって」
「そうなんですか?」
真白が少し興味を示した。
「設備とかを作る時、使う人の意見を聞くのが大事だっていう話です」
「ああ……」
真白は少し考えてから頷いた。
「実際に利用する方への聞き取りの話ですね」
「はい。それです」
「覚えててくださったんですね」
真白は少し驚いたようだった。
「何となく、印象に残ってて」
「嬉しいです」
その言葉は、自然に出てきたようだった。
「秋桜祭の展示って、見に来ていただいても、その場だけで終わることが多いので」
「そうなんですか?」
「もちろん、それでも十分なんですけど」
真白は少し笑う。
「説明した内容を覚えててもらえるのは、やっぱり嬉しいです」
結人は少しだけ照れくさくなった。
特別なことをしたつもりはなかった。
ただ、印象に残った話を覚えていただけだ。
「実際、難しいことだなって思ったので」
「難しい、ですか?」
「はい。相手のためになると思ってやったことが、必ずしもそうなるとは限らないって」
真白は少し考えてから頷いた。
「そうですね。でも、だからこそ聞くんだと思います」
「聞く?」
「はい。最初から全部分かるわけではないので」
真白は抱えていた本を少し持ち直した。
「聞いても間違えることはありますけど、聞かずに決めつけるよりはいいかなって」
結人はその言葉を聞きながら、以前の展示を思い出していた。
『先に決めつけるより、聞いた方がいい』
あの時も、似た話を聞いた。
今度は展示の説明としてではなく、真白自身の考えとして聞いている気がした。
「確かに、そうですね」
結人が答える。
真白は少し笑った。
「すみません。何だかまた展示の説明みたいになっちゃいました」
「いえ、面白いです」
「本当ですか?」
「はい。自分の学科だと、あんまりそういう話を直接聞くことがないので」
「何学科なんですか?」
「経済学科です」
「あ、そうなんですね」
真白は少し意外そうだった。
「経済学科でも、こういうことって勉強するんですか?」
「内容によると思いますけど、直接はあまり」
結人は少し考えた。
「でも、何かを便利にしたり、効率よくしたりするっていう話なら、関係はありそうです」
「効率、ですか」
「はい。例えば、費用を減らしたり、同じ予算でできることを増やしたり」
真白は少し頷いた。
「なるほど」
「ただ、効率がいいからって、必ずしも使う人にとっていいとは限らないんですよね」
結人は秋桜祭の展示を思い出しながら続けた。
「そういう意味では、前に説明してもらった話と繋がるのかなって」
真白はすぐには答えなかった。
少し考えるように視線を下げる。
「……確かに」
やがて、ゆっくり頷いた。
「そういう見方もできますね」
「まあ、まだ一年なので詳しいわけじゃないですけど」
「私も一年です」
「あ、そうなんですね」
真白が笑う。
「同じですね」
結人も少し笑った。
同じ大学の一年生。
学科は違う。
それでも、今こうして話している。
考えてみれば不思議なことでもなかった。
「あ、そういえば」
真白が思い出したように言った。
「まだお名前聞いてませんでしたね」
「ああ、そうでした」
結人は少し姿勢を正す。
「経済学科一年の二間結人です」
「二間結人さん」
真白が繰り返した。
「私は社会福祉学科一年の水無月真白です。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
改めて名乗ると、少しだけ妙な感じがした。
真白が手元の本を見る。
「私、今日は秋桜祭の展示で扱った内容に関連する資料を探してたんです」
「まだ何かやってるんですか?」
「はい。授業の課題で、展示の時に調べたことをもう少し整理することになってて」
「そうなんですね」
「地域の施設について調べた資料があるんですけど、もう少し別の視点からも考えた方がいいのかなって」
真白は少し考える。
「さっきの効率の話、ちょっと参考になりました」
「そうですか?」
「はい。私たち、どうしても利用する人の立場から考えることが多いので」
「それは大事なことだと思いますけど」
「もちろんです。でも、それだけじゃ実際に設備を整えるのは難しいですから」
真白は本の背表紙に目を落とした。
「予算とか、管理する側の事情とか。そういうことも考えないといけないんですよね」
結人は頷いた。
「そうですね」
「経済学科の授業でも、そういう話が出たりするんですか?」
「今のところは基本的なことが多いですけど、関連する話はあります」
「そうなんですね」
真白は少し笑った。
「何だか、聞いてみたいことが増えちゃいました」
「自分で答えられるかは分からないですけど」
「それは私も同じです」
少し間を置いて、真白が続ける。
「でも、違う学科の人の話を聞くのも面白いですね」
結人は頷いた。
確かにそうだった。
同じ大学にいても、学ぶことはずいぶん違う。
