それから数日後。
昼休みになっても、窓の外では雨が降り続いていた。
「今日も雨か」
大輔が自分の席から窓の外を眺める。
「梅雨だからね」
近くにいた瑞葉が答えた。
「林間学校の日くらいは晴れてほしいよな」
「それは俺も同感だよ」
雨天時は館内活動へ変更されるが、せっかく山まで行くなら、予定どおり外で活動したい。
「叶多君、大輔君、瑞葉」
後ろから呼ばれ、俺たちは振り返った。
千夏が、七瀬さんと神崎さんを連れてこちらへ歩いてくる。
「今から食堂行くんだけど、一緒に食べよ」
「ああ。俺たちも行くところだった」
「じゃあ決まりね」
千夏は慣れた調子でそう言った。
最近は、昼休みになるとこうして一緒に食堂へ向かうことが増えている。
俺たちにとっては、すでに珍しいことではなかった。
「今日、期間限定のステーキ定食があるらしいよ」
七瀬さんが淡々と付け加える。
「ステーキ?」
大輔が勢いよく振り返った。
「うん。数量限定だって」
「それを早く言ってくれよ。売り切れる前に行こうぜ」
「まだ昼休みになったばかりだろ」
「限定を甘く見るな、叶多」
「廊下を走るなよ」
「分かってる。早歩きだ」
「大して変わらないじゃん」
千夏が笑う。
「水瀬君は?」
神崎さんが教室内を見回した。
「先生に呼ばれてたよ。あとから食堂に来るって」
瑞葉が答える。
「じゃあ、席を取っておかないとね」
「今日は雨だし、混んでそう」
千夏の言葉に、俺たちは教室を出た。
教室を出るとき、近くにいた男子たちがこちらへ視線を向けていたが、特に声をかけられることはなかった。
食堂へ着くと、予想どおり入口付近から多くの生徒で混み合っていた。
中庭や外のベンチが使えないため、普段は外で昼食を取る生徒たちも集まっているらしい。
「うわ、やっぱり混んでる」
千夏が食堂内を見渡す。
「先に席を取った方がよさそうね」
神崎さんが言った。
「七人で座れるところ、あるかな」
瑞葉も空席を探すように視線を巡らせる。
「奥の方、少し空いてる」
七瀬さんが食堂の奥を指した。
「じゃあ、行ってみよう」
俺たちは人の間を縫うようにして奥へ進んだ。
ちょうど食事を終えた生徒たちが席を立ち、七人で座れそうな長机が空く。
「ここなら全員座れそうだね」
千夏が鞄を椅子へ置いた。
俺たちもそれぞれ荷物を置き、直樹の分の席も確保する。
「ここあ、席を見ててもらっていい?」
「うん」
七瀬さんは素直に椅子へ腰を下ろした。
「ステーキは私が買ってくるから」
「お願い」
「お金はあとでね」
「分かってる」
七瀬さんは自分のスマートフォンを軽く持ち上げる。
「俺は弁当だから、ここに残るよ」
「じゃあ、叶多君も席お願い」
「ああ。直樹が来たら、ここだって伝えておく」
「俺たちは限定ステーキを確保しに行くぞ」
大輔が券売機の方へ身体を向ける。
「大輔君、私たちを置いて先に行かないでよ」
「急がないと売り切れるかもしれないだろ」
「まだあるって」
「その油断が命取りになるんだよ」
「ただの昼食でしょ?」
瑞葉が苦笑する。
千夏たちと大輔が注文へ向かい、俺は七瀬さんと一緒に席へ残った。
俺は鞄から弁当箱を取り出し、机の上へ置く。
七瀬さんは券売機の列を眺めていた。
「大輔君、すごく楽しみにしてるね」
「肉と限定って言葉が揃ってるからな」
「分かりやすい」
「七瀬さんもステーキにしたんだろ?」
「うん。せっかくだから」
「千夏たちの分も残ってるといいな」
「もう列に並んでるから、たぶん大丈夫」
いつも通り淡々とした口調だったが、ステーキを楽しみにしていることは伝わってくる。
しばらくすると、ステーキ定食を載せたトレーを持つ生徒が近くを通り過ぎた。
