「おれはな、よく考えれば働きものじゃなかったんだ」
「はあ」
階層に閉じ込められたことが判明してからおよそ十日。
今日も朝飯を喰らって目を覚ましたクロウは、唐突にそう言った。呆気にとられたミューの生返事に、かつてない熱意を持って言葉を続ける。
「働くのは三日に一日、いやもしかしたら五日に一度くらいだった。仕事場まで行って、魔鉱石を掘って、魔物を殴る。それがおれの、なんだっけ……らいふる?」
「ライフスタイル?」
「そう。それだ。それがおれの、ライフルスタイルだったはずなんだ。それ以外のときは食べて、寝て、街で殴りかかってくるやつを殴りかえして、肉を食べて寝る。暴力と食事と睡眠で成り立っていたのが、あのころのおれだったと思うんだ」
「うわぁ。どう控えめに見てもならずものですね」
「なのに」
クロウはグッと拳を握りしめる。
「気がつけばおれは、ここに来てから一日も休んでいない。毎日ずっと狩りに出て、魔物を殴っているような気がする」
実際、クロウはよく働いてきた。毎日三桁に届こうかという魔物を屠り、魔晶を採取するクーもてんてこ舞いだ。特に最近などは、休む間もなく魔物を狩っている。それというのも……
「転移のためには魔晶が必要だからな。うむ、それはわかるんだ」
「クロウさんのお陰で、今では目標とする必要魔力量の半分ほどが集まっていますからねぇ。……正直なことを言いますと、いくらクロウさんでもここまでのハイペースで魔物を狩れるとは思っていませんでした」
この階層から抜け出すためにミューが提案した方法は単純だ。
魔晶を集めて再び転移を行う。一回で失敗したのなら、何度も繰り返せばいい。確実ではなく、ゴリ押しにもほどがあるが、行動する価値はある。
そう決めてから既に十日ほどが経過して、現在ではミューの言う通り、転移魔法に必要な魔力の半分ほどが集まっている。
魔物から得られる魔晶が魔鉱石よりも遥かに魔力効率が良いとはいっても、無論、これはクロウが魔物を狩るその異常なハイペースによるものだった。何しろ大抵の場合、拳の一振りでケリがつく。その気になれば、文字通りに鎧袖一触だ。
────しかし。クロウはそんな今までの経緯を全て無視して、雄々しく、そして高らかに、己の胸の内に秘めた野望を宣言した。
「ミュー……おれは決めたぞ。おれは休む。ミューがなんて反対しても休む。働けといってもしらない。おれの決心は硬いぞ。本気だ。今日は絶対に休んでやる」
「あ、はい。そうですね、休養も大切です」
────そしてその言葉に、ミューはあっさりと頷いた。
あまつさえ、腕を振り上げ硬直したままのクロウに色々と提案する。
「ではでは今日一日は私がお側についてお世話をいたしますので……そうですねえ、天気もいいですしピクニックにでも行きますか? それともゆっくりと魚釣りか、あるいはここでのんびりとするのもいいですね。……あ、膝枕やりましょう膝枕! 私としたことがまだ一度もクロウさんに膝枕をしていませんでした。不覚……!」
「……ミュー」
「はい?」
「おれは、休んでもいいのか……?」
クロウがそう聞くと、ミューは妙な顔をした。
「当たり前でしょう。というか基本的にクロウさんはマスターとして、働かないくらいでいいのです。まあこの状況で本当にそうされてしまうと生活が立ち行きませんので、働いていただいていますけれど」
「……じゃ、じゃあ。なんでおれは、ずっと働いていたんだ?」
「いえ、知りませんけど。……私、クロウさんにことさらに働くように言ったことなんてありましたっけ?」
クロウは思案する。
そしてぽつりと呟いた。
「……ない、な」
「早く違う階層に転移したいのか、それかクロウさんは身体を動かすのが好きなんだなーと、そんなふうに思っていましたが。違うのですか?」
首を傾げるミューに、クロウは戦慄した。
……いつのまに。
いつのまに自分は、こんな人間になってしまっていたのだろうか。
一日丸々寝ていても気にならなかった昔の自分はどこに行ってしまったのだろうか。眠くもないのにボロ布団に寝転がりながら、目の前を行進するアリの列をだらだらと見続けていたかつての自分はどこに行ってしまったのだろうか。
お仕事大好きなミューにすら感心されてしまうような働きものに、自分はいつのまに成り下がってしまっていたのだろうか……!?
