目の前に現れた広大な庭園。花々が咲き乱れ、美しく整えられたその場所は、明らかに自然にできたものなどではない。
「これは……人の手が入っていますね」
「入ってみるか?」
「そうしましょう。もしかしたら誰かがいるかもしれませんし」
三人で連れ立って庭園の中に足を踏み入れる。
魔物跋扈する森の中であるとは思えないほど多種多様な花々が咲き誇り、蝶は翅を広げて舞い踊る。しんとした清涼な空気の中で緑の瑞々しさは美しく、楽園に辿り着いたような心地だった。
その絵画のような景色に戸惑うクロウとクーに対して、ミューはそれ以外の部分に驚いている。
「これは……一種の結界ですね」
「結界?」
耳慣れない言葉にクロウが聞き返すと、ミューが説明してくれた。
「魔法が空間に浸透しているのです。目の前のこの景色は誰かがそうなるように管理しているのではありません。花が咲いているのも蝶が舞っているのも、この状態をこの空間そのものが規定して、維持しているからこそ成り立っているのです」
「……つまり?」
「すごい魔法です。回り道しましょう」
ミューは真っ直ぐに庭園を突っ切るのではなく、目の前の景色をじっくりと眺めながら、慎重に歩を進めた。
クロウは景色を眺めながら、先頭を行くミューにその疑問をぶつける。
「なあ、真っ直ぐ行った方が楽じゃないか? というか、どこに行ってるんだ? これ」
「行き先は分かりません。まっすぐ進んでも大丈夫かもしれませんが」
ミューは思案しながら言った。
「迷ってどこにも辿り着けなくなる可能性があります」
「ふむ」
「結界の構造を見れば……ああいえ、クロウさんが眼を凝らしても見えません。魔法ですからね。ともかく、この結界はこの目の前の庭園の景観を保護することを目的としています。ただそれだけの結界なので、妙なことをしなければまっすぐ向かっても通れるかもしれないのですが……」
ミューはクロウをちらりと見た。
クロウは抗議する。
「おれは妙なことなんてしないぞ」
「……えー、はい。確かにまあ、ここは魔物もいませんし」
ミューは言葉を続けた。
「ただ、何をしてはならないのか、定義がイマイチわからないのですよね……外へと出て行く分には引き止められることもないと思うのですが、中心に進むためには踏み荒らすことが駄目なのか、ただ踏み入るだけでもアウトになるのか……」
「今は大丈夫なのか?」
「大丈夫なはずです」
ミューは周囲に視線を巡らせる。
「これは自然にできた結界ではありません。誰かが確固たる意図を持って作り上げた結界で、そこには目的意識と美学があって、だからこそ『正しい』道が必ず存在します」
「ふむ……?」
「そんなに難しい話ではなくてですね。この結界はおそらく、『景色をもっとも美しく見られる道』を選べば抜けることができる結界なんです。きっとこの結界を張った人は、この庭園を見てほしかったのだと思います」
クロウはぽつりと言った。
「わからん……」
「まあ、正直なところ私もよくわかりません」
「そうなのか?」
「綺麗な景色だとは思いますけど、どこから見るのがもっとも綺麗かと言われましても……。いま道を選んでいるのは私の感性に従っているのではなくて、空間の魔力を観てその偏りを読み取っているだけです。別に抜けられればそれでいいのですし」
ミューは時折立ち止まりながらも足を進める。それについて行くこと数十分、庭園はついに途切れ────目の前には、白い石造りの神殿が現れた。
「……でもやっぱり、人の気配はありませんね」
開け放たれた扉から足を踏み入れたミューがそう呟く。
外からの見た目と同様に、神殿の内装もまた壮麗なものだったが、そこには往時の輝きはない。人がいなくなって長い時が経ったのだろう、全ては埃に薄汚れ、廃墟のようだ。
「人がいてほしかったのか?」
