主人公だと思ってたら本当の主人公がいた   作:Merukur

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2.生徒会長

 

 朝の鐘が鳴った。

 王都アルセリアの中央にそびえる《王立アルセリア学園》の尖塔が、昇りきったばかりの陽光を受けて白く輝いている。その鐘の音は石造りの校舎群のあいだを渡り、広大な校庭へと降り注ぐように響いて今日という日が新たな季節の始まりであることを学園全体へ告げていた。

 

 壇上へ続く階段を上がりながら、ティオルはゆっくりと息を整える。見慣れない景色だった。

 

 生徒会長として人前に立つ機会は初めてではない。この学園で注目を集めることに今さら緊張するようなことはないが、それでもこうして大勢の前に立つことにどこか心がざわついた。

 

 新入生たちを迎えるこの日は少しだけ空気が違う。期待と不安、希望と焦燥、そうしたまだ形にならない感情が広い校庭全体に満ちていて、春先の風に乗って肌へ触れてくるようだった。

 

 壇上に立つと自然とざわめきが広がった。

 白金の髪が朝日を弾き、制服の肩章が淡く光る。生徒会長として、そしてヴァレリア家の名を背負う者として、ここで求められる姿は理解していた。

 

「皆さん。ようこそ、王立学園へ」

 

 よく通る声が春の空気の中へ真っ直ぐに伸びていく。校庭はたちまち静まり返り、自分の声だけが広い空間に澄んで響いた。

 

「この学園は、王国が築いた力と理想の象徴です。魔を鍛え、剣を振るい、知を学び、己が正しいと思うことを貫く。ここでは、そのすべてが自身の力によって測られます」

 

 この学園は平等を掲げる。だがその平等は優しさによって与えられるものではない。結果によってのみ保証される厳しい平等だ。

 

「皆さんにも、既に通知が届いているでしょう。入学と同時に与えられるランク――それが、この学園での立ち位置を示します」

 

 ざわめきが起こる。緊張からか何人かの喉が鳴る音すら聞こえそうだった。

 

「Eから始まり、D、C、B、A、そして頂点のS。魔物討伐、学業、功績、半年に一度の王仁祭。そのすべてが評価対象となります。ここでは貴族も平民も、才能ある者も、そうでない者も、等しく自分の力が評価されるのです」

 

 その言葉が希望に聞こえる者もいれば、残酷に聞こえる者もいるだろう。どちらも正しいとティオルは思った。

 

 ティオルは一つ呼吸を置き、壇下へ視線を巡らせる。

 

 緊張で肩を強張らせる者。希望に瞳を輝かせる者。周囲を見回し落ち着かない者。姿勢だけは堂々として見せる者。数百名にも及ぶ新入生たちがそれぞれ異なる未来を抱えながら、ここにいる。

 

 この中の誰もがまだ何者でもない。あるいはこれから何者にでもなれる。初々しさとまだ真っ白なキャンバスのような純粋さを残す新入生がどこか微笑ましく見えた。

 

 そう思いながら一人ひとりの表情を流し見ていた、そのときだった。

 

 列の中ほど、端に近い位置に立つ一人の少年がふと視界に引っかかる。

 

 特別目立つ容姿ではない。装飾の少ない制服の着こなしもどこか不慣れで、周囲の貴族子弟たちに比べれば、むしろ地味な部類に入るだろう。姿勢も洗練されているとは言い難く、場の空気に飲まれまいと肩に力が入っているのが遠目にも分かった。

 

 それなのに。その少年の視線は真っ直ぐで、壇上に立つティオルを射抜くような決意を持った眼差しをしていた。

 

 不思議な視線だった。

 緊張もある。戸惑いもある。だが、それらを押しのけるほど真っ直ぐな熱が瞳の奥に確かに宿っている。

 

 一瞬だけ、ティオルの視線と声が止まった。

 

 しかし、次の瞬間には別の列から上がった物音に意識を引かれ、その少年の姿もまた数百人の新入生の中へ自然に紛れていった。

 