クロウはふらふらと、その辺のクッションに倒れこむ。
「……今日は寝て過ごす……」
「はいはい。とりあえずお茶持ってきますね?」
「……ああ」
答えて数分後には、すぐにミューがお茶を淹れてきた。クロウの一番好きな、人肌よりもやや温かめの温度だった。
ほうっと一息つき、ぼうっとしだしたクロウの横にはミューが座り、僅かに甘い匂いが鼻をくすぐった。気づけばミューが、干した果実を盛った皿を近くに置いていた。
「近くに食用果実の樹を見つけたので、干してみました。どうですか?」
「……甘い。うまい」
「よかったです」
クロウが感想を言うとミューは柔らかく微笑み、ふと思いついたように言う。
「……あ、耳掃除しましょうか。ごろんってなってくださいごろんって」
「……ああ」
そして二十分後。
クロウの耳掃除を終えたミューは、小さく鼻歌を歌いながら編み物に精を出していた。その様子を見ながら、耳をふーってしてもらってぼうっとしていたクロウはぼんやりと思った。
……ミューはすごくよく働くな、と。
────その時。クロウは突如としたある気付きにより、カッ! と眼を見開いた。わなわなと震えながら、恐ろしいものを見る眼でミューを見る。
「ク、クロウさん?」
「……わかったぞ。なんでおれが休めないのか、わかった」
「は、はあ」
クロウは拳を握りしめ、力説した。
「おれは。たぶん、一緒に暮らしているやつがまじめに働いているのに自分だけ休んでいることが、なんか居心地が悪いんだっ……!」
「……!?」
「なんていうんだろうな、よくわからないんだが、こう、妙にむずむずした気分になるんだ……! なんか悪いことをしているみたいな……!」
「どうしたのですか急に真人間のようなことを言って!?」
動揺するミューに、クロウはかつてなく深刻な口調で言う。
「……おれは逃げていたんだ。休むことから、逃げていたんだ。働いていたほうが罪悪感がないから、だから働いていたんだ。絶対に休む、そういう決意が足りなかった。……ミュー、おれは休むぞ」
「は、はあ……」
「だからとりあえず、ミューはついてきちゃ駄目だ。休めない」
「っ……!?」
ミューは呆然とした。メイドに傅かれていながら休めない……そんな人間がまさか、本当に存在するというのだろうか?
生まれた時からメイドにお世話され、その母性の中で生の意味を見出し、そして死ぬときはもちろんメイドに手を握られながら安らかに息を引き取る……そんな人生を送ることが全人類の本懐ではなかったのか!?
このままではミューのアイデンティティは崩壊である。ミューはフリーズからコンマ一秒で復帰して、必死に説得しようとする。
「そ、そんなこと言っちゃ駄目です! 私がついていながら休めないなんて、何か重大な精神疾患があるに決まっています! ……カ、カウンセリング! カウンセリングしましょう! 全十回のそれを終えたころにはクロウさんも私に思い切り甘やかされていないと泣き出してしまうような立派なご主人様になれています! で、ですから……!」
「────待て、ミュー」
クロウがスッと、手のひらでミューを押し留める。
そして厳かに言った。
「おれはな、ミュー。帰ってくるぞ」
「ク、クロウさん……?」
「おれはこのままじゃだめだ。ミューがとても忙しそうに働いていても肩もみを要求できるような……そんな心の強い人間に、おれはなりたい。だからミュー、待っていてくれ。おれはきっと、そういう人間になってまたここに戻ってくる」
「……はうっ!」
きゅんっとした。それはこれまでにミューの見た、最も格好いいマスターの姿であった。クロウはそんなミューを尻目に、きょろきょろとあたりを見回して言う。
「とりあえずクーと遊んでくる。クーはどこにいるんだ」
「ク、クーちゃんは……外に」
「わかった。行ってくる」
そうしてクロウは外へ出て行く。
ミューはその颯爽とした後ろ姿を、潤む瞳で見つめていたのだった。
◇◇◇
「……」
「あ、クーだ」
「!」
クロウは洞窟を出て五分ほどの場所で、きらきらひらひらした小さな生き物を夢中になって追いかける少女を見つけた。
メイド服で白銀色の髪をした少女……クーはクロウの声が聞こえると、ちょうちょを追いかけるのをやめて、ぱたぱたとこちらへ寄ってくる。ちょうちょは追跡者から逃れたことに安堵し、ひらひらと逃げていった。