大きめの皿には、食べやすく切られた肉と付け合わせの野菜が盛られている。
温かいソースの香りが、こちらまで漂ってきた。
「おいしそうだな」
「うん」
七瀬さんが通り過ぎる皿を目で追う。
そのとき、食堂の入口から直樹が入ってきた。
周囲を見回したあと、こちらに気づいて軽く手を上げる。
「遅くなってごめん」
「先生の用事は終わったのか?」
「うん。委員会の書類について確認されただけだよ」
直樹は空いている椅子へ鞄を置いた。
「みんなは?」
「期間限定のステーキ定食を買いに行ってる」
「教室でも話題になってたね」
「数量限定らしいぞ」
「まだ残っているかな」
「さっき並びに行ったばかりだし、たぶん大丈夫だと思う」
「じゃあ、僕も行ってくるよ」
直樹が券売機へ向かう。
入れ替わるように、千夏たちがトレーを持って戻ってきた。
「まだ残ってたよ」
千夏のトレーには、ステーキと白いご飯、スープが載っている。
神崎さんと瑞葉も同じものを選んだらしい。
大輔は満面の笑みを浮かべながら、自分のトレーを机へ置いた。
「見ろ、叶多。限定ステーキだ」
「おお、ちゃんと買えたんだな。思ってたより豪華じゃないか」
「だろ?」
大輔は満足そうに笑った。
「列に並んでる間も、ずっと楽しみにしてたよ」
「大輔君、ステーキのことしか話してなかったからね」
千夏が七瀬さんの前へトレーを置いた。
「はい、ここあの分」
「ありがとう」
七瀬さんはすぐにスマートフォンを操作し、千夏へ代金を送った。
「送ったよ」
「早いじゃん」
「忘れないうちに払った方がいいから」
「ちゃんとしてるなら、自分で並べばよかったのに」
「席を守る人も必要だったでしょ」
「それはそうだけど」
神崎さんが二人のやり取りを見ながら腰を下ろす。
「冷める前に食べましょう」
全員が席へ着き始めたところで、直樹も料理を受け取って戻ってきた。
「水瀬君もステーキにしたのね」
神崎さんが直樹のトレーへ目を向ける。
「うん。まだ残っていてよかったよ」
「限定だもの。せっかくなら食べてみたいわよね」
「神崎さんも同じなんだね」
「ええ」
神崎さんはわずかに表情を和らげた。
直樹が空いていた席へ座り、これで全員が揃った。
「じゃあ、食べようか」
瑞葉の言葉に合わせ、俺たちはそれぞれ箸を取る。
大輔は待ちきれない様子でステーキを一切れ口へ運んだ。
「うまい!」
「声大きいって」
千夏が笑う。
「いや、これは声出るだろ。思ってたより柔らかいぞ」
「大輔君、おいしそうに食べるね」
瑞葉が楽しそうに笑う。
「期待してたよりうまいな」
「大輔君、今日いちばん生き生きしてる」
七瀬さんが淡々と口を挟む。
「七瀬さんはどう?」
「おいしい。並ばなくて済んだ分、さらにおいしい」
「それ、味と関係ないじゃん」
千夏が呆れたように返した。
俺も弁当箱の蓋を開ける。
今日は鶏そぼろ、炒り卵、絹さやを載せた三色そぼろ丼に、きんぴらごぼうと浅漬けを添えてきた。
瑞葉がこちらを覗き込む。
「三色そぼろ丼?」
「ああ。今日は簡単に済ませたんだ」
「これで簡単なんだ……」
千夏まで身を乗り出した。
「鶏そぼろも自分で作ったの?」
「もちろん。鶏そぼろは作り置きしてあったから、朝は炒り卵と絹さやを用意して詰めただけだよ」
「その『だけ』の基準がおかしいって」
神崎さんも俺の弁当へ視線を向ける。
「三色がきれいに分かれていて、見た目もいいわね」
「ありがとう」
「味もいいんだよ」
大輔が、なぜか得意そうに言った。
「大輔が自慢することじゃないだろ」
「でも、本当のことだろ。何回かおかずもらったけど、毎回うまかったし」
「私も何度かもらってるけど、本当においしいよ」
千夏もそう続ける。
「僕も同感だよ」
直樹が頷き、瑞葉も小さく笑った。