「(………気にしすぎか)」

 

 そう片づけるにはわずかに胸へ残るものがあったが、今は演説の最中だった。

 

 ティオルは何事もなかったように視線を巡らせ直し、静かに口を開く。

 

「ですが、勘違いしないでほしい。この学園はただ強さを競うだけではありません。互いを尊重し、高め合う。ときには相手を思いやり、ときには切磋琢磨する。そうして人間的に成長することが本質です。どうか、そんな関係をここで育んでください」

 

 彼の背後の空に淡い光が一瞬煌めいた。

 

 朝日を受けて浮かんだ、薄い輪のような光。それは、彼の能力《光冠(クラウン)》が無意識に反応したものだった。

 

「この学園で、皆さんがどんな道を選ぶとしても――」

 

 ティオルは胸に手を当て、言葉を結んだ。

 

「どうか、自分だけの光を見失わないでください。そして、これからの皆さんの頑張りを期待しています」

 

 ティオルの一礼に付随して、会場の静寂を破るように拍手が起こる。それはやがて波のように広がり、ティオルの姿を照らす陽光と重なった。

 

 

 

 

 拍手の余韻がようやく引き、新入生たちの列が教師の誘導によって少しずつ解かれていく。先ほどまで整然と並んでいた校庭は緊張から解放されたざわめきと足音に満たされ、春の空気の中へ若い熱気を広げていた。

 

 僕は壇上を降り、小さく息を吐きながら肩の力を抜く。人前に立つこと自体には慣れているつもりだったが、学園全体を代表する立場として行う初めての入学式はやはり普段とは違う疲労があった。

 

 言葉を間違えないことよりも、自分の言葉が誰かの最初の記憶になるかもしれないという責任の方に重圧を感じてしまう。

 

「お疲れさまでした、会長」

 

 背後から聞こえた落ち着いた声に振り向けば、既に片づけへ取りかかっているダリアの姿がある。式次第の紙束を手際よくまとめ、演台の上に置かれていた備品を整えながらこちらへ視線だけを向けていた。

 

「うん、ありがとう。なんとか無事に終わったかな」

 

「なんとかで済ませるには十分すぎる出来栄えかと。歓声も拍手も上々でしたし、新入生の何人かは会長を見て感極まっていたようですが」

 

「それはさすがに大げさじゃない?」

 

「事実です。泣いていた者もいました」

 

「えぇ……それはちょっと重いな」

 

 思わず苦笑すると、ダリアはほんの僅かに口元を緩めた。

 揶揄われているのか本気で報告しているのか判別しづらいところが彼女らしい。

 

 ティオルは演台の横へ歩み寄り、積まれていた資料箱を持ち上げる。見た目以上に重いそれを抱えながら先ほどの新入生たちの顔ぶれをぼんやりと思い返した。

 

 緊張した者。気負う者。怯える者。夢を見ている者。

 その中に混じっていた、あの少年。

 

 特別目立つわけでもないのに妙に印象へ残る視線。こちらを見ていたというより、もっと別の場所を見据えているような目だった。

 

「……会長?」

 

 ダリアの声で我に返る。

 

「ん? ああ、ごめん。少し考え事」

 

「珍しいですね。式直後に物思いとは」

 

「そうかな。いつもしてる気もするけど」

 

「それはそれでどうなんですか………それと、箱傾いてますよ」

 

 言われて初めて自分が箱を傾けかけていたことに気づく。慌てて持ち直すと、ダリアが呆れたようにため息をついた。

 

「貸してください」

 

「いやいや、大丈夫だよ。これくらい」

 

「会長がこれくらいと言うときはたいてい大丈夫ではありません」

 

 淡々と告げられ、箱を半ば奪うように持っていかれる。細身に見えるくせに、こういうときのダリアは妙に力強く強引だった。

 

「……それで、何を考えていたんですか」

 

