ここは夢である――と、アルハイゼンは理解していた。
どこかで見たことがあるような景色、人間、思い出がちぐはぐに繋ぎ合わされ、連続性のない奇妙な空間を作り出している。時間という概念がないのか、太陽の位置は変わらず、風が吹くことも木々が揺れることもない。
アランラミャに夢を見せてくれと頼んだことは覚えている。願いが叶えられたことに感嘆しながら景色をぐるりと見回す。
最後に夢を見たのはいつだったか……おそらくかなり幼少の頃だろう。せっかくの貴重な体験だ。存分に楽しませてもらおうと、アルハイゼンは周囲を観察しながら歩き始めた。
一定の距離を進むと景色がぐにゃりと切り替わる。スメールシティ、雨林、砂漠。アルハイゼンが過去に訪れ、記憶に残っている場所ばかりが現れた。
ごく稀に、見たことのない植物や、トライステート生物によく似たキノコもあった。生論派の学者が見たら大歓喜しそうだ。
ふと視線を向けた先に、子供の頃住んでいた家が現れて足を止める。
(どうやら、俺の知っているものばかり現れるらしい……)
ならば夢とは、己の思い出や記憶で構成されているのだろうか。だとすれば『大人になると夢を見なくなる』のはおかしくないだろうか?
アランナラが見せる夢と、人間の見る夢が同じ要素で出来ているとは限らない。しかし、全くの別物だという確証もない。
アランナラは、民間伝承で森の小さな精霊だと伝えられている。スメールの森に生息しているということは、スメールを統治する草神と少なからず関係があるはずだ。
そして草神と関係のありそうな精霊が、人間に夢を見せる能力を持っている。つまり、草神も夢に関する何らかの権能を持っている可能性があるということ。
それなのに教令院の賢者たちは夢を『愚かな妄想』であると、夢を見ないことこそが理性と叡智の表れであると喧伝している。
(……なるほど)
思いも寄らない収穫を得た。これは調べてみる価値がありそうだ。
このことを起きたときに覚えていられるといいのだが――そう考えながら歩き出そうとしたとき、視界の端に白い何かが映った。
それは白髪の少女のようだった。アランラミャと同じくらいの背丈で、アルハイゼンに背を向けてぴょんぴょんと跳ねている。あれは子供たちが遊ぶ『ケンケンパ』だろう。怪しい足取りのせいで分かりにくいが。
ふらつきながら何度も跳ねる少女に近づこうとした瞬間、彼女が振り返ってこちらを見た。
翠緑の瞳が大きく見開かれ、ぐらりと体が傾ぐ。止める間もなく少女は尻餅をついた。
「うひゃあ!」
素っ頓狂な声をあげた彼女に声を掛けようとしたとき、突然、アルハイゼンの足元にぽっかりと穴が空いた。
――落ちる。
ひゅっと全身の肌が粟立つような感覚とともに、アルハイゼンは夢から覚めた。
◇
この『ベッド』からは空が見えない。だから太陽が昇るのも、月が沈むのもなんとなくで感じなくちゃいけないのが不便だ。
そろそろ太陽が顔を見せたかな? と思ったころ、ナラアルハイゼンの目が突然ぱちっと開いた。いきなりだったからびっくりした。
「うわっ。ナラアルハイゼンが起きた」
「……」
カレはアランラミャを見てゆっくりと瞬きをする。そして目を開けたときと同じくらい、急にぺらぺら喋り始めた。
「夢の内容は実に興味深かった。君に夢を見せてもらわなければ気づかなかっただろう新しい発見もあったよ。ありがとう、アランラミャ」
「楽しめた? ナラアルハイゼンが楽しめたならアランラミャも嬉しい」
「もちろん楽しめたとも」
表情を動かさずに頷いたナラアルハイゼンが、すこし考えるように遠くを見て、アランラミャをまた見た。
「夢の中で白い髪の少女を見たんだが……いや、これはいい。それよりひとつ聞きたいことがある。アランナラという存在は、草神となにか関係はあるか?」
「草神……マハールッカデヴァータのこと? それともクラクサナリデビ?」
「どちらの名前も知っているんだな。関係性があるのであれば、どちらでもいい」
変なの、どうしてそんなことを聞くんだろう。でもアランラミャは親切だから「じゃあ、アランナラの始まりの物語を教えてあげる」と言った。
アランラミャの記憶ではないけど、アランナラたちに伝わる古い物語だ。
「森がまだ一面の乾いた黄金だったころ、マハールッカデヴァータが歌を歌った。カノジョのアランラカラリは、それはそれは強くて、サルバの中からすくすくとアシュヴァッタの樹が生えてきた。アシュヴァッタの樹は大きくてつやつやしたザクロの実をつけた。みずみずしい実がぱちぱち弾けて、そこから最初のアランナラや、アランラミャたちが生まれたんだ。だから、アランナラはアシュヴァッタの樹の子供であり、マハールッカデヴァータの子供でもある。分かった?」
「ああ、だいたいのことは分かった。……俺の推測はほぼ当たっていたわけだ」
「ナラアルハイゼンは本当にかしこい。すぐになんでも分かるんだ」
「俺にも分からないことは沢山ある。ただ、他の大多数の人間よりは賢いだろうな」
カレはそう言いながら、ばさっと布団をひっくり返して起き上がった。
「あーっ、アランラミャのふわふわが!」
ぽかぽかしていたのに、一気に寒くなってしまった。まだふわふわに包まれてたい。
ひっくり返されて半分になった布団に頭まで潜り込むと、ふっと小さく息を吐く音が聞こえた。ナラアルハイゼンが笑ったのかな?
