不老不死なら寿命を削る禁術も無限に使えるんじゃね? 作:正義のヒーローA
正義のヒーローとは、助けるべき人を助け、礼を言われる前に颯爽と去る存在である。
そう。
颯爽と、である。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
俺は廃ダンジョンの通路を、全力疾走で逃げていた。
颯爽?
いや、違う。
これは完全に逃走だった。
だって仕方ないじゃん!
人、斬れちゃったんだもん!
いや、禁術を使った時点で相手が死ぬことは分かっていた。
分かっていたけど、実際に目の前で人間が縦に真っ二つになると、普通に怖い。
俺は正義のヒーローになりたいのであって、血しぶきに慣れた殺戮マシーンになりたいわけではないのだ。
「おえっ……!」
曲がり角の陰に隠れたところで、俺は膝をつき、吐いた。
さっき〈絶死〉を三回使ったせいだろう。
寿命は削れない。
不老不死だからそこはノーカン。
だが、どうやら肉体的な反動は普通にあるらしい。
喉が焼ける。
肺が潰れたみたいに痛い。
全身の血が沸騰しているような気持ち悪さがある。
「くそ……禁術、便利だけど、普通にしんどいな……」
俺は仮面の隙間から垂れた血を袖で拭った。
石仮面も血まみれだ。
これで正義のヒーローはちょっと無理がある。
どちらかと言えば、呪われた殺人鬼側のビジュアルだった。
……いやいや。
見た目ではない。
大切なのは心だ。
困っている人を助けた。
それは紛れもなく正義のヒーローの行いである。
「よし、今回の俺、かなりヒーローだったのでは?」
俺は一人で頷きかけて――。
ふと、思い出した。
アリスちゃんの右手。
短剣が突き刺さっていた。
深く、ひどく、痛々しく。
俺は彼女を殺される寸前で助けた。
でも、彼女の右手はどうなった?
「……あれ?」
血の気が引いた。
命を助けた。
それで終わり。
それで本当にいいのか?
正義のヒーローとは、困っている人を助ける存在だ。
死にそうな人を死なせなかっただけで、「はい終わりでーす」と帰っていいのか?
いや、違う。
多分違う。
少なくとも、俺が憧れたヒーローはそんな中途半端な仕事はしない。
「ま、まあ、聖職者とか治癒魔術師とかいるし……貴族だし……大丈夫だよな?」
そう呟いてみる。
だが、どうにも胸の奥がざわざわした。
嫌な予感がした。
俺は仮面を外し、血を拭い、廃ダンジョンの裏口から外へ出た。
そして翌朝、何食わぬ顔で冒険者ギルドへ向かったのだった。
***
「アリス・エレクトリアの右手、もう剣は握れねぇらしいぞ」
ギルドに入ってすぐ、そんな声が聞こえた。
俺は足を止めた。
「昨日の件だろ? 〈銀の龍〉が壊滅したってやつ」
「ああ。ケンたちは謎の仮面男に殺されたらしい」
「怖ぇよなぁ」
「でもよ、アリスも助かったって言っても終わりだろ。右手の腱がぐちゃぐちゃで、しかも呪毒入りの短剣だったんだと」
「治癒魔術でも駄目なのか?」
「傷は塞がるらしい。でも、指がまともに動かねぇってよ」
「はっ。元から剣の才能なんてなかったんだ。ちょうどいいんじゃねぇの?」
ガタン、と音が鳴った。
俺が無意識に椅子を蹴っていた。
周囲の冒険者たちがこちらを見る。
俺は慌てて目を逸らした。
落ち着け。
落ち着け、俺。
ここで怒鳴っても意味はない。
今の俺は万年Eランク冒険者エル。
正体不明の仮面ヒーローではない。
そうだ。
俺がやるべきことは一つだ。
治す。
アリスちゃんの右手を治す。
だが、俺に治癒魔術の才能はない。
普通の魔術も剣術も大したことがない。
だから万年Eランクなのだ。
残念ながら、俺が「ふんっ!」と気合を入れたところで、折れた小枝一本治せやしない。
では、どうする?