「うーん……よく考えたら不法侵入してますからね……。ひとまず、奥の方まで見てみましょうか」
建物の中を探索する。
いくつもの部屋があり、調度品も残っているがそのほとんどが荒れ果てている。三人は建物の中を一周し、最後にもとの入り口に戻ってきた。
「何もなかったな」
「ええ。まあやっぱり、ここが重要部なんでしょうね……」
視線の真正面には鍵のかかった重厚な扉。
神殿に足を踏み入れて真正面の奥に位置するその扉はすぐに目に入ったが、鍵がかかっていたこともあり、ひとまず後回しにしていた。
だが、神殿の他の部分を探索してみても成果は無い。未だにこの神殿が何のために存在する施設なのかすら判然としていなかった。
「わかりやすく怪しいですが……どうやって開けましょうかね、この扉。鍵も見つかりませんでしたし」
「ふむ。とりあえず押してみればいいんじゃないのか」
クロウが雑に蹴りを入れると、黒石造りの扉は鍵どころか蝶番から外れ吹き飛んだ。扉そのものの割れ砕ける轟音も凄まじく、あたりにはもうもうと砂埃が舞う。
「な……何を急に遺跡を破壊しだしたのですか……?」
「……なんだっけな。聞いたことがある……そう、これは老朽化という現象じゃないだろうか」
「爆散するタイプの老朽化には初めてお目にかかりましたね……」
砂埃が晴れると、扉の奥にはさらに通路が続いている。
光の差し込まない、曲がりくねった道を三人は進んだ。クロウはそこらを歩くのと変わらない呑気な歩き方で先を歩く。ミューは意識を張り詰めながら、一歩一歩確かめるように足を進める。クーはビビり散らかして歩こうとしないので、クロウに首根っこを掴まれて憮然とした表情で運ばれていた。
「あ、ちょっと待て」
「なんですか?」
「魔物だ」
唐突なクロウの声にミューは視線を巡らせた。周囲に自分たち以外の生命体の気配は無い。だが直後、通路の壁面から十数体の人影が現れた。
「ゴーレム……!?」
甲冑を纏い武具を身につけてはいるが、人では無い。それは魂を内在せず魔力のみによって駆動する、人形の集団だった。
そして気づけば、囲まれている。ゴーレムが湧き出てきたのは前方の壁面だけではない。後方の壁面からも十数体のゴーレムが出現しており、前方も後方も取り囲まれてしまっている。
「壊していいよな」
「いいですけど! この数、どうにかなるものなのですか!?」
「たしかに殴り壊すのは面倒かもな。ふむ……よし、おれがいい方法を教えてやろう」
クロウが自分の服から何かを取り出した。それはよく見てみれば、先ほどクロウが蹴り壊した扉の破片だった。
「それでどうするのですか……?」
「こうする」
クロウはその石を持った手で、前方を薙ぎ払う。クロウの腕はもちろん、ゴーレムに当たってなどいない。だが次の瞬間、断続的な轟音と共に前方に展開していたゴーレムが纏めて吹き飛んだ。
そしてクロウは振り向き、もう一度違う石の破片を取り出して、後方を薙ぎ払う。再び異様に硬質な断続音とともに、ゴーレムが破壊され吹き飛んでいく。古びた甲冑にはいくつもの大穴が空き、手足がもげて破損した箇所には何も存在していない空洞が露わとなっていた。
「何をしました……?」
「なんだ、見ていなかったのか。石を投げたんだ」
「それだけでこんなことになります?」
「投げながら握り潰すのがコツだな。石が割れてたくさん壊せる」
そういう問題じゃなくない? とミューは思ったが言わなかった。
ビビり散らかしてクロウに運ばれているクセに、クーなどは『まあ私は分かっていましたよ……』という感じのドヤ顔を浮かべている。日頃から一緒に行動し、魔物と相対しているクーの方がクロウの戦闘力を理解しているのは当たり前のことだが、しかしミューは謎の敗北感に打ちひしがれた。
と、同時に理解する。おそらくクロウが同行している時点で、生半可な敵は脅威どころか、障害にすらならない。