 一緒に歩きながら何気ない調子で問われる。僕は少しだけ迷った後、正直に口を開いた。

 

「新入生の中にちょっと気になる子がいてさ」

 

 その瞬間、ダリアの足が止まった。ほんの一歩分だけ、綺麗に。

 

「ふーん……」

 

 静かな声だった。

 だが、先ほどまでより一段と低い。

 

「会長が気になると評するとは珍しいですね。どのような方ですか家柄でしょうか容姿でしょうか。それともたいへん親しみやすそうな方だったので?」

 

「なんか怖いしなんで早口………」

 

「別にでしょう?」

 

 いやどこがだよと、思わず突っ込みたくなるのを僕はぐっと抑える。

 

「いやまあ、なんて言えばいいんだろう……」

 

 記憶の中の少年の瞳を思い返す。

 

「目、かな」

 

「……目?」

 

「うん。なんか、真っ直ぐだった。決意が籠っているというか」

 

 言葉にしてみても自分で曖昧だと思う。だがそれ以外に表現しようがなかった。

 

 ダリアはしばらく無言だったが、やがて小さく息を吐く。

 

「なるほど。会長らしい曖昧で要領を得ない評価ですね」

 

「ひ、酷いなー………」

 

「ですが、会長のそういうのはよく当たりますから」

 

 そう言って再び歩き出す。その横顔はいつも通り冷静だったが、先ほど漂っていた刺々しさはまだ少し残っているようだった。

 

「……会長が気になる生徒というのは女子生徒ですか?」

 

 何気ない調子を装ってはいたが、その問いが決して何気ないものでないことくらいは声音の僅かな硬さだけでも十分に伝わってきた。

 

 僕は思わず目を瞬かせる。

 

「え?」

 

 一拍遅れて意味を理解し、ようやく問いの意図へ辿り着いた。

 

「いや、どうしてそうなるの」

 

「会長が気になるなどというからですよ。可能性としては自然かと」

 

 淡々と返されるが歩調だけはやけに速い。先に進みながらも、返答を逃すまいと耳だけはこちらへ向けているようだった。

 

 なるほど、そういうことか。僕は小さく苦笑しながら肩を竦める。

 

「残念ながら違うよ。普通に男の子」

 

 その瞬間、ダリアの歩みが目に見えて緩んだ。

 

 先ほどまでどこか張り詰めていた横顔から、わずかに力が抜ける。

 

「……そうですか」

 

 たった一言。しかし、先ほどまでより明らかに声音が柔らかい。

 

「なんでちょっと安心したみたいな顔してるの」

 

「していません」

 

「してるよ」

 

「気のせいです」

 

 取り繕う島もないようだ。

 僕は思わず笑ってしまう。ダリアのこういうところは、普段と違って少し面白い。

 

「まっ、いいけどさ。取り合えず、資料の箱もらうよ。このまま持ってもらうのも男として情けないしさ」

 

 そう言い、ダリアの返答を待たずに僕は人差し指を立てる。それと同時にふんわりと柔らかい光が箱を持ち上げた。

 

「荷物持ちもできるとは便利な能力ですね」

 

「荷物持ちに使うには些か行き過ぎたものだと思うけどね」

 

 指先から放たれた淡い光は細い帯となって箱の底へ潜り込み、そのまま重さそのものを忘れさせるようにふわりと宙へ浮かせる。資料の詰まった木箱は僕たちの歩調に合わせて静かに追従し、揺れもなく滑るように空中を進んでいった。

 

 《光冠(クラウン)》。用途の広い能力だが、こうして日常の些細な場面に使えるのもこの力の利点だった。

 

 石畳の道を進む。校舎へ向かう新入生たちの列が左右を流れ、まだ真新しい制服の擦れる音や緊張混じりの小さな会話があちこちから聞こえてきた。

 

 そうして校舎へ続く石畳が終わろうとしていた、そのときだった。

 