「残念だ、アランラミャ。ヴァナラーナへ行かなくてもいいのか? 途中で甘い菓子を食べてから行こうと思っていたんだが、それも出来なくなってしまうな」
「あ、甘いもの!? アランラミャ、甘いもの食べたい!」
布団に潜ってる場合じゃない!
慌てて頭を出したら布団から引っこ抜かれて、素早く『靴』を付けられてしまった。これは変な感じがしてあまり好きじゃない。
でもナラの足は『靴』を付けないと傷ついてしまうって言われたから、仕方なくそのままにした。
そうして準備が終わり、アランラミャはナラアルハイゼンと手を繋いで外に出た。
甘いものを食べるためには『プスパカフェ』という、ナラがお金を出して食事をするお店に行かなくちゃいけないらしい。
外に出たらやっぱりナラから見られたけど、今度はナラアルハイゼンの服に隠れながら歩くことができたから怖くなかった。でもカレは、アランラミャが隠れるのが嫌みたいだ。
「歩きにくい。君は俺を転ばせるつもりか?」
「だ、だって、ナラがいっぱい見てくるもん」
「俺が子供を連れていることが珍しいだけだろう。そんなに怯える必要はない」
「でも怖い……ナラアルハイゼン、もっと服を大きくして」
「残念ながら、この服にそんな伸縮性はないよ」
服は大きくなってくれないらしい。仕方ないから、カレのひらひらした服をもっと集めて隠れながら歩く。
やっと『プスパカフェ』に到着した。お店の真ん中に水が湧き出るところがあって、すごく綺麗だ。ナラはここから水を飲むの? と聞いたら、飾りだって言われた。水を飾りにするなんて、ナラの考えてることはよく分からない。
ふわふわした地面を踏みしめて、お店のナラがいるところまで歩く。
「バクラヴァとナツメヤシキャンディ、コーヒー、それと……ラズベリージュースを」
「かしこまりました。お席に座ってお待ちください」
ナラアルハイゼンが『注文』したあと、移動して、入口近くのあんまりナラがいないところに座る。
「とりあえず君にはナツメヤシキャンディとラズベリージュースを頼んだ。シロップの水割りは大丈夫だったようだが、もし体に異変があればすぐに教えてくれ」
「うん、分かった! ナラの食事、楽しみだ~」
ひとつ前に太陽が昇っていたときは、恐ろしい塩が入っていたから食べられなかったけど、今度はどうかな。
「食べきれなかったら俺が貰おう。ナツメヤシキャンディもバクラヴァも甘い食べ物だ。気になるなら、バクラヴァも試してみるといい」
「わぁ、ありがとう。ナラはたくさん甘いものを知ってるんだな」
あまり待たずに『注文』した食べ物が運ばれてきた。アランラミャの前に『ナツメヤシキャンディ』が置かれて、わくわくしながら手に取る。
ひとくち齧った瞬間、アランラミャはきっとこの味を一生忘れないだろうと思った。
とっても甘くてざらざらしてる。ミツバチが頑張って集めた蜜をぜーんぶ集めて白いワルカにして、いろんな味を入れて、幸せをひとつに纏めちゃった味がする。美味しくて、頭がおかしくなりそうだった。
「アランラミャ? 齧った途端動かなくなったが……大丈夫か?」
「ナラアルハイゼン、黙って。いまアランラミャはサルバの真理を見てる……」
「……大丈夫そうで何よりだ」
目を閉じて、ひとくちひとくち噛みしめる。途中で『バクラヴァ』も食べてみるかと聞かれたけれど、アランラミャはもう『ナツメヤシキャンディ』の幸せを受け止めるので大変だったから断った。
焦げた匂いのする水を飲んでいるナラアルハイゼンに見つめられながら、さっぱりする『ラズベリージュース』も飲んで、アランラミャはやっと全部食べ終わった。
「ふう……」
「よく食べきったな、多少は残すかと思っていたが。苦しいところはないか?」
「ううん、大丈夫。あのね、すごく、すごーくよりもすっごーくおいしかった! ありがとう。アランラミャ、絶対に『ナツメヤシキャンディ』のこと忘れない」
「そうか。気に入ってくれたのなら良かったよ」
