「安いぞ。安いぞー」
「……あのクロウさん?」
「いきのいいメイドだぞ。早い者勝ちだぞー」
「あのっ! クロウさんっ!?」
禁足域第三階層────行き場の無い人間たちが集う、迷宮最大のスラムだ。その階層でも最も多くのが集う市場に、クロウとミューは立っていた。
そこには喧騒があり活気があり、しかして秩序は無かった。人が踏みしめただけの道の横に掘っ建て同然の小屋が幾多も並び、今日の食料から禁制品までを幅広く商っている。
そんな中、気の抜けた声で道行く客に呼びかけるクロウの肩を、ミューがガクガクと揺さぶった。
「これアレじゃないですか? ……えっ? もしかして私……まさかとは思いますが……。その……売り飛ばされようとしていませんか……!?」
「そうだが」
平然と答えるクロウにミューが叫ぶ。
「『そうだが』じゃないですよ!? え……あの……え? え!? な、なんで!? なんでそうなるのですか!?」
「だっていらないからな……」
「……かっ、仮に、要らなかったとしてもですねぇ……人間大の人型の存在を売り飛ばすことに、躊躇とかないんですか……!?」
クロウは不思議そうに言った。
「だって、ミューが自分で自分を人間じゃないって言ったしな。それなら構わないんじゃないか。だってべつに悪いことをしているわけじゃないしな」
「いや言いましたけどね? 言いましたけど……!」
頭を抱えるミューに、やれやれとばかりにクロウが肩をすくめて言う。
「それにな、売るっていうのは人聞きが悪いぞ。おれはミューにマスターとやらを紹介して、金を貰おうとしているだけだ。そしておれはその金で欲しい情報を仕入れる……うむ、みんな幸せ、うぃんうぃんだ。やましいところはないんじゃないだろうか」
「なんでそんな言い訳だけ如才無いんですか!?」
「あ、なあそこのチンピラー。メイドはいらないか」
ダメだ。そもそも話を聞いてない。
ミューはクロウの説得を試みた。
「ほらクロウさん、メイドさんいらないんですか!? 一生に一度のチャンスですよ!?」
「別にいらないな。たぶんそんなに必要じゃない」
「ならええと、これでも私の造形は美少女ですよ!? 控えめに見ても!」
「そうだな。たぶん、ミューはかわいいと思う。でも、それだけだな」
「なん……ですと……!?」
ミューは慄いた。
「それになミュー。おれはたぶん、ミューのマスターというのには向いてないと思うぞ」
「いえ、マスターに向いているも何も……」
「おれにはな、魔法が使えないんだ」
「はい?」
「ミューの言う契約というのはよくわからないが、それはたぶん魔法とか、そういうものじゃないのか? だったらおれには無理だと思うぞ」
魔法が使えない……確かにその言葉が本当ならば、本契約は無理かもしれない。魔力の
「あとな、ミュー。周りを見てみろ」
「……周り、ですか?」
ミューはそう言われて周囲を改めて見回した。
チンピラ、チンピラ、チンピラ、チンピラ、チンピラ……チンピラしかいない。どいつもこいつも気が短く、因縁を付け合い、怒号と乱闘の音がそこかしこから聞こえてくる。まともな人間はいないのか。
とその時、ミューは気付く。
「……私たちの周りだけ、人が避けていませんか?」
「そうだ。おれはな、この階層では【悪鬼】なんて呼ばれている。何もしてないのにな……偏見で嫌われているんだ。おれは今更気にしていないが、ミューまでおれと一緒に、そんなふうに見られたくはないだろう」
「そんな……!」
一度意識してみれば、それは明確だった。声の届かないようなところで小声で話しているのだろうが、ミューはメイドなので盗み聞きが得意だ。遠巻きにこちらを見つめる人々の言葉に耳をすませる。
『おい、見ろよ。【悪鬼】だ。こんなところにいやがる……』
『ケッ、忌々しい……』
ミューは歯噛みする。……【悪鬼】だなんて。
それがこんな、ぼうっとしているだけの少年に向けられていい言葉なのだろうか。ミューはさらにその話に耳を傾ける。
『話の通じねえくせによ、気に入らねえことがあると半殺しにしてきやがるんだぜ』
『悪夢みてえなヤツだよ。カツアゲ程度なんだってんだ、なあ?』
『全くだ。人間としてのモラルってやつが欠けてやがる』
『関わり合いになりたくねえな』
「っ! クロウさんに人間としてのモラルが欠けているだなんて……!」
『今度は【悪鬼】め、ついに人身売買に手を出しやがったぜ』
『いくら俺たちでもアレはねぇわ』
『あの嬢ちゃんも可哀想にな、同情するぜ』
「酷い、なんてことを……!」
ミューは思わず手を握りしめた。
見ず知らずの人間にここまで言われるようなことを、いったいいつクロウがしたというのだろうか。クロウが人身売買に手を出しただなんて、そんなあり得るはずもない、根も葉もない、偏見、を……?