 遠く、校庭の端からざわめきとは質の違う騒音が上がる。怒鳴り声。何かが倒れる音。悲鳴に近い短い声。僕とダリアは同時に足を止め、視線を向けた。

 

 新入生たちの輪が一箇所に偏り、人垣ができている。

 

「……もう問題ですか」

 

 ダリアが呆れたように呟く。

 

「僕たちの代の生徒会が新記録かもしれないね」

 

 僕は抱えていた資料を近くの台へ置くと、既に足を前へ向けていた。

 

「生徒会メンバーが一応見回りしてるよね?会場の見回りは今誰が?」

 

「ロウランです。ですので、急いだほうがいいかと」

 

 名前を聞いた瞬間、僕は思わず眉を下げた。

 

 生徒会書記、ロウラン・ヴェルド。同じ生徒会のメンバーで、頭の回転が早く事務仕事も優秀。任せた仕事はそつなくこなす仕事人な性格。そこだけを見れば実に頼れる人材だ。

 

 ただし、ロウランは自分から何かやろうとする気力がない。言わば筋金入りの面倒くさがりだった。

 

 仕事を任せれば完璧にこなす。だが、言われたことしかやらない。というより、自分の興味があること以外には驚くほど無関心なのだ。

 

 以前も廊下で上級生同士が口論していた際、『まだ殴ってはいないので問題ありません』と壁にもたれて傍観していたことがある。あのときは僕が止めに入ったが、本人は心底不思議そうな顔をしていた。

 

 つまり、今この騒ぎをロウランが担当しているということは、既に現場で見物している可能性が高い。

 

「確かに急いだ方がよさそうだね」

 

「ええ。ロウランがその場にいようがいまいが意味はないので」

 

「そこまで言う?」

 

「事実です」

 

 辛辣だが、否定材料が見つからない。僕は苦笑しながら歩幅を広げる。ダリアも当然のように隣へ並び、そのまま速度を合わせてきた。

 

「ダリア、資料の片づけは?」

 

「後回しです。会長一人で行かせるわけにはいきません」

 

「僕そんな危なっかしいかな」

 

「そんなことはありませんが………一応です」

 

「……まあ、いっか」

 

 人手が多くて不都合なことはないし、彼女がいれば尚のこと問題はないだろう。

 

 僕らが人垣へ近づくにつれて、ざわめきの内容がはっきりしてきた。

 野次馬混じりの声。興奮した囁き。誰かを煽るような笑い声。そして、その中心から響く怒声。

 

「だから謝れって言ってるだろ!」

 

「何度言われても同じだ!この俺が平民ごときに謝罪などしない!」

 

 その声を聞いた瞬間、僕の足がわずかに止まりそうになる。人垣の隙間から見えたのは上から視線を引いたあの少年だった。

 

 制服は乱れ、頬は赤く腫れ、それでもなお相手を真正面から睨み返している。対するのも一人の新入生。装飾の多い制服と態度からして貴族の子息だろう。

 

 そしてその少し後ろ。案の定、木陰に寄りかかって腕を組み、退屈そうに欠伸をしている男がいた。

 

 灰色の髪を無造作に揺らしながら、騒ぎをまるで芝居でも眺めるように見ているロウランだった。

 

「……やっぱり」

 

 僕が呟くと、ロウランはこちらに気づいたらしく片手だけ軽く振ってきた。

 

「おや、会長。それに副会長まで。お疲れさまです」

 

「お疲れさまじゃないです。なんで止めてないのですか」

 

「止める理由があります?」

 

 あまりにも自然に返され、思わずダリアは言葉に詰まる。ロウランは肩を竦めた。

 

「双方言いたいことがあるのでしょう。なら、最後まで言わせればいい。中途半端に止める方が尾を引きます」

 

「君の場合、その最後までに殴り合いが含まれてる時点で問題なんだけど」

 

「まだ本格的には始まってませんよ」

 

 そう言った直後、少年の頬に拳が飛んだ。

 