「叶多君のお弁当、どれもおいしいからね」
「そこまで言われると、少し気になるわね」
「里穂も今度もらえば?」
「叶多君がいいと言うなら、いただいてみたいわ」
「もちろん。気になるものがあれば言ってくれ」
「今度、また何か作ってよ」
千夏が軽い調子で言う。
「いいよ。何が食べたい?」
「本当に?」
「ああ。何人分か作るくらいなら大した手間じゃないからな」
「さすが叶多君。話が早い」
「でも、学校に持ってくるなら弁当に入れやすいものにしてくれよ」
「じゃあ、何がいいかな」
千夏が楽しそうに考え始める。
「水瀬君は、どんな料理が好きなの?」
神崎さんが何気ない調子で尋ねた。
「僕?」
「ほかに水瀬君はいないでしょう」
「そうだね。和食が好きかな」
「和食なんだ」
「うん。煮物や焼き物も好きだし、味噌汁があると落ち着くんだよね」
「水瀬君らしいわね」
神崎さんは少しだけ表情を和らげた。
「神崎さんは?」
瑞葉が尋ねる。
「私は洋食も好きだけど、和食もよく食べるわ」
「里穂、ラーメンも好きだよね」
千夏が横から口を挟む。
「別に隠してないけど、今言う必要あった?」
「意外性あっていいじゃん」
「ラーメンを食べるくらい、普通でしょう」
「何味が好きなの?」
大輔が尋ねる。
「味噌」
「俺は豚骨だな」
「俺も豚骨が好きだよ」
「お、叶多も分かってるじゃん」
「何をだよ」
「豚骨の良さを」
「大げさだな」
千夏が笑う。
そのまま好きな店や駅前のラーメン屋の話になり、会話は放課後の過ごし方へ広がっていった。
「みんな、放課後ってどこか寄ったりする?」
千夏が俺たちを見回した。
「私は本屋に寄ることがあるかな。あとは雑貨屋を見たり」
瑞葉が答える。
「瑞葉らしいね」
「千夏たちは?」
「駅前で服を見たり、気になる店に寄ったりかな」
「新しい店ができると、千夏はすぐ行きたがるからね」
神崎さんが言う。
「気になるじゃん。里穂だって普通についてくるでしょ?」
「毎回ではないわ」
「でも、限定って書いてあると弱いよね」
七瀬さんが淡々と付け加える。
「ここあに言われたくないんだけど。今日も限定ステーキ頼んでるじゃん」
「おいしそうだったから」
「理由が素直だな」
大輔が笑う。
「大輔君は?」
「俺はゲームセンターとか本屋だな」
「本屋に行くんだ」
千夏が意外そうに目を瞬く。
「漫画を買いに行くんだよ」
「やっぱり」
「その反応、何だよ」
「大輔君が参考書を選んでる姿は想像できないから」
「俺だって必要なら買うぞ」
「必要になってからじゃ遅くない?」
瑞葉が苦笑する。
「直樹は部活だろ?」
「ああ。部活がある日は、そのまま体育館へ行くよ。休みの日は駅前の本屋に寄ることもあるけどね」
「バスケ部だもんね」
瑞葉が言う。
「練習が長引く日は、ほとんど寄り道できないけどね」
「水瀬君は毎日忙しそうね」
神崎さんが言う。
「もう慣れたよ」
「叶多君は?」
千夏がこちらへ顔を向ける。
「バイトがある日は、生徒会が終わったあとそのまま店へ行くよ。ない日は買い物して帰ることが多いかな」
「買い物って、やっぱり食材?」
「ああ。夕飯や次の日の弁当に使うものを見て帰る」
「高校生の放課後って感じがしないね」
「そうか?」
「でも、叶多君らしいかも」
瑞葉が小さく笑う。
「バイトって、毎日あるの?」
「平日は火曜と木曜だけだよ。土曜日は長めに入ってるけど」
「じゃあ、放課後に誘っても来られない日があるんだ」
「前もって分かっていれば、店のシフト次第では調整できるよ」
「それなら、今度みんなで駅前に行かない?」
千夏が軽い調子で提案した。
「何をするんだ?」
「まだ決めてないけど、買い物したり、何か食べたり」