実際、その通りだった。すぐさま次の敵が出てきて、僅か数十mの距離で襲撃は四度にわたった。
しかしその全てが一撃で決着となり、人形の在庫が品切れとなったのか襲撃は終息した。当然のように三人は無傷である。過剰な戦力は戦闘を作業に貶めるものであると、ミューは初めて理解した。
通路を抜けて出た先には、広々とした空間があった。
吹き抜けとなった空間には陽光が降り注ぎ、外の庭園と似たように、一切の混沌の存在しない清浄な空間がそこには存在している。
だが、致命的な相違点が一つ。そこには目にも明らかな異常が存在した。
空間の中央には、隙間から虹色の光を漏らす、巨大な扉が存在していた。場違いなまでの異物感。それは明らかに、“禁足域”にて幾度も通過した扉と同じものだった。
クロウたちが探していた、階層と階層を繋ぐ次元扉である。
その様子にミューが歓声を挙げる。
「間違いありませんよ! これ、『境界』です!」
「ふむ……入るか?」
クロウがそう聞くと、ミューは難しい表情をする。
「そうですねえ……正直、戻る扉ではなく進む扉である可能性も否定できないのですが」
「ああ、そういえばそうだな」
「ですがまあ、開けてみましょうか」
「いいのか?」
クロウが聞き返す。ミューは頷いた。
「試さないことには判りません。ちらっとだけ覗いてすぐに戻れば危険も無いでしょう」
仮に扉を潜ってから帰れないという事態に陥ったとしても、失ってはならないような物品はミューの収納魔法で管理している。最悪の場合でもそう大した損失にはならない。
ミューのその意見に、クロウも頷いた。
「じゃあそうだな、開けてみよう」
「ええ……壊しちゃダメですよ? ダメですからね?」
「ふぅむ」
クロウは分かっているんだか分かっていないんだかよくわからない生返事をして扉へと近寄る。緩やかな階段を登り、その巨大な扉の前に立つ。
そしてその扉に手を近づけ────
「……ッ」
ばちん、と大きな音がする。
────気づけばクロウは、宙を舞っていた。
「ク、クロウさん!?」
驚くミューの声をよそに、クロウは空中で姿勢を整えて猫のようにしなやかに着地した。慣れきった動作である。
「無事ですか!? いったい何が……」
「ミュー」
クロウがぼんやりとした表情でミューを見る。
……しかしミューは、クロウの小さな変化に気づいた。
一見、いつもと同じようなただの無表情に見えるが、これは……。
「……たぶんこれ、おれは通れないぞ」
それは恐らく────ミューの初めて見る、クロウが本気で困ったときの表情だった。
◇◇◇
「……誤算でした」
拠点に戻ってきた三人は、丸い食卓を囲んで座る。クロウは茶をすすり、クーはおやつの魔晶をかじり、ミューは深刻な表情で頭を抱えていた。
あの後、数度試してもクロウはあの扉を通れなかった。触れることすらできなかった。扉の反対側に回っても同じだ。どうしても弾き出される。
続いてミューとクーも試してみたが、触れる以前に近づこうとすれば自然に足が止まってしまうといった有様で……要するに誰一人として、あの扉を通ることはできなかった。
頭を抱えたままミューが小さく呻く。
「こうなることが、想像できなかったわけじゃないのに……」
「ミューは元気がないな。どうしたんだ」
「……っ」
茶をすするクロウがそう言うと、ミューはピクンと身体を震わせ、顔を上げた。
「……クロウさん」
戸惑うクロウに、ミューはメイド服の裾をぎゅっと握りしめて言った。
「ごめんなさい」
「どうしたんだ、急に」
クロウが湯呑みを置いて首をかしげると、ミューは少し目を伏せながら言葉を続けた。