 鈍い音とともに少年がよろめく。

 

「あ、今始まりましたね」

 

「他人事みたいに言わないでくれますか!?」

 

 ダリアは思わず声を上げ、そんな中僕はそのまま生徒たちの中心へ踏み込んだ。

 

 野次馬たちは生徒会長である僕の姿に気づくと、ざわめきながら左右へ道を開けていく。視線が一斉に集まる感覚は慣れているはずなのに、こういう場面では妙に重く感じられた。

 

 倒れかけた少年――先ほど気になった新入生は、拳を受けた頬を押さえながらもすぐに体勢を立て直している。痛みに顔をしかめてはいるが、その目だけは少しも折れていなかった。

 

 当の問題の新入生二人は僕の登場に気づくや否や慌てて姿勢を正した。

 

「二人ともそこまで」

 

「せ、生徒会長……?」

 

「これは、その……」

 

 声を荒げる必要はなかった。

 

 短く告げるだけで場の熱は一段下がる。こういうとき自分の立場というものは便利だと思う反面、少し面白くなさもある。僕は二人の間へ立ち、順番に顔を見た。

 

「まず確認したいんだけど、大きな怪我はしてない?骨とかは大丈夫?」

 

「……俺は平気です」

 

 頬を腫らした少年が即答する。貴族の男子生徒も小さく頷いた。

 

 どうやら深刻な負傷者はいないらしい。ひとまず安堵する。

 

「じゃあ、事情を聞かせて。順番にね」

 

 僕がそう促すと、先に口を開いたのは装飾の多い制服を着た新入生だった。

 

「こいつが俺にぶつかってきたんです! その上謝りもしない!」

 

「ぶつかったのはそっちだろ!」

 

 すぐさま反論が飛ぶ。

 

「しかも君が近くにいた女の子の荷物まで蹴飛ばして、泣かせてたじゃないか!」

 

「それはそいつが勝手に――」

 

「順番にって言ったよね?」

 

「しかも君が近くにいた女の子の荷物まで蹴飛ばして、泣かせてたじゃないか!」

 

「っ………………」

 

 少しだけ声音を落とす。ただそれだけだった。

 

 怒鳴ったわけでも威圧したわけでもない。声量すら変わっていない。だが、その一言が放たれた瞬間、場の空気そのものが目に見えぬ手で押さえつけられたように沈んだ。

 

 春先のざわめきは途切れ、人垣の奥で囁いていた生徒たちまでもが思わず息を呑む。二人の少年は反射的に肩を強張らせ、言葉の続きを喉の奥へ押し戻した。 

 

 まるで自分たちが今誰に向かって口を挟もうとしていたのか、その瞬間になってようやく思い出したかのように。

 

「ありがとう。じゃあ、続きを聞かせてくれるかな」

 

 ……やっぱり便利だなあ、この立場。僕は内心で小さくため息をつきながら、改めて話を整理する。

 

 どうやら貴族の新入生が式典終わりに新入生の少女とぶつかり、少女がその際荷物を落とした。にもかかわらず逆に相手へ責任を押しつけ、そこへ割って入ったのがこの少年らしい。

 

 そして口論になり、今に至る。なんともありがちな話だった。

 

 ありがちで、面倒で、そしてどちらも引く気がない。

 

「……なるほどね」

 

 僕は小さく息を吐く。

 

「まず、手を出した時点で君に一定数の非があるよ」

 

 貴族の新入生へ視線を向けると、気まずそうに目を逸らされた。

 

「それに、話を聞く限りでは君が悪いように思える」

 

「っ………ど、どうしてですか。俺は貴族でこいつは平民です!そしてランクだって俺のほうが高い!この学園は力で測られるのでしょう?だったら俺の方が発言権だってあるはずだ!それに、確実な証拠だってないはずだ。こいつが嘘を言いっているということだって…………!」

 

 貴族の新入生はなおも唇を噛みしめ、視線だけは逸らそうとしなかった。

 