決まっている。
「禁術だな」
俺は小さく呟いた。
寿命を削って相手を殺す禁術があるなら、寿命を削って相手を治す禁術もあるはずだ。
いや、あってくれ。
なかったら困る。
非常に困る。
俺はその足で闇市へ向かった。
***
「おい、またお前か」
薄暗い路地裏。
前に透明化の薬と石仮面をくれた露店商のオッサンは、俺の顔を見るなり嫌そうな顔をした。
「オッサン、治癒系の禁術って知らない?」
「帰れ」
「即答!?」
「お前みたいな厄ネタの塊にこれ以上関わりたくねぇんだよ。透明化の薬を飲んで不老不死になって、次は禁術だぁ? 世界に喧嘩売ってんのか?」
「売ってない。俺は人助けがしたいだけだ」
「一番タチ悪いんだよ、そういう善意の馬鹿は」
ひどい言われようだった。
だが、俺はめげない。
正義のヒーローたるもの、多少の暴言で心折れていてはやっていけないのだ。
「頼むよ。右手を怪我した子がいるんだ。剣が握れなくなるかもしれない」
「普通の治癒魔術師に頼め」
「呪毒らしい」
「……ああ、そりゃ面倒だな」
オッサンは舌打ちした。
そして、しばらく俺を睨んだ後、店の奥から一冊の薄汚れた写本を取り出した。
「治癒の禁術は、殺しの禁術よりずっと危ねぇ」
「そうなの?」
「当たり前だ。殺すだけなら命の糸を断てばいい。だが治すってのは、切れた糸を元通りに結び直す行為だ。下手すりゃ、治す相手の存在そのものを歪める」
「なるほど、全然分からん」
「胸張るな」
オッサンは写本を開いた。
そこには、気味の悪い魔法陣と、細かい文字がびっしり書かれていた。
「〈因果縫合〉」
「いんがほうごう?」
「傷が生まれた原因を、術者の寿命で縫い直す禁術だ。分かりやすく言えば、怪我を“なかったことに近づける”」
「おお! それだ! それください!」
「ただし、代償は重い。寿命だけじゃねぇ。相手が受けた痛みと損傷の一部が術者に返ってくる」
「ふむふむ」
「ふむふむ、じゃねぇよ。指を治せば、お前の指が裂ける。腕を治せば、お前の腕が潰れる。最悪、心臓が止まる」
「俺、不老不死だし」
「そういう問題じゃねぇんだよなぁ……」
オッサンは深くため息をついた。
「それに、この写本だけじゃ足りねぇ。発動式が欠けてる。完全な術式は帝都中央図書館の禁書庫にある」
「また禁書庫かぁ」
「行くなよ」
「行くよ」
「行くなって言ってんだよ!」
「だって困ってる子がいるし」
「……お前、いつか本当に取り返しのつかねぇことになるぞ」
オッサンの声は、いつになく真面目だった。
だが、俺は笑った。
自分でも少し馬鹿みたいだと思うくらい、自然に笑えた。
「その時はその時考える」
「考えてから動け」
「正義のヒーローは、考える前に身体が動くものなのだ」
「それ、ただの無謀って言うんだよ」
結局、オッサンは透明化の薬を売ってくれた。
前より高かった。
足元を見られた気がする。
正義のヒーローは経済的に厳しい。
***
帝都中央図書館の禁書庫に忍び込むのは、二度目だった。
前回は透明化の薬で楽勝だった。
今回はどうか。
「おい、何か今、足音しなかったか?」
「気のせいだろ」
「前に侵入者が出たんだぞ。油断するな」
警備が増えていた。
当然である。
前回、俺が侵入したせいだ。
完全に自業自得だった。
俺は透明化したまま、そろりそろりと禁書庫の奥へ進む。
床に魔法陣が仕掛けられていたり、棚の間に鈴付きの糸が張られていたり、明らかに前より厳重になっている。
やめてほしい。
図書館はもっと開かれた場所であるべきだと思う。
禁書庫に忍び込んでいる俺が言えたことではないけど。
「〈因果縫合〉、〈因果縫合〉……どこだ……」
棚を探す。
寿命を奪う術。
魂を削る術。
死者の声を聞く術。
何か触っただけで呪われそうなタイトルばかりだ。
「お、あった」
黒い革表紙の本。
題名は『禁忌治癒大全』。
いかにもだった。
むしろ、いかにもすぎて罠を疑うレベルだった。
俺は慎重に本を開く。
――〈因果縫合〉。
対象の傷に宿る因果を術者の命脈へ移し、損壊前の形へ縫い戻す。
代償、術者の寿命。
副作用、激痛、肉体崩壊、記憶欠落、魂魄汚染。
「うん、最後の方ちょっと見なかったことにしよう」
俺は必要な術式を必死にメモした。
魔法陣の描き方。
詠唱。
触媒。
発動条件。
難しい。
死ぬほど難しい。
いや、不老不死だから死なないけど、普通に頭が死ぬ。
「そこに誰かいるのか!」
また怒鳴り声がした。
やばい。
透明化の薬の効果が切れかけている。
俺は本を戻し、メモを懐に突っ込み、全力で走り出した。
途中で鈴付きの糸に引っかかった。
チリンチリンチリンチリン!