「逃していいのか?」
クロウがそう尋ねると、ミューはこくりと頷く。それを見てクロウも頷いた。
「まあ、あれは食べてもおいしくないしな」
「……」
クーはじとっとした目でクロウを見た。……どうやら言うべき言葉が違ったらしい。クロウは最近、極稀にそのへんのことを理解できるようになってきていた。
それはそれとして、クーは疑問符を浮かべてクロウを見上げる。クロウがいつものように荷物を持ってくるのではなく、手ぶらでいるのが不思議なのだろう。
「ああ、今日は狩りには出ない。クーも休みだな」
「……?」
「そうだな、暇だ。おれも何をしていいのかよくわからない」
「……!」
「そうか。付き合ってくれるか」
もはやクロウが一方的に好き勝手喋っているようにしか見えないのだが、実際、これでコミュニケーションが成立しているのである。
クロウは大まかな経緯を話し、クーに聞いてみる。
「なあ。クーは何かしたいことがあるか?」
「……」
クーはすぐには答えなかった。無表情のままクロウを見上げ、数十秒してからクロウへと目で語った。
「……動く? いや、でも、狩りには行かないぞ。おれは働かないと決心しているんだ」
「……! ……!」
「……?」
珍しく、クーの言わんとすることがあまりよくわからない。クロウが首を傾げて聞き返すと、クーはその華奢な腕を突き出す動作をする。
「……もしかして、修行か?」
クーはこくこくと頷いた。どうやら正解らしかった。
他にやりたいことも思い当たらなかったクロウはその提案に賛成し、しかしなぜクーがそんなことを言い出すのかよくわからず、聞いてみる。
「クーは強くなりたいのか?」
「……」
「ミューを守りたいのか。そうか、えらいなクーは」
クーの無表情らしからぬやる気の見える佇まいにクロウも感化され、クーに施す修行内容を考える。
……だが、ここに問題があった。修行と言えば聞こえは良いが、結局のところ人は、自分の経験に依ってしか物事を判断できない。
「……岩を殴ったあと魔物を殺して、あと岩を砕いて魔物を殴って、それと岩を壊したあと魔物と戦って……あ、それと岩を殴ろう」
「……!?」
無意識にクロウの口からこぼれた修行内容にクーは戦慄した。
……それで出来上がるのはただの殺戮マシーンだよ! と、クーが喋ることができれば、恐らくそんなツッコミをしていたに違いない。
が、悲しいことにクーにはそんな技能は無い。気がついたら殺戮マシーンに育て上げられてしまっていたという悲劇を防ぐため、クーは考え込んでいるクロウの服の裾を必死で引っ張った。
「……ん? なんだクー。いまな、クーの修行方法を考えていたところなんだ。とりあえずそうだな、そのへんの岩とかを殴ろう。そしたらたぶん、強くなれるぞ」
ドヤ顔の
クーは魔物だが、弱い魔物なのだ。変身能力が武器なだけの、基本的に一発屋なのだ。クーの求める修行とはそういう物理的すぎるものではなく、もっとこう、なんか……!
その思いが通じたのだろうか、クロウは気まずげに目を逸らして言った。
「……おれはこれ以外、知らないんだ」
「……」
その言葉にクーも、う、と心が詰まる。
……そうだ。なんだかんだ言って、クロウはクーのことを考えて修行のメニューを考えてくれたのだ。いかにそれが酷い内容だったとしてもだ。
だったら、それを無下にするのはどうなのだろうか。クーはクロウの好意を、真っ向から否定したくはなかった。
クーは決意を固め、クロウの眼を見る。
「なんだ、クー」
「……!」
「……や、やるのか? 岩を殴るのか?」
こくりと頷く。
底辺に近いとはいえ、魔物である。決心してやってやれないということはないはずだ。
否……むしろこの修行をやり通し、最強の力を身につけてみせる!
強い決意がクーの中で燃え盛っていた。見たところどうしようもなく無表情だったが、しかしその想いの熱量は確かだった。
「……修行は厳しいぞ」
たぶん雰囲気に流されているのだろう、そんなことを言ってざっと踵を返しのこのこと歩き出すクロウの後を、クーもまたとてとてと追う。
その小さな胸に最強への野望を抱いて、クーは今、歩き出したのだ。