こんなにおいしい体験ができるなんて思わなかった。やっぱり、ナラの作るものってすごい。
ちょっと休憩してから、食べ終わっていたナラアルハイゼンと一緒に『プスパカフェ』を出る。いよいよヴァナラーナに連れて行ってもらう時だ。
ヴァナラーナに着いたらカレはどうするんだろう。一旦お別れになるのかな。多分、きっとそうだ。
ナラの時間は貴重だってことは分かってる。だけど……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、別れたくないなと思ってしまった。
◇
スメールシティから出て川を渡り、ナラの作った道に沿って進む。時々方向を尋ねられながら、ゆっくりとヴァナラーナまで歩いていく。
もうすこしで着くというところで、歩くキノコたちに道を塞がれてしまった。アランラミャはびっくりして、頭を抱えてしゃがんだ。
「うわぁ! 歩くキノコがいっぱいいる。ナラアルハイゼン、アランラミャを守って」
「いいだろう――理論の演繹!」
飛び出していったナラアルハイゼンが、メガトン大鉄塊をやっつけたときと同じ緑色の光をまとって、キノコたちをこらしめていく。
「わあ~……」
剣を振るときの動きとか、ぴかぴかって光を走らせるのとか、すごくかっこいい。
できるだけ動きを覚えていられるように、アランラミャは最後のキノコがやっつけられるまでカレをしっかりと見つめていた。「終わったぞ」とカレが振り向いたので、慌てて近くまで駆け寄る。
「ありがとう。やっぱりナラアルハイゼンは強いな」
「君も、その神の目を使えばキノコンに怯えずに済むと思うが」
「これ?」
首から下げている神の目を見つめて「うーん」と唸る。
「でも、アランラミャは『神の目』を使えたことがないんだ」
「そうなのか? 初めて会ったとき、君は岩元素のシールドを張っていたように見えたが」
「ええっ? 『シールド』……もしかして、土色の殻のこと? あれはアランラミャが出したの?」
「自覚していなかったのか。おそらく君の力だと思うが……今、出せるか試してみるか?」
なんと、アランラミャは『神の目』を使えていたらしい。「やりたい!」と頷いて、首から下げている『神の目』を両手で握る。そしてぎゅっと目をつむった。
「土色の殻……土色の殻……うーん……」
どうだろう、出てきたかな。そっと目を開けてみたけど、あのときのような殻はどこにもなかった。
「ううっ、出てこない……」
「元素力が足りないようには見えないから、まだ上手くイメージができないだけだろう。君はあのとき、別のアランナラを庇っていたな。もしかすると、誰かを守ろうとしたときに出やすいのかもしれない」
「そうなのか。じゃあ、またアランラキャが大変な目にあったとき試してみなくちゃ!」
「アランラキャだけに限定しなくてもいい。誰かに試してみて、出なかったら他の方法を考えよう」
「うん!」
かしこいナラアルハイゼンにたくさん教えてもらったから、きっとすぐ使えるようになるはずだ。カレは本当に優しい。
嬉しいから何かお返しをしたいけど、アランラミャのお花をあげたら喜んでくれるだろうか。渡してみようかな。どうしようかな。
迷っていたら、とうとうヴァナラーナに到着してしまった。
「あ、ここだ。ここが、ヴァナラーナの入り口。えっと……ナラが来ると、みんな怯えちゃうから……」
だから、ばいばいって言えなかった。最後のお別れって訳じゃないのに。
どうしても言葉が出てこなくて、繋いだ手を振りながら「んー……」と悩んでるフリをする。ほんとに悩んでるけど。ナラアルハイゼンにじっと見られている気がして、アランラミャはうつむいた。
ふっと風が動いて、カレがしゃがむ。そして、下からアランラミャを覗き込んできた。
「なら、俺が怖くないナラだと説明してもらうことは出来るか? 俺は君の故郷が見てみたい。ここで待っているから、聞いてきてくれないか」
「――えっ!」
驚いてナラアルハイゼンを見る。カレは相変わらず真面目な顔だったけど、アランラミャは嬉しくなって何度も頷いた。