そもそも結人が経済学科を選んだのは、前世とは違う分野を学んでみようと思ったからだった。
経済学に特別な思い入れがあったわけでも、将来やりたいことが決まっていたわけでもない。
もちろん、今学んでいることが面白くないわけではなかった。
けれど、真白の話を聞いていると、少し違うものを感じる。
秋桜祭の展示についても、今日の資料探しについても、ただ授業の課題だから取り組んでいるというだけではないように思えた。
『水無月さんは、何かやりたいことがあるのかな』
そう考えた。
もっとも、実際のところは分からない。
社会福祉という分野に興味があるだけなのかもしれないし、何か目指しているものがあるのかもしれない。
わざわざ聞くほどのことでもなかった。
ただ、自分とは少し違う気持ちで大学に通っているのかもしれない。
そんな印象が残った。
真白は壁に掛けられた時計を見る。
「あ、もうこんな時間」
「何か予定ですか?」
「はい。このあと友達と待ち合わせてて」
「そうなんですね」
「すみません。長く話しちゃって」
「いえ、自分も勉強になりました」
「私も、普段聞けない話が聞けてよかったです」
真白はそう言って、小さく頭を下げた。
「じゃあ、失礼します。二間さん」
「はい。水無月さんも」
真白は本を抱え直し、図書館の出口へ向かって歩いていった。
結人はその背中を少しだけ見送った。
経済学と社会福祉。
普段あまり接点のない分野でも、考え方が重なる部分はあるらしい。
『こういう話も、面白いな』
自分とは違う分野を学ぶ学生と、こうして話す機会はこれまでほとんどなかった。
結人は手元の本を見た。
自分も課題の資料を探しに来たのだった。
少し予定より時間が経っていた。
それでも、無駄な時間だったとは思わなかった。
結人は再び書架へ向かった。
☆☆☆☆☆
それから二日後。
午後の講義を終えた結人は、大学を出て駅へ向かっていた。
今日は夕方からライブハウスのバイトが入っている。
開始時間まではまだ余裕があるが、早めに向かった方が落ち着く。
『今日は何のイベントだったっけ』
結人はスマートフォンで予定を確認した。
出演するバンドの名前と、開場時間。
担当する仕事も、事前に連絡が来ている。
以前と比べれば、仕事の流れもだいぶ分かるようになっていた。
もちろん、まだ覚えることは多い。
それでも、バイトへ向かうこと自体に必要以上の緊張はなくなっていた。
スマートフォンをしまい、駅へ向かう。
その途中だった。
「……あれ、二間くん?」
不意に名前を呼ばれた。
顔を上げる。
少し先に、見覚えのある女子学生が立っていた。
「七海さん?」
七海日葵だった。
肩に鞄を掛け、片手にはスマートフォンを持っている。
日葵は結人の顔を見ると、少し笑った。
「やっぱり! こんにちは」
「こんにちは。偶然だね」
「ですね。こんなところで会うとは思いませんでした」
結人も少し笑った。
先日の合コン以来だった。
グループチャットでは名前を見かけていたが、直接話すのはあの日以来になる。
「二間くん、今帰りですか?」
日葵が聞く。
「大学は終わったけど、これからバイトなんだ」
「あ、そうなんですね。お疲れさまです」
「七海さんは?」
「わたしは今日はもう終わりです。ちょっと寄り道してから帰ろうかなって」
「そうなんだ」
そこで一度、会話が途切れる。
けれど、不思議と気まずくはなかった。
先日の合コンで話したからだろうか。
秋桜祭の時より、言葉を交わしやすくなっている気がした。
「あ、そうだ」
日葵が思い出したように言う。
「この前はありがとうございました」
「こちらこそ」
「楽しかったですね」
「うん。思ってたより」
日葵が笑った。
「またそれですね」
「実際そうだったから」
「わたしもですけど」
二人で少し笑う。
「そういえば」
結人が聞いた。
「七海さん、あのあと二次会行ったの?」
日葵は小さく首を横に振った。
「行ってないです」
「あ、そうなんだ」
「はい。わたしも帰りました」
「そうだったんだ」
「二間くん、結構早く帰りましたよね」
「うん。今日はもういいかなって思って」
「わたしも似たような感じでした」
日葵は少し肩をすくめる。
「楽しかったんですけど、初めての人も多かったので」
「ああ」
「二時間で結構お腹いっぱいでした」
「分かるかも」
結人は頷いた。
楽しくなかったわけではない。
けれど、慣れない人たちと長い時間を過ごすのは、それなりに気を使う。
「それに……」
日葵が少し笑った。
「友達の付き添いみたいな感じでしたし」
「そう言ってたね」
「はい。だから、一次会で十分かなって」
「自分も人数合わせだったしね」
「二人とも、頼まれて参加したんですよね」
「そうだね」
二人は少し笑った。
結人はそこで、日葵も二次会には参加しなかったのだと知った。
先に帰った時には、彼女がどうするのかまでは聞かなかった。
「そういえば、二間くん」