ミューはそこで何か違和感を覚え、現状を確認する。
数秒黙ってから叫んだ。
「……いや違いますよね!? 別に偏見じゃないですよね!? 現在進行形で私、売り飛ばされる寸前ですし! もしかして悪鬼呼ばわりされて嫌われているのは、ただ単にクロウさん自身の行いのせいなのでは!?」
「急に何を言っているんだ、ミューは」
「自覚してない! クロウさん実はただのナチュラルボーンド畜生ではないですか!? その辺の道端で雑貨感覚で人身売買してたらそれは誰だって避けて通りますよ! ドン引きされて当然じゃないですか!」
喚くミューに、クロウは若干引きながら返答する。
「いや、でもな。いったいなにが問題なんだ。おれは金が手に入るし、ミューは好きな仕事をする。つまり誰も損をしない……うむ、これでよし」
「よしじゃないんですよ! 私、お先真っ暗なんですが!?」
ぜーぜーと息を掠れさせるミューを尻目に、クロウは声をかけてきたチンピラの一人に応対する。チンピラはクロウの話ににこやかに頷き、二、三の質問をした後、クロウとがっしりと握手を交わした。
「よかったなミュー。雇い主が見つかったぞ」
「いや待ってくださいよ! 道端で人身売買してるクロウさんが異常ならそれに寄ってくる人も異常に決まっているでしょう!?」
「でもこの人はほら、もうミューのために特別なアクセサリーまで用意してくれているみたいだから……」
「そのゴツい鉄の首輪をアクセサリーと!? 正気ですか!?」
「うむ、そうだな。ミューにも好みがあるだろう。直接話して決めるか」
「話が、通じて、ない!」
叫ぶミューだったが、とりあえずは交渉のチャンスのようなので、首輪を手に持って穏やかに微笑むチンピラと会話をしてみることにした。
「あ、あの……クロウさんとはどういった話し合いを?」
「……」
「ちょっ、この人笑顔のまま無言でいきなり首輪をつけようとしてくるんですけど!? いくらなんでも行動派すぎませんか!? クロウさーん!? なんでこんなぶっちぎりでヤバい人にゴーサイン出すんですか!?」
穏やかに微笑みながら首輪を差し出してくるチンピラから本気で逃げたミューはクロウの後ろに回り、背中に縋り付いて必死の交渉を開始した。
「いやもう本当に勘弁してください……! クロウさんがマシかといえばそうでもない気もしてきましたがそれでもこの人は流石に嫌です! 必要でしょうメイド!? 頷いて! なんでもいいから頷いてくださいよぉ!」
「……」
「無言で押し出さないでくださいどうしてアイコンタクトで永遠のサヨナラを伝えてくるのですか!? 私ここで見捨てられたらもう一生お日様の光を拝めなさそうな気がするのですけれど!? ……な、なんでもしますから! なんでもしますから何か無いんですか!?」
「……ふむ」
クロウは少し考えて、ミューに聞いてみた。
「おれはこの階層に閉じ込められていてな……出られないんだ。外になんとかして出たいんだが、なにかいい方法を知らないか」
「え、なんとでもなりませんか? そんなもん」
「え?」
「え?」