「侵入者だ!」
「禁書庫に侵入者!」
「うわぁあああああああああ!」
正義のヒーロー、二度目の禁書庫逃走である。
そろそろ出禁どころか指名手配されそうだった。
***
その夜。
俺はぼろっちい集合住宅の自室で、〈因果縫合〉の練習をしていた。
まず、ナイフで自分の指を軽く切る。
痛い。
普通に痛い。
「〈因果縫合〉」
詠唱すると、指の傷が塞がった。
「おお!」
直後、逆の手の指が裂けた。
「いってぇえええええええ!」
なるほど。
こういう感じか。
相手の傷を治すと、そのぶん俺に返ってくる。
自分に使うと、別の自分に返ってくるらしい。
何だその仕様。
悪意が強すぎる。
だが、使える。
ならば十分だ。
俺はメモを握りしめた。
アリスちゃんの右手を治せるかもしれない。
いや、治す。
正義のヒーローは、最後まで助けるものなのだ。
***
アリス・エレクトリアは、帝都の外れにある古い訓練場にいた。
月明かりの下。
彼女は一人、木剣を握ろうとしていた。
いや、握れていなかった。
包帯の巻かれた右手は震え、指は木剣の柄を掴みきれず、何度も何度も地面に落とす。
カラン。
乾いた音が響く。
「……っ」
アリスは唇を噛んだ。
泣いてはいなかった。
けれど、その横顔は泣いているみたいだった。
俺は石仮面を被り、物陰から出た。
「こんばんは」
「……あなたは」
アリスが目を見開く。
「昨日の……」
「通りすがりの正義の味方です」
「正義の、味方……」
しまった。
ちょっと格好つけすぎたかもしれない。
自分で言うと恥ずかしいな、これ。
俺は咳払いした。
「右手、見せて」
「……駄目です」
「え?」
「もう、駄目です」
アリスは右手を胸に抱いた。
「あなたは昨日、私のために寿命を削りました」
「あー、まあ、うん」
「血を吐いていました。苦しそうでした。それなのに、どうしてまた来たんですか」
「右手、困ってるだろ?」
「……っ」
アリスの顔が歪んだ。
「困っているからって……そんな理由で……」
「十分な理由だと思うけど」
「十分じゃありません!」
アリスが叫んだ。
その声は震えていた。
怒っているのに、泣きそうだった。
「私なんかのために、あなたが削られる必要なんてない! 私は、助けてもらっただけで十分なんです! 生きているだけで、もう十分で……だから……だから、これ以上は……」
言葉が途中で途切れる。
俺は頭を掻いた。
困った。
非常に困った。
俺としては寿命の問題はない。
でも、不老不死です、と正直に言うわけにもいかない。
そんなことを言えば、禁術使いどころか化け物扱い待ったなしである。
正義のヒーローとしては、正体バレも化け物バレも避けたい。
だから俺は、できるだけ軽い声で言った。
「大丈夫。俺、こう見えて丈夫だから」
「そんな言葉、信じられるわけないじゃないですか」
「じゃあ、信じなくていい」
「え……?」
「信じなくてもいいから、右手は治させてくれ」
俺は一歩近づいた。
「剣、好きなんだろ?」
アリスの瞳が揺れた。
「……好き、でした」
「じゃあ、過去形にするのはまだ早い」
「でも……」
「俺が治す」
言い切った。
正直、自信満々ではなかった。
怖い。
痛いのは嫌だ。
失敗するのも嫌だ。
また血を吐くのも嫌だ。
でも、それ以上に。
さっき木剣を落とした時のアリスちゃんの顔を、見なかったことにはできなかった。
アリスはしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと包帯の巻かれた右手を差し出した。
「……本当に、嫌になったらやめてください」
「もちろん」
嘘である。
途中で嫌になっても絶対やめない。
俺はアリスの右手に触れた。
細い手だった。
震えていた。
包帯越しにも、傷の奥に嫌な熱が残っているのが分かる。