「うん……うん! アランラジャたちに言ってくる! すぐ行ってくるから、月よりも早く帰ってくるから、待ってて」
「ああ、分かった。本を読んで待っている」
アランラミャは慌てて走り出した。リシュボラン虎より速くなった気持ちで足を動かして、シュリパナの前でアランラミャの歌を歌う。そうしてマハヴァナラーナパナに入り、アランラジャのところまで走った。
周囲にいたアランナラたちの声が、聞こえては遠ざかっていく。
「わぁ、ナラだ!」
「アランラミャの歌が聞こえたと思ったのに」
「ナラじゃない、あれはアランラミャ」
「アランラミャなのにナラなの?」
ざわざわして、みんなが不安がっている。でもアランラミャはそれどころじゃなくて、急いでアランラジャがいる大きな家に飛び込んだ。
「アランラジャ~!」
「なっ、なんじゃあ!? ナラがワシの名前を……いや、待てよ、その姿……そうか、アランラミャか」
びっくりしたようにぴょんと跳ねたアランラジャに駆け寄り、頑張ってすごく速く説明しようとした。
「アランラジャ、あのね、今ナラを待たせてて、ナラはアランラミャを助けてくれて、アランラミャはアランラカラリを使おうとしたらナラになったんだけど――」
「わかった、わかったから落ち着くんじゃ。もっとゆっくり説明しておくれ。蕾が息を吸って花開くように、ゆーっくり呼吸するんじゃ」
「わ、わかった」
すー、はー、と何度か息をして落ち着く。ちゃんと説明しなくちゃ、ナラアルハイゼンがみんなに受け入れてもらえない。
アランラミャは改めて、ここへ来るまでに起こったことを丁寧に説明した。アランラジャは何度も頷いて、真剣に話を聞いてくれた。
「そうか……珍しくヴァナラーナの外へ出たと思ったら、そんなことが起きていたのか。だったら、そうじゃな。助けてくれたナラも一緒に話を聞いたほうが分かりやすいじゃろう。そのナラはアランラミャとアランラキャを助け、ヴァナラーナの近くにいたキノコンもやっつけてくれた。きっといいナラに違いない。みんなにはきちんと説明しておくから、連れておいで」
「ほんと!? ありがとう、アランラジャ。すぐに連れてくる!」
慌てて今度はアランラジャの家から飛び出し、ヴァナラーナの入り口に向かって走る。「転ばぬようにな~」とアランラジャの声が遠く聞こえた。
ヴァナラーナの入り口には、まだナラアルハイゼンが立っていた。そのことに安心しながら「ナラアルハイゼン~!」と声を掛ける。本を読んでいたカレは、びっくりしたように顔をあげた。
「はあ、ふう、ふう」
「驚いたよ。月よりも早くと言うから、もっと掛かるかと思っていた」
「アランラミャ、すっごく急いだから。アランラジャが、連れてきていいって言ってくれた! 一緒に行こう!」
そう伝えると、カレは本をぱたんと閉じて「わかった」と頷いた。
ヴァナラーナに着くまではカレに手を引かれていたけれど、今度はアランラミャがカレの手を引いて案内する番だ。
ナラアルハイゼンは、ゆっくりと辺りを見回しながら歩いた。きっとヴァナラーナが珍しいんだろう。
「ここはまだ、本当のヴァナラーナじゃないんだ。マハヴァナラーナパナ……夢の中のヴァナラーナには、シュリパナの前でアランナラの歌を歌わないと入れない」
「君たちの故郷は、夢の中にあるのか?」
「そうだ。アランラミャのメロディーを教えてあげるから、覚えて」
「ああ、わかった。他に注意すべきことはあるか?」
「うーん……分からない。でも、ナラアルハイゼンはいいナラだから、きっと大丈夫だ」
アランラミャのメロディーを教えてあげたあと、ナラアルハイゼンをシュリパナの前に案内する。
カレはしばらくシュリパナを観察してから、ゆっくりとアランラミャのメロディーを鼻歌で歌い始めた。それは柔らかく、素敵な音だった。
旋律が広がって、紫色の帳が降りる。
アランラミャとナラアルハイゼンは、夢の中のヴァナラーナに足を踏み入れた。