日葵が思い出したように口を開いた。
「さっきバイトって言ってましたよね」
「うん」
「ライブハウスでしたっけ?」
「そうだよ」
「あ、やっぱり。合コンの時に少し話してましたよね」
日葵は少し興味を示した。
「ライブハウスって、どんなところなんですか?」
「どんなところって?」
「わたし、あんまり行ったことなくて」
「ああ」
結人は少し考える。
「店にもよると思うけど、自分が働いてるところは、そこまで大きくないよ」
「そうなんですね」
「ステージと客席が近くて、結構音が大きい」
「へえ」
「バンドによって雰囲気も違うし」
「やっぱり、ロックとかが多いんですか?」
「多いけど、それだけじゃないかな」
結人は以前のイベントを思い返した。
出演する人によって音楽の種類も違う。
客層も変わる。
同じ場所なのに、日によってまったく違う雰囲気になることもある。
「自分も働き始めるまで、あんまり詳しくなかったけど」
「そうなんですか?」
「うん。今も勉強中」
日葵が小さく笑った。
「何か意外です」
「何が?」
「ライブハウスで働いてるって聞いたから、すごく音楽に詳しいのかなって」
「そんなことないよ」
結人は少し苦笑する。
「詳しい人もいるけど、自分はまだまだ」
「へえ」
日葵は少し考える。
「でも、面白そうですね」
「そう?」
「はい。普通にお客さんとして行くのと、働くのとじゃ全然違いそうですし」
「それは違うかも」
結人は頷いた。
仕事中は、ステージばかり見ているわけではない。
受付やドリンクの対応。
客の案内。
片付け。
出演者やスタッフとのやり取り。
思っていた以上に、やることは多い。
「意外と裏方の仕事が多いかな」
「そうなんですね」
「まあ、ライブを見られる時間もあるけど」
日葵は少し笑った。
「何か、行ってみたくなりました」
結人は日葵を見る。
「ライブハウス?」
「はい。前に友達と、今度行ってみたいねって話してたんです」
「ああ、そうなんだ」
「でも、何かちょっと入りづらいイメージがあって」
「それは分かるかも」
結人自身、最初にバイト先へ行った時は少し緊張していた。
慣れない場所というだけで、何となく身構えてしまう。
「初めてなら、好きな音楽に近いイベントの日がいいと思う」
「なるほど……」
「雰囲気も結構違うから」
日葵は頷いた。
「じゃあ、ちょっと調べてみようかな」
「うん。予定とかは公式の案内に出てると思う」
「ありがとうございます」
そう言ってから、日葵は少し首を傾げた。
「そういえば、二間くんが働いてるところって、名前聞いてましたっけ?」
「いや、まだ言ってなかったかも」
結人はバイト先の名前を伝えた。
日葵がスマートフォンへ入力する。
「あ、出てきました」
「そこ」
「本当だ。いろいろイベントやってるんですね」
「うん」
日葵は画面を少し眺めた。
「今度友達にも教えてみます」
「興味あるイベントがあればいいね」
「はい」
日葵は顔を上げる。
「もし行くことになったら、二間くんが働いてる日かもしれませんね」
「そうかも」
結人は少し笑った。
「その時は、気にせず楽しんでくれれば」
「はい」
日葵も笑う。
「でも、働いてるところ見られるのって、ちょっと恥ずかしくないですか?」
「……多少は」
結人が答えると、日葵は楽しそうに笑った。
「やっぱり」
「そんなに見られることないからね」
「じゃあ、行った時はあんまりじろじろ見ないようにします」
「お願いします」
二人で笑った。
結人はそこで時計を見る。
まだ時間には余裕がある。
けれど、そろそろ駅へ向かった方がよさそうだった。
「あ、そろそろ行かないと」
結人が言う。
日葵も時計を確認した。
「バイトですよね」
「うん」
「引き止めちゃってすみません」
「いや、大丈夫。まだ余裕あるから」
「よかった」
日葵は少し笑う。
「じゃあ、お仕事頑張ってください」
「ありがとう」
結人も軽く手を上げた。
「七海さんも、気をつけて」
「はい。また大学で」
「うん。また」
日葵は軽く手を振り、反対方向へ歩いていった。
結人も駅へ向かう。
歩きながら、先ほどの会話を少しだけ思い返した。
日葵はライブハウスに興味を持っているらしい。
実際に来るかどうかは分からない。
何となく話しただけかもしれない。
『七海さんがバイト先に来るのか……』
想像してみる。
少しだけ不思議な気がした。
秋桜祭では、準備をしているところに偶然出会った。
そして合コンで再会し、今度はバイト先の話をしている。
同じ大学に通っていても、少し前までは名前すら知らなかった相手だ。
『何がきっかけになるか分からないな』
そんなことを考えているうちに、駅が見えてきた。
結人は改札を抜け、ホームへ向かう。
ちょうど、電車の到着を知らせる案内が流れた。
結人は少しだけ足を速めた。
どんどん寒くなってますね。
先日久々に体調を崩したので、また崩さないように気を付けます