俺は地面に魔法陣を描いた。
自分の血を触媒に使う。
うわ、ヒーローっぽくない。
完全に悪役の儀式だ。
でも、やるしかない。
「傷に宿る因果よ」
詠唱を始める。
魔法陣が赤黒く光った。
アリスが息を呑む。
「断たれた糸を、我が命脈にて縫い戻せ」
右腕が熱い。
いや、熱いなんてもんじゃない。
焼けた鉄を血管に流し込まれているみたいだった。
「――〈因果縫合〉」
瞬間。
アリスの右手から黒い靄が噴き出した。
呪毒だ。
それが糸のように俺の腕へ絡みつく。
「あっ、あああああああああああああ!」
痛い。
右手に短剣を突き立てられたような痛みが走った。
骨が軋む。
腱が裂ける。
指が勝手に曲がり、皮膚が割れ、血が噴き出す。
「やめて!」
アリスが叫んだ。
「もういいです! やめてください!」
「やめない」
「やめて!」
「やめないって!」
俺は歯を食いしばった。
正義のヒーローが、助けている途中で「痛いので帰ります」とか言えるわけないだろうが。
そんなの、俺が俺を許せない。
魔法陣の光が強くなる。
アリスの右手を覆っていた傷跡が、少しずつ薄れていく。
動かなかった指が、ぴくりと震えた。
代わりに、俺の右手がぐちゃぐちゃになっていく。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い。
でも。
「もう少し……!」
最後の黒い靄が、俺の腕へ流れ込んだ。
ブチン、と何かが切れる音がした。
俺はその場に膝をついた。
仮面の下で血を吐く。
右手は原型を留めていなかった。
だが、アリスの右手は――。
「……動く」
彼女の声が震えた。
アリスは自分の右手を見つめた。
指を一本ずつ曲げる。
開く。
握る。
木剣を拾う。
今度は、落ちなかった。
「動く……動きます……!」
「そりゃよかった」
俺は笑おうとした。
でも、仮面の下から出たのは血の混じった咳だった。
「どうして……」
アリスがこちらを見る。
「どうして、そこまで……」
またその質問か。
でも、答えは変わらない。
「困ってる奴がいたら助ける」
俺は立ち上がった。
右手はもう少しずつ再生し始めている。
不老不死さまさまだ。
ただし、めちゃくちゃ痛い。
便利だけど、痛覚オフ機能を付け忘れているのは設計ミスだと思う。
「それだけだよ」
アリスは泣いていた。
今度は、声を上げずに。
ただ静かに涙を流していた。
「あの……名前を……」
「あ、そろそろ俺、行かなきゃ」
名前を聞かれるのはまずい。
正体不明だからこそのヒーローである。
「待ってください!」
「じゃあね、アリスちゃん。剣、頑張って」
俺は背を向け、全力で逃げ出した。
颯爽と去るつもりだった。
だが、右手の再生途中でバランスを崩し、途中で一回転んだ。
めちゃくちゃ痛かった。
それでも何とか起き上がり、闇の中へ走る。
背後で、アリスの声が聞こえた。
「絶対に……」
その声は、小さかった。
でも、妙にはっきり耳に残った。
「絶対に、見つけますから」
俺はその言葉を聞きながら、少しだけ嬉しくなった。
感謝されている。
多分。
きっと。
おそらく。
「ふふ……また一歩、正義のヒーローに近づいてしまったな……」
そんなことを呟きながら、俺は夜の帝都を走っていく。
その頃、訓練場に残されたアリスが、治った右手で木剣を握りしめ、涙を流しながら何度も何度も同じ言葉を呟いていたことを、俺は知らない。
「もう、使わせない……」
月明かりの下。
彼女の瞳は、熱を帯びていた。
「私のために、誰かのために、あんな禁術を使わせない……絶対に見つけて、止めて、守ってみせる……」
木剣を握る右手に、力がこもる。
「今度は、私があなたを助けます」
その決意が、俺にとってなかなか厄介な方向へ育っていくことになるなんて、この時の俺はまだ、少しも気づいていなかった。