 表情を見れば分かる。納得していない。この場で自分に非があると認めるつもりも、頭を下げるつもりもないのだろう。周囲の目があれば尚更だ。

 

 貴族としての矜持なのかただの意地なのかは分からないが、少なくとも素直に謝罪する類の空気ではなかった。

 

 そして、それはもう片方――頬を腫らした少年も同じだった。

 彼もまた、ここで曖昧に終わらせる気はない。自分が見た理不尽を見過ごさず、曲げず、真正面からぶつかってきた人間だ。

 

 今さらもういいですと引くようには見えなかった。

 

 ……つまり、話し合いでは終わらない。僕は小さく息を吐き、二人を見比べた。

 

「君の言い分も分かった。このままこの話を終わらせるのも、互いに納得はしないよね?」

 

 沈黙。それが何より雄弁な答えだった。

 周囲の新入生たちも固唾を呑んでこちらを見ている。ここでどう裁くのか、生徒会長としての判断を待っているのだろう。

 

 正直面倒だなと思わなくもない。だが、この学園では避けて通れない種類の問題でもあった。

 

「……なら、提案がある」

 

 僕がそう言うと、ざわめきがぴたりと止む。

 

「正式な決闘にしよう」

 

 一瞬、場が静まり返った。

 そして次の瞬間、周囲からどよめきが広がる。新入生同士、それも入学初日に決闘の取り決めなど聞いたことがないのだろう。詳細も詳しく知らないだろうし、無理もない。

 貴族の新入生は目を見開き、それからすぐに口元を歪めた。勝てると踏んだ顔だ。

 だが、僕の視線はもう一人の方へ注視されていた。

 

 頬を腫らした少年は驚いたように僕を見返している。当然だ。

 悪いことをしていない側からすれば受ける義理のない話だろう。巻き込まれ、殴られ、そのうえ決闘までしろと言われているようなものなのだから。

 

 僕は少しだけ声を和らげた。

 

「もちろん、君に無理に受けろとは言わない」

 

 少年の目を真っ直ぐ見る。

 

「君は間違ったことをしていない。理不尽を見過ごさなかっただけだ。だから、ここで断っても誰も責めない」

 

 それは本心だった。

 この場で僕の権限を使い、相手に厳重注意と謝罪勧告を出すこともできる。形式上それで終わらせる道もある。もっとも、それを受け入れるのかは本人次第なわけで。

 

「ただ、相手が言うように確実な証拠が揃っているわけでもない」

 

 この場に一定数の目撃者もいるかもしれないが、新入生たちは面倒を避けて口を閉ざす可能性もあるし、何より貴族相手に反抗すれば報復を受けるかもと尻込みする子もいるだろう。

 貴族の新入生が味方を作って、自分を擁護するよう促すこともできる。証言が割れれば、こちらとしても処分は難しい。

 

 だからこそ、手っ取り早いのは学園のルールに基づく決闘だった。 

 

「この学園では正しさだけで物事が決まるとは限らないんだ」

 

 少し苦い現実だった。

 

「ここは自身の力が全ての学園だから。良くも悪くも、勝者には正当性が与えられる」

 

 ざわ、と周囲が揺れる。

 

「正式な決闘なら結果は記録に残る。敗者は勝者の条件に従う義務がある」

 

 貴族の新入生の顔色が変わった。

 ようやく気づいたのだろう。これはただ殴り合う場ではない。

 

「もし君が勝てば」

 

 僕は少年へ向けて言う。

 

「相手に正式な謝罪をさせることもできる。少女と君への弁償も、今後の言動の是正も条件にできる」

 

 少年の瞳が揺れる。迷いではなく、考えているような目だった。

 

「逆に言えば、負ければ君が従うことになる。だからこれは簡単に勧められる話じゃない。………それでも挑むという覚悟があるなら、僕は止めはしないよ」

 

 静寂が落ちた。

 周囲の誰もが、その返答を待っていた。

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