「……転移という方法を持ち出したからには、最悪の場合まで想定しておくべきでした。少なくとも私は、クロウさんが地上に出る『扉』を通れないことを知っていたのですから。いざ迷宮に入っても移動できない、という事態を想定できたはずです。……言い訳をさせてもらうなら、禁足域の中は自由に移動できていたことですが……でも、迂闊だったことを否定できません」
「……?」
「……ですから!」
ミューは意を決したように顔を上げる。
未だにピンときていないクロウに、静かに言った。
「これは、私の失敗です。この階層に閉じ込められたことについて、クロウさんは怒っていいのです」
「……?」
クロウは冷めた茶をもう一口すすった。そしてミューの眼を見て言う。
「ミューはなんで、そんなことを言うんだ? おれがあの扉を通れないことを思いつかなかったのは、おれも一緒なんだが」
「私は……っ!」
「おれはミューの言っていることがよくわからない。……いや、ここに閉じ込められたことはわかるんだ。入り口もないし出口もない。それはとても困ったと思う。けど、なんていえばいいんだろうな……」
クロウは口を開こうとしたミューを遮るように、言葉を続ける。
「ここに閉じ込められるのは、そんなに大したことじゃないんじゃないか。だっておれはもともと、あの場所に閉じ込められていたんだ。だったら場所がここに変わっただけで、ほかには何も変わらなくないか?」
「か、変わるでしょう!? だってここには何も無くて」
「あの場所にもなにもなかったぞ……?」
「……そ、それはまあ、はい。……ですが、親しい人もいたでしょう!? えっと、……親方さんとか……?」
「んん? ……ああ、思い出した。あの男か」
「忘却しかけている……!? ……で、では、エウーリアさんは。エウーリアさんに辿り着くための道が途絶えたことは、どうなのですか?」
ミューのその問いに、クロウは小さく唸って答えた。
「それは言われてみればそうだな。……確かに、おれがここからエウーリアに会いに行くことは大変かもしれない。どうしていいのかわからない」
「だったら!」
「でもおれにはもともと、ここに来る以外に自分からエウーリアに会いにいく方法なんてなかったし……どちらかといえばここの方が、エウーリアに近いんじゃないだろうか。エウーリアもどんどんおれたちの方に向かっているはずだからな」
「……どうして、苛立ちすらしないのですか」
どこか不安げにミューが呟く。
その様子は奇妙なことに、罰されたがっているようにすらクロウからは見えた。頭痛を堪えるような表情のミューをじっと見つめる。
「あのな、ミュー」
「なんですか……?」
「おれは昔よりも今のほうが好きだ。だから、おれがいま、ここにいることをミューに謝られても嬉しくない」
クロウのその言葉にミューは眼を見開き、二、三言なにかを口にしようとして、やめた。立ち上がり、頭を左右にぶんぶんと振る。
「どうしたんだ……?」
「……いけませんね。私、何かネガティブになっていたようです」
ミューは気合を入れるように自分の頬を叩いて笑った。
クロウと目線を合わせる。
「それじゃあ私、気にしません。私のやらかしは言い換えればマスターであるクロウさんのやらかしでもあるってことで」
「そうだな。それでいいんじゃないか。クーもなにも思ってなさそうだぞ」
「クーちゃんはそもそもここ出身の魔物ですし……」
そう言ってクーに目をやったミューは思わず脱力した。
クーが二人のやりとりにまるで興味の無い様子で、ひたすらちまちまと魔晶を齧っていたからだ。ミューと眼を合わせると、明らかに何も考えていなさそうな顔でこちらを見返してくる。
精神が微回復した気がするミューは、気持ちを切り替えることにした。
「……では、この階層から抜け出す方法でも考えましょうか」
「なんだ、あるのか」
のんびりとしたクロウの声に、ミューはいつものように笑って答えた。
「もちろんです。……メイドはご主人様の望みを叶える生き物ですので」