「ずいぶん大ざっぱだな」
「細かいことはあとで決めればいいじゃん」
「俺は絶対行く」
大輔が誰よりも早く手を挙げる。
「私は構わないわ」
神崎さんが先に答える。
「予定が合えば、私も行きたいな」
瑞葉も頷いた。
「僕も都合が合えば」
直樹も穏やかに頷いた。
「まだ日程も決まってないよ」
千夏が笑う。
「決まったら空ける」
大輔が即答した。
「その熱意を勉強にも向ければいいのに」
「こう見えて、ちゃんと勉強してるんだぞ。俺、十七位だからな」
「意外とできるよね」
「意外って、ひでえな」
大輔が不満そうに眉を寄せると、千夏が楽しそうに笑った。
「じゃあ、予定が決まったら連絡するね」
千夏がそう言ってから、不意に首を傾げた。
「というか、私たちってまだ全員で連絡先交換してなくない?」
「そういえば、そうだね」
瑞葉がスマートフォンを取り出す。
「学校で毎日会うから、あまり気にしてなかったな」
「でも、放課後に集まるなら交換しておいた方がいいでしょ」
「それはそうだな」
俺もポケットからスマートフォンを取り出した。
大輔と直樹の連絡先はすでに登録しているが、瑞葉たちとはまだ交換していない。
「じゃあ、グループ作るね」
千夏が手早く画面を操作する。
全員で端末を見せ合い、順番に連絡先を登録していく。
「全員入った?」
「入ったよ」
千夏の問いに答えると、すぐに新しいグループが画面へ表示された。
「名前どうする?」
「『聖凰いつメン』とかどうだ?」
大輔が得意げに提案する。
「そのまますぎない?」
「分かりやすくていいだろ」
「まあ、分かりやすいからいっか」
千夏がそのままグループ名を『聖凰いつメン』に変更した。
「よし。これでいつでも予定を決められるね」
千夏が満足そうにスマートフォンを置く。
その横で、大輔は自分の画面を見つめたまま固まっていた。
「どうした?」
俺が尋ねる。
「女子四人の連絡先が一気に増えた……」
大輔が感慨深そうにつぶやく。
「だってすごくないか? 入学してから一番の成果かもしれない」
「大げさだな」
「叶多だってうれしいだろ?」
「まあ、うれしくないとは言わないけど」
「ほら、同じじゃん」
「お前ほど顔に出してないだけだよ」
「いいだろ。素直に喜んでるんだから」
「別に隠さなくてもいいんじゃない?」
千夏が楽しそうに笑う。
「そうだね。喜んでもらえるなら、私もうれしいかな」
瑞葉も柔らかく微笑んだ。
「連絡先を交換しただけだけど、男子にとってはそれなりに大きなことなんでしょう?」
神崎さんの言葉に、大輔が大きく頷く。
「喜ばない男子なんていないだろ」
「まあね」
七瀬さんはスマートフォンへ目を落としたまま答えた。
「でも、画面を見つめすぎ」
「感動を噛み締めてるんだよ」
「そう」
七瀬さんは淡々としていたが、口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
そのとき、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
「もうこんな時間か」
「話してると早いね」
瑞葉の言葉に頷き、俺たちは残っていた昼食を食べ終える。
「放課後の予定が決まったら、グループに送るね」
千夏がスマートフォンを持ち上げた。
「ああ。バイトのない日なら参加できるよ」
「俺はいつでも空けるからな」
「大輔君は本当に楽しみなんだね」
「当たり前だろ」
大輔が迷いなく答えると、また小さな笑いが起こった。
俺たちはそれぞれ片付けを済ませ、七人揃って食堂を出た。
窓の向こうでは、相変わらず雨が降り続いていた。
けれど、教室へ戻る俺たちの足取りは、食堂へ来たときよりも少しだけ軽かった。