奇跡と魔法の終着点(さやか&杏子)
身動き一つ取れないベッドの上。○○は失われた左腕の付け根を揺らし、温かい目で見守るさやかと杏子に「排泄をしたい」と意思表示をした。
「おっ、トイレだな」
杏子は手慣れた動作でゆっくりと彼の体を抱え上げ、ズボンを脱がせてから便座の上へと座らせる。
「なあさやか、なんだか赤ん坊の世話してるみたいでさ……こういうのも、悪くないよな」
「もうっ杏子、あんまり変なこと言わないでよ」
照れたように笑い合う二人。
もう何日が過ぎたのだろうか。カレンダーすら見させてもらえない、三人の退廃したこの生活。
○○は用を足しながら、なぜ自分がこんな姿になってしまったのかを、涙の枯れた瞳で振り返り始めた。
一週間前の放課後。○○はいつも通りに学校から帰り、自宅のドアに鍵を差し込んだ。
しかし、回すまでもなく扉は開いた。
空き巣か、と警戒しながら恐る恐る扉を開けると、見慣れないブーツが玄関に転がっていた。
リビングの方から足音が聞こえ、身構えた○○の前に現れたのは、まさかの杏子だった。
「おかえり。ちょっと遅かったじゃん」
まるで始めから家族の一員かのように振る舞う杏子へ恐怖を抱きながらも、○○は彼女へ「なぜ俺の家にいるのか」と問いかけると、彼女は鼻で笑った。
「当たり前じゃん。あたし達はあんたの彼女なんだからさ」
杏子が放った"達"という言葉に違和感を持った頃、○○の後ろから聞き慣れた声がした。さやかだ。
「そうだよ○○。もうそろそろ家族になるんだから、この光景に慣れた方がいいよ?」
正気の沙汰ではない発言に○○は目を丸くするが、それをさやかは少し愛おしそうに一瞥した正気の沙汰ではない発言に○○は目を丸くするが、さやかは彼を愛おしそうに一瞥しただけで、平然と靴を脱いで家に上がった。
○○は鍵を閉めてリビングへ足を踏み入れる。
杏子は我が物顔でソファに寝転びながらスナック菓子を貪り、さやかは「行儀が悪い」と小言を言いつつも、どこか満更でもない表情で笑っていた。
あまりにも日常に溶け込みすぎている二人の姿に、得体の知れない悍ましさを感じた○○は、今すぐにでも背を向けて逃げ出したくなった。
だが、その気配を察したさやかが、冷たい声で口を挟む。
「──ああ、そうだ。言い忘れてたけど、もう逃げられないよ?」
さやかは玄関の方へ指を刺すと、そこにはいつの間にか、ダイヤ型に交差する赤い鎖の結界がびっしりと張り巡らされ、出口を完全に封鎖していた。
「まっ、そういうことだね」
杏子はソファの上で足の指をうねらせる。それは彼女なりの逃がさないという意思表示。
○○は慌てて他の窓や勝手口を確認する。しかし、どこもかしこも杏子の魔法による赤い網目で覆い尽くされており、逃げ場はどこにも存在しなかった。
その事実に絶望し、床へ手をつく。
杏子がソファから起き上がり、恍惚とした表情を浮かべて横から覗き込んできた。
「可愛いねぇ、○○はさ。あたし達をこんなにさせておいて、逃げられると思ってたんだ?」
さやかが理由を付け加えるように語る。
「ほんと、困っちゃうよねー」
「魔女になりそうだったあたしだけじゃ物足りなくて、杏子の心すらも救っちゃうなんて、さ。それなのに……」
二人の表情が一気に険しく、暗く沈む。
彼の毛という毛が、本能的な命の危機を報せて逆立つ。
先に口を開いたのはさやかだった。
「……あの転校生と、あたし達には見せたことのない楽しそうな表情で過ごしてたのを見た時は、さすがに驚いたよね」
杏子が○○の罪状を付け加える。
「それだけじゃないぞ、さやか。こいつはマミとまどかのやつらと一緒に映画まで行ってたんだよ」
「へぇ……? まどかとマミさんと……?」
杏子が片手で○○の喉を勢いよく掴み、細い腕からは想像もつかないほどの握力で壁に押し付け、宙ぶらりんにする。
「おい……なんとか言えよ、なぁ? あたし達がこんなにあんたへの思いを募らせてるってのにさ!」
吐き気と酸欠で必死にもがく○○を見て、さやかは杏子の腕にそっと手を乗せる。
「杏子、死んじゃうよ」
その意図を察した杏子は舌打ちをして手を離した。床に崩れ落ち、新鮮な空気を求めて激しく咳き込む○○の背中を、さやかが優しく撫でる。
「でね、ここからが本題なんだけど。杏子と一緒に考えたんだ。『○○がどうすればあたし達だけを見てくれるか』……ってね」
さやかの手が、○○の腕から肩、そして脚へと、愛おしむように這っていく。
「考えてる途中、前に杏子から言われたことを思い出したんだ」
「ああ、さやかが前まで惚れてた男をどうするかって時に、あたしが言ったアレだろ? 『手っ取り早いのはさ、その手足、使い物にならなくしちまうことだ』ってやつ」
その言葉を聞いた瞬間、○○は恐怖で心臓が破裂しそうになった。這ってでも逃げ出そうとしたが、背後には赤い鎖の結界が立ち塞がり、動くこともできない。
「恭介の場合はさ、そうしちゃうとバイオリンが弾けなくなる。あたしが魔法少女になった意味を否定することになるから、あの時のあたしは怒ったけど……でも、○○の場合は違う」
「あんたは特にそんな趣味もないし、むしろ手と足があったら、あたしとさやかから離れて他の女に靡いちまう。それを防ぐために手と足を切り落とす……って決めたんだ」
二人の姿が、まばゆい光と共に魔法少女の姿へと変わる。
杏子は赤い鎖を操り、○○の身体を大の字になるよう空中に拘束し、さらに魔法で生成した布で口を塞いで猿轡にした。
これから起こる惨劇を理解した○○は、必死に鎖を引きちぎろうともがくが、魔法少女の強固な結界の前では徒労でしかない。
さやかが三日月のようにおぞましい笑みを浮かべ、刃の煌めくサーベルを引き抜いた。
「大丈夫だよ、○○。痛いのは本当に一瞬だから」
「ショック死しないように、さやかの治癒魔法で傷口だけはすぐに塞いでやるから安心しな」
銀色の刃が、一切の躊躇なく○○の四肢へと振り下ろされる。
肉が断たれ、骨が砕ける激痛。猿轡の奥で絶叫する○○の視界に最後に映ったのは、返り血を浴びながら、この上なく幸せそうに微笑む二人の顔だった。
「──い、おーい」
「大丈夫か? ぼーっとしてたけど」
二人の声で、○○の意識が現実に引き戻される。目の前にいるのは、自らの手足を奪った魔女達。
便座の上に座っている彼は、ただ彼女達の世話を享受する他なかった。
用を足し終えたことを確認した杏子は○○の汚れたところを清潔にし、それを流した後はさやかが赤子のように彼を抱え、リビングの椅子へと運ぶ。
手を洗って戻ってきた杏子が彼の隣に陣取るように座り、さやかへ「今日の朝メシはなんだ?」と聞く。
何回も、何回も繰り返されるこの退廃した日常。
逃げ出す手足も、逆らう力も奪われた身体で、今日も彼女たちの歪んだ愛情をたっぷりと注ぎ込まれる。
口に運ばれた朝食の味が、砂を噛んでいるようになったのはいつからなのかを、今の彼はもう思い出せない。